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2009年12月31日木曜日

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋




 合気道開祖・植芝盛平(うえしば・もりへい)大(おお)先生(1883-1969)は、合気道修行の要諦を、道歌(どうか)という形で多く和歌に詠み込んでいる。

 道歌とは宗教の教えや倫理道徳にかかわる教訓を、五七五の形式で、覚えやすくまとめたものである。
 道歌は、もちろん字面だけをみているだけでは理解できないものも多いが、実践を踏まえたうえで道歌を口ずさむと、自ずからその意味が体得できるようになる。

 そういった合気道の道歌をいくつか紹介しておこう。いずれも選択基準は私の独断と偏見に基づく。分類と小見出しは私が勝手につけたものである。
 「人生でもっとも大事なことは合気道をつうじで学んだ」、といっても過言ではない。少なくとも私にとってはそうである。
 私は大学一年(一回生)のときに、合気道と出会った。米国で大学生に指導していたこともある。


<合気会パンフレットにも掲載の有名な道歌>

合気とは 愛の力(ちから)のもとにして 
 愛はますます栄えゆくべし

合気とは 万(よろづ)和合の力なり 
 たゆまず磨け 道の人々

美しき この天地(あめつち)の御姿(みすがた)は 
 主(ぬし)のつくりし一家なりけり


<武術としての合気>

すきもなく たたきつめたる敵の太刀(たち) 
 みなうち捨てて 踏み込みて斬れ

敵多勢(たぜい) 我を囲みて攻むるとも 
 一人の敵と思い戦え

呼びさます 一人の敵も心せよ 
 多勢の敵は前後左右に

敵の太刀 弱くなさむと思いなば 
 まづ踏み込みて 敵を斬るべし

生死とは 目の前なるぞ心得て 
 吾ひくとても 敵は許さじ

人は皆 何とあるとも覚悟して 
 粗忽に太刀を出すべからず


<心の迷いをなくせ>

まよひなば 悪しき道にも入りぬべし 
 心の駒に 手綱(たづな)ゆるすな

すみきりし 鋭く光る御心(みこころ)は 
 悪魔の巣くふ すきとてもなし

古(ふるき)より 文武の道は両輪と 
 稽古の徳に 身魂(みたま)悟りぬ

三千世界一度に開く梅の花 
 二度の岩戸は開かれにけり

声もなく心もみえず 神(かん)ながら 
 神に問われて何物もなし


<合気道の使命>

大宇宙 合気の道はもろ人の 
 光となりて 世をば開かん


 出典は 『合気神髄-合気道開祖・植芝盛平語録-』(合気道道主・植芝吉祥丸=監修、柏樹社、1990)。このエディションはすでに絶版だが、現在、古神道関係の専門書店である、八幡書房から2002年に復刊されているので、入手可能である。
 私はこの本を、折に触れ繰り返し、繰り返し読んできたが、なお完全理解にはほど遠い。理由の第一は、まず合気道そのものの修行が前提となることはいうまでもないとして、開祖が長年にわたって慣れ親しんできた神道、とくに大本教(おほもと)を始めとする古神道(こしんとう)古事記言霊学(ことだまがく)、その他もろもろの、学校では正規の教科にはない、近代日本のエソテリック(=秘教的)なウラ学問に精通する必要があるためである。合気道で使用されるターミノロジー(用語)には、これら古神道経由のものが多い。
 これらについては機会があれば、また取り上げることとしたい。

 開祖の技は YouTube には多数アップされているので、ここでは英語字幕の入っているものを一つ紹介しておく。
 合気道の技にかんしては、「入り身転換」がもっとも重要である。相手の動きに対して、瞬間的に相手に対して半身の体制に入るテクニック。この体捌き(たいさばき)が無意識にできるようになればいうことはない。基本中の基本であるが、武道の心得のない現代日本人には、縁が遠いようだ。昔の日本人には身についていたらしいが。
 以下、参考となる語録を『合気神髄』から引いておく。

入り身転換の法を会得すれば、どんな構えでも破っていけるのであり、しかしながら一刀一殺をすることが真の道ではない。合気は和合の術である。(p.163)

進んでくる相手の心を小楯に、その真っ正面に立って突いてくる槍の真中心に、入り身転換の法によって無事に、その囲みを破って安全地帯へでる。かくのごとき周囲を全部、相手に取り巻かれたといえども、入り身転換の法によって破れざる技で相手を圧迫しなければならない(p.174)

 YouTube に合気道七段スティーブン・セガール(Steven Seagal・・本当はシーガル。昔の資料にはそう書いてある)の「入り身投げのオモテ」の映像がある。通常は円運動を利用したウラをやることが多いのだが、入り身投げのオモテはプロレスのラリアットのような技であり、打撃の衝撃力はすさまじい。後頭部を打たないように、受け身を訓練しておくことが不可欠なので、安易に技をかけないように!
 なお、スティーブン・シーガルはかつて大阪に自分の道場をもっていた。現在は L.A.にあるが、日本人以外で日本で道場を開いていたのは彼ただひとりである。
 ついでなので、イスラエルのテルアヴィヴの合気道道場 Integral Aikido Tel Avivプロモーション・ビデオがあるので紹介しておこう。武産合氣道(たけむす・あいきどう)。日本で8年間修行した米国人師範が教えているが、このビデオで合気道のイメージがおおよそつかめるだろう。
 イスラエルでは、合気道に限らず、日本の武道がきわめて盛んである、と聞いている。もちろんイスラエルの護身術であるクラヴ・マガ(Krav Maga)は盛んである。

 上記書籍の監修者である、二代目道主の植芝吉祥丸(きっしょうまる)先生はすでに入神されており、現在は三代目の植芝守央(もりてる)道主が務めて居られるが、吉祥丸とは実に珍しい名前だ。
 これは植芝盛平翁が大正時代、京都府綾部にある大本教(おほもと)で精神修行し、「植芝塾」で武道を教えていた際、夭折した二人の男児のあと生まれた三男に、教主の出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)聖師が命名されたものである。
 王仁三郎師は鎮魂帰神のうえ一気呵成に吉祥丸と筆で書き下ろしたという。吉祥丸とは大江山の鬼退治で有名な源頼光(みなもとの・らいこう)の幼名とのことだ。このエピソードは吉祥丸先生ご自身が執筆された、『合気道開祖・植芝盛平伝』(生活芸術社、1999 原版は講談社 1977)のなかにでている。この名前のおかげか、吉祥丸先生は天寿をまっとうされた。
 合気道の前身である「合気武道」も、出口王仁三郎師の命名である。

 私は植芝盛平翁の戦後の内弟子(うちでし)である、故・有川定輝(ありかわ・さだてる)九段にご指導いただいたが、有川師範先生は「合気新聞」の編集を長く務められ、上記の『合気神髄』にまとめられた、植芝盛平語録の多くを収集し整理編集されている。
 有川先生については、また改めて機会があれば書くこととしたい。わが人生の師として、この人を超える人はいまだにいない。いや、おそらく今後も現れることはないだろう。


 これで本年のブログ投稿は最後となります。
  
去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きもの (高浜虚子)
 
 では、よいお年を!!
 また来年お会いしましょう。

               


 

2009年12月30日水曜日

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)




 1899年に出版された英文学の古典、コンラッドの名作『闇の奥』(Heart of Darkness)に次のような一節がある。
 「なにも僕が仕事好きだというわけじゃない。むしろブラブラしながら、なにかできそうな素晴らしい仕事でも、ボンヤリ空想している方がよっぽど楽しいのだ。なにも仕事好きじゃない。--誰だってそうさ、--ただ僕にはね、仕事のなかにあるもの--つまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、--他人のためじゃなくて、自分のための自分、--いいかえれば、他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのは外面(うわべ)だけ、しかもそれさえ本当の意味は、決してわかりゃしないのだ」
(中野好夫訳、岩波文庫、1958 引用は P.58-59)

 参考のために原文も掲載しておこう。
No, I don't like work. I had rather laze about and think of all the fine things that can be done. I don't like work -- no man does -- but I like what is in the work -- the chance to find yourself. Your own reality -- for yourself, not for others -- what no other man can ever know. They can only see the mere show, and never can tell what it really means.
(出典は Conrad, Joseph, 1857-1924. Heart of Darkness Electronic Text Center, University of Virginia Library)

 たまたま蔵書整理中にこの本がでてきたのでパラパラめくってみたら、この部分に線が引かれていた。
 読んだのは1986年、そう文庫本に書き入れてある。就職して社会人になって、まだ仕事をすることの意味がよくわかっていなかった頃に読んだ本だ。
 西洋人の労働観がよく表現されていると考えていいかもしれないが、この一節は自分には非常にしっくりと納得がいくものだったので、線を引いていたのだ。

 「仕事をつうじた自己発見」は現在風にいえば「仕事をつうじた自分探し」ということになるだろうか。
 なぜ、仕事をしなければならないのか、比較的豊かな時代には生きてくる名言なのではないか、と思う。
 仕事は生計をたてるだけではない。自分探しと生計をたてることを両立することが可能になるわけだ。

 ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)は19世紀英国の"英語作家"だが、彼自身は生粋の英国人ではない。ポーランド出身で、母語は英語ではなくポーランド語である。英語は、ロシア語、フランス語に次いで後天的に実務を通じて習得した言語である。
 英国の英語作家には、『日の名残り』で有名な日本出身のカズオ・イシグロなど多いが、コンラッドはその先駆者といえるだろう。
 「コンラッド」というと外資系高級ホテルの名前だが、もちろん関係はない。ジョゼフ・コンラッドの本名は、テオドル・ユゼフ・コンラト・コジェニョフスキ、である。真ん中の名前を取り出して英語風にしたわけだ。

 父親がポーランド独立運動の指導者でロシアの官憲に逮捕されてシベリアに家族ごと流刑、のちに移動した北ロシアで両親を失って孤児となり、大学進学をあきらめて船乗りになった。21歳のときに英国船員となり以後16年間、船員としての生活を送り最終的に船長にまでなる。この間、英語を身につけ、ひろく世界を航海し、英国国籍も取得した。
 その後、海洋小説を多数発表、ベルギー領コンゴ(ザイール)の奥地深くまで航行した体験をもとに本書『闇の奥』を発表した。
 『闇の奥』を乱暴に要約すると、優秀な商社駐在員であった主人公クルツ(Kurtzが、いつのころからかアフリカの熱にとりつかれ精神に異常を来し、コンゴ川奥地で・・・となる。アフリカの「闇の奥」、人間性の「闇の奥」を描いた作品である。

 この本は、フランシス・コッポラのベトナム戦争ものの超大作 『地獄の黙示録』(Apocalypse Now 1979年製作)の原作ともなっている。トレーラーを参照。
 コッポラの映画では、部隊をコンゴからベトナムに移し、ラストに登場する、現地人の王となった主人公の白人をカーツ大佐としている。原作のクルツ(Kurts)を、英語読みでカーツとなっているがつづりは同じである。なお、Kurtz は、ドイツ語の kurz(短い、背が低い)からきている。

 原作に戻るが、舞台となったコンゴは、植民地帝国ベルギーの植民地であった。とくに資源国コンゴ(ザイール)はベルギーにとってはまさに金城湯池であた。コンラッドが舞台設定にしたコンゴはまさに、西洋人がアフリカ人を徹底的に収奪し虐殺したことはあまり知られてしないのではないか。ベルギーは、英国やフランスにも劣らない、典型的な植民地帝国であったのである。
 象牙、生ゴムから始まって、のちに発見されたダイヤモンド、そしてウラン。ベルギー領コンゴで産出されたウランが、広島と長崎に投下された原爆に使用されたことは、知る人ぞ知る歴史の闇である。
 これらの点については、『ベルギー ヨーロパが見える国』(小川秀樹、新潮選書、1994)、『「闇の奥」の奥-コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷-』(藤永 茂、三交社、2006)が参考になる。後者は、カナダ在住40年の元大学教授が先住民の立場に身を寄せて描いた告発書である。
 「美食の国ベルギー」の背景に、植民地コンゴからの収奪の歴史があったことは知っておいた方がよい。

 ベルギー領コンゴは、いわゆる「コンゴ動乱」とよばれた1960年の熾烈な独立戦争を経て独立したが、当時の国連事務総長ダグ。ハマーショルドが視察中に事故死したことでも有名である。
 この戦争ではベルギー政府軍以外にも、白人傭兵のコマンド部隊が投入され、1978年製作の英国映画 『ワイルド・ギース』(The Wild Geese)の世界として描かれている。トレーラー参照。激しい銃撃戦をともなう空港からの壮絶な脱出シーンは圧巻である。
 すでに絶版であるが『コンゴ傭兵作戦(新戦史シリーズ)』(片山正人、朝日ソノラマ、1990)という本もある。

 コンゴはザイールになったり、またコンゴになったりと、独立後も紛争が再燃するのは、結局のところ埋蔵されている資源をめぐる争いが原因である。
 最貧国問題解決のための必読書 『最底辺の10億人-最も貧しい国々のために本当はなすべきことは何か?-』(ポール・コリアー、中谷和男訳、日経BP社、2008)でも指摘されているように、最貧国を捕らえ続ける4つの罠として、1.紛争の罠2.天然資源の罠3.内陸国であることの罠4.劣悪なガナバンスの罠 を挙げているが、資源をめぐる問題は実に根が深いことを知らねばならない。コンゴの場合、この4つの罠がすべて複雑にからみあっている。
 実話をもとにした『ホテル・ルワンダ』(1994年)で描かれた、隣国ルワンダの虐殺と難民問題にもめを向ける必要があるだろう。トレーラー参照。ルワンダもまたベルギーの植民地であった。
 最近、増補版として復刊された 『ルワンダ中央銀行総裁日記』(服部正也、中公新書、1972)は、IMFの依頼によって日銀から派遣され、独立国ルワンダの発展を中央銀行総裁として6年にわたり支援した日本人の記録だが、ルワンダ紛争によってこの努力もすべて消えてしまった。
 旧植民地アフリカの問題は根が深い。

 こういうアフリカを、いま中国が"西のフロンティア"として収奪し、トラブルメーカーとなっていることは、報道が多くなされるようになってきており、だいぶ明らかになってきている。
 欧州の"裏庭"アフリカでわが物顔で振る舞う中国、この問題については歴史的な意味、文明論的な意味を考える必要があろう。
 中国に対して、欧州は果たしてきれい事としての倫理を持ち出すことができるのか、きわめて根の深い問題だ。


 「仕事をつうじた自分探し」からだいぶそれてしまったが、本というものは、とくに古典というものは、複合的かつ重層的な読み方が可能なものである。
 もちろん純粋にエンターテインメントとして読むのも結構なことだ。
 『闇の奥』は、光文社古典新訳文庫から新訳がでている。私としては、毒舌で知られた英文学者で評論家の中野好夫訳による岩波文庫版がいいと思っているが。
 一昨年、『カラマーゾフの兄弟』が爆発的にブームとなったのも、この古典新訳文庫のおかげである。
 
 古典は読み継がれてこそ古典である。
 『闇の奥』も一度手にとって読んでみてはどうだろうか。

        

2009年12月29日火曜日

書評 『経営者、15歳に仕事を教える』(北城格太郎、文春文庫、2008)




とくに、子供をもつ親、そして教育者によんでもらいたい本

現在IBM最高顧問で経済同友会代表幹事をつとめた、「サラリーマン経営者」が15歳に向けて平易に語った、会社で仕事をするとはどういうことなのか、という内容の本。

 この本は、文庫本として活字として読むなら、15歳よりもむしろ大人が読むべき本である。音声として耳から聴くなら、15歳に向けであってもいいだろう。15歳は話のディテールがわからなくても、「感じて」もらえばいいからだ。

 この本は大人が読むべきだといったが、ビジネスパーソンなら、男性であれ女性であれ、第一章から第三章までは、ある程度まで理解できるはずだろう。自らのキャリアを考える上で、先輩の話として虚心坦懐に聞けばいい。サラリーマン経験のある経営者が何を考えているのかがわかる。

 本当に読まなければならないのは、15歳の子供をもつ親、そして教育者である。日本の就労人口のうち8割が、なんらかの形で会社で働いている以上、その会社というものが何をやるところで、会社で仕事をするとはどういうことなのかを、15歳からイメージさせておくことが必要だからだ。
 親は、自分の子供に語るためのコトバを、この本から得ることができるだろう。
 教師が子供に語るためには、会社の実態を自分自身が知っておく必要があるのだが、この本を読めば少なくとも脳内で「疑似体験」はできるはずだ。

 教育も、社会人になってからの基礎作りになるようなものでなければ意味がない。私自身、ある私立学園の諮問委員をここ数年仰せつかっているが、まだまだ企業社会と学校教育のあいだには埋めがたいギャップが存在することを痛感している。
 
 企業は、「自ら課題を見つけ、他人と違った発想ができ、それを人に説得できる人」を求めている。そして仕事は、「明るく、楽しく、前向きに」取り組んで欲しいものである。
 このための必要な教育を、家庭教育にも、学校教育にも求めたいのである。子供は、何のために働くのかがわかれば、何のために学ぶのか自ずから理解して、取り組むはずである。

 この本は、そのキッカケとなるであろう。

              
■bk1書評「とくに、子供をもつ親、そして教育者によんでもらいたい本」投稿掲載(2009年12月27日)
■amazon書評「とくに、子供をもつ親、そして教育者によんでもらいたい本」投稿掲載(2009年12月24日)


               

2009年12月28日月曜日

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2) 



    
 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」については、私はやや否定的なニュアンスで書いてきたが、これは歴史的な文脈を考えて視聴するべきであると考えるからである。
 ドラマ自体はよく出来ている、と評価したい。私も楽しみながら第一部は全部見てしまった。

 何はともあれ、昨日(12月28日)の放送で第一部が終了、第二部は2010年末、第三部は2011年末とたいへん気の長い話である。
 これだけ長期にわたるTVドラマ作成というプロジェクトは、製作する側からみてもたいへんなことだろう。何よりも、主役を演じる俳優たちが、きちんと自己管理してもらわないと、大きく支障を来すからだ。
 とくに前半の主役三人、すなわち秋山好古秋山真之の秋山兄弟と同郷の正岡子規。それから後半は、秋山兄弟に加えて広瀬武夫、である。
 第一部ではまだ正岡子規は、結核からきた脊椎カリエスに苦しみながらも、まだ養生を続けており死去するには至っていない。撮影はそのうち終わるから、正岡子規役の香川照之はじきに解放されこととなろう。
 広瀬武夫も日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死して「軍神」となって途中で消える。秋山兄弟は最後まで残ることになる。

 そうそう思い出したが、司馬遼太郎の問題はもう一つある。秋山真之についてである。
 「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」の信号とともにZ旗(写真参照)を掲げ、東郷平八郎率いる日本艦隊がパーフェクトゲームとなった日本海海戦を立案した秋山真之参謀は、ビジネスマンから見れば、三国志の諸葛孔明以来の天才参謀といわねばならないのだが、彼は日露戦争後、精神に異常を来したという事実にいっさい触れていないことである。
 日本という「小さな国」がその存亡をかけて戦った日露戦争は、まさに死力をかけて死にもの狂いで戦った戦争である。1948年の建国以来、四面楚歌の状態にあるイスラエルにも比すべき状況であったのだ。いつ国が滅びて植民地化されるかわからない状況であった。
 だから、原作の末尾、故郷松山に戻って中学校校長として生涯を送った、最晩年の秋山好古が死の床で、ロシア軍の最強コサック騎馬軍団との死闘がフラッシュバックとして甦り、うなされていたというのも大いに頷ける話である。司馬遼太郎はこれについては多く語っている。
 しかしながら秋山真之の晩年については多く語ることをしていない。これが残念なのである。小説の構成上仕方がないといえばそれまでなのだが。
 人生の暗い面からひたすら目を背け続けた「国民作家」司馬遼太郎、彼を国民作家といい、「司馬史観」などともてはやしていては、日本人は進化しないだろう。


 さて、本題は司馬遼太郎ではない。比較文学者・島田謹二による秋山真之(1868-1918)の伝記と広瀬武夫(1868-1904)の伝記である。私としては、便乗本である各種の粗製濫造の解説本よりも、島田謹二の伝記2本を腰を据えて読んで欲しいと思うのである。
 それぞれのタイトルは、『アメリカにおける秋山真之 上下』(朝日選書、1975)、『ロシヤにおける広瀬武夫 上下』(朝日選書、1976)である。
 いずれも、文学研究者による比較文学の研究書であり、原資料をして語らしめるという手法を使っているので、正直いって読みやすい本ではない。 明治の漢文体による書簡は極めて読みにくい。しかし明治の、本当の意味で国の命運を背負っていたエリート軍人たちの肉声を聞くことができる意味では貴重である。

 秋山真之の伝記は文庫化もされたようなので、気軽に手にとって読めるようになったことは喜ばしい。もし根気があれば、司馬遼太郎の原作と読み比べてみるのもよいだろう。
 秋山真之が戦艦三笠から発した艦隊出撃報告電報「本日天気晴朗ナレド波タカシ」は後世に残る名言となった。これほど簡潔に表現した文章力は、島田謹二ならずとも、文学作品といわねばなるまい。

 広瀬武夫の伝記の「武骨天使伝」という副題が泣かせる。もうかなり昔のことだが、たまたまNHKのラジオ・ドラマで、異色の画家としても知られる、俳優の米倉斉加年(よねくら・としかね)の語りによるドラマであった。このドラマで広瀬武夫のことを知ったのである。
 ロシアの貴族令嬢との恋、しかし軍人の広瀬は旅順項封鎖戦で戦死・・・というメロドラマ調のものだったが、これがきっかけで島田謹二の分厚い伝記文学を読むキッカケとなった。

 島田謹二による、明治の海軍軍人二人の伝記は、発展途上国あるいは後進国においては、軍事官僚が数少ない知的エリートなのである(!)ということを教えてくれた本である。
 初版が出版された当時はもとより、朝日選書から廉価版がでた1970年代当時は、非現実的な「非武装中立論」などという妄論が幅をきかせていた時代であり、そんな時代に出版された、あえて軍人を称揚した伝記は、毀誉褒貶相半ばであったときく。
 以来40年近くを経て、日本もずいぶんマシになったといえるだろう。しかしながら、いまだに「平和主義」を主張して、連立政権内で妄論を吐いている女性弁護士もおり、リアリズムからまた距離が遠くなった現在の日本国ではあるが。

 明治の日本は後進国であり、発展途上国であった、という事実、この事実を知ったうえで、現在の発展途上国を見つめれば、いたずらに米国や欧州のような居丈高な態度はとれないはずだ。
 東南アジアの軍事政権による開発独裁も、そういった眼で見ることも必要であろう。国家草創期の人的資源には数量的に限界があるためだ。現在では中進国の韓国も同様のプロセスをたどっている。

 しかし、何度も繰り返すが現在の日本は先進国である。貧富の格差が拡大しようが、発展途上国における貧富の格差とは性格を異にする。
 長期スパンでみたGDPの推移のグラフなどをみてみればよい。たとえば、ネット上にはこんなものがある。
 日露戦争当時(1904年)の日本とは、まるで別の国といってよいだろう。

 今後間違いなく、日本は下降局面、すなわち「下り坂」になるが、そうはいっても緩やかな下り坂であるはずだ。
 もちろんGDPや、一人あたりGDPでは個人個人の実感とは違うことはあるだろう。これらの数値はあくまでも平均値であり、格差拡大により大幅に所得が減少している人も少なからずいるからだ。
 資本主義を選択し、上り坂にあった明治時代もまた、格差が拡大した時期である。明治後期から大正時代にかけて労働運動が激化したことを想起しなければならない。明治末期の大逆事件という冤罪、治安維持法のもとにおける、特高による社会主義者拷問などなど。
 こんなことを考えれば、言論の自由の保障された戦後日本は天国のような世界ではないか。戦前に比べたら、はるかにマシな状態であると思わねばならない。

 「下り坂」をうまく下るスキル、これは真剣に考えなければならない国家的プロジェクトではないか。もちろん個々人が取り組むべき課題ではある。
 「上り坂」は息が切れれるが怪我をすることは普通はない。しかし「下り坂」は全身で注意しなければ本当に危険である。いかに安全に下っていくか、これこそ先進国日本の大きな課題であり、チャレンジすべき目標である。
 「昇龍」は中国にまかせておけばよい。しかしその中国も天下をとれるのはたかだか30年、いや20年もないかもしれない。驕れる者も久しからず。これは中国も例外ではないであろう。

 これからの世の中、日本人は決して右顧左眄(うこさべん)することなく、気概をもって我が道を行け! これこそ幕末の志士や、明治の先人たちから受け取るメッセージではないか!?
 ドラマでも一部みられたが、秋山好古も秋山真之も広瀬武夫も、現在の観点からみたら間違いなく奇人変人の類といってもいいすぎではない。彼らはその当時にあっても奇行で知られていたようだ。

 「百万人といえど、我ひとりゆかん」の気概で生きていきたいものである。


P.S.
 ところで、この投稿をもってマイ・ブログ「つれづれ なるままに」への投稿はは201本目となった。
 何事であれ「継続は力なり」と実感している。
 次は300本を目指して書き続けていこう。ネタが尽きることはない。

      
<ブログ内関連記事>

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?  

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)・・「発展途上国」であった明治日本



               

  

2009年12月27日日曜日

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)




 先日、東京・神宮前のワタリウム美術館で開催されている企画展「ルイス・バラガン邸をたずねる」にいってきた。

 バラガン邸とは、建築家バラガンが、自分のために建築した自宅である。施主という、クライアントのわがままに疲れ果てたバラガンが、自分自身のために作った建築で、2004年には世界遺産として登録されている。バラガン邸はメキシコシティ近郊にある。
 4階建ての美術館のなかに、バラガン邸の一部を空間として再現するという試みで、バラガン邸のなかに入って、書斎、リビングルーム、ダイニング、ベッドルームを体感することのできる展示となっている。
 実際に家具や、装飾品、絵画、書籍、レコードなど、バラガンの遺品をメキシコから借りてきて展示しており、建築家の息づかいが感じられるような空間演出がされていた。
 バラガンの建築物は、日本ではとくに女性に人気があるようだ。その色彩感覚と部屋ごとの空間構成が、思索と癒しをもたらしてくれるからであろうか。

 ルイス・バラガン(Luis Barragán Morfin:1902-1988)は、20世紀メキシコを代表する建築家である。裕福なクライアントの個人住宅の建築を行ったきた建築家で、とくにピンク色の壁面が特徴となっている。
 バラガン邸もそれ例に漏れず、外壁も室内にもピンクを使った、日本人の通常の色彩感覚とはやや異なるテイストであるが、ワタリウム美術館に再現されたバラガンの部屋に入って実際に体感してみると、それほど違和感がないのは不思議な感じがする。

 バラガン財団(Barragan Foundation:スイス)の公式ウェブサイトもあるので、実際の色彩がどうなっているかは、直接ご覧になっていただきたいと思う。
 もちろん、採光を十分に計算した部屋と壁面の色彩であるから、時間帯によって受ける印象が大きく変わってくるのは当然だ。写真集にのっているバラガン邸の写真が非常に濃いピンク色に写っているのは、南国メキシコの日差しが、もっとも明るさを増した時間帯の撮影だからだろう。
 また、メキシコは基本的に日本と比べると空気が乾燥しているので、太陽光線はより強いことも関係しているはずだ。

 バラガンという建築家が私のアタマのなかに定着したのは、つい最近のことなのだが、ずいぶん以前に米国で購入した写真集 Casa Mexicana(カーサ・メヒカーナ:メキシコの家)を実にひさびさに開いてみたところ、第6章は「バラガン・ハウス」となっていた。迂闊だったなあ、とつくづく思う。
 バラガンの建築だけを取り出してみるのもいいが、メキシコの個人建築全体のなかにバラガンを置いてみると、これがまた違和感がない。もちろんバラガン建築の個性は非常にはっきりしているのだが、メキシコ建築のエッセンスがバラガンに取り入れられていることも理解できるのだ。

 このブログでもメキシコについてはメキシコ絵画を中心に書いているのだが、個々の建築家についてはまったく関心を払っていなかったようだ。メキシコは18年前にいったきりだが、1991年に訪れた際にはバラガン邸は訪れていない。   
 あの当時は、日本ではあまり関心はなかったように思う。また自分自身、現代建築にはあまり関心がなかったのも事実である。

 米国のサンタ・フェというと、知的な風土をもった町として有名だが、これはニュー・メキシコ州にあることが示しているように、もともとはメキシコの領土であった。乾燥した気候と大地にふさわしい建築物が多く、哲学的、思索的な雰囲気を出している。
 メキシコシティのバラガン邸も同じようなテイストを感じるのは私だけではないだろう。
 なお、バラガンは戦後すぐの時期に自宅であるバラガン邸を建築したのちは、開発業者(デベロッパー)として高級住宅地開発に携わり、成功を収めたという。金銭的な成功だけでなく、自分の思うような空間設計と建築を行う事ができたということでもある。

 ワタリウム美術館でこれまで開催された企画展で、出版物となっているものは何点かもっているが、実際に訪れたのは実は今回が初めてである。岡倉天心南方熊楠にかんする企画展はぜひ見ておきたかったのだが、時間がとれなかったのだった。本だけはもっているのだが。

 ワタリウム美術館では会期中、毎日17時からティータイムがあって、先着10人まで、メキシコ風にハチミツ入りのカモミールティーをいただきながら、バラガン邸から借りてきた椅子に腰掛け、学芸員の方からバラガンについてお話をうかがうことのできる交流会もある。
 こういう双方向性の対話が用意されていることは非常によいことだと思う。

 企画展「ルイス・バラガン邸をたずねる」は、2010年1月24日まで開催。チケットは何度も入れるパスポート形式になっている。

            

2009年12月26日土曜日

マンガ 『俺はまだ本気出してないだけ ①②③』(青野春秋、小学館 IKKI COMICS、2007~)




俺はまだ本気出してないだけ』、自分のことをいいわけするわけじゃないけど・・・・

小学館のマンガ月刊誌 IKKI の公式のサイトに、このマンガの紹介文がある。
「俺は漫画家になる」と40歳で会社を辞め、夢を追いかけはじめた大黒(おおぐろ)シズオと、彼に振り回されて「いい迷惑っ!」な家族を巡る、苦笑い哀愁ドラマ――第17回イッキ新人賞「イキマン」受賞作家がおくる男のロマンと哀愁たっぷり、ナイス! おっさんコメディー。

 なんともいえない味のあるコミック作品。
 40歳すぎた"オッサン"たちはもちろんのこと、40歳になっていないアラサーの男性も女性も、このマンガの味わいは、わかる人にはわかるだろう。わからん人にはわからんだろう。
 けっして万人受けする内容とタッチのマンガではないのだが、けっこう癒し系とかいって、じわじわと人気を広げているようだ。東京都心部には、店頭に積み上げている書店もある。

 40歳すぎて人生やり直す!?・・・それもなんとなく、というのがこの時代にありそうな、なさそうな・・・いや、余儀なくやり直す、という人のほうが多いだろう。
 こんな夢みたいな夢(!)を語っていたら、「オッサン、あんたええ年こいて、アホちゃうか?」、と突っ込み入れられるだろう。
 夢を追うといっても、とりわけマンガ家になりたかったというわけでもなく、会社員の人生に飽きたからという理由で?・・・それがこのマンガの主人公だ。しかもバツイチで娘と自分の父親との三人暮らしである。

 月刊誌の連載なので、第3巻が現在のところ最新刊だが、ようやく主人公のオッサンはマンガ家デビュー(?)というところまでこぎ着けた。この間に2年たち、オッサンは42歳になった。
 もう出るはずの第4巻が、いっこうに出ないんだけど・・・

 『俺はまだ本気出してないだけ』、自分のことをいいわけするわけじゃないけど・・・・ね。
 オレもいつ芽が出るのか??・・『俺はまだ本気出してないだけ』、といいわけしとくかな・・・もちろん、努力だけはしないとね。

 人からみたらどう考えても"瀬戸際人生"、いや"綱渡り人生"にみえようと、本人は自分の内面の声(?)に素直なだけなのだろう。
 つねに"ワイルド・サイド"を歩く人生、これはホリエモンが社名変更する前の会社名 On the Edge の人生でもあるね。

 みんな、うまく波に乗れるといいんだけどね・・・が~んば!!

             

2009年12月25日金曜日

チャウシェスク大統領夫妻の処刑 1989年12月25日


               
 ルーマニアの独裁者であったチャウシェスク大統領とその妻が逮捕され、形式的な即席裁判によって死刑を宣告され、20年前のきょう銃殺刑になった。
 すでに歴史上の一エピソードとなっているのかもしれない。

 ルーマニアのハンガリー系住民の居住地域の中心であるティミショアラで反乱が発生してから、あっという間にルーマニア全土に広がった反乱。
 第二次世界大戦で使用されたような旧式なライフル銃を使用しての市街戦の映像が記憶に焼き付いている。
 それもつかの間、チャウシェスク大統領夫妻が逮捕され、処刑された。

 ベルリンの壁崩壊のニュース聖像をリアルタイムで見れなかった私も、さすがに年末は手が休まっていたので、自宅でルーマニア動乱のニュースをフォローすることができた。
 天安門事件から始まった1989年の動乱は、ベルリンの壁崩壊で頂点に達し、そしてチャウシェスク大統領の処刑で幕を閉じた。20世紀でもっとも長い一年だったような気がする。

 チャウシェスク大統領夫妻の即席裁判と銃殺シーンについては、その当時日本のTVでも視聴したが、現在では YouTube で、英語のナレーションと字幕がついた映像をみることができる。
 装甲車から引きずり出されるチャウシェスク、たった19分間の即席裁判とその直後の銃殺刑の瞬間、そして銃発射による硝煙のあがるなか、チャウシェスク夫妻の死亡が確認されるシーンがある。題して、Nicolae Elena Ceausescu executed(7分26秒)
 のちに、チャウシェスク大統領夫妻の処刑は、ルーマニア共産党内の「宮廷革命」といわれた。共産党支配の終焉ではなく、共産党内の反チャウシェスク派が動乱に乗じて政敵を抹殺した事件だったという。
 
 私の世代が中学校の「地理」で勉強していたルーマニアは、産油国であるがゆえに、燃料エネルギーをソ連に依存する必要がなく、チャウシェスクはソ連に対しては自主独立路線を貫く"英雄"として、西側諸国ではみなされていた。ある意味、ユーゴスラヴィア(当時)のチトー大統領のような存在だったような記憶がある。

 チャウシェスク大統領夫妻は、ルーマニアの首都ブカレストから、北朝鮮に向けて脱出する寸前に逮捕されたと、その当時はいわれていた。
 もし脱出に成功して北朝鮮に亡命していたら、その後どうなっていただろうか。ハーグに召還されて裁判にかけられていたことだろうか。

 すでにチャウシェスク時代、悪化していたルーマニアの経済的苦境はいまだに続いているようだ。最近はどうかしらないが、ルーマニアではエイズ被害が拡大し、都市部ではマンホール・チルドレンが大量に発生したときいている。
 1992年に私がはじめてトルコのイスタンブールにいったたとき、やけに金髪女性が多いなと思ったのだが、聞くところによれば、その当時のイスタンブールの売春婦はルーマニア人が多かったという。イスタンブールからは陸路でつながっているし、直通列車もあるから、その話は正しい情報だったと思われる。
 独立以前のルーマニアは、オスマン・トルコ帝国の統治下にあった。
 
 いまだに、ルーマニアとブルガリアにはいっていないのが残念である。ハンガリーのルーマニア国境近くまではいっているのだが。
 EU加盟も決定しているルーマニアは、欧州では賃金水準が低いので、製造業の誘致が積極的に行われている。
  紙とエンピツがあればできるのでカネがかからないという理由で、共産主義時代から数学にチカラが入れられてきた旧共産圏、とくにルーマニアには、腕利きのコンピュータ・ハッカーが多いとも聞いている。
 豊かな先進国では理数離れが止まらないが、経済的に豊でない国では数学が人的資源の大きな武器になっているようだ。これは共産政権時代の"正の遺産"といえるだろう。
 もちろん、インターネット犯罪大国と化したルーマニアを正当化する意図はまったくない。数学に限らず、科学技術というものは諸刃の剣であり、使い方次第で善用もできれば、悪用もできる。社会の安定がすすめば、数学レベルの高さは国家発展に善用されるはずである。
 ルーマニアは、体操競技の妖精コマネチだけではないことを知るべきだろう。もっともナディア・コマネチは、ハンガリー系ルーマニア人である。

 バルカン半島にあって、多数派であるスラブ系でないルーマニアは、ラテン系の言語をもつ民族である。
 日本語ではルーマニアというが、本来の発音はロマーニアに近いことからもわかるように、ローマをその民族名と国名に含んでいる。
 もっとルーマニアに注目すべきであろう。
                 


P.S. この記事の閲覧数が多いのを感謝する意味で、YouTube キャプチャ画像を付け加えた(2011年2月24日)


<ブログ内関連記事>

書評 『「独裁者」との交渉術』(明石 康、木村元彦=インタビュー・解説、集英社新書、2010)

映画 『イメルダ』 をみる




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2009年12月24日木曜日

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)


対テロリズムの最前線にいる担当責任者による、ピカイチの実務参考書

 テロ組織アルカーイダによる「ジハード」についての分析とその対策実践書である。

 タイトルも装丁も地味な本である。しかも著者は現役の警察庁公安課長。しかし、決して侮ってはいけない。類書のなかではピカイチといっていい内容だ。
 なぜなら、対テロリズムの最前線にいる担当責任者の認識を文章のかたちで表現したものだからだ。そう、これは実務参考書なのだ。

 グローバルに展開するアルカーイダの組織を分析するにあたって、最新の「ネットワーク組織論」を十分に咀嚼(そしゃく)した上で、従来のテロ組織とはまったく異なる、21世紀型テロリズムとの対決の方法論を思索した内容が一書として結実した。アルカーイダには中心も、明確な指揮命令系統も存在しないのだ。

 著者はアラビア語は解さないが、英語その他による参考文献を広く渉猟(しょうりょう)して目を通し、また各国の対テロ責任者との対話と議論をつうじて、日本では第一級の認識をもつにいたっている。
 このため、イスラーム世界に過剰に肩入れする傾向のある、日本のイスラーム研究者の論調に引きずられることなく、冷静な立場に徹することができている。「敵を知り、己を知らば・・」を地でいくものであろう。

 本書は、イスラーム過激派によるテロ活動との思想戦の実態についての現況報告であるとともに、インテリジェンスとは何かについての実践書である。遠い国の話ではなく、まさにいまこの国のなかで実際に発生している話なのである。  
 対テロ実務書としてでなく、「ネットワーク組織論」としても読み応えのある内容となっていることも付記しておこう。

 もっと広く知られていい好著である。


<初出情報>

■bk1書評「対テロリズムの最前線にいる担当責任者による、ピカイチの実務参考書」投稿掲載(2009年12月21日)





目 次

第1部 ジハード主義の思想と行動
 ジハード主義思想の形成
 ジハード主義思想の展開
 ジハード主義者の世界観
第2部 グローバル・ジハードの姿
 アルカイダとグローバル・ジハード運動
 アルカイダの姿
 グローバル・ジハードへの参入
第3部 グローバル・ジハードとの闘い
 テロ・グループの組織形態
 テロを防ぐための手法
 グローバル・ジハードと闘うために


著者プロフィール

松本光弘(まつもと・みつひろ)

1961年生まれ。東京大学法学部卒、ハーバード大学公共政策学修士(MPP)。1983年、警察庁入庁。都道府県警察、本庁の他、在英大使館、防衛庁にも勤務。警察庁国際テロリズム対策課長などを経て、2008年より警察庁公安課長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。なお、2011年時点では、福島県警の警視長として被災地で陣頭指揮をとっている。



<書評への付記>

 一年前に出版された本であり、読んでから時間がたっているが、あえてこの時期に書評を書いたのは、日本人にテロに対する慢心が見られるのではないか、と思うからである。

 たしかにアルカーイダも、ビンラディンも、ザワヒリも、ここのところなりを潜めている。

 しかし、オバマ大統領が意志決定した、アフガニスタンへの3万人の地上部隊増派計画が実行に移されると、日米軍事同盟のもと、日本も単なる文民支援ではすまされないだろう。インド洋の給油活動に徹していれば、そんなことはしなくてもよかったはずなのだが・・・
 もし自衛隊の派遣となれば、いくらアフガンの地域住民のためになることをしたとしても、民主党の小沢幹事長がいかに天皇陛下をないがしろにし、中国に使節団を率いて朝貢しようとも、米国政府の傀儡(かいらい)と見なされ、イスラーム過激派勢力からは攻撃対象になることは間違いない。

 現在、アフガニスタンのみならず、隣接するパキスタンが国家崩壊の瀬戸際にあることを考えれば、テロは過ぎ去った恐怖ではない。最近勢いを取り戻しているタリバーンがアルカーイダのビンラディンと参謀のザワヒリをかくまっていることは常識である。

 いたずらに恐れたり、いわれなき差別はいけないが、用心することに越したことはない。

 あとは、この本の著者である松本氏のようなテロ対策実務に精通した知性派の警察官僚を信頼するしかないだろう。日本のイスラーム研究者の言説に引きずられない松本氏の態度には、安全確保の責任感を十二分に感じ取ることができる。

 なお、アルカーイダは従来のテロ組織とはまったく異なる。明確な指揮命令系統も存在しない組織である。著者は「ネットワーク組織論」を十分に咀嚼(そしゃく)した上で議論を展開している。

 「ネットワーク組織」のケーススタディとしても読むことも可能な本である。


<さらなる付記>

 こんなことを書いたらさっそく米国ミシガン州で25日、ナイジェリア人テロリストによる旅客機爆破未遂事件が発生している。FBIのリストに載っていながら、セキュリティチェックを通過して搭乗できたうえ、さらには機内に爆弾を持ち込んでいた(!)ということはいったい何なのだ?
 ナイジェリアは北部がムスリム地域、南部がキリスト教地域となっており、南北間の宗教対立が収まらない。容疑者は北部出身のようだ。
 日本からの米国便では搭乗時のチェックが大幅に強化されるということだが、何もテロは米国だけで発生するのではない。東南アジアでもロシアでも中国でも、もちろん日本でも起こりうることだ。
 一般人にとってテロに巻き込まれるのは不可抗力に近いが、テロに遭遇するという確率はゼロではない、ということはつねに心しておく必要があろう。(2009年12月26日記)


<そしてついに・・・>

 2011年5月2日、米国のオバマ大統領は、アルカーイダのオサマ・ビン・ラディンを殺害したと正式に発表した。
 海軍特殊部隊(Navy Seals)による突撃で、パキスタン国内にあるオサマ・ビン・ラディンのアジトを急襲、降伏勧告を無視したため銃撃戦のすえ射殺したとのことだ。また、遺体は奪取されることや、殉教地となることを怖れて土葬せず、イスラームの儀式にしたがって水葬したという。用意周到な作戦である。
 「オサマはその死によって、その名前と物語はバラク・オバマのそれと永久に関連づけられる」と、アルジャズィーラの番組の副題にあった。オサマとオバマ、不幸な巡り合わせである。
 間違いなく報復のための無差別テロの連鎖が続くことだろう。「ネットワーク型組織」のアルカーイダのことだから、上部の指示とは関係なく、テロリストが勝手に動き出す。
 「目には目を、歯には歯を」という一神教世界の「原理原則」は、日本人には受け入れがたいものがる。あらたな問題の発生につながることを懸念するばかりだ・・・
(2011年5月3日 記す)




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2009年12月23日水曜日

日本人が旧ソ連の宇宙飛行船「ソユーズ」で宇宙ステーションに行く時代




 ここのところ、TVのニュース番組では、ソユーズ、ソユーズと連呼している。宇宙飛行士の野口聡一さんが、今回は米国のスペースシャトルではなく、ロシアの宇宙飛行船「ソユーズ」(!)を使って、国際宇宙ステーションに向かったためだ。

 報道によれば、本日ソユーズは国際宇宙ステーションとのドッキング(・・なつかしい響きだ!スカイラブを思い出す)に成功し、野口さんは国際宇宙ステーションに移動したとのことである。サンタクロース姿の野口さんが地球にメッセージを送っていた。
 まずは目出度いことである。何よりも安全に飛行できたことは目出度いことだ。これから五ヶ月間の宇宙滞在、本人にとってはこのミッションは楽しいかもしれないが、関係者や地球上の家族を含め、ご苦労なことである。
 宇宙空間(・・この「宇宙空間」という漢字熟語はまったくのトートロジー(同語反復)だな、英語だと宇宙も、空間も space だ)での時間感覚は、いったいどのようなものなのだろうか。
 来年以降周航するという、英国のリチャード・ブランソン率いるバージン・グループによる宇宙旅行(Virgin Galactic)、日本人でも金持ちが搭乗するようだが、どのような感想を述べるのか、楽しみである。
 私が宇宙にいくことは、カネのない私には、まず無理だろうから。子供の頃は21世紀になったら自由に宇宙旅行にいけるようになる(!)なんていう未来予測があったのだが、大幅に遅れているなあ。

 日本人が「ソユーズ」という宇宙飛行船、実はロシア語では「サユース」という。サヴィエツカヤ・サユース、これはソ連という意味だが、そのサユースである。ロシア語では Союс、おそらくローマ字で Soyuz と音を転写したので、そのまま文字通りローマ字読みで「ソユーズ」となて今日に至るのだろう。ロシア語では語頭にくる o のは a と発音することが大半だ。

 今回、野口飛行士が「ソユーズ」で行く理由が、米国のスペースシャトルが来年退役という理由のほかに、「ソユーズ」がこの38年間無事故だから今回搭乗した、というのも驚きだ。
 なぜかといって、ほぼすべてが理科少年であった、われわれの小学生時代、「実はソユーズでひとが死んでるんだぜ!」というウワサが広がっていたからだ。ソ連時代のことゆえ情報開示はなく、真相は不明のままだった。現在では死亡事故の存在は明らかになっている。
 こういう不幸な事故から得た教訓で、以後38年間(!)「ソユーズ」は無事故だという。ロシアの底力を見せられる思いである。
 また、「ソユーズ」搭乗のため、野口さんはロシア語を特訓したというのもすごい。目的遂行のためには、人間はなんでもできるものなのだ!必要がなければロシア語をやる人間はあまりいないだろう。 
 しかし、あの風貌でロシア語をしゃべったら、打ち上げ基地バイコヌールのあるカザフスタンなら、キルギス人と間違われるだろう。モスクワにいたらブリヤート・モンゴル人と間違われるだろうなあ。


 「地球は青かった」という名言をのこしたガガーリン少佐
 「私はかもめ」(ヤー・チャイカ)というコトバを残した女性宇宙飛行士テレシコワ
 月面着陸に成功し、月の石を持ち帰ったアポロ計画と併走していたソ連の宇宙開発。
 高校生になってからは、米ソによる宇宙開発は実は軍拡競争だったのだと知ったが、小学生時代はそんなことはつゆ知らず興奮して少年たちは語り合っていたものだ。

 そんな時代の少年であった私は、出張で1998年極東ロシアのコムソモリスク=ナ=アムーレという、ソ連時代に開発された都市にいったとき、案内してくれたロシア人の説明で、ガガーリン少佐の巨大銅像があることを知り、実際に見てさわることができてうれしかった。
 写真はそのとき撮影したものである。日本風に銅像にまたがって写真を撮ってもらおうとしたら、ロシア人からはえらくたしなめられた。ソ連崩壊から何年もたっても、ガガーリン少佐はソ連の英雄だったためなのだろうか。それとも単なるマナー違反だったのか。
 コムソモリスクはコムソモール(共産主義青年団)からきたコトバだからだろうか、戦闘機スホーイの工場のあるその都市は、ソ連時代の生きた化石のような町であった。


 ひさびさに少年時代の夢と興奮を思い出させた、日本人・野口飛行士の「ソユーズ」による、国際宇宙ステーション行きであった。
 日本人が「ソユーズ」で何人も宇宙にゆくようになる時代、これは米国べったりの時代が続いてきたこの30年間、まったく想像することさえできないことであった。
              

2009年12月22日火曜日

Bloomberg BusinessWeek-知らないうちに BusinessWeek は Bloomberg の傘下に入っていた・・・

                                           
 Bloomberg BusinessWeekって・・・えっ、知らないうちに BusinessWeek は Bloomberg の傘下に入っていた。これは驚きだ。
 米国のメディア界では活字メディアの再編が大規模に進んでいるなあ。そういえば、Wall Street Journal も メディア王ルパート・マードック(Rupert Murdoch)がオーナーになっている。

 私は、米国でM.B.A.取得してからずっと BusinessWeek を読んできたが(ここ数年は The Economist しか読んでないが・・)、メルマガのサービスだけは利用している。紙媒体は読んでいないが、ウェブ版は時折みているのだが、ある日気がついたら、Bloomberg BusinessWeek となっていたわけなのだ。
 最初は、ん?と思ったがとくに気にとめずやり過ごしていたが、3週目だろうか、気になってネットで調べてみたら、やはり BusinessWeek誌は、Bloomberg に買収されていたのである。

 BusinessWeek のサイトにこういう記事が掲載されている。

Bloomberg Wins Bidding For BusinessWeek
Posted by: Tom Lowry on October 13

Bloomberg LP, the global financial data and news empire created by New York City Mayor Michael R. Bloomberg, is the winning bidder for BusinessWeek.(以下省略)
 
 興味があれば全文読んでみたらいいいと思う。
 Bloomberg LP の LP とは、Limited Partnership のこと。英米法において、2名以上の自然人または法人が営利を目的に共同して事業を営む事業体をいいい、日本法でいう匿名組合に近い。

 紙媒体(プリントメディア)はどこも厳しい状況にある。日本でも先日、愛読してきた「フォーサイト」が休刊宣言したばかりだ。
 ビジネス専門誌と金融情報専門通信社が合体すれば、同じくビジネス情報を扱っているので、間違いなくシナジー効果は大きいと考えられる。

 ブルームバーグ(Bloomberg)といえば、そのむかし金融機関系コンサル会社にいたとき、金融専門の通信社ブルームバーグの金融データをリアルタイムで見ることのできる専用モニターが入ったのを覚えているが、その頃はまだブルームバーグの日本進出が始まったばかりであった。
 現在ではブルームバーグ・ニュースは、ウェブでも情報配信しているのでご存じの方も多いだろう。
 創業社長のマイケル・ブルームバーグはニューヨーク市長になって一般社会での知名度も上がったいる。起業が大成功し、巨万の富を稼いだ結果である。

 ところで、ブルームバーグ(Bloomberg)というのは、アシュケナジームのユダヤ系なんだが、この名字は実に面白い。Bloom(または Blum あるいは Blumen) はドイツ語で花、Berg は同じくドイツ語で山、つまり二つ合わせて「花の山」ということになる。
 「花の山」ってなんか聞いたことあるよね。
 そう、「人のゆく 裏に道あり 花の山」。有名な相場の格言だ。
 人と同じことをやっていたのでは成功しないという意味。逆張りのすすめ、である。だから、ブルームバーグ(=花の山)というのは、まさに証券業界にうってつけの名前なわけなんだな。

 マイケル・ブルームバーグはユダヤ系の投資銀行ソロモン・ブラザーズでパートナー(共同経営者)まで上り詰めた人なんだが、ブルームバーグの自伝によれば、ある日突然クビをいいわたされるという屈辱を味わっている。
 その悔しさをバネに自分で起業し、大成功を収めたというサクセス・ストーリーなわけだ。
 『メディア界に旋風を起こす男-ブルームバーグ-』(マイケル・ブルームバーグ、荒木則之監訳、東洋経済新報社、1997)として、ブルームバーグ社の日本進出にあわせて、日本語版が出版されていた。現在は絶版のようだが。私もすでに処分してしまったので手元にはない。

 ユダヤ人の人名については、Kaganoff, Benzion C. A Dictionary of Jewish Names and Their History, Jason Aronson Inc., 1996 という本が面白くて役に立つ。
 ブルームバーグの両親はポーランド出身とのことだから、ドイツ語というよりもイディッシュ語なんだろう。イディッシュ語はドイツ語にヘブライ語などまぜたものだから、同じようなものと考えていいだろう。

 またまた話は変わるが、マンガ家・西原理恵子の『西原理恵子の太腕繁盛記-FXでガチンコ勝負!編-』(西原 理恵子、新潮社、2009)というマンガは、FXの成功&失敗をリアルタイムで描いたマンガだ。全編カラーでサイバラ節が炸裂しているが、FXとは「外国為替証拠金取引」のこと。FX は Foreign Exchange(外国為替、略して外為(がいため))のことで、リーマンショックの直前まで、素人が主婦も含めて大量に、海外通貨取引に手を染めていたわけだ。
 このマンガは、そのリアルタイムの体験記だが、終わりのほうでは「わけいっても わけいっても 青い山」という句を引用したマンガがでてくる。
 これはいわずもがな、山頭火だね。種田山頭火(たねだ・さんとうか)、放浪の俳人。FX会社の社長・青山ポンタ浩に引っかけているギャグだ。 
 青い山とは、「人間(じんかん)至る所青山(せいざん)あり」の青山。つまり墓場ということ。どこにでも骨を埋めることができる、という男の心構えである。 東京に青山墓地というのがあるが、その意味において、この青山墓地というのはトートロジー(同語反復)である。

 まあ、「青い山」より「花の山」のほうが、証券業界がらみなら、間違いなく儲かりそうだな。
 社長が青山、というのはサイバラの敗因の一つかも知れないな。これはもちろん冗談だが。青山さんすみません。

 コーヒーの銘柄なら、ブルー・マウンテン(=青い山)はたいへん美味いのだが・・(笑)

               

2009年12月21日月曜日

Google AdSense について (2) 広告掲載にあたってのフィルターの存在について


                   
 なぜかここのところ、左側のバーに広告 Ads by Google が掲載されないな、と不思議に感じていた。公共広告がコンテンツの下部に掲載されるのみである。

 2009年12月17日木曜日に投稿した「書評 『富の王国 ロスチャイルド』(池内 紀、東洋経済新報社、2008)」以来である。この日の投稿をクリックすると、左側のバーが空欄のままである。
 翌日(2009年12月18日金曜日)の投稿「『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介」。この日も同様に、左側のバーが空欄のままである。
 そして、12月17日以降、左側のバーが空欄のままとなっている。
 なぜだ?
 
 たいへん気になっていたので調べてみたところ、以下のような Q&A が発見された。
 題して「公共サービス広告が表示されるのはなぜですか。
 回答の一部を抜粋しておこう。
●ウェブサイトに関連性の低い広告や公共サービス広告が表示される場合は、さまざまな原因が考えられます。 一般的な理由には、次のようなものがあります。

●ページに関連性の高い広告の表示対象にならないデリケートなコンテンツが含まれている。
Google システムでは、フィルタを使用して、悪意ある、成人向け、または不適切な要素を含むページに広告を掲載しないようにしています。 サイトのコンテンツ自体はこれらのカテゴリに該当しない場合でも、ページ上のデリケートなテーマの表現により、サーバーでこのページに公共サービス広告を表示するようフラグ設定されることがあります。

 どうやら、12月17日と18日に掲載した投稿記事のタイトルにある、「ユダヤ」、「イスラエル」、「ロスチャイルド」といったタームが、Google の設定するフィルタリングに引っかかっているようだ。

 そこで、G-mail を使って自分あてにメールを送ってみた。無料で使用できる G-mail には、Google が添付する広告が自動的に掲載されることになっている。
 自分あてに送信したメールのタイトルと本文に、それぞれ「ユダヤ」、「イスラエル」、「ロスチャイルド」という単語のみを入れたメールを1通づつ用意し、合計3通のメールを自分あてに送信してみたところ、メールには広告が表示されない。
 予想通り、この3つの単語はフィルタリングに引っかかっているのだ。
 批判的なことを書いたわけではないのに、タイトルに入れた単語がフィルタリングに引っかかって、広告が掲載されないわけなのだ。

 過剰反応ではないか? 内容ではなく、単語にフィルターがかかっているというのは。
 これは、PC(political correctness)というヤツだろう。一種の「コトバ刈り」である。米国企業の Google ならやりかねない話であるが、日本人である私にはまったく解せない話である。
 内容をよく読んでもらえばわかるはずなのに、「ユダヤ」、「イスラエル」、「ロスチャイルド」は Google では PC の観点から容認されない、という事実。
 これだと、たとえばイスラエル旅行を推奨する記事を書いても広告がつかない、ということになるのだろうか。バッカじゃないの、と思うのは私が現在日本に住んでいて、日本語で書いているためだろうか。
 「ユダヤ」、「イスラエル」、「ロスチャイルド」がデリケートな話題であることは、もちろん私も重々承知している。だからこそ慎重な扱いをしているというのに・・・
 もちろん、Google以外の対応がどうなのか知らない。
 
 結論としては、2009年12月17日と18日の記事を削除しない限り、このブログ全体に対して広告がつかない、と考えてよさそうだ。これらの日以外の投稿にかんしては、個々の投稿記事には広告はつくが、ブログ全体にはつかない。
 広告収入をあてにしているわけではないので、私はすでに投稿した記事を削除するつもりはまったくない。

 なにか皆さんの参考になるのではないかと思って、あえてこの件で記事を書くこととした。
 Google が簡単に圧力に屈しやすい体質をもっていることは、中国政府との対応でも明らかになっていることである。これは周知の事実である。


<付記>
 レイアウト変更を行って、左側のバー上部にあった「広告 Ads by Google」を削除することとした。
 レイアウトがスッキリしたのではないかと思うが、いかがかな。(2009年12月22日)

              
 

2009年12月20日日曜日

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?


             
 司馬遼太郎の原作のNHK連続ドラマ「坂の上の雲」は、ドラマとしては実に面白い。視聴率がとれているのも十分に頷ける。
 前評判とおりかなりカネをかけて大がかりなセットで撮影しているし、伊予松山出身の秋山兄弟を演じる阿部寛と本木雅弘の演技も素晴らしい。NHKならでは、といえるだろうか。

 原作を読んだのはもう20年近く前だが、その頃はまだ「下り坂」は実感していなかった。坂を登り切ったあとが「下り坂」になることもまったく考えていなかった。若かったからだろう。まだ20歳代だった。
 そしてまた、当時はまだ「一億総中流社会」が半永久的に続くかのような幻想を国民の大半がもっていたからだろう。その頃が戦後日本社会のピークだったことにも気がつかずに。

 ブログでもすでに書いたとおり、「坂の上の雲」をつかもうとひたすら登ったら、そこが絶頂で、あとは下りあるのみ、これが日露戦争後の日本であった、と司馬遼太郎は暗示しているのだが・・・

 はっきりいって思うが、いまこの時点で「坂の上の雲」をドラマ化して放映するのは、時代錯誤もはなはだしいのではないか。アナクロニズムの極地ではないか。
 すでに「下り坂」にある日本にとって、明治という時代も、また来年の大河ドラマの主題である坂本龍馬も、これからの日本人にとってはモデルになりえないだろう。日露戦争の勝利を頂点に、その後の日本は大東亜戦争の敗北という奈落の底に落ちてゆくのに。

 「坂の上の雲」は、「ニッポンは小さな国であった」というナレーションが入るが、現在の日本は小さな国ではない。まもなく中国に追い抜かれる見込みだとはいえ、いまだGNP世界第2位の「大国」である。
 1980年代の日本人はすでに大国になっているのに小国意識のもちぬしだと、よく批判されていたものである。大国なのだから応分の負担をせよと。
 バブル時代、日本人は史上空前の好景気に狂乱し、大国意識に酔いしれて自分を見失った。
 そして「一億総中流社会」の幻想が崩壊したいま、また日本人は小国意識に戻ってしまっている。
 「下り坂」ではあるが、ボトムに落ちてしまったわけではない。いまだ「大国」である。方向性をいまだに見いだせていないだけである。

 おそらく、いまこの時点で「坂の上の雲」が視聴率がとれるのは、視聴者が目の前にある暗い現実をみたくない、夢をもう一度、という願望の現れなのだろうが、私はこういうドラマで一時的な満足感を得たとしても、今後の「下り坂」社会を生き抜く上では、あまり意味がないのではないかと思うのだ。
 
 明治時代は今後の日本と日本人のモデルとはなりえない
 明治時代は、日本史のなかでは、きわめて特殊な時代であったことに気がつかないといけない。


 こんな本があるので、書評を再録しておこう。


『下り坂社会を生きる』(島田裕巳/小幡 績、宝島社新書、2009)

もうすでに「下り坂」なんだよ、という「気づき」を与えてくれる本


 現在の日本は「下り坂」にある、という現状認識をめぐっての、経済に関心の深い宗教学者と宗教に関心の深い経済学者の対談。
 テーマは、「成長神話の終わり」から始まって、「政治家と官僚」、「経済学」、「大学」、「職業」、「お金」と多岐にわたって下り坂の現状について語り合い、「脱成長を生きる発想」でしめくくる。

 経済学者は「永遠の下り坂」にあるのだから、下り坂は大きく差がつくので「下り方」を身につけねばならない、と主張する。
 一方、宗教学者はそもそも「下り坂」と認識すること自体が幻想なのでないかともいう。
 短いスパンでものを見ているから、どうしても悪くなっていと思うのだろうが、長いスパンでものをみれば必ずしもそうではない、ということだ。
 お互いいっていることは同じである。

 いずれにせよ、日本はいきつくところまでいってしまって、モノがあふれかえっているわけだし、景気が悪くなれば日本人の消費に対する目はさらに厳しく鍛えられることになっていくわけだ。
 だからこそ、商品でもサービスでも質にかんしては日本はすでに世界最高になっているわけである。中国から大量に観光客がやってきては日本でメイド・イン・チャイナ(!)の製品を買っていくわけだし、世界中の人が日本に憧れるのは当然なのだ。
 そういわれてもあまりピンとこない人が多いのは、日本の内部にいて、毎日のように評論家やエコノミストが不安をあおっているのを耳にしているからなのだろう。評論家たちはみな「バブルの夢をもう一度」とおもっているのだろうが、発想の転換ができない「過去の人たち」なのだ。
 
 そもそもが「下り坂」なんだから、足をくじいて怪我したりしないように気をつけて、時間をかけてゆっくりと下っていけばいいじゃないの、というのが本書の結論だろうか。賛成である。
 もちろんそのためにはノウハウが必要だ。具体的なノウハウについてはあまり語られていないが、これについては今後いろんな人たちが語っていくだろうし、なによりも読者ひとりひとりが考えていくべきことだろう。

 もうそろろろ「下り坂」だという現実をみんなが認めるべきだろう。現実をキチンとみつめていけば、これからの生き方は自ずからでてくるはずだ。何よりもまず「心構え」をもつことが必要だろう。 

 そんな「気づき」を与えてくれる本である。


■bk1書評「もうすでに「下り坂」なんだよ、という「気づき」を与えてくれる本」投稿掲載(2009年12月17日)


<ブログ内関連記事>

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2)






    

2009年12月19日土曜日

「空気は読むものじゃない、吸うものだ」(笑)


      
 ネット上で名言(迷言?)を発見した。

 「空気は読むものじゃない、吸うものだ

 某理系男子の発言である。座布団三枚、に値するな(笑)。

 この国の閉塞感をもたらしている原因のひとつに「空気」の存在があることは、このブログでも『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)の書評などをつうじて何度も書いてきた。

 とくに若者たちが「空気」を読め、という見えない圧力のなかで萎縮している状況は、看過できないものがある。
 もちろん「空気」は読めた方がいいにきまっているが、とはいっても「空気」を読んでばかりしているのでは、生産的な議論はいつまでたってもできやしない。

 そんな状況でこの名言(迷言?)を口にしてみてはどうだろうか。

 「空気は読むものじゃない、吸うものだ

 出典は、日経ビジネスオンラインに掲載されている、「理系クンが書くマニュアルが読みづらい理由『私の夫は理系クン』鼎談・その1」である。

 もちろん、「空気は読むものじゃない、吸うものだ」といったとき、その場の「空気」がどうなるか、当方はいっさい関知しない。
 「空気」が一気になごむかもしれない。あるいは、「空気」が一気に冷え込むかもしれない。

 誰か試してみませんかね(笑)。

                

2009年12月18日金曜日

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介

                            
 イスラエルにかんする本は、1948年の建国以来、日本語でも無数に出版されているが、今年(2009年)出版された、パレスチナ問題の研究者・臼杵陽氏による『イスラエル』(岩波新書、2009)は新書版だが、最近の吹けば飛ぶような中身の薄い新書本にはない、長年の研究成果がふんだんに盛り込まれた、濃厚な舌触りのスープのような本である。
 その心は、エッセンスが詰まっている、ということだ。

 このブログにも記したが、先日アニメーション映画の『戦場でワルツを』をみてから、再びイスラエルへの関心が自分のなかに甦ってきた。
 再びというのは、20歳代のとき、私はユダヤ教徒でも、キリスト教徒でもないのにかかわらず、イスラエルに多大な関心を抱いて、日本イスラエル親善協会の会員になって「月刊イスラエル」なんて購読していたし(・・現在は会員ではない)、1992年には実際にイスラエルの地を踏んでいるからだ。
 エルサレムもテル・アヴィヴも、マサダ(・・古代ローマ時代エルサレム陥落後ユダヤ熱心党がこの要塞で玉砕)も、死海も、ガリラヤ湖も、サフェド(・・ユダヤ神秘主義カッバーラーの中心地)も、いまだに地雷の埋まっているゴラン高原も訪れ、社会主義に基づいた集団農場であるキブツには一泊もした。狭い国だから短時間で見て回れる。紅海のリゾート地エイラートにいってないのは残念だが。
 サッダーム・フセイン大統領時代、イラクがイスラエルにスカッド・ミサイルを打ち込み、あわや全面戦争かという危機状況がイスラエル側の自制によって沈静化してから、さほど時間のたっていない時期の訪問である。その後、その当時イスラエル国民全員に配布されたガスマスクを入手したが、日本では使用する機会がないのは幸いである。
 その後もスピルバーグ監督の『ミュンヘン』も見ているし(・・1972年のイスラエル選手団殺害事件はリアルタイムで知っており記憶のなかにある)、イスラエルの秘密諜報機関モサッドものは昔たくさん読んでいる。
 日本の新聞はそもそもエルサレムやテルアヴィヴに支局を置いてなかったので(・・日経新聞はカイロから取材しているのは論外)、私は中東情勢は英語情報でフォローしてきたが(・・もちろん英語情報は量は多いがバイアスがかかっている)、情報を追っているだけでは見えてこないものがある。
 やはりなんといっても、バックグラウンドとなる基本書籍を読まないと、情報の意味もきちんと把握することはできないものだ。

 しかしこの『イスラエル』は、200ページ強という短いページ数に詰め込んでいるので、キチンと読むには骨が折れるし、また読み飛ばしてしまうには惜しい内容の本になっている。より深く現代のイスラエルについて知るためには、この本の前提となる先行する二冊をも読んだ方がよいと思うので、一緒に紹介することとした次第である。
 もちろん著者の臼杵陽氏はもともと、イスラーム研究者の板垣雄三・東大名誉教授の弟子であり、パレスチナ研究からイスラエル研究に入った人であるので、当然のことながら、ある種のバイアスは存在するだろう。しかしこのバックグラウンドゆえに見えてくるものも多い。その最たるものがイスラエルにおける"ミズラヒーム"の存在である。
 ミズラヒームとは、中東イスラーム世界出身のユダヤ人のこと。
 いまオフラ・ハザ(Ofra Haza)の曲をCDでかけながらこれを書いているが、80年代のワールド・ミュージックブームのなか世界的にヒットしたイスラエルの歌姫オフラ・ハザもイエメン系ユダヤ人、すなわちミズラヒームであった。
 イスラエルのミュージック・シーンにはミズラヒームが多いことを前振りにして、さっそく本の紹介に入ってゆきたいと思う。


現代イスラエルを解読するための"三部作"

①『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)
②『原理主義』(臼杵 陽、岩波書店、1999)
③『見えざるユダヤ人-イスラエルの<東洋>-』(臼杵 陽、平凡社選書、1998)



①『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)

 ■ミズラヒーム(=中東イスラーム世界出身のユダヤ人)という視点からみたイスラエル現代史

 政治史を中心に新書版一冊にまとめた、1948年の建国以前から建国60年を過ぎた現在にいたるイスラエル現代史。

 イスラエルにかんする本は無数に出版されているが、本書における著者の最大の功績は、イスラエル社会の現在の実態に即し、従来から日本でも知られている枠組みである、アシュケナジーム(=中東欧系ユダヤ人)スファルディーム(=1492年のスペイン追放後、地中海沿岸地方と欧州各地に離散したユダヤ人)の違いよりも、アシュケナジームとミズラヒーム(=中東イスラーム世界出身のユダヤ人)の違いという視点からイスラエルを考察していることであろう。
 ミズラヒームは、モロッコ、イラク、トルコ、イエメンなどから、イスラエル建国後移民してきたユダヤ教徒である。彼らは、シオニズムという世俗国家の理念とも西欧流のライフスタイルとも関係なく、現在にいたるまでイスラエル社会の下層としての生活を余儀なくされてきた存在だ。

 本書は、一言でいってしまえば、ミズラヒームとパレスチナ人を含めたアラブ系イスラエル人という視点からみたイスラエル史である。
 イスラエル現代史とは、主流派であったアシュケナジーム中心の世俗国家から、多文化社会への変容によって、きわめて宗教色の濃い国家に変貌させてきた歴史である。
 これは、『見えざるユダヤ人』(平凡社、1998)で、ミズラヒームの存在を日本語でははじめて読める形として読者に提示した著者ならではの特色である。移民国家で、多文化社会であるイスラエルは、どのカテゴリーに焦点をあてるかで、まったく異なる像が描かれることになるからだ。

 イスラエル建国の中心となった、アシュケナジーム系のシオニストが主流派であった労働党が凋落し、ミズラヒームに加え、エチオピアやソ連崩壊後のロシア系移民も含めた出身地と、宗教的姿勢から複雑にカテゴライズされている現在のイスラエル社会は、著者がいうように、多文化主義性格をもつがゆえに、その反動として逆説的にナショナリズム的な行動をとらざるをえない傾向が強まっている。そうでないと国民がバラバラになってしまうという懸念につきまとわれているためだ。

 イスラエルという国家のアイデンティティはいったい何なのか。周囲を外敵に囲まれているという意識から、安全保障以外に国民の共通利害がないのか。
 また、還暦をすぎたイスラエルという国家は、今後どういう方向に進もうとしているのか。
 多様性と、ユダヤ性強化というナショナリズムとのあいだに存在するジレンマに引き裂かれる状況、これはイスラエルだけでなく、中国も含め、戦後独立した新国家にみな共通する難題であろう。

 本書は、一冊の新書本に情報を詰め込んでいるので、ちょっと読みにくいのは否定できないが、じっくり腰をすえて読めば、必ずや得るところは大きいはずだ。読む価値のある労作である。


<目次>
 第1章 統合と分裂のイスラエル社会
 第2章 シオニズムの遺産
 第3章 ユダヤ国家の誕生
 第4章 建国の光と影
 第5章 占領と変容
 第6章 和平への道
 第7章 テロと和平のはざまで
 終章 イスラエルはどこに向かうのか


 ■bk1書評「ミズラヒーム(=中東イスラーム世界出身のユダヤ人)という視点からみたイスラエル現代史」投稿掲載(2009年12月6日)



②『原理主義』(臼杵 陽、岩波書店、1999)
 
『イスラエル』(臼杵陽、岩波新書、2009)を読んで消化不良を感じた人、あるいはまた物足りないと感じた人はぜひ

「原理主義」(ファンダメンタリズム)という、ある種のレッテル貼りによって、実態を直視しないで思考の外に追い出してしまおうという態度は、日本だけでなく世界的に存在するようだ。

 本書が出版された1999年当時は、「原理主義」といえば、「イスラム原理主義」のことを指していた。その後2001年に発生した「9-11テロ」でこの見方がさらに進行したようにみえたが、最近ではより理性的な議論がされるようになってきてはいる。
 一般社会でも、「イスラム原理主義」よりも、「イスラーム過激派」、「イスラーム主義」ないしは「イスラーム政治運動」などが使用されるようになっている。

 1999年に出版された本書は、当然のことながら「9-11」以降の状況については触れていないが、1980年代以降、世界的に顕著になってきた、宗教に軸をおいた過激な政治運動をどう「名づけ」るかという、やや込み入った議論を第1章「原理主義とは何か」で行っている。
 その上で、第2章では具体的なケーススタディとして、イスラエル国内の「ユダヤ教原理主義」を取り上げ、徹底的な分析を行っている。とくにこの第2章が実に興味深い。

 著者の再近著である『イスラエル』(岩波新書、2009)では、世俗国家理念であるシオニズムの国家像に対して、エスニシティや宗教的姿勢にアイデンティティを置く国家像が全面にでてきたことが記述されている。
 この新書版で簡単に触れられている「ユダヤ教原理主義」の詳しい中身や、アメリカのエヴァンジェリカル(=キリスト教原理主義)に存在する「キリスト教シオニズム」との同床異夢の共犯関係が、本書『原理主義』第2章では詳述されている。
 「ユダヤ教原理主義」の潮流がイスラエルという国をどう変化させてきたのか、宗教思想的な観点から知ることができるのは、大きな収穫であるといえる。そしてまた、アメリカがなぜイスラエルに過剰な肩入れをしているのか、その根本的な理由も知ることができる。
 『イスラエル』を読んで消化不良を感じた人、あるいはまた物足りないと感じた人はぜひ、同じ著者による『見えざるユダヤ人』(平凡社、1998)だけでなく、本書『原理主義』とあわせて読むことをすすめたい。急がば回れ、である。

 本書を読むことで、イスラーム、キリスト教、ユダヤ教の原理主義運動の、一筋縄ではいかない、複雑で危険な三角関係についても知ることができる。これを知ることは、冷戦崩壊後の世界について考える上で、もはや不可欠の常識となっていいのではないだろうか。

 「原理主義」の思考パターンについて、イスラームでもキリスト教でもない、ユダヤ教の「原理主義」について知ることができる本書は、手軽だが内容の濃い一冊であるといえよう。

<目次>
 Ⅰ 原理主義とは何か
  第1章 現代日本の原理主義
  第2章 論争のなかの原理主義
  第3章 方法としての原理主義
 Ⅱ ユダヤ原理主義を考える
  第1章 ナショナリズムと原理主義のあいだ
  第2章 ユダヤ原理主義と暴力
  第3章 原理主義のゆくえ
 Ⅲ 基本文献案内

  
 ■bk1書評「『イスラエル』(臼杵陽、岩波新書、2009)を読んで消化不良を感じた人、あるいはまた物足りないと感じた人はぜひ」投稿掲載(2009年12月8日)



③『見えざるユダヤ人-イスラエルの<東洋>-』(平凡社選書、1998)

 中東イスラーム世界出身のユダヤ人であるミズラヒームの存在について、日本語でよめる書籍としてはじめて焦点をあてた先駆的かつ貴重な本である。
 1998年に出版されてすぐに読んだので書評は書いていない。目次を紹介することでそれに替えたいと思う。


プロローグ イスラエルのなかのオリエント
第一部 ミズラヒームとは誰か
 第1章 イスラエルのエスニック文化-モロッコ系ユダヤ人の祭の復活
 第2章 見えざるユダヤ人-ミズラヒームとは誰か
 第3章 ミズラヒームと「文明化の使命」-離散と救済のはざま
 第4章 知られざるユダヤ人-イエメン系ユダヤ人のパレスチナ移民
 第5章 共存の終焉、対立の始まり-ミズラヒームとアラブ・イスラエル
第二部 エスニック・イスラエル?
 第6章 バイリンガル・ハイファ?-ヘブライ語 and/or アラビア語世界
 第7章 マイノリティと国家-民族国家 vs. 民主国家
 第8章 越境する知識人とオリエンタル的植民地-エドワード・サイードとエルサレムとエルサレム・カイロ
 第9章 記憶のなかのオリエント-<地中海>的メトロポリスへの回帰
プロローグ 「オリエント」からの銃弾-ラビン暗殺の衝撃


 『見えざるユダヤ人-イスラエルの<東洋>-』(平凡社選書、1998)は残念ながら現在は品切れ。図書館で借りるか、古本なら入手可能。


 さて以上で"三部作"の紹介を終えるが、現代イスラエルの状況をアシュケナジームとミズラヒームとの違いから図式的に整理すると、以下のようになるだろうか。

●労働シオニズム(あるいは社会主義シオニズム):近代的、西洋的、産業資本的、農村的、世俗的    
●修正主義シオニズム:いわゆる右派のリクード、である。現在の首相はビンヤミン・ネタニヤフ
●ミズラヒーム:地中海性(=レヴァント性):前近代的、地中海的、商業資本的(流通資本)、都市的、宗教的

 ミズラヒームは、モロッコやイラク、トルコ、イラン、イエメンからは主にイスラエルへ移住している。
 ただし、フランスの植民地であったアルジェリア出身のユダヤ人は、植民地の宗主国であったフランスに多く移住し、西欧人として活躍しているケースも多い。
 たとえば、経済学者で思想家、ミッテラン大統領の顧問、欧州復興銀行の初代総裁も歴任したマルチ・タレントの異才ジャック・アタリ、哲学者のジャック・デリダなどが著名である。いずれもフランスによる植民地化以前からのアルジェリア在住のユダヤ人ファミリー出身である。
 インターネット上にアップされている下記の論文はたいへん興味深い内容なので、興味があれば参照するといいだろう。

 ●臼杵陽 「スファラディーム・ミズラヒーム研究の最近の動向 -雑誌『ペアミーム』を中心にして-」の要旨は閲覧可能。
 ●田所光男「北アフリカからのユダヤ人- 思想家、歌手、お笑い芸人-」も興味深い。


 なお、ネット書店のbk1で週に一回更新の「書評の鉄人」コーナーで、私が書いた書評が以下のように紹介されていたので紹介しておこう(2009年12月11日更新)。12月18日現在すでに最新版が更新されて、ネットからは消去されているようなので、写真画像を添付しておく。

書評の鉄人

“サトケン”さんの書評をご紹介します

「多様性と、ユダヤ性強化というナショナリズムとのあいだに存在するジレンマに引き裂かれる状況、これはイスラエルだけでなく、中国も含め、戦後独立した新国家にみな共通する難題であろう」(『イスラエル』の書評)

「本書を読むことで、イスラーム、キリスト教、ユダヤ教の原理主義運動の、一筋縄ではいかない、複雑で危険な三角関係についても知ることができる。これを知ることは、冷戦崩壊後の世界について考える上で、もはや不可欠の常識となっていいのではないだろうか」(『原理主義』の書評)

2本ともこの上なく刺激的。国際情勢について想いをめぐらす際、これからもずっと参考にしたい本であり書評です。事象の根底にあるものを考えさせられます。

(オススメ:人文書担当者)


 本なんていうものはどう読もうと読者の勝手ではあるが、「ミズラヒーム」と「ユダヤ教原理主義」というキー・タームをアタマのなかにいれておくと、世界情勢の見方に厚みが増すことは間違いない。

 イスラエルのポピュラー音楽については、次回以降紹介する予定。





         
        

    

2009年12月17日木曜日

書評 『富の王国 ロスチャイルド』(池内 紀、東洋経済新報社、2008)




エッセイストでドイツ文学者、池内 紀(いけうち・おさむ)による『物語 ロスチャイルド家の歴史』

 ロスチャイルド家をテーマにした本は、日本ではトンデモ本も含めて多数出版されているが、その中では比較的まともな内容のものといえるだろう。
 文体も、池内紀らしく平易でしかも含蓄に富むものだし、なんといっても、カフカなどユダヤ系のドイツ語作家の作品を中心に日本語訳してきた実績と知識の蓄積が背景にある。
さすが、『池内紀の仕事場 2 <ユダヤ人>という存在』(みすず書房、2005)にまとめられたような文章を書いてきた人である。十数年あたためてきたテーマというのも頷ける話だ。

 小国分立していた統一以前の18世紀後半のドイツで、ヘッセン王国の首都フランクフルトの両替商から出発したファミリーが、7代目の現在に至るまで絶えることなく富を形成、蓄積し、繁栄し続けていう事実。
 「創業は易し、守成は難し」とはよくいわれるが、同時代の宮廷ユダヤ人"ユダヤ人ジュス"が、ヴュルテンべルク大公の死後後ろ盾を失い、財産没収され処刑もされた事実を考えると、創業時の基礎作りがきわめて巧みであったことがわかる。創業者が5人の息子たちをヨーロッパ各地の主要都市に配置して、ビジネスチャンス拡大とともにリスク分散を図ったのはきわめて賢明であっといえよう。
 もちろんこの背景には、激動する19世紀ヨーロッパの市民社会でユダヤ人がゲットーから"解放"され、ビジネスが「情報」を中心に動くようになったという状況も大いに働いている。
 このような時代背景のなか、創業者のきめた基本原則に忠実に従って「守成」を行い、しかしながら時代の荒波を乗り越える際には大胆な「攻め」もいとわない姿勢には、「変わらないためには、変わらなければならない」という、ヴィスコンティ監督の名作『山猫』のセリフも思い出される。
 
 これだけだと、ありきたりのロスチャイルドもので終わってしまうが、この本が類書と違うのは、「富の形成」と「富の蓄積」だけでなく、「富の使い方」に多くのページを割いていることだ。
 ユダヤ人の伝統に従い、フィランソロピー(=慈善行為)にカネを惜しまない姿勢が、結果として、民族としては少数派であるユダヤ人である一族の繁栄を守ってきたことにもつながったことは重要だろう。もちろん事業経営上のパブリシティ目的もあるが、陰徳に徹した慈善行為も非常に多い。20世紀の激動を乗り切って、なお目立たず繁栄を続ける一族の秘密の一端がここにありそうだ。
 本当はすごいけど目立たないように生きる、という生き方。なんだか著者が、『二列目の人生-隠れた異才たち-』(集英社文庫、2008)で取り上げた日本人たちにも似ていなくもない。
 もちろんロスチャイルドの場合は、資産規模はケタ違いではあるが・・・・

 "愛と革命の詩人"ハイネとパリ・ロスチャイルド家とのかかわり、イスラエル(パレスチナ)へユダヤ人農民の入植支援とワイン作りへの貢献、ボルドーワインの「シャトー・ムートン・ロチルド」や「シャトー・
ラフィット・ロチルド」から、カリフォリニア・ワインのロバート・モンダヴィとの合弁の成果である「オーパス・ワン」の話まで、ビジネス書では登場しにくいエピソードもふんだんにちりばめられている。
  
 池内 紀による「物語 ロスチャイルド家の歴史」と読むのも良し、あるいはビジネスパーソンのための教養本として読むも良し。
 マンガ家・しりあがり寿による表紙イラストが、かわいらしい。


■bk1書評「エッセイストでドイツ文学者、池内 紀(いけうち・おさむ)による『物語 ロスチャイルド家の歴史』』投稿掲載(2009年12月16日) 
■amazon書評「エッセイストでドイツ文学者、池内 紀(いけうち・おさむ)による『物語 ロスチャイルド家の歴史』』投稿掲載(2009年12月16日) 


<書評への付記 (1)>

 『エッセイストでドイツ文学者、池内 紀(いけうち・おさむ)による『物語 ロスチャイルド家の歴史』というタイトルにしたのは、池内紀のエッセイを読んだことがある人なら、中身もおおよそ予想できるだろうという含みである。

 書評でも一言触れているが、日本ではあまりにもロスチャイルド関連の"トンデモ本"が多すぎる。一言でいえば、陰謀史観に基づいた、世界を支配する金融帝国、といった類の本である。
 世界を支配するのはロスチャイルドかロックフェラーか、このようなモチーフによる陰謀史観は、もちろん日本だけでなく、ナチス・ドイツの反ユダヤ宣伝以来のものであるが、日本語で流布している話は大半が英語圏で流通している話の焼き直しに過ぎない。
 広瀬隆の『赤い楯 上下-ロスチャイルドの謎-』(集英社、1991 現在は文庫版で4冊 1996)は系図をもとにしたロスチャイルド一族の金融支配をテーマにした大冊で、出版当時はベストセラーになったと記憶している。もちろん私も全ページ読破している。
 しかし、ロスチャイルドのドイツ語読みロート・シルトRot Schild)は、広瀬隆がいうような「赤い楯」ではなく、池内紀が正しく訳しているように、「赤い看板」あるいは「赤い標識」という意味である。
 ドイツ語の Schild には楯(英語だと Shield)という意味もあるが、当時の金貸し業者が掲げることを命じられていた「赤い看板」をさしていると考えるのが歴史的にみても穏当だろう。
 広瀬隆のライフワークである系図をもとにした陰謀史観は読めば面白いのだが、それをもってロスチャイルド一族が一糸乱れず歩調をあわせて支配力を行使していると考えるのは、少し妄想が過ぎるのではないかと思うのは私だけではないはずだ。
 株式の所有構造(Owenership Structure)ですべてを説明するのは、やや無理があるといわざるをえないし、何か究極的な最終的意志決定者である支配者を想定するのも無理があるのではないか。

 書評を補足する意味で、ロスチャイルド家誕生の背景について少し書いておく。
 ロスチャイルド(ドイツ語ではロートシルト、フランス語読みではロチルド)家の実質上の出発点は、フランクフルトの両替商で金貸しのマイヤー・アムシェル・ロートシルト(Mayer Amschel Rothschild)である。1744年に生まれ、1812年に68歳で没したから、当時としてもかなり長命だったといえよう。
 フランクフルトでユダヤ人がゲットー(・・正確にいうとユダヤ人居住区)から解放され、居住地選択の自由が認められたのは1796年、フランス革命後のフランス国民軍によってフランクフルトが武力占領され、ゲットーが破壊された結果である。フランス革命精神である「自由・平等・兄弟愛」に基づくものというよりも、ユダヤ人に課税するのが目的だったようだ。金融業でためこんだカネを目当てにしたわけである。
 フランス革命当時のドイツは、ゲーテの時代であり、ベートーヴェンの時代であり、ヘーゲルの時代でもあったわけだが、ドイツは1872年にプロイセン王国によってドイツ帝国として統一されるまで、神聖ローマ帝国が分裂してできた小国が分立していたのである。フランクフルト出身のゲーテはワイマール公国の宰相であり、そのフランクフルトはヘッセン王国の首都であった。
 小国が分立していた当時のドイツには統一通貨がなく、両替商が儲かっていたわけだ。両替商が金貸しになり、さらには財務アドバイザー、そして近代的なマーチャント・バンクへと進化を遂げていくことになる。
 ほぼ同じ時代にヴュルテンベルク公国(・・南ドイツのバイエルン王国の隣国)で辣腕をふるったのが、いわゆる"ユダヤ人ジュス"(Jud Süß)である。本名は、ヨーゼフ・ジュース・オッペンハイマー(1698–1738)で、正確にはマイヤー・アムシェル・ロートシルトが生まれる前の人物だが、ヴュルテンべルク大公の絶大な信頼を得た、現代風にいえば政商で、大公の死後後ろ盾を失い、財産没収され処刑もされている。ユダヤ人に対する反感がまだまだ強かったわけである。こういう時代層があったことを知っておく必要がある。マイヤー・アムシェルは間違いなく他山の石としたはずである。
 "ユダヤ人ジュス"については、池内紀の『池内紀の仕事場 2 <ユダヤ人>という存在』(みすず書房、2005)に収録された「大公の私設顧問」で触れられている。なお、この人物を主人公にした、ナチスの「反ユダヤ主義」宣伝映画『ユダヤ人ジュス』(1940年ドイツ) は、10分割にて YouTube にアップされている(・・音声はドイツ語字幕なし)。ナチスの宣伝映画の1つとして参考になろう。

 ロスチャイルド家が、ナポレオン戦争を契機に一気に一族の事業を軌道に乗せたことはよく知られているので省略する。本書を読んでもらうのが急がば回れである。
 池内紀が本書の冒頭でふれている、フランクフルトの「ユダヤ博物館」は、もともと五代目で断絶したフランクフルト・ロスチャイルド家の邸宅を改造してミュージアムにしたものらしい。
 私も一度訪れたことがあるが、とくにヨーロッパのユダヤ人の歴史をしるためには実にすぐれたミュージアムであることを記しておく。フランクフルト駅前のいかがわしい喧噪を離れ、また大陸欧州の金融中心都市フランクフルトのビルディング街を離れたマイン川沿いにある美しい建築物である。


<書評への付記 (2)-ワインの話->

 さて、ロスチャイルドといえばいまでは何といってもボルドー・ワインで著名である。ボルドー・ワインについては、このブログで『ボルドー・バブル崩壊-高騰する「液体資産」の行方-』 (山本明彦、講談社+α新書、2009)の書評を掲載しているので、ご興味があれば参照していただきたい。
 もっとも、私自身はムートンラフィットなんか飲める身分ではないが、カリフォルニアのロバート・モンダヴィ(Robert Mondavi)とロスチャイルドの合弁である「オーパス・ワン」(Opus One)なら、ごくたまにだが飲めないこともない。カリフォリニア・ワインとは思えぬコクの深さ。値段は2万円台だが、間違いなく価格以上の価値のある、素晴らしい赤ワインである。

 ロスチャイルド家の実態は、外部の人間には正直いってよくわからないが、名前のもつブランド力に関しては実体以上の価値があるといっても間違いではないだろう。
 趣味で始めたワイナリー経営が、地道に腰を据えて取り組んだ結果、マーケティング戦略の巧みさとあいまって高級ワインとしての位置を揺るぐことなく維持し続けている、という事実。
 名前のもつチカラが、実体の裏付けをあわせもつからこそ、ワインの世界でも君臨しているわけだ。

 いずれにせよ7世代にわたって一族の繁栄が続いているという事実は、特筆に値するといわざるをえない。


                     

2009年12月16日水曜日

月刊「フォーサイト」休刊・・フォーサイトよ、お前もか?




 新潮社から発行されている月刊情報誌「フォーサイト」(Foresight)が休刊、という知らせが購読者である私あてにメールで送信されてきた。
 「フォーサイト」よ、お前もか!?・・(絶句)

 雑誌の世界では「休刊」というと、実質的には「廃刊」とほぼ同義語である。雑誌のための編集チームは解散し、再建するには「創刊」と同等のカネとエネルギーを要するからだ。
 メールで送信されてきたお知らせを転載しておこう。

「フォーサイト」休刊のお知らせ

 「フォーサイト」を創刊したのは、ベルリンの壁が崩壊し、米ソの首脳会談で「冷戦の終結」が宣言されて間もない1990年3月のことでした。国内的にはバブル経済が崩壊しようとしていた時期にあたります。以来、二十年間、冷戦後の国際情勢と日本の政治経済の最先端の動きを伝えるクオリティ誌として、政界、官界、経済界を中心に高い評価を得てきました。
 しかしこのたび、創刊二十年を一つの区切りとして、2010年3月20日発売の4月号をもって、休刊をすることになりました。その理由としては、(1)厳しい出版状況に直面する中で、全社的な事業の再編、特に雑誌部門の見直しが避けられなくなったこと、(2)二十年間の健闘はあったものの、今後の収支改善の見通しが立たないこと、(3)インターネットの普及で、国際政治経済情報を扱う月刊誌の役割が大きく変化したこと――の三点があります。
 長年にわたって「フォーサイト」にご協力いただいた寄稿者をはじめとする関係者の方々、そして、なによりもこの定期購読誌を支えていただいた読者の方々に、この場を借りて、心よりの感謝を申し上げたいと存じます。
「フォーサイト」の刊行を通じて培われた経験は、小社の今後の出版活動に生かしていく所存です。

2009年12月 新潮社


 「フォーサイト」を購読するようになってから何年たつだろうか。少なくとも10年以上は購読してきたように思う。一度だけだが「読者の声」に採用されて薄謝をいただいたこともあった。
 同様のコンセプトをもつ「選択」と並んで、日本語で読める、読みでのある、価値ある国際情報誌として愛読してきたのだが、やはり紙媒体の硬派な雑誌には限界があるのだろうか。

 「フォーサイト」に掲載される論文は一部を除いてすべて記名原稿である。これは「選択」が英国の The Economist と同様に無記名原稿を貫いているのとは好対照であった。
 記名原稿の筆者は発表媒体としての「フォーサイト」が休刊になっても、執筆者自らの名前がもつブランド力で執筆活動を行う事は可能だろう。
 一方、無記名原稿である「選択」の場合は、雑誌じたいが培ってきた信用力というブランドがあり、執筆者は情報ソースも明かす必要がないので、安心してかなりきわどい話も書くことができる。これは雑誌がなくなると同時に、濃い内容の原稿が書けなくなることを意味する。
 「選択」は、数十年以上にわたる定期購読者という固定客をがっちり押さえた上で、ビジネス街の書店では店売りもしている。ほとんど広告掲載なしでも雑誌の事業採算が取れていることは、訴訟を多数抱えながらも最後まで採算が取れていた「噂の眞相」に匹敵すると行ってよいだろう。雑誌じたいのブランド力には揺るぎない(?)ものがある。

 おそらく「フォーサイト」休刊は、媒体の性格というよりも、「媒体のもつブランド力」と「執筆者個人のもつブランド力」のせめぎ合いのなか、ウェブも含めた媒体のなかで、この雑誌が単なる一媒体となってしまったことに原因があるのかもしれない。
 とはいえ、The Economist も紙媒体は残しながら、主力はウェブに移行している。購読者にならないと、読めない記事も多い。
 また日本でもジャーナリスト田中宇(たなか・さかい)氏による「田中宇の国際ニュース解説」のように、無料配信ニュースと有料版を組み合わせている試みもある。
 「フォーサイト」も、おそらくこういうモデルも検討したはずであろうが、チカラ及ばずだったのだろうか。執筆者個人が発信する情報のチカラが、インターネット時代は想像以上に増しているのかもしれない。
 私も自分のブランド力をいかに構築するか、これが大きな課題だな・・・

 しかし、「フォーサイト」休刊は、まことにもって残念なニュースであった。2010年4月の「休刊」まで残すところあと4冊である。

         

2009年12月15日火曜日

書評 『マイ・ビジネス・ノート』(今北純一、文春文庫、2009)




組織ではなく個人を出発点にして、楽しんでビジネスに取り組もう、という熱い呼びかけの本

 本書はビジネス書だが、いわゆるノウハウ本ではない。ビジネス書というよりも、働くことの意味をもう一回根本的に考え直してみよう、そのためには組織ではなく個人を出発点にして、楽しんでビジネスに取り組もう、という熱い呼びかけの本である。

 著者の今北純一氏はパリ在住の国際ビジネスマン、日米欧でずっとチャレンジを続けてきた人だ。
 『欧米対決社会のビジネス』(新潮社、1988)以来、国際ビジネスの場で組織に頼らない生き方を追求し、孤軍奮闘する今北氏の本はずっと愛読してきた。とくに『欧米対決社会のビジネス』は何度も繰り返し熟読し、ときには叱咤され、またときには大いに励まされてきた。今北氏には直接お会いしたことはないが、なんだか人生の先達、人生の師のような存在と思ってきた。
 文庫版の解説を執筆している梅田望夫氏も同じ思いを共有しており、本書を実にうまく紹介しているのでぜひご一読されたい。

 著者は、ミッションビジョン、そしてパッションの重要性を説いている。
 ビジネス・パーソンが組織でなく、個人を出発点にするときパッション(=情熱)は重要だ。ミッションで何を目指すかを明確にし、ビジョンで具体的なあるべき到達点への道筋を明らかにし、パッションをもってそれに取り組む。これは今北氏が一貫して追求してきた生き方そのものだ。だから説得力はきわめて強い。個人なくして組織はないのである。
 著者が本書のなかで主張する、無形資産の国際化、カスタマー中心への思考転換、資本の意味を根本的に考えてみること・・・これらはみなこれからの時代に必要なテーマだが、特に目新しく見えないかもしれない。しかし、すべて個人を出発点としてこれらの課題に取り組めば、必ずこれからの時代の突破口になることは間違いない。

 著者は意外なことに、"沖仲仕(おきなかし)の哲学者"として知られた米国の哲学者エリック・ホッファーを紹介している。「個人としての軸」がぶれない生き方を送った実例として取り上げているのだ。ホッファーは、自分が本当にやりたいことだけやって、お金持ちにはならなかったが実に幸せな人生を送った人である。
 ホッファーのように、また著者が本書で紹介する靴磨きのおじさんのように、鮨屋のおやじのように、個人として楽しんでビジネスに取り組みたいものだ。著者の呼びかけは、読者をそういう気持ちにさせてくれる。

 本書はビジネス書であるが、ビジネス・パーソンの生き方の本に分類すべき内容である。
 いまのような時代、方向性に迷う現役のビジネス・パーソンにはぜひ読んで欲しい本だ。間違いなく、借り物でない、本当の意味の元気がでてくるはずだ。


■bk1書評「組織ではなく個人を出発点にして、楽しんでビジネスに取り組もう、という熱い呼びかけの本」投稿掲載(2009年11月17日)


<書評への付記>


 『欧米対決社会のビジネス』(新潮社、1988)は、何度も繰り返し読んだ、かつての愛読書である。
 この本のあとにでた『国際マヴェリックへの道』(ちくまライブラリー、1990)は、今北氏が学んだ恩師である、東大工学部の西村肇研究室出身者が、それぞれの道で道を切り開きつつある姿を熱く語り合った本で、これも同じく何度も繰り返して読んだ愛読書である。その後、絶版になったままなのは残念なことだが。
 マヴェリックmaverick)とは今北氏が愛用していたコトバで、一人で生きていける人間のことを指す。一匹狼(lone wolf)ではない。協調性もないわけではないが、群れとはスタンスを保ちつつ自ら選んだ道を歩く人間。
 何を隠そう、今北氏の本を読んで以来、私もこういう存在に憧れてきた。

 それ以来20年、久々に今北氏の本を読んで熱くなる思いをする。
 20年前の著書には、これから世界相手にチャレンジしていく、といったいい意味での気負いが感じられて、読者もその熱い思いに巻き込まれたものだが、20年後の本では、現役でまだ走り続けるトップランナーが、先達として後輩たちに熱いエールを送りつつ、自分もまだまだ走り続けるぞ、と宣言しているような内容の本になっていた。
 書評でも触れたが、『ウェブ進化論-本当の大変化はこれから始まる-』(ちくま新書、2006)の著者・梅田望夫(うめだ・もちお)氏も同じ思いを抱いているのだろう。

 単行本のタイトルは『ビジネス脳はどうつくるか』(文藝春秋社、2006)だそうだ。
 これだと何かエセ脳科学本のような響きがないわけでもない。私が単行本を手に取らなかったのはそのためだろう。出版されていたという記憶もないのだ。

 書評でも触れたが、今北氏が本書のなかでエリック・ホッファーに言及しているのは、正直いって驚いた。「個人としての軸」がぶれない生き方、という捉え方も新鮮であった。いわれてみればたしかにそうである。
 最前線にいる国際ビジネスマンがホッファーを引き合いに出す、また楽しからずや、である。ホッファーについては私もこのブログで紹介しているので、ぜひ参照されたい。

 文庫本表紙に印刷されている Carpe Diem(カルペ・ディエム)というラテン語の金言は、英語では Seize the Day と表現される、ローマの詩人ホラティウスの詩句の一節である。
 『この日をつかめ』という日本語タイトルで翻訳されたアメリカ文学もある。『今を生きる』という日本語タイトルで公開されたハリウッド映画もある。前者はソール・ベローの作品、後者はロビン・ウィリアムズ主演のプレップ・スクールものである。
 よく引用される慣用句なので覚えておくとよい。

 資本主義の行方がどうなろうと、ビジネスがなくなるわけではないし、もちろん仕事がなくなるわけではない。
 「個人としての軸」がぶれない、確かなミッション(=使命)をもったビジネス・ライフを、そしてライフそのものを送りたいと願うのは決して私だけであるまい。

 ビジネスマンにとって、それがほぼ唯一の"悔いのない生き方"なのではないだろうか。

 

2009年12月14日月曜日

講演会「原点回帰と変革の経営」で、松田公太氏とゾマホン氏の話を聞いてきた


                 
 先週木曜日(12月10日)、ソフト・ブレーン社の経営者向け講演会「原点回帰と変革の経営」に参加してきた。

 参加資格は経営者のみ、私はいちおう取締役という名刺で動いているので参加してきた。
 ソフトブレーン社はこのブログでも以前触れたことがあるが、中国人の起業家・宋文洲(そう・ぶんしゅう)氏が創業者として日本で立ち上げた会社である、宋文洲氏は現在は若いのに第一線を退いて、現在は活動の中心を北京にシフトしているらしい。
 私は以前から宋文洲さんのメルマガを愛読している。『ここがへんだよ日本の課長?』などのタイトルで次々と刺激的な発言を続けており、異なる視点からモノを見ることの重要性を身を以て示している、日本では希有な存在だ。
 以前からこのブログでも何回も触れているが、日本語人の世界では「世間」と「空気」の存在によって、自由な発言をしにくいのは否定できないからだ。

 今回の講演会の講師は、①松田公太氏(タリーズ・インターナショナル・ファウンダー)と、②ゾマホンさん(ベナン共和国顧問)の二人である。
 いずれも、異なる視点でモノを見ることができる人たちである。
 松田氏は、1968年生まれ、人生の前半をセネガルと米国で過ごしてきた、いわゆる"帰国子女"である。
 ゾマホンさんはいうまでもなくアフリカ人、このブログでも「ゾマホンさん(="2代目そのまんま東")の語るアフリカの本当の姿 (情報)」と題した記事を書いている。
 ゾマホンさんの話は、私がブログで引用した、彼が書いていたメルマガの文章にもでてくる話であるので、今回はタリーズコーヒーの松田公太氏の話を聞いて思ったことを書いておこうと思う。

 松田公太氏は、現在シンガポールに拠点を移し、タリーズ・インターナショナル・ファウンダーなど数社の経営にかかわっている。
 今回の講演会のテーマは、まさに松田氏のポリシーでして起業以来ずっとこだわってきたものだという。
 講演後、私は松田氏の著書『すべては一杯のコーヒーから』(新潮文庫、2005)を会場で購入し、著者にサインをもらった際、名刺交換をし、少し会話をさせていただいた。
 「原点回帰」(Back to Basics)「日々の変革」(・・松田氏はPDCAをもじってPDCIとしている。I は Improvement)は、起業以前から苦労してタリーズコーヒーを日本で定着させていく軌跡とあわせて、本のなかであますことなく具体的に語られており、手に取るように理解することができた。

 現在はシンガポールを拠点に、日本初のサービスを世界に向けて展開していこうという姿勢、これは本人が主に英語圏で成長して英語に堪能こともあろうが、実にすぐれた戦略であるといえる。
 私も実は同じようなことを考えていて、シンガポールかバンコクか悩んだすえにバンコクを選択したのだが、これは機械部品産業という性格からタイのほうが市場として大きいという積極的な理由と、シンガポールのビジネスコストが高いので回避したというで消去法的な理由による選択であった。

 飲食業を中心としたサービス業では、シンガポールを選択したのはベストチョイスといってよい。松田氏も最終的に香港にするかシンガポールにするか悩んだといっていたが、中国市場へのゲイトウェイである香港を選ばず、インドも含めた東南アジアのライフスタイルのモデルとなっているシンガポールを選んでいる。
 世界的な投資家であるジム・ロジャーズは米国を捨て、現在はシンガポールに拠点を移し娘には中国語を学ばせている。中国市場へのアクセスを考えるとシンガポールはセカンド・ベストではあるが、先進的なサービス業のショーケースとしては、シンガポールは地の利に恵まれているというべきだろう。金融業以外でもシンガポールの優位性はある。ただし、ビジネスコストの高さを最初から考慮に入れておく必要がある。
 製造業であれば今後もしばらくはタイが有望であるが、ライフスタイル・ビジネスであればシンガポールに拠点を置き、シンガポールでテストマーケティングを行うのは考慮すべきであろう。

 シンガポールは人口は484万人と500万人に満たず(2008年度)、国内市場が小さいのでという制約をもつ。
 しかし、一人あたりGDP(per capita GDP)は2007年以来、日本を上回っている。IMF統計によれば、2008年度は、米ドル換算でシンガポールは USD38,972(2008年度)と、日本の USD38,457 を上回って世界第22位である。2007年に超えられて以来、日本とシンガポールは逆転していない。
 もちろん総需要では日本のほうがjはるかに大きいが、シンガポールがインド・東南アジア世界への橋頭堡としてもつ意味合いは比較にならない。
 日本は文字どおり極東(Far East)であり、あまりにも遠すぎるのだ。

 日本人も市場として中国の上海をみるだけでなく、東南アジア・インド・中近東世界へのゲイトウェイであるシンガポール(・・ないしはバンコクに)目を向けるべきであろう。

 ◆松田公太氏のウェブサイトはこちら。

(注)一人あたりGDPの国際比較データは「国の国内総生産順リスト (一人当り為替レート)」を参照。
 英語版 List of countries by GDP (nominal) per capita のほうが情報量は多い。



                              

2009年12月13日日曜日

書評 『帰還せず-残留日本兵 60年目の証言-』(青沼陽一郎、新潮文庫、2009)




日本に「帰還しなかった」元日本兵たちの人生の軌跡を丹念にインタビューした、きわめて良質なノンフィクション■  

 副題に「残留日本兵 60年目の証言」とある。この副題にすべてが表現されているといってよい。

 「大東亜戦争」で「南方」(・・現在の東南アジア)に有無もなく行かされた日本人兵士たちは、なぜ日本へ帰還せず、現地に残留したのか?
 この疑問を戦後60年目にあたる年に、残存する14人すべてと面会し、じっくりと話を聞き取り、再構成したノンフィクションである。

 残留した元日本兵には、将校はいっさい含まれない。現場で苦労した下士官と兵、そして民間人であった軍属である。
 地域は、ビルマ(=ミャンマー)とタイ、インドネシア、そしてベトナムにわたる。
 証言を聞き取った14人は、それぞれ出身地も違うし、何よりも現地に残留した理由もそれぞれ異なっている。
 重要なのは、「帰還せず」ということだ。「帰還できなかった」わけではない。消極的な理由であろうが、積極的な理由であろうが、みな自らの意志で現地に残ったのである。

 まったくの私事(わたくしごと)ではあるが、この本に登場する14人の証言者のうちの一人である、インドネシア・ジョグジャカルタ在住の田中幸年さんとは、実は一度お会いしたことがある。
 田中さんの経営するロッジに泊めていただき、日本語でいろいろ親しくお話をさせていただいたこと、田中さん最愛のインドネシア人の奥様にもお目にかかったことを、いま懐かしく思い出している。
 著者の青沼陽一郎氏が、田中幸年さんにインタビューをした時から10年近く前のことではなかったかと思う。

 こういう個人的な経験があって、私は「現地残留日本人」の存在を知ったのだが、一般にはあまり知られていないのではないだろうか。
 だからそんな意味でも、著者の情熱によって、生存者の証言が集められたことは、まことにもって意義のある仕事になったと思うのである。
 本書をよんで、ここに登場する14人の個々の人生の軌跡に思いをはせれば、日本人として何か思うところがあるはずだ。

 きわめて良質なノンフィクションである。


■bk1書評「日本に「帰還しなかった」元日本兵たちの人生の軌跡を丹念にインタビューした、きわめて良質なノンフィクション」投稿掲載(2009年12月12日)
■amazon書評「日本に「帰還しなかった」元日本兵たちの人生の軌跡を丹念にインタビューした、きわめて良質なノンフィクション」投稿掲載(2009年12月12日)





<書評への付記>

 インドネシアのジャワ島中部にある古都ジョグジャカルタ(通称ジョグジャ)の田中さんは、本文にも詳述されているように、軍人ではなく民間人としてインドネシアで仕事をしていた人である。
 成田発ジャカルタ行きのガルーダ・インドネシア航空で座席を隣り合わせた人が、偶然にも田中幸年さんの息子さんだったのだ。インドネシアがまだ「1997年のアジア金融危機」に見舞われる前、スハルト時代の話である。
 隣の席の人から英語で話しかけられ、機内誌の記事をさして写真は自分の父親だというのだ。そんなことで親しくなった息子さんの誘いで、その日のうちにジャカルタから便を乗り継いでジョグジャカルタまで行くことになった。その日が、まさに田中幸年さんの誕生日だったのだ。というわけで田中さんの誕生パーティにまで招いていただき、インドネシア式の誕生会を体験することになったのである。その日はロッジにも宿泊させていただいた。インドネシアとは思えないような、高原リゾートにあるロッジである。
 こういう偶然も人生では起こるものである。
 翌日はホテルに移って世界三大仏教遺跡の一つであるボロブドゥール見学を行った。田中さんにはホテルまで案内していただき部屋も確認していただき、たいへんお世話になった。この場を借りて、今は亡き田中さんに感謝するとともに、インドネシアの土となった田中さんのご冥福をお祈りする。
 こういう人生もあるのだ、と日本人なら知っておきたいものである。

 戦後、自由に海外渡航できるようになってから出国し、海外で活躍する日本人も多い。ガンとの闘病の末亡くなった柳原和子氏の『「在外」日本人』(講談社文庫、1998 原本 1994)は、自らの意志で海外での人生を選んだ人たち108人をインタビューしてまとめた記録だが、本書とあわせて読むことを推奨したい。
 この視点をもっていると、「残留日本人」の人生が戦争のもたらした悲劇だ、とかいった一方的な価値判断にとらわれる弊害から自由になることができる。
 『帰還せず』の著者が引き出した証言は、かなりの程度まで証言者のホンネに近いのではないか、と思うのである。人生は、良くも悪くも、そうそう自分が思ったようにいくものではないからだ。偶然に左右される要素が大きいのである。人間から見たら偶然でも、神様からみたら必然だ。人生とは実に偶然の積み重ねである。日本人はこれをさして"縁"(えん)といってきた。これは日本にいようが、海外にいようが同じではないだろうか。
 日本人だから日本にいなければならない、とはいえないだろう。世界中どこにいても、良くも悪くも日本人、こう思うことが精神衛生上よいのではないか。

            

2009年12月12日土曜日

書評 『凶悪-ある死刑囚の告発-』(「新潮45」編集部編、新潮文庫、2009)




ドストエフスキーの小説よりはるかにすごい迫力、最後まで読み切らずにはいられない
 
 白熱のノンフィクション、これほどすごい内容のノンフィクションは滅多にない。これほど興奮しながら読んだ本もあまりない。

 獄中の元ヤクザの死刑囚が告発した「上申書」、これがついに警察を動かし、警察の執念の捜査によって、のうのうと市民生活を送っていた"先生"とよばれる真の凶悪を追い詰め、逮捕起訴し、判決が下されるまでのストーリーが、この文庫版で完結した。単行本では未完に終わっていたストーリーが文庫版で完結したのだ。
 そしてこの獄中の凶悪犯の告白を聴きとり、徹底的な裏付け取材を行った上で雑誌記事にし、警察を動かしたのは、「新潮45」という月刊誌の編集記者・宮本太一氏(現在編集長)であった。
 雑誌メディアの底力を天下に示した力作である。

 「事実は小説より奇なり」、などというと陳腐に響くかもしれないが、このノンフィクションはドストエフスキーの小説よりはるかにすごい迫力をもっている。
 それは事実のもつ重み、探り当てた真実の重みであろう。文庫版ではじめて読んだ私は、この事実のもつ迫力に圧倒され続けた。

 自ら手を下さすに人を殺させ、人の死をカネに換えてきた錬金術師、"先生"。この存在には、何か得たいの知れない、人間悪の化身のようなものを感じる。
 しかしそれはサイコキラーではない、快楽殺人でもない、なにかしら人間として底が抜けているというか、人間としてのタガの外れた知能犯としての姿を見いだすのである。この男はいったい何者なのだ、と。
 しかし、事件はすべて解決されたわけではない・・・

 とにかく、結末などいっさい知ることなく、最初のページから読んでみるべきだ。
 間違いなく、最後まで読み切らずにはいられない本なのだ。


■bk1書評「ドストエフスキーの小説よりはるかにすごい迫力、最後まで読み切らずにはいられない」投稿掲載(2009年11月25日)
■amazon書評「ドストエフスキーの小説よりはるかにすごい迫力、最後まで読み切らずにはいられない」投稿掲載(2009年11月25日)





                        

2009年12月11日金曜日

アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ




 リリアーナ・カヴァーナ監督はフランチェスコ映画を合計2本製作しているようだが、1966年に撮影した1本目の作品 Francesco d'Assisi は反教会的だと避難され不評だったらしい。2本目が先日紹介した『フランチェスコ』(1989年)だが、23年後に新しい構想で作りなおしたことになる。
 
 この23年間に一本きわめて風変りな宗教映画、というより輪廻転生がテーマの映画を製作している。それが『ミラレパ』(1973年)である。同じ年にはかの名作『愛の嵐』が製作されているのは面白い。ずいぶん雰囲気の異なる内容だからだ。
 『ミラレパ』は日本でも公開されたようで、日本でビデオ化されているが、現時点ではどの国でもDVD化もされず、忘れ去られた(?)作品となっているようだ。
 脚本は、『愛の嵐』と同じく、脚本家イタロ・モスカーティと組んで書いているのは興味深い。両者に共通するテーマがあるのだろうか。
 イタリア版トレーラー(音声注意)。なお12分割で YouTube に映画がアップされている。音声はイタリア語、ただし字幕なし。

 映画の構成は、チベット語で書かれた「聖者ミラレパ伝」をイタリア語に翻訳するという作業に没頭するイタリア人の若手チベット学者が、チベット人のミラレパになってその半生を追体験するという形をとっているが、映画をみる立場からいえば、ミラレパが輪廻転生してイタリア人研究者に憑依した、と表現できるかもしれない。
 そういう構図によって、ヒッピー・ムーブメントが背景にある、ゼッフィレッリの『ブラザーサン・シスタームーン』(1972年)とはやや違う文脈ではあるが、1970年代初頭の反近代主義、反西欧主義のなかでの、精神世界ブーム、東洋ブームの濃厚な雰囲気の中で作成された作品とはいえるだろう。

 ミラレパとは、チベット仏教のカギュ派の創始者とされる、11世紀チベットに実在したヨギ(ヨーガ修行者)のことである。フランチェスコは、12世紀から13世紀にかけて生きたカトリック修行者。
 そもそもカヴァーナ監督はなぜミラレパを題材にした映画なんか作ったのか?

 フランチェスコとミラレパの共通点と相違点を考えてみよう。
 フランチェスコは12世紀から13世紀にかけてのイタリア人である。
 ミラレパは11世紀から12世紀にかけてのチベット人である。
 共通する点は、隠者としての修行、についてであろう。
 フランチェスコは説教という実践的活動を行ったと同時に、隠者的に観想生活を送ることを夢想しており、つねに揺れ動いている。
 ミラレパは黒魔術師としての自分の実存に恐れをなし、仏教の示す正しい道を修行したいとして師であるマルパについて長年修行を積んだ。
 ともに、着るものには頓着せず、所有せずに・・・・
 
 こうして比較してみると、浮かび上がってくるのは、"東洋の隠者のような"フランチェスコ、である。

 先に紹介したデンマークの詩人ヨルゲンセンの本には、『即興詩人』でイタリアを書いたアンデルセンと同様、北欧の人らしい、外部からの視点による、きわめて唯物的な指摘があって面白い。
「・・・寂しい山間の人里離れた孤独な生活は、兄弟たちに強い印象を与えたので、彼らは永久にここにとまって厳しい禁欲の生活をし、他の人間を忘れたらどうかと、議論したほどだった。イタリアの山岳地帯を知っている人なら、この誘惑を理解するのは、そう困難ではないだろう。イタリアの山の性格には、どことなく隠者のための自然の洞窟や避難所を作っている。気候は、時には予想外に冬らしくなるものの、厳しすぎることはない。食物は信じがたいほど少なくてすむ・・・(後略)」(P.107)

 イタリアは石灰岩地質が無数の洞窟を作り出し、隠者のためには格好の引きこもり場所を提供してきた。同じくチベットも洞窟での瞑想修行がさかんであったことは、ミラレパの生涯を描いた作品にはかならずでてくることからもそれがわかる。

 フランチェスコは、40日間の断食と瞑想において、キリストの聖痕スティグマを自らの身体の上に出現させる。
 ミレレパは、その師であるマルパの指示による瞑想修行を行い、マルパのもとから卒業したのちの瞑想修行において、空中浮遊を行い、自由に空を飛ぶ。
 また、これはとくに中世に多くみられるが、いわゆる「予知夢」という共通性がある。現代人でも、南方熊楠のように、脳力が異常に高まったときには「予知夢」によって、いわゆる夢のお告げで未発見の菌類をを発見したりもしている。
 そして、フランチェスコとミラレパの両者に在家信者(=平信徒)の重要性。
 修行者といっても彼らのような存在はむしろ稀有であり、職業をもったふつうの人にとっては、そもそもフランチェスコやミラレパのような厳しい修業は不可能なので、在家信者という形がもっとも多かったのだろう。
 
 ユング派の心理学者である河合隼雄は、日本にも長く滞在したカトリック司祭のヨゼフ・ピタウ師との対談『聖地アッシジの対話-聖フランチェスコと明恵上人-』(藤原書店、2005)で、フランチェスコと明恵上人(みょうえしょうにん)を対比して論じている。明恵上人とは鎌倉時代前期、12世紀の人、華厳宗の学僧で、生涯にわたって自ら見た夢を 「夢の記」と題して世界的にも珍しい記録として残されている。
 河合隼雄は名著 『明恵、夢を生きる』(京都松柏社、1987 現在は講談社+α文庫 1995)で明恵上人をとりあげ、一般的にも広く脚光を浴びるようになったが、それ以前から白洲正子も、澁澤達彦も、明恵上人に言及しているのは面白い。河合隼雄は後年、明恵上人を機縁にして、白洲正子と交友関係にあり、対談も残している。
 河合隼雄は、とりわけ「予知夢」に関しての共通性が、明恵上人とフランチェスコにある、と強調している。

 ただ私としては、フランチェスコとの比較対象は、明恵上人よりもミラレパのほうが面白い。実際に比較してみてそう思った。ただ、ミラレパの場合は、師であるマルパからの伝承という側面があるので、直感に導かれた、純粋なスピリチュアリティ追求のフランチェスコとは異なることは指摘しておかねばならない。マルパはインドで仏道修行してチベットに戻ってきた人である。

 ミラレパの伝記としては、エヴァ・ヴァン・ダム(Eva Van Dam)による全ページカラーのマンガ本が実に面白い。日本語版英語オリジナル版も絶版状態なのが残念だ。いずれは再版されるであろうが。
 それにしても、フランチェスコも、明恵上人も、ミラレパも、11世紀から13世紀にかけての人であるのが面白い。全世界的なスピリチュアリティのリバイバル期にあたるのであろう。
 そして20世紀後半から再びスピリチュアリティのリバイバルが始まっている。

 もともとキリスト教も、教父時代は砂漠での瞑想修行が行われていたのであり、これが後のカトリックおける修道院の原型になっている。大乗仏教も同じく僧院においての瞑想修行が行われるようになった。ともに英語では Monestery というコトバで表現されることもある。
 原点は、ともに隠者としての瞑想修行である。

 そう、ここまでいうなら、やはりシッダールタ王子のことを考えなくてはなるまい。
 シッダールタ王子とは、ブッダ・シャキャムニ(仏陀釈尊)そのひとのことである。

 シッダールタ王子の生涯に思いを馳せる・・・・


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 すでに今年の6月初めには書き上げていた原稿ですが、アップする機会を逸しているうちにだいぶ時間が経過してしまいました。この機会に少し手を入れてみました。
 前回の投稿からずいぶん時間があいてしまったので、目次を掲載しておきます。

<目次>

アッシジのフランチェスコ (1) フランコ・ゼッフィレッリによる  
アッシジのフランチェスコ (2) Intermesso(間奏曲):「太陽の歌」   
アッシジのフランチェスコ (3) リリアーナ・カヴァーニによる  
アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド 
アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ 

 なお、『アッシジのフランチェスコ-ひとりの人間の生涯-』(キアーラ・フルゴーニ、三森のぞみ訳、白水社、2004)の書評を、bk1 および amzon.co.jp に投稿してあります。内容は「フランチェスコ(3)」ですでに書いているものを書評向けに書き直したものです。


 とりあえず以上で、フランチェスコの話は終わりとします。
 "資本主義のオルタナティブ"としてのカトリック実践思想の一つとして、アッシジのフランチェスコをケーススタディとして取り上げたと考えていただいてもかまいません。

<朗報!>
ミッキー・ローク, ヘレナ・ボナム=カーター主演のDVD フランチェスコ-ノーカット完全版-、ついに日本版が発売!!(2010年1月22日)






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アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)