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2010年8月22日日曜日

「日韓併合100年」に想うこと


            
 本日、2010年8月22日は、いわゆる「日韓併合」から100年目にあたる。
 「日韓併合100年」に想うことを、つれづれと随想風に語ってみる。
 

「謝罪」(おわび)と「反省」の違いについて

 「日韓併合」から100年目にあたる本日を前に、内閣総理大臣が談話を発表したことに対して、さまざまな反応が示されている。

 談話の中身は棚に上げて、基本的な「日韓併合」の事実(史実)関係を簡単に整理しておこう。Wikipedia の項目である「韓国併合」から引用する。

韓国併合(かんこくへいごう)とは、1910年8月22日「韓国併合ニ関スル条約」(韓国併合条約)に基づいて、大日本帝国が大韓帝国を併合した事を指す。日韓併合(にっかんへいごう)、朝鮮合併(ちょうせんがっぺい)、日韓合邦(にっかんがっぽう)などの表記もある(韓国では韓日併合、中国では日韓併合と表記する)。
韓国併合によって大韓帝国は消滅し、大日本帝国はその領土であった朝鮮半島を領有した。1945年の第二次世界大戦終戦に伴い実効支配を喪失し、1945年9月2日、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束した降伏文書調印によって、正式に大日本帝国による朝鮮領有は終了した。


 内閣総理大臣談話についてコメントを書いておきたい。

 「謝罪」(おわび)については、もういい加減に終わりにしてもらいたい、この一言に尽きる。

 左巻(ひだりまき)の人たちの奇妙な贖罪意識については、日本にとってのみならず、韓国にとっても「有害」というべきである。

 きわめて「不健全」な態度であり、発言者の意図に反して、健全な友好関係形成に対して「反動的」になっているというべきである。

 もちろん、「反省」は必要である。

 他国の領土を侵略し、支配することがいかに道に反したことであるか、日本人は虚心坦懐に反省すべきであるし、侵略と支配の非道徳性について、チベット・ウィグルを不法に支配し、抑圧を続けている中国に対し、ともに叱りとばすことがあってもおかしくないのではないか。

 私は韓国人には、この点にかんして、大いに道徳性を発揮していただきたいと期待している。

 とはいえ、歴史的に中国の朝貢国であった韓国(朝鮮)に、それを期待するのはきわめて難しい。いわゆる事大主義というやつだ。大に事(つか)えるという事大主義

 歴史的にみると、たとえば足利義満など、実利の観点から朝貢志向をもった政治指導者がなくはないが、日本の場合は朝貢関係は永続していない。

 現在の日本の民主党政権は、あきらかに「朝貢思考」の持ち主が多数派であるようだ。もしその政策を貫くのであれば、政治家の私的利益ではなく(・・誉めてもらいたいという、金銭以外の名誉欲も含む)、国益という観点からみて、どれほどのベネフィットがあるのか、キチンと国民に説明すべきであると、反語的に表現しておく。


「アジア=中国、韓国」ではない!

 実のところ、私がほんとうにウンザリしているのは、「アジア」というと中国と韓国しか念頭にない、日本の左巻(ひだりまき)の人たちに共通する視野狭窄(しやきょうさく)ぶりに対してなのだ。

 内閣総理大臣の菅直人弁理士と官房長官の仙石弁護士だけでなく、たとえば金子勝という経済学者もまたしかり。

 日本にとって重要な東南アジアがはいっていないではないか! 

 アジアは、西は中近東から東は日本、インドネシアまで、北はモンゴルから南はインド、スリランカまで、実に広大な地域である。
  
 「アジアは一つ」(Asia is One)と高らかに宣言した岡倉天心、その精神的後継者である、哲学者井筒俊彦博士が想定する「東洋哲学」の適用範囲をみよ。最低でも、文明圏としてのイスラーム、インド、中国、そして日本が含まれている。イスラームだけでなく、チベット仏教、ヒンドゥー教、儒教道教もすべて含まれる。

 「アジア=東アジア」ではない、のだ。

 たしかに、幕末の開国以前からの関係でいえば、中国と韓国(朝鮮)との関係は、深く長い。しかし現在は21世紀であり、日本がグローバル国家として生きるうえで、アジアを基盤にするのである以上、当然のことながら「広域アジア」を一つの単位として考えていかねばならないはずだ。

 「アジア=中国、韓国」という固定観念を無意識に持ち続けている視野狭窄(しやきょうさく)ぶりに、いわゆる左巻(ひだりまき)の人たちに対するきわめて強い違和感、ウンザリ感を感じてならないのだ


安重根(アン・ジュングン)について

 「親韓派」と「嫌韓派」という二分法が、とくにネットの世界にあるようだ。世の中を二項対立的にしかものをみることのできない幼い態度である。

 実際は、「親韓派」と「嫌韓派」を両極端にして、そのあいだは濃淡を反映したグラデーション状態になっているのが実態だろう。両極端のあいだの中間層が圧倒的大多数であることはいうまでもない。

 韓国や北朝鮮関連のニュースは、日本ではときに新聞で最大級の見出しになることがある。これは両国の過去の歴史もからむ地政学的な状況の反映である。日本側も韓国側も、ともに無意識レベルではたんなる外国とは見なしていない。これは台湾とくらべるとよく理解できることだ。

 ところで「日韓併合」というと連想的に名前がだされる、安重根(アン・ジュングン)について触れておきたい。

 実は私は安重根を尊敬している、なんて書くと、お前は「親韓派」か? などどレッテルを貼られそうだが、その心は違う。ナショナリストとしての安重根だけでなく、東洋人としての生き方に賛嘆しているからだ。

 正しい道のありかたについて身を以て示したのが安重根の真骨頂であって、テロリスト扱いされることは彼の本意ではなかったのではないか。

 独立の志士であった安重根には、裁判を担当した日本の検事からも、幕末の志士のような「忠君愛国の士」という評価もあったようだ。結局は、死刑判決がくだされたのであるが。獄中で執筆を許されていた「東洋平和論」が未完に終わったのは、まことにもって残念なことであった。

 天主教(=カトリック)を信仰し、儒教も徹底して教育されていた「道徳志向性」のきわめて高い、立派な人であった安重根。これは、獄中の安重根と接した日本人看守が述懐していることでもある。そういう話をむかし読んだ記憶がある。


 安重根は、ウラジオストックにおいて伊藤博文を狙撃した犯人として逮捕され、裁判のすえ処刑されたが、そもそも伊藤博文狙撃犯は安重根ではなく、伊藤博文の外交政策に不満を抱いていた帝国陸軍内部の謀略であるという説もある。真相は現在でも不明である。

 ソウルの安重根義士記念館には、私は5年ほど前に訪れた。以前は改装中で入れなかったため、なかなか実現しなかったのである。ここを訪れる日本人は少ないようだが、ぜひ一度は訪れてみることをすすめたい。日本語の解説もあったはずだ。


今後の日韓友好について

 日韓は友好関係を保つべし。これに異存はない。

 ビジンスマンの私としては、『法の精神』で有名な法学者モンテスキューのコトバを引用しておこう。

 それは、「商売は、その自然的効果として、平和をもたらす」というものだ。

 商売は、異なる地方、異なる民族、異なる国を商売という交換行為をつうじて結びつけ、商行為を維持するためには平和が何よりも要求されるということだ。

 ビジネスをつうじて友好関係を保つ。これが、プラクティカルな意味でもっとも有効性が高い。

 日本と韓国は似て非なる存在である。この基本を無視するわけにはいかない。

 そもそも歴史観も異なり、宗族中心の社会組織という点で、まったく異なる。韓国は中国とは近いが、日本との違いは想像以上に大きい

 日本人は、先住民としての縄文人を核とし、これに黒潮に乗ってやってきた南方系の海洋民族と、最後に半島経由で大陸からやってきた弥生人がハイブリッドして形成された民族である。

 宗族を中心とした社会組織をもつ中国や韓国とは大幅に異なるのは当然だ。

 しかし、地政学的な近接性は、隣国として入れ替えることが不可能である以上、友好をむねに付き合って行くことは、お互いにとってメリットのあることなのはいうまでもない。

 ところが、日韓で歴史観を共有したり、共通歴史教科書をつくったりすることはナンセンスである。

 なぜなら、中国人民共和国も、大韓民国も、「抗日」と「民族独立」を目的にした運動体が出発点にある以上、「抗日」という原点を否定してはそもそも支配の正統性を疑われることになってしまう。これは古田博司氏の主張である。

 ライプニッツのいう「出生の秘密」(status nascens)である。その紀元に何をもってくるか、その紀元の本質が何であるか、によってその後の「歴史」はすべて決定されてくるのである。

 
 だから、繰り返しになるが、日韓は隣国として友好関係をもつのは当然だが、究極的に歴史観は共有することは不可能である。
 この状態は、今後も数百年にわたってつづくのではないかと思うのである。

 こういう状態に耐えることこそ、日本人に求められることであり、政治指導者はこの覚悟をもち、国民を説得し続けなければならないのである。これが「大人のつきあい」というものである。

 『論語』にもあるではないか、「和して同ぜず」、と。
 儒教原理主義国家の韓国なら理解できるはずだ。






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(2012年7月3日発売の拙著です)






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