「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2010~2017 禁無断転載!



2015年4月2日木曜日

「落語の原点 節談を聞く」(仏教伝道協会)にいってきた(2015年4月2日)-熟練の話芸を LIVE で聴く。ナマの布教師の迫力は違う!


「落語の原点 節談を聞く」というイベントにいってきた(2015年4月2日)。東京・三田にある公益財団法人仏教伝道協会の主催で開催である。かつて三田にある会社で働いていた頃は、よく同僚と中華精進料理の昼食を食べに併設の菩提樹というお店にいっていた。訪問はじつにひさびさである。

ほんとうはイベントというよりも「特別仏教講座 花まつりイベント」という名の仏教講座であり、「落語の原点 説談を聞く」というタイトルにあるとおり、重点は落語よりも節談にある。節談(ふしだん)とは、とくに浄土真宗の布教師が行う説教のことである。

説法に、ときおり講談や浪曲のように節(ふし)をつけながら語り、身近な話題やたとえ話を織り込みながら浄土真宗の開祖である親鸞聖人(・・宗門では御開山様と呼ぶ)の教えをわかりやすく説いた語りのことだ。エンターテインメント的要素のつよい説法というべきか。

この節談が落語の原点となり、また落語が節談に影響も与えて現在にまで至っているわけだ。話芸の一つの頂点である「落語」と「説教」は真逆の関係にあるんじゃないの、というのが大方の反応だろうが、じつはそうではないのだ。落語の元ネタとなった『醒睡笑』(せいすいしょう)を編んだ安楽庵策伝は浄土宗の僧侶であった。
  
浄土真宗では、近代化のなかで教学面が前面にですぎて、一般衆生向けの節談は脇に追いやられていたようだが、ふたたび節談が活発になってきたらしい。

日系人社会への海外布教も含め、活発に布教や伝道を行ってきた浄土真宗ならではのもとといえるだろう。

そもそも仏教伝道協会じたい、浄土真宗の僧籍をもっていたミツトヨの創業経営者・沼田恵範氏が設立した団体であり、このイベントにおいても一般的な「仏教」そのものというよりも、南無阿弥陀仏の「お念仏」が支配する空間であった。わたし自身は門徒ではないが、かならずしも熱心ではないものの浄土系の家に生まれているので、抹香臭さにはとくに違和感はない。

当日のプログラムは以下のとおりである

<第一部>
「節談説教について」: 府越義博師 節談説教研究会事務局長
「落語と節談」: 桜庭尚吾師 浄土真宗本願寺派(西本願寺) 布教師
<第二部>
「節談説教」: 廣陵兼純(ひろおか・けんじゅん)師 真宗大谷派(東本願寺) 布教師


節談を聞いた2時間の感想を一言でいえば、さすが、ナマの布教師の迫力は違う!  

「落語と節談」のお題の桜庭尚吾師は、北海道の浄土真宗本願寺派(西本願寺)の布教師で、1964年(昭和39年)生まれ。僧侶らしくない洒脱な語りの布教師で、おもわず聞き惚れるような美声の持ち主。こういう人の説法なら、思わず引き込まれる人も少なくないはずだという感想。

前座という位置づけであるが、この前座(ぜんざ)というコトバは、節談の前座(まえざ)からきているらしい。ちなみに高座もまた節談が起源らしい。

そして真打ちは、「節談説教」というそっけないお題の廣陵兼純(ひろおか・けんじゅん)師真宗大谷派(東本願寺)の大ベテランの布教師、門徒地帯の北陸は能登の出身で現在78歳。

とてもその年齢に思われない情熱の形で、落語家のような噺と、浪曲師のようなだみ声が交互する語りは熟練の極みであり、おおいに堪能させていただいた。

「説教」というと、するのもされるのもいやなものといったイメージが一般にあるだろうが、「説教」のもともとの意味は「教えを説く」ということ。仏教でもキリスト教でも「説教」といえば、「ありがたい教えを説く」ことを意味している。
   
いかに「ありがたい教え」であっても、面白くなければ誰も身を乗り出して聞くことはない。だからこそ、浄土真宗の布教師は徹底的に話芸を磨いて「節談」を発達させてきたたわけだ。その「節談」から抹香臭さが消えてゆき、残ったのは「落語」だというわけなのだ。
 
今回のベテランふたりの布教師の「節談」は、腹の底から笑わせてくれただけでなく、人は一人で生きているのではなく生かされているということを無理なく感じさせてくれる内容であった。そして親鸞聖人もまた悩み迷う衆生の一人であったことを聴きながら「他力」の意味がストンと腑に落ちる構成。

真言宗や日蓮宗とは異なり、加持祈祷をいっさい否定している浄土真宗だからこそ、見えやすいビジュアルにたよることなく、節談という聴覚をつうじた説法の意味合いが大きいのだろう。

「百聞は一見にしかず」というが、「節談」はその真逆である。「百見は一聞にしかず」というべきあろう。文字を読んでアタマで理解するのではなく、耳で聴いてハラで感じるのが「節談」なのである。近代が終わったからこそ、節談が復活してきたのであろう。

そこにこそ、「節談」に限らず、口頭でなされるライブの説教や説法の意味があるのだ。






<関連サイト>

DVD 節談説教布教大会(YouTube)
・・廣陵兼純(ひろおか・けんじゅん)師の節談

すねいるDVD「節談説教 広陵兼純 〜親鸞聖人お弟子 願成坊さま〜」 視聴版

落語説教 『芝浜』 と 節談合法 桜嵐坊
・・桜庭尚吾師の節談






<ブログ内関連記事>

「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた

「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる ・・浄土真宗の西本願寺の大谷家に生まれた歌人・九條武子夫人について触れている

「説教と笑い」について
・・2010年3月7日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた、カトリック東京管区の「司祭叙階式」で体験。笑いなき説教は眠りを誘う?

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

タイのあれこれ (16) ワットはアミューズメントパーク
・・タイのお寺は日本のお寺が失った公共の集会所としての役割をいまでも果たしている




(2017年5月18日発売の新著です)


(2012年7月3日発売の拙著です)










Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。


禁無断転載!




end