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2011年3月28日月曜日

スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む


 本日(2011年3月28日)は、スリーマイル島「原発事故」(1979年)から22年になります。このことは、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010)を読んで知りました。

 「レベル5」クラスの大事故が起こる直前、たった12日前に米国で封切られたのが、ジェーン・フォンダとカーク・ダグラス主演の『チャイナ・シンドローム』。The China Syndrome (1979) HD trailerを参照(YouTube 音声に注意!)。

 この映画じたいは、炉心溶融(メルトダウン)によって、地球の反対側の中国まで影響が及ぶという、荒唐無稽な内容も含まれていますが、図らずも予言が実現してしまったことになります。


あの広瀬隆が「(反)原発本」を、なんと昨年の8月(!)に出版していた

 あの広瀬隆が「(反)原発本」を、なんと昨年の8月(!)に出版していたことは、福島の「原発事故」後の3月16日に掲載された「ダイヤモンド・オンライン」の記事をみるまでまったく知りませんでした。

 「破局は避けられるか-福島原発事故の真相」(ジャーナリスト 広瀬隆)|DOL 特別レポート|ダイヤモンド・オンライン 。まだ読んでない人は、絶対に必読の記事です。「原発事故」が「人災」であることを、いち早く日本人に向けて知らしめたものです。本日現在で、twitter のリツイート数で5,000、facebook の「いいね!」が1,000を越えてます。実際に読んだ人はもっと多いでしょう。

 本書の帯には、「危機は刻々迫っている!」とありますが、実際に「原発事故」は起こってしまいました。広瀬隆が想定していた浜岡原発(中部電力)ではありませんでしたが、地震と津波によって「原発事故」が発生するという推論とシナリオはまったく同じです。予見の書であったのです。そして、福島第一原発の事故は収拾のめどさえたっていないまま、放射能をまき散らしている・・・。

 広瀬隆というと、そのむかし『危険な話』を読んだことを思い出します。チェルノブイリ原発事故(1987年)のあと出たベストセラーの「反原発本」ですが、坂本龍一などのアーチストやマスコミ人のあいだで大流行していたと聞きました。

 チェルノブイリ原発事故が起こったとき、すでに社会人となっていた私は「これでもうヨーロッパは終わりか・・」と思ったものです。大学時代、ヨーロッパ中世史を専攻していただけに、よけいにその感が強かったのでしょう。ヨーロッパ人が福島第一の「原発事故」に異常なまでの反応を示したのは理由がなくはありません。

 「東京電力はなぜ東京に原発をつくらないのか?」、広瀬隆のこの発言は、1987年当時は極端な意見のように聞こえなくもなかかったですが、「受益者負担」という点から考えればわからない話ではありません。東京電力がなぜ新潟や福島に原発をつくるのか、東京電力管内の住民は、その意味について考えてみる必要があることは言うまでもありません。

 しかし、広瀬隆というと、今回の「原発事故」が発生するまで、『赤い楯』に代表される、国際経済陰謀もの作家というイメージが定着しているのではないでしょうか。ですから、私も広瀬隆は「原発」について書くのはもうやめてしまったのだと思っていたのです。

 「ダイヤモンド・オンライン」のこの記事は、ですから久々に「真打ち登場!」と私は受け止めました。そして目を通していくにつれ、恐ろしくなってきて・・・。読むと怖いが、現実を受け止めないと・・・。

 この記事で本書の存在を知り、さっそくネット書店に注文し、取り寄せてじっくりと読んでみました。amazon 以外には bk1 などのネット書店入手可能です(・・ただし在庫切れの可能性はあります)。


 中身について深くふれる余裕はないので、「目次」を紹介しておきましょう。

序章 原発震災が日本を襲う
第1章 浜岡原発を揺るがす東海大地震
第2章 地震と地球の基礎知識
第3章 地震列島になぜ原発が林立したか
第4章 原子力発電の断末魔
電力会社へのあとがき

 内容については、みなさんのご判断にまかせます。少なくとも、「参考資料」としてつけておいた、あの大槻教授のような「冷笑」でもって迎える内容ではありません。
 
 少なくとも中学レベルの理科の知識、できれば高校の地学と物理と化学の知識があれば、著書の論理的結論について 100%間違いだ、などとは断言できないと思います。

 「原発事故」にかんして当局の関係者は、「想定外」、「想定外」と連呼していますが、これほど聞き苦しい、無責任なコトバもほかにありません。「想定外」という言い逃れが、この国の無責任体制そのものといっても言い過ぎではないでしょう。

 最初から結論ありきの本だ、という評価が amazonレビューでは一部なされていますが、そもそも本であれ論文であれ、主張すべき点を論述するものですから、これらの評価はピントはずれと言わねばなりません。

 広瀬隆の結論を受け入れるか、受け入れないか。

 たとえ受け入れたくないと思っても、いまとなっては、巨大地震国日本ではどこであろうが、原発が安全でないことは明らかです。

 しかし、いまこの段階で原発をすべて廃炉にしたら、日本のエネルギーの 3割はまかなえなくなるというジレンマ。そうでなくても、東京電力管内では「計画停電」(輪番停電)による不便を、家庭だけでなく産業界全般が被っている状況。

 苦悩に満ちているのは、東電関係者や政府だけでなく、われわれ日本国民自身でもあるのです。引き裂かれるようなジレンマ。二者択一に振り切りやすいドイツとは違います。

 果たして、このジレンマを解決する道はあるのでしょうか? 

 実に悩ましい。実に悩ましい・・・。






著者プロフィール

広瀬隆(ひろせ・たかし)

1943年東京生まれ。早稲田大学卒業後、大手メーカーの技術者を経て執筆活動に入る。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『危険な話』『柩の列島』などで原子力の危険性を訴え続けるとともに、反原発の市民活動を展開。その他の著書に『一本の鎖』『持丸長者』(以上ダイヤモンド社)、『赤い楯』『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(以上集英社)、『世界金融戦争』『世界石油戦争』(以上NHK出版)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



P.S. 浜岡原発の運転停止要請が首相によって中部電力に対して行われた(2011年5月6日)

 本日(2011年5月6日)、菅直人総理大臣が、中部電力に対して、浜岡原発の全原子炉について運転停止要請を行ったと報道されている。第一号炉と第二号炉はすでに廃炉は決定済み、第三号炉は現在点検のため停止中であるので、あらたに運転停止となるのは、現在稼働中の第四号炉と第五号炉となる。

 理由は、今後30年以内に 87%の確率で発生するマグニチュード 8程度東海大地震に対して、想定される震源域のまんなかに浜岡原発が立地しており、防潮対策を含めて、災害に対する防備が不十分であるため。対策が行われるまで運転停止が要請される。

 現時点では、いかなる(政治的)背景があったのか真相については明らかになていないが、大きな政治的決断であるkとは間違いないので、この意志決定については評価すべきであろう。

 ただし、あくまでも「運転停止」であって、「廃炉」ではない。今後の推移を監視していく必要がある。(2011年5月6日 記す)



<関連サイト>

「破局は避けられるか-福島原発事故の真相」(ジャーナリスト 広瀬隆)|DOL 特別レポート|ダイヤモンド・オンライン (2011年3月16日)

放射能汚染列島ニッポン、本当の恐怖はこれから-福島とともに心配な浜岡原発、今後も事故が相次ぐ危険性(広瀬隆、JBプレス、3月25日)

広瀬隆/広河隆一「福島原発現地報告と『原発震災』の真実」(2011年3月23日) ・・2時間と長いが、このビデオは値千金。ただし、内容は自分のアタマで判断を


原子力保安院の大罪-1 / 武田邦彦 中部大学教授(2011年3月21日)  
・・原発事故は「人災」である。原発推進派だが環境問題にもの申す、異端の科学者・武田邦彦(中部大学教授)の直言。関西ローカルの、やしきたかじんの番組「増刊!たかじんのそこまで言って委員会」。

武田邦彦教授より<原発緊急提言01 >「水素爆発」 2011.3.14
武田邦彦教授のウェブサイトに原発関連の「緊急情報」がアップされている

東日本巨大地震 福島原発半径20km以内の住民に避難指示(2011年3月14日) (大前研一ライブ)
福島第一原発 現状と今後とるべき対応策 (大前研一ライブ580)(2011年3月27日) 
地震発生から1週間 福島原発事故の現状と今後(大前研一ライブ579)(2011年3月19日)
・・さすがMITで原子力工学で博士号をとって、日立製作所の原子力エンジニアとして「もんじゅ」の設計にもかかわていた大前研一の解説は説得力がある

The China Syndrome (1979) HD trailer
・・ナレーションで「原発事故」が「人災」にほかならないことを語っています


<参考資料>


2010年11月30日 (火)
【原発は時限爆弾?】
 

http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-7d81.html

読者の方から、下記のメールをいただきました。

▼読者の方からのメール
(このメールは、11月16日にいただきました。)
------------------------------
Subject: 広瀬隆「原子炉時限爆弾」

大槻様

本日発売『週刊朝日』の新聞広告で広瀬隆の名前が目に付いたので、図書館で一通り読んでみました。
地震多発地帯に建っている浜岡原発で原発事故が起きれば、それこそ人的・環境被害に止まらず日本経済まで大打撃という意見と理解したのですが、この広瀬氏の主張を如何お考えでしょうか?
------------------------------
▼大槻からの回答
------------------------------
大地震のとき原発は暴走して、原子爆弾の爆発となって大惨事をもたらす、という本ですね。
本当かどうか、私には分かりません。手元にスーパーコンピューターもなければ、原発炉心のソフトもないからです。

それにしてもこの本の作者、広瀬隆という人は何者なのでしょうか。
このような結論は、放射線物理の専門家である私でもまったく分からないのに、この人は『本を書けるほど』分かっているのです。多分、東大や京大の原子力工学、原子核工学関連の学科の大学院博士課程を卒業、その後専門の原子炉設計のシミュレーションをやっている人かしら?
そうでなければ、こんな本は書けないからです。

さて、本当は広瀬隆とは何者なのでしょうか?
噂ではどこぞの大学(?)の理工応用化学出身、しかも原子力工学大学院とは無縁らしいのです。これは驚きですね。

まったくの素人が携帯電話の電磁波の強度と人体、とくに生殖細胞への悪影響をシミュレーションして警告した、という笑い話を思い出しました。
------------------------------
2010年11月30日 (火)

*大槻教授も影響力のある人ですから、自分の発言には責任をもって行っているはずなので、削除される可能性は小さいとは思いますが、念のために全文を再録しておきます。オカルト・バスターの大槻教授の発言、一字一句訂正していません。本のタイトルなど出版社が売るためにつけたのに過ぎないのに。みなさんはこれを読んでどう思いますか?


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「ハインリッヒの法則」 は 「ヒヤリ・ハットの法則」 (きょうのコトバ)

地震、津波、原発事故、そして財政危機。「最悪の事態」を想定しなければならない状態になっているが・・・


<ブログ内関連記事>

『資本主義崩壊の首謀者たち』(広瀬 隆、集英社新書、2009)という本の活用法について
・・リーマンショック後にでた本

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・

NHKスペシャル『海軍400時間の証言』 第一回 「開戦 海軍あって国家なし」(2009年8月9日放送)

大東亜戦争の開戦決定に至るまでの、集団的意志決定につきまとう「グループ・シンク」という弊害について
・・日本の国家を担うエリート層につきまとう宿痾については、海軍も陸軍もその他もすべて同じ穴の狢(むじな)であったこと、そして何ら学習効果がなかったことが、ふたたび明らかになった




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2011年3月27日日曜日

「地震とナマズ」ー ナマズあれこれ 


原因がプレートであろうが、巨大ナマズであろうが、地震は人間のチカラでは制御できない存在だ

 日本では江戸時代までは、地震の原因は巨大ナマズが暴れるからだと一般大衆には信じられてきました。日本列島は巨大なナマズの背中に乗っているのだ、と。残念ながら、今回も巨大ナマズが大暴れしました。

 江戸時代の「鯰絵」(なまずえ)をみていると実に面白いものがあります。「安政の大地震」(1855年)後に大量に発行されて、ひろく一般庶民のあいだで流通したものです。

 「安政の大地震」は、1855年11月11日に発生した大地震で、震源は東京湾北部・荒川河口付近、現在からの推測値では M6.9、死者約4300人、倒壊家屋約1万戸といわれています(wikipedia の記述による)。

 こころみに Google の画像検索で「鯰絵」で調べてみてください。実にさまざまなテーマがでてきます。冒頭に掲げたものは、そのなかでももっとも有名なものです。大地震を引き起こした大ナマズを、江戸の町人たち懲(こ)らしめているもの。

 鯰絵を見ていると、現代の日本人は、さまざまな感性が衰えてしまっている気がしてなりません。

 現在では、ナマズが暴れて地震を起こすなどとは日本人は考えていませんが、ナマズには地震の予知能力があるようです。ただし、これについては必ずしもナマズには限らないようです。地震のまえに鳥の集団がいっせいに飛び立ったり、さまざまな事象が観察されています。

 地震は人間のチカラでは抑えようがないのも事実です。今回の大震災でも、出てくるのは「想定外」、「想定外」というあきらめを誘発しがちな無責任な発言ばかり。結局のところ、科学には限界があるのです。とくに実験室で観察することが不可能な地球科学は、その最たるものだといっていいかもしれません。

 大自然のチカラはちっぽけな人間からみれば、まったくあなどれません。地震を起こす原因がプレートにあることも、定説になってからまだ30年もたってない理論に過ぎません。

 江戸時代の日本人がナマズが原因であるとしていたのを笑うのは簡単ですが、大自然のチカラはちっぽけな人間からみれば、まったくあなどれないことを悟っていた点、現代人よりも上であるかもしれません。

 「科学信仰」をしている現代人のあやまち日本人がほんらいもっていたイマジネーションや、諧謔精神、そして風刺精神の復活が必要だという気もしてきます。


「鯰絵」にいちばん最初に着目したのはオランダの人類学者


 恵比寿様が瓢箪(ひょうたん)で大ナマズを押さえようとしている、ユーモラな鯰絵です。ヌルヌルとしたヌメリがあるのはウナギだけでなく、ナマズも同じ。恵比寿様でも制御が難しいのが地震なわけですね。

 もともとは「瓢箪鯰」(ひょうたんなまず)というテーマは中国からきたもの。「瓢鯰図」(ひょうねんず)というテーマから来ているようです。

 「鯰絵」をテーマに研究を行い、大冊にまとめあげたのは、オランダの人類学者コルネリウス・アウエハントです。私は、日本語訳の『鯰絵-民俗的想像力の世界-』(コルネリウス・アウエハント、宮田登=解説、小松和彦/中沢新一/飯島良晴/古家信平=共訳、せりな書房、1979)という本を、大学1年か2年のとき、開架式の大学図書館で見つけて、借りて読みました。

 日本民俗学の成果を十分に吸収したうえで、日本人が本格的に手をつけていないテーマを取り扱った本です。400ページ以上もある大冊ですが、実に興味深い内容の本であったことを覚えています。

 帯にはこう書いてあります。すぐれた要約になっています。

「日本文化に潜む<野生の思考>を探る 安政二年の大地震の直後、江戸市中に<鯰絵>とよばれるユーモアと風刺に富んだ版画が流行した。「地震は鯰が引き起こす」という民間信仰の隠れた思考構造を神話、民衆文化、大津絵の中に探ったユニークな日本文化論。」

 参考までに目次を紹介しておきましょう。

口絵(カラー白黒多数)
日本語版への序文-C.アウエハント
まえがき
第一部 鯰絵への招待
 第1章 鯰絵
 第2章 伝説
 第3章 破壊者-救済者としての鯰
第二部 さまざまなテーマ
 第1章 はじめに
 第2章 石と鯰
 第3章 瓢箪鯰
 第4章 テーマの構造
第三部 隠れた意味-むすびにかえて
 第1章 テーマ、シンボル、構造
 第2章 危機的出来事としての地震
付録 スサノオ論覚書
文献目録
解説 宮田登
訳者あとがき
索引 地図

 目次をみればテーマはほぼ出尽くしていると思いますが、今回の大地震の震源地のひとつでもあった茨城県には、鹿島神宮の「要石」(かなめいし)についてはふれておきましょう。

 鹿島神宮の鹿島大明神が、大ナマズの上に石を置いて動けないようにしていると伝承されています。私も数年前に見に行ったことがありますが、思ったよりも小さい自然石で、えらく小さな石だなあと思ったことがあります。

 鹿島神宮で「要石」について知っている人や、実際に見たことのある人は、やはりこの下で大ナマズが暴れたのかあ、という思いを抱いた人も少なくはないと思います。実際に、鹿島神宮じたいも被害を受けているようです。
 
 アウエハントの研究では、ナマズと地震、地震と世直し、世直しとナマズ・・と、江戸時代の日本人のあいだでは連想が拡がっていったことにふれていますが、今回の大震災も、間違いなく「世直し」の機会となることでしょう。

 「危機管理がないという危機」は、とくに震災と津波によって引き起こされた「原発事故」の問題に集中的に現れています。

 「原発事故」問題に限らず、いままで見えなかった本質というか、隠されてきたものが見えてしまった・・・。これが「世直し」のキッカケにならないはずがないからです。


ナマズあれこれ

 ちょっと話題を変えましょう。

 ナマズは英語ではキャットフィシュ(catfish)といいます。いわゆる「ナマズヒゲ」があるから「ネコサカナ」というわけですね。日本人は、ナマズの顔にネコは連想しませんが、英語人の発想も面白いものがあります。

 ヒゲといえば、ナマズヒゲではありませんが、「ヒゲの殿下」ならぬ「ナマズの殿下」といえば秋篠宮様。

 秋篠宮殿下は、天皇家の家学ともいうべき生物学の正当な継承者ですが、かつてはよく「ナマズの殿下」と呼ばれていました。でもこれは昔の話、いまは専門として取り組んでおられるのは、ニワトリがいつどこで「家禽」となったか、です。
 これについては、このブログでもすでに紹介しました。本の紹介 『鶏と人-民族生物学の視点から-』(秋篠宮文仁編著、小学館、2000) 、そしてラオスのことなど


 「昔取った杵柄」というわけでしょうか、秋篠宮殿下は『鯰-魚と文化の多様性-』(滋賀県立琵琶湖博物館編、サンライズ出版、2003)という本の冒頭に収められた鼎談に参加しておられます。シンポジウムで行われた鼎談です。

 同書によれば、日本列島においては、ナマズはもともと西日本にしか生息していなかったらしい。東漸北進したわけですね。これは日本全国に分布する遺跡の発掘品調査から判明いていることです。


食べるとうまいナマズ料理

 私が、ナマズをいちばん最初に食べたのは、いまから10数年前のバンコクですが、タイをはじめとするインドンシア半島では、ナマズは水田とは切っても切れない関係にあり、よく食べられています。私も好きでナマズ料理は好きでよく食べています。

 バンコク市内のスーパーマーケットでも、ナマズはそのままの形で売られています。家庭で調理する人もいるのでしょう。日本と違って、魚の種類の少ないタイでは、ナマズはポピュラーな魚です。

 もちろん、日本でもナマズは食用にされています。関東では埼玉県にはナマズ料理を出す、川魚専門店も多いようです。東京では、町屋に「どじょっこ」というドジョウとナマズ料理専門店があります。 http://www5.ocn.ne.jp/~dojokko/index.htm

 このお店では、唐揚げさまざまなナマズ料理を食べることができます。いつも混んでいるので電話して確認してみてください。


 *****************************


 ナマズにからめた連想で、つれづれとさまざまな話題にふれてみました。

 「安政の大地震」後の江戸の人たちのように、風刺精神や諧謔精神を発揮するような精神状態には、まだなっていないかもしれませんが、日本人の底力(そこぢから)がどこにあるのかを、過去に振り返ってみることも必要なことだと思う次第です。



PS 鯰絵-民俗的想像力の世界-』(コルネリウス・アウエハント、小松和彦/中沢新一/飯島良晴/古家信平=共訳)が岩波文庫から文庫化されました! この機会にぜひ! (2013年7月12日 記す) ウナギが絶滅危惧で高くなるのならナマズを食べればいいではないか(笑)





<ブログ内関連記事>

本の紹介 『鶏と人-民族生物学の視点から-』(秋篠宮文仁編著、小学館、2000) 、そしてラオスのことなど
・・秋篠宮の研究成果を一般向けに紹介した本の紹介

おもしろ本の紹介 『アフリカにょろり旅』(青山 潤、講談社文庫、2009)-爆笑珍道中、幻のウナギ「ラビアータ」を捕獲せよ!

(2014年11月22日 情報追加)


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end

2011年3月25日金曜日

【緊急提言】 「自粛」という名の「空気」を読むのは止めよう。消費にカネを回して「日本復興」への貢献を!


    
 「自粛」という名の「空気」が、いまや日本全体を覆っている。
 「自粛」という名の「空気」は、目に見えない暴力である。
 「自粛」という名の「空気」は、たとえそれを読むチカラがあっても、それに流されるのは意識的に止めよう! 
 「自粛」という名の「空気」を読むのは止めにして、消費にカネを使って「日本復興」への貢献を!


「自粛」とは?

 まず、あらためて「自粛」というコトバの意味を辞書で見ておきましょう。
 
じ‐しゅく【自粛】[名](スル) 自分から進んで、行いや態度を慎むこと。「露骨な広告を業界が―する」(「デジタル大辞泉」)

 「自粛」とは、自分から進んで自発的に行いや態度を慎むこと。

 個人の行為に限定されるなら、それは尊重すべきものであり、他人がとやかく言うべきことではありません。

 しかし、それが集団全体に共有されるとき、その時点で「自発性」は本質的に「自発性」ではなくなっています。積極的な「自発性」ではなくて、他人に合わせるのが無難であるに過ぎないという消極的な「自発性」であれば、それはけっして誉めたものではないでしょう。

 しかもそれが、ある特定の集団を越えて、マスコミによる増幅をつうじて一国全体に拡散するとき、それは「自発性」とはほぼ無縁の「空気」と化しているといわねばなりません。

 国民レベルの「空気」ができあがってしまうと、それに反した行為は取りにくい。これもまた否定しがたい現実です。


昭和天皇崩御のあと「自粛」が続いたのはバブル期のことであった

 「自粛」といえば、なんといっても昭和天皇が崩御されてからしばらくのことを思い出します。

 喪に服すため「歌舞音曲」(・・おお、なんというアナクロニズムな響き!)の「自粛」が拡がって、日本全体が重い空気に包まれたときのことです。

 それは昭和63年(1988年)、「昭和」が終わり、「平成」が始まったまさにその時のことでした。その当時もまた FEN といっていた米軍極東軍事放送では、在日米軍司令官による緊急の特別声明がでていたことを覚えています。

 テレビ放送も一日中、昭和天皇関連の映像一色になりました。歴史畑の私にとっては、日露戦争の凱旋行進の乃木大将の映像など、非常に興味深いものを見ることができて良かったという思いもありましたが、必ずしもそうは思わない人も多かったようです。

 テレビ番組の「自粛」を面白くないと思った人たちは、レンタルビデオを借りだして見ていたようです。これはいい悪いの問題とは違うでしょう。

 まさにバブル期のまっただなかであり、余計に自粛のもつ重い雰囲気が、コントラストをもって感じられたものでした。

 
あらためて「空気」についておさらいしておこう

 「自粛」とはまさに日本全体を覆う「空気」のことです。ここでいう「空気」とは物理的な意味ではなく、雰囲気といった意味でつかう「空気」のことです。

 しかも、たんなる「空気」よりも重い、どんよりと重く垂れ込めた、窒息してしまいかねない「空気」が「自粛」という名の「空気」なのです。

 「東北関東大震災」とそれにともなって発生した「原発事故」から2週間たったいまでも、「被災地のことを考えれば自粛もやむを得ない」、そうクチにする者も少なくないようです。実際に、卒業式シーズンであるにかかわらず中止があいついでいると聞いています。スポーツやさまざまなイベントも次から次へと中止になっています。「自粛」という名の「空気」のチカラ、まさに恐るべしと言わねばなりません。

 誰が言い出したのかわからない。知らないうちに伝染している。
 誤解を恐れずに言えば、放射能による「風評被害」にも劣らず、タチが悪い。

 「自粛という空気」が読めないと即座に断罪される。
 そうでなくても「過剰同調」しやすい心理的傾向の強い日本人、「右に倣え」体質が強すぎる、無難に過ごしたいという気持ちが強すぎるのではないか?

 あえて言いましょう。「自粛」という名の「空気」を読むのはやめよう、と。


「東北関東大震災」から2週間、世の中には捌け口の見いだせないストレスが充満している

 2011年3月11日に大震災と大津波が発生してからすでに2週間、世の中には捌け口の見いだせないストレスが充満しています。それだけ、被災者とならなかった人たちのあいだでもストレスが重くのしかかっているということです。まさに国難だからです。

 テレビの映像でみる被災地は、復旧は遅々とした状況です。
 
 「原発事故」は現状ではなんとか「最悪の事態」は回避できているものの、放射能が拡散しているという情報が人々を不安にさせています。しかも、問題解決までは長期化が必至の状況です。出口は未だに見えない状況です。
 
 東京電力管内の関東では「計画停電」という名の「輪番停電」が実施され、日常生活や経済生活に多大な影響がでています。しかも、東京23区は対象外であるという、東電の理不尽な姿勢への不公平感も出始めています。

 こんな状態のなか、「自粛」という名の「空気」が、ストレスをさらに増大させています。「自粛」は「復興」には何の役にもたないと言っても、私はけっして言い過ぎだとは思いません。 

 「自粛」という名の「空気」なんか読む必要はない! いわんや、「自粛」を推進するなどもってのほか! 

 そんなものは「品格」でもなんでもない。単なる時局便乗者の振る舞いに過ぎない、と言っておきましょう。


経済が回らないと「日本復興」どころではなくなる

 エコノミストたちの試算によれば、復興費用は15兆円から20兆円程度になるとされています。ハードの復興には、財源問題はさておき、財政の投入が行われることでメドをつけることができなくはないでしょう。

 懸念されるのは「自粛」ムードがもたらす個人消費抑制です。経済活動の自粛は致命的です。自分で自分の首を絞めることになるだけではない。日本経済全体を窒息しかねないものがあります。

 カネは経済にとって血液のようなもの。カネがつねに循環していないと、人体を比喩にすれば、血栓が発生して動脈硬化に陥ってしまう。カネが回らなくなると、経済は成り立たなくなる

 先日、フェイスブック上の呼びかけで「Kifu Drink 10%」という催しに参加しましたた。「寄付ドリンク10%」とは、その趣旨は地域の飲食店で食事をして、飲食代金の10%を寄付に回そう、というものです。

 もちろん義援金という形の寄付金も大事ですが、消費活動をつうじて経済を回し、それが回り回って被災地の経済を振興し、日本復興の経済的基盤づくりになることも非常に重要です。日常生活を取り戻すことが、そのまま復興につながっていく。

 そうなんです! ストレス発散のために、「飲食店でビールを飲む ⇒ イコール消費活動 ⇒ 日本経済が回り出す ⇒ 日本復興につながる」ということを期待しつつ乾杯!というわけです。

 しかも、ビールには放射能対策に効果ありという研究成果もあり、飲んで楽しい、放射能対策に効果あり、しかも消費拡大につながるというわけで「一石三鳥」、「日本復興」の下支えにもなるわけなのですね。

 衣食住のうち、食住さえ確保されれば、人間は食べないわけにはいきません。外食を控えることは節約になりますが、外食することで、たとえ一回あたりの金額は大きくなくても経済を回す一翼を担うことができる。

 飲食関係だけではない、エステやマッサージなどカラダの疲れを癒すサービス業もまた、ココロの癒しにつながります。ストレス解消のためには、こういったサービス業の存在は重要です。

 東北の太平洋岸が被災地であり、電力不足のために「計画停電」が行われている関東が前線支援基地であるならば、関東以西は後方支援基地といっていいでしょう。少なくとも後方支援基地では、イベントや消費を「自粛」したりせず、ガンガンとカネを使って欲しい。モノを作って欲しい。

 カラ元気など必要ない。ココロの底から、ハラの底から感じられる元気がほしい、これは被災者の方々だけでなく、国民全体の願いでありましょう。

 「自粛ムード」を吹き飛ばせ! そう強く主張する必要を感じている次第です。へんな「空気」にまどわされない cool head と、被災地への warm heart が大事なんです!

 「自粛」という名の「空気」を読むのは止めて、消費にカネを回して「日本復興」への貢献を!



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【報告】第1回Kifu-Drinks 10%ゴクゴク@船橋(リスクマネジメント安藤の正しく!楽しく!! ライフデザイナーのSocial Notebook)

ビール成分に放射線防護効果を確認-放医研・東京理科大の研究チームがヒトの血液細胞とマウス実験で実証、放射線防護効果は最大34%にも(独立行政法人 放射線医学総合研究所 2004年)

東北関東大震災義援金を受け付けます(日本赤十字社)
・・義援金は赤十字社に直接行うことを推奨します。クレジットカードで可能、しかも領収書ももらえます。「義援金詐欺」が横行しているので気をつけましょう!


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書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)

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Cool Head but Warm Heart 「アタマはクールだが、ココロは暖かい」




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2011年3月24日木曜日

Cool Head but Warm Heart 「アタマはクールだが、ココロは暖かい」


 経済学には Cool Head but Warm Heart (アタマはクールだが、ココロは暖かい)というコトバがあります。これは19世紀英国の経済学者アルフレッド・マーシャル(1842~1924)が遺した有名なコトバです。

 ところで、こんな記事があることを、ツイッターでフォローしあっている方から教えていただきました。

 「日本の真の色が光るように 外国メディアも混乱しまくった大惨事のその先で」(加藤祐子、2011年3月22日) http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20110322-01.html?pageIndex=1 たいへん面白い内容なので、ぜひ一読することをお薦めします。

 日本人のニュース編集者が、きわめて冷静に、英語による海外の 「日本関連情報」を、日本語で整理した文章です。

 あたりまえのことですが、海外メディアによる報道がかならずしも「客観的」ではないことは、わたしたち日本人自身と日本そのものが取材対象となっているので、よく実感できることと思います。

 あくまでも、記者個人が、取材対象の外側からみた、事実にかんする「主観」に過ぎないわけです。これは逆もまた然りですね。日本人が書いた海外情報も同じく、ある種の解釈の歪みが生じてしまうのは仕方ありません。

 テレビや新聞だけでなく、ツイッターやフェイスブックなどSNS上に出回っている情報も、ときには疑ってみることも必要でしょう。

 すべての記事について、「事実」と「解釈」(感想やコメント)の違いを十分に区分することです。たとえ、同じ「事実」をみていたとしても、その人のもつ情報量や知識量、さらには経験の豊富さの有無によって、「解釈」は大きく異なってきます。

 Cool Head but Warm Heart (アタマはクールだが、ココロは暖かい」

 冷静な分析と、共感という暖かい思いやり。二律背反の印象をうけるこの2つのマインドセットは、ぜひ身につけたいものです。どちらが欠けても、現代に生きる知的人間としては失格といっても言い過ぎではないと思います。

 今回の「東北関東大震災」と「原発事故」を、「地震列島に住む運命共同体の一員」としてかかわる以上、犠牲者と被災者の方々へのいたわりの気持ちとともに、「日本復興」のために専門能力をもって貢献することの必要を強く感じています。

 たとえ一人のチカラは小さくても、一人一人の貢献が「日本復興」につながっていくのです。



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「ログブック」をつける-「事実」と「感想」を区分する努力が日本人には必要だ・・どうやら、必要なのは日本人だけではないような

書評 『脳の可塑性と記憶』(塚原仲晃、岩波現代文庫、2010 単行本初版 1985)
・・「記録」されたものは、事実と感想が混同しているのが普通であり、その内容についてはきわめて主観的と」いわざるをえないだろう。

We're in the same boat. 「わたしたちは同じ船に乗っている」
・・4つのプレートがぶつかる「地震列島に住む運命共同体の一員」である日本人






(2012年7月3日発売の拙著です)








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2011年3月23日水曜日

We're in the same boat. 「わたしたちは同じ船に乗っている」


                
 「東北関東大震災」(2011年3月11日)が発生してから、すでに13日目となった。しかし、依然として余震が続いている。こんなの初めてだ。

 飲んでもないのに「船酔い」のような状態がずっと続いているので、正直なところ気持ち悪い。

 パニックにならないように、「浮き足立つな!」などといわれているので、仰せの通り実際に「地に足をつけて」みると、微弱な揺れがカラダ全体に伝わってくる。自分が揺れているのか、地面が揺れているのか・・・。イスに座って、パソコンに向かって書いているいまこの現在も、微弱な揺れがカラダ全身に伝わってきて、めまいに似た状態だ。

 「余震酔い」といったらいいのだろうか、大きな揺れが来るのは怖いが、小さな揺れが間断なく続いている状態も、心身ともによろしくない。精神的にもくたびれる原因になっている。まるで「船酔い」状態である。吐き気まではしないが、なんだかめまいがする。

 英語の慣用表現 We're in the same boat. は、直訳すれば「われわれは同じ船に乗っている」という意味になる。

 語学参考書などでは、「呉越同舟」という中国故事がそれに該当するとしているものも多いが、私はこの表現はすなおに受け取ったらいいと思う。敵味方に関係なく、「われわれは同じ船に乗っている」のだ。

 「東北関東大震災」は、東北を中心に関東でも同時多発的に発生した地震の総称である。

 現時点にいたるまで、東北だけでなく、関東の広い範囲で余震が続いている。ある意味では、東北と関東の人間は、同じ船に乗っているようなものなわけなのだ。

 「おたくはきょうは停電ですか?」、「ええ、うちは第2グループなんで、午後から停電なんですよ~」なんて会話を電話でするのも、病気自慢(?)のお年寄りどうしの会話みたいで、なんだかちょっとおかしい。

 こういうときに使うのが We're in the same boat.

 「同じ船に乗っている」のは、偶然の結果かもしれないが、乗り合わせているという事実はそのまま受け止めるしかない。

 われわれはみな「地震列島という同じ船」に乗っているのだ。太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、北アメリカプレートという、4つのプレート(地球の表面をおおう岩盤)が集まるところに日本列島は乗っかっている。

 余震からくる「船酔い」に苦しみながら。ある意味では「運命共同体・日本丸」に乗り合わせているというわけだ。だからこそ「連帯」しなくてはならない。

 積極的であれ、消極的であれ、この事実を認めることから「日本復興」は始まるのだ。


(*冒頭に掲げたプレート図は、wikipedia のものを使用した)



<ブログ内関連サイト>

3月11日に発生した「東北沖大地震」について (2011年3月12日)

「東北関東大震災」は M9.0 規模であった・・・(2011年3月13日)

国民の一人一人が「勇気」 をもって、この危機を共に乗り切ろう! (2011年3月14日)

地震、津波、原発事故、そして財政危機。「最悪の事態」を想定しなければならない状態になっているが・・・(2011年3月15日)

トップに立つ人のコトバが、末端にいるすべてのメンバーに届くものになっていますか?
・・陛下は科学者らしく「東北地方太平洋沖地震」という名称を使用しておられる

「非常時」には「現場」に権限委譲を!-「日本復興」のカギは「現場」にある

【緊急提言】 「大震災」のネーミングについて-報道機関は 「東北関東大震災」に統一すべきだ!・・(2011年3月20日)

たとえささやかでも 「被災者」になるという経験をすると、 「マズローの法則」 が真に実感できるようになる・・(2011年3月21日)




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2011年3月21日月曜日

たとえささやかでも 「被災者」になるという経験をすると、 「マズローの法則」 が真に実感できるようになる


 ささやかな体験だが、異国で「被災者」になったことがある。

 いまから20年近く前のことだが、米国留学中、ドミトリーの隣の部屋から火が出て、焼け出されたという経験だ。

 それは「感謝祭」休日(Thanksgiving Days)の前日、休日のあいだは学校が休みになって授業もないので、ベッドに腰掛けて本を読んでいたら、とつぜん換気口からもうもうと黒煙がでてきたのだ。

 「なんだいったい?」と思っているうちに、非常ベルがけたたましく鳴り始め、「逃げろ!」という構内アナウンスがあった(・・ように思うが記憶が定かではない)。

 着の身着のままで外にでて、ドミトリーのほかの部屋の人たちと雑談していたら、そうこうするうちに、サイレンを鳴らしながら消防車がやってきて消火活動を始めた。なんせ、米国では消防車がくるのが早い。いたづらや間違いでボタンを押してしまっても、あっという間に消防車が来てしまうくらいだ。

 なんとドミトリーの隣室から出火していたのだ!

 ときは11月23日、Thanksgiving Day は、日本では敗戦後に占領軍によって「勤労感謝の日」ということで無理矢理に休日として仕立てられたが、それはさておき、なんといっても米国東部の11月の終わりは寒い。着の身着のままで部屋を出たので、薄着のままだったからたまらない。ふるえるくらい寒いが、部屋に戻れないので、クルマに入ってエンジンかけて寒さをしのいでいた。

 しかし、自分の部屋も "Danger"(危険につき立ち入り禁止) の赤いテープを貼られ入室禁止、数日にわたって部屋を追い出されるはめになってしまった。"隣のバカ女" のせいでとんだ「感謝祭プレゼント」をいただくことになったわけなのだ。

 ちなみに、「感謝祭」には、米国の家庭では家族みんなが集まってターキー(七面鳥)を家族で食べる習慣があるのは、ノーマン・ロックウェルの絵画でみたことがあると思う。いまでもそうなのかどうかは知らないが「古き良きアメリカ」ではそうであったようだ。

 許可もらって自分の部屋に入り、身の回りのものをもって、ニューヨーク・シティまで出ることにする。寝るところがない、することがないからだ。というわけで、窮状を訴えたうえで日本人の友人や後輩の家などを転々とすることにしたが、数日間といっても居候は居づらいものである。最初は同情されても、じきにそれとなくよろこばしくなことを示唆されるようになる。「居候、三杯目はそっと出し??」、である。

 だから、被災者の方々の気持ちも、ある程度まではわかる。なんせ、まずは雨露をしのいで寝るところ、そして食事、そして・・・。とにかく、仮設住宅でいいから早く入りたい、という気持ちは非常にわかるのだ。


「マズローの法則」あるいは「欲求五段階説」

 ところで、「マズローの法則」というものがある。心理学者アブラハム・マズローが提唱した法則で、別名で「欲求五段階説」ともいう。

 マズローは、人間の基本的欲求を、低次から高次に、階層的に五段階で示した。

1. 生理的欲求(physiological need):食欲・睡眠・性欲
2. 安全の欲求(safety need):住居・衣服・貯金
3. 所属と愛の欲求(social need /love and belonging):友情・協同・人間関係
4. 承認の欲求(esteem):他人からの尊敬・評価される・昇進
5. 自己実現の欲求(self actualization):潜在的能力を最大限発揮して思うがままに動かす

 被災者がまず求めるのは「生理的欲求」そして「安全の欲求」であることは、言うまでもなく理解できることだろう。

 しかし、それだけではなく、「つながり」や「きずな」を確認するのも、大きな癒しになる。つまり「所属と愛の欲求」も関係してくる。

 私自身の経験に戻るが、部屋を焼け出されたことに対して、大学事務局の女性職員たちのやさしさには、心を癒された。

 部屋に入れないからパソコンが使えないので課題提出ができないと訴えたら、男性職員は原則論を主張するのみで、頑として受け付けなかった。まったく思いやりに欠けるヤツだったのに対し、女性達はまったく異なる態度を示してくれた。結局、こちらの主張は受け入れられなかったが、いろいろやさしいコトバをかけてもらったのだった。

 もちろん個人差はあるが、女性は原則論は理解していても、状況を察して「やさしさ」や「精神的ケア」を示してくれるということを体験した。このときの体験は、いまにいたるまで強く記憶のなかに残っている。

 「マズローの法則」では、より高次の欲求は、「衣食足りて礼節を知る」(論語)ではないが、人間として最低限のレベルが満たされて、はじめてでてくるものである。

 日本では「自己実現」というコトバが非常に流行ったが、このレベルまでこれる人は実はそう多くはない。このことはぜひ知っておきたい。安易に「自己実現」というコトバを私が使いたくないのは、そのためである。


誰もが「被災者」になる可能性があるということを忘れずに!

 ところで、出張先のロンドンでも、場所は忘れたが出張先の名古屋でも、火事騒ぎで真夜中にホテルの部屋からだされた経験を思い出した。いずれも火災報知器が鳴っただけで実際の火事ではなかったが、真夜中にたたき出されるのは、実にイヤな思いである。

 実際に火事でたたき出された経験があるから、なおさらそう感じるのであろう。

 程度の差はあるが、「被災者」になるということは自発的になるものではないからこそ、「被災者」には物心両面でいたわりが必要なのである。どんなに強い者であっても、「被災者」になった瞬間に「弱者」になってしまうからなのだ。

 私も、あなたも、「被災者」にならないという保証は、まったくないのです。イマジネーションを働かせてほしいのです。

 あらためて、「マズローの法則」の意味を、「自己実現」だけではなく、「被災者」の立場によりそって、ピラミッドの底辺から理解してほしい、と思う。


(注:「欲求五段階説」のピラミッド図は wikipedia に掲載されているパブリックドメイン

  




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2011年3月20日日曜日

【緊急提言】 「大震災」のネーミングについて-報道機関は 「東北関東大震災」に統一すべきだ!



 今回の「大震災」(2011年3月11日 午後2時46分発生)のネーミングについて、NHK を除く報道各社は、民放も新聞社も、いずれも「東日本大震災」というネーミングで報道を行っている。

 私は、このネーミングはきわめてミスリーディングである、と言わざるをえないと考えている。

 今回の地震の正式名称は、「東北地方太平洋沖地震」である。これは気象庁の命名であり、公式な記録文書に残るものだ。これはこれでよい。有史以来、数ある大規模地震の一つとして記録され、地震学の観点から研究される対象であるからだ。

 だが、研究者ではなく、一般人に大きな影響を与える報道機関が「東日本大震災」というネーミングにこだわるのは、事態を正確に反映したものではなく、しかもきわめてミスリーディングであると考える。

 現時点において唯一の例外は、公共放送機関である NHK だけである。NHKは地震後しばらくしてから、一貫して「東北関東大震災」というネーミングを使用している。

 大地震とそれに引き続いて起こった大津波という大被害にあった「東北」を全面に出し、かつ報道の頻度がきわめて少ないが被害を受けている「関東」に注目を与えることのできるこのネーミングは、「東日本大地震」というおおざっぱなネーミングよりも、はるかに実態を正確に表現したものではないだろうか?

 東北の太平洋岸の被害は目を覆うばかりのもので、直接の被災者ではない私のような人間も、大きな精神的ショックを受けている。

 しかし、被害を受けたのは東北だけではない。太平洋に面した茨城県、千葉県房総だけではなく、千葉県の東京湾岸に面した浦安市や船橋市の埋め立て地も大きな被害を受けている。
 
 茨城沖ではその後余震というのはあまりにも規模の大きな地震が続いているし、千葉県の外房では津波の被害で死者も出ている。現時点においても、太平洋岸を走る JR常磐線は土浦駅より先は、不通のまま復旧の見通しもたっていない。

 千葉県の東京湾岸では震度は5であったが、埋め立て地は地盤が弱いため液状化現象が発生し、ライフラインが寸断され、いまだにガスや水道が復旧していない地域があることを知らなくてはならない。震度の大きさだけが被害状況の大きさをあらわしているわけではない。

 とくに物流倉庫が集中する浦安市では、液状化や地割れが発生し、大きな障害が発生していることは、ここで大きく強調しておきたい。浦安市に立地する東京ディズニーランドや、集合住宅や一般住宅だけが問題なのではない。千葉市の湾岸埋め立て地でもまた、液状化の被害は大きい。

 宮城沖で発生したと同程度の大地震が関東で発生したら、間違いなく東京都の東京湾岸地域も大被害を受けることになろう。これは東京湾岸に立地する民放も例外ではない。

 このような状況のなか、なぜ東京に本社が立地する民放や新聞社が「東日本大震災」というネーミングを使用するのか?

 たしかに、東京以西からみれば、「東日本」と一括して表現することもわからなくはない。「西日本」に属する関西からみても、中国四国からみても、九州からみても「東日本」と一括することは意味のないことではないだろう。沖縄からみれば「ヤマト」(本土)ということになろうか。海外からみれば総称としての「日本」となる。

 しかし、私は「東北関東大震災」のほうが、さまざまな理由から適切であると考える。

 音声という観点からいっても「東日本大震災」(ひがしにほん・だいしんさい)よりも、「東北関東大震災」(とうほく・かんとう・だいしんさい)のほうが発音しやすい。

 意味からいっても、すでに「関東大震災」(かんとう・だいしんさい)が存在し、その前に「東北」を加えることによって、今回の大震災とその後の大津波を一瞬にして把握することを容易にしている。

 しかも、「東北関東縦貫自動車道」がすでに存在しているので、「東北関東」と続けて発音するのに抵抗感はない。

 ロジスティクス(物流)の観点からいっても、関東からどうやって東北に物資を届けるかということが喫緊(きっきん)の課題になっている状況である。東北の被災地と被災者は、関東が前線基地として復興を支える立場にある。関東以西は後方支援基地ということになろう。

 繰り返しになるが、なによりも大地震とそれに引き続いて起こった大津波という大被害にあった「東北」を全面に出し、かつ報道の頻度がきわめて少ないが被害を受けている「関東」に注目を与えるべきである。

 ネーミングとは命名行為のことである。正しい名前は正しい実態を表現する。「名は体をあらわす」というではないか。

 以上の意味において、報道機関のすべてが、 NHK が使用する「東北関東大震災」に統一するべきだと提言したい。



P.S. 日本赤十字も「東北関東大震災」というネーミングを使用している

  「東北関東大震災義援金を受け付けます」(日本赤十字)・・ここから義援金を送ることができます。

 なお、私は NHK とは視聴者という以外の関係はもっていないので、いわゆるポジション・トークではありません。日本赤十字についても同様です。

 また、ネット書店の amazon も bk1 も「東北関東大震災」を使用しています。

 この【提言】は、ブランド・マネジメントの観点からのものであると、受け取っていただけると幸いです。

  (2011年3月30日 追記)

 その後の結果については、こういう記事を書きました。まことにもって残念な結果です。
 「東北関東大震災」というネーミングは敗れ去った-デファクト競争ではなく、閣議決定によって・・・(2011年4月2日)
 「東北関東大震災」というネーミングは敗れ去った。完敗です。しかも、きわめて後味の悪い負け方。なぜこういう言い方をするかというと、ネーミングの「デファクト」をめぐる競争の結果ではなく、政府の閣議決定によってだからです・・(つづきは上記の記事をクリックしてみてください)



<関連サイト>

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震関連情報 (気象庁)
   
東日本大震災の影響残る潮見地区/潮見町(My Funa ネット 2011年3月17日 千葉県船橋市)

東京からもっとも近い被災地・浦安 現地ルポ【上】産業編(東洋経済オンライン 2011年3月15日)
東京からもっとも近い被災地・浦安 現地ルポ【下】生活編
東京にもっとも近い被災地・浦安 現地ルポ 3(3月16日)
東京からもっとも近い被災地・浦安《4》新しいマンション地区が断水に苦しむ(3月17日)
東京からもっとも近い被災地・浦安《5》復旧工事着々(3月17日)

ライフライン被害深刻 浦安、千葉で液状化(ちばとぴ 千葉日報ウェブ 2011年3月19日)
*この記事はサーバーから消される可能性もあるので、記録のためここに転載しておこう。

 東京湾沿岸にある京葉地域の埋め立て地では、液状化現象によりライフラインに大きな被害が出ている。特に浦安市や千葉市の被害は深刻で、復旧作業が続いている。地質学の専門家は「沈下はしばらく続き、本格的な復旧は地盤が安定してからすべきだ」との見方を示している。

 浦安市では埋め立て地域のほぼ全域で液状化が確認され、上下水道やガスなどライフラインに影響が出ている。県水道局によると、18日午後3時現在で約1万9千戸が断水。配管損傷などで水圧が足らず減水となっている家も約5万8千戸に上る。ガスの供給が停止している地域もあり、京葉ガスは復旧を急いでいる。

 千葉市では美浜区で液状化が多発、市が管理する道路計約44キロの被害が確認されている。県営団地内の通路や駐車場、千葉港内道路で路面のゆがみが認められた。JR海浜幕張駅など利用者の多い場所から順次、土砂の除去や路面の状況調査などを行っている。同区と浦安市では、地盤が緩み住宅が傾く被害も多数に上るとみられる。

 船橋市では三番瀬周辺などの3カ所で、地盤沈下による亀裂などで道路が損傷。市は高瀬町や日の出町など湾岸地域での被害調査を進めている。県によると、同地域の一部約30戸が断水している。同市や習志野市の県営団地内でアスファルトのゆがみが確認された。



<ブログ内関連サイト>

3月11日に発生した「東北沖大地震」について (2011年3月12日)

「東北関東大震災」は M9.0 規模であった・・・(2011年3月13日)

国民の一人一人が「勇気」 をもって、この危機を共に乗り切ろう! (2011年3月14日)

地震、津波、原発事故、そして財政危機。「最悪の事態」を想定しなければならない状態になっているが・・・(2011年3月15日)

トップに立つ人のコトバが、末端にいるすべてのメンバーに届くものになっていますか?
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2011年3月19日土曜日

書評 『ブリキ男』(秋山祐徳太子、晶文社、2007)-「精神の自由」にみちみちたアーチストの自叙伝は明るく笑える話が満載で魅力的


明るく笑える話が満載で、「精神の自由」にみちみちた魅力的な本

 ブリキ・アーチストでパフォーマンス・アーチストの秋山祐徳太子の自叙伝である。

 パフォーマンスのさきがけである行動芸術、ブリキを使った彫刻作品。
 石原慎太郎とともに落選した「泡沫候補」としての東京都知事選パフォーマンスの話。
 銀座の街頭演説で有名だった右翼の赤尾敏(あかお・びん)とチェコレートパフェを食べた話。

 などなど、明るく笑える話が満載で、精神の自由にみちみちている魅力的な本だ。

 肩の力が抜けて、しかも生きる元気が湧いてくるのを覚える。
 
 秋山祐徳太子の自由は、日本人が昔からもっている、軽さ、つまり俳諧に通じる「精神の自由」である。

 秋山祐徳太子の著者では、とくに『泡沫桀人列伝-知られざる超前衛-』(二玄社、2002)は素晴らしいの一語に尽きる。取り上げられている「泡沫」アーチストは、ボクシング・ペインティングの篠原有司男(しのはら・うしお)以外はまったくの無名人で、世の中にはこれほど変わった人がいることにうれしい驚きを感じる。

 「泡沫」アーチストたちは、はたからみると変人でしかない。とはいえ、本人たちの自意識においては、みな大真面目にアートに取り組んできたのであり、その結果とんでもない方向にいってしまっている。

 自分しか見てないから世の中の大半とはズレていってしまうのだが、他人の目線を感じることなく、一貫して一本筋の通った生き方をする人間は、芸術家であれ、科学者であれ、たいへんいい生き方ではないか!

 「世間」なんかにとらわれず、好きなように生きたらいいではないか。もちろん自己責任が伴うのだが・・・。

 読んでいてそんな感想をもった。



<初出情報>

■bk1書評「明るく笑える話が満載で、「精神の自由」にみちみちた魅力的な本」投稿掲載(2011年2月20日)





目 次

1. 下町のポップ少年
2. マッカーサーを射殺せよ!
3. レーニンか大宮デン助か
4. 安保と労働組合運動
5. ポップ・ハプニングはじまる
6. 万博破壊共闘派の芸術蜂起
7. 都知事選立候補の顛末
8. 初めてのヨーロッパ旅行
9. 魔性が棲む街の怪人たち
10. 芸術はペニストロイカ
11. 生命の勝ち組をめざして


著者プロフィール

秋山祐徳太子(あきやま・ゆうとくたいし)

1935年東京に生まれる。本名は秋山祐徳。1960年武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)彫刻科卒。工業デザイナーとして大手電機メーカーに勤務。1965年岐阜アンデンパンダン・フェスティバルに自分自身を出品。以後、ポップ・ハプニング(行為芸術)と称し、グリコなど動くポップ・アートを行う。1975年、1979年政治のポップ・アート化を目指し、東京都知事選に立候補(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものを増補)。



<書評への付記>

 また東京都知事選の時期になってきた。

 そのむかし、都知事選に立候補したことのあるアーチストでパフォーマーの秋山祐徳太子の自伝。「都知事選パフォーマンス」の話もこの自伝のなかには、たっぷり書かれている。

 こういうときだからこそ已然形(いぜんけい)(笑)、古文の勉強ではなくて、明るい笑いが必要だ。

 腹の底から笑えば、緊張感がとれて、自然に元気が出てくるというもの。
 これはけっしてカラ元気ではありません。

 今度の都知事選で「泡沫候補」といえば、常連のドクター中松くらいしかいないというのは実に淋しい話。誰か、パフォーマンス目的で都知事選に立候補してくれないものかな。元・芸人ではない人をね(笑)。東京都民をやめた私には、直接は関係ない話でありますが。





PS 秋山祐徳太子氏は、2020年4月3日に老衰のため亡くなった。享年85歳。いい人生を生き抜いた人だと心から思う。合掌。(2021年3月23日 記す)


 
<関連サイト>

秋山祐徳太子公認ブログ

「西部邁ゼミナール-戦後タブーをけっとばせ-」(Tokyo MX という東京ローカルのUHF放送のサイト)
・・放送アーカイブあり。ときどき秋山祐徳太子が面白いことをしゃべっている。

とくに 続・言いたい放だい 2008年10月18日放送(YouTube)が笑える


<ブログ内関連記事>

「西部邁(にしべすすむ)ゼミナール」と秋山祐徳太子
・・『泡沫桀人列伝-知られざる超前衛-』(秋山祐徳太子、二玄社、2002)についてふれている

書評 『いい顔してる人-生き方は顔に出る-』(荒木経惟、PHP、2010)
・・同じく東京下町生まれのアーチスト、アラーキーこと荒木経惟



(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



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2011年3月18日金曜日

「非常時」には「現場」に権限委譲を!-「日本復興」のカギは「現場」にある


 
 今回の「巨大災害」について思うのは、日本というこの国では、現場ではリーダーシップが発揮されて、みな献身的に働いているのに、なぜ官僚組織(・・大企業含む)トップのレベルが低いのか? ということに尽きるといっても言い過ぎではないでしょう。 

 政府しかり、東京電力しかり、そしてこの「非常時」にさらに輪をかけるように発生した、みずほ銀行の ATM の全面停止・・・。
 
 ひさびさに日本が全面的に取り上げられている海外からの日本報道は、地震と津波被害に対する日本の国民性を賞賛するものと、原発事故の対応のまずさを批判するものの二つに分かれています。

 今週月曜日の株価の急落は、投機筋による仕掛けられた「日本売り」と、パニック状態の投資家たちによ「狼狽売り」が相まった、負の相乗効果が働いたものだと思われますが、原発関連株が軒並み下落したのも当然といえば当然でしょう。日本人の目から見ても、原発に対する信頼感はほぼゼロになったといってもいい状況だからです。

 「現場」で「最悪の事態」を阻止すべく戦っている東電社員と関連会社や、協力会社の皆さん、自衛隊や警察の皆様には、ほんとうに頭が下がります。 

 それに比べて、初動時点における政府の判断ミス、東電の幹部たちの逃げの姿勢とていたらく・・・。テレビの中継で彼らの姿を見た人は、多くがそう思うことでしょう。賞賛すべき一部の例外的人物も存在しないわけではありませんが。

 もちろん、いまこの段階で批判するのは時期尚早かもしれません。しかし、事態が収拾できた暁には、当然のことながら、ケジメとして相応の責任をとっていただかなくてはなりません。

 自然災害ではありますが、人災の要素がきわめて大きい。大地震発生から一週間たったいま、つよくそう思うようになってきました。


「日本復興」のカギは「現場」にある。「現場」に権限委譲を!

 話題をポジティブなものに変えましょう。

 先の海外報道に見られる一般人としての日本人は、忍耐・克己心・秩序だった行動、冷静さや助け合い精神、そして我慢や協調といった心持ちが、近隣諸国を含めた海外から高く評価されています。

 あまりにも当たり前のことなので、日本の内側にいる私たちにはよくわかりませんが、外側からみるときっとそう映るのでしょう。

 これはいいかえると、一般の日本人は、自律的な、自発的な行動が、個人レベルでも集団レベルでもできるということになるでしょう。
 
 この「非常時」にこそ思うのは、もっと現場に「権限委譲」したほうがいいのでは?! ということです。とくに地震や津波の被災地での復興支援にたずさわる方々のことを、さまざまな報道で知ると強くそう思います。

 現場には、その場所に身を置いていなければわからないことが実に多い。しかも迅速に「判断」を行い、即座に「意志決定」を行う必要がある。いちいち本部に判断をあおいでいたのでは迅速なアクションがとれない。

 そもそも、「非常時」には、簡単に連絡がつかないことも多いのです。

 平時には有効な「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)が非常時にはうまく機能しないことも多いだけでなく、迅速な判断とアクションを妨げることもなくはないのです。非常時には、指示待ち社員ほど役に立たないものはありません。

 基本方針さえ決めておけば、現場に権限委譲して、判断と意志決定とアクションを任せてしまうべきでしょう。
 
 このときにモノをいうのが、とくにその組織のミッション(使命)とバリュー(価値観)です。ミッションや、とくに行動指針の元になるバリューが、アタマだけではなく、ココロのレベルで共感され、しっかりと身体レベルまで浸透していれば、上からの指示がなくても自然とカラダが動くというものです。

 いまいちど、現場への権限委譲と、現場でのリーダーシップの意味について考えてみたいものです。

 日本と日本人の強みは「現場」にあることは間違いありません。「日本復興」のカギもそこにあるのです。

 「現場」のモラール(志気)を高めること、これはトップだけでなく、現場でリーダーシップを自主的、自律的に発揮するリーダーたちの任務でもあるのです。



<ブログ内関連記事>

書評 『国をつくるという仕事』(西水美恵子、英治出版、2009)
・・大震災の被害にあったパキスタンにおける「現場のリーダーシップ」にもふれられている

「組織変革」について-『国をつくるという仕事』の著者・西水美恵子さんよりフィードバックいただきました

書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)
・・「現場」にこだわる元・自衛官によるカンボジア復興支援

書評 『空港 25時間』(鎌田 慧、講談社文庫、2010 単行本初版 1996)
・・日本航空の「現場」の仕事のディテールを語る

書評 『CoCo壱番屋 答えはすべてお客様の声にあり』(宗次徳二、日経ビジネス人文庫、2010 単行本初版1995に改題加筆)
・・問題は「現場」にころがっている






(2012年7月3日発売の拙著です)







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2011年3月17日木曜日

トップに立つ人のコトバが、末端にいるすべてのメンバーに届くものになっていますか?


 
 昨晩(3月16日)に放送された天皇陛下のビデオメッセージ、みなさん視聴されましたか?

 つねに国民とともにいる、というメッセージです。ほんとうにありがたいことです。癒されます。勇気が出ます。 

 いまは「非常時」です、「有事」です。すでに平時ではありません。

 首相も 「第二次大戦以来の国難」 という意味の発言をしていますが、なぜか国民全体に、その意識が浸透して共有されていないような気がするのは私だけでしょうか?

 トップに立つ人のコトバが、末端にいるすべての構成員に届くものであるかどうか。

 このような非常時にこういうことをいうのは、あまり気が進みませんが、コトバの重み、コトバのチカラについて考えるよい機会にもなっているのではないかと思います。

 原発事故があっても、天皇陛下は東京にとどまっておられます。しかも被災地を慰問したいとのご意向まで。

 人の上に立つリーダーであるなら、日本国民として踏みとどまる「覚悟」をするのは当然でしょう。

 みなさんの会社や職場ではどうですか?

 あなた自身はどうですか?



<関連サイト>

2011年3月16日に放送された天皇陛下のビデオメッセージ(YouTube映像)
http://www.youtube.com/watch?v=Tpk_lM4jXaM


<ブログ内関連記事>

「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと
・・昭和天皇の「玉音放送」の全文。今回の天皇陛下の収録済みビデオメッセージは 5分56秒、昭和天皇の収録済みラジオ放送による「玉音放送」は 4分あまり。今回のビデオメッセージが、一部では「平成の玉音放送」といわれる理由を考えるヒントとして




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2011年3月16日水曜日

「東北関東大震災」(2011年3月11日)直後とその後-千葉県船橋市から

                
 「東北関東大震災」と命名された今回の大地震、地震の最中はもちろんそんなことはまったく考えず、本棚が倒れないように支えながら、「もしかしたら、生き埋めになるかも死ぬかもしれない」と感じていた、長い長い数分間でした。

 机の上のパソコンも落ち、本棚はすべりどめストッパーを敷いていたので転倒はしませんでしたが、本が飛び出し、またさまざまなモノが上から落ちて部屋のなかに散乱。

 状況を把握しようにも、テレビのリモコンが見つからず、携帯電話も通話もメールもできず、パソコンも本のなかに埋まったまま。とにかく仕事部屋の本の片付けをするだけで精一杯の一日でした。

 テレビをつけると、津波警報を流している。東京湾岸であっても、太平洋岸に住んでいるわけではない私は津波のことなどアタマのなかにありませんでした。

 しかし、まさか15分で大津波が押し寄せてきて、あれほどの大惨事になるとは・・・・

 私の住んでいる千葉県船橋市では震度6弱、私にとってはこれまで体験したもっとも大きな地震ではないかと思います。たしかに、この11年間本が崩れるという体験はしていませんでした。

 地震の当日(3月11日)以降の状況を写真で紹介しておきます。後世のための記録として。歴史はまさにつくられる最中にあるからです。



 今週月曜日(3月14日)から、原発事故による電力不足から、東京電力は「計画停電」を実施することを発表。私がいる地域は「第2地域」に指定され、さっそく実施されるとの話であったが、結局その日は実際されなかったが、防災用具を買いにホームセンターにいってみると・・・



 同じ日にマツキヨに立ち寄ったら、午前10時の開店直後にはもうすでに食品コーナーはガラガラ。すでに前日も、イオンは店頭売りしかしていなかったが、食品と生活用品を中心にモノ不足がいっきに顕在化している。



 全体的に「モノ不足」となっているわけでなく、あくまでも物流の問題で局所的に「モノ不足」が発生していると考えるべきでしょう。被災地に必要な水・食料・燃料は最優先で送らなければなりません。
 
 被災地にいるみなさんは当然のこと、それ以外の場所に住むみなさんも、「計画停電」や「モノ不足」など、まだまだ不便がつづきますが、これに耐えることも復興への「貢献」となるものです。自分だけ助かろうなんてことは考えないことです。「運命共同体」なのですから。

 昨夜 19時前から「計画停電」が実施されて、いきなり真っ暗闇のなかに。周囲も明かりが消えて一面が真っ暗に。計画されたものといえ、大規模停電はひさびさの経験、あらためて電気のありがたさを痛感しました。また、本日も「計画停電」が実施されます。

 本棚の復旧はまだ 2/3 以上は手つかずのままです。まだ大きな「余震」発生の確率が高いと言われていますので。モノとしての本をもつことの意味についても再考する必要があるとも考えています。いっそのこと・・・?

 まだまだ「余震酔い」を味わう日々ですが、被災地で厳しい状況に直面している方々に比べたら、比較の対象にもなりません。

 ともに頑張りましょう! しばし我慢するだけのことなのですから。



P.S. その後の報道による修正など

 震度は 6弱ではなく震度5(強?弱?) であったことがわかった。しかし、震度5 程度でこれである。震度6 はおろか、震度7 であったら、いまこうしてここに書けるような状態ではないことは言うまでもない。

 横揺れの方向に向いていた本棚から本があふれ出した。とくに本棚上層部の揺れが大きいので本などのモノが落下したことは当然だが、可変式の棚のダボ(軸受け)がはずれて棚が滑落した結果、本があふれでたことも見て取れる。このことから、横揺れだけでなく、棚を浮かすだけの縦揺れがあったことが推察される。

 通常と違って、2分以上にわたって強い揺れが続いていたので、ほんとうに恐怖だった。本の生き埋めになるか、本棚の下敷きになるかもと思ったのはウソではない。

 本があふれでなかったら、本棚じたいが倒れる危険もある。耐震対策の難しさがそこにある。
 書庫内の本があふれでた本棚は、いまだにすべて原状回復を行わないままに放置したままである。

 (2011年3月19日 追記)



P.S. つづき

 片付けの 2/5 はすでに手をつけていたが、余震もだいぶ少なくなってきたし、本日は天気がよいので 1/5 を片付けた。片付けないと、その奥に収納したものがとれないから。
 これで全体の 3/5 程度は終わったことになる。
 だが、まだまだ残り 2/5 がある。そうとう気合いが入らないとやる気にならないので、まだしばらくは書庫のなかは、片付けないままだろう。連休までかかるかも・・・
 なんだか、モノとしての本をもちうつづけることに、漠然とした疑問も湧いてきた、今日この頃である。
 きょう初めて気がついたが、本棚が 5cm もヨコ方向に動いていた。冷蔵庫も 5cm 以上動いている。いかに激しいゆれであったかがわかる。本棚はあらかじめすべりどめストッパーを敷いていたので転倒は回避できたよう。
 本棚も、冷蔵庫も、男手が二人以上ないとできない作業なので、現状回復は断念せざるをえない。

 (2011年3月28日 追記)


PS3  その後、同年(2011年)夏までには完全に片づけたことを記しておく。汗の出る夏は作業がはかどらないからだ。  (2013年12月20日 記す)




<関連サイト>

何冊で床抜け?-「本崩れ」にまつわる意外な難問【前編】 (建築&住宅ジャーナリスト 細野透  「SAFTY JAPAN」 2013年 12月10日)

何冊で床抜け?-「本崩れ」にまつわる意外な難問【後編】-「4万冊の書庫の家」づくりのポイント (建築&住宅ジャーナリスト 細野透  「SAFTY JAPAN」 2013年 12月16日)

(2013年12月20日 追記)



<ブログ内関連記事>

『随筆 本が崩れる』 の著者・草森紳一氏の蔵書のことなど・・本の山のなかで死後発見された作家とその著作

本棚が倒れて"本の海"に生き埋めになるという恐怖が現実に・・・(2009年10月14日)・・札幌の書店事故について

3月11日に発生した「東北沖大地震」について (2011年3月12日)

「東北関東大震災」は M9.0 規模であった・・・(2011年3月13日)

国民の一人一人が「勇気」 をもって、この危機を共に乗り切ろう! (2011年3月14日)

地震、津波、原発事故、そして財政危機。「最悪の事態」を想定しなければならない状態になっているが・・・(2011年3月15日)


 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


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(2017年5月18日発売の拙著です)


   
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