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2014年7月31日木曜日

アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで!

(Uncle Sam)

君はアンクル・サムを知っているか?

英語で書けば Uncle Sam、日本語でいえば「サム叔父さん」ということになる。冒頭に掲げたポスターで君に向かって指さしている人物のことだ。陸軍の志願兵募集ポスターに登場する人物である。

アンクル・サムは実在の人物だったのだ!
アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった!

じつはわたしもその事実を知るまでは、アンクル・サムはアメリカ合衆国を擬人化した架空の人物だと思い込んでいた。Uncle Sam の頭文字をとって略すと US となる。そう、United States の US と同じだ。アメリカ合衆国のことだ。

いまはもうほとんどつかわないが、かつて典型的な英国人がジョン・ブル(John Bull)と擬人化して呼ばれていたように、フランス女性の擬人化がマリアンヌと呼ばれているように、アンクル・サムもそのようなものだと思い込んでいたのだ。

わたしがアンクル・サムが実在の人だと知ったのは、彼が住んでいたニューヨーク州トロイに住むことになったからだ。その地にある米国最古の工科大学であるレンセラー工科大学(通称 RPI)に、MBA取得のため留学したからである。いまから24年前の1990年のことだ。

アンクル・サムは本名をサミュエル・ウィルソン(Samuel Wilson)という。1776年9月13日にマサチューセッツ州アーリントンに生まれたスコットランド系移民の出身。トロイに移住して兄弟と精肉業者(meat packer)として独立、成功した起業家となり、地域の発展に大いに貢献した人物だ。その結果、存命当時からサミュエル・ウィルソンはアンクル・サムとして土地の人から慕われていたという。

(1990年にトロイで購入したポストカード)


アンクル・サム伝説が生まれたのは、1812年の米英戦争(・・第二独立戦争ともいう)がキッカケである。

精肉業者のアンクル・サムは米国陸軍への大口の食肉供給契約を受注した。それはハドソン川沿いのトロイという土地が、水運が物流の中心であった当時においては物流の結節点であったからである。アンクル・サムの精肉会社が供給する食肉は新鮮で品質が高かったという。

肉をつめた樽には EA-US と刻印されていたそうだが、トロイ出身の兵士たちは US を United States ではなく Uncle Sam のことだと思ったらしい。それがアンクル・サム伝説が生まれることにつながったという。偉大なる勘違いというやつである。

サミュエル・ウィルソンがトロイで亡くなったのは1854年7月31日。享年 87歳。本日(2014年7月31日)は、没後160年ということになる。


ニューヨーク州トロイはオランダ人が入植して開発した

アメリカ産業革命発祥の地トロイ(Troy)は、ハドソン川沿いの交通の要衝。風光明媚な土地である。

トロイとはトロイの木馬のトロイのことで、古代ギリシアの都市のことであり、シュリーマンが少年時代の夢を実現するため私産を投じて発掘した都市のことである。詳細は自叙伝の『古代への情熱』に詳述されている。

(ハドソン川からみたトロイ wikipediaより)

現在は物流の中心は航空貨物と鉄道とトラックによる陸運が中心になっているが、19世紀前半のアメリカにおいては水運が中心であった。またエネルギー源は石炭火力から19世紀末には水力発電に移行しつつあった。

ハドソン川がニューヨークのマンハッタンと縁が深いことを知っている人は多いと思うが、ハドソン川をすこし北にさかのぼれば、ドイツのライン川のような風光明媚な土地になることは、あまり知られていないかもしれない。陸軍士官学校のウェストポイントはハドソン川左岸の台地に立地している。ハドソン川流域は、とくに秋の紅葉シーズンが美しい!

(ハドソン川とモホーク川が分岐する地点にトロイがある wikipeiaより)


ハドソン川の上流に位置するトロイは、対岸の首都オルバニーにも近く、運河が掘削されて五大湖の一つエリー湖ともつながっているトロイは物流の結節点に位置していたのである。現在ならニューヨーク・シティからもボストンからも、クルマで3時間くらいの距離である。

(トロイ周辺図 wikipediaより)

トロイ周辺には、先住民のネイティブ・アメリカン風の地名が痕跡として残存している。たとえばモホーク(Mohawk)というのはじつに美しい響きだから、そのまま地名として残されたのだろう。モホーク族のモホークである。北海道に残るアイヌ語が起源の地名と似ているのかもしれない。

初期のアメリカ文学を代表する作家にワシントン・アーヴィング(Washington Irving)という人がいる。『スケッチブック』という短編集に、「リップ・ヴァン・ウィンクル」という作品がある、アメリカ版浦島太郎のような伝説を小説にしたものだ。主人公はオランダ系移民に設定されている。

「リップ・ヴァン・ウィンクル」の舞台がハドソン川沿いのキャッツキル(Catskill)という山中のことなのだが、この kill というのは川のことをさす表現のようで、もっぱらニューヨーク州のみで使用される方言らしい。語源はオランダ語だそうだ。(kill (noun) Chiefly New York State. a channel; creek; stream; river: used especially in place names: Kill Van Kull. Origin: 1660–70, Americanism; &; Dutch kil, Middle Dutch kille channel)。

このようにハドソン川流域はオランダ人が入植して開拓した土地であった。そもそもニューヨークはニューアムステルダムと呼ばれていたのである。最初に入植したのはオランダ人であったが、その後アメリカは英国の植民地となった。

わたしが留学したレンセラー工科大学のレンセラー(Rensselaer)とは、創立者であったオランダ人入植者の大地主 スティーヴン・ヴァン・レンセラー(Steven Van Resselaer 1764~1839)から命名されたものだ。当時は全米で第10位の資産家。政治家でもあり、みずからの資産で、その後レンセラー工科大学となる実科学校(ポリテクニーク)を1824年に創立したのである。ポリテクは、ナポレオンがつくった理工系の実科学校がモデルである。

プラグマティックなオランダ人らしい実学志向の学校であり、この工科大学モデルが人材育成をつうじて「アメリカ産業革命」に大きく貢献したことはいうまでもない。アメリカ的な実学志向は、アングロサクソンだけではなく、オランダ的なものも、その源流にあったことがわかる。

アメリカ産業革命の発祥の地であるトロイも、その後の産業中心地の西への移動によって一時期は衰退していたが、現在はベンチャーの孵化器であるインキュベーションセンターとテクノロジーパークの設置が成功したことにによって、地域再活性化モデルとしての重要性が再確認されるに至っている。

わたしが留学したのは、日本ではまだインキュベーションの重要性があまり認識されていなかった頃のことだ。四半世紀たって状況が大幅に変化したことは、まことにもってうれしい限りだ。



明治時代初期にトロイで学んだ日本人がいた!

専修大学の創設者の一人となった目賀田種太郎(めがた・たねたろう)などの日本人留学生がトロイ・アカデミーという学校で勉強していたという。これはニューヨーク州トロイのことである。

専修大学の関係者ではないので、たまたまトロイ関連で検索に引っかかったのでその存在を知った。目賀田種太郎という人物は、じつにすごい経歴の人なのだ。

目賀田種太郎(1853~1926)は、wikipeiaの記述によれば、専修学校(・・現在の専修大学)の創始者の一人であるだけでなく、東京音楽学校(・・現在の東京藝術大学)の創設者の一人でもある。政治家・官僚・法学者・裁判官・弁護士・貴族院議員・国際連盟大使・枢密顧問官・男爵という、なんともすごい経歴。官職としては、司法省附属代言人、判事、大蔵少書記官、大蔵省主悦官、横浜税関長、韓国政府財政顧問、枢密顧問官を歴任している。旧幕臣の出身だが、少年時代は神童と謳われていたという。

(目賀田種太郎 ハーバード大学蔵)

大学南校第1回国費留学生となってハーバード法律学校(・・現在のハーバード大学)を卒業しているが、ハーバード入学前にトロイで学んでいたらしいのだ。

「専修大学を生んだ若い4人の夢と志」 によれば、こうある。

目賀田はニューヨーク郊外トロイのアカデミーやボストンで語学を身につけると明治5年(1872)、ハーバード法律学校(現・ハーバード大学)に入学。必須条件とされた「キリスト教徒であること」に対して一歩も譲らずに意を述べて、入学許可を得た。


作家・志茂田景樹氏が『専修大学創立者物語(仮題)』取材の一環としてトロイを取材したらしい。専修大学育英会のサイトに「アメリカ取材を終えて」というインタビュー記録が掲載されている。すこし長いが貴重な証言なので引用させていただこう。

- 大変精力的に取材をされましたが、一番印象に残っていることはなんでしょうか。 

志茂田先生: 訪ねたどこにも無駄な場所はなかったけれど、取材後半で訪ねたトロイでのことが一番でしょうか。ここは本当に予想以上の収穫でしたね。
このトロイという所は、目賀田種太郎がハーバード大学の Law School に入学する前に、英語や普通科を学んだ学校があるんだけれど、その学校のあった場所が現存しているかどうかも分からない状態で訪ねたんですね。そこで偶然見つけた観光協会のようなところで、歴史協会を教えてもらったの。1870年代という昔のことなら、とね。
それこそ、アポイントなしの突撃取材だったのですが、そこで分かったのは、これまで目賀田が通っていたのは「トロイのアカデミー」と大学の記録にはありましたが、正式名称は「トロイアカデミー」だということや、場所も特定できたんです。今は「HEALTH BUILDING」という建物になっていましたが、そこは、ゆるやかな丘の上にあって、実におだやかで静かな印象でした。当時の目賀田も、こんないい環境の中で学んだのだと思います。その頃すでに作られていた教会が今も現存しており、実際に訪ねてみました。多分、目賀田も通ったのではないかと思います。歴史を感じさせる教会でした。
調べていただいた歴史協会には、その頃の地図や住所録(電話帳のようなもの)があって、そこから確認できたのですが、本当に予想外の展開で、僕もワクワクしてしまいました。 (*太字ゴチックは引用者=さとう)

ちなみに明治時代の政治家では、目賀田種太郎のほか金子堅太郎がハーバード・ロースクールを卒業している。ただし、目賀田種太郎はLLB(=Bachelor of Law)であり学部レベルの学位である。

志茂田景樹氏は作家的想像力を発揮して、「その頃すでに作られていた教会が今も現存しており、実際に訪ねてみました。多分、目賀田も通ったのではないかと思います」と語っているが、キリスト教徒でないにもかかわらずハーバードへの入学を認めさせたという記述と矛盾しているのだが・・・。

『専修大学創立者物語(仮題)』は、最終的には『蒼翼の獅子たち』というタイトルで河出書房新社から2008年に出版されている。志茂田景樹氏というと、一時期は奇抜なファッションでテレビに登場するカゲキな人として有名であったが、歴史小説も執筆しているわけだ。この本のことは、専修大学の関係者なら周知の事実だろう。


トロイよいとこ一度はおいで!

先日、レンセラー工科大学(RPI)を卒業してから22年ぶり(!)に、日本人留学生や客員研究員(visiting scholar)として滞在されていた面々と東京の居酒屋で同窓会を行った。もちろん話題はトロイの話ばかり。きわめてローカルな話題に終始したことはいうまでもない。

そのときの話題は「トロイはいい」という懐旧談に終始したことだ。だが、これだけはじっさいに住んでみないとわからないことだ。トロイには古き良き赤レンガの建築物やウォーターフロントの倉庫群が残っており、日本でいえば小樽や舞鶴のようなレトロな風情もある。

トロイをロケ地に使用した映画には Most Popular Titles With Location Matching "Troy, New York, USA" によれば、現在39本のタイトルが列挙されている。

わたしが卒業する寸前にはスコセッシ監督の『エイジ・オブ・イノセンス』(1993年公開)の撮影が赤レンガの倉庫街を利用してで行われていた。1870年代のニューヨークが舞台だが、その当時の雰囲気を残しているのがトロイのダウンタウンだからだ。ちょうど目賀田種太郎が語学学校に通っていた頃だから、彼はリアルタイムで体験していたことになる。

毎年のように 大学からは reunion(=同窓会)のインビテーションがメールで来ているのだが、残念ながら卒業以来一度も再訪していない。2024年の建学200年祭(!)にはぜひかけつけたいと思っている。いまから10年後が楽しみだ。

トロイよいとこ一度はおいで! アンクル・サムの町トロイへようこそ!





PS トロイの対岸のオルバニーについて

トロイの対岸のオルバニーは、オランダ植民地時代には毛皮交易の中心地としておおいに栄えた場所。オルバニーにはオラニエ砦というものがあったそうだ。このことは、『毛皮と人間の歴史』(西村三郎、紀伊国屋書店、2003)を読んではじめて知った。

ハドソン川を北にややさかのぼったコーホーズでハドソン川とモーホーク川は分岐する。モーホークはいうまでもなく先住民の部族名である。ハドソン川の河口はマンハッタン。現在のニューヨークはかつてはニューアムステルダムであった。オランダ西インド会社(West India Company)が関与していた。オランダ人による入植についてはwikipediaの記述を参照。

オランダ人が撤退したあとは、フランス人と英国人が中心となる。この地域は英国領となった。



(ニューネデルラントの紋章は高級毛皮のクロテン wikipediaより)


オランダ植民地時代の「ニューネーデルラント」(New Netherland)については、wikipediaの記述が参考になる(英語版)。そのなかに以下のような一節がある。

The inhabitants of New Netherland were Native Americans, Europeans, and Africans, the last chiefly imported as enslaved laborers. Descendants of the original settlers played a prominent role in colonial America. For two centuries, New Netherland Dutch culture characterized the region (today's Capital District around Albany, the Hudson Valley, western Long Island, northeastern New Jersey, and New York City).

そういう土地柄なのである。東部のリベラルな風土は、オランダが持ち込んだ宗教に寛容な姿勢をベースにしたものだ。清教徒(ピューリタン)のような排他的で原理主義的な姿勢とはまったく異なるものである。

(17世紀のオランダ人入植者たちの居留地 wikipediaより)

Manifested, and occasionally embraced, as multiculturalism in late twentieth-century United States, the concept of tolerance was the mainstay of the province's mother country. The Dutch Republic was a haven for many religious and intellectual refugees fleeing oppression as well as home to the world's major ports in the newly developing global economy. Concepts of religious freedom and free-trade (including a stock market) were Netherlands imports. In 1682, the visiting Virginian William Byrd commented about New Amsterdam that "they have as many sects of religion there as at Amsterdam".

RPIの創立者スティーヴン・ヴァン・レンセラーもまた、Manor of Rensselaerswyck という大規模な土地を所有していた、オランダ系植民者の末裔として、地域の発展に大いに貢献したのである。実用性を重視したオランダ人らしい学校創立であった。

(2016年5月12日 記す)



<関連サイト>

Welcome to the City of Troy, NY | Official Website

Samuel Wilson (wikipedia英語版)

Harvard in the 1870s  Tanetaro Megata at Harvard, 1872-1874 (Harvard University Archives Research Guides)

ニューネーデルラント(wikipedia)
・・オランダ植民地時代のアメリカ東海岸についての記述。





(2016年5月12日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

レンセラー工科大学(RPI)

レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年

『レッド・オクトーバーを追え!』のトム・クランシーが死去(2013年10月2日)-いまから21年前にMBAを取得したRPIの卒業スピーチはトム・クランシーだった

早いもので米国留学に出発してから20年!-それは、アメリカ独立記念日(7月4日)の少し前のことだった


アンクル・サムのビジネスであった精肉業関連(ミート・パッカー)

書評 『世界屠畜紀行 The World's Slaughterhouse Tour』(内澤旬子、解放出版社、2007)-食肉が解体される現場を歩いて考えた自分語り系ノンフィクション

書評 『牛を屠る』(佐川光晴、双葉文庫、2014 単行本初版 2009)-「知られざる」世界を内側から描いて、働くということの意味を語った自分史的体験記


アメリカ東部(東海岸)

書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について



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2014年7月30日水曜日

書評 『世界屠畜紀行 The World's Slaughterhouse Tour』(内澤旬子、解放出版社、2007)-世界中の食肉解体現場を歩いて考えた自分語り系ノンフィクション


「家畜が解体されて食肉になるまで」のプロセスを、文章とイラストで微に入り細にわたって描いた自分語り系ノンフィクション作品である。屠畜と書いて「とちく」と読む。一般には屠殺(とさつ)として知られている食肉解体プロセスのことだ。

現在は文庫化もされているが、わたしが読んだのはオリジナルの単行本版。本文二段組みで367ページもある大作だが、面白いので一気に読んでしまった。

肉食が本格的に「解禁」されてから百数十年。「まだ」というべきか、「もう」というべきかはさておき、日本にもすっかり食肉文化が定着している。だが、意外なことに食肉解体の世界がどうなっているのか知られていないし、知ろうとしない人が多いのも否定できない事実だ。

-動物を殺すのはかわいそう・・ 
-じゃあ、肉食べるのやめたら。

-魚を丸ごと一匹さばいたことはないな。 
-それじゃ、ますますリアル感覚がなくなるね。

解体処理済みの肉や刺身だけを食べているのでは、生き物を殺して自分の生命を維持するということの意味をほんとうに理解できない。もちろん、肉や魚はいっさいクチにしないという完全なベジタリアンとして生きる道はある。

だが、圧倒的多数の日本人は、肉を食べ魚を食べている。自分以外の生き物をの生命をいただいて生きていることに、ときには感謝しなくてはならないのは当然というべきなのだ。

そして、食肉解体のじっさいを知ることもきわめて重要なことだ。自分が食べているモノがどうつくられているのか知ることは、リアリティ回復のための第一歩でもある。

動物の息の根を止めて、皮を剥(む)き解体するプロセス。たとえ家畜や狩りの獲物を解体することなくても、魚を丸ごと一匹さばいて内蔵を処理した経験があれば類推は可能だろう。あるいは高校の生物の授業で牛の目玉やヒヨコの解剖を体験しているかもしれない。家畜と鳥や魚ではだいぶ違うのだが、それでも共通していることも多い。

ほんとうはじっさいに解体する場面を見学したほうがいい。それがムリなら映像で。すくなくとも枝肉としてぶら下がっているシーンくらいはテレビでも見ることもあろう。解体シーンを映像で見るのに心理的抵抗があるなら、まずは本を読む。その意味では、一般向きに書かれたこのルポを読むのがいい。

それにしても、まあよくここまで世界中を、しかも自腹を切って取材し回ったものだと感心する。訪れた国も、牧畜文化圏はほぼ網羅している。もともとバックパッカーであった著者ならではのフットワークの軽さといっていい。

取材対象地として韓国が多いかなという気はするが、「近くて遠い国」は、日本とは違って食肉解体の歴史が長い肉食文化圏、しかも犬肉を食する文化圏であることは考慮にいれるべきだろう。その犬肉のルポも詳細でよい。わたしも犬肉は数回食べたことがある。

牧畜文化圏といえば、ユーラシア大陸のほぼ全域に分布している。本書で取り上げられているモンゴル、エジプトを含んだイスラーム世界、インド、そして中欧のチェコもまた。モンゴルとイスラーム世界は羊、チェコはブタの世界である。そういえばチェコはビールが旨いが、肉料理ばっかりだったなと思い出した。

わたし自身は、チベットの高地で羊の解体作業を目撃したことがある。腹を割いたばかりの羊からは血に染まった内蔵が丸見えであるが、それはさておき、冷たい外気のなかでは羊から湯気が立っていたことが印象にのこっている。たいへん貴重な経験であった。

基本的にモンゴルもチベット文明圏であるので、似たようなものだろう。モンゴルにはまだいったことがないのが残念だが・・・。

面白いのはマジョリティがブタは禁止のイスラーム圏であっても、マイノリティのためのブタの食肉解体はムスリムによって行われているという現実だ。こういうことは、わたしもこの本を読むまでまったく知らなかった。

そしてその他のアジアでは、バリ島に沖縄。ともにブタ食文化圏である。伝統的な共同体の力の強い地域でもある。バリ島におけるブタの丸焼きの描写や、沖縄におけるブタとヤギについての記述も興味深い。韓国もまたブタ文化圏である。

このほか、日本の芝浦屠場(とば)のルポが詳細をきわめている。時間をかけてじっくりと人間関係を構築したうえで、いろんな話を聞き出すことに成功している。内部関係者ではなく、外部のライターである以上、それは必要な取材プロセスといえるだろう。

もっとも東京の芝浦に立地しているので、コトバの問題も含めて取材費の制約にあまりとらわれることはない。地の利というやつだ。

内部体験者の記録である作家・佐川光晴氏の『牛を屠る』と読み比べてみると有意義だろう。機械化の進んだ芝浦と、佐川氏が勤務していた頃の大宮とではかなり異なることは、佐川氏自身が『世界屠畜紀行』を読んだ感想を『牛を屠る』に書いている。

最後に著者は、いままで避けてきたアメリカに取材を行っている。時まさに狂牛病(BSE)が猖獗していた頃の話である。芝浦の記述を読んでからアメリカの状況を知ると、日本サイドの要求がかなりムリのある話であることもわかる。もちろん、アメリカの状況を是認するつもりはないが、事実は事実として捉えることも必要だろう。

著者は、もっと取材をしたかったと書いているが、分量的にも取材費の関係からも断念したようだ。やたら「ウチザワ」という形で本人の感想やコメントが入るのがうっとおしいと思う人もいるかもしれないが、「自分語り系ノンフィクション作品」として割り切って読めばいい。

そもそもルポやノンフィクションは執筆者の主観抜きではあり得ないものだし、事実関係に間違いさえなければ主観的な感想やコメントに問題はない取材と執筆を行うモチベーションは、まずなによりも個人の好奇心から出発するものである。この姿勢に共感するにせよ共感しないにせよ、ここまで歩き尽くし、観察し尽くし、食べ尽くし、書き尽くしたノンフィクション作品はなかなかない。

肉を食べる人であるなら、読んで損のない大冊である。一気に読める内容だから安心して読み始めるといい。




目 次

まえがき
第1章 韓国: カラクトン市場の屠畜場/マジャンドンで働く/差別はあるのかないのか
第2章 バリ島: 憧れの豚の丸焼き/満月の寺院でみた生贄牛
第3章 エジプト:  カイロのラクダ屠畜/ギザの大家族、羊を捌く
第4章 イスラム世界: イスラム教徒と犠牲祭
第5章 チェコ: 屠畜と動物愛護/ザビヤチカ・豊穣の肉祭り
第6章 モンゴル: 草原に囲まれて/モンゴル仏教と屠畜
第7章 韓国の犬肉: Dr.ドッグミートの挑戦
第8章 豚の屠畜 東京・芝浦屠場:  肉は作られる/ラインに乗ってずんずん進め/それぞれの職人気質/すご腕の仕事師世界
第9章 沖縄: ヤギの魔力に魅せられて/海でつながる食肉文化
第10章 豚の内臓・頭 東京・芝浦屠場: 豚の内臓と頭
第11章 革鞣し 東京・墨田: 革鞣しは1日にしてならず
第12章 動物の立場から: おサルの気持ち?
第13章 牛の屠畜 東京・芝浦屠場: 超高級和牛肉、芝浦に結集/枝肉ができるまで/BSE検査と屠畜
第14章 牛の内臓・頭 東京・芝浦屠場:  内臓業者の朝
第15章 インド: ヒンドゥー教徒と犠牲祭/さまよえる屠畜場
第16章 アメリカ: 屠畜場ブルース/ 資本主義と牛肉
終章  屠畜紀行その後
あとがき/主要参考文献一覧


著者プロフィール

内澤旬子(うちざわ・じゅんこ)
1967年東京都生まれ。ルポライター、イラストレーター、装丁家。緻密な画風と旺盛な行動力を持つ。異文化、建築、書籍、屠畜などをテーマに、日本各地・世界各国の図書館、印刷所、トイレなどのさまざまな「現場」を取材し、イラストと文章で見せる手法に独自の観察眼が光る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

クジラを食べ続けることはできるのか 千葉の捕鯨基地で見た日本人と鯨食の特別な関係(連載「食のニッポン探訪」)(樋口直哉、ダイヤモンドオンライン、2014年9月3日)
・・日本人は家畜の解体には違和感を感じても、マグロやクジラの解体には違和感を感じないのは「文化」によるものであり、「慣れ」の問題でもあろう。【動画】外房捕鯨株式会社 鯨の解体 は必見!

(2014年9月3日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・ You're what you eat ! シュタイナーはすでに狂牛病について予言していた

書評 『牛を屠る』(佐川光晴、双葉文庫、2014 単行本初版 2009)-「知られざる」世界を内側から描いて、働くということの意味を語った自分史的体験記

書評 『食べてはいけない!(地球のカタチ)』(森枝卓士、白水社、2007)-「食文化」の観点からみた「食べてはいけない!」
・・羊と羊肉について

サッポロビール園の「ジンギスカン」を船橋で堪能する-ジンギスカンの起源は中国回族の清真料理!?

「馬」年には「馬」肉をナマで食べる-ナマ肉バッシングの風潮のなか、せめて「馬刺し」くらい食わせてくれ!

固有の「食文化」を守れ!-NHKクロースアップ現代で2012年6月6日放送の 「"牛レバ刺し全面禁止" の波紋」を見て思うこと

書評 『イルカを食べちゃダメですか?-科学者の追い込み漁体験記』(関口雄祐、光文社新書、2010) ・・食文化は地方(ローカル)の固有文化である!

書評 『鉄砲を手放さなかった百姓たち-刀狩りから幕末まで-』(武井弘一、朝日選書、2010)-江戸時代の農民は獣駆除のため武士よりも鉄砲を多く所有していた!
・・「猟師だけでなく農民もまた獲物は食べていたようだ。明治になるまで肉食はなかったというのも、どうやらあやしくなってくる。もちろん、獲物がとれない限り、肉をクチにすることはなかったであろうが」

書評 『ぼくは猟師になった』(千松信也、リトルモア、2008)-「自給自足」を目指す「猟師」という生き方は究極のアウトドアライフ
・・こちらはいわゆる「ジビエ」(gibier)の世界

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る
・・こちらは動物としての人体解剖

アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで!
・・アンクル・サムの本名はサミュエル・ウィルソン、精肉業者(meat packer)であった

(2015年7月1日 情報追加)



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書評『牛を屠る』(佐川光晴、双葉文庫、2014 単行本初版 2009)ー「知られざる」世界を内側から描いて、働くということの意味を語った自分史的体験記


『牛を屠(ほふ)る』という本は、単行本が出版されたときに話題になっていたと記憶している。文庫化されたと知ってさっそく読んでみた。

一気に読んでしまうだけの迫力と魅力に満ちた本であった。

「牛を屠る」とは、食肉解体の世界で働いた10年半の日々を回想してつづった体験記だ。家畜の息の根を止め、皮を剥(む)き、解体して食肉に加工するためのプロセスと、職場で働く同僚たちとの日々が描かれている。

食肉解体の世界という「知られざる世界」。自分が食べるものがどう処理されているのか知るのはきわめて重要なことだ。この本は「知られざる世界」を外部のノンフィクション作家が描いた作品ではなく、その内部でじっさいに働いていた人が書いた本だ。そこが最大のポイントである。

いわば参与観察法によるフィールドワークの記録といってもいいいのだが、だが著者自身は作品を書くために食肉加工の世界の世界に飛び込んだのではないことを再三にわたって強調している。

「おめえみたいなヤツの来るところじゃねえ!」、という先輩職人のキツイ一発からはじまった日々。大学の法学部を卒業して中小出版社に就職しながらも一年で辞めた著者は、職人の世界にあっては最初はインテリ以外の何者でもなかったということだろう。

ひょんな偶然でこの世界に入ることになったのだが、カラダをつかった仕事で生(せい)を実感したいという思いが無意識のうちにあったようだ。だから内発的な動機に促されたのだといえよう。

最近の若者にも農業や林業などへの志向が見られるが、人間というものは生きているという実感を感じたいのである。働く意味をしっかりと自分で確認したいのである。そうでないと人間は安心できないのだ。

文庫版の帯にあるように、「ここで認められる人間になりたい」という承認欲求。これが満たされることは、カネよりも重要なことだ。人間とはそういう存在なのである。


食にかんするエッセイストの平松洋子氏との文庫版オリジナル対談が収録されているが、この本は知られざる世界を描きながら、働くということの意味を具体的に語っている。そのことを平松氏は著者からうまく引き出している。

著者は、わたしと同世代のようだ。「社会史」がブームとなっていた頃、阿部謹也や網野善彦をよく読んでいたと書いている。

「社会史研究者の中で、私は良知力(らち・ちから)が大好きだった」と著者は書いている。ああ、だから「向う岸からの世界史」なわけか。単行本は、「向う岸からの世界史」といいうシリーズの一冊として解放出版社から出版されている。

「こちら側」の人が知らない「向う岸」にある世界。その「個別具体的」な世界を体験者が内側から描くことで、働くことの意味という「普遍的」なものを知らず知らずに語っている。そんな本である。

ぜひ読むことをすすめたい。そして若者に薦めてあげてほしい。仕事で成長するとはどういうことかを語った本でもあるからだ。




目 次

<巻頭イラスト> 佐川光晴が2001年まで働いていた大宮市営と畜場(当時)の牛の作業場
はじめに
1. 働くまで
2. 屠殺場で働く
3. 作業課の一日
4. 作業課の面々
5. 大宮市営と畜場の歴史と現在
6. 様々な闘争
7. 牛との別れ
8. そして屠殺はつづく
単行本あとがき
文庫版オリジナル対談 佐川光晴×平松洋子 働くことの意味、そして輝かしさ
文庫版あとがき

著者プロフィール
佐川光晴(さがわ・みつはる)
1965年東京都生まれ。北海道大学法学部卒業。出版社、屠畜場勤務を経て、2000年「生活の設計」(『虹を追いかける男』所収)で新潮新人賞を受賞しデビューする。『縮んだ愛』で野間文芸新人賞、『おれのおばさん』で坪田譲治文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS この投稿でブログ記事は1414本目となった。いよいよ、である。(2014年7月30日 記す)。


<関連サイト>

クジラを食べ続けることはできるのか 千葉の捕鯨基地で見た日本人と鯨食の特別な関係(連載「食のニッポン探訪」)(樋口直哉、ダイヤモンドオンライン、2014年9月3日)
・・日本人は家畜の解体には違和感を感じても、マグロやクジラの解体には違和感を感じないのは「文化」によるものであり、「慣れ」の問題でもあろう。【動画】外房捕鯨株式会社 鯨の解体 は必見!

(2014年9月3日 情報追加)



働くということの意味

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・・「なにも僕が仕事好きだというわけじゃない。・・(中略)・・ただ僕にはね、仕事のなかにあるもの--つまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、--他人のためじゃなくて、自分のための自分、--いいかえれば、他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのは外面(うわべ)だけ、しかもそれさえ本当の意味は、決してわかりゃしないのだ (中野好夫訳、岩波文庫、1958 引用は P.58-59)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」「「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」
社会史

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)
・・ゲルマン世界とスラブ世界の接点であるハプスブルク帝国の首都ウィーンを舞台に「挫折した1848年革命」を描いた社会史の記念碑的名著

「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは
・・わたしがもっとも推奨したい一冊。「自分史」を「人類史」に位置づける

(2015年7月1日、7月7日 情報追加)


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2014年7月28日月曜日

「第一次世界大戦」の勃発(1914年7月28日)から100年-この「世界大戦」でグローバル規模のシステミック・リスクが顕在化

(1914年当時の軍事同盟 wikipediaより)

本日(2014年7月28日)は、第一次世界大戦が勃発してから100年になる。だが最初から「第一次世界大戦」という名称だったわけではない。まさか「世界大戦」になるとは、その時点では誰も予想すらしていなかったのだ。

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー二重帝国(=ハプスブルク帝国)の皇太子夫妻が暗殺された。あらたに帝国の版図に編入されたバルカン半島のセルビアの首都サラエボで銃撃を受け暗殺された。いわゆるサラエボ事件である。

それから1ヶ月後の7月28日、ついにハプスブルク帝国はセルビアに対して宣戦布告する。懲罰的な対セルビア10箇条要求を7月23日につきつけ、48時間以内の回答をを求めたが、セルビア側は条件付き承諾を回答、オーストリアは7月25日に国交断絶に踏み切ってから三日後のことであった。

だが、まさかこの皇太子暗殺という事件が(・・それはけっして、ささいなものではないが)、「世界大戦」にまで発展するとは、誰も考えることはなかっただろう。

連鎖的に同盟関係と敵対関係にあった欧州各国を戦争に巻き込み、さらには遠く日本や米国まで巻き込んで文字通り「世界大戦」と化していったのである。もう少し、「世界大戦」に至る数日間のプロセスを簡単にたどっておこう。

1914年7月28日にセルビアに対して宣戦布告したオーストリアだが、そのセルビアの後見人となっていたのが、おなじスラブ民族のロシアであった。この構造は、冷戦構造崩壊後の20世紀末に勃発したユーゴ紛争とおなじである。

ロシア帝国の軍部は戦争準備を主張、皇帝ニコライ2世を突き上げる。その結果、ロシア帝国は7月31日に総動員令を発令、ドイツ帝国による動員解除要請には応じなかった。

オーストリアと秘密軍事同盟である「三国同盟」(Triple Alliance 1888年締結)を結んでいたドイツは(・・もう一カ国はイタリア)、その翌日の8月1日に総動員を発令8月2日にはロシアに対して宣戦布告、さらに8月3日にはフランスに対して宣戦布告する。

一方、フランスはそれぞれロシア帝国と大英帝国とのあいだの二国間関係をベースにした「三国協商」(Triple Entente)にあり、8月1日に総動員令を発令する。大英帝国は、ドイツ軍のベルギー侵入を確認すると、8月4日にドイツに宣戦布告する。

7月28日から8月4日までの8日間で、欧州の主要大国が戦争に突入したのである。「つながり」があるゆえに引き起こされた惨事、これはまさにシステミック・リスが顕在化したというべきだろう。

しかも、戦争が始まったとき、それは「第一次世界大戦」ではなかった。「世界大戦」ですらなかったのである。「第一次」という接頭語がついたのは、次の「世界大戦」が20年後に勃発したからだ。それ以前は、名称は定まっていなかったらしい。「第一次世界大戦」の前には「世界大戦」は存在しなかったのである。

最初はオーストリアとセルビアのあいだの戦争が、同盟関係や協商関係などのアライアンスを結んでいた国に飛び火して「欧州大戦」となり、これに植民地が動員され、さらには日英同盟にもとづいて日本が参戦し、最終的にはアメリカも参戦に踏み切ったことで、文字通りの「世界大戦」となったのである。

まさにシステミック・リスクの顕在化といえるのではないか。システミック・リスクとは、一部の不具合や機能不全がシステム全体に連鎖的に波及するリスクのことをいう。おもに金融の世界でいわれているが、金融ネットワークに限らず、電力ネットワークやグローバル・サプライチェーンなど、ネットワークでつながったシステムで発生する可能性がある。

2011年の「3-11」という東日本大震災後のサプライチェーンの機能麻痺が部品調達が困難なため製造ラインがストップするという形で顕在化したことは記憶にあたらしい。おなじ年に発生したタイの大洪水においても同様であった。

「第一次世界大戦」においては、アライアンス関係を結んでいた国々が連鎖的に戦争に巻き込まれていった。わずか数日のプロセスである。

一国の皇太子が暗殺されるという事件は、けっしてささいなものではなかったが、それでもその事件がキッカケとなって勃発した「世界大戦」は、4年間で未曾有の大被害をもたらした。全世界で戦闘員の戦死者が900万人、非戦闘員の死者が1,000万人。負傷者は2,200万人と推定されているという。

戦没者だけでなく伝染病による死者も大規模にのぼっている。大戦末期の1918年に発生したスペイン風邪が人類史上初のパンデミッックとして世界的に猛威をふるい、戦没者を上回る病没者が発生している。戦闘による死と病没者には重複があるが、スペイン風邪による死者は全世界で5,000万人を超えたといわれている。グローバルな海運の発達が、インフルエンザの世界的大流行をもたらしたのであった。

「世界大戦」は全世界がネットーワークによってつながっているがゆえのことであった。さすがに「第二次世界大戦」も体験している以上、さらなる「世界大戦」の発生は抑止しなくてはならないというコンセンサスが世界的にできあがっているが、その危険がゼロになったとは言い難い。

100年前よりもさらに交通機関が発達し、情報ネットワークも密接につながっている現在、システミック・リスクの危険はさらに増大しているというべきだろう。

21世紀の現在に第三次世界大戦が勃発するとしたら、それは2つの世界大戦のような肉弾戦ではなく、静かな戦争となるであろう。だが、もたらされる被害は大惨事になると予想される。

それは、コンピュータ・ウィルスよるパンデミックや、サイバー攻撃によって原子力発電所や金融、そして経済社会活動全体を麻痺させ破壊するという、ネットワークをつうじたシステミック・リスクを織り込んだものとなると考えるべきではないだろうか。

戦争は静かに、そして密かに進行するが、もたらされる被害は壊滅的となる可能性がある。



<ブログ内関連記事>

「サラエボ事件」(1914年6月28日)から100年-この事件をきっかけに未曾有の「世界大戦」が欧州を激変させることになった

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは
・・「日本からみたら、遠い欧州が主戦場となった「第一次世界大戦」は、一部の軍人が戦死した以外は、国民が巻き込まれて犠牲になることながったため、どうしても印象が希薄となりがちなのである。・・(中略)・・じつは軍人たちは、第一次世界大戦にきわめて大きな衝撃を受けていたのである! 」

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

製造業ネットワークにおける 「システミック・リスク」 について

スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」について

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『ブーメラン-欧州から恐慌が返ってくる-』(マイケル・ルイス、東江一紀訳、文藝春秋社、2012)-欧州「メルトダウン・ツアー」で知る「欧州比較国民性論」とその教訓

書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために





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サッポロビール園の「ジンギスカン」を船橋で堪能する-ジンギスカンの起源は中国回族の「清真料理」!?


かなり以前のことだが、札幌のサッポロビールのサッポロビール園の「ジンギスカン」を食べたことがある。

出張で札幌にいったとき、相手から「せっかくだから、飯でも食いましょう」という話になってサッポロビール園に連れて行っていただいた。屋外で食べるジンギスカンは旨かったという記憶がある。時期は冬であったが。

昨日(2014年7月27日)、ひさびさにジンギスカンを食べた。今回は札幌ではない。船橋である。サッポロビールの千葉ビール園は、千葉ではなくじつは船橋にある。船橋港の近くにビール工場が立地しており、レストランが併設されている。



暑気払いということで人数が集まったので、29日の「肉の日」ではないが、「ジンギスカン食べ放題、ビール飲み放題コース 2時間)をやってみた。

サッポロビールの経営だから、当然のことながらビールはサッポロビールである。大人数でワイワイいいながらなので、「男は黙って」と決めゼリフをクチにするわけにはいかないが(笑)。日曜日だが、ほぼ満員御礼状態であった。今場所(=名古屋場所)の大相撲並である。ジンギスカンは4人以上であらかじめ予約しておくことが必要だ。

内容は、ジンギスカン3種(=手もみラム、塩漬ラム、味噌漬ラム)食べ放題に飲み放題、料理3品がついたご宴会コース。

食べ放題とはいっても1時間も焼いて食べているともう満腹状態になる。20歳代であればもっと食べることができるかもしれないが、さすがに寄る年波には勝てないのか・・(残念)。一人当たり税込みで 4,900円。じっさいに食べてみて、この価格設定はなかなか巧みであるとわかった(笑)。



ところで、「ジンギスカン」という名称だが、これはモンゴル料理ではない。日本人が勝手につけた名称であることは、バイキングとおんなじだ。いずれも本国にはそんな料理はない(笑) wiikipedia英語版では、Jingisukan (ジンギスカン) is a Japanese grilled mutton dish prepared on a convex metal skillet or other grill. と説明されている。じっさいは、マトン(mutton) もあるが、ラム(lamb) のほうが多いと思うのだが。

では、どこの料理かといえば、中国の清真料理が起源らしい清真料理とはムスリム(=イスラーム教徒)の料理のことである。中国ではムスリムのことを回族といい、モスクである清真寺、イスラーム料理である清真料理店はどこにでもある。

wikipedia の記述によれば、「日本軍の旧満州(現中国東北部)への進出などを機に、満州で食べられていた清真料理の「烤羊肉」(カオヤンロウ)という羊肉料理が日本でアレンジされ、現在のような形式となったものとみられる」、とある。

おそらくそんなところだろう。ムスリムはブタ肉は絶対に食べないし、牧畜生活の中心はなんといっても羊である。だから羊料理としての焼き肉は、当然ながら存在する。肉といえばブタ肉を意味する中国では、清真料理という専用の飲食店がなければ、ムスリムは飲食が不可能なのである。

チベット、モンゴル、回族、ウイグル。いずれも大陸国家中国の辺境、あるいは内部にありながら、漢民族の中国ではない、さまざまな"少数民族"である。かれらは、草原の羊文化を共有している。

BSE(=狂牛病)問題でいっときラム肉が流行ったようだが、また下火になっているらしい。だが、来年2015年は未年(ひつじどし)。ふたたび業界をあげてブームを起こすべき時期にきているのかもしれない。羊肉はカラダにはいいし、とくにラムであれば匂いもきつくないのがいい。

羊肉を食べて、中国の少数民族問題を考える。といってもジンギスカンはハラールではないし、供されている羊肉は、おそらく豪州からの輸入ものだろうが・・・。

(レストラン内からも「南極探検船しらせ」の雄姿が見える)


<関連サイト>

札幌ジンギスカン倶楽部


<参考文献>

中国の食文化について徹底的なフィールドワークを行った文化人類学者・石毛直道氏の『鉄の胃袋中国漫遊』(平凡社ライブラリー、1996)には、「精進料理と清真菜」という章があって、各種の清真料理が写真入りで紹介されている。

『世界ぐるっと肉食紀行』(西川治 文・写真、新潮文庫、2011)「第4章 羊を食う」で、中国・モンゴル・トルコ・スペイン・モロッコの羊料理が紹介されている。(2015年1月7日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・ You're what you eat ! 

書評 『食べてはいけない!(地球のカタチ)』(森枝卓士、白水社、2007)-「食文化」の観点からみた「食べてはいけない!」
・・羊と羊肉についての記述がこの本にはある

書評 『世界屠畜紀行 The World's Slaughterhouse Tour』(内澤旬子、解放出版社、2007)-食肉が解体される現場を歩いて考えた自分語り系ノンフィクション

「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加(2009年7月28日)-ハラール認証取得でイスラーム市場を攻略

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り

「馬」年には「馬」肉をナマで食べる-ナマ肉バッシングの風潮のなか、せめて「馬刺し」くらい食わせてくれ!

秋空の下、BBQを楽しむ joie de vivre(生きる喜び)

書評 『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-戦前の日本人が描いて実行したこの大構想が実現していれば・・・
・・「チベット、モンゴル、回民(=回族、中国のムスリム)、ウイグル。いずれも大陸国家中国の辺境、あるいは内部にありながら、漢民族の中国ではない、さまざまな"少数民族"である」

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

南極観測船しらせ(現在は SHIRASE 5002 船橋港)に乗船-社会貢献としてのただしいカネの使い方とは?
・・船橋港を母港とするしらせ

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2014年7月26日土曜日

心頭滅却すれば 火もまた涼し(快川紹喜)-ありのままを、ありのままとして受け取る


暑いですね。風がないと、ほんとうに暑い・・・

夏だから暑いのは当たり前だとはいえ、やはり暑いのは暑いことに変わりない。

だからそんなときには、この句を思い出す。

「心頭滅却(しんとう・めっきゃく)すれば、火もまた涼し」。

快川紹喜(かいせん・じょうき)の辞世の句。和尚は、戦国時代の臨済宗の禅僧。寺が焼き討ちにあった際に残したのがこの辞世の句。

「暑い」(というよりも、この場合は「熱い」)なんて気持ちはアタマから消し去ってしまえばよい。そうすれば熱い火も涼しく感じるものだ」、という意味でしょう。

そう、熱いと思うから熱いのです。
暑いと思うから暑いのです。

苦しいと思うから苦しいのです。
つらいと思うからつらいのです。

とはいっても、暑くないと思うのもいけませんね。自己暗示ではありません暑いとか、暑くないとか、そんな妄念は消し去ってしまえ! 喝っ!

「ありのままを受け取る」という教えでありましょう。

夏は暑く、冬は寒い。自然とはそういうもの。ありのままを、ありのままとして受け取る。ただし、これは思考停止ということではありません

つまるところ、気持ちの持ち方次第ということですね。



暑中お見舞い申し上げます。

2014年7月26日 猛暑日



<ブログ内関連記事>

「家の作りやうは、夏をむねとすべし」 (徒然草)-「脱・電気依存症文明のために顧みるべきこと

暑くて湿気の多い夏の日をエアコンなしで、しかも安く過ごす方法とは?-赤ちゃん用品に要注目!

グラフィック・ノベル 『スティーブ・ジョブズの座禅』 (The Zen of Steve Jobs) が電子書籍として発売予定


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