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2010年8月3日火曜日

『聡明な女は料理がうまい』(桐島洋子、文春文庫、1990 単行本初版 1976) は、明確な思想をもった実用書だ


「料理がうまい」のは「聡明な男」?

 明確な思想をもった料理実用書である。

 女性の生き方にも、その後の料理本にも、大きな影響を与えているはず。
 私は男だが、この本には大きな影響を受けた。料理は、いわゆる「女性的」なものではなく、むしろきわめて「男性的」なものなのだという著者の思想に、強く感じ入るものがあったからなのだ。

 文庫版に付された「娘から」という文章で、桐島かれんが次のように書いている。モデル・歌手・女優・タレントの桐島かれんは著者の桐島洋子の長女で、文庫版の表紙のモデルも務めている。

私も友達にも読ませたくて、しょっちゅうプレゼントしています。もちろん女の子だけでなく絶対男の子も読むべき本ですから、バレンタイン・デーにはチョコレートなんかより、この本を男友達に配ったらいいと思います。

 私も、男女の別を問わず誰もが読むべき必読書だと思う。

 だが残念ながら、この本は女友達からプレゼントされたわけではない。
 もともと単行本のときからタイトルだけは知っていたので、文庫版となった1990年に迷わず購入したのだ。

  「聡明な女」「料理がうまい」このタイトルのコトバのチカラはものすごいものがある。

 出版当時、「聡明な女」と「料理がうまい」という2つのキーワードは、意外な取り合わせだったようなのだ。もしかすると、本の内容以上に、このタイトルの影響力が社会的には大きかったかもしれない。

 「聡明な女」は「料理がうまい」
 
 主語と述語を反転させると、「料理がうまい」のは「聡明な女」、となる。
 私のアタマのなかでは以後、このような図式ができあがってしまった。もちろん、「聡明な女」は「聡明な男」と読み替えてもいい

 「聡明な男」は「料理がうまい」、「料理がうまい」のは「聡明な男」。これは私の持論でもある。

 料理というのは、文字通りクリエイティブで知的な活動である、のだ。



この本の基本思想

 初版がでたのが1976年、文庫版がでた1990年からもすでに20年、しかし内容はまったく古びていない。詳しくは本を直接読んでみてほしいのだが、著者の基本思想をプロローグに使用されたコトバを活かして箇条書きにするとこんな感じだろうか。
 
1. すぐれた女性は必ずすぐれた料理人である
2. 女が「女性化」すると料理がヘタになる
3. すぐれた料理人の条件とは:
  「果断な決断と実行」「大胆で柔軟な発想力」
  「機敏な運動神経」「冷静な判断力」

4. 女は男並みの家事無能力者になってはならない
5. 仕事や恋をしているうちに料理の腕も自然に上がる
6. 料理を愛する心は人生論よりためになる
 
 私は子どもの頃から不思議で仕方なかったのは、料理人はほとんどが男性なのに、なぜ料理をつくるのは母親と決まっているのか、ということだった。逆にいうと、なぜ料理人にはほとんど女性がいないのか、という疑問だった。現在でも、依然として職業としての料理人は男性が圧倒的である。 

 しかしながら、料理本の著者は依然として、圧倒的に女性が多い。「(専業)主婦出身の料理研究家」といいうプロフィールが、著者としてもっともアピールするのは、おそらく家庭内で料理するのが、主婦が中心であるためだろう。料理本の需要サイドはまだまだ圧倒的に女性である。
 
 その意味では、この本の著者である桐島洋子は、料理本著者のメジャーなカテゴリーには属さない。この本は、フリージャーナリストとして活躍していた頃の執筆である。
 

 せっかくなので、目次も紹介しておこう。

目 次

1章 料理は食いしんぼうの恋人を持つことに始まる-料理事始め
2章 台所道具とは婚前交渉を-台所づくり
3章 料理というじゃじゃ馬ならし-料理合理化のすすめ
4章 優雅なパーティの開き方-人とのじょうずな出会いとは
5章 肉や魚と仲よくつきあうために-肉・魚料理
6章 野菜は伸びやかな感覚で食べよう-野菜料理
7章 オードブルはおしゃべりのセンスで-オードブル
8章 おしゃれの心意気でスナックを-スナック
9章 旅で集めたエクゾティック・クッキング―世界のみやげ料理
10章 味覚飛行12カ月-世界の味のカレンダー


 この本には実に魅力的なコトバに充ち満ちている。一言でいったらこの本には、エネルギーに充ち満ちているわけだが、私が好きな、きわめて過激で魅力的な文章をひとつだけ引用しておきたい。

エブリシング・アンダー・マイ・コントロールの気持ちでいこう

 さて、そろえるべきものをそろえた台所でも支配を誤ればたちまち混乱に陥る。台所に関する限り私は無政府主義に反対で、整然たる管理社会にヒトラーのような独裁者として君臨したいと思う。よけい者は容赦なく焼却炉に送る。整頓と清潔ムネとして放縦と不潔をきびしく取り締まる。国民総背番号制的発想も台所では悪くない。どれだけのものがどこにどういう状態で存在するかを独裁者の胸三寸に完全に把握して自由自在に駆使できるようでなければならない。戦争映画かなにかで凛々(りり)しい将軍が「エブリシング・アンダー・マイ・コントロール」とさりげなくつぶやいたりする感じが私は好きだ。
 管理社会が進むほどに独裁者は自由になる。管理社会には情緒がないと言われるかもしれないが、自由な独裁者ならいくらでも情緒的に奔放な政治、すなわち料理を楽しめるのだ。

(引用は、第2章 文庫版 P.56)


 もちろん「台所においてのみ」という限定つきなので誤解なきよう。表現は過激だが、まさに至言である。
 この本には、ほかにもきびきびしたいい文章が満載である。



この本の価値と生命は終わってはいない

 この名著が役目が終わったとはまったく思えない。たしかに「ウーマン・リブ」時代の時代風潮を帯びた内容ではある。しかし、どんな本にも、それが書かれた時代背景があり、たとえ世の中が変化しようとも、変わらない本質も同時に存在する。

 しかし、現在、男も女も仕事で忙しすぎて料理なんかやってられない、なんてことになっているのかもしれない。
 料理はたしかに手間はかかるが、慣れれば手際よくできるもの。効率よく効果的に仕事をこなすための基礎はすべて料理で学ぶことができると思うのだが、どうだろうか。

 「ものづくり」遺伝子(?)をもつはずのホモ・ファーベルたる日本人には、男だろうが女だろうが間違いなく料理作りの素質はあるはずだと思うのだが・・・

 この本が、なぜ絶版あるいは長期品切れなのか。著者の意向があるかどうか知らないが、供給側である出版社と需要側である読者の双方に原因があるのかもしれない。
 文春文庫からの再刊が難しいのなら、どこか別の出版社で再刊を考えるべきではないだろうか。


著者プロフィール

桐島洋子(きりしま・ようこ)
1937年東京生まれ。文藝春秋に9年間勤務の後、フリーのジャーナリストとして海外各地を放浪。1970年に処女作『渚と澪と舵』で作家デビュー。1972年『淋しいアメリカ人』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。1970代からは日本に向き直り、マスコミよりミニコミを選び、自宅で大人の寺子屋、森羅塾を主宰(2010年当時)