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2014年6月15日日曜日

書評 『サッカー狂の社会学-ブラジルの社会とスポーツ-』(ジャネット・リーヴァー、亀山佳明・西山けい子訳、世界思想社、1996)-サッカーという世界スポーツがブラジル社会においてもつ意味とは?


「サッカー狂」(soccer madness)というコトバは著者の造語だろうが、本書はサッカーという世界的なスポーツが社会においてもつ意味を、ブラジル社会、とくにリオデジャネイロについて徹底的に分析したスポーツ社会学の研究書である。

こんなふうに書くと、こむずかしい研究書のように聞こえるかもしれないが、この本はじつに面白い。抽象的な議論よりも、ブラジル社会そのものを記述した内容になっているからだ。言うまでもなくブラジルは「サッカー王国」であり、サッカーを抜きにしてブラジル社会は理解できない

つまり、この本のテーマは「スポーツ社会学」であり、同時に「ブラジル社会」の2つなのである。とくに重要なのは、「サッカーファン」についての研究である点だ。そこに社会学の研究としての意味と面白さがある。

しかも著者はジャネットという名前からもわかるとおり女性であり、また「サッカー」というコトバを使用していることからもわかるとおりアメリカ人の社会学者である。フットボールではなくサッカーというコトバをつかうのはアメリカや日本くらいで、世界ではきわめて少数派である。

原著タイトルは Janet Lever, Soccer Madness: Brazil's Passion for the World's Most Popular Sport(『サッカー狂-世界でもっともポピュラーなスポーツへのブラジル人の情熱』)である。初版は1983年で、1995年に新版が出版されている。


ブラジルの公用語はポルトガル語だが、もちろんフットボール系の futebol(フッティボル)という。辞書で調べると、 futebolismo というコトバもでてくる。「サッカー主義」とは「サッカー狂」のことだ。

いまでこそ女子サッカー日本代表の「なでしこジャパン」の活躍によって、アメリカの女子サッカーがライバルとして強敵であることが日本人にとっても常識となったが、アメリカ人にとってはサッカーは国技でもないし、ましてやアメリカ人女性にとって男性中心のブラジルサッカーは、二重の意味で「異文化」そのものなのである。(・・個人的な話だが、仕事で1990年代に「アメリカ女子サッカー協会」を訪問したことがあるが、大歓迎された)。

なぜアメリカ人が、しかも女性が(?)という当然でてくるであろう疑問には、著者みずからが「はじめに-この研究の発端にかんする私的な覚え書き」で語っている。研究の背景と発想の源泉について知るこおとができる貴重なドキュメントでもある。

本書は、アメリカ人で女性という立ち位置が好結果をもたらした研究だといえる。ブラジルサッカーそのものといえる「王様ペレ」と個人的に知り合うことができたのも、そのためだという。

さきに「異文化」と書いたが、その意味ではテーマ的にもアプローチ的にも社会学の本流でありながら、限りなく文化人類学に近い。ジンメルの社会学と文化哲学、デュルケムの宗教社会学だけでなく、文化人類学者のクリフォード・ギアツやレヴィ=ストロース、『ホモ・ルーデンス』のホイジンガの所論を援用している。しかも経済学者のアルバート・ハーシュマンからはファンの行動選択にかんする示唆を受けている。

著者自身、ブランジルには交換留学や研究者としての留学など含めて、本書が完成するまでに数年の現地滞在を含め10年近くかかわってきたという。ポルトガル語を駆使した取材に基づく、フィールドワーク中心の濃い内容の記述となっているのはそのためだ。


サッカーというスポーツが社会においてもつ意味

スポーツを社会という文脈で捉えると、スポーツは勝負である以上、敵と味方に「分離」する機能をもつと同時に、同じルールのゲームであるという点において「統合」をもたらす性格をもっている。

ヨーロッパやラテンアメリカのようなサッカー先進国の場合、一都市に複数のチームがあるのがフツーなので、同じ都市内でもひいきのチームへの一体化をめぐって都市住民間での「分離」が生じるが、これが統合のレベルが上がっていくにつれて、一体化の対象がが州レベルとなり、ワールドカップにおいては国の代表チームへとなっていく。

さらにサッカーファンは地元のひいきのチームや代表チームだけでなく、世界のサッカー選手についても詳しくなるから、サッカーという世界共通のルールで行われるゲームという枠組み自体を共有することになるわけなのだ。

代表チームはナショナリズムの表現でありながら、同時にグローバリズムと両立しているわけである。代表チームを応援することは、言語など人間としての根源的感情にもとづくものであるとはいえ、かならずしも偏狭なナショナリズムにならないのはそのためである。

著者は、「サッカーというスポーツは国際共通語のエスペラント語のようなものだ」と書いているが、このアナロジーはじつに味わい深いものがある。著者がエスペラント語をあげているのは、実質的な世界標準語である英語ではないという意味だ。世界スポーツであるサッカーは、アメリカが支配するではないという意味でもある。

本書が面白いのは、著者がアメリカ人でアメリカ人を読者に想定しているために、ブラジルのサッカーとアメリカのプロスポーツがつねに比較対象として意識されている点にある。ブラジルサッカーを分析すると、アメリカのスポーツの特殊性が浮かび上がるのである。

ベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケーと、複数のプロスポーツリーグが存在し、一都市一チームというフランチャイズ制が確立し、ビジネスとしてのスポーツがスポーツマネジメントによって運営されているアメリカは、世界的にみてきわめて特殊な国なのである。

この点、日本も相撲に野球、さらにJリーグと複数のプロスポーツリーグが存在する点はアメリカモデルに近いが、日本もプロサッカーリーグをもつことによって、サッカーがいかに世界スポーツであるかを体感できるようになったわけである。

サッカーにおいてはアメリカは世界の中心ではない(!)という事実を知ることは、アメリカ人にてってだけでなく、日本人の世界認識にも大いに意味あることなのだ。アメリカ人がどこまで認識を深めたかどうかはわからないが。



(2014FIFAワールドカップ ブラジル大会公式ロゴ wikipedia より)


サッカーファンも三つに区分して考えるのが自然

「ブラジル=サッカー」と思っていた人にとって、2014年FIFAワールドカップのブラジル開催に地元で反対運動があるということは奇異な感じがするのではないだろうか。このわたしもそうである。

だが、反対運動はあくまでもワールドカップをブラジルで開催することに反対なのであって、サッカーそのものに反対しているわけではなさそうだ。スタジアム建設にカネかけるなら、もっと福祉や生活面にカネ使えという要求は、わからなくはない。

おそらく今回のワールドカップでブラジルが優勝すれば、反対運動どころではなくってしまうことだろう。なんせブラジルなんだから。だが「祭りのあと」も懸念は残る。2年後の2016年にはオリンピックがブラジルで開催されるのである。

著者自身が 200人の労働階級の男性を対象に行った面談踏査結果(第5章)を読むと、「ブラジル=サッカー」というのがどうやら固定観念であるのは、わたしだけではないことがよくわかる。

著者は、ファン度合いの濃淡によって3つに区分している。「軽度のファン」「平均的なファン」「熱心なファン」である。「熱心なファン」とは、かならず会場で応援する「サポーター」のことだ。

すべてのブラジル人がかならずしもサッカーの「熱心なファン」ではないことを、著者の調査結果によって明らかになっているのを読むと、なるほどと思うのはわたしだけではないだろう。どこの国であれ似たようなものだな、と。

日本でもかつて野球がそうであったように、広い意味の社交において、スポーツは共通の話題となりやすい。そういえば日本には『野球狂の詩(うた)』というマンガもあった。水島新司の作品である。

日本語訳が出版されたのが1996年、原著がアメリカで出版されたのが1983年だから、現在からみればデータそのものは古いかもしれない。なお、この日本語版には原著の1995年版の序文も収録されており、その後のブラジル社会におけるサッカーの意味や、アメリカにおけるサッカー普及についても触れられており、時代が変化していることも感じさせられる。

とはいえ、ブラジルサッカーについてはスポージャーナリストによる雑誌記事や著書も出版されているものの、ブラジル社会をまるごとサッカーという軸で捉えたものは類書が少ないので、本書の価値は現在でも減じていないと思う。

研究者による日本語訳にしては、ひじょうにこなれていて読みやすい訳文だ。博士論文をもとにしたものだが、読み物としての面白さを損なわない訳文になっているのは珍しい。

社会学とスポーツ社会学、ブラジル社会を深く理解することのできる好著だ。地味な表紙だが内容は面白いので、このテーマに関心のある人にはぜひ薦めたい本である。






目 次

はじめに-この研究の発端にかんする私的な覚え書き
第1章 スポーツの逆説-闘争による統合
 社会におけるスポーツの役割
 社交性と集合精神の表現としてのスポーツ
 最近の研究
第2章 サッカー-最高の国際スポーツ
 国際的な大会
 対抗する他の団体スポーツ
 サッカーのたどった幸運な歴史
第3章 ブラジルにおけるスポーツと社会統合
 国内を結びつける絆
 サッカーの全国組織
 スポーツと政治
第4章 大都市におけるスポーツ-リオデジャネイロ
 サッカークラブ
 リオ市内のライヴァル関係
 くじとマスメディア
 サッカーの財政危機
第5章 ファンの生活におけるスポーツ
 ファンの関与
 ファン研究の結果
 どういう人がファンなのか
 ファンになる予兆
 ファンの忠誠心
6章 共有される文化シンボル-英雄、悪役、イデオロギー
 公的人物としての選手
 象徴としての悪役の重要性
 社会移動のイデオロギー
 大都市と地域社会における社会移動の比較
 ペレのもつ特別な象徴的重要性
第7章 結びに-スポーツの重要性
 スポーツから利益を受けるのはだれか
 多元論か単一論か
 性的アパルトヘイトという例外
 スポーツは現状を維持するものか、変革を推進するものか

1995年版への序文
 アメリカにおけるワールドカップとサッカー
 世界の他の地域でのサッカー
訳者あとがき


著者プロフィール

ジャネット・リーヴァー(Janet Lever)
カリフォルニア州立大学 社会学教授(Ph.D)  Dr. Lever has been at CSULA since 1990; during the previous 16 years, she taught sociology at Yale, Northwestern, UCLA, and UCSD, and also completed a post-doctoral program in health policy at RAND. From 1991 through 1998, with Dr. Pepper Schwartz, she coauthored Glamour magazine's "Sex and Health" column, thus serving as a liaison between the research community and "real" people. (CSULA: School of Natural & Social Sciences, California State University, Los Angels 公式サイトより。これを読むと、現在は「職場恋愛」(workplace romances)という、かなり面白いテーマで調査研究を行っていることがわかる)


訳者プロフィール

亀山佳明(かめやま・よしあき)
1947年、岡山県に生まれる。1978年、京都大学大学院教育学研究科博士課程(社会学、教育社会学専攻)単位取得退学。龍谷大学社会学部教授。著書に『スポーツの社会学』(編著、世界思想社、1990年)その他(本書の奥付より)

西山けい子(にしやま・けいこ)
1959年、奈良県に生まれる。1994年、奈良女子大学大学院人間文化研究科博士課程単位取得退学。奈良女子大学その他で非常勤講師(本書の奥付より)


<関連サイト>

More Americans Than Ever Are Watching the World Cup (BloombergBusinessweek, June 17, 2014)
・・ワールドカップにはアメリカ代表も出場している。しかし、アメリカも変わりつつある。しかもアメリカは一次リーグを突破して決勝トーナメントに進出が決まった(2014年6月27日)

南米サッカーの「情熱」と「狂気」に関する考察 (星野智幸、フォーサイト、2014年6月27日)
・・「(コートジボワールの)ドログバに流れた雰囲気を変えるすべを持たない会場に、私は日本のサッカー文化がまだまだ薄いことを思い知らされた。失敗したら呪詛を浴びて呪い殺されそうな環境で日常的にサッカーをしているラテンアメリカの選手たちに比べれば、日本の選手が逆境に弱いのは当然である」  その呪詛とは『サッカー狂の社会学』にもでてくるブードゥー教もまたその一つである


<ブログ内関連記事>

書評 『W杯に群がる男たち-巨大サッカービジネスの闇-』(田崎健太、(新潮文庫、2010 単行本初版 2006)-全世界にまたがるサッカービジネスの舞台裏を描いたノンフィクション
・・ブラジル出身のアベランジェが長く君臨したFIFAというクラブ型閉鎖組織

「JICA横浜 海外移住資料館」は、いまだ書かれざる「日本民族史」の一端を知るために絶対に行くべきミュージアムだ!
・・ブラジルと日本の縁は深い。ブラジル出身の日本人選手もまた少なくない

「近代スポーツ」からみた英国と英連邦-スポーツを広い文脈のなかで捉えてみよう!
・・サッカー(=フットボール)の普及と大英帝国の存在は切っても切れない関係

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「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?
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書評 『学問の春-<知と遊び>の10講義-』(山口昌男、平凡社新書、2009)-最後の著作は若い学生たちに直接語りかけた名講義
・・オランダ構造主義の影響を受けた歴史学者ホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』は、遊技と闘争の観点からスポーツ社会学に与えた影響も大きい

「3-11」後の個人の価値観の変化に組織は対応できていますか?-個人には「組織からの退出」というオプションもある
・・『サッカー狂の社会学』の著者は研究に当たって経済学者ハーシュマンの示唆もうけているようだ。「個人の価値観(バリュー)の変化は、当然のことながら組織の価値観にも影響を及ぼします。個人が組織に影響を及ぼす選択肢(オプション)は大きく分けて2つあります。経済学者のアルバート・ハーシュマンによる有名な分類です。まずは、Voice(=声)。組織内での異議申し立てです。意見をいって組織内改善を志向するものです。つぎに Exit(=退出)組織からの退出です。つまり転職ですね」




(2012年7月3日発売の拙著です)






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