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2009年11月30日月曜日

書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-




怪奇映画をつうじてみた東南アジア文化論-とくにタイとインドネシアを中心に

 アジアは怪奇映画の天国である。

 東アジアの日本と韓国を中心に製作されたホラー映画は、もともとその土壌のある東南アジア、とくにインドネシアとタイでは、従来から中心的存在であった怪奇映画にも大きく影響し、アジアをしてハリウッドに対抗可能な一大怪奇映画世界の中心としているのである。

 「なぜ幽霊は女性であり、弱者であり、犠牲者なのか」という問いが本書を一貫している。これは、ハリウッドの怪奇映画と対比したときに明確になる、アジア怪奇映画のきわだった特徴である。

  「他者」とは何か、他者はつねに外部から侵入してくる存在であるのが米国であるのに対し、アジア世界では他者は内側に存在する。この意味において、米国とアジアは根本的に異なる世界なのだ。

 また、中国という共産主義社会、インドネシアとマレーシアを除いたイスラーム世界では怪奇映画は製作されない、という指摘も重要だ。一元的な世界秩序に支配される世界では、怪異現象は秩序転覆的な存在となるから断固排除されなければならないからだ。

 こう捉えることにより、インドネシアやマレーシアといった、イスラーム世界でありながら多神教的なバックグラウンドをもつ世界の意味も浮き彫りになる。

 本書は、きわめてすぐれた「東南アジア文化論」になっている。 個別には、インドネシア現代文化論であり、タイ現代文化論である。とりわけタイにかんしては、怪奇映画を切り口にしたタイ現代社会論として、きわめて秀逸なものであるといってよい。

 なぜなら、映画とは大衆の無意識の欲望を、商業ベースにおいて映像化したものだからだ。映画は社会の変化を写す鏡になっている。

 タイは、「気候は思いきり暑く、料理は思いきり辛く」、ここまでは常識だ。「そして映画は思いきり怖く」(p.81)と続くと、読者のタイ理解にあらたな地平が開かれるのを覚えるはずだ。

 私も タイの怪奇映画 『ナンナーク』 はDVDで見たが、著者の分析は大いに目を開かされた。1997年の「アジア金融危機」以後の政治経済社会状況の変化とパラレルに、タイでは映画界のニューウェイブが登場したという指摘には、大いに納得させられた。

 怪奇映画をつうじて、タイ文化そのもの、タイ人の心性、タイ人の思考パターンを知ることができるだけでなく、1997年以降の社会の変化についても、文化の側面から跡づけることができるからだ。 
 すでに中進国となったタイは、すでにノスタルジーが映画にも現れているという。タイ社会は文化的には、すでにポストモダン状況にあるわけだ。

 何よりも本書は、日本では紹介されたことのないようなローカルな怪奇映画の要約が大半を占めるので、たんねんに読むとかなり骨が折れる。あくまでも個々の映画作品の内容を踏まえた上での論考を目指したものだからだ。もちろん、興味深い映画の要約を読むと、何とか入手して見てみたい、という欲望もかき立てられる。

 しかし、よくもまあ、ここまで東南アジアの怪奇映画を収集し、実際に見て、内容まで突っ込んで論じているものだと感心する次第である。

 東南アジアのホラー映画ガイドとしても、映画史のエリア・スタディとしても、東南アジア大衆社会論としても、いろんな読み方の可能な、内容充実した一冊になっている。

 索引も、映画タイトルを原語つきで完備されているので、レファレンスとして一冊もっていてもいいかもしれない。


  
■bk1書評「怪奇映画をつうじてみた東南アジア文化論-とくにタイとインドネシアを中心に-」(2009年11月23日投稿掲載)
■amazon書評「怪奇映画をつうじてみた東南アジア文化論-とくにタイとインドネシアを中心に-」(2009年11月23日投稿掲載)



<書評への追記: タイのあれこれ番外編

 「気候は思いきり暑く、料理は思いきり辛く、そして映画は思いきり怖く」(p.81)というフレーズがいいですね。さすが韓国通の四方田犬彦、このフレーズから「気候は思いきり暑く」を除けば、そっくりそのまま韓国にあてはまります。いただきます(笑)。

 英語だと気候が暑いのも、料理が辛いのもともにホット(hot)、映画が怖いのは cool とはいわないと思いますが、日本だと花火と怪談は夏の定番ですね。一年中暑いタイやインドネシアでは、怖い映画は一年中、納涼効果があるのでしょうか?

 暑い気候には怖い映画、これはもしかしたら仮説の域を超えた公式となりうるかも・・・てなことはないか。


 この本は、とくにインドネシアとタイの怪奇映画を扱っていますが、私はさほどインドネシアに精通しているわけではないので、タイについてのみ背景知識について触れておきましょう。

 怪奇映画の背景にあるのは、何といってもタイ人のピー(phii)信仰です。

 ピーは、精霊、霊、ゴースト、妖怪、死霊、悪霊・・とさまざまな形態をもつが、いずれにせよ、いたるところに遍在していると、ほぼすべてのタイ人は思っている。この世とあの世は連続してつながっているので、日本人が使う"草葉の陰から"見ているという表現より、まさに英語でいう anytime, anywhere なんですね。

 ピーについて知らないと、タイ人の心性(メンタリティ)を知るのは不可能といってよいでしょう。

 タイ人は、大多数が上座仏教徒ですが、タイ人にとっては仏教以前の存在であるピー(霊)の世界は、より基層的なレベルの信仰といってよいでしょう。これをさして、アニミズム(animism)という人もいますが、これはキリスト教の立場からみた差別的表現なので、私は使用しません。

 華人世界でも、悪霊退治は重要なテーマで、シンガポールには職業的なゴースト・バスターがいますが、タイでは、伝統的にお坊さんがこの役目を果たしてきました。

 ただし、バンコクのような近代的大都市では、どうなのでしょうか。タイではいたるところにあるピーの祠も、バンコクでは少ないような気がします。バンコクでは土着のピーの祠よりも、外来の神である四面体のブラフマーの祠のほうが多いようです。しかも最近は中国系の大乗仏教の観音が人気のようで、あちこちで目にするようになっています。

 以下、代表的なタイの怪奇映画(ホラー映画)について、YouTube で trailer 視聴可能なもののみリストアップしておきましょう。

 この予告編を見るだけでも怖くなってきますねー。タイ人は、スプラッター映画のような血がドバドバでるのが好きだから。日本人とは遺体に対する感覚が大幅に違います。いまでも、タイ字紙の一面には、血だらけの遺体写真がデカデカとでることがあります。ひとことでいってしまえば、見慣れているのですね。

 いずれも、1997年のアジア金融危機以後にでてきた、タイのニューウェイブ映画監督の作品です。同じくIMF管理下におかれた韓国と同じ状況だというのが興味深いですね。それだけ、1997年は政治経済だけではなく、文化面でも一線を画したメルクマールとなっているのです。


タイの主要な「怪奇映画」の紹介



◆『ナン・ナーク』(Nang Nak)1999年製作公開 製作・監督:ノンスィー・ニミブット 

 19世紀の実話に基づいた、タイの定番の怪奇映画。この作品は、欧米社会でも受け入れられるように製作されている、と四方田犬彦は解説している。一夫一妻という設定に、ノスタルジックな美しい映像。怪奇現象ぬきでも、色彩感覚にすぐれた美しい映画になっています。




◆『フェート(双生児)』(英語タイトル:Alone) 2007年製作 監督:パンジョン・ピサヤタナクーン&パークプム・ウォンプム 主演:マーシャー・ワッタニパット 

 四方田犬彦は、本書のなかでマルシャと表記しているが、マーシャーの誤り。固有名詞の発音はたしかに難しい。ここらへんは片目をつぶりましょう。マーシャーについては、「タイのあれこれ(11)歌でつづるタイ」を参照。



 さすが、シャム双生児はシャム(タイ)なわけですね。夫の転勤先が日本ではなく韓国という設定もおもしろい。この映画は未見なので、ぜひDVD化してほしいもの。調べてみたところ、タイを除いたらまだスペイン語圏でしか発売されていないようです。



◆『心霊写真』(英語タイトル:Shutter) 2004年製作 監督:パンジョン・ピサヤタナクーン&パークプム・ウォンプム 

 日本でムエタイ映画の『マッハ』(オリジナル・タイトル:オンバク)が公開されたとき、劇場でこの『心霊写真』の予告編をやってましたが、えらく怖そうで見に行きませんでしたが・・・



 四方田犬彦はネットでも、ほら吹きだとかいろいろ叩かれていますが、たしかにこの本でも少なくともタイにかんする記述には間違いも散見されます。

 とはいえ、日本語では類書がまったくないし(・・英語には研究書やガイドブックがあります)、先駆者としての役割は十分に果たしたといえるでしょう。

 出版社も、あまり売れそうにもない本の出版をよく決断したなあ、とおも思います。間違いは第2刷で訂正すればよいといっても、果たして増刷はだいぶ先の話ではないでしょうか。

     




PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しを加えた。写真も大判に変更した。 (2014年1月31日 記す) 



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・・カトゥーイものの映画2本を紹介


書評 『HELL <地獄の歩き方> タイランド編』 (都築響一、洋泉社、2010)-極彩色によるタイの「地獄庭園」めぐり写真集
・・タイ人のスプラッター^好きについて

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

(2014年1月31日 情報追加)




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2009年11月28日土曜日

タイのあれこれ (22) タイのCMにみる日本などなど




 かたい話が続いたので、ここらへんでちょっとCMタイムといたしましょうか。

 バンコクでTVをローカル放送のチャンネルでつけっぱなしにしたまま他のしていると、突然日本語の音声が流れてきてびっくりすることがあるんですねー

 ある日、いきなりアニメの「一休さんのテーマ曲」が日本語歌詞のまま流れてきてります。なんと、アニメの放送ではなく、CMだったのでした。

 タイのTVで、「ウルトラマン・タロウのテーマ曲」を日本語で聴いたときには感動したものです。作詞は阿久悠なんですね、テーマ曲は吹き替えなしでそのまま放送してます。

 CMでもへんちくりんな日本語ではなくて、ちゃんとした日本語なので、余計にびっくりするわけです。

 そんなCMをいくつか紹介しておきましょう。笑えるのもるし、洗練されたのもある。

 こんなCMをつうじて、いまのタイ人が、とくにバンコクのタイ人が日本をどう見ているのか、よくわかると思います。

 その昔、田中角栄首相が訪タイした際に、激しい反日運動が起こったなんてこと、もう日本人もタイ人も、誰も覚えてないんでしょうか。いまから40年近く前の話です。

 日本語を全面に出しているのは、日本企業のCMが多いですが、タイ企業も日系以外の外資系企業も、なんらかの形で"日本"(イップン)をウリにしている会社や製品がありますね。

 すでに"高度消費社会"となっているバンコクの生活シーンをかいまみる、またとない素材にもなっっているといっていいでしょう。


 ではまず OISHI のCMから。「おいしい」という社名の、日本を売りにしたタイの食品会社です。日本の資本はまったく入ってません。

OISHI ① 
 スッゴーイ内容ですね。驚くでしょ。タイではシャブシ(=しゃぶしゃぶ+すし)で有名。
OISHI ② 
 OISHI製品を食べてタダで日本へ行こう!というキャンペーンCM。社長自ら機長に扮してCMにでています。目立ちたがり屋ですねえ、でも辣腕のビジネスマンです。


 では次に、日本のキリンのペットボトルお茶の製品「生茶」(なまちゃ)のCM

KIRIN 生茶 ①
生茶先生バージョン。パンダの生徒たちがかわいいですねー、でも中国じゃなくて日本のCM
KIRIN 生茶 ②
 "タイの国民歌手"バード・トンチャイが、日本旅行で温泉宿へ。

 いくつになっても美青年ぶりが崩れない、日本でいえばジャニーズ事務所のお兄さん格、元少年隊の東山のようなバードです。たしかもう50歳を過ぎてるんですがねー

 『クーガム』(1995年)で日本の海軍中尉コボリ役を演じた際は、日本語を猛特訓したとか。サントラ・アルバムのなかでは、なんと「同期の桜」を日本語で歌っています。


 今度はオランダのコーヒーメーカー MOCCONA社の製品CMから。

MOCCONA TRIO "タイのはにかみ王子"アイスが登場。でも、日本色を全面に出すのが目的ではないようですね。タイのアイドル・スターが日本デビューで成功、というのがタイ人にもうれしいのかな、それを狙ったもの。日本語とタイ語の違いで笑いをとります。

 では、次はがらっと変わって、かなりエグイCMを。あらかじめご了承いただきたく。

Salz Habu Toothpaste 
 ライオンの歯磨き粉「ザルツ」。いやあ、エグイなあ、臭ってきそうな黒田節・・・すんまへん。

Shokubutsu for MEN 
 同じくライオンの製品ブランド 「植物物語」、こちらはメトロ・セクシュアルな美青年で。

「マキアージュ」  
 資生堂の製品ブランド「マキアージュ」。伊東美咲も登場してますねー、口直しになりましたでしょうか。

KTC JCB カード
 金城武(?)が日本語のセリフで、カッコおいいですねー。これはかなり洗練されたCMですね。クルンタイ・カード(KTC)とJCBの合弁企業です。

 いやあ、タイのCMも実にバラエティが広くて面白いですねー
 日本を全面に出したマーケティングがこれほど有効な国もないのではないでしょうか。
 
 ついでといってもなんですが、かならずしも日本がらみでなくても、実におもしろおかしいCMが豊富にあるのがタイのTVです。

 米国流のマーケティングと日本流のマーケティングのいずれか、あるいは両方の影響がみられて面白いですね。米国流が東京風の洗練されたものだとしたら、日本流は関西ノリですね。もちろん、簡単に分類はできませんが。

 とにかく、コトバはわからなくても、笑えるCMが多い。

 タイスキのチェーン店MK(エムケイ)のコマーシャル。日本ではCOCA(コカ)が有名ですが、店舗数の数においては圧倒的にMKが一番の人気店です。MKといえば京都ではタクシー会社の名前ですがお間違えなく。

MK ①
 店舗編。CMにも一部でてきますが、従業員が全員で踊るショータイムがあるのもMKの面白いところです。
MK ②
 タイスキ・セットのホームデリバリーサービス編。タイ語で数字の5は、ハーと発音します。ダジャレ系。
MK ③
 MKゴールド。華人系の小金持ち階層のようですね。
MK CM ④
 高校生の友情編。心温まる内容です。
 
 では次にB級CMから。

殺蚊剤ターター
 これは笑える!のキンチョールのCMにもこんなのがあったような気が・・。30秒バージョンはもっと面白いんですが、だれかアップしてくれないかな。東南アジアでは、蚊が媒介するデング熱は要注意です。

のど、ハナ、スッキリ! ホールズのど飴 
 タイの庶民には、こんなかんじの太ったおばちゃんがいますね。タイの女は強し。わかりやすいCMですね。これも日本では俳優の大泉滉が夫婦ででていたCMを思い出します。貧弱な夫にふとった奥さん。ダメおやじにオバタリアン。

激辛スナック TWISTIE
 この極端な誇張は、わざとらしいけど笑えますねー。ヒィ~ああ辛そう。

 最後に、ネスカフェのCMを。

NESCAFE Three in One
 さすがに欧米風で洗練されてますね。バンコクの外資系企業(・・日系ではなく、欧米系!)のオフィスのような)にて。やや、ひねった笑い。コーヒーが飲みたくなってきましたね。

 さあて、どうだったでしょうか。

 みなさんも、タイにいったらまず、ローカル局のTVをみてみましょう。タイのおもしろCM探してみてください。

 もちろん、YouTube にもいろいろアップされてますよ。


P.S.

インターネット TV でタイの TV がリアルタイムで見れます。
このファイルをクリックして見たいTV局を選んで下さい。ただしこのサイトは英語です。
http://wwitv.com/portal.htm?http://wwitv.com/television/204.htm
(2010年1月27日)



* タイのあれこれ(23)につづく。ついでに番外編もどうぞ



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タイのあれこれ (3)-新聞という活字メディア
・・タイの外資系(日系含む)ビジネスパーソンは英字新聞を読む


「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)                   
     





end

2009年11月27日金曜日

タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察-




(シンガポールからのフライトでプーケット国際空港へ・・・)


 バンコク国際空港閉鎖(2008年11月25日~12月4日)の体験を書いておこう。今回もビジネスからみの話である。

 ちょうど1年前のことであるが、迷惑を被ったのは観光客だけではない。ビジネスが大きな打撃を被ったのである。


「バンコク国際空港封鎖」という非常事態が発生

 リーマンショックに端を発した世界経済は玉突き現象として、とくに製造業におけるトヨタショックを引き起こし、そんな壊滅的な経済状況のさなか、タイは内政問題がエスカレートして、反政府側の"黄色服組"(Yellow Shirt)による国際空港占拠(!)という暴挙に打って出たのである。

 昨日とりあげた、展示会 METALEX が終了したあとほっとしていたのもつかの間、まさかそこまでやることはあるまいと高をくくっていたのだが、こちらの予想に反して、国内便専用になっていたドンムアン空港につづき、スワンナプーム国際空港まで占拠するにいたったのだ。

 私は、空港占拠の発生した日の早朝便で、成田空港にむけて出国したので、日本に帰国するまで空港占拠の事実は知らなかった。まさに間一髪の脱出であったわけだ。

 日本のTVでは連日、空港占拠の現況と解決にむけての動きを報道していたが、なんといっても気の毒だったのは、タイがはじめてという観光客のようであった。まさか、タイでこんな目に合うとは・・・という心境ことだろう。

 日本で用事があるので一時帰国したのだが、マネージング・ディレクター(代表取締役)の私自身が、11月末の支払い関係の書類にサインしなければならず、給料も支払わねばならないので、バンコクに戻らなければならなかったのだ。

 私がバンコクに戻るまでには空港占拠は当然終わっているだろうと思ったのは、実に甘かった。ANAの予約便をキャンセルし、また再予約し、またキャンセルする、こうしたことを繰り返しながら、どうやってバンコクに戻るかアタマを悩ませていた。


「バンコク一極集中」の交通網という脆弱性

 タイは交通網にかんしては、実に中央集権のバンコク一極集中のシステムとして設計されており、国際ハブ空港がバンコクのみという脆弱性がもろに露呈したのである。

 現在、民主党の前原国土交通大臣は、羽田空港のハブ化を主張しているが、危機管理の観点からは好ましくない政策である。バンコクの空港封鎖を体験者として、一言いわせていただかねばならない。

 もし羽田を国際ハブ空港にするとしても、成田国際空港との併用は絶対不可欠であり、さらにいえば日本各地にゲートウェイが複数あることは望ましい。

 1980年代に世界的な潮流となった、航空路のハブ&スポーク・システム(hub and spoke system)は自転車の車輪にみたてた発想だが、いまや時代遅れだという考えが主流になってきており、大規模なハブ空港設備を必要としない、中小規模空港どうしを中型機や小型機でダイレクトに結ぶ、ポイント・トゥ・ポイント・システム(point-to-point system)が近年の趨勢にある。


どういったルートでバンコクに入るのか?

 さて、どういったルートで東京からバンコクに入るべきか。もしかすると、危機管理(crisis management)の観点から皆様の参考になるかもしれないので、やや詳しく書いておこう。

 空港が封鎖されている以上、空路でバンコクに入るのは不可能である。陸路でいくしかあるまい。ではどの地点からタイに入国するか。

 タイは、ラオス、カンボジア、ミャンマーと国境を接している。それぞれ出入国ポイントがあるが、ミャンマーのヤンゴンから陸路でタイ国境までいくルートは、不可能なのでまず却下する。利用しているのは難民か、密輸者のみだ。

 残るはラオスか、カンボジア。カンボジアのプノンペンまではハノイ経由でベトナム航空で行くことが可能だ。しかし、プノンペンから陸路で国境を越えてバンコクまでいくのは距離がありすぎるのでやめることとした。

 ラオスのヴィエンチャンも、同じくハノイ経由でベトナム航空か、ラオス国営航空でいくことができる。ヴィエンチャンからは、陸路でタイのノンカイから入国して、陸路でバンコクに行くことが可能だ。

 そこで、ラオス経由のルートでいくことを考えてみた。しかしまったくチケットがとれないのだ。11月はラオスも観光のハイシーズンだからだ。ハノイ経由ではなく、ホーチミン経由にしても同じこと。結局、このルートは断念した。


■プーケットから陸路でバンコクまで戻った

 どうしたらいいのだ。そこで思いついたのが、成田からシンガポール経由でプーケット国際空港からタイに入国するというルートだ。なんとか手を尽くしてチケットを確保することができたのは幸いだった。

(上空から見たプーケットの美しいビーチ)

 成田空港からSQ(シンガポール航空)といいたいところだが、残念ながらNH(全日空)でシンガポールへ。ここで一泊。そして翌朝、SQ系列の Silk Air(シルクエア)でプーケットへ。シンガポールからは、バンコクで商売をしているらしいシンガポーリアンとプーケットに遊びに行く白人たちで満杯状態だった。

(プーケット国際空港から相乗りでバンコクに向かったTGのタクシー)


 そしてプーケットからは陸路でバンコクまでいかねばらなないのだが、バンコクまでは1,000km以上ある。一人だとタクシーをチャーターしたら高すぎる。カウンターの前で粘っていたら、運良く同じくバンコクにいくという米国人とタクシーをシェアすることができたので、助かった。

 ここからはまさにラリーであった。プーケットから陸路でバンコクまで1,000km以上、これを所要時間11時間半(うち休憩時間はトータル1時間弱)で走破したのである。一般道を時速100km近くぶっ飛ばして走るのだから、運転する方も乗っている方も命懸けである。あとから知ったのだが、バンコクからプーケットに脱出する外国人観光客が乗った6人乗り自動車が雨天のなか横転、死傷者がでたという事故があったのだ。

(タイ南部の幹線道路を走るタクシー)

 実に幸いなことに私がプーケットから自動車で移動した日は晴天で、事故もなく夜の9時半にはバンコクの自宅に戻ることができた。

 繰り返すが、まさに命懸けである。運転手は二人乗っており、一人が運転している間はもう一方は仮眠し、途中で交代しながらバンコクまで一気に走りきった。

 運転手がいうには、バンコクから客をのせてプーケットに走り、すごまたその足でバンコクに戻るというピストン輸送だったらしい。事故にあわず本当によかった!

 翌日は朝から出社、滞りなく業務を済ませ、一件落着となった次第である。


東南アジアではシンガポールが代替機能をもつ

 この機会にわかったのは、東南アジアのハブ空港は、バンコク以外にシンガポールが代替機能をもつということであった。危機管理の観点からいっても、シンガポールの利用はきわめて有用と確認された。

 いや本当のことをいうと、シンガポールのほうが、もともと機能としてはバンコクよりはるかに上である。ただ、日本からタイに行く場合は、シンガポールよりもバンコクのほうが近い、というただそれだけの話なのである。

 ちょうど同じ時期にインドのムンバイでテロリストによる高級ホテル占拠事件が発生、インドからの帰国者がバンコクで足止めを食ったらしい。チケットの関係からシンガポール経由に変更できなかったのか、あるいはバンコクについたら空港が封鎖されてしまったのか、たいへんな目にあった人も少なからずいるのだろう。

 バンコクの一般市民生活にはそれほど支障はなかったようだが、日本からの輸入の魚に頼っている日本料理店では(・・タイの魚は極端に種類が少ない)、仕入れが一週間とまったので大きな打撃をうけたようだ。タイの農産品であるオーキッド(=蘭)の輸出もストップして大きな損害を出したらしい。


「バンコク一極集中」の交通網はタイ国内でもきわめて不便

 最初に書いたが、タイへの入国は、空路の場合、バンコクにほぼ一極集中するカタチで設計されているので、北部のチェンマイなどにいく場合も、直行便なら最短距離なのに、いったんバンコクで乗り換えてから北上するというバカバカしいことを強いられる。

 もっともバカバカしいのはタイ国内の移動で、タイ北部のチェンマイからタイ東部のウボン・ラーチャタニへ移動したことがあるのだが、地方空港間の直行便がないので、いったんバンコクで乗り換えてからいかねばならなかった。中央集権国家タイの交通政策の大きな問題である。

 日本の地方都市の場合は、実質的に韓国の国際ハブ空港である仁川(インチョン)空港経由で海外に渡航する人も多いようだが、これは当然のことだろう。このように多様なルートが確保されている方が、消費者のためではないか、と私は思うのだ。消費者にとっての利益は国益と合致しないというのだろうか?


ロジスティクスの重要性は「戦史」に学べ!

 東南アジアでビジネスする人には、大東亜戦争ベトナム戦争を徹底的に研究しておくことが、何にもまして重要だとアドバイスしておきたい。

 これらについては、辻政信の『潜行三千里』について書いたブログの投稿『加藤隼戦闘隊』について書いたブログの投稿を参照されたい。ベトナム戦争については、このブログではまとまった記事は書いていないが、あくまでも東南アジアのインドシナ半島が舞台になった点に注意して研究してもらいたいと思う。

 バンコクが空港封鎖されているあいだ代替空港として、ベトナム戦争時の米兵の慰安所として開発された歓楽地パッタヤに近い、ウタパオ海軍航空基地が臨時に使用された。ここから出発するTG便(タイ国際航空)で帰国した人のことをうらやましいといったら怒られるだろうか。

 ウタパオ基地からは、かつてベトナム戦争時代、米軍のB52爆撃機がラオスからベトナム北部にかけて爆撃していたのだ。軍関係の施設には滅多なことでは入れるものではない。

 ロジスティクスはもともと軍事用語で、日本語では兵站(へいたん)、戦前は輜重(しちょう)と訳されている。物流関係者にとっては常識でも、それ以外の人には知らない話も多いだろう。

 なお、ロジスティクスは英語のスペリングは logistics と複数形であることに注意されたい。



* タイのあれこれ(22)につづく。次回はマーケティング関連



PS ふたたびバンコク国際空港封鎖の可能性

現政権に反対する「黄色シャツ派」によるデモは「首都封鎖」という暴挙に訴え、ふたたび国際空港封鎖の可能性もでてきている。あらかじめ空港封鎖も「想定内」として、日々のビジネス活動にいそしんでいただきたいと思う。

このたび改行を増やし、小見出しも加え、写真にキャプションを加えて読みやすさを向上させた。一部加筆したが、本文には変更は行っていない。

(2014年1月16日 記す)

 

<ブログ内関連記事>

『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、エヌ・エヌ・エー、2008)で知る、アジアの物流現場の熱い息吹

書評 『未曾有と想定外-東日本大震災に学ぶ-』 (畑村洋太郎、講談社現代新書、2011)

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

書評 『誰も語らなかったアジアの見えないリスク-痛い目に遭う前に読む本-』(越 純一郎=編著、日刊工業新聞、2012)-「アウェイ」でのビジネスはチャンスも大きいがリスクも高い!

タイのあれこれ (3)-新聞という活字メディア
・・タイの外資系(日系含む)ビジネスパーソンは英字新聞を読む

タイのあれこれ (4)-カオパンサー(雨安吾入り)
・・タイ企業の「就業規則」には「出家休暇」がある!

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・
・・タイ仏教とタイ人の思考法について

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)         

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い ・・タイ人と働く方法もわかる

(2014年1月18日、2014年2月1日 情報追加) 





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2009年11月26日木曜日

タイのあれこれ (20) BITECという展示会場-タイ人の行動パターンと仕事ぶりについて



(バンコク最大の展示場 BITEC)


 "卒業論文"の意味もこめて集中的に書いてきた、この「タイのあれこれ」もそろそろ終わりに近づいてきた。

 私がバンコクにいたのは、あくまでもビジネスマンとして事業経営に携わっていたためなので、一回くらいはビジネス関連の話も取り上げておこう。
 
 バンコクで開催されているビジネス関係の展示会(あるいは国際見本市、トレードショー)について取り上げる。

 一般観光客は当然のことながら、展示会のテーマに関係した者でなければ、その展示会にでかけたり、あるいは出展企業として参加することもないだろう。その意味ではきわめて限定された体験である。


東南アジア最大の工作機械の展示会 METALEX (メタレックス)について

 ここではとくに、バンコク最大の展示会場 BITEC (Bangkok International Trade & Exhibition Center)で毎年開催される、東南アジア最大の工作機械の展示会 METALEX (メタレックス)について紹介する。今年度2009年の展示会は11月19日から22日までの開催、ちょうど終わったばかりではあるが、旬のテーマといえるだろう。

(東南アジア最大の工作機械の展示会メタレックス)

 工作機械(machine tool)とは機械部品を作り出す機械のことで、主だったものにはプレス機や切削機、産業ロボットなどがある。

 工作機械関連の展示会としては、かつてはシンガポールが東南アジア最大だったようだが、もはや見る影もない。シンガポール政府が金融やバイオ産業など、高度技術産業に産業政策をシフトさせており、機械産業や電子産業などがシンガポールで活動を続けるインセンティブがもはや乏しいからだ。何よりもビジネスコストが高すぎるからだ。

 タイには、自動車産業を筆頭に、日本の主だったメーカーはほぼすべて進出済みであり、東南アジアでは当然のことながら工作機械への需要がもっとも大きな地域になっている。

 こういった背景と、もちろん主催者である英国企業 Reed社 のタイ現地法人の企業努力もあり、バンコクで開催されるMETALEXが大規模になったのである。日本でも Reed が日本最大の展示会運営企業となっており、ドイツ系のハノーファー・メッセやフランクフルト・メッセの存在余地はない。

 こういう状況だから、METALEX は当然のことながら出展料(=小間代)も高く、機械部品の販売会社をバンコクで立ち上げた私は単独では出展することは不可能なので、非常に懇意にしていた日系の機械専門商社のスペースを借りて展示会に出展することとした次第。

 何事もやってみるものである。出展企業になって自社ブースのカウンターに立つということは、百聞は一見にしかずをはるかに超えるものがある。

 展示会は見学者としてみるだけでなく、出展企業として実際にブースに立って営業してみると、まったく異なるものが見えてくるものだ。もちろん商売第一だが、それに付随してさまざまな面白いことが観察できるし、実際に経験もできるわけだ。

 機械部品産業については、その業界の内部の人でないとあまり関心がないだろうから内輪ネタはここでは割愛して、もっぱらタイ人の行動パターンについて観察したことを書いてみることとする。

 まずブースの設営が展示会開始のギリギリまで終わらない。専門業者にまかせているのだが、前夜までに設営が終わってくれれば、こちらもたいへん安心できるのだが、なんせ追い込まれるまで本気になって動き出さないのがタイ人の特性である。日本人としてはハラハラさせられるが、なんとか間に合わせてしまう、というのもタイならではである。この仕事ぶりはなんだかイタリア人にも似ているような気がする。

 会期中にいきなり停電になって、終了時間まで30分をのこして終わりにしたこともある。国際展示場じゃなかったのか・・・何のアナウンスもなし、これもまたバンコクの現実である。

 設営はギリギリでなんとか間に合わせるが、展示会の日程が終了すると、ブースの展示スペースの飾りを手撤去するのはものすごい早くてスムーズである。一般的な不動産物件もそうだが、あっという間に更地にしてしまう早業にはいつも関心させられている。

 以上、タイ人の仕事ぶりの紹介でした。


展示会におけるコンパニオンについて

 展示会の観察者として、何といってもまず目につくのは、コンパニオンである。しかしコンパニオンのあり方が日本とは異なるようだ。

(漫才のような掛け合いでトークする二人組コンパニオン)

 ほぼ必ず女性二人がペアで配置されている。しかも、二人一組で掛け合い漫才のようなトークを行っている。展示企業の製品紹介を、観客を巻き込みながら掛け合いでしゃべりまくる、いやはやタイ人コンパニオンは関西系というか、しゃべくり系なのだ。

(コンパニオンのいない展示会はありえない)

もちろんきれいなコンパニオンが多いが、きれいなだけじゃコンパニオンはつとまらない。しゃべりが要求されるのである。コンパニオン目当てに来場するタイ人はもちろん多い。
 
 入場フォームに記入しさえすれば、基本的に入場無料なので、実にいろんな人たちが入場してくる。新製品を探しに来る人はもちろんのこと、社会科見学を兼ねてやってくる工業高校の学生、工場の制服をきたまま集団でやってくるワーカーたち、デート会場として活用しているカップル、軍人、お坊さん、などなど。近隣諸国からもエンジニアや調達担当者などが来ている。

(短期出家の多いタイではエンジニアのお坊さんもいる)

とくに産業用ロボットの前ではいつも人だかりで、食いいるような目つきで眺めているタイ人をみていると、なんだかそのナイーブさがほほえましいというか、好奇心の旺盛さには感心させられるものだ。これならタイもしばらくは工業国としてやっていけるだろう。

 展示会場にはフードコートが併設されており、リーズナブルな値段で昼食を食べることができるのはありがたい。またなんと足マッサージのコーナーがり、展示会ブースで立ちんぼ状態の出展者にとってはありがたい存在だ。私は一回も利用するヒマはなかったが、日本の展示会場にもあればなあ、というサービスである。

(これはありがたいフット・マッサージ)


ブースのカウンターからタイ人を定点観察

 何よりも最大の体験は、展示会の出展者企業として自社ブース(=小間)のカウンター越しにみるタイ人の顔が、いかにバラエティに富んだものであるかを知ったことだ。ブースのカウンターとは、いわば定点観測するポイントであった、ということである。

 ややエキゾチックな感のある、いかにもタイ人っぽい顔、東北タイであるイサーン人の顔、日本人とあまり変わらない華人系の顔、黒人のようなアフロヘア、真っ黒な顔のクメール系、ああタイという国はまことにもって多民族国家で、かつまた移民国家なのだなあ、と強く実感されるのである。

 日本人も雑種民族で顔のバラエティは、韓国人とくらべるとはるかに多様なのだが、タイ人はその比ではない。実際この目で見て納得したのは、まことにもって得難い経験であった。
 雑種民族である日本人が1000年かかったことを、タイはこの200年くらいで猛スピードでやっているといういいいかたも可能だろうか。

 中国革命の立役者であった孫文は、その主著である『三民主義』(安藤彦太郎訳、岩波文庫、1957)のなかで、「中国人はひとにぎりのバラバラな砂だ」(下巻 p.170)と嘆いている。これはおそらく、非常に関係の深かった日本人と対比しての発言だろうが、タイ人についても全般的にこの指摘はあてはまるようだ。

 タイ人も、多様性には富んでいるのは評価できるとして、その反面、個人個人のタイ人は砂のようにバラバラで凝縮力のない人々のあつまりだ。行動原理はきわめて個人主義的で、利害関係者のあいだのネットワーク社会をつうじた情報はきわめて早い。

 こんなタイ人だが、なぜか制服好きという特性があり、会社関係でもちょっと規模の大きな組織なら揃いのT-シャツを着ることをことのほか喜ぶ。会社に対する忠誠心というよりも、制服を着るという喜びなのではないか、と私は思うのだが。とはいえ、労務管理のテクニックとしては有効なものの一つではある。


「ナショナリズム」のおかげでタイは経済発展したが・・・

 タイは、東南アジアではもっともナショナリズムの形成に成功した国だという評価がある。

 フィリピンがなぜ経済成長にテイクオフできなかったか、その理由はフィリピンはナショナリズムの形成に成功しなかった、という説を主張する人もいるように、ナショナリズムはドイツでも、日本でも"後発資本主義国"がテイクオフするための必要条件であったことは、経済史における定説である。

 タイの場合は、多様な人々をまとめる求心力として働いてきたのは、カリスマ的な現国王ラーマ9世の存在であり、国民の圧倒的多数を占める上座仏教であり、外敵あるいは競争相手としての近隣諸国の存在であろう。この点にかんしては、一度も植民地になったことのないタイは、きわめてプライドの高い国民性であり、ときには増長した発言が多いのは困ったことではあるものの、国民として一つにまとまる瞬間であることもまた確かである。

 元首相のタクシンがクーデターで追放される以前の党名はタイ・ラック・タイ、すなわちタイ愛国党であったことは、かなり意味するところが大きい。

 この意味で、健全なナショナリズムが形成されたタイはある時点まではサクセス・ストーリーとして語られるものであったが、"黄色服組"と"赤服組"の対立が激化して沈静化の兆しのみえず、その先行きに懸念をもつのは私だけではあるまい。


2008年のリーマンショック以降のタイ経済

 さて、今年の出展企業は世界的な不景気の影響もあって、とくに工作機械メーカーの売り上げは激減したこともあり、主点企業数も出展スペースも減少しているのではないかと思うが、マーケティング手法としての展示会は、すでにタイの産業界では完全に定着しているといってよいだろう。

 私が先週バンコクにいってみたときの感じとしては、1997年の「アジア金融危機」後の壊滅状況にくらべれば、暗さは少ないのではないか、という印象であった。

 2009年のタイは、1997年のタイと比較して、間違いなく経済的な底力をつけた存在になっている。
 今後は中国とインドという政治経済大国の狭間でいかに生き抜いていくか、それが問われているといえよう。

 タイではしばらく仕事をするつもりはないが、遠くから見守っていくつもりだ。

 来年の今頃には、オンヌットから先まで BTS が延伸して BITEC まで簡単にいけるようになっているはずである。



* タイのあれこれ(21)につづく。次回もビジネス関連ネタ



                 
P.S. 2011年8月に BTSスクンビット線がバンナー以東に延伸(オンヌット⇔ベーリン、5.3km)して、バンコク市内中心分からそのまま乗り換えなしで BITEC 会場まで行けるようになった。なお、BITEC のより駅はバンナー(Bang Na)駅となる。現在は無料運航中。正式開業は 2012年1月の予定。(2011年9月27日)

参考:バンコク国際貿易展示場 BTSスクンビット線延長によりバンナー駅よりアクセス可能に


PS2 改行を増やして小見出しをつけ読みやすくした。また写真を大判に変更してキャプションをつけた。ただし、本文には手は加えていない。「"黄色服組"と"赤服組"の対立が激化して沈静化の兆しのみえず・・」と書いたが、国内分裂状態がいっこうに解決する見込みはない。 (2014年1月17日 記す)

                  



<ブログ内関連記事>          
     
タイのあれこれ (3)-新聞という活字メディア
・・タイの外資系(日系含む)ビジネスパーソンは英字新聞を読む

タイのあれこれ (4)-カオパンサー(雨安吾入り)
・・タイ企業の「就業規則」には「出家休暇」がある!

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・
・・タイ仏教とタイ人の思考法について

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)         

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い ・・タイ人と働く方法もわかる

(2014年2月1日 情報追加)




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2009年11月25日水曜日

タイのあれこれ (19) カトゥーイ(=トランスジェンダー)の存在感





 タイの観光地パッタヤーで開催された、「ミス・インターナショナル・クイーン2009」大会で、日本人のニューハーフ・タレント、はるな愛が優勝したというニュースが先日報道されていた。

 私はこのニュースを知るまで、Miss International Queen というニューハーフの美を競うイベントの存在そのものすら知らなかったが、何はともあれ、日本人が優勝したというのは目出度いことだ。

 この話で重要なのは、タイで開催されている、ということである。

 いわゆるニューハーフ・ショーは、パッタヤーだけでなく、バンコクでも観光客に大人気で、マンボ(Manbo)カリプゾ(Calypso)といった常設劇場は、日本人観光客だけでなく、とくに近年は中国人団体観光客がバスを連ねて連日のように来場している。

 私は、巨大エビの看板が目印の娯楽施設にあった、いまはなきラチャダ・キャバレー(Ratchada Cabaret)に友人たちと連れだって見に行ったことがあるが、タイのニューハーフ・ショーは一言でいってすごい!

 ものすごい美貌でスタイル抜群のニューハーフがこれでもか、これでもかと登場し、ブサ系のニューハーフの演目もあいだにはさんで、大いに笑わせ、楽しませてくれるのだ。演目は観客の属性に合わせて、最近は中国ものが多いようで、劇場内の説明も漢字が多い。

 芝居がはねると劇場の前にでて撮影会がある。本来ならここに写真を掲載したいところだが、個人撮影はカネをとるとかいうので断念した。いまから思うと、けちらずに撮影しておけばよかったのだが。

 性転換手術をしている超美貌のダンサーは、ほんとうにため息のでるほどの美しさで、圧倒されてしまう。


夜のエンターテインメントは日本モデルを踏襲

 こうしたニューハーフ・ショーも、実は日本モデルらしい。夜の歓楽街のシステムなど、バンコクの娯楽産業は圧倒的に日本モデルの影響下にある。

 有名なタニヤ(Thaniya)という歓楽街は、日本の地方都市の一昔前の雰囲気を濃厚に醸し出しており、私より上の世代の人たちには妙に懐かしいものを感じさせるらしい。隣接するパッポン(Pat Phong)は欧米風であり、エリアで顧客層の棲み分けが完全にされている。パッポンにはいわゆるボーイズクラブなるものがあるが、私はいったことはない。

 また、タイのローカル・チャンネルの芸能バラエティ番組も、日本の影響なのかどうかわからないが関西風のドツキ漫才が多く、そういう番組には必ず下品で超ブッサイクなニューハーフがでてくる。私の日本人の友人など、子供がマネして困ると嘆くほどである。

 美輪明宏という先駆者的ロールモデルをもつ日本人からしてみれば、タイのTVでの露出やショーも含めた広い意味での芸能界のニューハーフにはそれほど驚きを感じないが、バンコクでの日常生活という側面でのニューハーフは、実体以上にプレゼンスが大きいという印象をうけるのは私だけではないようだ。


タイ社会における「ニューハーフ」の存在感

 実際、百貨店一階の化粧品売り場の美容部員の多くはニューハーフだし、レストランのウェイトレス、ホテルのフロント、サービスカウンターなど、サービス系の職場には当たり前のように存在する。

 これは、オフィスでも例外ではない。あるビルのフードコートで昼食をとっていたときのことだ。ヒラヒラのついたちょっと流行遅れのブラウスなんか着て、女の子のあいだで違和感なくおしゃべりに耽っている若者がいたのだが、なんか妙だなと思っていたらニューハーフなのであった。そんな話は別に珍しくもないのだ。

  英国人研究者によるニューハーフへの参与観察型の聞きとり調査をもとにした The Third Sex: katoey-Thailand's Ladyboys(Richard Totman, Silkworm Books, 2003)(タイトルを日本語に訳せば『第三の性:カトゥーイ-タイのレディボーイたち』。残念ながら日本語訳はない)によれば、カトゥーイはタイの全人口の約 0.3%と推計されている。

 数字だけみれば限りなくマイノリティなのだが、日本より社会進出が進んでいるので多く存在するような印象を受けるのだろう。タイ人のほうが日本人よりさらに体毛が薄いから、余計にニューハーフ候補が多いのかもしれない、などと思ってもみる。

 そもそも、蚊の泣くような、消え入るような小声でしゃべるホテルのボーイとか珍しくないし、いわゆる"男らしい"男が見あたらないのもタイの特徴ではある。そのくせ男は浮気者で仕事に不熱心、遊ぶことしか考えてないのに対して、女は強く、しかも仕事もきちんとこなすのがタイの現実だ。

 サヌック(sanuk)という快楽原則が行動原理になっているタイ人らしいといえば、それまでなのだが。


「第三の性」である「カトゥーイ」は「トランスジェンダー」

 ここまでニューハーフという和製英語をつかってきたが、彼らのことは、タイではカトゥーイ」(katoey)とよんでいる。タイでは、英語で ladyboy という表現も使われるが、正確には「トランスジェンダー」(transgender)のことである。

 トランスジェンダーとは、男でも女を超えた「第三の性」性別という枠を越境した存在なのである。男と女の中間的存在といえようか。男であって女性的なのがカトゥーイ、女であって男性的なのをトムボーイという。英語の tomboy から来ているが意味は変容している。

 トランスジェンダーは病気ではない。最近日本でも話題になる性的同一障害(sexually identity disorder)と似ているが、異なる概念である。また、ホモセクシュアルを意味するゲイとも根本的に異なる。生物学的な意味での性、すなわちセックスとしては男に生まれながらも、意識の面では社会的な性であるジェンダーとしての女に憧れるという存在

 性転換手術を受ける者もいるが、必ずしもすべてのカトゥーイがそれを望んでいるわけではないようだ。もちろん希望者は多く、以前に The Nation という英字紙で、「年少年は早まって手術を受けないように(!)」という警告をタイの専門医がしていたのを読んだことがある。タイは男性のアレを切ったり、つないだりする外科手術にかんしては、世界トップレベルの技術をもっているといわれている。

 近年はタイ社会の欧米化にともなって、タイ人のゲイもでてきているらしいが、主流はカトゥーイのようだ。

 カトゥーイは必ずしもタイ社会では好まれている存在とはいえないが、まあそういうものだ、という感じでそのまま受け入れられているように見える。


「カトゥーイ」を主人公にしたタイ映画とタイ北部

 ニューウェイブのタイ映画の世界的ヒット作に、2003年製作の『ビューティフル・ボーイ』(英語版タイトルは Beautiful Boxer)や2000年製作の『アタック・ナンバーハーフ』(英語タイトルは Iron Lady だが、日本語版タイトルは実に秀逸だ!)といった、実話をもとにした映画がある。世界的にヒットしたことで、タイ社会でもカトゥーイの認知にかんしては変化がでてきているらしい。




 『ビューティフル・ボーイ』は、カトゥーイのムエタイ選手(!)の半生を描いた感動的な作品『アタック・ナンバーハーフ』は一人を除いて全員がカトゥーイというバレーボールチームの奮闘を描いたコメディである。ともに日本でも公開されておりDVD化されているので、興味があればレンタル・ビデオ店で借りて視聴してみたらいいだろう。



 面白いことに、この映画は二つともタイ北部出身者の実話で、前者はチェンマイ周辺の農村出身の少年が主人公、後者はチェンマイから近いランパーンが舞台になっている。

 タイをフィールドワークしてきた文化人類学者の綾部恒雄は、「タイ国では男女の分業があまり明確に見られ」ず、「男女差の少なさは、中部タイよりも北部タイにおいてより顕著であり」と、『タイ族-その社会と文化-』(綾部恒雄、弘文堂、1971)で指摘しており、この指摘からはカトゥーイを生みだし受け入れる土壌が、とくに北部タイにはあるらしいことが推測される。




トランスジェンダーをめぐる日本とタイの共通点

 タイの上座仏教では、人間の現世の存在はすべて「前世のカルマ(業:ごう)」のなせるわざであるとされ、多くのタイ人はそれを当たり前として受け取っている。こうした文脈のなかでは、カトゥーイに生まれたのも輪廻転生のヒトコマと受け取るのは、けっして不自然なことではないようだ。

 話は変わるが、最近の日本の流行語に「草食男子」というものがある。「日経ビジネスオンライン」で、コラムニストで編集者の深澤真紀氏が命名した、新世代の男子の分類だが、男女の性差があいまいになってきていることを、論じている。その理由として儒教の影響が薄れてきた、といっているが、その指摘は正しくない。

 中国語ではカトゥーイのことを、なんと"人妖"と表現するが、これは陰陽原理という二項対立的な世界観をに基づき、それによっては説明できないカトゥーイを怪物視したものの見方にほかならない。あいまいな中間領域をいっさい認めない、ある意味ではきわめて抑圧的な姿勢である。

 日本はもともと支配者のロジックであっった儒教の影響は表層的なものにとどまり、知識人を除けばまったく内面化しておらず、日本人は儒教国とはとてもいえないのである。儒教の影響力が低下したのではなく、日本は本来の姿に戻ってきているというべきだと私は考えている。

 また、本人もトランスジェンダーである三橋順子氏『女装と日本人』(講談社現代新書、2008)という画期的な内容の日本文化史によれば、男でも女でもあるというダブル・ジェンダーは、日本では女装して南九州のクマソタケル兄弟を討ちとったヤマトタケルに現れているように、神話時代から一貫して存在しているのである。女装の男、男装の女によって演じられた日本の芸能は、けっして歌舞伎にはじまるものでなく、そもそもが有史以来今日まで一貫して続くものである。

 抑圧的な儒教の影響も思ったほど大きくなく、男性原理に基づく抑圧的なキリスト教の影響も小さい日本社会は、トランスジェンダーに対する態度においてタイに近いようだ。

 西洋近代化の道を選択したものの、ともに西洋の植民地とはならず、知識階層は別にして、一般民衆の意識は最近まで前近代(=プレモダン)のまま大きな変化もなく今日まで至ったことは共通している。

 したがって、「とりわけタイと日本では、トランスジェンダー文化が色濃く残っているのは、けっして偶然のことではない」(三橋 P.328)という指摘は、まことにもって正しいのである。

 「草食男子」の一歩先にあるのは、タイのカトゥーイに限りなく近い存在だろう。一方の極には男があり、反対側の極には女があり、その中間領域にはグラデーションを描くように多様な形態が存在する。

 男女間の差異があいまいになってきたのは、最近の現象というよりも、いい意味か悪い意味かは別にして日本人にとっては先祖返り現象なのではないだろうか。

 私がこういう感想を持つのも、けっして突拍子もない発想ではなさそうだ。

 ただし、トランスジェンダーへの態度にかんしては、タイ社会のほうが現在の日本社会よりも寛容度が高いように思われる。ある一定以上の年齢の日本人男性は、明治維新以降に強化された、儒教のもつ悪しき影響から脱しきれておらず、まだまだ自らの内なる"本来の日本"というものを直視できていないのではないか、とも思われる。この点は日本人女性のほうがはるかに柔軟である。

 もちろんタイ人が日本人とは違って個人主義者」(・・ただし欧米流の個人主義ともまた違う)であり、上座仏教の世界観の反映でもある「自力救済型」社会に生きているので、自分の利害関係から離れた事柄にかんしては無関心な傾向がある、ということも背景にあるようだが。あくまでもカトゥーイはカトゥーイ、自分は自分だ、と。
 
 タイと日本では共通性も多いが、安易な比較は禁物だ。お互い似ているが、似て非なる存在でもある。



       



PS よみやすくするために改行を増やし、小見出しを加えた。誤字脱字を修正したほか、本文の一部に加筆を行った。 (2014年1月31日 記す)



<関連サイト>

『ビューティフル・ボーイ』(Beautiful Boxer)のトレーラー(予告編 英語版)

『アタック・ナンバーハーフ』(Iron Lady)のトレーラー(予告編 英語版)

マンボー・キャバレーショー(Mambo Cabaret Show) (日本語)

カリプソ・キャバレーショー(Calypso Cabaret Show) (英語)



<ブログ内関連記事>

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)   

タイのあれこれ (26) タイ好きなら絶対に必携のサブカル写真集 Very Thai (とってもタイ)
・・カトゥーイについても当然のことながら取り上げられている
                
書評 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)-「芸能界」と「霊能界」、そして法華経

書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)-タイ人がみた日本、さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い
・・タイ人と働く方法、タイ北部の社会構造がわかる

「個人と組織」の関係-「西欧型個人主義」 ではない 「アジア型個人主義」 をまずは理解することが重要!
・・アジアでは華人やコリアンは自分の家族と宗族以外は無関心。そもそもファミリーネームの存在しなかった東南アジアでは自分と家族しか関心はない

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・日本が「儒教国」ではないことについて、対談内容を踏まえてややくわしく書いておいた

(2014年1月31日  情報追加)





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2009年11月24日火曜日

タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム



(スワンナプーム国際空港とバンコク市内の途中にある巨大モスク)

ドンムアン空港時代のタイしか知らない人にはわからないだろうが、新しい国際空港であるスワンナプーム空港から高速道路を使って市内に入ると、いやが応でも高速道路沿いに建設されている立派なモスクを複数目にすることになる。

 タイは仏教国ではなかったのか!? という観光客の固定観念にいきなり先制パンチを入れてくるのだ。

 新空港のスワンナプームとは、サンスクリット語で "黄金の土地" という意味らしい。プーミポン国王の命名である。しかし、この土地は湿地帯で、もともとムスリム農民が多数居住するエリアなのである。


タイの仏教は「国教」ではない

 タイは、人口は90数%以上が仏教徒で基本的に「仏教国」だが、仏教が憲法上の国教の地位を占めるわけではない。国王の要件が仏法の保護者でかつ仏教徒でなければならないと定められているのみである。

 ムスリムは人口の4~5%で仏教についで人口が多いが、マイノリティであることにはかわりない。統計数字については出典によって差異があるので、ざっくりしたものだと了承されたい。

 よく気をつけてみていれば、バンコク市内でもスカーフをかぶった女性や、口ひげをそって、あごひげを伸ばした男性を見るはずだ。彼らはマレーシア人やインドネシア人ではない。タイのムスリムである。

 The Muslims of Thailand(Michel Gilquin, Silkworm Books, 2002) という本によれば、タイのムスリムが、このような際だってムスリム的な外見を示すようになったのは、そんなに昔からのことではないらしい。国際的なムスリムとしての覚醒が促している行動のようである。

 タイ全体で740万人超、バンコクだけでも少なく見積もって60万人超のムスリムが居住しているらしい。


タイのムスリムの出自は三系統

 タイのムスリムには大きくわけて三系統ある。

 一番目はバンコクおよび古都アユタヤに在住する"タイ・ムスリム"、二番目はタイ南部に集中して居住する"タイ・マレー"である。

 『東方のイスラム』(風響社、1992)の著者である今永清二氏によれば、三番目として、タイではホーとよばれる、タイ北部のチェンラーイヤチャンマイに居住する"雲南系の華人ムスリム"を入れるべきである、という(P.107)。以下、今永氏の記述にしたがって簡単に整理しておこう。

 一番目のタイ・ムスリムとは、いまから200年ほど前にタイ南部やマレー半島から、戦争捕虜や奴隷として、当時の都であったアユタヤに連れてこられたムスリムの末裔で、現在はバンコクとアユタヤを中心に暮らしている。基本的に多数派のスンニー派ムスリムである。

 二番目のタイ・マレーは、タイではもっとも人口の多い、マレー系のムスリムである。下の写真は、バンコク中央駅のフアランポン駅でタイ最南部のナラティワート方面に向かう列車を待つ乗客である。

(バンコク中央駅 南部行き列車の発着ホーム)

 タイ南部がもともとマレー系のパタニ王国であったことは比較的知られている事実で、現在もなお分離独立主義者によるテロ活動による犠牲者がでていることが、連日メディアで報道されている。もちろん、一部の過激な活動家を除けば、基本的には大半のムスリムは穏健派である。世界的な観光地プーケットの場合、島の人口の40%がなんとムスリムであることも、まず一般には知られていないだろう。スンニー派のなかのシャフィーイー派に属する。

 三番目の雲南系の華人ムスリム(ホー)とは、雲南省からビルマを経てインドに至るルートで交易活動に従事していた華人ムスリムが、タイの窓口であるチェンラーイやチェンマイに定住したものである。中国の動乱を避けてタイに逃れた人々も含まれるという。雲南系華人にはいろんなタイプが存在するのである。


「2006年クーデター」の首謀者のソンティ陸軍大将はムスリム

 前回2006年9月のクーデターを首謀した、ソンティ陸軍大将(当時)がムスリムであったことは、日本ではあまり知られていないようである。

 ソンティ大将はムスリムでは初めて、タイ王国陸軍の最高トップである陸軍総司令官になった。彼は、バンコクの初代イマームの末裔であるという記事を英文雑誌で読んだ記憶がある。彼は南部出身のタイ・マレーではない。また反タクシン派のメディア経営者ソンティとは別人物である(・・こちらは海南系華人)。

 暫定政権下で新憲法が起草された際、仏教団体が仏教を国教化せよという主張をかけげてデモをおこなったことがある。しかし、クーデター後の軍事政権の実質的なトップが、ムスリムのソンティ議長だったためかわからないが、きわめて理性的な判断を下したのは、偶然とはいえ幸いなことだったといえよう。タイには「仏教原理主義者」がいるので、これは実にやっかいな問題なのである。

 また、現在アセアンの事務総長を務めるスリン氏はタイ・マレーのムスリムで、タイ南部ナコンシータマラート出身の国会議員であり、タイ王国の外務大臣を歴任しているエリートである。彼はハーバード大学で博士号を取得している。

 マイノリティであっても実力次第でトップに、あるいはトップに近いポジションまで上り詰めることができるというのは、アユタヤ朝以来の人材登用策を彷彿させ、タイという国の面白い点の一つだと私には映る。

 タイは世界に開かれた貿易立国であったので、実力次第でさまざまな人材を受け入れており、タイのトップクラスにはアユタヤの宮廷に仕えたペルシア人シェイク・アフメドの子孫もいる。

 先に紹介した今永氏の記述によれば(P.119)、バンコクのチャオプラヤ川左岸のトンブリには、なんと17世紀にペルシア(現在のイラン)からきたシーア派(!)の末裔のコミュニティがあるということだ。アユタヤからバンコクに移り住んだらしい。現代イランで行われている祭儀よりも古風なものが保存されているという。シーア派はタイのムスリムの1%程度らしい。

 それはアーシュラーとよばれるもので、第三代イマームのフセインの死を悼む、シーア派特有の自傷行為をともなう練り歩きである。トンブリのものは、イランのように自らを鞭打つのではなく、頭頂部の髪の毛を剃って、ナイフで傷をつけて血を流しながら練り歩くという。

 このブログでも以前紹介した、プーケットのベジタリアン・フェスティバル並のすごさのようだ。機会があればぜひ見てみたいものだ。


バンコクにも60万人超のムスリムが居住

 冒頭でふれた新国際空港のスワンナプーム周辺だけでなく、観光スポットとしても有名なジム・トンプソン・ハウス(Jim Thompson House)と運河を挟んで対岸はムスリム居住地域であり、耳を澄ますとアザーンの声が聞こえてくる。ジム・トンプソンはムスリムの絹織物職人を使っていたたらしい。

(バンコク市内ディンデーン地区のモスク)

 写真はディンデーン地区にある日系のGMSジャスコの裏にあるモスクである。市内にも観光スポットにはなっていないだけで、かなりの数のモスクがあることは、地図を丹念に眺めていればわかる。2000年度の統計によれば、バンコク市だけで165あるという。そんなモスクのひとつを、路地裏を歩いて撮影してきた。

 ムスリムのタイ人は決して同化はしないが、すっかり日常のなかに溶け込んでおり、ムスリムのタイ人も仏教徒のタイ人も互いに問題なく共存共栄している。

 なお、タイでは日本食のスシがすでに定着し、タイ人によるスシのチェーン店までできているほどだが、実はスシは正式にハラール認定されており、安心して食べられる食事としてタイのムスリムにも受け入れられているのである。ハラールについてはこのブログでもすでに書いているので参照されたい。

(日本のスシは「ハラール認証」取得済み)

 タイのムスリムについて考えることは、固定観念や常識というものは疑ってみることが必要だ、といういい事例にもなるはずだ。


イスラーム世界への窓口としてのバンコク

 日本にいると気がつきにくいが、バンコクはある意味で、国際的な中継地点として、貿易金融だけでなく人の行き来も含めた、イスラーム世界への窓口としての機能も果たしているのである。

 イスラーム金融にかんしてはマレーシアが覇権をとろうと国家戦略レベルで取り組んでいるが、バンコクもまたイスラーム世界への窓口であることは知っておいたほうがいい。

 バンコクの繁華街ナーナー(Nana)には、イスラーム諸国の大使館やアラブ人街がある。

 このエリアに立地するバンコクでもっとも有名なバムルンラート病院(Bamrungrat Hospital)には、タイ政府も積極的にチカラを入れている「メディカル・ツーリズム」(medical tourism)で長期間逗留するアラブ人たちが非常に多い。メディカル・ツーリズムとは、観光と医療サービスをセットにしたパッケージツアーのことである。英語では health care vacation とも表現している。

(バンコクのアラブ人街には長期滞在者も多い)

 ちなみにこの病院にはアラビア語のほか、日本語の通訳も常駐しており、安心して治療を受けられる。私もこの病院で日本語通訳を介した医者とのやりとりを体験した。

 アラブ人は家族を引き連れて滞在しており、ブルカという黒いベールをかぶった女性が街中を闊歩して、露店で値切り交渉をしている光景を目にする。

 冒頭で触れた、新しい国際空港であるスワンナプーム空港から市内に入る高速道路沿いに立つ立派なモスクは、現在ではほぼ建設が完了した。

 資金難で一時期建設が中断されていたようであるが、リーマンショック前に空前の投資ブームにわいた中東マネーが流入した結果、ついに完成にいたったという話をきいている。

 バンコクに行かれる際は、高速道路をを走行中にしっかりと目を開いて、壮麗なモスクを目に焼き付けてほしいものだ。


 タイは仏教国であるが、そもそも日本の大乗仏教とは大きく異なる上座仏教(テーラヴァーダ)であり、しかも予想外に多いムスリム人口を抱えた国でもある。

 ある意味、日本人の常識をはるかに越えた多様性に満ちた国なのだ。

 そんなタイの、もうひとつ重要なマイノリティについては、次回取り上げる。 



・・「タイのムスリム」について一冊にまとまった数少ない本

・・最新の研究成果が反映されたこの本は参照すべき重要文献

・・ローカル路線バスでバンコク郊外のムスリム居住地帯にいける


PS 関連資料を追加しリンクも更新した(2013年12月5日 プミポン国王誕生日に記す)。よみやすさを増すために改行を増やし、あらたに小見出しを加えた。写真を大判にしキャプションも加えた (2014年2月2日)。


* タイのあれこれ(19)につづく。次回もタイのマイノリティ



<関連サイト>

Islam in Thailand (wikipedia 英語版) (2013年1月22日 追加)



<ブログ内関連記事>

バンコクのアラブ人街-メディカル・ツーリズムにかんする一視点・・この記事では、バンコクに長期滞在しているアラブ人について書いてある。

「第76回 GRIPSフォーラム」でタイの政治家スリン博士の話を聞いてきた(2013年4月15日)-前ASEAN事務総長による「日本待望論」

「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加

日本のスシは 「ハラール」 である!-増大するムスリム(=イスラーム教徒)人口を考慮にいれる時代が来ている

書評 『マレーシア新時代-高所得国入り-(第2版)』(三木敏夫、創成社新書、2013)-「進む社会経済のイスラーム化」は必読

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳の『コーラン』(クルアーン)についても言及。『ハディース』の詳細についても。

書評 『ハビビな人々-アジア、イスラムの「お金がなくても人生を楽しむ」方法-』(中山茂大、文藝春秋社、2010)

書評 『日本のムスリム社会』(桜井啓子、ちくま新書、2003)

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』


「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)                   
     
(2014年2月2日 情報追加)






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2009年11月23日月曜日

タイのあれこれ(17) ヒンドゥー教の神々とタイのインド系市民



(効験あらたかなエラワンプーム 筆者撮影)

 バンコクではヒンドゥー教の神々が非常に人気がある。

 ビルの敷地内に鎮座する万物の主である、四面をもった黄金のブラフマー像は、市内の至る所で目にすることになる。ブラフマー神像の前をとおるとき、たいていのタイ人は手を合わせていく。ブラフマー(=梵天)とは、ヒンドゥー教世界では最高神の一人で、世界の創造とその次の破壊の後の再創造を司る。

 ところで、バンコクはタイ語ではクルンテープ(Krunthep)という。

 実は正式名称はもっと長い。世界でもっとも正式名称が長い都市ということを聞いたことのある人も多いと思う。

 現王朝チャクリ(またはラタナコーシン)朝の初代国王であるラーマ1世が1782年にバンコク(クルンテープ)に遷都する際に名付けたものである。古都アユタヤがビルマ軍によって壊滅した後、紆余曲折をへて首都はチャオプラヤー川下流のバンコクに移されることとなった。

 その正式名称を、タイ語をカタカナ表記すると以下のようになる、とのことだ。Wikipedia の記載に少し手を加えて引用しておく。
(タイ語) クルンテープマハーナコーン ボーウォーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロック ポップノッパラット ラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェート マハーサターン アモーンピマーン アワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット

(日本語訳) インドラ神(≒帝釈天)がヴィシュヌカルマ神に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、インドラ神の戦争のない平和な、インドラ神の卓越した宝石のような、偉大な天使の都

 日本語訳の最後にでてきた、"偉大なる天使の都"が、タイ語の"クルンテープ・マハナコーン"にあたる。通常はクルンテープ、またはクルンテープ・マハナコーンといっている。

 英語でいうと、City of Angels となる。カリフォルニア州の州都ロサンゼルス(Los Angels:LA エルエー)と同じ意味になる。LA は、もともとスペイン語の Los Angelos のことであり、BKK(=Bangkok の英語略称)と LA はもともと同じ意味になるわけだ。

 この引用でもうひとつ注目してもらいたいのが、バンコクはインドラ神が命じて作らせた、という記述である。インドラ神のヒンドゥー教では雷をあやつる神とされており、きわめて重要なポジションを占めている。バンコクでもっとも重要なヒンドゥー教の神がインドラ神である理由がここにある。

 タイは世界でも有数の仏教国じゃなかったの、と思われるだろうが、現在でも王室関係の重要な行事はすべてヒンドゥー教の司祭であるバラモンが主催するのである。

 政治の支配原理はクメール由来のヒンドゥー教の"王権神授説"であり、これはダンマラジャ(Dhammaraja)、すなわち王の法とよばれるものだ。王室と政府のシンボルである聖なる神鳥ガルーダは、ヒンドゥー神話に由来する。

 タイの国王は立憲君主であるが、憲法において絶対不可侵の存在と規定されている。これは何度クーデターが起こって憲法が新しく発布されても、いっさい変更のない事項であり、国王自身もいっさい否定していない。ここにいわゆる"不敬罪"が成立する法的根拠がある。

 国家支配原理としてのヒンドゥー教が一方にあるのだ。


 そしてまた一方には、一般民衆が現世利益(げんぜりやく)を求めて信仰する対象として、ヒンドゥー教の神々がある、という実態がある。

(参詣者の絶えないエラワン・プーム 筆者撮影)

 なんといってもバンコク市内ではエラワン(Erawan)がもっとも有名で、黄金のブラフマー神像を祀った祠の周りには、ひっきりなしに参拝客が訪れ、満願成就の感謝として踊り子による踊りが奉納されている。

 エラワンのブラフマー神像建立縁起には、1956年のエラワン・ホテル建設にまつわる悪霊退散伝説があり、都市伝説の類のようではあるが、効験あらたかな点にかんしては右に並ぶものがないとされている。タイ人がピー(霊)の存在を信じているためで、建設労働者ももちろん例外ではないのである。


 私もバンコクでの事業が成功したら、エラワン・プームで踊りを奉納するつもりだたのだが、残念ながらこの夢は幻と消えた。

(踊子の舞が奉納される 筆者撮影)

 ちなみに料金表によれば、踊り子2人の場合260バーツ、4人で360バーツ、6人で610バーツ、8人で710バーツである(2008年現在)。バーツ換算は1バーツ≒3円で計算すると相場がわかるだろう。

 華人や、関西人ならずとも験(げん)を担いでみてはいかがかな。

(ISETAN前の広場に鎮座する巨大なガネーシャ 筆者撮影)


 バンコク中心部にある ISETAN(伊勢丹)前の広場には、黄金の巨大なガネーシャの祠があり、ここにも参拝客が引きも切らず訪れ、思い思いに祈っている。象の姿をしたガネーシャはヒンドゥー教では商売繁盛の神様である。


(ヴィシュヌ神 筆者撮影)

また、バンコクの中心を東西に走るスクムヴィット通りには、極彩色に塗られた若きヴィシュヌ神の祠があり、ひときわ人目をひく。正直いってギョっとする印象を受けるのは私だけではあるまい。この像にも多くの人が前をとおるときに手を合わせている。

(ラチャダー交差点のヒンドゥー寺院 手前に「黄金の牛」 筆者撮影)

 ここで知られざるヒンドゥー神像の礼拝堂が、バンコク北部のラチャダにあるのを写真で紹介しておこう。 おそらくこの礼拝堂をみた日本人はあまりいないと思う。そもそもあまり関心ないだろうし、ラチャダに来る目的は男性の場合、非常に限定されているからだ。

 キンキラキンに輝くヒンドゥーの神々が、ブラフマーからヴィシュヌ、ガネーシャ、黄金の牛・・・と天こ盛りになったこの礼拝堂は、タイ人のものであってインド人のものではない。バンコクとインド人との関係はどうなっているのだろうか?

 バンコクには、インド人コミュニティがある。ただし、バンコクに居住するインド人は、ヒンドゥー教徒ではなく、ターバンを巻いたシク教徒が大半を占める。タイのインド人』(佐藤 宏、アジア経済研究所、1995)という本によれば、タイのインド人は大半がバンコクに住み、パンジャーブ地方出身者が中心であるという。ビジネスとしては繊維とアパレル産業が中心で、バンコクのテーラーにはシク教徒のインド系住民か、パキスタン人などが多い。私も過去何回かシク教徒の店でスーツやワイシャツを作ったことがある。

 シク教徒は、現在のインドの首相マンモハン・シンにあるとおり、すべて名字がシン(Singh)となる。シンとはシンガポールのシンガであり、ライオンの意味である。

(バンコクの巨大なシク教寺院)

 シク教は、ヒンドゥー教とイスラームの教義をあわせて15世紀にできた比較的新しい宗教である。

 バンコク旧市街にあるタラート・パフラート(Talat Phahurat)は、パフラーート市場とも呼ばれており、バンコクにおけるインド人の一大コミュニティとなっている。中華街であるヤワラートにも近接している。

 そこには、巨大で壮麗なシーク教寺院シュリ・グル・シン・サバー(Sri Guru Singh Sabha)があり、非常に驚かされる。神戸にあるシク教寺院は比較的こじんまりとしたものなので、それとは比べものにならないほど大きい、これほどの寺院を建設維持できるだけの財力が、インド人コミュニティにはあるということでもある。

(シク教寺院の正面入り口)


 結論としては、バンコクにあるヒンドゥー教がらみの祠や礼拝堂は、タイ人によるタイ人のためのものがほとんどであって、インド人のものはきわめて少ないと考えていいようだ。

 面白いことに、仏教も、ヒンドゥー教も含め、これだけインド文明の影響をうけ、インド系の神々も拝むタイ人であるが、実際のインド人は好きではないということだ。

 バンコクのナーナー地区にはアラブ系の人間が集まっているが、インド系も集まっているが、アラブ系に類する存在としてタイ人から認識されているような印象を受ける。タイから見ると西方にある南アジアと西アジアは同じカテゴリーなのかもしれない。

 儒教・道教・大乗仏教の"中華文明三点セット"を受容しながら、遊牧民の文化である去勢をともなった宦官という制度を導入しなかった日本とも共通するマインドセットがあるのかもしれない。
 インド文明という高度文明の上澄みだけを取り入れても、自分たちの肝心な基層部分は何も変化させず、しかもカースト制を導入しなかったタイ。


 基本的にタイには、ピーとよばれる精霊信仰があり、ピーを祀った祠がいたるところにある。また樹木信仰もあり、色とりどりのカラフルなリボンをまいた古木におかれた祠には、人々が寄進したミニチュア人形が無数に置かれている。ミニチュア人形を寄進して祈願するのである。

(タイ人民間信仰である精霊信仰と樹木信仰)

 近代化の進んだ大都市バンコクでは、より新しい、ヒンドゥ教の神々が流行しているとみることもできよう。一般大衆は、つねにより効験あらたかな神々を求めるものである。
 
 人が何を信じているかを知ることはきわめて重要である。何を信じるかによって思考のフレーム(枠組み)が決定され、ある程度まで外部から思考行動パターンを読むことが可能となるためだ。たとえば、キリスト教と、イスラームと仏教では自ずから思考の枠組みが異なる。

 その意味で、人が何を信じているかを知ることは、その人のアタマの中身を知る上できわめて有用な"実学"である、と私は考えている。

 このため、タイでタイ人と仕事をするにあたって、タイ人が何を信じて日々生きているかに多大な興味をもって自分なりに研究してきた。

 もちろん、『タイ人と働く-ヒエラルキー的社会と気配りの世界-』(ヘンリー・ホームズ/スチャーダー・タントンタウィー、末廣 昭訳・解説、めこん、2000)のようなすぐれた名著もあるが、タイ人の行動パターンの背景にある思考パターンを知るためには、彼らが信じる宗教についてある一定以上知っておく必要がある。

 ノウハウ本も重要だが、その背景にあるものを知りたいためである。これはタイ人には限らない。異文化経営のために必要な作業である。


 私自身はその分野の専門研究者ではないので知識と理解度には限界はあるが、タイ人の信仰のカタチを見るのは実に興味深い。

 機会があれば、もう少し突っ込んで研究してみたいテーマではある。



 

             



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「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる

(2014年2月17日 情報追加)




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2009年11月22日日曜日

タイのあれこれ (16) ワットはアミューズメントパーク





「ワットはアミューズメントパーク」、といっても何のことか、さっぱりわからないかもしれない。

 What an amusement park ! なんのことはない、「お寺は遊園地」ということだ。

 タイのお寺(ワット:wat)は、バンコク市内であれば、観光スポットである、三島由紀夫の小説のタイトルでも有名なワット・アルン(暁の寺)、タイ・マッサージの総本山であるワット・ポーなど、訪れたことのある人も多いと思う。

 私もはじめてタイにいった十数年前、観光客として訪問したことがある。訪問したのは一回切りだけだが、観光なんてそんなものだろう。暑いのであまり観光なんてしたくないしね。



 しかし、本当に面白いのは、観光客なんかまったくこない、地元住民しか訪れないローカルな仏教寺院なのである。こういったお寺は、実は何でもありの場所なのだ。

 お寺は子供たちのための遊園地であり、オトナのためのコミュニティーセンターであり、コンサート会場であり、もちろんお参りするための場所である。

 日本でもお寺本来の機能を回復しようと、コンサート会場などとして提供するケースがでてきているのは、たいへんよろしいことだ。


 お寺について書きながら、何か書き落としているのではないか、と思われた方がいたら、それはさすがである。お寺といえば墓地じゃないか、と。

 いや、書き忘れたわけではないのです。そう、日本のお寺では常識であるお墓が、タイのお寺にはないのだ! タイのお寺には本来的に墓地という機能が存在しないのである!

 もちろん、バンコクの旧市街にあるお寺には、顔写真のついた石造りのお墓がある。しかしよく見ればわかるように、すべてが華僑・華人のお墓である。

 華人は基本的に大乗仏教信者であり(・・私が"中華文明の三点セット"といっている、儒教・道教・大乗仏教の3つは切り離せない存在だ)、祖先祭祀の観点からもお墓を作らないなんてことはありえないからだ。だから、華人はお寺に寄進してお墓を作ってもらうこともあるようだ。第2世代以降の華人についてはわからないが。


 タイはいうまでもなく上座仏教の国であり、国民の90%以上が仏教徒である。上座仏教徒はお墓はつくらない。日本では「千の風にのって」なんて歌が流行っているが、タイをはじめとする上座仏教圏ではもともとお墓をつくる慣習はないのである。遺体はそのまま土葬にするか、あるいは焼いて灰にして撒いてしまうのである。 

 ちなみに、血まみれの遺体写真が平気でタイ語の新聞にデカデカと載ったりするのと、どこかで関係しているのかも知れない。どうも日本人とは感覚が大きく違うようである。
 というわけで、タイのお寺にはもともと墓地がない。だからお寺そのものは非常に明るい空間なのだ。


 お寺の名前は忘れたが、私が当時住んでいたバンコク市内北部のラチャダ地区から近い、ディンデーン地区にかなりの規模の仏教寺院があって、日曜日の午後に散歩がてら兼ねて訪ねてみたことがある。幹線道路から中に入り、路地を抜けて歩いていくのだが、地元住民しかいない地域なのでタイ人になりすまして潜入する。私は顔が華人系といわれてもおかしくないようで、よくいきなりタイ語で話しかけられていたので、タイ人なりすましはそれほど困難ではない。

 路地を通り抜けてたどりついたお寺でいきなり驚いたのは、なんとお寺の境内が子供向けの遊園地となっていたことである。



 なんせ、境内のなかに観覧車(!)があるし、なんとピカチューのメリーゴーランドもあって子供たちが遊んでいる。犬も放し飼いなので出入り自由、捨て猫がのびのびとおねんねしてる(・・これはすでに写真で紹介済み)。


 お寺はまたオトナのためのコミュニティーセンターであり、コンサート会場となっているのである。しかも、お坊さんの衣が極彩色のオレンジなので、墨染めの袖などとはほど遠い。辛気くささの一切ない、実に賑やかで、明るい雰囲気に充ち満ちた空間なのだ。


 そう、タイでは、ワットはアミューズメントパークなのだ! 

 ミャンマーでは同様に、パゴダはディズニーランドよりすごい! このブログでは「ミャンマー再遊記(8)」を参照)と題して書いている。

 日常生活のなかにホンモノの象が登場するバンコクでは、日本と違って仏教説話もリアルなものと感じることができるのだ。 

 日本のお寺で唯一の例外は、インド風の建築物である、東京の築地本願寺くらいだろうか?



* タイのあれこれ(17)につづく

           

<ブログ内関連記事>

タイのあれこれ (4)-カオパンサー(雨安吾入り)

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バンコクの高架鉄道 BTS のプンナウィティ駅から見える巨大な仏塔ワット・タンマモンコンにいってみた(2012年11月15日)

(2014年2月1日 情報追加)





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2009年11月21日土曜日

タイのあれこれ (15) タイのお茶と中国国民党の残党



(北部メーサイのお茶屋さんの店頭にて)

「食べ物はひたすら辛く、スイーツとドリンクはひたすら甘い」、これはタイに限らず、東南アジア全体についていえることだが、とくにタイにおいて当てはまる話であろう。

 スイーツについては、このブログでも「カンボジアのかぼちゃ」でも取り上げた"かぼちゃプリン"が最高にうまいが、これはもちろんタイでも定番である。

 スイーツは文字通り甘くてもかまわないのだが(・・あまり甘すぎるのも考え物だが)、タイではスイーツだけでなくお茶も甘い、というのは、苦いお茶を飲み慣れている日本人にとっては実に困ったことなのだ。

 タイ語では日本茶のことをチャー・イップンという。お茶を飲む習慣はそのそもタイ人にはなかったようだが、現在ではペットボトル入りのお茶がコンビニでも販売されており、タイ人の日常生活にすっかり浸透しているようだ。タイで日本企業の製品をみるのはうれしいものだが、ところがちょっと違うんだよなあ。

 タイで売っているキリンの生茶(YouTube でタイのCM)は、なにかしら甘い。「これは生茶じゃないな、甘茶だよ」といいたくなるような味なのだ。ドリンクはすべからく甘くあるべし、というのがタイ流なのである。


 "なんちゃって日本食品"でのしあがったタイ企業 OISHI(おいしい) は、飲食店だけでなく食品分野にも進出しており、ペットボトル入りのお茶も販売している。写真はラオスで撮影したものだが、近隣のラオス、カンボジア、ミャンマーでは、OISHI の製品が普及しており、タイから訪問すると何かしらうれしくなったりもするのである。


 さて、タイでは実はお茶も栽培しているのである! これも一般には知られざる事実である。

 ここのところずっとタイ北部と中国の雲南ネタが続いているが、今回もまたそのからみである。

 前回タイのコーヒー生産の話をしたが、お茶の生産地域も"ゴールデン・トライアングル"(黄金の三角地帯)のなかにある。この地域はタイにとっては辺境地帯で、麻薬問題や少数民族問題、また治安問題などさまざまな問題を抱えた国境地帯なのである。

 とくに大きな問題だったのが、タイ北部チェンラーイからクルマで2時間程度の高地にあるメーサーロンを中心に居座っていた、中国国民党(KMT:Kuomintang)の雲南方面軍の残党なのであった。


 タイは中国とは直接国境は接していないものの、第二次大戦終結後、中国内戦で共産党に敗れたのち、国民党の雲南方面軍は本拠地の昆明(クンミン)から南下、ミャンマー(当時のビルマ)のシャン州にいったん落ち着いたが立ち去ることを余儀なくされ、最終的にはタイ北部のこの地域に落ち着いた(・・写真の「孤軍行動路線」を参照)。

 この地で国民党軍は、冷戦構造のなか台湾政府からの支援のもと、"大陸反攻"の拠点として活動を行ってきたのである。しかしベトナム戦争も終結し、第2世代、第3世代になるにつれて当初の存在意義も薄れ、しかもタイ国内の共産党活動も下火になってきたなかタイ王国政府としても反共姿勢にこだわる必然性が薄れ、国民党残党の存在を黙認することもできなくなってきた。そして最終的には1980年代半ば、国民党の残党とその子孫はタイ王国政府に帰順することとなった。


 国籍問題を解決し、タイ国民となった国民党残党は武器を捨て、農民として定住する道を選ぶこととなった。この落人部落のような地で生計をたてるために、高地の気候を利用したお茶の栽培に取り組むこととなったのである。

 現地のお茶屋で聞いたところ、ここで栽培し収穫されたお茶は、ウーロン茶を筆頭にさまざまなお茶に加工され、タイ国内だけでなく、海外にも輸出されているとのことだ。写真のお茶の真空パックもパッケージは漢字で書かれており、シールをはがしてしまうとタイ産だとはまったくわからなくなる。

 台湾で販売されているウーロン茶には、実はここメーサーロン(美斯楽)で生産されたお茶がブレンドされたものもあるという。味については、その場で試飲させてもらったが、まったく問題はなかった。台湾産だと思って知らずにタイ産のウーロン茶を飲んでいる人も少なからずいるのかもしれない。



 メーサーロンは、写真にあるように一面に茶畑が拡がり、非常にのどかな雰囲気をただよわせている。かつてここに軍隊が居座っていたというイメージはもはやない。兵どもが夢の後といった風情だが、ここには台湾からの援助で作られた、泰北義民文史館という立派な建築物があり、台湾からの観光客を中心に多数訪れるという。

 この文史館には多数のパネル展示がされており、雲南省から苦難の末、ビルマを経由してタイ北部に落ち着いた雲南人たちの歴史が説明されている。

 中国の作家・鄧賢氏による力作 『ゴールデン・トライアングル秘史』(増田政弘訳、NHK出版、2005)が出版されており、この本のなかではタイ王国政府に帰順したのちも苦難が続いたことが詳述されており、分厚い本だが読んでいて胸を打たれるものがあった。興味があればぜひ一読されたい。

 中華民族同胞の歴史を描くという中国人作家の態度は、麻薬問題への関心から描いた、日本のジャーナリストによるゴールデン・トライアングル本とは趣を大きく異にする。歴史というものは、歴史を書く人の視点と志によって大きく変わってくるのである。いい意味でも悪い意味でも。

 バンコクにいた際に、私が住んでいたラチャダ地区は日本人はきわめて少なく、しかしながらタイではマイノリティである雲南系華人が多く住むところであった。

 ラチャダ地区に居住する雲南系華人が、国民党残党の末裔なのか、それともあらたに雲南地方からきた人たちなのかは知らないが、タイといったら潮州系華人、と教科書的に思い込んでいる人には、知っておいてもらいたい実態として紹介した。

 華人を十把一絡げに捉えていてはものは見えてこないのである。

 タイのお茶にまつわるエピソードには、タイのコーヒーとはまた違った意味だが、この地域にかかわった様々なひとたちの血と汗と涙でつづられた歴史そのものなのだ。

           


<ブログ内関連記事>

タイのあれこれ (14) タイのコーヒーとロイヤル・プロジェクト

タイのあれこれ (13) タイのワイン


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