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2009年10月31日土曜日

カンボジアのかぼちゃ




(カンボジアの首都プノンペンの市場にて)

 きょうはハロウィーンである。

 近年では日本でもオレンジ色のパンプキンが季節の飾り物として、あちこちで目にするようになったいる。巨大なお化けパンプキンさえスーパーマーケットの野菜売り場に展示してあったりもする。コスプレ姿の人たちも今夜は仮装行列で街中に繰り出すのだろう。

 ハロウィーンの決まり文句は trick or treat、子供たちが口にする「お菓子ください、じゃないといたずらしちゃうぞ」、という意味のようだが、もともとどういう意味だったのかはわからない。


ハロウィーンとは?
 
 ハロウィーン(Halloween) は、11月1日のカトリックの祝祭日、万聖節(=諸聖人の日 All Saints' Day)の前日(=イブ)に行われる伝統行事である。

 英語圏では、諸聖人の日の旧称が、"All Hallows" なので、Halloween とよばれるようになったらしい。もともとは先住民であるケルト人の民俗暦が、キリスト教と習合して誕生したもののようだ。復活祭などと同じである。

 ただし、アングロ・サクソン系諸国で主に行われる行事であって、カトリック地域ですべて祝われるわけではない。由来からしてみたら、そもそもきわめて"異教"的要素の強い祝祭である。完全にキリスト教化されていないまま今日に至る、ということだろう。日本でも10月は神無月で、すべての神々は出雲に集まるということになっている。

 万聖節は、欧州ではフランス、ベルギー、ドイツといったカトリック国では休日となる。なお、ドイツは本日10月31日は「宗教改革記念日」で11月1日は「万聖節」、北部のプロテスタントと南部のカトリック、という具合にうまく棲み分けがなされている。

 万聖節は、アジアでは唯一フィリピンのみが休日となる。アジアのカトリック大国である。フィリピンでは、スペイン語のまま Todos los Santos という。All Saint's Day より、os で語尾で韻を踏んでいるので語呂がいい。

 万聖節には、家族みんなでお墓参りにいく。日本のお彼岸のようなものなのだろうか。フィリピン出張を入れる前にカレンダーを調べてはじめてこの周辺が休みになってしまうことを知ったのだった。


ハロウィーン雑感

 そういえば、かなり前の話だが、米国留学中の日本人少年が米国南部のルイジアナ州で射殺された事件があったなあ。たしか服部君という名前ではなかったか。

 ハロウィーンである家を訪問したら、不法侵入とみなした住人がピストルを構えて Freeze! と叫んだのを Please と聞き間違えて、そのまま玄関にむけて歩き続けたら、いきなり発砲されたという事件だ。日本人の英語聞き取り能力にまつわる悲劇的な話である。

 陪審裁判では正当防衛として無罪になっている。事件の起こったルイジアナ州はフランス系移民の多いところで、フランス文学の『マノン・レスコー』の舞台でもあるし、フランス映画の『アデルの恋の物語』の舞台でもある。米国がフランスから買い取った領土である。

 しかし、ルイジアナ州は湿地帯が広がる地帯で、男たちの趣味はワニ狩りとかいう荒っぽい世界でもある。マチスモというラテン気質が残存しているのだろう。

 州都のニューオーリンズはもともとフランス語でヌーヴェル・オルレアンである。しかし現在では、カナダのケベック州とは違って フランス語は使用されていない。

 ハローウィーン・・・こういう風習が日本に定着することは正直いって好まないなあ。もちろんその背景には、クリスマスやバレンタイン・デーのように、商業主義が見え隠れして、あまり好きになれないんだよねえ。

 英語を小学校からやるなんて愚策が浸透すると、どうせお遊び英語しかやらないだろうから、ハロウィーンなんて格好の教材(?)となるのだろう。そしてまた一つ米国の風俗がさらに日本に定着していくのか。


日本のカボチャはパンプキンではない!

 でも、本当は日本のかぼちゃは米語では pumpkin じゃないんだそうだ。squash というらしい。

 ということはつまり、ハロウィーンのパンプキンと、煮物のかぼちゃはそもそも別物なわけだ。

 私にとっては、かぼちゃ は かぼちゃ。あくまでもカンボジア伝来のアジアの野菜

(羽をむしりとったニワトリとカボチャが一緒に売られている)

 かぼちゃは基本的に煮付けて食べるのだ、と思っている。ほくほくしたクリかぼちゃは実にうまい。

南瓜(なんきん)ともいうが、かぼちゃといったほうが、カンボジア(・・正確にいうとカンプチア)から伝来したことが明確になるので、このネーミングが好きだ。

 ポルトガル語の「Cambodia abóbora」(カンボジャ・アボボラ、「カンボジアのウリ」の意)から来ているらしい。
♪お寺の和尚さんが かぼちゃのタネを蒔きました
 芽が出て膨らんで 花が咲いて ジャンケンポン

 先日、ある会合でハロウィーンのかぼちゃが話題になったときに、最近の子供は秋祭りよりもハロウィーンなんだねーなんて会話の最中、ほぼ同世代なのに、この遊びを知らないという人がいるので驚いた。

 北海道出身の彼女は本当にまったく知らなかったようで、これは世代差というよりも地域差なのだろうか。♪日本列島、狭いようで広い~


かぼちゃプリンは東南アジアで最高のスイーツ


 ちなみに、私が東南アジア・スイーツで一番好きなのは、かぼちゃプリン。


 小型のかぼちゃの中身をくりぬいて、牛乳とアヒルの卵と砂糖をまぜたミックスを漉し、再びかぼちゃに詰めて、蒸したスイーツである。かぼちゃの果肉とプリンを一緒に食べることになり、本当においしいのだ。

 タイでもあちこちで売られているが、カンボジアのプノンペンで食べた"かぼちゃプリン"は最高においしかった。

 そう、なんといっても、かぼちゃはカンボジア、である!!

               

PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しをつけた。写真を大判にした。本文には手を入れていない。また<ブログ内関連記事>を追加した。 (2014年1月26日 記す)。



<ブログ内関連記事>

バンコクで「かぼちゃプリン」を食べる

ケルト起源のハロウィーン-いずれはクリスマスのように完全に 「日本化」 していくのだろうか?

書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)

書評 『「独裁者」との交渉術』(明石 康、木村元彦=インタビュー・解説、集英社新書、2010)
・・カンボジアで国連事務総長特別代表として調停にあたった明石康氏の手記

『東南アジアを学ぼう-「メコン圏」入門-』(柿崎一郎、ちくまプリマー新書、2011)で、メコン川流域5カ国のいまを陸路と水路を使って「虫の眼」でたどってみよう!

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

(2014年1月26日 情報として追加)


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2009年10月30日金曜日

秋晴れの青空のもと、3年ぶりに"神田古本まつり"に行ってみた




 午前中、東京で所用があったので、せっかくの秋晴れの青空だし、毎年恒例の「神田古本まつり」に足を伸ばしてみた。
 いわゆる青空古本市である。今年でちょうど50回目らしい。初めて来たのは高校時代のことだから、初めて来た頃は、まだそんなに歴史がなかったというわけだ。


 その前に本日の昼食について書いておこう。すでに1時を過ぎていたが、老舗"いもや"の"とんかつ定食(汁付き)750円也"を食べた。
 神保町にくるときは、ほぼ毎回、水道橋駅から歩いて神保町駅方面にむけて徒歩で南下するのだが、昼食か夕食はほぼ例外なく、中間に立地している、"いもやのとんかつ"で食べることにしている。
 私は、いもやのとんかつは世界一うまい、と思っている。日本で一番うまいということは世界で一番うまい、ということと同じである。
 いもやというのは屋号で、神保町界隈に天麩羅(てんぷら)と天丼、それにとんかつの専門店数店を出している。
 いわば、いもやという企業ブランドの下に、それぞれ専門店が傘下にあるような形態で、飲食というコンセプトは共通しているが、それぞれ異なる専門の店をゆるく統合した形態の経営であるといえようか。
 天麩羅は、揚げたてのものがカウンターでリーズナブルな価格で食べられるし、とんかつも揚げたてのジューシーなのを、赤味噌のしじみ汁とともに食べることができる。
 なんせ水道橋から神保町にかけては、東京でも日本大学や専修大学、共立女子大学などの都心キャンパスが密集した有数の学生街なので、飲食はみなリーズナブルな価格帯で提供されておりたいへんありがたい。いもやも、お客さんは大学生だけでなく、サラリーマンも多数おり、いつも外にはみだすほどの行列になっているのである(写真)。

 "とんかつ定食"と"ひれかつ定食"の二品のみ。店に入った瞬間に、どちらにするかまず聞かれる。順番がきてカウンターに座る頃にはちょうどとんかつがあがって、厚くて熱いとんかつを大盛りのキャベツと一緒に食べることができる。口の中で、とんかつ肉と脂身と自家製ソースとカラシがジューっと一緒になる瞬間、まさに至福の境地である。熱いうちに食べてしまうのが正しいのである。
 店内はほぼ完全に男だけ、カウンター席に座って、みな黙々と食べている。控え席で多くのお客さんが待っていることを知っているので、おしゃべり無用、携帯禁止・・・店内はとんかつを揚げる職人さんたちの絶対的支配空間なのである。 いやなら出て行ってくれと言わんばかりの緊張した雰囲気だが、安くてうまいので誰も逆らう者はいない。
 そうそうこれを忘れてはいけない、自家製の切り干し大根のおしんこは食べ放題、これがご飯にマッチしていて実にうまいのだ。
 職人たちは、ひたすらとんかつを揚げ続ける。昼食時間帯もも夕食時間帯もいつも戦争状態である。
 私は月に一度か二度は、この"世界一うまい"とんかつ定食を食べるのを楽しみにしている。


 さて、本題の"古本まつり"である。
  "世界最大の古書店街"である神保町は専門書店の一大集積地なので、標準的な価格からはずれた、いわゆる掘り出し物など実はどう考えてもありえないのだが、通常価格より多少は安めに設定しているので、ついつい買ってしまいがちである。
 就職するまでは乏しい小遣いのなかで、自分の蔵書にハードカバーの単行本を加えたいと思えば、古本を買うしかなかったから、古本まつりでは何冊も買ったものである。だがいまの私は、何とかして本を減らしたいという状況にあるので、おのずから慎重な姿勢になる。今回は、中公文庫の古いレアものと、タイの民俗学専門書の翻訳新刊本を超格安で購入したのみにとどめておいた。
 古本まつりには、ここ3年ほどは海外出張やバンコク滞在などのため訪れていなかったが、あるべき場所にあるべきイベントがあるのを見る、というのは気持ちよい。毎年恒例のイベントというのは、"継続こそチカラ"の好例なのである。

 "本の街"神保町もだいぶ様変わりしているのが感じられる。新しいタイプの古書店が増えているのだ。
 昔ながらの店もあるが、若い経営者を中心に、個性的な古書店を開くケースが増えているようだ。こうしたお店は、空間演出としてオシャレなブックカフェのような店もある。本というのはインテリアの重要なアイテムでもあるから、これを意識的に活用しない手はない。
 古着屋感覚で古本屋をやる、というところにセンスの良さが現れているのかもしれない。この業界も新陳代謝が進んでいるようだ。

 "第50回神田古本まつり"は、10月27日(火)から11月3日(火)まで。同時開催のイベントが第19回神保町ブックフェスティバルとして今週末開催される。




                  

2009年10月29日木曜日

『取締役 島耕作』 全8巻を一気読み




 『取締役 島耕作』(講談社、2002~2005)全8巻を一気読みした。マンガ週刊誌を読む習慣をやめて久しいので、現在は単行本になったマンガをときどき読むだけとなっている。

 2002年に、私がとある中小企業の取締役となったと同時期、"部長"島耕作は"取締役"島耕作になった。
 そして、私は単行本をリアルタイムで購入し第2巻まで読んだのだが、それ以降そのままとなっていた。
 その頃、たまたま社内の有志で上海にプライベート旅行にいったので、それが読むキッカケの一つになったのかもしれない。記憶は定かではない。

 島耕作は"常務"となり、いまは押しも押されぬ"社長"である。
 作者の弘兼憲司はいったいどこまで描き続けるのか。会長までは描くかもしれないが、まさか"相談役"島耕作はありえないだろう。読者が望むとも思われない。
 私は取締役を7年つとめた後に退職したが、そもそも大企業の役員になった島耕作とは大違いである。なぞらえること自体、僭越ではあった。

 あらためて第1巻から8巻まで全巻とおしで読んでみて、すでに読んだはずの第2巻までの内容をほとんど覚えていないことにがくぜんとした。
 人間の記憶力のあてのなさに呆然とする思いである。

 上海担当の取締役として中国ビジネスに従事した島耕作は、2002年から2005年までの中国をリアルタイムで経験することになる。
 セットメーカーである初芝電器(・・モデルは松下電器)とは直接の取引はなかったので知らないが、部品メーカーにいた私にはここらへんの状況は手に取るように理解できる。
 とはいえ、上海はおろか、中国駐在を経験したことがない私は、中国各地の工場を視察したのみであり、中国ビジネスの、ごくごく一部を知るに過ぎない。

 2009年現在では、すでに昔話になっていることも多いと思うが、中国ビジネスに関わる人が、少なくとも最低限の常識として知っておくべき事はすべて描き込まれている。
 これから中国ビジネスにかかわる人は目を通しておくといいだろう。もちろん、日進月歩の上海経済である。4年前といえば、感覚的に言えば一昔も二昔も前の事になっているはずだ。
 この間に私は上海には二回しか行ってないので、上海はねーなどと語る資格はない。

 そしてオモテの世界とウラ世界の関係、これは中国に限らず海外ビジネスでは避けて通れない問題だ。
 マンガとはいえ、島耕作も危ないことに首を突っ込みすぎだ。ウラの世界は知識としてのみ知っておけばよい。あえて自ら関わるべきではないのだ。
 また、島耕作も中国人女性と関係を持つ設定になっているが、これも実にきわどいものだ。この手の話で、表沙汰にならずに内々で処分されている話は、私の伝聞においても腐るほどある。
 身辺はキレイにしておくに越したことはない。昼のビジネスそのものがハードで、しかも夜は欲望渦巻く中国においてはきわめて困難なことではあるのだが。

 なんだか久々に"ビジネス書"を読んだなあ、というかんじがする。
 ビジネスものは小説でも、マンガでもすぐにアウト・オブ・デイトになりがちだが、島耕作の物語は、ある意味では戦後日本経済史を生きるビジネスマンのライフ・ヒストリーそのものだから、今後も生きのびていくことだろう。ある時代の記録、として。そして特に団塊世代のビジネスマンが自らの人生を振り返るときに。

 しかし、"常務"島耕作にはもはや関心はない。したがって"社長"島耕作にも関心はない。私はそもそも大企業組織のなかで出世の階段を上り詰めたいなどと考えたことは一度もない。そしていまやもう組織のなかで生きるのはうんざりだ。
 おそらく、取締役になった時点で、島耕作は自分が思い入れ出来る対象ではもはやなくなった、と思ったビジネスマンも多いはずだ。
 でも、いいだろう。せめてマンガの世界の中だけでも、島耕作にはカッコいい男でいてほしいものだ。

 だが本当のことをいうと、弘兼憲司の作品はあまり好きではない。私がポスト団塊世代の人間だからかもしれない。思い入れを感じないのだ。
 弘兼憲司の配偶者でもあるマンガ家・柴門ふみを私は長く愛読してきた。機会があれば柴門ふみについて書いてみたいと思う。




(2012年7月3日発売の拙著です)









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2009年10月28日水曜日

"昭和ノスタルジー"な一夜・・・船橋漁港直送 「いわし料理 ふなっ子」にて




 千葉県の船橋は東京湾に面した漁港である、という話は船橋大神宮の奉納相撲について書いた際に紹介した。
 その船橋漁港から直送したイワシを26種類もの料理法で食べさせてくれるのが、「いわし料理 ふなっ子」である。船橋の美味いものはアサリだけじゃない。

 昨日、仕事の打ち合わせ(・・そろそろ社会復帰に向けた動きが始まりつつある)のために私を含めて3人が集まることになった際、浦和在住者の一人以外は、千葉県在住者が二人いるという理由で交通の便のいい西船橋に集まることにした。
 打ち合わせの後、どこか飲みにいくことにしましょうということなので、前からいってみたかった「ふなっ子」にしませんかと提案したところ、満場一致で賛成、さっそく予約をいれてもらった、という次第だ。その結果、打ち合わせ場所も東船橋駅前に変更。

 JR東船橋駅は船橋駅と津田沼駅の中間にある駅で、私の母校である千葉県立船橋高校のすぐ近くなのだが、高校時代はまだ駅は完成していなかった。しかも当時はまだ"国鉄"であった。
 大半の生徒は京成線のセンター競馬場前駅(・・当時の駅名、現在は 船橋競馬場前駅、そのまんまの駅名だ)から歩いて通っていたものだ。センター競馬場前駅の"センター"とは、いまはなき"船橋ヘルスセンター"のこと、健康ランドとして一世を風靡した船橋ヘルスセンターは、私の高校時代はまだ完全には閉鎖されておらず、スケートリンクに遊びにいった記憶がある。
 船橋ヘルスセンターの跡地は現在ららぽーと Tokyo Bay というSCに変化している。ららぽーとの第一号店である。船橋ヘルスセンターは、常磐ハワイアンセンターと並んで、古き良き昭和の大衆娯楽の一代総合レジャー施設であった。なつかしい響きである。昭和も遠くなりにけり、か。
  
 さて、「いわし料理 ふなっ子」だが、お店については様々なウェブサイトやブログで紹介されているので、あえて付け加えるものはない。屋上屋に架す、というものであろう。東船橋駅から歩いて数分のところにある。

 デザイナーのN氏、広告代理店営業のS氏それに私の3人は、はじめて来たので、店主におすすめをしてもらうことにした。
 いわしのユッケを食べたところ、あまりの美味さに異口同音に「これは美味い!」と口にする三人。さすが、店主が毎朝、船橋漁港から仕入れてくる新鮮ないわしである。このほかにも、いわしの刺身、いわしのコロッケ(!・・写真 いわしの腹にじゃがいもを詰め込んで油で揚げたコロッケ)、いわしのぬた・・・などなど、生ビールで数々のいわし料理を堪能した。

 美味いいわしに、美味い地酒で談論風発、奇しくも20歳代・30歳代・40歳代となった男性三人、酒飲めば世代差なんか気にすることもなく和気藹々、これは本当にいい店を見つけた、また打ち合わせはここでやりましょう、という結論に落ち着いた。

 店主に聞いてみると開業してから25年、私の高校時代にはまだなかったわけだ。店の壁面に描かれた魚の絵は、県立芝山高校の美術の先生が描いたものだということだ。
 「いわし」を切り口に、「いわし」を軸として確立したこのお店のコンセプトは、きわめて明確である。スモールカンパニー経営の原理原則にきわめて忠実であるといえよう。
 一階のお客さんの半分は常連さんのようだった。7時半も過ぎれば満員に。
 座敷に上がっていたわれわれ三人は、11時の閉店までえんえんと日本酒を飲み続けたのであった・・・


 店をでたあと県立船橋高校まで歩いてみた。市立船橋高校とは総武線を挟んで反対側にあるのだが、われわれは学校名を略して「船高(ふなこう」または「県船(けんふな)」といっていた。だから、「ふなっ子」というネーミングはなんんか親しみを感じる。♪ どじょっこだーの ふなっこだーのー 
 お店からは数分で到着、真夜中なのであまりはっきりとは見えなかったが、20数年ぶりに訪れた我が母校は、校舎の配置など昔とまったく同じで、なんだか懐かしいような、うれしいような気持ちになった。
 正門は昔よりもはるかに立派になっていたが、同行していたデザイナーN氏は自分の母校でもないのになぜかノスタルジーを感じる、といっていた。そういうものなのだろう。

 昭和ノスタルジーを満喫した一夜であった。
                     


<関連サイト>

船橋・イワシ料理店が新装 イワシ・船橋漁港の魚・地場野菜の三枚看板で (船橋経済新聞、2015年6月29日)
・・JR東船橋駅南口ロータリーに新装開店

Chef’s CHIBA、新たにイワシ料理専門店登録 船橋市内で初 (船橋経済新聞、2016年2月23日)

(2016年2月14日 項目新設)




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2009年10月27日火曜日

ゾマホンさん(="2代目そのまんま東")の語るアフリカの本当の姿 (情報) (2009年10月)


             
 ソフトブレイン創業者・宋文洲さんのメールマガジンをずっと購読しているが、最近の連載にアフリカはベナン共和国のゾマホンさん寄稿の連載ががあって、これがたいへん面白くて説得力のある文章である。

 タイトルは、コラム「人生甘くないよ」、メルマガ最新号の第133号では、すでに連載は第4回まで進んでいる。ゾマホンさんと宋文洲さんは、「ここがへんだよ日本人」というTV番組で出演者として知り合ったらしい。

 「さんまのからくりTV」に出演していた頃、アフリカ人3人のやりとりがあまりにも面白かったので覚えているが、ゾマホンさんは、本当はかなりのインテリなんだねー。上智大学大学院博士後期課程単位取得退学(社会学専攻)。ベナン大統領特別顧問、だそうだ。
 TVタレントとして、"2代目そのまんま東"という芸名を、たけしからもらったらしいが、彼もいずれ地元に戻って政治家になるのかな?

 ゾマホンさんについては、まず第1回連載「ゾマホンについて」を読んでいただきたい。出身国ベナンと「アフリカについては、第2回連載「ベナン共和国とは・・・アフリカの歴史とは・・・」を。
 ゾマホンさん自身のウェブサイトがある。ZOMAHOUN.com で、日本語版と英語版が用意されている。

 なぜあえてこの人のことをあらためて紹介するかというと、この人は、日本のことだけでなく中国のことを熟知しているからなのだ。
ゾマホンさんは、10月2日付けの宋文洲メルマガの第132号で、連載第3回「日本のマスコミについて思う」で、次のようにいっている。

思い返せば、私はアジアに来て、23年目になりました。中国には7年、日本は16年目です。私が来日した当初、テレビや新聞で読むアフリカ大陸の情報には本当に腹がたちました。なぜかというと、前回のメルマガでもお話ししましたが、アフリカに関する情報の80パーセントが間違った情報だからです。今回はその点をお話します。

 最近、アフリカが話題になるのは、中国が資源目当てでものすごい食い込み方をしており、現地の腐敗する独裁政権に荷担しているのではないか、という国際的非難が高まっているという報道が多い。スーダンにおける中国のプレゼンスなど、はっきりいって私も大きな問題だと思うが、とはいっても自分自身の目で確認したわけでなく、あくまでもマスコミから得た二次情報に過ぎない。

 直近号は、第4回「日本とアフリカの関係について」と題したものだが、実はアフリカと中国の関係について語っており、耳を傾けるべきだと思われた。

アフリカ大陸の事について、私が皆さんに伝えたいことをもう一度整理します。
第一に「アフリカ大陸の事実を知ってほしい。」ということです。
第二に、「アフリカ大陸から紛争を無くすには、アフリカ諸国に武器を売ってはいけない。」ということです。
この二つに関しては、前回のメルマガでお伝えしたとおりです。

そして、今回は三つ目。「ODA(政府開発援助)をバンバン出すよりも、民間企業の投資を促進して欲しい。」ということです。

(中略)

アフリカへの投資に関しては、最近、中華人民共和国(以下、中国)が欧米諸国に批判されています。日本でも一部批判をしているのを聞きます。
その理由は、“中国はアフリカ大陸の資源を確保するために一生懸命投資をしているが、アフリカの国は人権を守っていないから、投資をするな”という批判です。私はその意見は絶対許せません。

中国も昔は、欧米諸国の植民地でした。植民地という苦しみを知っている国です。そんな中国とアフリカ諸国の関係は昔からあります。

日本では批判もありますが、アフリカでは毛沢東は尊敬されている人物です。
なぜなら、毛沢東は1970年代から、“我々はアフリカと兄弟である”と何度も演説していました。そして、その当時から中国はアフリカ諸国と兄弟のように付き合ってきました。

このことだけを聞くと、皆さんも色々意見があるかと思いますが、でもこれは事実です。アパルトヘイトがある時代からもずっと兄弟のように付き合ってきました。

私が言いたいのは、中国のアフリカ投資を批判するよりも、どうすれば、日本の民間企業がアフリカ諸国に投資しやすくなるかを考えなければいけないと思っています。民間企業の投資を促進するために、日本政府がそれをバックアップできる仕組みを作って欲しいと思います。
(後略)

 ゾマホンさんの意見にはまったく同感である。
 私の知り合いに、長年マカダミア・ナッツのビジネスに従事して、現在はコンサルタントをやっている人がいるが、ハワイ土産で定番のマカデミア・ナッツも生産高ではアフリカが最大のようだ。日本人もアジアだけでなく、アフリカもビジネスベースで付き合うときがきているのかもしれない。
 ゾマホンさんの第4回連載の全文は、そのうち、ソフトブレインのウェブサイトにアップされると思うので、その際はぜひ読んでみるとよいと思う。

 アフリカ人が、日本語で肉声を語る。英語でも、フランス語でもなく、日本語で。とはいえ、現状から考えると日本人が考える以上に、中国語のできるアフリカ人のほうが多いのだろう。
 東京でも、ゾマホンさんのようなインテリだけでなく、夜の六本木はアフリカ人があふれているが、中国の広州はほんとに驚くほどアフリカ人が多いのだ。総合商社のアナリストによる、「不法滞在のアフリカ系黒人に“占領”される中国・広州市」というリポートもある。
 私自身も、昨年、中国最大規模の展示会である"広州交易会"に初めていってみたが、ものすごい数のアフリカ人がバイヤーとして、熱心に中国人と商談している場面にでくわした。
 安い商品を仕入れてアフリカで売れば十二分に利益がでるようだ。
ついつい日本人の目からみたら、安くてちゃちなと思ってしまうが、無数にある中国企業がボリュームゾーンを確実に押さえているのは間違いない。
 "メイド・イン・チャイナ"は、その昔の"メイド・イン・ジャパン"と同じ位置づけなのだろう。この先、品質レベルがあがっていくと、文字通り中国は世界の工場となるだろう、それも自らの名牌(=ブランド)をつけて。

 こちらがアフリカにいかなくても、アフリカがどんどんこちらに近づいてくるような気がする。

 アフリカとどう付き合うか、これは私のメインテーマではないが、アタマの片隅には置いて時折考えてみる必要がある、と思っている。




         

PS その後のゾマホンさん

2012年以降は、駐日ベナン共和国の特命全権大使ルフィン・ゾマホン閣下(His Excellency Mr.Rufin ZOMAHOUN)である! 「駐日ベナン大使就任に伴いオフィス北野から離れると同時にたけし軍団からも離脱。それに伴い「二代目そのまんま東」も返上することになり、「そのまんま東」の称号は空位となった。」と、wikipediaの記述にある。

なお、今回あらたに、ゾマホンさんの著書のカバー写真を挿入した。

(2016年8月30日 記す)






<関連情報>

色あせるチャイニーズ・ドリーム<1> 中国を離れるアフリカ出身者
・・ビジネスチャンスを求めて中国南部の広州に移住していた起業家を中心とするアフリカ人たちが中国離れを始めているというのだ。「アタマの引き出し」の中身は、つねに最新情報でアップデートしておかなくてはならないな、と痛感。(2016年8月30日 記す)

(2016年8月30日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

かつてコートジボワールが 「象牙海岸」 とよばれていたことを知ってますか?-2014年FIFAワールドカップ一次リーグでの日本の対戦相手
・・ベナンもまたアフリカ北西部にある

書評 『OUT OF AFRICA アフリカの奇跡-世界に誇れる日本人ビジネスマンの物語-』(佐藤芳之、朝日新聞出版社、2012)-規格「外」の日本人が淡々とつづるオリジナルなスゴイ物語
・・「日本の外に出たいという押さえがたい気持ちに促されアフリカに渡って50年。ケニアを拠点にケニア・ナッツ・カンパニーを設立し、マカダミアナッツの世界5大カンパニーの一つに育て上げた日本人経営者」

自動小銃AK47の発明者カラシニコフ死す-「ソ連史」そのもののような開発者の人生と「製品」、そしてその「拡散」がもたらした負の側面
・・内戦で疲弊したシエラレオネとリベリア、そしてその主役はAK47

書評 『ブルー・セーター-引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語-』(ジャクリーン・ノヴォグラッツ、北村陽子訳、英治出版、2010)
・・米国とアフリカ

書評 『中古家電からニッポンが見える Vietnam…China…Afganistan…Nigeria…Bolivia…』(小林 茂、亜紀書房、2010)

おもしろ本の紹介 『アフリカにょろり旅』(青山 潤、講談社文庫、2009)

(2016年8月30日 項目新設)




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2009年10月26日月曜日

書籍管理の "3R"




環境問題の3Rは、知っている人も多い思う。すなわち、Reduce、Reuse、Recycle の頭文字Rである。

 廃棄物を減らし(リデュース)、再使用(リユース)し、資源として加工し再利用(リサイクル)する。

 この3Rは、環境負荷の小さい順に並んでいる。リサイクルはリユースよりも余計にエネルギーコストを要するので、環境負荷が高い。


■ "3R"とは?

 企業の人事管理でも 3Rという表現を使う。すなわち、Recruit(リクルート)、Retain(リテイン)、Release(リリース)である。

 ただし、これは環境負荷の大きさとは関係ない。従業員の採用から退社までの一連の流れ(=フロー)をRで始まるコトバでまとめたものだ。

 採用(リクルート)し、確保し(リテイン)、退社させる(リリース)。かつての日本の大企業では、終身雇用という名の長期安定雇用が維持されていたので、退社させる、というのは懲戒免職など例外的な事象であったが、近年では適正なフローを維持するためには退社してもらうことも人事戦略の一環として位置づけられている。


書籍管理の "3R"

 本の管理を入手から廃棄までの一連の流れとして捉えれば、本を入手(リクルート)し、保持・所有(リテイン)し、手放す(リリース)と表現することができる。人の一生には限りがあるし、図書館だとて収容能力には限界があるから、メタボリズムの観点からリリースは避けて通れない。 

 蔵書も入手から、売却などによる廃棄までの流れの管理を定期的に行わないと、故草森紳一のような事態におちいる。また先日起きた札幌の事故のような惨事も免れ得ない。

 また、本の処分の方法論について考えてみれば、まず何といっても環境問題の3RのうちReduce が該当するが、収納するキャパシティを拡大するか、あるいは本を減らすかという二通りの方法が本来はある。

 前回の引越ではキャパシティを1.5倍に拡大した。整理するためのスペースが欲しかったためである。その過程でダンボール箱を約100箱分処分した。

 今回の引越ではキャパシティは逆に1/2に縮小した。縮小した収容能力において、さらに処分を余儀なくされたのは、やや誤算ではあった。すでに引っ越してきてから約25箱を処分した。現在まだ整理中であるが、最低10箱は処分することになる見込みだ。できれば20箱を目標としたい。それでもまだまだ多い。


天才的大学者はアタマのなかに蔵書をもつ

 世界的な言語哲学者・井筒俊彦は、戦前の若き日にアラビア語とイスラーム哲学を直接学んだタタール世界で随一の大学者を回顧して、司馬遼太郎との対談のなかで以下のようにいっている。出典は『司馬遼太郎対談集 九つの問答』(朝日新聞社、1995)

 その大学者はイスラーム世界の学者の伝統に従って、「・・本なんか読むのは第二次的で、まず、生きた自然、人間を見て、神がいかに偉大なものを創造し給うたかを想像する」(p.15)ために諸国漫遊し、日中戦争のさなか、日本に滞在していたという。

 井筒氏に対して、「・・おまえみたいなのは、本箱を背負って歩く、いわば人間のカタツムリだ。そんなものは学者じゃない。何かを本格的に勉強したいんなら、その学問の基礎テキストを全部頭に入れて、その上で自分の意見を縦横無尽に働かせるようでないと学者じゃない」(p.18)といわれたそうだ。コーランも、ハディースも、神学、哲学、法学、詩学、韻律学、文法学もすべてテキストとその注釈がアタマの中に入ってたらしい。

 タタール人の大学者から見れば、本なんか抱えこんでいる私のような人間は、"下の下"ということになってしまうが、それは当然だろう。人間の記憶能力には限界があるし、またHDD(ハードディスクドライブ)という外部記憶装置に恵まれている現在人は、もはや救いようのない存在かもしれない。

 国文学者・民俗学者の折口信夫も、万葉集のテキストは4,500首以上すべて暗唱できたというから、独創的な研究を残した、突出した天才学者というのは、多かれ少なかれ、抜群の記憶力をもっていたことは確かなことだろう。いちいち文献をひっくり返しているようでは、アタマの中で猛スピードでフル回転させることは不可能だからだ。


凡才でも「経験知」が集積していく

 しかし凡才といえども、長く一つのことに従事していると、経験知が集積していくので同じようなことも可能になる。いちいち文献をみなくても瞬間的に正しい結論を出せるのは、脳のこの機能のおかげだろう。ただし正確性に欠けるのは仕方あるまい。

 企業経営でも、自分が経営する会社の細々とした数字がたちどころに口をついて出るようでなければ、本当の意味で経営者ではない、といわれるのはこのことを指している。
 つねに一つのことを考え続けていることが、これを可能とするのである。すでに第一線からは引退しているが、現役時代のビル・ゲイツもそうだったという。

 このエピソードは、先に"生まれてから一度も本は手放したことがない"と豪語している男として紹介した、現在投資家として活躍する人の本に出ていた話だが、この人はひたすら収容スペースの拡大を行って対応している。カネのある人間にのみ可能な贅沢である。いや、もしかしたらそのためにカネを稼いでいるのかもしれない。

 しかしながら、この男とて、いずれ寿命がくれば自らの手ではなく、家族あるいは財産管理人の手によって、蔵書は解体されることになるのである。まこともって、"蔵書一代"、果たして彼はこのことを認識しているのかどうか。


『現代人の読書-本のある生活-』

 高校時代に買って、引き出しのなかに保管して、飴を舐めるように、何度も繰り返し目を通していた、紀田順一郎の 『現代人の読書-本のある生活-』(三一新書、1964)にこういうエピソードが載っていた。

 ある蔵書家の男の蔵書印には、「我が亡き後は売りてよね(=米)買え」と書いてあったそうな。私が好きなフレーズである。カネになる本でもあれば、残された家族の生活費くらいにはなるだろう。

 最初から売るつもりなら、蔵書印など押さない方がいいのに・・・と思うのは、さらなるリアリストの見解か。とはいえ、本には線を引いたり書き込みをしてしまうのは、私の長年のクセであり、やめられない。『現代人の読書』は、私がもっているのは1977年12月の第6刷、この本は買ってからすでに30年近くたっている。

 線は引いていないし、書き込みもしていないが、いまだにリリースせずにリテインしているし、また今後もリテインしつづけるだろう。内容的にはすでに古くなりすぎているのだが、実用的でありながら反時代的な志向性が好ましいからだ。とても29歳の人間が書いたものとは思えない内容である。年寄りが書いた本だとずっと思い込んでいたのだった。
 
 自分が買った本は、過去のある時点での記憶と結びついているものだ。であるがゆえに捨てがたいし、であるがゆえに捨ててしまいたい記憶にまつわるものもある

 個人蔵書もまた、一回限りの人生の軌跡である。






* 司馬遼太郎の井筒俊彦氏との対談「二十世紀末の闇と光」は、『十六の話』(中公文庫、1997)にも収録されている。

PS 読みやするために改行を増やし、小見出しを加えた。 (2014年2月13日 記す)


<関連サイト>

研究者の死後、蔵書はどう処分されるのか(保坂修司、Newsweek日本版、2019年7月10日)

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<ブログ内関連記事>

『随筆 本が崩れる』 の著者・草森紳一氏の蔵書のことなど
・・一橋大学の藤井名誉教授の蔵書処分の件について、私の大学時代のアルバイト体験も記してある。「蔵書一代」!

本棚が倒れて"本の海"に生き埋めになるという恐怖が現実に・・・

「東北関東大震災」(2011年3月11日)直後とその後-千葉県船橋市から
・・そして本が崩れた!

書評 『ヒトラーの秘密図書館』(ティモシー・ライバック、赤根洋子訳、文藝春秋、2010)

『ちょっと本気な 千夜千冊 虎の巻-読書術免許皆伝-』(松岡正剛、求龍堂、2007)で読む、本を読むことの意味と方法

書評 『松丸本舗主義-奇蹟の本屋、3年間の挑戦。』(松岡正剛、青幻舎、2012)-3年間の活動を終えた「松丸本舗」を振り返る
  
本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳『コーラン』について


*本文を読みやすくするために、改行の導入と関連記事の追加を行った(2011年2月4日)


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2009年10月25日日曜日

書評 『変人 埴谷雄高の肖像』(木村俊介、文春文庫、2009 単行本初版 1999)-人の話を聞く、ということもまたクリエイティブな行為なのだ




人の話を聞く、ということもまたクリエイティブな行為なのだ

 単行本のタイトルは 『奇抜の人』 だったという。

 文庫版のタイトルは 『変人』。これは実にインパクトがある。

 立花隆が東大教養学部でゼミをもったあと、『東大生はバカになったか』(文藝春秋)なんてタイトルの本を出したが、この著者の木村俊介氏はまったくの例外というか、立花隆も折り紙付きの出来であった学生らしい。

 この本を読む限り、インタビューにかんしては、むしろ立花隆よりはるかに上なんじゃないのかな、という気さえするのである。よくここまで相手の心を開かせて、これだけの内容を聴き取ったものだ、と。

 文庫版の著者あとがきによれば、『変人』というタイトルへの変更は、出版社というよりも著者自身の思いが反映しているようだ。
 「・・企画を始めて感じた「うわ、こんな人がいたのか」という印象を前面に出してみたい、と文庫化にあたって題名を『変人』にさせていただいた」、と。

 この本は、埴谷雄高(ハニヤ・ユタカ)という作家について、身近に接していた近所の人から始まって、交友関係のあった作家や芸術家、そしてその子供たち、熱烈な読者だった現役の作家やミュージッシャンなど総勢27人に行った、ロング・インタビューを一書にまとめあげたものである。
 一人あたり数時間、あるいは何回にもわけてインタビューが行われただけでなく、実際にインタビューを行った数はさらに多いという。やむなく27人に限定した、という。

 私は、埴谷雄高をハニヤ・ユタカと読む変わった名前の作家だ、ということぐらいは知っていたが、正直いって彼が生涯にわたって書き続けて、しかも未完に終わっている 『死霊』 という長編小説も読んだこともないし、おそらく今後も読むこともないと思う。
 また、世代からいっても、左翼の立場にたった彼の政治論文をまったく読んだこともない。つまり、この本を読むまで埴谷雄高という人が、何をしてきた人なのかほとんど何も知らなかったのである。つまり何の思い入れもないのだ。

 しかし、この『変人』というタイトルに惹かれて読み出したら、やめられなくなってしまった。
 埴谷雄高という人が、あまりにも「変な人」だったからだ。でもこれは、むしろ最大のほめコトバとして使っている。面白すぎるのだ。
 多くの人に愛され、しかし誰も愛していなかった人、そういう印象が読後感として残っている。

 著者がなぜ埴谷雄高という人について、関係者インタビューを始めたのか明確に語っていないのでよくわからないが、インタビューを続けるうちに、もっともいろんな人に話を聞かねばならない、と思ったらしい。
 その結果が、このポリフォニー(多声音楽)ともいうべき作品に仕上がっている。インタビュー対象となった27人が、それぞれの視点で埴谷雄高という人について語る。これは文字通りの"複眼"である。
 埴谷雄高のような著名人に限らず、ふつうに生きている人であっても、つきあう人たちによって異なる見方をされ、語られているのだろうなあ、ということを思うのである。

 また、直接の目的でないが、著者が意識して聴き取り書き抜いた、インタビュー対象の文学者や芸術家たちの、彼ら自身の創造の苦しみと喜びが肉声で語られている。これらを読むことができたのも、著者のおかげであるといえるだろう。
 人の話を聞く、ということもまたクリエイティブな行為なのだ、と実感する。


■bk1書評「人の話を聞く、ということもまたクリエイティブな行為なのだ」投稿掲載(2009年10月23日)





<書評への付記>

 書評本文にも書いたが、私は埴谷雄高(はにや・ゆたか)には何の思い入れもないし、その作品はおろか、文章の一節すら読んだことがない。本名が般若豊(はんにゃ・ゆたか)というのも本書で始めて知ったくらいである。こちらが本名だというほうがもっと不思議な感じだ。

 直接会ったこともないし、作品も読んだことのない私が、埴谷雄高というのはどういう人だったのか、と聞かれれば、有名だが一部の熱狂的な読者を除けば、あまり読まれるのことのない作家で、「誰からも愛され、誰も愛していなかった人だったのだろう」、と答えるしかないと思う。

 結局のところ、戦前に非合法活動で逮捕され、獄中を独房で過ごした経験があるとはいえ、彼の人生は基本的に"金持ちのお坊ちゃん"のものであった、といっても言い過ぎではないだろう。

 これは悪い意味でいっているのではない。経済条件は人間存在を規定するからだ。金持ちの家に生まれて、甘やかされて育ち、親から受け継いだ遺産を生きている打ちに使い切ったことは、見事といえば実に見事である。それも贅沢に費やしたというのではなく、自分に関わる人たちと飲み食いで楽しい時間を過ごし、若い人たちを励ましてきた生涯。太宰治と同様、金持ちの家に生まれたから、観念的に左翼運動に走ったのだろうし、金持ちの家に育ったから、日々の暮らしに汲々とすることなく、生涯ただ一つの長編小説『死霊』を書き続けることも出来たのだろう。

 これが明治時代だったら、夏目漱石の小説の主人公たちではないが、"高等遊民"とよばれた存在と何ら変わりない。"高等遊民"とは、金持ちの家に生まれたインテリにのみ可能な、人生の過ごし方であった。

 経済状態が人間の生き方そのものを規定する、という点にかんしては、経済が下部構造として意識のあり方を規定するという、まさにマルクス主義そのものである。

 ただし、金持ちの家に生まれて何不自由のない暮らしが保証されれば、埴谷雄高のような人ができるわけでもないだろう。本人に、志(こころざし)と持続する意志のチカラがあったことは間違いない。

 カネがあろうがなかろうが、自分で稼いだカネであろうがなかろうが、卑しくない人生を送りたいものである。人から変人と呼ばれようが、凡人と呼ばれようが。これはつまるところカネの使い方の問題であり、そしてその積み重ねが人生の軌跡となる。

 「カネは汚く稼いでキレイに使え」といった人もいる。どこで読んだのか正確には覚えていないが、日本で活動する、あるカトリック修道院の初代院長であった西欧人のコトバだったと思う。

 重要なのはカネの使い方であり、使用目的である。もちろんキレイに稼ぐ方がいいに決まってはいるが、金儲けそのものを否定しない点に、この発言をした神父には好感がもてる。

 一見すると散財としか見えないカネの使い方であっても、長い目で見れば意味をもってくることもありうる。極端に金儲けにこだわるのも、極端に金儲けを批判するのも正しいあり方ではない。人生にとってカネは重要だが、カネにこだわりすぎている点にかんしては、両極端にみえる見解も、実は同じコインのウラオモテに過ぎない。

 何事も、要はバランスである。そして中庸の道であろう。

                      

 
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2009年10月24日土曜日

タイのあれこれ (10) シャム猫なんて見たことない・・・




(ワット・キャット お寺のネコ)

 シャム猫だけでなく、そもそもタイではあまりネコを見たことがないんだよなあー。これじゃあブログが書けないぞ!?


シャム猫のシャムとはタイのこと
 
 シャムとはタイのことだ、といっても問題はない。

 タイは1932年の立憲革命によって立憲君主制に移行し、その後実質的な独裁者となったピブーン元帥が国名をシャムからタイに変更した。だから、シャム=タイと考えてよい。

 『日・タイ交流600年史』(石井米雄・吉川利治、講談社、1987)によれば、江戸時代から暹羅と書いて、"しやむろ"と読ませていたらしい。日本語のドンブリ(丼)は、地名のトンブリ(Thonburi)から来ている(?)なんて民間語源説もあるくらいだし、実際、戦国時代末期から安土桃山時代にかけての武将が愛した茶器スンガロク焼きはシャムから輸入されたものであった。

 明治時代以降これがシャムになった理由は、私は英語の Siam のローマ字読みではないかと推論している。英語だと Siam の発音はサイアームで、これはおそらくタイ語のサヤームの音を比較的に忠実に写したものであろう。明治時代の日本人はどうやら Siam のローマ字読みから、シャムに落ち着いたのではないだろうか。


 シャム猫は有名だが、タイが発祥地だということは、知る人はもちろん知っていることだろう。シャムの貴族が愛した高貴なネコ、シャム猫。本来ならロイヤル・ドッグではなくて、ロイヤル・キャットだったはずなのだ。

 でも、私はシャム猫をタイで一回も見たことがないのだ。それだけじゃない、ネコはほとんど見たことがない。イヌはくさるほど道に転がっているのに・・・


 シャム猫のほかにシャムで始まるものが何かないだろうか、バンコクでビール飲みながら日本人の友人と一つ一つあげていってみたことがある。

 まず、シャム猫に、それからシャム双生児、ここまでは何とかなるな。シャムロックは?・・これは違うよ、これは三つ葉のクローバーのことだ、セント・パトリック・デイのアイリッシュのあれだ・・・うーん、これくらいしか思いつかないなあ、くやしい。
 
 この会話が交わされてから1年以上たつ。ふと思いついて、インターネットの wikipedia で調べてみたら、英語の Siamese という形容詞ではじまるコトバはかなりの数があることがわかった。
Siamese most commonly refer to:(Siameseという形容詞が通常あてはまるのは):

The Thai language(タイ語)
The Thai people(タイ人)
Someone or something from Thailand (formerly Siam) (タイ・・以前はシャム・・からきた人やもの)

  Siamese (cat) (シャム猫)
  Siamese twins (シャム双生児)

Siamese may refer to: (このほかあてはまるのは)

  Siamese Crocodile
  Siamese mud carp
  Siamese algae eater, a species of freshwater fish in the carp family, Cyprinidae.
  Siamese Dream, a 1993 music album by The Smashing Pumpkins
  Siamese fighting fish, a species of fish from genus Betta.
  Siamese Fireback, a national bird of Thailand.
  Siamese tigerfish

 英語人でも基本的には、シャム猫(Siamese cat)とシャム双生児(Siamese twins)がまず頭に浮かぶのだなあ、と知って一安心。

 でも英語を母語としていても、たぶん全部は思いつかないんじゃないのかな。


 シャム双生児なんていうと、私が小学生の頃、「学研」の雑誌にこういうネタが大量に載っていたのを思い出す。1970年代前半はオカルト・ブームの真っ最中だったので、シャム双生児はフリークス扱いされていっしょくたにされていたのだ。あの当時はまだ現在みたいに人権感覚がなかったから。

 耳で聞いただけの頃は、シャム・ソーセージだと思い込んでいたぐらいだからひどいものだ。ウィンナー・コーヒーのたぐいだと。

 ウィンナー・コーヒーの意味は、大学に入ってから自分で飲んでみるまで知らなかったのだ。あーあ恥ずかし。でも、本当はヴィーナー(Wiener)と表記すれば、ウィーン風のとわかるのだが・・・罪作りなネーミング。

 日本でも有名になった"ベトちゃんドクちゃん"はタイ人ではなく、ベトナム人である。ベトナム戦争の後期、米国による北爆で使用されたナパーム弾の枯れ葉剤の後遺症で生まれた。米国は原爆だけでなく、枯れ葉剤使用についても謝罪しなくてはならないのではないかね、オバマさん。


タイにいるのはイヌばかり?

 いやいや、まだいっこうにネコについて語ってないぞ・・・。そもそも、タイではネコはあまり見ないんあだなあ。でも書いてみよう。

 当時私が住んでいたバンコク市内ラチャダピセーク地区で、日曜日に散歩がてら地元のお寺(ワット)にいってみたことがある。

(ワット・キャット 白黒の寺ネコ)


 ラチャダピセーク地区は日本人はまず皆無で、主流の潮州系ではなく、雲南系華人の多く居住する地域である。その寺は、地元のタイ人しか来ないお寺なのでガイドブックにはでてこないし、観光客は皆無である。ローカル・コミュニティにおけるお寺の位置づけについては、いずれ書くつもり。(* タイのあれこれ (16) ワットはアミューズメントパーク として執筆)。

 そんなお寺で出会ったのが、この子猫ちゃんたち。上座仏教なのでなんという名前かわからないが、日本でいえば不動明王みたいな、真っ赤に彩色された憤怒の巨大仏像の足もとでスヤスヤ眠る子猫ちゃん。このコントラストが絵になっている。ちっちゃくて可愛いねー。

(ワット・キャット 茶色の寺ネコ)


 たぶん捨て猫のようだ。仏教国のタイでは、生き物の処分に困るとお寺に捨ててしまうらしい。お寺なら、お坊さんだけでなく、イヌでもネコも誰かが食べさせてくれるからだ、と。実際、観光客が来るようなお寺でもネコはよくみかけるのである。

 イヌもそうだが、南国タイでは、ネコはいつも寝ている。日差しがきついので、日影でじっと動かないでいれば、コンクリートも暑くならないからだろう。人間もプールサイドでは同じ事をしているわけだし。


爆発的に人気がある日本のネコ

 タイでは日本のネコが爆発的に人気がある。

 といっても、生きたホンモノのネコではない。そう、ドラえもんにキティちゃん、それになんと招き猫、だ。

 ドラえもんがマンガやアニメで、タイに限らずアジアでは絶大な人気を誇ることは、すでにこのブログでも取り上げている。

(♪ 大人も大好き ドラえ~もん

 キティちゃんについては、あえていうまでもないだろう。キティちゃん人気はアジアにとどまらず、米国や欧州にまで拡大、蔓延(!)している状況だ。もはやとどまることを知らない勢いである。今後は世界各地で"ご当地キティ"が販売されていくことであろう。

(ゴールドの招き猫はタイのみならず東南アジアで大人気)


 招き猫もアジア各地で急速に広がりつつあるが、とくにタイでの人気はすさまじい。もともとタイには女性なのか、オカマなのかわからないが旧来からある招き人形のナン・クワク(nang kwak)があるのだが、招き猫を店頭においた飲食やその他サービス、物販店も含めて非常に増えている。千客万来、という祈願のためであるのは日本とまったく同じ使用方法だ。

 私もバンコクで現地法人のオープニング・パーティを開いた際、参加者への引き出物としてタイ側ゲストには招き猫を、日本からのゲストにはナン・クワクを差し上げた。いまでも黄金の招き猫を愛用していただいている会社も多く、私の選択が正かったことをうれしく感じている。

 ただ、タイをはじめアジアでは、右手なり左手が電池で動くタイプのプラスチック製のゴールドの招き猫が大半である。ウラを見るとたいていが Made in China とある。日本では標準の、陶器の白い招き猫は残念ながらあまり見かけない。

 恐るべし!日本のネコ。

 サブカルチャーというものは、政府が上から押しつけるものではない、一般庶民が自分がいいと思うから飛びつくのだ。近年は日本発のものが多かったというのが真相だろう。

 ただし、それだけではない感性レベルの共通性が日本人とタイ人のあいだにはあるようだ。ミニチュア好き、フィギュア好きなど、かなりの面が民族性に根ざしたものも多い。これはもっと突っ込んだ検証が必要だが。

 とまあ、なぜかタイでは生きてるネコは、お寺でしか見たことがない。ましてや、シャム猫など一度も見たことのない私なのだった。

 シャム猫は眼がブルーだというので、一番最初に掲載した眼がイエローの子猫ちゃんは、単なるクロネコ??なのかな。♪クロネコのタンゴ、タンゴ、タンゴ・・・どっちにしろ雑種だろうし。

 まあいっか、自分はイヌ派だし。



<付記>

 2009年の11月に半年ぶりにバンコクにいった際、やっとシャム猫を見ることができた!
 とはいっても、BTS(=スカイトレイン)のラッピング広告である。
 キャットフード Me-O の広告。タイだから、シャム猫というわけでもなさそうな・・・(2009年11月18日)

(トトロの「ネコバス」ならぬ「ネコ列車」)


 その後、ついにタイでシャム猫を発見!(2010年10月24日) に書いたが、ついにタイ(=シャム)でシャム猫を発見した!


<付記2>

軍鶏と書いて「しゃも」と読む。闘鶏用のニワトリのことだが、この「しゃも」はシャムから来ているというのが定説らしい。シャムといわれていた当時のタイから日本に輸入されたので、「しゃも」と呼ばれるようになったのだと。

ニワトリが家畜化されたのは、現在の中国雲南省のタイ族居住地域のシプソンパンナーであることは、秋篠宮様などの調査研究によって明らかになっているが、闘鶏用のニワトリ自体がタイから伝わったことを知ると、なんだか感慨深いものを感じる。

本の紹介 『鶏と人-民族生物学の視点から-』(秋篠宮文仁編著、小学館、2000) 、そしてラオスのことなど も参照。

(2013年2月15日 記す)


PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しを加えた。写真を大判にしてさらに1枚追加した。 (2014年2月1日)



タイのあれこれ (11) につづく



<ブログ内関連記事>
                     
ついにタイでシャム猫を発見!(2010年10月24日)
・・タイ(=シャム)にはシャム猫がいた!

タイのあれこれ (8)-ロイヤル・ドッグ

ユーラシア大陸における「馬」は、東南アジアにおいては「象」に該当する

タイのあれこれ (26) タイ好きなら絶対に必携のサブカル写真集 Very Thai (とってもタイ)
・・「招き猫」人気が「招き人形」(ナン・クワク)を凌駕していることが説明されている

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)  

三度目のミャンマー、三度目の正直 (4) ミャン猫の眼は青かった-ジャンピング・キャッツ僧院にいく (インレー湖 ③)

(2014年2月1日 情報追加)



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