「引き出し」作りのプロが、自分の「アタマの引き出し」の中身を惜しみなく公開します。    テーマは森羅万象×縦横無尽。「無数の引き出しをもつ人」になって「人間力」を高めよう!

  
「引き出し」とは一般に「雑学」とよばれているものときわめて近い・・藤田田(デン)に学ぶものとは?


◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「この国を出よ!」-東南アジアをよく知ろう!●

■■■■ 「ミャンマー再遊記」 全8回+α ■■■■
 総目次はここをクリック!
■■■■ 「三度目のミャンマー、三度目の正直」 全10回+α ■■■■
 総目次はここをクリック!
■■■■ 「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中) ■■■■
 総目次はここをクリック!

お役に立ちます!ご自由にお使い下さい!


●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


●「小国」日本のモデルになりうるか?



ケン・マネジメント のウェブサイトは http://kensatoken.com です。
姉妹編の 「佐藤けんいち@ケン・マネジメント代表 公式ブログ」 は http://ken-management.blogspot.com


ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。


2010年10月31日日曜日

『きのう何食べた? ④ 』(よしなが ふみ、講談社、2010)




 ようやく第4巻が出版された。

 『きのう何食べた?』(よしなが ふみ、講談社)の最新刊である第4巻が10月にでたので、さっそく買って読む。約1年ぶりである。

 第4巻は、「モーニング」に連載された 8話分(25話~32話)を収録。
 毎回、けっこう手の込んだ料理を作っているなあ、主人公のスローライフ志向のゲイの弁護士は。 

 料理名でいえば、このようになる。

長ねぎのコンソメ煮
煮込みハンバーグのきのこソース
かぶの海老しいたけあんかけ
キャラメルリンゴのトースト
海老と三つ葉と玉ねぎのかき揚げそば
卵焼き
玉ねぎたっぷり豚のしょうが焼き
ナポリタン

 
 毎回、これらのメインに副菜がつくので、作るのはけっこう手間暇かかっているわけだ。

 このマンガは、"家庭" 料理のレシピ本という情報本としての側面もあるが、主人公の設定と人間模様が面白いので楽しみながら読めるのがいい。

 第5巻が出るのはまた1年後。

 はやくできないかなあ~と待ち遠しい。
 ごはんと同様、できあがるまでの待つ楽しみを味わいたい。




<関連サイト>

モーニング公式サイト - 『きのう何食べた?』作品情報


<ブログ内関連記事>

『きのう何食べた?』(よしなが ふみ、講談社、2007~)

『檀流クッキング』(檀一雄、中公文庫、1975 単行本初版 1970 現在は文庫が改版で 2002) もまた明確な思想のある料理本だ

『こんな料理で男はまいる。』(大竹 まこと、角川書店、2001)は、「聡明な男は料理がうまい」の典型だ





            

2010年10月30日土曜日

「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる




 月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版)の「アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革かそれとも日本システムからの退出か 1986-2010」の献本が、「R+ レビュープラス」から届いたので、目をとおしてみた。


このアンソロジーの構成

 ではまず、論文タイトルと筆者、そして論文のサマリーと論文発表時点の筆者略歴をじっくり読んでみよう。「日本的制度」を軸にして、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」に発表された論文、とくに米国人による諸論考を集成したアンソロジーになっている。

 収録された論文は、1986年から2010年までの約25年間をカバーしている。これは元号でいえば、ほぼ「平成」の歴史そのものである。

 「昭和」の後期が、高度成長と盤石な「日本的システム」による「世界の一等国」としての確立の歴史であったとすれば、「平成」の歴史とは、安定していた「日本的制度」に揺らぎが生じ、アイデンティティを巡ってもがき苦しむ年月であるということもできようか。

 とりあえず、ここでは論文タイトルと筆者名を、雑誌掲載順に並べて紹介しておこう。なお、( )内の年月と肩書きは、論文発表時点のものである。


第一章  制度改革、それともシステムから退出するか?

「日本システムから脱出する企業と個人」(2001年9月号 レオナード・J・ショッパ/バージニア大学准教授)

「行政指導と終身雇用の終わり-「日本株式会社」の復活はない」(1993年6月号 ピーター・F・ドラッカー/クレアモント大学院大学教授)

「日本再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」」 (1997年4月号/マイケル・ハーシュ & E・キース・ヘンリー/それぞれ、「ニューズウィーク」誌国際版ビジネスエディター、MITシニア・リサーチ・アソシエート)


第二章 日本的制度とは何か

「超えられなかった過去-戦後日本の社会改革の限界」(1999年9月号 ウォルター・ラフィーバー/コーネル大学歴史学教授)

「日本問題-異質な制度と特異性に目を向けよ」(1986年1月号(『諸君』) カレル・ファン・ウォルファレン/オランダ人ジャーナリスト)

「1940年体制の弊害を克服するには」(2002年1月号 ウィリアム・H・オーバーホルト/ハーバード大学アジアセンター研究員)

「官僚と政治家が日本を滅ぼす?」(2000年7月号 オーレリア・ジョージ・マルガン/豪州ニューサウスウェールズ大学政治学教授)


第三章 変化する国内・国際環境に日本は適応できるか

「日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?」(2010年3月号 ジョージ・パッカード/米日財団会長)

「日本の歴史認識と東アジアの和解を考える-反動を誘発する謝罪路線の危うさ」(2009年5月号 ジェニファー・リンド/ダートマス大学助教授)

「高齢社会が変える日本経済と外交」(1997年6月号 ミルトン・エズラッティ/投資顧問会社ロードアベット パートナー)

「米恐慌型経済への回帰」(1999年2月号 ポール・クルーグマン/マサチューセッツ工科大学教授)

「論争 グローバル経済危機はいつまで続くのか-日米、二つの経済バブルを検証する」(2009年7月号 リチャード・カッツ & ロバート・マッドセン/それぞれマサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロ-、オリエンタル・エコノミスト・アラート誌編集長)



タイムラインに沿って、日米関係の枠組みのなかで「日本問題」を考えてみる

 先にも書いたように、このアンソロジーは、「フォーリン・アフェアーズ」編集部によるテーマ別の整理がされている。

 私は、このアンソロジーは、全体が「日本的制度」問題関連の論文集と捉えているので、一つの読み方として、論文発表時点のタイムラインにあわせて読んでみたいと思う。その時々の外部環境を前提に読んだほうが、理解しやすいと思うからだ。

 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」という文脈でみれば、これは端的にいって、日米関係における日本の位置づけをめぐる議論ということになる。

 「平成」の歴史そのものとオーバーラップするこの25年間とは、日米関係における日本と米国の力関係の変化が徐々に変化していった歴史である。この時期は、私見では、3つに分類することができる。

 第1期は、1980年代後半は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に褒め殺されていることにも気がつかずにユーフォリアに浸りきっていた陶酔の時代

 第2期は、日本にとっては、1991年のバブル崩壊後の「失われた20年」。この期間は、米国はクリントン政権のもと、金融と IT を中心としたイノベーションで経済力を回復し、日米逆転状況となる。力関係の逆転状況において、「日本的制度」が徹底的に批判され、米国政府による「日本改造計画」が着々と実行されていった時代。この後、米政権は共和党のブッシュ・ジュニアに移るが、日本の小泉政権との蜜月のもと、前政権の政策はさらに露骨に実行されていった。「日本的制度」の堀り崩しが
 安全保障面では、ソ連崩壊によって冷戦構造が崩壊したあと、米国は次なる仮想敵を求めて模索していた時代である。2001年の「9-11テロ」が発生することによって、イスラーム過激派が仮想敵と決定されるまでは、日本が仮想敵とされていた時代もあったのだ。

 第3期は、2008年の「リーマンショック」に端を発する、米国経済復活を支えていた金融資本主義に大きな欠陥があることが判明して以後と米国経済の弱体化の時代
 しかしこの時期は、日米関係だけをみていれば、米国が日本の失敗を徹底分析する時代であるが、中国の政治経済両面における台頭というファクターが無視できないものとして浮上してくる。この文脈においては、日本も米国も、ともに弱体化しつつあることが、それ以前の時期とは大いに異なる状況だ。
 「日本的制度」をめぐる議論は、日米関係という二者関係のなかだけで論じることはもはや不可能である。日中関係、米中関係、日米関係は、日中米というトライアングルのなかで見ていかなければもはや意味をなさない。
 これ以前の時代がそうでなかったわけではもちろんないが、政治と経済が不可分の実態である以上、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」的な、政治経済という視点でものをみることは、従来にまして重要性を増してくるだろう。

 以上みてきた、3つの時代区分は、私なりに整理するとこんな感じになる。

1. 1980年代後半「バブル時代の日本」-「日本異質論」の先駆け
2. 米国による「バブル経済崩壊後の日本的制度」改造計画の外圧
3. 「リーマンショク」後の弱体化する日本と弱体化する米国、そして中国の台頭


 このようにタイムラインで並べ替えてみると、「日本的制度」にかんする議論とは、日本国内からでてきた議論というよりも、「日本異質論」に始まった、日本の外側から指摘が始まった議論であるということがわかる。
 バブル期に自身満々であった日本は、こういった議論にはまったく耳を貸さなかったが、バブル崩壊後、長引くデフレ状況のなか、外部からの批判に対して自己改革できないもどかしさに、鬱積(うっせき)が蓄積していった時期でもある。

 以下、アンソロジーに収録された論文をざっと見ておきたい。米国が日本をどう見ていたのか、どんような圧力をかけようとしていたのか、時系列で振り返ると歴史的経緯がよく把握できる。


1. 1980年代後半「バブル時代の日本」-「日本異質論」の先駆け

 まず、「日本問題-異質な制度と特異性に目を向けよ」(1986年1月号(『諸君』) カレル・ファン・ウォルファレン/オランダ人ジャーナリスト)について。いまから、すでに24年前の論文である。
 この論文によって、「日本異質論者」として登場したのが、オランダ人ジャーナリストのカレル・ファン・ウォルファレンであった。1989年に出版された著書 『The Enigma of Japanese Power 』は私も当時読んだが、「だからどうした、日本は成功しているのだ」という根拠なき自信(?)に充ち満ちていた当時の日本であった。この主著の日本語訳は、現在では『日本 権力構造の謎 上下』(篠原勝訳、ハヤカワ文庫NF、1994)として読むことができる。
 「日本的制度」に切り込む姿勢を見せたこの論文を再録していることは、歴史的記念碑としての意味はあるだろう。ただし、時代背景を正確に再現しながら読むことが必要だろう。


2. 米国による「バブル経済崩壊後の日本的制度」改造計画の外圧

 このアンソロジー集ではもっともボリュームが大きいのが、1990年の「バブル経済」崩壊後から、2008年までのあいだの20年間弱に発表された 7本の論文である。

 テーマは、世界に恐れられた日本のイメージが消え去り、「成功のワナ」に捉えられた日本が、自らの改革を躊躇していた状況。そしてこれに、いらだちを強め圧力をかけ続けていた米国。
 仮想敵であったソ連が1991年に崩壊したあと、冷戦崩壊後いまだ米国にとっての仮想敵が絞り切れていなかったが、9-11でイスラーム過激派にフォーカスが合わされるまでは、日本が仮想敵として想定されていたことも思い出すべきだろう。

 私は、1990年から1992年にかけて米国の工科大学の大学院に留学していたが、ある教授からの依頼で日本の競争力分析プロジェクトの手伝いをさせられたが、この時代の「日本的制度」改造論は、すでに入念に準備されていたことを理解している。

 「日本叩き」、「スーパー301条」、「日米構造協議」、こういったキーワードがこの時期を象徴的に示している。


 「行政指導と終身雇用の終わり-「日本株式会社」の復活はない」(1993年6月号 ピーター・F・ドラッカー/クレアモント大学院大学教授)は、いま再びブームになっているドラッカーによるものである。日本熟知する「社会生態学者」による論考は、「日本的制度」の転換期の状況をよく指摘している。

 「日本再生の鍵を握る「コーポレート・ジャパン」」 (1997年4月号/マイケル・ハーシュ & E・キース・ヘンリー/それぞれ、「ニューズウィーク」誌国際版ビジネスエディター、MITシニア・リサーチ・アソシエート)は、1998年に始まる不良債権問題の決壊前夜の、非金融業の国際的ブランドをもつ製造業動きをマルチナショナル企業化への動きとして肯定的に論じている。

 「高齢社会が変える日本経済と外交」(1997年6月号 ミルトン・エズラッティ/投資顧問会社ロードアベット パートナー)は、2010年の現在すでに顕在化している問題について、かなり早い時期に指摘を行っている。経済的な基盤の変化が外交安全保障に与える影響について。

 「米恐慌型経済への回帰」(1999年2月号 ポール・クルーグマン/マサチューセッツ工科大学教授)は、1997年のアジア金融危機を予言的に警告していた経済学者による論考。1998年には拓銀(北海道拓殖銀行)と山一証券破綻、この論文がでたあと長銀(日本長期信用銀行)と日債銀(日本債券信用銀行)が破綻したことを思い出すべきだろう。日本国内でも「昭和恐慌」の振り返りがさかんに行われていた。

 「超えられなかった過去-戦後日本の社会改革の限界」(1999年9月号 ウォルター・ラフィーバー/コーネル大学歴史学教授)は、日本でも話題になった、ジョン・ダワーの『敗戦を抱きしめて』(岩波書店、2001 原著出版は 1999年3月)の書評の形をとった論考。あくまでも占領軍であった米国の立場からみた「日本的制度」論である。

 「官僚と政治家が日本を滅ぼす?」(2000年7月号 オーレリア・ジョージ・マルガン/豪州ニューサウスウェールズ大学政治学教授)は、このアンソロジーのなかでは唯一の非米国人による論考。著者はオーストラリア人である。2000年7月当時の首相は、自民党の小渕首相が倒れたあとの不透明な経緯で就任した森首相。この時代背景のもとに読むと、アクチュアルな姿勢が感じ取れる。

 「日本システムから脱出する企業と個人」(2001年9月号 レオナード・J・ショッパ/バージニア大学准教授)は、経済学者ハーシュマンの有名な「発言か退出か」というフレームワークをもとに議論を展開している。本アンオロジーの表紙にも記されている、Foreign Affairs Essays on Japan: Voice or Exit from the System ? の "voice or exit" である。この論考の呼びかけに応じるかのように実現した、2009年の「政権交代」は、日本国内からでてきた「発言」(voice)であったのだが、この国民の発言(声)に十分に応えることのできない民主党政権は・・・

 「1940年体制の弊害を克服するには」(2002年1月号 ウィリアム・H・オーバーホルト/ハーバード大学アジアセンター研究員)は、過去の成功を創り出した「1940年代体制」(・・この表現自体は経済学者・野口悠紀夫のものだろう)という「成功のワナ」に捕らわれたまま身動きのできない日本への、投資銀行のエコノミストとしてアジア各地で過ごしてきた執筆者からみた正確な見取り図はバランスのとれたもので、2010年の現時点から読んでも説得力がある。


3. 弱体化する日本と弱体化する米国、そして中国の台頭

 2008年の「リーマンショック」によって、米国経済自体の脆弱化が明らかになってきており、この前の時代のような、米国による一方的な対日圧力という構図が成立しなくなってきた時期である。

 そして、2009年は周知のとおり、「政権交代」によって民主党が政権を握り、自民党政権が野に下った年である。以後、現在にいたるまで、台頭する中国をめぐって日米関係が漂流していることは、とくに安全保障面において大きな問題を引き起こしている。

 米国に次ぐナンバーツーの一からの転落傾向の始まっていた日本は米国にとってどのように写っているのだろうか。


 「日本の歴史認識と東アジアの和解を考える-反動を誘発する謝罪路線の危うさ」(2009年5月号 ジェニファー・リンド/ダートマス大学助教授)の原題は、The Perils of Apology(謝罪の禍い)、Jennifer Lind, Sorry State: Apologies in International Politics, Cornell Univ. Press, 2008(日本語未訳)の抜粋。近隣諸国への「謝罪」外交について、1950年代の西ドイツ(当時)が採用した「アデナウナー・モデル」の有効性と日本への応用を論じている。「謝罪」と「謝罪を否定する(国内の)反動」の中間路線である。政治経済が密接にからみあう現代世界に生きる日本人にとっても、日中関係を考えるうえで、賛否両論が当然あろうが読む価値のある論文といえよう。

 「論争 グローバル経済危機はいつまで続くのか-日米、二つの経済バブルを検証する」(2009年7月号 リチャード・カッツ & ロバート・マッドセン/それぞれマサチューセッツ工科大学国際研究センター シニアフェロ-、オリエンタル・エコノミスト・アラート誌編集長)は、米国は日本の「失われた20年」の失敗原因を的確に学んだかにかんする論争である。日本人の目からみれば、米国の経済バブル崩壊はデジャヴュー(既視感)のある現象だが、ともに弱体化の道をすすむ日米両国をめぐる論争といってしまうと言い過ぎだろうか。

 「日米安全保障条約50周年の足跡と展望-いまも安保はグランドバーゲンか?」(2010年3月号 ジョージ・パッカード/米日財団会長)は、近著『ライシャワーの昭和史』(森山尚美訳、講談社、2009)の著者であり、駐日大使時代の特別補佐官として、ライシャワー博士の側近として過ごしてきた日本通である。漂流する「日米安保条約」体制を、日本の立場もよく踏まえたうえでバランスのとれた論述を行っている。このような人を一人でも増やすことが、同盟国である日米双方にとって必要なことをあらてめて感じるのである。


 以上、あえて編集部によるテーマ分類のワクを外して、論文発表のタイムライン順に内容を概観してみた。


アンソロジーを読む意味とは

 そもそも「論文」(essay)とは何のために執筆され、発表されるのか、その意味をこのアンソロジーをよむうえで考えておきたい。

 「論文」とはそもそも、ある特定のテーマに対して論を立て、その論を展開して主張を行い、論文を読んだ者になんらかの形でアクションを起こすべく仕向けるために執筆されるものである。

 したがって、すでに「論文」発表後の結末を知っている現在から、過去に執筆された「論文」を読むとき、なにかしら強い違和感を感じることもあるのは、「フォリン・アフェアーズ・リポート」に登場した諸論文の性格によるものであろう。

 その意味では、アンソロジーとは、投資銀行で使う意味とは異なるが、Tombstone のようなものであるのかもしれない。その心は、その後の展開を知っている立場からみれば、論点をハズしている論文もあるが、発表時点においてはそれなりに意味や影響力をもった論文であるということだ。だから、「記念碑」の意味で Tombstone といってみた。

 基本的に「フォーリン・アフェアーズ」掲載の論文は、米国の利害をなんらかの意味で反映したものだとみてよい。しかし、この米国の見解だけを見ていたのでは公平とはいえまい。

 たとえば、関岡英之という論者がいる。米国による「日本改造計画」に警鐘を鳴らしている論客である。その著書 『拒否できない日本-アメリカの日本改造計画が進んでいる-』(文春新書、2004)『奪われる日本』(講談社現代新書、2006)の二冊をつうじて米国の戦略性について逆照射した論考を発表しているが、こういった本を読んでみることも、インパーシャルな視点を身につけるためにも必要だといえるだろう。

 今回、1986年から2010年までの約25年にわたって「フォーリン・アフェアーズ・リポート」に発表されてきた、「日本的制度」をめぐる論文のアンソロジーを通観してみて、「自分史」を振り返る機会ももつことができた。私は1985年に大学を卒業してから約25年間、ビジネスマンとして過ごしてきた人間である。

 そのときどきの批判や悲観論、さまざまな見解が示されているが、日本も米国も25年間のあいだ、国家として続いてきたわけである。外部環境の激変のなか、今後の日本、そして日米関係がどう変化していくのか、今後も思索を行ううえで、「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の意義は大きなものがある。


終わりに

 なお最後になるが、「R+ レビュープラス」担当者によれば、「今回は過去にFARをレビューして頂いたことのある方の中から、編集長自らこの方にレビューを書いて頂きたいという方を直接選んで頂きました」ということでの指名である。
 たいへん名誉なことであるので、よろこんでお受けすることにした。

 こういう機会を与えていただいた「R+ レビュープラス」と月刊誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の双方に、この場を借りて感謝の意を表したい。





<参考サイト>

フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010
・・「フォーリン・アフェアーズ・リポート」の公式サイト


<ブログ内関連記事>

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.3 を読む

月刊誌 「フォーリン・アフェアーズ・リポート」(FOREIGN AFFAIRS 日本語版) 2010年NO.5 を読む-特集テーマは「大学問題」と「地球工学」-

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)・・マンガ家・石ノ森章太郎による『マンガ 日本経済入門』(日本経済新聞社、1986)の英語版 JAPAN Inc.: Introduction to Japanese Economics (Comic Book、1988) を題材に・・・





                 

2010年10月29日金曜日

書評 『「気づきの瞑想」を生きる-タイで出家した日本人僧の物語-』(プラ・ユキ・ナラテボー、佼成出版社、2009)




タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門

 日本の大学を卒業後、タイの大学院に留学中に3ヶ月の予定で「短期出家」したまま、以後20有余年、還俗することなく「開発僧」として森で瞑想修行を続けている日本人テーラヴァーダ仏教僧の精神のオディセイ。そして、「気づき瞑想」をつうじた仏教入門である。

 現在の日本では、スリランカ出身のスマナサーラ長老によるウィパッサナー瞑想法がメインストリームとなっているが、テーラヴァーダ仏教(上座仏教)の瞑想法はスリランカのものに限定されるわけではない。同じく上座仏教であるミャンマーの仏教僧による瞑想法指導もある。
 ただ、タイの仏教僧、しかも日本人によるものはあまりないようだ。「気づきの瞑想法」もウィパッサナー瞑想法であるが、レベリング(・・カラダの動きのひとつひとつにコトバでラベルを貼る瞑想法のテクニック)を行わない、比較的新しいメソッドである。米国では「ダイナミック・メディテーション」、中国では「動中禅」といわれているそうだ。詳しくは直接、第3章「気づきの瞑想」をみていただきたいが、なによりも「気づき」と「観察」を重んじる点が、ブッダ本来のあり方なのである。

 本書の著者は1962年生まれの日本人男性、いわゆる "オウム世代" でもあり、現代日本人が抱える精神的な問題を肌身をつうじて熟知している。それだけに、著者の紹介するタイ仏教とその瞑想法は、日本人にココロとカラダにも響くものが大きいのではないだろうか。実際に著者のもとを訪れて、精神的なウツ状態を乗り越えた日本人のケースを読んでいると、そう実感される。
 第2章「タイのテーラワーダ仏教」に描かれた、森の修行僧の一日、朝起きてから、托鉢、食事も含めて行住坐臥すべてが瞑想修行であるという姿勢は、ある意味では、カタチから入ってココロを整えていく生活主観としての瞑想法といっていいかもしれない。日本人にとっても無理なく実践できるものであるといっていいだろう。「気づき」と「観察」によって「観る人」になることが重要なのだ。これがすべての出発点になる。

 仏教学者が書いたのではない、テーラヴァーダ仏教の実践者が書いた智慧に満ちた本。いわゆるスピリチュアルなどの安直な癒しではない、ほんとうの癒しを求めている、悩み、苦しすべての人にぜひ薦めたい本である。



<初出情報>

■bk1書評「タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門」投稿掲載(2010年10月29日)
■amazon書評「タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門」投稿掲載(2010年10月29日)

*再録にあたって加筆した。




目 次

プロローグ
第1章 出家の経緯と開発僧
第2章 タイのテーラワーダ仏教
第3章 気づきの瞑想
第4章 一期一会の出会い
第5章 「気づきの瞑想」を生きるキーワード
あとがき


著者プロフィール

プラユキ・ナラテボー(Phra Yuki Naradevo)

1962年生まれ。タイ・スカトー寺副住職。上智大学卒業後、タイのチュラーロンコン大学大学院に留学。研究テーマは農村開発におけるタイ僧侶の役割。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとで出家。以後、村人のために物心両面の幸せを目指す「開発僧」として活動する一方、日本とタイを結ぶ架け橋としても活躍。また、在日タイ人の支援活動にも携わっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<書評への付記>

 本文中にも触れられているが、1962年生まれの著者は、オウム真理教(当時)の上祐某とは同い年である。上智大学の卒業。こう書いている私自身、実は1962年生まれであり、おなじ時代の空気を吸った人間として、著者の志向するところには大いに共感するものを感じている。

 バブルにまみれて生きてきた人間は、同時につよく精神性に惹かれていたこと、深い欲望世界のまっただなかにいたからこそ、深い精神性への志向が強いこと、この両者は逆説的に見えながら、実は合わせ鏡のような存在である。

 著者自身、アジア農村支援の NGO活動などにのめり込み、その意味では非常に欲望の強い人間なのではないかと思う。しかし、その NGO活動もそれ自体が、彼自身を苦しめるようになる。捕らわれすぎていたためだ。

 そして、人生をリセット(人生刷新)するために選んだのが「短期出家」であったということなのだ。

 タイでは、男子に生まれた以上、短期であれ出家することは、両親、とくに母親に対する孝養としてもっとも重んじられる徳行の一つである。なぜなら、上座仏教では女性は出家できないからだ。
 著者も、開発学を学ぶために留学した名門チュラロンコーン大学の指導教官に短期出家の件を切り出すと、自分も翌年短期出家するからと非常に喜ばれた、という。まさか、著者本人も指導教官も、そのまま還俗しないで修行を続けることになろうとは夢にも思わなかっただろうが。その後の指導教官の発言が記されていないのが残念だ。

 タイで出家して、手記を書いている日本人は少なくない。

 『タイの僧院にて』を書いた文化人類学者の青木保、『タイ仏教入門』などの著書をもつ元外交官で東南アジア学者の石井米雄といった、「短期出家」を行った体験記を書いている学者以外に、『タイでオモロイ坊主になってもうた』を書いた不動産業から足を洗って出家した元実業家などなど。ちなみにこの藤川チンナワンソ清弘は、現在も還俗することなく出家者を続けている。

 その意味では、本書の著者は、純粋に仏教の道を探求すべく修行し、かつ「開発僧」として活動しているという意味では異色の存在かもしれない。
 「開発僧」とは、1980年代からタイに登場してきた、実際の社会問題を解決するために、ブッダの教えに基づき、瞑想修行だけでなく、一般民衆のなかに入ってともに活動する仏教僧侶のことである。急激な経済成長がもたらす社会問題は、とくに都市部と地方との経済格差だけでなく、環境破壊という形でも顕在化している。「開発僧」の「開発」とは、「経済開発」という意味だけでなく、「人間開発」という意味を兼ねているのである。
 援助するという上から目線ではなく、民衆とともに森林保護や環境保全に取り組んでいるのが、「開発僧」なのである。

 こうした著者の立場は、上座仏教の研究者ではなく、あくまでも実践者としてのものである。著者の発言が実に貴重なものであるのはそこにある。


 著者が監修者になっている『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(カンポン・トーンブンヌム、プラ・ユキ・ナラテボー=監訳、浦崎雅代訳、上田紀行=監修・序、佼成出版社、2007)も一緒に薦めたい。

 もともと体育教師であった1955年生まれのカンポンさんは、24歳の時、水泳の授業の飛び込みで誤って全身打撲の重傷を負い、全身麻痺の障害者となってしまった人。しかし、「気づきの瞑想法」に出会い、すべてをありのままに受け入れることができるようになってからは、苦しむことなく生きることができるようになったという。タイの「乙武君」(『五体不満足』の著者)とでもいうべき人である。
 『「気づきの瞑想」を生きる』にも登場するカンポンさん在家信者だが、同じスカトー寺にいるプラ・ユキ師を訪れる悩み深き日本人に、生きる勇気を与え続けている人でもある。
 「気づき」、そして「観察する」。苦しむ人から苦しみを「観る人」になる。これがすべての解決方法なのである。

 悩み、苦しすべての人にぜひ薦めたい本である。いわゆるスピリチュアルなどの安直な癒しではない、ほんとうの癒しを求めている人は、「気づき」と「観察」から、まず第一歩を始めるべきなのだ。たとえ、仏教者でなくても、瞑想法そのものは身につかないとしても。


<ブログ内関連記事>

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)
・・日本仏教へのアンチテーゼとなっているのは、上座仏教だけではない。大乗仏教のダライラマ法王もまたその一人である。

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・
・・「書評への付記」で紹介した、日本人が書いたタイ仏教修行体験記についても言及している

タイのあれこれ(4)-カオパンサー(雨安吾入り)
・・上座仏教の「短期出家」はこの雨安吾の三ヶ月間に行われる

タイのあれこれ (16) ワットはアミューズメントパーク
・・バンコク市内のお寺について



                  
        
     

2010年10月28日木曜日

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)




 先週(2010年10月20日)バンコクにいった際に、サイアム・パラゴン内の紀伊国屋書店で買ってきたのが、この『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World. 100 Interviews with Business professionals.』である。The Thai Chamber of Commerce と Board of Trade of Thailand の編著になるもの。出版社は Amarin Publishing Services. 定価は B90、初版第1刷は2010年、発行部数は 3,500部。

 Sufficiency Economy は、タイ王国のラーマ9世プーミポン国王が、1974年から提唱している経済哲学である。タイ語では、セタキット・ポーピアン、日本語でいえば、「知足経済」、「足を知る経済」とでもなろうか。
 表紙は、刈り入れの終わった田んぼを歩いて視察する壮年時代のプーミポン国王。
 「足を知る」という日本語表現からも類推できるように、江戸時代の日本のような農本主義にフィットした経済哲学であることはベースにあることは間違いない。
 いまでもタイは、世界最大のコメ輸出国で、世界のコメ相場を決定するメージャー・プレイヤーであるが、1970年代と2010年代の現在を比較すれば、農業と工業の調和のとれた発展というよりも、やや工業化の道への傾斜具合が大きい・・かもしれない。

 近年、サステイナブル経済(sustainable economy)というコトバが話題に上ることも多い。サステイナブル経済とは、急激な経済成長のもたらすネガティブな側面を回避するため、身の丈にあった経済成長を志向する経済思想である。
 その意味においては、「足を知る経済」も「サステイナブル経済」と歩調をあわせたものだといえるだろう。むしろ経済哲学の表明としては、「足を知る経済」のほうが先行しているのかもしれない。

 では、「足を知る経済」は、「資本主義のオルタナティブ」なのだろうか?

 いやそうではない。あえていえば、資本主義の一(いち)バリエーションとして捉えるべきだろう。プーミポン国王自身、経済発展そのものを否定はしない。ただ、環境破壊ももたらさず、人間精神の破壊ももたらさない、調和のとれた発展が望ましいということなのだ。

 実際、本書においては、「足を知る経済」についての、100人のビジネス・プロフェッショナルへのインタビューを収録しているが、経済諸団体から11人、食品産業を含む農業から12人、製造業から24人、医療産業から3人、不動産業から6人、メディア産業から6人、小売業から18人、金融保険業から10人、教育産業から6人、観光ホテル業から4人の構成となっている。いずれも、タイを代表する経済人の面々であり、もちろん華人系が大半であるが、どのような経営哲学をもって経営にあたっているか語っており面白い。

 もちろん、国王陛下が提唱する経済哲学にコンプライアンスすることは、自らのビジネス追求にあたっても損になることはないだろう。そういった計算が働いているのも当然だろうが、同じく華人系とはいえ、中国大陸の「中国人」とは共通性もありながら、かなり異なる印象を受けるのは、移民先のホスト国であるタイ国民として受け入れられていることが、成功の条件となっている以上、当然の行動様式であるといっても当然のことなのである。

 ただ、華人といっても、エスタブリッシュメントに限りなく近い層と、新興成金層(ニューリッチ)とでは、経済哲学においても行動様式においても大きく異なるのは、どの国においても観察できることである。
 タイという文脈において、後者の新興成金層の代表は、クーデターで追放されたタックシン・チナワット元首相のことだ。

 以前、私は、書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)において、以下のようにエスタブリッシュメント層と新興成金層との、資本主義に対する態度の違いについて書いたので、再録させていただく。

 本書を読むと、中進国となった工業国タイの問題とは、米国が主導するグローバル資本主義にいかに対応するかという課題に対する、二つの解答のあいだのせめぎ合いであると見ることもできる。
 ひとつは、1997年の金融危機以後、タイの政治では例外的な、5年以上にわたる長期政権を実現したタクシン元首相の、積極的にアングロサクソン流のグローバル資本主義の流れに乗っかっていこうとした経済・社会政策
 もうひとつは、現国王ラーマ9世(=プーミポン国王)が提唱する「足るを知る経済」。後者は、仏教の経済思想に立脚し、サステイナブル経済を志向する、いわばオルタナティブ資本主義といえる。


 今回取り上げた「Sufficiency Economy」(足を知る経済)とは、ある意味では、タイ王国という文脈においては、エスタブリッシュメントの経済哲学、経済思想といえなくもない。すでに成り上がって時間のたつ事業家と、それに対するアンチテーゼとして成り上がってきた一代目の事業家との違いである。一代目の事業家であっても、前者の志向する側に立つ者がいるのは、処世術という観点からいえば当然である。

 このように整理してしまうと、誤解があるかもしれないが、ある意味では当てはまる話であると思われる。

 もちろん、プーミポン国王の提唱する「Sufficiency Economy」(足を知る経済)の中身については、私としては異論はない。

 タイ王国という文脈を離れても成立可能だと思うし、上座仏教の経済思想という点においては、シューマッハーの「Small is Beautiful」において展開された思想(・・シューマッハーはスリランカで考えた)とも共通するものがある。
 仏教は儒教とは異なり、イスラームと同様に商人層を主たる支持層として発展した宗教であることは、知っておいて損はないだろう。少なくとも原始仏教の段階ではそうなのであった。

 アジア発の経済思想として、「Sufficiency Economy」(足を知る経済)を取り上げる意味があると、私はと思うのである。



<関連サイト>

Sufficiency Economy 公式サイト(英語)

New Mandala: New perspectives on mainland Southeast Asia に掲載された書評
・・表紙カバーがなぜ農村地帯なのかと皮肉めいたツッコミがされているのは、豪州の大学関係者の執筆によるためだろう。

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン




         
         

2010年10月27日水曜日

書評 『観光(Sightseeing)』(ラッタウット・ラープチャルーンサップ、古屋美登里訳、2007、早川書房 2010 に文庫化)




若手タイ人作家による「英語文学」への登場

 この短編集は、タイ人の若手作家が英語読者向けに最初から英語で書いたものだ。たしかに、比較対象にされる、同じく英国在住の英語作家のカズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)に迫るものがあるといえよう。

 しかも、舞台はタイに設定しているが、テーマはかなり普遍的なものに触れるものがある。人生とはこういうものという事実い対する著者のやさしさが身に沁みる。若いのによくここまで書けるものだ、と。読者によって受け止め方はさまざまだろうが、私は読みながら、なぜか中島みゆきの歌の世界を想起させるものを感じていた。

 しかし、日本語よりも英語のほうがはるかに堪能なイシグロとは違って、ラッタウットの母語はタイ語であり、なぜあえて最初から英語で書いたのか、ここらへんについて考えてみることが、この小説集味わう上で意味がありそうだ。

 日本人作家が、日本語読者向けに、最初から日本語で書いた小説であれば、日本人にとって当たり前すぎることはテーマにはなりにくい。同様に、タイ人作家が、タイ語読者向けに、最初からタイ語で書いた小説であれば、タイ人にとって当たり前すぎることは、あえてテーマとして取り上げられることもないだろう。
 この短編集が、最初から英語読者向けに英語で書かれたからこそ、タイ人にしか知ることのできないが、タイ人がふつうテーマとしない内容とディテールが英語で語られるのである。
 この小説集が英語圏で賞賛されたのは、「観光」をつうじて熟知していると思っていたタイの、知られざるタイを知る思いをしたからだろう。

 『観光』(Sightseeing)というタイトルは、その意味でかなり逆説的だ。日本語訳も奇をてらわずに、そのままタイトルを日本語に移し替えているのが評価できる。


 収録されている短編を簡単に紹介しておこう。

「ガイジン」(Farangs)
「どうしても白人の女に惹かれてしまうタイの少年と、それを諌める母親との葛藤」(紹介文より)。タイでは白人のことを「ファラン」という。尊敬と蔑視の入り混ざったこの表現は、日本語でいう「ガイジン」とはニュアンスがやや異なるが、日本語訳のタイトルとしては適切だ。だが、タイを熟知している英語読者にとっては、なかなか意味深な内容だろう。

「カフェ・ラブリー」で(At the Cafe Lovely)
「11歳の少年が、いかがわしい酒場で大人への苦い一歩を経験する」(紹介文より)

「徴兵の日」(Draft Day)
徴兵制をしくタイ王国では、カネと地位で徴兵回避できるという話。将校に華人系はいても兵士には皆無。徴兵で貧乏くじを引いた兵士たちはみな、色の浅黒い若者たちだけだ。

「観光」(Sightseeing)
「美しい海辺のリゾートへ旅行にでかけた失明間近の母とその息子の心の交流」(紹介文より引用)

「プリシラ」(Priscilla the Cambodian)
バンコクのスラム街に生きるカンボジアからの不法移民の娘との交流。カンボジアやミャンマーなど周辺諸国からの不法移民なしに、バンコクの3K労働は成り立たない。

「こんなところで死にたくない」(Don't Let Me Die in This Place)
息子の住むタイで晩年を過ごすことになった老アメリカ人(紹介文より引用)。このような「ファラン」の老人は、タイ全土に数多く存在する。

「闘鶏師」(Cockfighter)
タイ人はほんとうに賭博好きだ。ムエタイやサッカーだけでなく、昔から人気があるのが闘鶏。そんな闘鶏にはまり込んで、財産を食いつぶして家庭を崩壊に追い込む父。そしてそれを見守る娘。


 文学作品としての完成度はさておき、知られざるタイを知ることのできる短編集として、タイ好きな人には推奨したい一冊だ。
 この味わい深い小説集を読むと、より深くタイとタイ人を理解できるようになるだろう。

 2010年には、同じく早川書房から文庫化された。


<初出情報>

 このブログへの書き下ろし。





著者プロフィール

ラッタウット・ラープチャルーンサップ(Rattawut Lapcharoensap)

1979年シカゴに生まれ、タイのバンコクで育った。タイの有名教育大学およびコーネル大学で学位を取得後、ミシガン大学大学院のクリエイティブ・ライティング・コースで創作を学び、英語での執筆活動を始める。『観光』でデビューするや、“ワシントン・ポスト”“ロサンゼルス・タイムズ”“ガーディアン”など英米の有力紙が大絶賛し、書評専門誌“パブリッシャーズ・ウィークリー”も「この一年で全米で最も書評される本になるはずだ」と激賞した。20062006年には全米図書協会による「35歳以下の注目作家」に選出された(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)
・・高校大学時代の6年間をニューヨークで過ごした、英語に堪能なタイ人による「日本論」






                   

2010年10月26日火曜日

書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)




タイ人がみた日本。さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ

 1973年生バンコクまれのタイ人現代作家が書いた日本についてのエッセイ集。
 バンコクに住む日本人青年を主人公にした、浅野忠信主演でタイ人監督による映画『地球で最後のふたり』(2003)の原案を起草し、脚本を担当している人だといえば、だいたいどういう人物なのか想像できるのではないだろうか。

 「タイが保護者であれば、日本は恋人だ」と広言する著者の視点は、タイ人のものであって西洋人のものではない。しかし、高校時代から大学時代にかけてという、もっとも多感な6年間をニューヨークで過ごした著者は、英語は堪能だが、日本語の読み書きはできないのが残念でならないようだ。

 「英語をつうじて西洋人の目に映る日本」と、「タイ語をつうじてタイ人の目に映る日本」のいずれにも熟知しているこの作家がみる日本は、サブカルチャーからハイカルチャーまで実に幅広い。日本を恋人として、全体として捉えたいという思いがそのまま反映しているのであろう。日本に魅せられた人なのである。
 「西洋人の目」とは、いわゆる「オリエンタリズム」のプリズムをいったん通過した日本であり、龍安寺の石庭や高野山といった、伝統的で、精神的な日本である。後者の 「タイ人の目」とは、著者と同世代以下のタイ人がものごころついてからドップリと浸かってきた日本のマンガでありアニメをつうじたものであり、また日本映画をつうじて同世代以下の一般のタイ人には親しい世界である。
 この両者が作家のなかで同居し、両立することで、あくまでも同時代人とて、等身大の日本をみる視点ができあがっているようなのだ。著者は冗談めかしてアニメ「一休さん」の世界というが(・・このアニメもタイで人気がある)、深い精神性を示した日本と「かわいい」が支配するこども的な日本明るい側面と暗い側面これらすべてがあわさってこそ日本であり、それがまた著者には限りなく魅力的に映るのだ。

 この本に収められたエッセイは、日本人が読んでもあまり違和感の感じないだけでなく、むしろ日本人があまり意識していない側面をみているのが面白く感じられる。
 しかも、単純に自文化であるタイと異文化である日本を比較しているのではない、さらに米国という比較軸が加わることによる、三点測量的な視点に面白さがあるのだ。もしかするとこの視点は、英語はできるがタイ語があまりできない日本人(・・これは私自身のことでもある)が、タイ文化をみる視点に共通するものがあるのかもしれない。 
 
 西洋人が書いた日本論は読んでも、アジア人が書いた日本論を読む機会があまりない人にはぜひすすめたい、「エキゾチックではない日本」のポートレート集である。


<初出情報>

■bk1書評「タイ人がみた日本。さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ」投稿掲載(2010年10月2日)
■amazon書評「タイ人がみた日本。さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ」投稿掲載(2010年10月2日)

*再録にあたって一部加筆した。




目 次

日本をあばく
閑座の芸術と十五の石の謎
日本への旅
日本の文化
日本とタイ
東京日記
時間を描くアーティスト
透き通って大きくてつまらない世界
哀しみの美しさ
騒がしい心


著者プロフィール

プラープダー・ユン(Prabda Yoon)

タイの作家。他に編集者、脚本家、評論家、グラフィック・デザイナー、イラストレーター、フォトグラファーとしても活躍している。1973年バンコク生まれ。中学卒業後に渡米し、ニューヨークの Cooper Union for the Advancement of Science and Arts で美術を学ぶ。卒業後、1998年にタイへ帰国。2000年に出版した2冊の短編小説集がともにベストセラーを記録する。2002年、『存在のあり得た可能性』で、タイの最も権威ある「東南アジア文学賞」を受賞した。同年、初の長編小説『Chit talk!』を発表。そのサウンドトラックというコンセプトのもと、音楽活動も展開した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<関連サイト>

Last Life In The Universe (U.S. DVD trailer)
・・タイを舞台にした映画 「地球で最後のふたり」(2003)のトレーラー。
 監督:ペンエーグ・ラッタナルアーン
 脚本:ペンエーグ・ラッタナルアーン、プラープダー・ユン
 撮影:クリストファー・ドイル

 なお、ペンエーグ監督については、タイのあれこれ (25) DVDで視聴可能なタイの映画 ④人生もの=恋愛もの映画「わすれな歌」を紹介してある。私が大好きな映画。
 また、バイオレンス&サスペンスものの映画 「6ixtynin9 シックスティナイン」(1999)では、監督・製作・脚本をすべて担当している才人。この映画については、タイのあれこれ (23) DVDで視聴可能なタイの映画-① ムエタイもの、② バイオレンス・アクションもの で紹介してある。
 ペンエーグ監督は、タイのニューウェーブを代表する映画監督の一人である。


<ブログ内関連記事>

書評 『観光(Sightseeing)』(ラッタウット・ラープチャルーンサップ、古屋美登里訳、2007、早川書房 2010 に文庫化)
・・英語で作家活動を行う若手タイ人の短編集について




         
                              

2010年10月25日月曜日

書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)




クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方

 ほとんど内戦状態に陥ったといってもよい、2010年4月から5月にかけての「バンコク騒乱」。バンコク市内中心部に籠城する赤服組と治安部隊との激しい銃撃戦、放火されて焼け落ちた中心街の百貨店は、新聞情報やインターネット情報、YouTube映像で見る限り、きわめて激しいものであった。

 本書は、この「バンコク騒乱」に至るまでの、ここ数年のタイ王国の政治状況を、アジア総局長として2005年9月から2009年8月までバンコクに駐在していた朝日新聞記者がまとめたものである。
 タイトルは 『バンコ燃ゆ』 となっているが、2010年4月の「バンコク騒乱」そのものの記述は、全16章のうちたった1章をあてているに過ぎない。著者自身が帰国後に起こった事件ということもあろうか、新聞記者としては現場にいなかったということは致命的なことなのかもしれない。

 むしろ、副題の「タックシンと「タイ式」民主主義」が、本書の主要テーマであるといえる。ここ数年間のタイ政治は、タックシンという、いい意味でも悪い意味でも、タイの政治史上でもまれに見る個性的で強力な指導者をめぐって展開してきた。
 2006年9月のタックシン首相(当時)のクーデタによる追放と、その後の不安定な政治状況について扱った本書は、「バンコク騒乱」に至るまでの政治状況を時系列で淡々と整理しながら、ときおり著者自身のコメントを交えながら記述しており、タイの国内政治の背景を知るためには不可欠の情報になっている。ただし、少し細かすぎるのではないかという感想もあるかもしれない。ただし索引が完備しているのでレファレンスとしては役に立つだろう。
 本書の特色は、なんといっても、海外追放中のタックシンとの単独インタビューを逃亡先のドバイのホテルで行ったことだ。タックシン自らの見解が正しいかどうかはさておき、肉声を直接確かめて随所に引用していることは、本書の内容に厚みを増している。著者はこのために、タイではタックシン寄りと誤解されて苦労したと本書のなかで漏らしている。

 「タイ式」民主主義とは、西欧や日本の民主主義とはやや異なる、タイならではの政治的安定装置のことを意味する表現であるが、1992年以来、もはやあるまいと思われていた15年ぶりのクーデタによって、アジアの「民主主義」優等生としてのタイのイメージは完全に崩れ去った。と同時に、クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義が、もはや機能不全状態にあることも明らかになったのである。

 おそらく著者はこの本を執筆するにあたって、相当量の情報を捨てたものと推察されるが、それでも、タイの政治を扱った本なかでは例外的に、かなりきわどい側面にまで踏み込んで記述している。
 このため、著者の個人的見解にすべて賛成する必要はないが、事実関係と著者の解釈を区分して読むことさえできれば、タイ王国の今後を考えるうで、読む価値のある一冊になっているといってよいだろう。


<初出情報>

■bk1書評「クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方」投稿掲載(2010年10月2日)
■amazon書評「クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方」投稿掲載(2010年10月2日)

*再録にあたって、一部の字句の修正を行った。




目 次

まえがき
第1章 異形の政治家タックシンとその時代
第2章 二一世紀のクーデター
第3章 軍の盛衰
第4章 新憲法制定から総選挙へ
第5章 黄色い王党派・PAD
第6章 サマック政権の崩壊
第7章 三度目の10月の流血
第8章 空港占拠とタックシン派政権の崩壊
第9章 王党派最後の砦、裁判所
第10章 PADに偏るメディア
第11章 流血のソンクラーン
第12章 プレームとタックシン
第13章 首都燃ゆ
第14章 地域対立と階級闘争
第15章 王国覆う不安
第16章 タイとアジアの民主主義
あとがき
関連年表・タイと近隣諸国
参考文献
索引

著者プロフィール

柴田直治(しばた・なおじ)

1955年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。1979年朝日新聞社入社。徳島支局、神戸支局から大阪社会部員、マニラ支局長(1994年~1996年)、大阪社会部、東京社会部デスク、論説委員、神戸総局長、外報部長代理を経てバンコクにてアジア総局長(2005年~2009年)。現在、特別報道センター長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)



<書評への付記>

 先週の後半、「バンコク騒乱」から半年後に初めてバンコクに行ってきた。

 「騒乱」終結後に放火され延焼した ISETAN は再オープンし、全焼した隣接する ZEN は現在立て直し中。骨組みは作り終わったという状態で、これを機に増床して再出発するという。


 MRT(地下鉄)やBTS(高架鉄道)の駅では、あれから半年たった現時点でも、迷彩服を着てライフル銃を肩にかけた陸軍兵士が二人組みで警戒にあたっている。あまり感じがよくないが、「反日デモ」に荒れる中国より危険度は低いだろう。


 私自身は、2009年4月までビジネスマンとしてバンコクに滞在していたので、本書の著者の滞在と重なる期間もあり、この間に現地で見聞きしていた情報を再確認しながら読んでいたが、新聞記者とビジネスマンとでは、現地にいて同じ情報を見ていながらも、大筋としては同じだが、情報の解釈には若干相違があるものだなと感じながら読んだ

 「バンコク騒乱」は、タイ人も比較的慣れているクーデタの比ではなかったのだ。タイ人にとっても、そうとう精神的に大きなダメージになったようだ。しかし、「騒乱」直後の清掃ボランティアや社会再建にむけての自主的なグループ活動の開始など、明るい面も多い。

 もちろん半年たった現在は、そんなことがあったこともとうの昔の出来事であるかのように、完全に平常生活に戻っている。

 本書で興味深く思ったのは、著者自らが日本の新聞に日本語で執筆した記事の内容が、英訳を介してタイ国内にフィードバックして思わぬ波紋を引き起こした状況について語っている箇所だ。こういうシーンが何度もでてくる。情報のウラを取らずに報道する傾向の強い、タイのメディアの状況の問題点である。ただし、これは外国メディアの報道に盲従というよりも、自陣営に有利になるように外国報道を利用しているタイ人のしたたかさという面もある。

 本書で展開している、第14章「地域対立と階級闘争」という捉え方は正しくない。正確には「地域対立と身分闘争」というべきだろう。地方=低い「身分」、として扱われているのがタイの本質。なんせ、奴隷解放は米国より遅かったというタイである。また東北地方や北部はラオス系であり、民族も厳密にいうと同一ではない。階級と身分を区分して考えないのは、著者は早稲田出身のくせに社会科学的ではない。

 些末な点かもしれないが、本書ではソンティー・リムクントーンの出自が潮州系となっているがこれは間違い。海南系である。本書には言及がないが、アピシット首相は、奇しくもタックシンと同じく客家(ハッカ)系だ。
 こういった華人系の出自についての理解不足は、タイの政治経済を見るうえで問題となる。なぜなら、今後ますます中国の影響力が増して行くであろうタイにおいては、これら華人系政治家や華人系経済人の動向は注意して観察する必要があるからだ。
 いや政治家や経済人は、ほとんどすべてが、血の濃度に違いはあれ、華人系であるといっても言い過ぎではない。

 本書は政治について書いているが、政治が不安定なこの期間も、「リーマンショック」の打撃を受けた一時期を除き、経済は輸出を中心にきわめて好調である。この面にほとんど触れていない本書は、やや一面的な感を受けないでもない。
 かつて日本は「経済は一流、政治は二流」と揶揄されてきたが、現在のタイはある意味では似たような状況であるともいえなくはないからだ。
 政治と経済は分離可能であり、しかしながら不可分の関係にある。

 首都のあるバンコクとそれ以外はまったく違うのである。この点は協調しておかねばならない。




<関連サイト>

21 Guns - Green Day (made for Thailand) 
・・「騒乱」直後、バンコク在住のタイ人の友人が教えてくれた。タイ人のココロを捉えている動画。再生回数22万回以上。


<ブログ内関連記事>

「タイ・フェスティバル2010」 が開催された東京 と「封鎖エリア」で市街戦がつづく騒乱のバンコク・・2010年5月

「バンコク騒乱」について-アジアビジネスにおける「クライシス・マネジメント」(危機管理)の重要性

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)・・必読書!






                  

2010年10月24日日曜日

ついにタイでシャム猫を発見!




  
 バンコクに一度でもいったことのある人は知っているだろうが、バンコクは人もあふれているが、イヌもあふれている。一年をとおして暑いので、イヌは日中は死んだようにダラダラと寝そべっている。

 以前に比べると処分されたのか、市街地ではイヌの数が減ったような感じがしなくもないが、郊外に出なくても、路地裏に入るとくさるほどイヌに遭遇することになる。
 夕方になって気温が下がってくると、イヌも起き上がって動き始めるので、こういった路地裏ではイヌに気をつけなくてはならない。野良犬と飼い犬が混在しているが、ともに狂犬病にかかっている可能性もあるので、嚼まれるとちょっとまずいことになるからだ。

 イヌが多いが、不思議なことにネコをほとんど見ない、これは以前このブログでも、タイのあれこれ (10) シャム猫なんて見たことない・・・と題して書いたが、集中的にネコがいるのはお寺の境内などで、そのほかではあまりネコを見ないのである。ミャンマーのヤンゴンよりネコの数が少ないような感じがする。

 ところが、今回は短い滞在なのに、なぜかネコには三度遭遇した。
 しかも、念願かなって、生まれて初めて、タイでシャム猫に遭遇したのである!(前掲写真を参照)

 シャム猫は、シャム(=暹羅、現在のタイのこと)で出現したネコで、非常に特徴のあるネコである。エジプト原産のネコが交易をつうじてタイ(シャム)にもたらされ、突然変異して出現したのがシャム猫だ。

 今回は、土曜日にオンヌットの市場(いちば)を歩いているときに、屋台のまわりをうろつくシャム猫に遭遇。高貴なネコも市場(いちば)でみると、シャムだからシャム猫なのだ(!)と納得するのであった。

 もう一匹は、アソークの交差点にて。こんな市街地でネコを見るのは珍しい(・・写真はなし)。

 そして、驚いたのが、ホイクワン駅近くで爆睡中のトラネコに遭遇したことだ。快晴であったこの日の日中の気温は30度を超えていたが、このネコは日陰であるとはいえ、泥酔したオッサンが帰宅途中に道路で眠ってしまったというような格好で、大股ひらいてドテ寝していた。


 すぐ近くによっても、まったく気がつかない爆睡ぶり。REM睡眠中だったのだろう。片目が開いていたが白目、片耳がアタマのしたになっていることにも気がついていないようだ。いったい、このネコはどんな夢をみていたのだろうか?

 反対側からお坊さんが歩いくるのが見えたので、トラネコの安眠妨害はやめにした。生き物をいじめていると勘違いされてはまずいので・・・


 別に問題意識をもって町歩きをしていたわけではないが、デジカメは持ち歩くようにしている。こういう生活習慣をもっていると、ときどき面白いものに遭遇するというわけなのだ。



<ブログ内関連記事>

タイのあれこれ (10) シャム猫なんて見たことない・・・

タイのあれこれ(8)-ロイヤル・ドッグ






             

バンコクで「かぼちゃプリン」を食べる




 今回の出張は、バンコクでの宿泊は BTSオンヌット駅の近くだったが、たまたま駅改札口をでたところで店を開いている甘いもの屋の売店で「かぼちゃプリン」を売っているのを見つけたので、さっそく買って帰り、ホテルの冷蔵庫で冷やして食べてみた。

 日本でいう「かぼちゃプリン」(パンプキンプリン)は、かぼちゃ風味のプリンのことだが、東南アジアの「かぼちゃプリン」は、日本でいえば坊ちゃんかぼちゃくらいの大きさの小さめのかぼちゃの種を取り除き、中をくりぬいて、あひるの卵で作ったプリンを流し込んでフタをしてから蒸した東南アジアならではのスイーツである。



 かぼちゃプリンはカンボジアでもタイでもごくごくありふれたスイーツだが、なんといってもかぼちゃの皮ごと食べられる、きわめてナチュラルで素朴な味わいがうれしい。

 坊ちゃんかぼちゃの 1/3 サイズで B40、日本円でいえば100円もしない。タイでは、社員食堂(キャンティーン)や、フードコートにもおいてある一品である。

 タイ料理は、食事はピリ辛、いや激辛だが、デザートはひたすら甘い。
 このコントラストがいいのである。

 もちろん、この「かぼちゃプリン」、坊ちゃんかぼちゃの 1/3 サイズでも、けっこうお腹が一杯になる。
 甘いもの好きな人は、一度は試して欲しいものだ。


<ブログ内関連記事>

カンボジアのかぼちゃ
・・カンボジアの「かぼちゃプリン」についても触れている。





              

エコノミー(=サード・クラス)利用で、お金を一銭もかけずに、ちょっとだけ特別扱いされる方法





 マイレージ会員も利用度に応じてマイレージがたまるだけでなく、ステータスがあがると、たとえば全日空(ANA)の場合でいえば、ブロンズ、プラチナ、そしてダイヤモンドとプレミアム会員となっていく。

 私は国内外を異常なまでに移動していた時期には、連続してダイヤモンド会員であったこともあるが、飛行機に乗る回数が極端に減ったので現在は、マイレージ会員ではあっても、プレミアム会員ではない。したがって、ラウンジも使用できなくなる。
 
 プレミアム会員であると、搭乗の度に CA が挨拶にきて特別扱いしてくれる。
 周囲の眼を気にして、一人だけ名前を呼ばれるのが嫌だという人もなかにはいるようだが、ジョージ・クルーニー主演のハリウッド映画『マイレージ、マイライフ』ではないが、たいていの人は特別扱いされたら満更ではない、というものだろう。

 さて、ここからが本題だ。

 ファーストクラス(=一等席)でも、ビジネスクラス(=セカンドクラス、二等席)でもなく、エコノミークラス(=サードクラス、三等席)で、しかもマイレージクラブのプレミアム会員ではなくても特別扱いしてもらう方法、それもお金を一銭も使わずに。

 お金を払えば、CIP 会員になって特別扱いしてもらうという方法がある。CIP とは Commercially Important Person の略、VIP(=Very Important Person)がお金のあるなしにかかわらず重要人物であるとすれば、CIP はお金のチカラをフルに活用して重要人物になる方法である。
 世の中、カネで解決できないことはあまりないといっていいだろう。お金のある人は大いに活用していただきたい。

 お金を使わずに、ちょっとだけ特別扱いされる方法がいくつかある。

 まず世話が必要な幼児や老人あるいは身体障害者であること。これは自ら望んでなるものではないので、ここでは論じないこととする。

 私がいつもやっているのは、国際線の場合、「特別食」(スペシャルミール)を事前にリクエストしておくという方法である。

 全日空の場合は、アレルギー対応ミール、ベビーミール(0才以上2才未満)、チャイルドミール(2才以上12才未満)、ベジタリアンミール、ヒンズーミール、イスラムミール、ユダヤ教ミール、糖尿病対応ミール、低塩ミール、低脂肪ミール、低カロリーミール、ジャイナ教徒用ベジタリアンミールが容易可能であるようだ。詳しくは、全日空のウェブサイトの該当箇所「特別食」(スペシャルミール) を参照されたい。

 私の場合は、いつも行きの便は、ベジタリアンミールをリクエストしている。

 全日空の場合は、以下のカテゴリーに分類されている。「ベジタリアンミール」は、肉類や魚類がいっさいない料理だが、カテゴリーによっては卵や乳製品を使うもの。「厳格なベジタリアンミール」(肉、魚、卵、乳製品、蜂蜜など動物由来の食品は一切使用されていない)、「ベジタリアンヒンズーミール」(アジア風のベジタリアンミール。スパイシーなベジタリアン料理のコンビネーションになっており、肉・魚・卵は使用しないが乳製品は含まれている)。

 私は、厳格なベジタリアンでもヒンズー教徒でもないので、フツーの「ベジタリアンミール」にしている。
 全日空のベジタリアンミールは、エコノミークラスであっても旨い(!)のである。
 以前、「厳格なベジタリアン」を試してみたことがあるが、正直いってあまり旨くなかったこともあり、ベジタリアンミールは他の航空会社のものも含めて食べ比べしてみての結論だ。

 ちなみに、今回のバンコク行きの便ででたベジタリアンミールは、野菜のグラタン。肉も魚も使わないベジタリアンミールのほうが旨いというのは、知られざる・・・なのである。

 ただし、バンコクからの帰国便ではベジタリアンミールにはしないことにしている。行きの便は、全日空の機内食調理会社が作っているのだが、バンコク発の便はたとえ全日空であっても、タイ航空の機内食調理会社が作ったもので、これがめちゃくちゃまずいのである。タイ航空の機内食は、全般的にまずいのはなぜなのだろうか?

 というわけで、少なくともバンコク往復の場合は、行きの便は事前にベジタリアンミールをリクエストしておくと、自分だけ特別食がサーブされるので、ちょっとだけ特別扱いされた気分になるというわけなのだ。

 もちろん、ビジネスクラス(=セカンド・クラス)でも、ベジタリアンミールは試してみる価値があることはいうまでもない。シンガポールエアラインのビジネスクラスでベジタリアンミールにした際は、インド系の 男性 CA からフツー以上に心を込めて(?)サーブされた経験がある。

 ふだんは肉や魚を食べていても、国際線に乗るときくらいはベジタリアンにしてみるのは、カラダにいいだけでなく、特別扱いもされるので、チャレンジ精神のある人は一度試してみたらいいいと思う。




                

2010年10月21日木曜日

はじめてバンコク国際空港から高速鉄道(エアポート・リンク)に乗って市内に入ってみた




            
 サワディ・カップ!
 いまこれを書いているのはバンコクである。

 今年(2010年)4月の「バンコク騒乱」から半年が経過した。私がバンコク入りするのは、「バンコク騒乱」以来はじめてである。

 今回は、はじめてエアポート・レール・リンク(Aiport Rail Link)に乗って市内に入ってみた。今年8月12日に開通したばかりの、タイ国鉄が運行する空港ライナーである。片道B15は安い。日本円だと50円もしない。



 バンコクのエアポート・レール・リンクは、マレーシアのKL(クアラルンプール)空港の KLIA ekspres(マレー語)と比べても乗り心地は悪くない。車両はドイツのシーメンス製である。
 KLIA ekspres は、パームやし畑を抜けて走っていくのが南国風で心地よいが、一方バンコクの Aiport Rail Link は、ハイウェイと平行して高速で疾走するので上からみる眺望はよい。

 B15という開通記念特別価格のためもあろうか、各駅停車の乗客の大半はローカルのタイ人である。



 バンコクで知人に聞いてみたところ、エクスプレスのほうは片道が B100 で、ほとんど乗客がいないようだ。空港とマッカサン駅のあいだをノンストップで走っているが、シティ・エアターミナルが開設されていないためと思われる。

 終点までいかずに、途中のマッカサン駅で下車。MRT(地下鉄)ペッチャプリ駅は、そのまま地下に降りたら乗り換えられるものだと思っていたが、なんと駅を出てから歩いて3分もかかる。しかも地上は混乱するバンコクそのもの。混雑する道路をバゲージを引っ張って歩く気にはとてもなれない。こういうところがまったくもってタイである。なぜ最初から計画的に物事を進めないのか? エアポート・レール・リンクがすばらしいだけに、乗り換えの不便さにはまったくもってがっかりさせられる。
 地下鉄に乗り換えるのはやめて、タクシーでホテルまでいくこととした。タクシーは長くても5分は待てば来るので心配はない。



 なお、マッカサン駅には シティ・エア・ターミナルが設置予定とのことだが、いつになることか?

 ところで、バンコクの都市交通システムは、MRTとBTSそれぞれ運営主体が異なるので、いまだ共通カードが実現していない。本来なら2年前?には完了していたはずの共通カード化、システム統合が遅れているという問題なのかどうか・・・。何ごともチグハグでずさんなタイである。

 町の様子は、すでに夕方だったが、駅の周辺にはライフルをもった兵士がいるのは慣れない光景だ。
 詳しくは、明日以降、時間の都合がつくときに見てから書いてみたいと思っている。

 2時間のタイマッサージをたっぷり受けてから、タイ海鮮料理店でオースアン(カキの卵とじ)など食べながらタイガービアを飲んできた。
 
 ではまた。


<追記>

 その後、BTSのエアポート・リンクの終点との乗換駅パヤ・タイで下車して、接続状況について実査してみたところ、この駅で乗り換えたらスムーズに移動できることがわかった。もし、エアポート・リンクを利用される際は、各駅停車で終点までいって、そこでBTSに乗り換えることをお薦めする。バゲージがあっても心配は要らない。
 なお、各駅停車の片道 B15 は開通記念価格なので、時期を見て値上げするとのことだ。(帰国後の2010年10月24日に記す。同時に写真も挿入した)



<関連サイト>

Airport Rail Link (英語)
・・タイ語と英語のみ。日本語表記はなし。こういうところがマレーシアとは違うんだなあ。タイと比べると、マレーシアは明らかに先進国であることは認めねばなるまい。






             

2010年10月19日火曜日

書評 『空港 25時間』(鎌田 慧、講談社文庫、2010 単行本初版 1996)




業務マニュアルではなく、「現場」で働くナマの人間の声で語られた「仕事」=「人生」

 「空港」にかかわるさまざまな仕事を、社会派ルポライターの鎌田慧が聞き書きでまとめた一冊。

 機長2人、パーサー2人、カウンター、貨物の搭載、機内クリーニング、整備士、運航管理者、航空管制官、税関の合計11人からの聞き書きが、本人の語りをうまく活かして収録されている。
 最初から通して読み進めてゆくうちに、この人たちがいるからこそ、飛行機が安全に飛ぶという「当たり前のことが当たり前に」なっていることに、あらためて気がつかされるのである。テレビドラマには出てこない仕事にも十分に目配りしている。

 面白いのは、「空港」にかかわる仕事は航空会社の従業員だけでなく、国家公務員も含まれていることだ。財務省関税局の下部機関に属する税関職員、そして国土交通省に属する航空管制官。この人たちを欠いては、「空港」にかかわる仕事を描いたことにならないのである。

 初版の単行本が出版されたのは1996年、文庫版では現在の仕事内容に合わせて加筆訂正したらしい。取材対象となった航空会社は、どうやら日本航空(JAL)のようだ。仕事内容は14年前も現在も、基本的に変わっていないだろうが、14年前の時点でベテランとなっていた人たちの聞き書きであり、仕事への取り組み姿勢や人生観なども現在とはやや少し距離があるのかもしれないな、という感じももった。

 しかしそうはいっても、それぞれの「現場」で長年仕事をしてきた人たちの話である。「現場」の仕事のディテール、「現場」ならではの独自の視点からでてきたキラリと光る発言、航空自衛隊や米軍もかかわる日本の空をめぐる現状についての何気ない発言など、読んでいて非常に興味深いものがある。 

 私はこの本を、海外渡航のお供として持参し、機内で読みふけったが、もちろん地上で読んでも内容は十分に面白いはずだ。読みながら、いろいろ想像力を働かせてみるのは楽しいシミュレーション体験になるだろう。

 どんな仕事であれ、それぞれの「現場」がある。仕事内容はそれぞれ詳細なマニュアルがあるのだろうが、業務マニュアルではなく、「現場」で働くナマの人間の声で語られた本書は、「仕事」とは何かについて語った「人生」についての本でもある。

 本書は仕事人の苦労と誇り、こういったさまざま側面が語られた味わい深い本である。


<初出情報>

■bk1書評「業務マニュアルではなく、「現場」で働くナマの人間の声で語られた「仕事」=「人生」」投稿掲載(2010年03月22日)





目 次

機長A-9時間の退屈、1秒の恐怖
パーサーA-お客様をハッピーにさせる空飛ぶ職人です
カウンター-「できません」でなく「やってみます」の精神で
貨物の搭載-積み方ひとつにもコツがあります
機内クリーニング-1機当たり20分の勝負
整備士-指先と五感がものをいう
運航管理者-地上からの支援、うまくいって当たり前
機長B-パイロットに求められる体力と柔らかい頭
パーサーB-キャビン・アテンダントにもっとも大切なスマイルと気配り
航空管制官-2分に1機の過密ダイヤをさばく
税関-この仕事、非情一本槍ではダメなのです


著者プロフィール

鎌田 慧(かまた・さとし)

1938年青森県生まれ。早稲田大学文学部卒業。新聞、雑誌記者を経て、フリーとなる。開発・公害・教育・労働など、社会問題を追及する社会派ルポライターの第一人者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)






             

2010年10月18日月曜日

『JAL崩壊-ある客室乗務員の告白-』(日本航空・グループ2010、文春新書、2010) は、「失敗学」の観点から「反面教師」として読むべき内容の本




間違っても機内に持ち込んで読むべき本ではないが、「経営の失敗学」の観点からは生きた事例の宝庫である

 「JALの現役・OBを含めた、複数の客室乗務員(CA:キャビン・アテンダント)等のグループ」が、主に人事労務にかかわる観点から描いた内幕物である。

 私は昔からよほどのことがない限り JAL は利用しないのだが、この本を読む限りこの会社には実に大きな問題がある(・・あった、と過去形でいうべきなのだろうが、インサイダーではないのでわからない)ことが手に取るようにわかる。
 正直いって、読んでもあまり後味のよいものではない。この本は、どの航空会社であるかは問わず、機内では読まない方がいい。読んでいて不安になってくるから、地上で読むことをおすすめする。

 しかし、読んで損はないと思われるのは、「経営の失敗学」の観点からみたら、生きた事例がゴロゴロしているからだ。「失敗学」とは、畑中洋太郎(東京大学名誉教授)が 2000年に提唱した概念。機械設計の失敗事例から帰納的に導き出したものである。畑中洋太郎氏は、のちに、様々な局面における「失敗」のパタン分析と回避方法について研究を蓄積している。

 日本航空の財務的な面からの失敗原因は、「週刊ダイヤモンド」(2009年11月7日号/特集:JAL 国有化の罠)などビジネス誌が、特集という形で具体的な数字をあげて解説しているので、そちらをご覧になればよい。
 経営資源のヒト・モノ・カネのうち、もっとも重要な資産であるヒトにかかわる状況は、事の性格上、内部関係者にしかわからないものがある。その点、こういう本も読んで損はないわけだ。ただし、鵜呑みにせず、距離を置いて読む必用がある。

 この本の第3章では、航空会社には、業務内容と労働条件があまりにも異なる4つの会社がある、という言い方がされている。すなわち、地上職、パイロット、整備、客室乗務員であるが、もちろん専門性の違いによって処遇に違いがあるのは当然といえ、同じ機内で勤務するパイロットと客室乗務員(CA)とのあいだの格差、しかもCAのあいだに存在する雇用条件の格差(=正社員と非正社員)には眼に余るものがある。国際水準からもほど遠い。

 これに組合問題がからんだ複雑な人事労務問題を処理しなければならない JAL は、再建の担い手からみても、きわめてやっかいな存在であろう。人事労務関係の施策があまりにもお粗末であることが、この本の中では何度も訴えられているが、そもそも「会社は頭から腐る」(冨山和彦)わけであり、再建にあたってトップが不退転の決意でもって過去の問題を精算していかない限り、末端まで改革が浸透しないのではないか。そういう感想をもつのは私だけではないだろう。

 第1章では、JAS(旧 日本エアシステム)との統合が最大の問題であったことが主張されている。たしかに「一将功成って万骨枯る」の結果であるようだが、これは経営サイドにおける M&A戦略の明かな失敗であり、なによりも「合併後の経営統合」(Post Merger Integration)の観点の欠如したお粗末な戦略であったことが、労働生産性と人事労務管理の観点から理解されるのである。
 しかし、これは JAL に限った話ではない。日本企業による M&A がうまくいかない理由の一つである。

 また、第3章では、女性管理職のあり方について、いろいろ示唆も多い。女性従業員の多い職場での女性管理職本人、女性管理職を部下にもつ人にとっては「他山の石」として必読であろう。

 航空会社の業務のなかでも、機内での「顧客との接点」(コンタクト・ポイント)である客室乗務員、しかもチーフパーサーやパーサーも含めた、ややベテランの立場からの発言であることを考慮にいれて読むべきだろう。
 顧客との接点といえば何よりも地上職員(グランドスタッフ)の声もまとめて聞いてみたいという感想ももつ。
 ブランド価値構築にとってもっとも重要なプレイヤーが、こういった現場で地道に働いている職員だからだ。

 最初にも書いたが、正直いってあまり後味のよい内容ではない。だが、とくにサービス業に従事するビジネスパーソンには読むことをすすめたいと思う。「他山の石」として、「反面教師」として、貴重な事例に充ち満ちているからだ。

 他社の失敗経験から貴重な教訓を得ることもまた、大事な「学習経験」となることを肝に銘じておきたい。「人の振り見て我が振り直せ」、と昔からいわれているではないか。
 


<初出情報>

■bk1書評「間違っても機内に持ち込んで読むべき本ではないが、「経営の失敗学」の観点からは生きた事例の宝庫である」投稿掲載(2010年03月28日)

*再録にあたって、大幅に加筆した。






<関連サイト>

特定非営利法人 失敗学会
・・畑中洋太郎氏主催

失敗知識データベース
・・「科学技術分野の事故や失敗の事例を分析し、得られる教訓とともにデータベース化したもので、科学技術振興機構(JST)が提供」





              

2010年10月17日日曜日

建設中の東京スカイツリー(墨田区押上)を千葉県船橋市から真西の方向に見る




 最近さかんにテレビで取り上げられる東京スカイツリー。先日は完成前に最初で最後のライトアップもされたらしい。

 全部完成すると 634mになるらしいが、現在(2010年10月17日現在)は 488m、全体の約77%が完成したことになる。語呂合わせで武蔵(むさし=634)、2008年7月14日に着工し、2011年冬に竣工完了予定。2012年春に開業予定だそうだ。最寄り駅は、東武伊勢崎線の業平橋(なりひらばし)駅。

 近くまでいって下から見上げながら撮影した画像は多いだろうが、東京都外、しかも千葉県船橋市から撮影した画像はあまりないだろう。実のところ、私はまだ近くから見たことはない。
 建設場所の押上(東京都墨田区)から船橋まで、直線距離で約20km、まあそんなに遠いわけではない。

 実はいま住んでいる建物から、肉眼でスカイツリーが見える(!)ということに気がついたのは、つい最近のことだ。
 同じ建物に住んでいる近所の小学生低学年の子供が、一緒にいたその子の友達に「あれがスカイツリーだよ」といって教えているのを、たまたま通りかかった私は小耳に挟んだのだがキッカケだ。それがまさにスカイツリーであることにはじめて気がついた。 
 こういう情報は、子供の話だからといってバカにしてはいけないのである。

 あらためて見てみると、肉眼では小さいのだが、デジカメでズームアップで撮影した画像を見ると、ディテールまで結構よくわかる。てっぺんには、うっすらとクレーンが写っているのがわかる。

 完成までまだあと1年以上あるが、そのときまでここに住んでいるかどうかはわからない。
 とはいえ、千葉県船橋市からは、スカイツリーはちょうど真西の方向にあるので、日没時の夕焼け空に浮かび上がるスカイツリーを見るのは、ちょっとした最近の楽しみになっている。

 アウトドア作家の椎名誠でないが、「半径30mの世界」には、意外と面白いものが転がっているものだ。ただ気がついていないことが多いだけなのだ。


<関連サイト>

東京スカイツリーの公式サイト

東京スカイツリー(Wikipedia の項目)


<ブログ内関連記事>

『伊勢物語』を21世紀に読む意味
・・最寄り駅の東武伊勢崎線の業平橋駅といえば、在原業平(ありわらのなりひら)とおぼしき人物を主人公にした『伊勢物語』の東下りのシーンを思い出す





              

2010年10月16日土曜日

本の紹介 『シブすぎ技術に男泣き!-ものづくり日本の技術者を追ったコミックエッセイ-』(見ル野栄司、中経出版、2010)




いやあ、それにしても実にシブい!久々に面白いマンガを読ませてもらった。

 半導体製造装置やアミューズメント機を設計していた経験をもつ、メカトロ分野の設計エンジニア出身のマンガ家が、機械設計のエンジニアと「ものつくり」の中小企業の現場の世界を描いたガテン系マンガ。技術と生産だけでなく、営業やお客とのからみも、人間関係を軸に描いているので実に面白い。

 私はエンジニア出身ではないのだがが、機械部品の世界に身を置いていたことがあるので、リアリティにあふれたこのマンガを読み終えたいま、ぜひいろんな人にすすめたい思いでいっぱいだ。この世界に関わっている人はもちろん、この世界を知らない人こそぜひ読んでほしいと思う。いやあ、それにしても実にシブい! 久々に面白いマンガを読ませてもらった。

 研究開発から試作設計、そして量産へ、というのが通常のメーカーでの仕事の流れだが、このマンガにも描かれているように実際は試作段階でお蔵入りというケースが多いのだ。また中小企業では、エンジニアも納品や機械の搬入据え付けにかり出されるし、不具合やトラブルの解決には縁の下の力持ちとしてかかわっている。
 こうした「作業服を着た男たちの世界」が日の目をみるのはうれしいことだ。
 
 メカトロとはメカトロニクスの略、メカニクス(=機械工学)とエレクトロニクス(=電子工学)が合体したメカトロニクスは実は和製英語で、日本のお家芸そのものであったのだ。日本がいかにして「ものつくり大国」になったのかを知る意味で、このマンガはぜひ日本人だけでなく、アジア各国でも翻訳されて読まれてほしいと思う。

 とはいえ、日本からこうした風景がだんだんと消えていくのかもしれないと思うと、なんだか寂しい気がしなくもないのだが・・・



<初出情報>

■bk1書評「いやあ、それにしても実にシブい!久々に面白いマンガを読ませてもらった。」投稿掲載(2010年4月27日)





目 次

プロローグ ものづくり日本を支える男たちを追え!
1章 ものづくりに賭ける一本気な情熱に男泣き!
2章 日本の発明王の裏にある苦節に男泣き!
3章 日の目を見ずして消え行く機械に男泣き!
4章 うたかたの夢と散る開発の日々に男泣き!
5章 愚直なまでにこだわりぬく職人技に男泣き!
エピローグ さらば、シブすぎ技術に男泣き!


著者プロフィール

見ル野栄司(みるの・えいじ)

理工系漫画家。1971年生まれ。1992年日本工学院専門学校メカトロニクス科卒業。半導体製造装置やアミューズメントゲーム機などの設計開発の会社に9年勤務した後に、漫画家としてデビュー。「ビックコミックスピリッツ」や「ヤングジャンプ」などで連載(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)






   

2010年10月15日金曜日

『ガラパゴス化する日本』(吉川尚宏、講談社現代新書、2010)を俎上に乗せて、「ガラパゴス化」の是非について考えてみる




「ガラパゴス」のどこが悪い?! -日本はそもそも、「本家ガラパゴス」をはるかにしのぐ「超ガラパゴス」なんだけどね(笑)

 「ガラパゴス化」という表現を初めて知ったのは、『ガラパゴス化する日本の製造業-産業構造を破壊するアジア企業の脅威-』(宮崎智彦、東洋経済新報社、2008)のことであった。この本を手にする前に、経済雑誌で見たのかもしれない。
 その当時まさに東南アジアはタイ王国のバンコクで、製造業相手の機械部品販売ビジネスに従事していた私から見ても、製造業についてはまったくそのとおりだなと強く納得したのを覚えている。

 「ガラパゴス化」とは、太平洋の孤島ガラパゴス島になぞらえた表現。その心は、世界の大勢から孤立した島のなかで、イグアナなど生物が独自の進化を遂げたガラパゴス島の状態を、同様に世界から孤立した島のなかで独自発展を遂げた日本の現状、とくに世界標準から大きく離れて進化している携帯電話について指摘したものだ。
 タイをはじめとする東南アジアでは、通信規格が欧州標準の GSM であり、しかも私が従事していた商売は、機械部品の規格品(標準品)を在庫販売する形態のビジネスであったので、余計に同感したのかもしれない。規格品はモジュール化のための基本である。

 『ガラパゴス化する日本の製造業』出版後、「ガラパゴス化」というタイトルの悲観論が世に一気に拡がったのは、「リーマンショック」と「トヨタショック」によって日本の製造業にとっての「円安バブル」というフォローの風が、一気にアゲンストの風に変わったという状況があったためだろう。
 ただし、ここでいう「トヨタショック」とは、米国での品質問題がらみのリコール騒ぎのことではなく、その前に顕在化した大幅な販売数量落ち込みのことを指す。


『ガラパゴス化する日本』(吉川尚宏、講談社現代新書、2010)をレビューする

 本書は、その『ガラパゴス化する日本の製造業』から始まったキーワード「ガラパゴス化」を日本全体に拡大して論じた本である。いっけん難しそうな内容に思えたが、中身は一気に読み進めることができる。

 基本的に、経済学者・野口悠紀夫などの所説を踏まえた、日本がおかれている状況にかんする著者の現状分析は正しい。日本の経常収支構造はもともと内需中心であって、外貨を稼いでいるという日本国民一般の固定観念とは大きく異なり、むしろ巨大な国内市場を抱える米国に近い構造である。
 しかし、日本が人口減少によって縮小している「縮小するガラパゴス」であるのに対して、米国は移民を含めた人口増加傾向にある「膨張するガラパゴス」であるとする点、ここまでは著者の分析には賛成だ。
 また日本の製造業がモジュラー型への移行が必用だという所論にも賛成だ。そのための形式知の重要性についても同感だ。

 だが、処方箋にかんしては納得しがたいものを感じるのは、基本線が悲観論の様相を帯びており、おそらく本人は無意識であろうが、大企業クライアントのみを相手にしてきたエリートによるエリートのための、上から目線に終始しているからのように思われる。

 本書で説く内容の問題は、国全体のマクロレベルの話と、企業や個人といったミクロレベルの主体的な行動とは次元が異なるという点にあることに十分に留意していないことにある。
 第2章のおわりで、日本企業と日本国と日本人がとるべき選択にかんするシナリオが8つ提示されている。

シナリオの説明(参考)

「① 総ガラパゴス化シナリオ」
「② 若者日本脱出シナリオ」
「③ 霞ヶ関商社化シナリオ」
「④ 国が先導し、若者が中心となる脱ガラパゴス化シナリオ」
「⑤ JUDOシナリオ」
「⑥ 優良企業・優良人材脱出シナリオ」
「⑦ 官民グローバル化シナリオ」
「⑧ 出島シナリオ」


 著者が第4章で詳細に論じている 「③霞ヶ関商社化シナリオ」と、その対極にある「特区」活用型「⑧出島シナリオ」、著者の主張は、この「⑧ 出島シナリオ」にあるようだ。これは別に否定はしない。
 ただ、ここでは詳しく説明しないが、私は個人的には、「⑤JUDOシナリオ」が可能性としては一番高く、「⑥優良企業・優良人材脱出シナリオ」がそれに次ぐだろうと考える。悲観論からではなく、それがもっとも自然だと思うからだ。それがいいかどうかは別にして。
 「JUDO化」とは、競技スポーツ化によって世界の JUDO になった結果、日本のお家芸だった「柔道」がチカラを発揮できなくなってしまった現状を指している。
 みなさんも、自分なりの結論を考えて見ると思考訓練になるので、やってみたらいかがでしょうか。具体的には、直接本文(P.141~142)をよく読んでみてください。
 「⑥優良企業・優良人材脱出シナリオ」に対しては、国が制度面で規制撤廃を図っていく以外に施策はない。

 なぜ私が、著者の見解にあえて反することをここに書くかというと、著者が現状を憂えて主張する「べき論」と、日本人の特性と時代環境を踏まえた「である論」はわけて考えておきたいからだ。

 現在の日本は、著者のみるように米国社会に近いといえる。ともに海外に出たがらない「ガラパゴス」の住民という点において。日本人も流動性が高かった高度成長期はもうウンザリだろう、落ち着きたいのだ。米国人も米国からさらによその国に移民しようというのは、一部のユダヤ系市民だけだろう。
 ただし、「膨張するガラパゴス」の米国に対して、「縮小するガラパゴス」の日本という違いは存在するが。

 しかし、同じマクロ経済データをみても、たとえば経済評論家の三橋貴明の所論とは正反対の結論にいたるのは面白いことだ。書評 『日本のグランドデザイン-世界一の潜在経済力を富に変える4つのステップ-』(三橋貴明、講談社、2010)を参照。
 著者は悲観的にものを見ているが、三橋氏は楽観的にみている。この違いはただ単にマインドセットの問題だけではないように思う。
 日本はそのもてるマンガやアニメなどのソフトパワーによって、海外から観光客を「引き寄せ」ているという現実を無視すべきではないという視点をもっているか否かの違いではないだろうか。
 実際にアキバ(秋葉原)にいってみればいい。外国人が多くいるのは、そこでしか入手できないモノが多数あるからだ。それは日本が、アキバこそが、お宝が無尽蔵にでてくる「ガラパゴス」だからである。

 つまるところ、日本全体の話と、企業や個人のとるべき選択肢は一緒に論じるべきではないのである。企業は株主の利害に従って、個人は自分のもてる資源とマインドセットに基づいて行動する。それだけではないか。

 ただし、第3章の「脱ガラパゴスの道」で取り上げられた個別の業界とそこで活躍するプレイヤーである個別企業のケーススタディにあるように、要は非製造業においても、業界特性と製品特性を正確に把握したうえで、コンテンツを形式知化し、モジュール化をどこまで経営戦略に取り込めるかというミクロレベルの話なのである。
 こういった戦略をとるかとらないかは、あくまでも個別企業の選択の問題だ。

 出版されてから8ヶ月たってから初めて読んでコメントするので、フェアじゃないかもしれないが、この間に「ガラパゴス」の何が悪いのだという声も多数あがっているのは当然だと思う。amazonのレビューでも、そうじて本書の評価が低いのは、現在の日本の「空気」を体現しているといえる。


生物固有種の数においては、日本はガラパゴス以上の「超ガラパゴス」なのである!つまり「世界一」なのだ!

 先日放送されていた、NHKスペシャル「日本列島 奇跡の大自然 第2集 海 豊かな命の物語」では、生物固有種の数においては、なんと日本はガラパゴスに勝っている(!)そうだ。日本は「ガラパゴス化」するどころか、そもそも日本こそ「超ガラパゴス」なのであったというオチがついたお話。

 文明論の観点からいっても、いわゆる「鎖国」時代に、多種多様な独自の固有文化の花が開いたことは周知のこと。これが現在にまでつながる日本人の感性、発想のユニークさ(・・文字通りの one and only の意味で)を作り出しているのである。
 だから、「ガラパゴス」であること自体はなんら問題はない。問題は、この「ガラパゴス」をいかにソフトパワーとして活性化するかにかかっているのではないか?
  
 日本にしかいない「スノー・モンキー」(snow monkey)を見るために、外国から観光客がくる。スノー・モンキーとは、東北地方に住むニホンザルのことだ。これは、人間以外では、もっとも北に住むサルらしい。青森県はサル生息の北限である。長野県の地獄谷温泉のニホンザルの映像はここ(YouTube映像)。

 日本国内のエンジニアのモチベーションを維持するために、つねに難しい製品化開発に従事させているという実状も無視してはいけない。ただし、開発成果は自社内に埋もれさせず外販するなど、とるべき施策はいくらでもあるはずだ。死蔵されていまっている技術がかなり多い。

 あとは日本のソフトパワーがどこまで米国のソフトパワーを凌駕できる所まで行けるかということにかかっているといえよう。すでにある日本のソフトパワーの「引き寄せ力」には多大なものがある。ソフトパワーの中身そのものにかんしては、政府や官僚は余計なクチを挟むべきではない。個人や企業が活動しやすい環境整備に徹すればそれで必用にして十分だ。

 浮き足立たずに、しっかりと自分の足元を見つめるべきだ。自分の会社も生き方も。

 そもそも「日本は・・」などと、国士きどり(?)の発言が空虚に響くのは、すでにそれが「昭和的」な風景と化しているからだ。「平成」に生きるわれわれは、まずわれわれ国民の一人一人が取り組まねばならないのは、自分とその家族、そして生活費を稼ぐ場である職場からだろう。

 日本企業は、国内の厳しいマーケットと新興国のスペック要求の厳しくないマーケットを同時に攻略すればよい。ベンチャー精神に富んだ人は海外でもまれたらいいというお話だ。 

 海外に出たい人間は出るだろうし、海外に出ざるを得ない人間もまた出るだろう。しかし、出たくない人間はたとえ所得が下がっても、もはや移民という形でも出ようとしないだろう。人口膨張傾向にあった過去の「近代日本」とは根本的に違うのだ。
 これは、日本で暮らしている、ブラジルなどの日系人をみていると不思議ではないと思う。日本人は、ブラジル国籍の日系ブラジル人のことを「日本人」とはみていないと思われる。海外移民したら、あのようになってしまうのかと見ているのではないのだろうか。

 日本人というのは、いったん日本から出てしまうと、糸が切れたタコみたいに縁が切れてしまいがちなのだ。中国人や韓国人とは違って宗族意識が弱いので、「一族内での世界ネットワーク」を形成しにくい。だから、華僑のような形での海外進出はあまり期待しない方がいい。

 日本と海外を行ったり来たり、出たり入ったりしたらいいのではないかな。


<初出情報>

 『ガラパゴス化する日本』(吉川尚宏、講談社現代新書、2010)のレビューは、このブログへの書き下ろしです。






目 次

第1章 ガラパゴス化する日本
 ガラパゴス化とは何か?
 日本製品のガラパゴス化 ほか

第2章 なぜガラパゴス化はよくないのか?
 柔道とJUDO教訓
 日本製品のガラパゴス化の行き着く先 ほか

第3章 脱ガラパゴス化への道
 海運業界のケース
 トレンドマイクロのケース ほか)

第4章 脱ガラパゴス化へのヒント
 企業の新しい戦略遂行能力-ゲームのルールをつくる、ルールをかえる
 霞が関商社化シナリオ ほか)



著者プロフィール

吉川尚宏(よしかわ・なおひろ)

A.T.カーニー株式会社プリンシパル。京都大学工学部卒、京都大学大学院工学研究科修士課程修了、ジョージタウン大学大学院修了(IEMBA プログラム)。野村総合研究所、野村総合研究所アメリカ・ワシントンDC支店等を経て現職。2009年10月より、総務省「グローバル時代における ICT 政策に関するタスクフォース」のメンバーに就任。専門分野は通信、メディア、金融サービス分野におけるマーケティング戦略、価格戦略、事業戦略、オペレーション戦略、制度設計や規制対応戦略など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




<ブログ内関連記事>

書評 『中古家電からニッポンが見える Vietnam…China…Afganistan…Nigeria…Bolivia…』(小林 茂、亜紀書房、2010)
・・新興国向けには過剰スペックではなく、ベーシックに高品質な製品を販売すべきだろう。メードインジャパンではなくなっても、日本ブランドがついている限り品質は安心できるというもので・・

書評 『この国を出よ』(大前研一/柳井 正、小学館、2010)
・・「この国をでよ!」と檄を飛ばすこの二人も、「いったんこの国をでたら戻ってくるな」などとは一言も言っていない。

書評 『日本のグランドデザイン-世界一の潜在経済力を富に変える4つのステップ-』(三橋貴明、講談社、2010)
・・ポジティブに捉えれば、この国には無尽蔵の冨が眠っている

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・明治以来の「近代」は終わったんだよ、と静かに、しかし熱く語る論客の語りに耳を傾けよう。





           

2010年10月14日木曜日

子ネコが拉致誘拐された!ノラネコの自由を奪うな、ネコを返せ! 





猛暑の夏が過ぎ去って、 ノラネコ子ネコもまた去った・・・

ではなかったのだ。子ネコが何者かによって拉致されたのだ。
9月29日を最後にしばらくみかけないと思っていたら・・・

9月に入って、餌付けなしに子ネコと親しくなったのに。

捨てネコではない、ノラネコの子供だから、かわいそうでもなんでもない。
「ノラネコは捨て猫だ」という思い込みが諸悪の根源だ。
ノラネコの子供は生まれたときからノラネコ。
ノラネコ第2世代か、第3世代か」しらないが、ノラネコの子はノラネコ。

カラスより悪質な人間の行為。

人なつっこくて、人を疑わない気持ちのない、
おとなしい性格だったネコちゃん、
ダマされて連れて行かれてしまった・・

「悪意」があればなおさら、もし「悪意」が自覚されていなくても
これは「善意」という名の犯罪行為である。

ほんとうにネコの一生を面倒見るつもりなのか。
飽きたら捨てたりしないか?
虐待するのではないか。

なぜノラとして生きて行くための修練を積みつつある子ネコを連れて行く?
なんでも自分でやれるようになったネコを、なぜ過保護に扱う?


ネコは自然に親離れしたのではなかった。連れ去られたのだ

日照時間の変化で特定の場所には現れなくなったクロネコ母一匹とトラネコ子一匹の二匹組み、
と思っていたが、真相は違っていたのだ。
何者かによって拉致されたのだ。
ノラネコは家で飼うのがネコのためなどという、人間側の勝手な論理によって。

くやしい。
まさに愛別離苦。

ノラネコ子ネコとの「思い出」を、
哀悼の意を込めて、アルバムとして残しておくこととする。
もう二度と君には会えないのか・・・













ネコちゃん、さようなら。


「拉致」されて自由を奪われた子ネコへの哀悼歌

ほかのネコの写真を撮ってたら、近所のリタイアしたおじいさんから声をかけられた。

「ちっちゃいのは、こないだ誰かが連れて行ったよ」
「えっつ、ひどいことしますね!」
「クルマできて、連れて行ったんだよ」、と。

なんだよ、拉致されたのか?

どうりで、クロネコ母が一匹で行動していたのか。
急がなくても、秋の繁殖シーズンが始まっているので、自然と乳離れできたのであろうに。

狙っていたのか?
人間によくなついていたのがアダになってしまった。

子ネコ拉致監禁か?
ああ、バカなことしやがって。

なんで自然の乳離れをまたずに、むりやり拉致するようなことをするのだ。

エサと引き換えに、自由を奪われた猫生を送る事になるのか?
ネコちゃん、それで幸せかい?

人間本意で考えるのはやめろ
ノラネコを救ってやったなどと思い込んでいるのだろう、この勘違いどもが。

ノラネコは野良でいきてこそノラネコだ。
勝手にノラネコの猫生を踏みにじるな。
「北の独裁国家」がやっていることとなんら変わりがないではないか。
子ネコを返せ!

ネコはかわいいが、それは人間が勝手に思うこと。
ネコ自身の選択権を奪うようなことはやめてもらいたい。



ネコを返せ!
善人面した極悪非道者め。
ノラネコの子はノラネコでいいではないか。

誰のものでもないノラネコは、ノラネコ自身のものである。
それを一人で独占しようとは・・・私的所有の対象か?

ああ、不幸せなネコちゃん、自由を奪われて奴隷暮らしか?
自分でエサを探さなくていいし、家もある、それは最高の環境だろう。
エサで釣られて、スポイルされていくのか?
エアサと引き換えに自由を捨てるのか?

もう君とは会えないんだね。
せっかく仲良くなったのに・・・淋しい。

ネコちゃん、いつの日かそう遠くない将来、目覚めよ!
そして、「飼い主」と思い込んでいる人間のもとから逃走せよ!
自分の「猫生」を取り戻せ。

君はノラネコの子として生まれたノラネコなのだから。
野生の血が流れているのだから。

君とこの世で会うことはもうないだろうが・・

The road to hell is paved with good intentions.

今回の件をつうじて、拉致被害者、
とくに、めぐみさんのご両親の気持ちが痛いほど理解できるようになった。

いまはただ、子ネコが幸せな一生を送ることを願うのみだ。
それも人間からみた幸せではなく、あくまでもネコの立場からの幸せで。








<ブログ内関連記事>

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)





            
              

書評 『日本のグランドデザイン-世界一の潜在経済力を富に変える4つのステップ-』(三橋貴明、講談社、2010)




よく考えれば「当たり前」のことを、「当たり前」だと直球勝負で主張する著者の強み

 著者は、2009年7月に出版された『ジパング再来』(講談社)で、間違いなく日本は一人勝ちするであろうことを主張した。この見解に異論はない。

 本書では、より積極的な観点から、日本が国家として取り組むべき事を「国家のグランドデザイン」として提唱している。著者の問題意識の深さと問題分析には大きく同意するとともに、著者による提言内容については基本的に賛成だ。
 ダイエー創業社長の中内功(故人)の口癖だった「(小売業においては)売上げがすべてを癒す」ではないが、著者のいうように「経済成長すれば、財政赤字問題は自然に解消する」のである。正論である。

 「平気でウソをつく」、「平気で間違ったことを主張する」マスコミ(・・著者にいわせればマスゴミ)のいうことは黙殺し、自らの情報リテラシーを向上させ、数字でものを考えるクセを身につければ、日本人はとてつもない能力をさらにパワーアップさせることになるだろう。
 人口減少は衰退への道ではあるが、この事実から眼をそらすべきではないとはいえ、マスコミのいう悲観論を鵜呑みにしていたのでは、さらなる衰退に拍車をかけるだけだ。

 著者が次にやるべきことは、「グランドデザイン」に展開された大きな政策方向に基づき、政策のより具体的なブレイクダウンと個々の政策の整合性をつけ、そしてタイムスケジュールを作ることとなろう。
 そして、われわれ日本国民の一人一人が、自ら知恵を出し、自ら主体的に行動しなければならないのではないか。国民に課せられた役割は、自らの責任範囲のなかで、最善を尽くすことのみだ。悲観論にはいっさい与(くみ)することなく
 
 カラ元気ではなく、ハラの底から元気になれる本である。


<初出情報>

■bk1書評「よく考えれば「当たり前」のことを、「当たり前」だと直球勝負で主張する著者の強み」投稿掲載(2010年6月28日)





目 次

プロローグ 世界一の潜在経済力を秘めた日本を「千年王国」に
第1章 日本の繁栄を妨げるものを知れ
第2章 国家のグランドデザインを描け
第3章 文明フェーズを移行せよ
第4章 世界唯一の大衆知識社会を深化させよ
エピローグ 「ハレ晴レユカイ」を踊れますか


著者プロフィール

三橋貴明(みつはし・たかあき)

作家・経済評論家。1994年東京都立大学(現:首都大学東京)卒業。外資系IT企業ノーテル、NEC、日本IBMなどに勤務したあと、2008年、中小企業診断士として独立、2009年、株式会社三橋貴明事務所を設立。インターネット掲示板「2ちゃんねる」において、韓国経済について、公開されたデータを詳細に分析することによって、その実態を暴いたことで注目を集める。企業の財務分析で培った解析力をマクロ経済に応用し、経済指標など豊富なデータをもとに国家経済を多面的に分析する「国家モデル論」が好評を博す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<書評への付記>

 ただ一点だけ注文をつければ、「電力文明へのシフト」を説くにあたって、発電コストについての議論を精緻に展開してもらいたかったことだ。エネルギー安全保障の観点は著者のいうとおりだが、なぜ石油でなく電力なのか、この点について、経済性も含めた議論が展開されていたならば、さらに説得力を増す議論となったことであろう。

 「エピローグ「ハレ晴レユカイ」を踊れますか」で紹介されている、「セカイのハレ晴レ。今日もまた何処かでハレ晴レ。第七版。」(YouTube 投稿映像)。は必見だ。
 日本のライトノベルのアニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンディングで、主人公5人が「ハレ晴レユカイ」にあわせてコスプレ姿で踊るダンスが、なんとアジアだけでなく、欧州を含めた世界中で大人気。
 これはスゴイ!こんな世界が存在するのだ。いや世界が日本を模倣しているのだ! 日本のソフトパワーここにあり! この映像をみたら、あなたの世界認識は間違いなく変化するはずだ。

 なお、三橋貴明氏は、前回の参院選に自民党から出馬したが落選した。マンガ大好きを公言する麻生元首相を尊敬していつので自民党なのだそうだ。執筆活動は、政治家になるために戦略的に取り組んでいるのだという。
 要注目の作家である。


<ブログ内関連記事>

書評 『ジパング再来-大恐慌に一人勝ちする日本-』(三橋貴明、講談社、2009)・・きわめてまっとうなことが、直球勝負で書かれた本である





          

2010年10月13日水曜日

書評 『スミダ式国際経営-グローバル・マネジメントの先進事例-』(桐山秀樹、 幻冬舎メディアコンサルティング、2010)




「知られざる日本のグローバル企業」の突出ぶりを描いたビジネス・ノンフィクション

 「知られざる日本のグローバル企業」についてのビジネス・ノンフィクションである。「巻き線コイル技術を活かす幅広い事業分野」でグローバル展開するB2B分野の部品メーカー、東証一部上場企業スミダコーポレーションとその二代目社長が主人公である。
 マスコミに頻繁に登場する有名企業ではないが、グローバル企業としての突出ぶりは注目に値する。

 この会社は、日本の部品メーカーとしては、いちはやく1971年には国際事業展開を開始し、現在では中国、台湾、メキシコ、ベトナム、ドイツ、オーストリア、ルーマニア、スロヴェニアに生産拠点をもつにいたっている。売上高700億円超のうち、ドル建て、ユーロ建てがそれぞれ40%、円建ては残りの20%だけという、日本の製造業のなかでは例外的な存在であるといってよい。
 現在では、純粋持株会社化し、そのしたにグローバル・オペレーションを行っている。また所有構造と経営を分離し、日本初の委員会設置会社となっている。こういった先進的な取り組みに朝鮮し続けているスミダのコーポレート・ガバナンス改革については、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のケーススタディとしても取り上げられているという。
 
 グローバル化については、その推進役である二代目社長が、本書に収録されたインタビューのなかできわめて重要なことをいっている。それはグローバルというコトバのあいまいさについてだ。
 社長は、グローバルよりもトランスナショナル(trans-national)という表現を使うが、これは直訳すれば国境を越えたという意味だ。たとえ英語を共通言語にして人事交流を活発にしたとしても、国ごとに固有の文化や価値観に違いが残るのは当然だし、また現実のビジネスにおいては通貨も違えば、国によって法律や規制が異なるので、これを乗り越えるためには多大な経営努力が必要になるということなのだ。
 このような数々の難題を二代目社長の強力なリーダーシップのもとに推進してきたのだが、この間の失敗体験も含めた具体的な施策や苦労については、本書を直接読んで確認してもらうのがよい。

 日本の製造業が現在のまま、今後も生き残っていけると考える人は、さすがに少ないだろう。座して死を待つわけにはいかない、海外進出しなければならないと考えている中堅中小企業も少なくないはずだ。方向性としてはスミダが切り開いている方向に向かうことになるだろう、しかし正直な感想としては、この会社をモデルにすることは、容易ではない思う。
 親子二代にわたる経営者の強力なリーダーシップ、とくに二代目社長を中学卒業後に英国へ送り出し、英語と国際人教育を身につけ指した先代社長の先見の明と、それに十二分に応えた二代目社長の力量は、華僑では当たり前の行動様式ではあるが、日本企業にしては実に珍しい

 「グローバル、スピード、フォーカス」、この3つの要素を同時に成立させることのできる企業は、国籍が日本であるかないかにかかわらずグローバルに成功するのは間違いない。スミダはあくまでも「先進事例」であって、すぐそこに手に届く身近なモデルとは言い難い。グローバル化を推進する経営陣と、日本国内の従業員との軋轢など、もっと知りたかった面も多い。

 とはいえ、この手の本にしては、非常によくまとまったビジネス・ノンフィクションになっている。経営者のインタビューを中心にしており、経営者のリーダーシップの重要性についてはよく書き込まれている。
 こういう会社が日本にもあるのだということを知る意味では、読んで損のない本である。


<初出情報>

■bk1書評「「知られざる日本のグローバル企業」の突出ぶりを描いたビジネス・ノンフィクション」投稿掲載(2010年10月9日)
■amazon書評「「知られざる日本のグローバル企業」の突出ぶりを描いたビジネス・ノンフィクション」投稿掲載(2010年10月9日)




目 次

はじめに 真の「グローバル経営」への挑戦
第1章 顧客は世界。生産も世界。経営も世界。けれど、国籍は「日本」
第2章 東京・下町の小さな電気店からものづくりのDNA
第3章 世代交代とともに本格化するグローバル・カンパニーへの道
第4章 「Global One SUMIDA」の名のもとに、日本国籍の「多国籍多民族企業」へ
第5章 グローバル・マネジメントのデファクト・スタンダードを目指す


著者プロフィール

桐山秀樹(きりしま・ひでき)

ノンフィクション作家。1954年、名古屋市生まれ。学習院大学法学部卒業。ホテル経営・旅館経営に関する著書多数。国内の小規模ものづくり企業の現場取材経験も豊富で、「超・職人」をテーマとした著書も執筆。旅から先端産業に至るまで、幅広いテーマに取り組む。指揮者、演奏家へのインタビュー記事も多い。1978年、サンケイ新聞「正論」-私の正論大賞受賞。現在、「週刊新潮」(新潮社)にて、定年後のセカンドライフ充実をテーマとした連載を執筆中(この書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<書評への付記>

 最近、ユニクロや楽天が、社内共通語を英語にすると発表して、賛否両論を含めて大きな話題になっている。

 ところが、B2B分野の部品メーカーにおいては、ある意味では英語はすでに共通語化の方向にあるのだ。私がかつて取締役として在籍していた、国際展開するB2B分野の機械部品企業グループにおいても、グループ内の国際会議は当然のことながら共通言語は英語であった。
 本書で取り上げられたスミダコーポレーションも、その意味ではユニクロや楽天をはるかに先行しているのである。これは国際展開する製造業においては、ある意味においては当たり前の光景である。
 ただ、一般にはあまり知られることはない。ほとんどレビューも書かれていなかったので、あえて紹介することにした次第だ。私はこの会社のことは直接知っているわけではない。

 帯の裏側には、二代目社長のコトバが引用されている。あらためて本文から引用しておこう。なお太字ゴチックは引用者(=私)によるもの。

考え方を、単に日本のみから世界に切り替えるだけで、可能性は1億人相手から67億人へ、一挙に67倍になるわけです。つまり、市場が67倍になる。良い人材を集められる可能性も67倍に膨らむ。資金調達も日本だけで行うのではありません。いろんな国の人が出資してくれます」(P.19)

 ただし、このあとには、そのための条件が語られるのであるが、それをひとつひとつクリアしていかないと、理想は実現できないことはいうまでもない。 

 書評のなかで、「華僑ではあたりまえの行動様式」と書いたが、スミダの場合はさらにその先をいっているといえよう。
 東南アジアの華僑(華人)企業の場合、企業規模の急拡大過程においては同族企業の迅速な意志決定があずかって大きなものがあることが、よく観察される。華僑(華人)企業においては、二代目を米国や英国に留学させて MBA を取得させることによって、経営近代化の布石を打つと同時に、複数の国に子息を留学させることで、リスク分散も実現する。
 だが、スミダの場合はさらに、委員会設置法式に移行してガバナンス構造は同族の枠をはるかに越える方向に進んでいる。これは華僑(華人)企業ではなかなかない行動様式である。この点についても、突出しているのである。

 スミダコーポレーションだけが突出しているのではないが、これから海外展開することを考えている企業にとっては、そのままロールモデルとするには、かなりハードルが高い存在であることは指摘しておきたい。


<関連サイト>

スミダコーポレーションの公式ウェブサイト

ワールドビジネスサテライト 特集,超グローバルへの道①(2010年4月5日)で紹介されているので必見 
[動画]超グローバルへの道 -第一章 最適チームで世界を攻める(音声あり!)
放送内容の文字版はここに。ワールドビジネスサテライト.Log

書評 『この国を出よ』(大前研一/柳井 正、小学館、2010)
・・ユニクロの海外展開について会長みずからが語る