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2017年8月31日木曜日

ダイアナ元妃の悲劇的な事故死(1997年8月31日)から20年-神に愛された人は早死にし、永遠に生き続ける


本日は、1997年8月31日のダイアナ元妃の悲劇的な事故死から20年目になる。

早いもので20年か。それにしてもダイアナ元妃の人気が衰えることはない。36歳という若さで亡くなったということもあろう。生きていれば56歳。そうか、自分とは同世代の人だったのだなあ、と。

神に愛された人は早死にし、永遠に生き続けることになる。若き日のイメージはそのまま固定化する。つい先日(2017年8月16日)、没後40年を迎えたエルヴィス・プレスリーも同様だ。

(TIME誌 1981年8月10日号 マイコレクションより)

おとぎ話のようなロイヤルウェディングの華やかさ。それとはあまりにも対照的な人生の真実の数々。離婚前からすでにさまざまな憶測やスクープ合戦の対象となっていたが、真相はいまだに完全にあきらかになったわけではない。暴露合戦は死後20年たったいまなお続いている。

ダイアナ元妃は、すでに「偉人伝」」の人である。

『ダイアナ-恵まれない人びとに手をさしのべたプリンセス- (小学館版 学習まんが人物館)』(石井美樹子=監修、いちかわ のり=マンガ、小学館、1998)という子ども向けの「学習マンガ」になっている。



晩年の対人地雷廃絶運動などの活動が、同時代人でおなじく1997年の9月5日に没したマザー・テレサと並んで、世界中の人びとを感動させたことも記憶に残っている。マザー・テレサは昨年(2016年)9月5日に列聖されて「コルコタの聖テレサ」となった。

悲劇的な事故死の翌年には、『ダイアナ死して、英国は蘇る』(多賀幹子、毎日新聞社、1998)という本も日本で出版されている。ダイアナが皇太子妃として英国に登場した1981年からその死までの16年間。ダイアナ以前と以後の英国王室も英国じたいも大きく変化し、この20年間でその大きな変化を消化してきた。

ダイアナ元妃には、若くして死んだ悲劇的な美しいプリンセスというイメージがある。それとは裏腹の膨大な量のスキャンダル報道。聖性と俗性。聖女と悪女。そんな二項対立が容易に思い浮かぶ。

マザー・テレサもじつは似たような存在であることは、知る人ぞ知る話である。 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)という本には、「天使に会うためなら悪魔とも取引しろ」というマザー・テレサのポリシーも紹介されている。毀誉褒貶(きよほうへん)あいなかばする、清濁併(せいだくあわ)せのむ人だったのだ。

ダイアナ元妃と同時代を生きてきた人間としていろいろ思うことがあるのだが、長々と書いても仕方ない。ここらへんで切り上げることとしよう。








<関連サイト>

なぜ故ダイアナ元妃は世界中を魅了したのか? 6枚の写真で振り返る(ハフィングポスト、2017年8月30日)


<ブログ内関連記事>

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?

スティーブ・ジョブズはすでに「偉人伝」の人になっていた!-日本の「学習まんが」の世界はじつに奥が深い

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド

(2017年9月3日 情報追加)




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2017年8月29日火曜日

JBPress連載第7回目のタイトルは、「どう付き合う?今もなおアジアに深く根を下ろす英国-日本と英国の利害が重なり合う場「ブルネイ」」(2017年8月29日)


JBPressの連載コラムの最新コラムが本日公開です。連載開始から7回目となります。

タイトルは、どう付き合う?今もなおアジアに深く根を下ろす英国 日本と英国の利害が重なり合う場「ブルネイ」
⇒ ここをクリック http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50883

英国のメイ首相が明日(2017年8月30日)から初めて来日することになっています。今回の来日は日本政府による招待であり、公賓としての来日となります。

首脳会談では、喫緊の課題である北朝鮮の核問題対策が話し合われるとされていますがあ、もちろん「ブレグジット」(EU離脱)後をにらんだ英国と日本の関係強化も目的の1つでしょう。

日本から見れば、英国はユーラシア大陸を挟んで対極の位置にある欧州の島国ですが、アジアの植民地を手放していった「大英帝国」後の英国が、それでももなおアジア太平洋地域に深い利害関係をもっていることに注意喚起したい思います。

(ブルネイの位置 Google Map)  

その一つの「場」が、東南アジアの小国ブルネイなのです。そして英国はそのブルネイにいまなお陸軍部隊を駐留させており、その中核は世界最強の「グルカ兵」なのです。

では、本文をお読みいただきますよう。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50883


(ブルネイのスルタン 英語書籍の表紙)


次回の更新は2週間後の9月12日の予定です。お楽しみに。







<ブログ内関連記事>

JBPress連載第6回目のタイトルは、「独立から70年!いよいよ始まるインドの時代-舞台はインド、日英米はさらに密接な関係に」(2017年8月15日)

JBPress連載第2回目のタイトルは、「怒れる若者たち」の反乱-選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」(2017年6月20日)

本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

ついに英国が国民投票で EU からの「離脱」を選択-歴史が大きく動いた(2016年6月24日)

会田雄次の『アーロン収容所』は、英国人とビルマ人(=ミャンマー人)とインド人を知るために絶対に読んでおきたい現代の古典である!
・・グルカ兵の話がでてくる




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2017年8月28日月曜日

開業50周年の西武百貨店船橋店が「閉店」・・百貨店死滅の時代にお前もか!?(2017年8月26日)

(斜めの角度から撮影した西武百貨店船橋店 筆者撮影)

百貨店業態が「冬の時代」から「死滅」への流れは、抗いがたい時代の流れではあるが、西武百貨店船橋店もまた「閉店」するのだというニュースが2017年8月26日に流れた。まことにもって残念なニュースである。

経済を専門とする日本経済新聞には以下のような記述がある。

西武船橋店が閉鎖、駅周辺の顧客争奪で苦戦(日本経済新聞、2017年8月26日)https://www.nikkei.com/article/DGXLASFB25HDS_V20C17A8L71000/
西武船橋店(千葉県船橋市)が閉鎖に追い込まれた背景には、船橋駅周辺での商業施設間の競争激化がある。東武百貨店船橋店(同市)などとの顧客争奪戦に加え、市内にはららぽーとTOKYO―BAYやイオンモール船橋などもあり、西武船橋店は苦戦を強いられていた。西武船橋店は2018年2月末の閉鎖後、複合施設への転換で再出発を目指す。 (・・中略・・)
 船橋市は大型商業施設がひしめく激戦地だ。JR東日本や東武鉄道、京成電鉄の3社が乗り入れ、1日40万人以上が利用する船橋駅には駅直結の東武船橋店もある。駅前ではJR東日本が18年春に商業施設やビジネスホテルが入る複合施設を開業する計画で、駅周辺の競争環境は一段と厳しくなる見通しだ。 (・・後略・・)

記事によれば、西武百貨店船橋店は1967年9月の開業で、ことしはちょうど50周年の節目だったのだ。そう知ればなおさら残念な気持ちになる。

駅前の好立地であっても、船橋市を含む東京湾岸地域(ベイエリア)が商業激戦地であることを考えれば仕方ない。売り上げもピーク時の1991年の3割に落ちていたいうのだから。

上掲の写真は、意図せずに斜めの角度から撮影した西武百貨店船橋店であるが、右隣で建設中だったホテルの影が映いこんでいる。業績だけでなく、店舗も傾いたようになってしまったのは、これまた意図せざる行為であろうか。

(西武百貨店船橋店の屋上のヒツジ 夏場はここがビアガーデンに 筆者撮影)

わたしの高校時代は1970年代後半にあたるが、その頃はほぼ毎週土曜日には通っていた。というのも、西武船橋店には当時、書店のリブロだけでなく、なんと「美術館」まであったからだ。

バブル発生前の1980年代の前夜、「セゾン文化」のはしくれは船橋でも享受できたのだ。その後の1980年代後半の「バブル時代」と「セゾン文化の時代」は同時代現象として進行したが、船橋のような土地でも、採算度外視で文化事業を遂行した堤清二氏は、じつに偉大だったとつくづく思う。

いまのわたしがあるのも、高校時代の西武百貨店通いがあったおかげだと思っている。東京まで出なくても「文化」の末端を知ることができたからだ。

流通業態としての百貨店にはもはやレゾンデートルはないにしても、かつて担っていた文化機能の重要性については指摘しておきたい。






<ブログ内関連記事>

書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)-経営者と詩人のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ"
・・回想録をつうじて経営者・堤清二=詩人・辻井喬(つじい・たかし)のズレを確認する

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・堤清二の『ユートピアの消滅』(集英社新書、2000)を取り上げている。セゾングループもまたユートピアとして挫折した

「戦後70年」とは三島由紀夫が1970年に45歳で自決してから45年目にあたる年だ(2015年11月25日)


IKEA (イケア) で北欧ライフスタイル気分を楽しむ-デフレ時代の日本に定着したビジネスモデルか?
・・IKEAの日本展開は東京湾岸(ベイエイア)の南船橋から

南極観測船しらせ(現在は SHIRASE 5002 船橋港)に乗船-社会貢献としてのただしいカネの使い方とは?

「マリンフェスタ 2015 in FUNABASHI」 に行ってきた(2015年5月20日)-海上自衛隊の「掃海艦つしま」にはじめて乗船




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2017年8月27日日曜日

NHK海外ドラマ 『女王ヴィクトリア 愛に生きる』(全8回)が面白い(放送:2017年7月30日~9月17日)-18歳で即位してからの4年間を描いた歴史ドラマ

(NHKの番組公式サイトより)


NHK海外ドラマ 『女王ヴィクトリア 愛に生きる』(全8回)が面白い。

1回から3回まで見逃してしまったが、第4回から見ている。4回目はは将来の夫となるアルバート公との再会。5回目はアルバートとの結婚まで。

NHK7による「番組内容紹介」を見ておこう。

女王だって、愛されたい…長きに渡って大帝国を治めたイギリスの女王ヴィクトリアの孤独と愛を描いた歴史ドラマ。1837年、大英帝国が栄華を極めた時代。即位したヴィクトリアは、わずか18歳だった。 父を早くに亡くし、ドイツ人の母の影響で閉鎖的な環境で育ったヴィクトリアは、突然の即位に戸惑いながらも、女王らしく振る舞おうとする。だが、周囲にはなかなか認められず、孤独な思いを深めていく。 やがてヴィクトリアは、運命の男性、アルバートと出会い、恋に落ちる。2人は周囲の大反対を押し切って結婚。しだいに国民の信頼を得る。 主演は「ドクター・フー」で人気を集めた若手俳優ジェナ・コールマン。声を演じるのは、今、大注目の俳優、蓮佛美沙子。吹き替えに初挑戦! 原題:Victoria 制作:2016年 イギリス

このドラマは公共放送のBBC製作ではなく、英国の民放ITVの製作によるものだ。2016年の製作である。原題は、Queen Victoria  Every Inch A Queen  しいて日本語訳したら、「女王ヴィクトリア-頭のてっぺんから爪の先まで女王」とでもなろうか。



wiikipediaによれば、ITV(Independent Television:独立テレビジョン)は、イギリス最大かつ最古の民間放送局で、1955年9月に放送開始。主に娯楽番組でBBCと競合してきた。法律上は「Channel 3」、とある。


(英国で発売されているDVD)

大英帝国の最盛期は19世紀のヴィクトリア女王の時代1837年に18歳で即位してから、1901年に亡くなるまでの在位はなんと62年間。現在の女王エリザベス二世に記録が破られるまで、英国史上最長の在位期間と長寿を誇った、まさに大英帝国そのものといってよい女王であった。

そしてヴィクトリア女王の時代に、英国では立憲君主制が確立していく。そのプロセスにおいては、女王と議会のあいだでは、さまざまな軋轢や確執があったことは、『ヴィクトリア女王-大英帝国の "戦う女王"』(君塚直隆、中公新書、2007)を参照。

この歴史ドラマは、ヴィクトリアが18歳で女王に即位してから、結婚して出産するまでの4年間を描いている。


女王ヴィクトリアの配偶者となったアルバート公

女王ヴィクトリアの夫になったのアルバート公。

女王ヴィクトリアの母ケント公后の実兄でザクセン=コーブルク公爵エルンストの息子「アルベルト」が、英国王室に入って「アルバート」になる。

女性の視聴者はヴィクトリア女王に感情移入して見るのだろうが、男性としては女王の配偶者となったアルバート公にも関心が向かうだろう。政治の世界であれそれ以外であれ、表舞台に出て活躍する女性の配偶者というポジションに関心が向かうからだ。

英国では現在のエリザベス二世もそうだし、サッチャー元首相などもそうだったが、独身だったわけではない。それぞれハズバンドがおり、子どもを産んでいる。

社会的に活躍する女性の配偶者がいかなる「内助の功」を発揮したのか、しなかったのか。あるいは、いかなる精神的プレッシャーのもとにあって苦悩(?)していたのか、と。

こういう観点からアルバート公にも注目したいのである。英国は、この点にかんして「先進国」であり、アルバート公は先駆的なロールモデルと位置づけることもできるだろう。共和制をとる米国ですら、この事例はいまだに発生していない。


そもそも現在の英国王室の出自はドイツ系

現在の英国王室は、ドイツ北部のハノーファー公国出身のハノーヴァー朝であった。その意味では、配偶者となったアルバート公がドイツ系であったこともなんら不思議ではない。

現在のウィンザー朝に改名されたのは第一次世界大戦に入ってからである。排外的なナショナリズムがエスカレートしていった時代戦争遂行上の観点から国民との一体感を図り、国民との一体感を高める必要が生じたからだ。

第一次世界大戦後に帝国がつぎつぎと解体し王室も消えていく前は、支配者である王室と領土に居住する被支配民とはまったく別個の存在だったのである。


■ヴィクトリア女王は身長150cm(!)と小柄だった

現在の女王エリザベス二世も150cmくらいで小柄だが、女王ヴィクトリアも150cm未満と小柄だったのは歴史的事実だ。

このドラマでも、女王ヴィクトリアを演じている女優のジェンナ・コールマンは身長157cmと比較的小柄で、ヴィクトリア女王を演じるにはふさわしい。

晩年は小柄で太っていたので、英国ではカリカチュアの対象となっていることは、『笑う大英帝国-文化としてのユーモア-』(富山太佳夫、岩波新書、2006)に何枚も掲載さえているカリカチュア(風刺画)でよくわかる。英国では女王も(=国王も)、平気でからかいの対象となる。


日本の戦国時代や幕末を舞台にした「歴史ドラマ」と比べたら、日本人視聴者の関心度合いは低いだろうが、ドラマとしても十分に楽しめる作品だ。英国に関心があれば、なおさら楽しめるだろう。





◆番組放送予定 全8回(内容紹介はNHK公式サイトより)


第1回 「若き女王」(2017年7月30日)
1837年、イギリス国王ウィリアム4世が逝去し、18歳の若き女王ヴィクトリアが誕生する。しかし、その若さゆえに周囲は彼女の能力を不安視する。実の母のケント公妃とその側近コンロイは摂政となることを画策し、女官選びも思うようにはかどらない。そんなヴィクトリアに救いの手を差し伸べたのは首相のメルバーンだった。

第2回 「失えない味方」(2017年8月6日)
ヴィクトリアの唯一の理解者であったメルバーンが、議会で自身が率いる政党の立場が弱くなっていることを理由に首相を辞任する。次の首相候補はピール。しかし、ヴィクトリアはピールのことが気に入らず、王室の支持を得られないピールは組閣を進めることができない。そんなヴィクトリアの振る舞いを見て、周囲は女王の精神状態を不安視し、水面下で権力争いが繰り広げられる。

第3回 「結婚の圧力」(2017年8月13日) 
ヴィクトリアの叔父でベルギー国王のレオポルドがやってくる。甥のアルバートとの縁談を進めるためだった。だがヴィクトリアにその気はない。メルバーンに対する信頼の気持ちが、それ以上のものであることに気づいたからだ。一方、メルバーンにもヴィクトリアを思う気持ちはあるが、自分の年齢や立場を考えると素直に突き進むわけにはいかなかった…。

第4回 「運命の再会」(2017年8月20日) 
コーブルクから、エルンストとアルバートの兄弟が到着。久しぶりに会うアルバートにヴィクトリアは胸をときめかせるが、生真面目で正直者のアルバートは、チヤホヤされることになれきったヴィクトリアを余計な一言で怒らせてばかり。アルバートはヴィクトリアの中にあるメルバーンへの思いにも気づいていた。2人の距離を縮めようとエルンストが尽力する。

第5回 「世紀の結婚」(2017年8月27日) 
ヴィクトリアとアルバートの婚約が決まる。しかし、物事は簡単には進まない。議会ではドイツ人のアルバートに、強い反発の声があがる。さらにアルバートの待遇は保障されておらず、何らかの爵位と年金が欲しいとヴィクトリアに訴える。そのことをいぶかしむヴィクトリアだったが、メルバーンや周囲の人々から叔父たちの年金の使い道を聞いて、ショックを受ける。

第6回 「女王の秘策」(2017年9月3日) 
新婚生活を始めたヴィクトリアとアルバート。しかし宮中ではアルバートの立場が低く見られており、そのことにヴィクトリアは憤慨。それを解消するためにある秘策を思いつく。一方、アルバートは、自分の力を発揮できる場所がないことにいらだちを覚えていた。そんな時、反奴隷制会議での開会スピーチをする機会に恵まれる。

第7回 「波乱の予感」(2017年9月10日) 
ヴィクトリアが懐妊する。しかし、手放しで喜べるわけではなかった。もしヴィクトリアが出産で命を落とし、子が生き残った場合に備えて摂政を任命しなければならない。当然、父となるアルバートを指名したいヴィクトリアと、ドイツ人が国政に関与する可能性に拒絶反応を示す政界。果たして打開策は見つかるのか?

第8回 「出産」(2017年9月17日) 
ヴィクトリアの出産が近づき、宮中に緊張したムードが漂う。さらにハノーバー国王となった叔父カンバーランドが帰国する。出産でヴィクトリアと子が命を落とせば、念願のイギリス国王になれるからだ。周りの心配をよそに、じっとしていられないヴィクトリアは馬車で頻繁に外出をしていた。ある日、女王を歓迎する群衆の中に銃を構える男が…。





PS 大英帝国の絶頂期は「第2次グローバリゼーション」の19世紀

拙著 『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)の「第5章 「第2次グローバリゼーション」時代と「パックス・ブリタニカ」-19世紀は「植民地帝国」イギリスが主導した」を参照。

王室関連の話題は取り上げていないが、社会史的な側面から大英帝国と植民地インド、そして日本を含めた全世界に与えた影響について書いてある。

大英帝国が覇権を握っていた時代である「第5章」の目次を掲載しておこう。太字ゴチックが大英帝国に直接関係している事項である。

1 大英帝国が世界を一体化した
2 「交通革命」と「情報通信革命」で地球が劇的に縮小
3 大英帝国内の大規模な人口移動
4 帝国主義国による「中国分割」と「アフリカ分割」
5 英米アングロサクソンの枠組みでつくられた「近代日本」
6 「西欧近代」に「同化」したユダヤ人とロスチャイルド家
7 「産業革命」は人類史における「第二の波」
8 「ナポレオン戦争」が「近代化」を促進した
9 「フランス革命」で「ネーション・ステート」(=民族国家・国民国家)と「ナショナリズム」は「モデル化」された
10 「アメリカ独立」は、なぜ「革命」なのか?





PS2  『女王ヴィクトリア 愛に生きる』を題材にしてコラム記事を執筆

ウェブメディアのJBPressの連載コラムに、「「先進的」伝統を作り出した英国の2人の女王-脇役のアルバート公もロールモデルに」(2017年9月26日)を執筆しました。歴史ドラマの見方についてもコメントしてありますので、ぜひ読んでいただければ幸いです。

(2017年9月29日 記す)



<ブログ内関連記事>

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?

書評 『イギリス近代史講義』(川北 稔、講談社現代新書、2010)-「世界システム論」と「生活史」を融合した、日本人のための大英帝国「興亡史」

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた

ダイアナ元妃の悲劇的な事故死(1997年8月31日)から20年-神に愛された人は早死にし、永遠に生き続ける

JBPress連載第9回目のタイトルは、「「先進的」伝統を作り出した英国の2人の女王-脇役のアルバート公もロールモデルに」(2017年9月26日)

(2017年9月29日 情報追加)




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2017年8月22日火曜日

書評 『崩壊 朝日新聞』(長谷川 熙、WAC、2015)-徹底した取材によって「悪しき企業風土」がはびこる報道機関の謎を探った歴史ノンフィクション


『崩壊 朝日新聞』(長谷川 熙、WAC、2015)を読んだ。このタイトルでこの出版社だと内容はだいたい推測できると思うが、じつは著者は朝日新聞の「中の人」であった

長谷川氏は、1933年生まれの「老ジャーナリスト」と帯のウラにある。定年まで朝日新聞の記者で、その後『AERA』を経て現在フリーの記者。この本を書くために『AERA』を辞めたのだという。

だいぶ以前だが、『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(朝日新書、2009)という本を読んで、アメリカの責任を問うだけでなく、返す刀で日本政府も批判する硬派な姿勢に感心したこともあり、長谷川熙(はせがわ・ひろし)という著者の名前がアタマのなかに刻まれたのである。

「慰安婦問題」がいっこうに解消しない。政府間で解決したはずの問題が、ふたたび韓国政府によって蒸し返されている。こんな状況を前にしたら、ハードコアの「嫌韓派」ではなくてもウンザリしてしまうだろう。

そもそもその原因をつくりだしたのが朝日新聞の「虚報」であることは、いまや周知のことだろう。当の朝日新聞も「虚偽報道」であったことは2014年に認めたが、著者はその件にかんする「特集」が掲載された2014年8月5日をもって朝日新聞は崩壊した、新聞としての実質は最終的に終わったと断言する。

「虚報」を掲載し、長年にわたって「虚偽」を否定せず、歴史を「捏造」してきた朝日新聞社の体質がいかに形成されてきたのか、その原因を取材する著者は、「中の人」であった強みを活かして本書を書き上げた。外からする批判のための批判ではない

企業風土や企業体質は一朝一夕にできあがらない。それは良い企業風土であっても、悪しき企業風土であっても同じことだ。歴史的な蓄積が企業風土に反映する。人間は習慣の奴隷であり、人間が構成する組織もまた無意識のうちに習慣の奴隷となる。だからこそ、企業風土を変えるのはきわめてむずかしい。

朝日新聞社の場合も、「戦後」になってから共産主義シンパが経営者として牛耳ってきただけでなく、「戦前・戦中」の「ゾルゲ事件」でソ連のスパイとして逮捕・処刑された尾崎秀実(おざき・ほつみ)に連なるものであることを追求している。コミンテルンの関与である。一級の知識人であった尾崎秀実は元朝日新聞記者であった。

 「現在」を知るためには「過去」にさかのぼって検証しなくてはならない。本書の後半は、ほとんど歴史ノンフィクションのような趣(おもむき)をもっている。日本近現代史ものを読んでいるような感想をもちながら読み込んでしまう。それは、植民地支配や戦争をつうじたアジアとのかかわりでもある。

 「目次」の文言をみれば、どんな本であるか理解できると思う。わたしにとっては、第2部の第2章がとくに興味深いものであった。『毛沢東 日本軍と共謀した男』(遠藤誉、新潮新書、2015)と響き合うものがある。中国国民党を叩くことは中国共産党の利益となり、ひいてはコミンテルンを指導したソ連の利益になるという構図が重なり合う。

第1部 過去を「悪」と見る条件反射
 第1章 吉田清治を称えた論説委員
 第2章 マレー半島「虐殺報道」の虚実
 第3章 松井やよりの錯誤
第2部 視野が狭くなる伝統
 第1章 朝日にたなびくマルクス主義
 第2章 尾崎秀実の支那撃滅論の目的
第3部 方向感覚喪失の百年
 第1章 歴史を読み誤り続けて
 第2章 一閃の光、そして闇

もちろん、朝日新聞にもまともな記者はいる。それは過去においても現在においても同様だろう。だが、悪しき企業体質をもつ組織のなかで正気を保つのは容易なことではない。会社勤めをして組織の「中の人」になった経験をもっている人なら、感覚的に理解できるはずだ。

おそらく、大半の社員は易きに流され、悪しい企業体質に染まってまうのではないか。組織は「世間」であり、そこには「空気」が醸成される。空気に染まること、それはいわゆる「事なかれ主義」である。さらには、そのことに自覚症状もなくなっていく。「大企業病」である。

本書からむりに教訓を見いだすことは必要ないが、朝日新聞社の百年に蓄積された病巣を振り返ることは、悪しき企業体質がいかに形成されていくかについてのケーススタディーとして読むことも可能だろう。朝日新聞のケースは、報道機関であるだけに、よけい罪が重いということは明記しておかねばならない。

朝日新聞社にかんしては、批判のための批判ではなく「他山の石」としなくてはならない。かつて一度たりとも朝日新聞を購読したことのないわたしは、そう思うのである。





著者プロフィール   

長谷川煕(はせがわ・ひろし)

ジャーナリスト。1933年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学専攻卒。1961年に朝日新聞社入社。88年初めまで経済部など新聞の部門で取材、執筆し、次いで、創刊の週刊誌『AERA』に異動。93年に定年退社したが、その後もフリーの社外筆者などとして『AERA』で取材、執筆を2014年8月まで続ける。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

朝日新聞の慰安婦虚報は 日本にどれだけの実害を与えたのか デマ報道を基に米国で繰り広げられた反日活動 (古森義久、JBPress、2014年8月20日)

(2017年8月29日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない


■報道機関の宿痾

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!
・・「新聞社であれ、テレビ局であれ、個々の記者たちに問題意識がないというわけではない。「個」としての記者には良心もあれば、気概もあるはずだ。だが、日本人は見えない「世間」という縛りのなかで生きているので、ついつい組織の意向に同調していまいがちだ。著者の牧野氏もまた、日本経済新聞社のなかにいるときは、言いたいことがいえない、書いた記事がそのまま掲載されないという悔しさを感じ続けていたようだ。「世間」が支配する日本においては、新聞記者は組織の外に出ない限り、存分に活動することはできないのである。一人でも多くの新聞社社員が「脱藩」して、本来の意味のジャーナリストになってほしいものだ。」  この本の著者の牧野氏は日本経済新聞の記者であった

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・新聞社という企業組織もまた「世間」であり、充満する「空気」に抗うことはむずかしい

『報道災害【原発編】-事実を伝えないメディアの大罪-』 (上杉 隆/ 烏賀陽弘道、幻冬舎新書、2011)-「メディア幻想」は一日も早く捨てることだ!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)-「無極性時代のパワー」であるウィキリークスと創始者アサンジは「時代の申し子」だ


■「戦後」の日本に蔓延したマルクス主義という害悪

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・ソ連が崩壊するまで、いや崩壊してもなお現実を見ようとしないマルクス主義者が日本の大学には亡霊のように徘徊して害毒をまき散らしている

書評 『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)-左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!


日本近現代史とアジア

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた

書評 『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)-日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖

書評 『悪韓論』(室谷克実、新潮新書、2013)-この本を読んでから韓国について語るべし!

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける





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2017年8月21日月曜日

『ぼくたちのアニメ史』(辻真先、岩波ジュニア新書、2008)でTVアニメ草創期からのアニメ史を知る


1960年代から1970年代前半にかけてのTVアニメについて知りたいと思うのだが、これといった手頃な本がない。

なぜ知りたいかというと、物心ついてからの「テレビっ子世代」のわたしは、TVアニメ(・・当時は「テレビまんが」といっていた)の世界にどっぷり浸かっていたから。白黒テレビの時代からである。

YouTubeのおかげで、当時のTVアニメ作品の主題歌、いわゆるアニソンが「OP」(=オープニング)もED(=エンディング)もともに、簡単に無料で視聴できるようになったのはありがたいのだが、クレジット情報以外を知るのが難しく、体系的に整理するのが困難なのだ。

なんか手頃で参考になる本がないか探してみたところ、『ぼくたちのアニメ史』(辻真先、岩波ジュニア新書、2008)があることを知り読んでみた。

この本は面白い。ひじょうに面白い。草創期のアニメ製作に脚本家として多くの作品にかかわってきたのが辻真先氏だからだ。

現在では作家としてのほうが有名だが、草創期のアニメ作品には、「脚本:辻真先」というクレジットを目にすることが多いので「語り部」としては最適だろう。

脚本家としての立ち位置と距離感もいい。「ぼくたちの・・」というタイトルには、読者だけでなく著者も含まれている。

TVアニメに触れずしてアニメを語るべきではないという姿勢には大いに共感する。なぜなら、わたし自身が、TVアニメで自己形成(?)した初期世代に属しているから。人生で重要なことはTVアニメで学んだから。

といっても、わたしはアニメは好きだが、いわゆるオタクではない。オタクではなくても、アニメは自己形成において大きな意味をもつのである。




目 次
  
はじめにお断りします
1 くも も人形も CMも アニメなのだ
2 十万馬力のショックが電波を走る
3 豪快か蛮勇か東京ムービーがゆく
4 企業としての東映のレパートリー
5 三つのブームがアニメを導く先は
6 エイケン・シンエイ・竜の子たち
7 宮崎トトロと大友アキラの進む道
8 テレビアニメ制作プロを薮にらみ
おわりに付け足します


著者プロフィール  

辻真先(つじ・まさき)
1932年愛知県生まれ。名古屋大学文学部卒業。NHKで番組制作・演出にたずさわった後に独立、アニメ脚本家として活躍。『鉄腕アトム』『デビルマン』をはじめ、数多くのアニメ作品の脚本を執筆し、日本アニメを黎明期から支えてきた。また推理冒険作家、旅行評論家、エッセイストとしても数々の作品を発表している。主な著作に『アリスの国の殺人』。(日本推理作家協会賞受賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

アニメ映画 『君の名は。』(2016年、日本)を見てきた(2016年12月9日)-ラストシーンを見たら、またもう一度最初から見たくなる。そしてこの作品について語りたくなる
・・新海誠監督については、辻真先氏も「おわりに付け足します」で触れている

アニメ映画 『この世界の片隅で』(2016年、日本)を見てきた(2016年12月14日)-ごく普通の一女性の目を通して見た、そして語られた「戦前・戦中・戦後」

『新世紀 エヴァンゲリオン Neon Genesis Evangelion』 を14年目にして、はじめて26話すべて通しで視聴した

遅ればせながらアニメ 『進撃の巨人』を第10話からローカル局の東京MXで見始めた-戦わなければ生き残れない!

NHKのアニメ 『もしドラ』 最終回(5月6日)後に全10回のおさらい-ミッションの重要性と「顧客」は誰か?

書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)-中国に関する固定観念を一変させる可能性のある本




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2017年8月20日日曜日

『ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで』(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)にいってきた(2017年8月16日)-ベルギー美術の500年を通観し知的好奇心を刺激する美術展



美術展 『ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで』にいってきた(2017年8月4日)。東京・渋谷の Bunkamura にて。

Bunkamura の美術館はテーマ性の強い美術展をよく開催しているが、今回の美術展はベルギーにおいては現代にまで続く「奇想」の系譜を16世紀のヒエロニムス・ボスからたどってみるという、知的好奇心を大いに刺激してくれる内容だ。

大学時代に河村錠一郎教授の「美術史」の授業を受講して以来、ヒエロニムス・ボスも、ベルギー象徴派も大好きなわたしにとって、これは絶対にいかなくてはならない美術展なのだ。

まずは、美術展の主催者によるイントロダクションをそのまま引用させていただくこととしよう。短い文章に凝縮された内容の解説は、そのままベルギー美術史入門になっている。

500年の美術の旅-古今のスター作家が勢揃い現在のベルギーとその周辺地域では、中世末期からの写実主義の伝統の上に、空想でしかありえない事物を視覚化した絵画が発展しました。しかし18世紀、自然科学の発達と啓蒙思想がヨーロッパを席巻するなか、不可解なものは解明されてゆき、心の闇に光が当てられるようになります。
かつての幻想美術の伝統が引き継がれるのは、産業革命後の19世紀、人間疎外、逃避願望を背景とした象徴主義においてでした。画家たちは夢や無意識の世界にも価値を見出し、今日もこの地域の芸術に強い個性と独自性を与えつづけています。
本展では、この地域において幻想的な世界を作り出した一連の流れを、ボス派やブリューゲルなどの15・16世紀のフランドル絵画に始まり、象徴派のクノップフ、アンソール、シュルレアリストのマグリット、デルヴォー、そして現代のヤン・ファーブルまで、総勢30名の作家によるおよそ500年にわたる「奇想」ともいえる系譜を、約120点の国内外の優れたコレクションでたどります。

3つのパートにわかれた構成になっている。


Ⅰ. 15~17世紀のフランドル美術Ⅱ. 19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派、表現主義Ⅲ. 20世紀のシュルレアリスムから現代まで


ⅡとⅢは連続しているが、ⅠとⅡのあいだはすこし時間があいているのは、上記の解説文のとおりだ。「奇想」は19世紀以降、ふたたび蘇ったのである。

以下、つれづれに感想を記しておく。あくまでも独断と偏見に満ちた個人的な感想だ。

(上掲の「トゥヌグダルスの幻視」の図解 作品リストより)


「聖アントニウスの誘惑」というテーマ

「聖アントニウスの誘惑」というモチーフが、何度もでてくるが、よほどフランドルでは気に入られたテーマのようだ。

奇妙キテレツな怪物たちが、瞑想修行をする隠修士の聖アントニウスに次から次へと襲いかかってくるというモチーフだ。聖アントニウスは、紀元3世紀から4世紀にかけての人物。エジプトに生まれ、砂漠で修道生活を送った修道士の元祖的存在。

瞑想しているとさまざまな妄念になやされるが、その妄念が実体化すると怪物となる。怪物たちを写実的に描写したのはヒエロニムス・ボス以来のものもである。
  
現代人からみれば、むしろ「かわいい」(?)という感じさえしなくもないのだが、16世紀当時の人びとはどう感じたのだろうか? もはや中世人のようなとらえ方ではないだろう。

フランスの文豪フローベールに『聖アントワーヌの誘惑』という作品がある。19世紀にこのモチーフが蘇ったのはそういう背景もあるのだろか。ちなみに、おなじくフローベールの『三つの話』(トロワ・コント)の一篇は「サロメ」である。こちらはオスカー・ワイルドとビアズリーに影響している。さらには映画『愛の嵐』(ナイト・ポーター)にもサロメが所望した生首のモチーフが登場する。

ヒエロニムス・ボスの作品はあらためてよく眺めてみると、シンガポールのハウパー・ヴィラ(=タイガーバーム・ガーデン)を想起させるものがある。その心は何かというと、怪物たちがみなキッチュだということだ。

ハウパーヴィラに展開された想像力は、前近代の世界が近代と接触した際に生まれたものだ。21世紀の現在からみると、レトロキッチュ(?)ともいうべきか。

16世紀の西欧人と、20世紀の華人の想像力の奇妙な近似性を感じてしまうのはわたしだけだろうか。


■隣接するプロテスタント国オランダとの違い

フランドル地方はフラマン語地帯で、フラマン語は言語的にはオランダ語に近い。

だが、宗教改革後にプロテスタント圏となった低地のネーデルラント(=オランダ王国)に対して、フランドル地方はカトリック圏にとどまった。オランドとフランドルとの違いは、プロテスタントとカトリックの違いでもある。

装飾を徹底的に排除した簡素をたっとぶプロテスタントに対して、過剰なまでの装飾を強調したカトリック圏のバロック美術。後者に、「奇想」の系譜が温存されたのは、ある意味では当然かもしれない。

今回の美術展にはバロック画家のルーベンスの作品も展示されており、「奇想」がカトリック圏ならではのものであることもわかる。生活世界を描いたフェルメール作品を生み出したオランダには、イマジネーションを刺激する「奇想」は発生する余地がないのかもしれない。

現在のベルギーは、フラマン系とフランス系という異なる二民族が人工的に結合して誕生した王国だ。1830年のことである。おなじカトリック圏ということで合体したのだが、現在に至るまで人工国家とての性格は消えてなくならない。ゲルマン系のフラマン語とラテン系のフランス語の違いは、言語だけでなく文化にも及ぶ。

21世紀にはテロの温床にもなっているベルギーは、政治的には不安定だが、文化面では先進的である。二つの異なる文化圏が隣り合わせに存在するベルギーは、異種混合のメリットもあるのだろうか。


「ベルギー象徴派」とシュールレアリスム

ベルギー象徴派は、英国のラファエル前派とならんで、わたしのお気に入りである。じっさい前者は後者の影響を受けているようだ。

今回も、ベルギー象徴派を代表するロップス、クノップフ、デルヴィルの作品が数点づつ展示されているのはうれしいことだ。いずれも「世紀末」にふさわしい作品の数々である。

ベルギーのシュールレアリスムには、デルヴォーやマグリットがある。デルヴォーは古典的な静謐な背景に裸女と骸骨といったイメージの作風、マグリットはコラージュ風の作品で有名である。

今回の美術展には、マグリットの代表作である「大家族」が展示されているのはうれしい。海辺で大きな鳩の画像が描かれている作品だ。


■「奇想の系譜」の楽しみ方

「奇想」と「幻想」は、厳密にいえば異なるカテゴリーなのだが、この両者はときに交錯しあい、不思議な雰囲気を生み出している。

「奇想」はどちらかというとアタマの産物でありアタマで楽しむ要素が強い。「幻想」は基本的にココロに訴求する要素が強い。

だが、「奇想」と「幻想」はかならずしも厳密に区分できるものでもない。アタマから生まれた産物をココロで楽しむ、そん雰囲気に浸る。そういう楽しみ方であって、なんら問題はないだろう。

「奇想の系譜」は美術史のテーマであるように見えながら、そう堅苦しい思いをする必要はない。要は、自分の好みの作品を見つけて、ひそかに悦に入れば、それでいい







PS 2017年9月に講談社学術文庫から『「快楽の園」』を読む-ヒエロニムス・ボスの図像学-』(神原正明)が出版された。ヒエロニムス・ボスが描いたアレゴリカルな世界の解読に資するところがあろう。(2017年9月24日 記す)




<ブログ内関連記事>

■「奇想の系譜」と「幻想絵画」

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する

「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!

「幻想耽美-現在進行形のジャパニーズエロチシズム-」(Bunkamura ギャラリー)に行ってきた(2015年6月18日)-現代日本の耽美派アーティストたちの作品を楽しむ

米倉斉加年画伯の死を悼む-角川文庫から1980年代に出版された夢野久作作品群の装画コレクションより


■「美食大国」としてのベルギー

『ベルギービール大全』(三輪一記 / 石黒謙吾、アートン、2006) を眺めて知る、ベルギービールの多様で豊穣な世界

書評 『ターゲット-ゴディバはなぜ売上2倍を5年間で達成したのか?-』(ジェローム・シュシャン、高橋書店、2016)-日本との出会い、弓道からの学びをビジネスに活かしてきたフランス人社長が語る




■華人世界の「奇想の系譜」

書評 『HELL <地獄の歩き方> タイランド編』 (都築響一、洋泉社、2010)-極彩色によるタイの「地獄庭園」めぐり写真集

華人世界シンガポールの「ハウ・パー・ヴィラ」にも登場する孫悟空-2016年の干支はサル ③

(ハウパーヴィラにはこんなモチーフの展示物が多数 筆者撮影)



ベルギーとは異なる道を歩んだオランダ

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった

上野公園でフェルメールの「はしご」-東京都立美術館と国立西洋美術館で開催中の美術展の目玉は「真珠の●飾りの少女」二点

「ルーヴル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄-」(国立新美術館)に行ってきた(2015年5月6日)-展示の目玉はフェルメールの「天文学者」





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2017年8月19日土曜日

ウジ虫は弱虫ではない!-スズメバチでさえ駆除できる殺虫剤が、なんとコバエのウジ虫にはまったく効かないのだ

      
(閲覧注意!) ウジ虫の画像があるので、気持ち悪くなるかもしれません。いやな人はこの先には進まないでください!



大型のスズメバチの成虫には効果があっても大きさわずか2~3mmのコバエのウジ虫には殺虫剤が効かない!?

まずは、今週はじめの「事件」について書いておこう。

ダイニングのイスにこしかけてリラックスしていると、手がなんだかむずかゆい。目をやると、小さな幼虫が腕をはっているではないか!?

まずはその幼虫をはらいのけたが、周りをみまわすと生ゴミを捨てたゴミ箱の周りをウジ虫が大量に這い回っていることに気がついた。

すわ一大事!とばかりに家庭用の殺虫剤をもちだして噴霧してみた。

しかし、噴霧すれども噴霧すれども、コバエのウジ虫はまったくたばらない。

殺虫剤を噴霧しつづけて床がべとべとになっても、噴霧して気体から再び液体になった殺虫剤の海のなかを、コバエのウジ虫は何もなかったかのように平然と這い回っているのだ!

これは驚愕の事実である。

困惑してしまうが、目の前に展開する「現実」から目をそらすわけにはいかない。とにかくコバエのウジ虫には、殺虫剤がまったく効いていないことは否定できない「事実」なのだ。

仕方なく、ティッシュペーパーでコバエのウジ虫をつぶしながら床を拭き取るしかなかった。

それでも次か次へとわき出るかのように現れてくるコバエのウジ虫。

なんと、ゴミ箱のなかから這い出してきているのだ。どうやら生ゴミにタマゴをうみつけられていたようだ。コバエのような小型の昆虫は、タマゴから羽化して成虫になるまでのサイクルはきわめて短いはずだ。やられたなあ。

その数日前に、ゴミ箱のなかにワサビ成分のコバエ退治の薬品を設置したばかりだったのだ。だが、その前にタマゴを産み付けられていたのだろう。コバエの成虫は退治できても、タマゴから孵化した幼虫には、コバエ退治の薬品はまったく効果を発揮していなかったのだ。

コバエのウジ虫退治が一通り完了したあと、気になったのでネット検索してみた。「コバエのウジ虫には殺虫剤は効かない」というフレーズで検索したら、その疑問に答えてくれる記事がたくさん出てきた。いちばん情報量が多かったのは「蛆の駆除方法」という記事だ。

そうか、やはり、コバエのウジ虫には殺虫剤は効かないのだな、と確認。と同時に、自分的にはこれは大きな発見であった。

考えてみれば、殺虫剤は成虫の中枢神経を直撃するから効果はてきめんなのだ。

大型でパワフルなスズメバチでさえ殺虫剤で退治できるのに、コバエのウジ虫が殺虫剤で退治できないのは、ある意味では当然と言えば当然なのかもしれないな、と。

こんどコバエのウジ虫が発生したら、塩をまいてみたいと思う。ナメクジのように塩に水分を吸い上げられて縮んで死んでいくものかどうか見極めたい。

だが、対処療法には限界がある。元を絶たなくてはダメだ。根本原因はコバエが生ゴミにタマゴをうみつけることにある。

コバエの侵入を防ぐことは不可能なので、タマゴを産み付けるスキを与えないように生ゴミの管理を厳重にするしかない。



■コバエのウジ虫を撮影してみる

コバエのウジ虫は、全長2~3mm程度。見た目は寄生虫のギョウ虫のようだが、ギョウ虫よりは短い。

駆除に追われていたので、写真を撮る心の余裕がなかったことに気がついたので、這い回るウジ虫を撮影することにした。

(ゴミ箱の上を這うコバエのウジ虫 実際の大きさは2~3mm 筆者撮影)


なんせコバエのウジ虫だけに小さくて、しかも動いているので、接写もうまくいかない。こんなものしか撮影できなかった(上の画像を参照)。

高校一年生の生物の授業で、試験管のなかでショウジョウバエを孵化させる実験をしたことがあるが、あまり気持ちのいいものではなかったな、と思い出す。


(コバエのウジ虫のサナギ 筆者撮影)


ウジ虫にかかわる個人的エピソード

釣りをやる人なら知っていると思うが、釣り餌の「さし」は、じつはハエの幼虫、すなわちウジ虫である。

小学校低学年の頃、三鷹市に住んでおり、その時の同級生のあいだで神田川の上流まで自転車でいって釣りをやることが流行っていた。自分もまたその一人として頻繁に釣りに行っていた。

神田川の源流は井の頭公園の池。大雨の翌日など、池からあふれ出た鯉などが神田川にいたが、釣れるのはもっぱらクチボソが中心で、たいていはダボハゼばっかりだった。

釣り餌は吉祥寺駅の南口方面に釣具屋があり、そこで餌も売っていた。ちいさなビニール袋の小分けして打っている「さし」は、自分がもっているアルミ製の餌箱にいれて持ち歩いていた。

「さし」は芋虫の小さな感じの幼虫で、先端から釣り針をさして、釣り針のカーブにそって最後まで刺し通す。そのときは、「さし」が何の幼虫なのか考えたことはなかった。

(シリアカニクバエ幼虫  wikipediaより)


買った「さし」は一度に全部使い切れるとは限らない。余った「さし」を冷蔵庫のなかに入れておいたら、しばらくして開けたら茶色のサナギになっていた。

危ないところだったのだ。ハエの成虫になるところだったのだ。

冷蔵庫のなかで羽化して脱皮できたかどうかは、わからないが・・・・



■ウジ虫は弱虫なんかではない!

「ののしり言葉」としての「ウジ虫」がある。

「ウジ虫みたいなヤツ」だというののしり表現は、現在でもひんぱんに使われているのかどうかわからないが、すくなくともわたしの少年時代にはよく聞かれたものだ。

いまではもう死語だが「×××のように腐ったヤツ」と、双璧をなしていたといえようか。この表現は21世紀の現在、まったく意味をなさない日本語表現となっている。

「うじうじする」という擬態語の表現があるが、この「うじうじ」がウジ虫から来ているのかどうかはわからない。だが語感からいって、弱虫に近いニュアンスがあるような気がする。

新兵のことを "maggot" とののしるシーンが、ベトナム戦争時代の米海兵隊を描いた『フルメタル・ジャケット』ででてくる。「新兵訓練」の「ブートキャンプ」でのシーンだ。

マゴット(maggot)はウジ虫のことだ。日本語とおなじ意味で使用される。たしかに、堅いカラで覆われた甲虫(=インセクト)とは違って、人の手でつぶすことも可能な幼虫(=ワーム)は、人間の立場からすれば弱虫であるとしてもおかしくない。

ところが、じっさいの「ウジ虫」は「弱虫」なんかではないのだ! これは私が悪戦苦闘したコバエのウジ虫退治でも明らかなとおりである。

これも小学生の頃だが、はじめて自分の小遣いで買った本が「太平洋戦争」ものであったが、そのなかにあった「インパール作戦」の敗走シーンがアタマから離れないのだ。

行き倒れ手動かなくなった兵士にたかるハエ。まだ生きているのにウジ虫がわいている敗残兵。カラダのなかでも、とくにやわらない目などを食い尽くすウジ虫目から這い出してくるウジ虫の群れ。そんなシーンが克明に記述されていた。まさにリアリズムである。

残酷だ。じつに残酷だ。しかし、同時にウジ虫の強靱さに思い至るのである。肉体を食い破る強靱なアゴをもち、貪欲に食べ尽くすウジ虫。強い、あまりにも強いのである。

だから、たとえコバエのウジ虫とはいっても、あなどってはいけないのである。

スズメバチの成虫でさえ勝てない殺虫剤にもビクともしないのが、コバエのウジ虫なのであるから。



PS コバエのウジ虫のサナギの写真を追加した(2017年9月1日 記す)。








<ブログ内関連記事>

なぜスズメバチが何度も何度も部屋に侵入してくるのだ!?-8月8日(ハチ・ハチ)に思うこと
・・スズメバチが室内に侵入してきたら、とにかく殺虫剤を噴霧すべし!

猛暑の夏の自然観察 (1) セミの生態 (2010年8月の記録)
・・幼虫からさなぎ、そして成虫へのメタモルフォーシス(=変態)

「体育会出身」ですが、何か?(笑)-「知的体育会系」なら鬼に金棒ではないか!
・・映画『フルメタル・ジャケット』は日本の体育会そのもの




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2017年8月18日金曜日

追悼 エルヴィス逝って40年(2017年8月16日)-「ゴスペルを愛してやまなかったエルヴィスの内奥を本当に理解しない限り、エルヴィスをありのまま愛することはできない・・・・」


1977年8月16日に42歳(!)で亡くなったエルヴィス・プレスリー。本日8月18日には葬儀が行われた。 早いものでもう40年!

生きていれば82歳(!)ということになる。どうも想像しにくいことだ。だが、エルヴィスが生まれたのは1935年、日本の年号でいえばなんと昭和10年だ。自分の父親の世代なんだなあ。若くして亡くなった人は、そのイメージのまま永遠に生き続ける。

ハワイから「衛星生中継」(!)で全世界に中継されたエルヴィスの公演は、小学校の頃、リアルタイムでTVで見ている世代。同じクラスの生徒もほとんどが見ていたほど、当時は大人のあいだで話題になったようだ。1973年のことである。

(ELVIS Aloha rom Hawaii via SATELLITE 1973 CDジャケット マイコレクションより)

だからそれ以来のファンだ、というわけではないが、少年時代のそんな思い出もエルヴィス好きになった背景があるかもしれない。

つい最近だが、こんな本が出版されていたことを知った。『エルヴィスの真実-ゴスペルを愛したプレスリー-』(ジョー・モスケイオ、いのちのことば社、2016)。原本は2007年の出版。 日本語版はキリスト教系の出版社。

著者は、バックコーラスを担当したゴスペルグループのジ・インペリアルズのメンバー。エルヴィスはコンサートが終わると友人たちを集めて、ひたすらゴスペルを歌いまくったという。著者もまたそんなエルヴィスの友人の一人でもあった。

「ゴスペルを愛してやまなかったエルヴィスの内奥を本当に理解しない限り、エルヴィスをありのまま愛することはできない・・・・。すべてはこの一事に尽きるのです」。これが著者による本書の結語だ。

そして帯には、「はじめて語られた「エルヴィスの真実」です。ゴスペルが彼の音楽の背骨であり、歌に込められた愛だったのです」(湯川れい子)とある。さすがに湯川れい子氏である。その通りだと実感する。エルヴィスのゴスペル・アルバム『心のふるさと』のライナーノーツを見たら、1973年の時点ですでに同様のことが記されている。

わたしはひそかに「歌う伝道師エルヴィス」なんてフレーズをつくったりもしている。もちろん、それはあくまでも比喩的表現だが、もともとはゴスペル歌手になりたかったというほど、エルヴィスはゴスペルと賛美歌に入れ込み、熱心な信仰をもっていたキリスト教徒であったことは、もっと広く知られるべきことだと思う。

(エルヴィスのゴスペル・アルバム マイコレクションより)

エルヴィス大好きだが、とりたててゴスペル好きではないし、キリスト教徒ではないわたしも、エルヴィスが歌うゴスペルCDは何枚ももっている。この本を読んで、エルヴィスの理解がさらにすこし進んだような気がする。

南部のバイブルベルトに生まれ育ち、黒人音楽と白人音楽を一身において融合したという、音楽の分野でエルヴィスがアメリカ文化でやり遂げたことの理解もまた。いまトランプ政権のもとで南部の白人至上主義者と反対派との衝突が激化しているが、エルヴィスが生きていたらどんなに悲しむことだろうか・・・。

そんなことをいろいろ考えさせてくれるのがエルヴィス生涯であり、そfれを伝えてくれたは著者のおかげである。翻訳だが文章はなめらかで読みやすい。ぜひおすすめしたい。






<関連サイト>

「没後40年」のエルビス・プレスリー、全英チャートで1位に(Forbes Japan、2017年8月16日)
・・「プレスリーは英国の音楽ファンたちに愛されており、いくつかのアルバムはアメリカよりも高いチャート順位を獲得していた。しかし、プレスリーがイギリスを訪れたのは1回のみで、飛行機の乗り換えでわずかな時間滞在しただけだった。」 日本も同様。





<ブログ内関連記事>

書評 『反知性主義-アメリカが生んだ「熱病」の正体-』(森本あんり、新潮選書、2015)-アメリカを健全たらしめている精神の根幹に「反・知性主義」がある
・・アメリカ的キリスト教を知るには格好のテキストでもある

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録

Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)
・・『風と共に去りぬ』の名セリフ

書評 『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)-アメリカの知られざる「政治思想家」たち
・・アメリカ南部は「コンサーバティブ・エリア」

映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ
・・シナトラだけでなく、エルヴィスも歌った「マイ・ウェイ」は、もともとフレンチポップスであった




(2017年5月18日発売の新著です)


(2012年7月3日発売の拙著です)







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2017年8月16日水曜日

「体育会出身」ですが、何か?(笑)-「知的体育会系」なら鬼に金棒ではないか!

(映画『フルメタルジャケット』よりキャプチャ 米海兵隊の「ブートキャンプ」の鬼教官)

ここのところまた、体育会出身者のことがメディアで話題になっているようだ。

人事部好む体育会学生の"クソ"と"買い" マツコ「元野球部社員の9割クソ」  という記事が「プレジデントオンライン」(2917年8月11日付け)に掲載されていた。

巨漢の女装タレント、マツコ・デラックスが、「(メディア業界に多い野球部出身者は)十中八九、クソ野郎」とテレビ番組で発言したのだという。

マツコ・デラックスの言っている話は確かにそうだ、と思う。

 「十中八九、クソ野郎」かどうかは別にして、「体育会出身」だけをウリにしていたのでは、そりゃあダメでしょう。

とはいえ、採用を担当する人事部の立場からみたら、体育会出身者には好印象感じるのは当然でしょうね。この記事でも指摘されているように、とくに団体競技であれば。

はい、このわたくしも「体育会出身」ですが、何か?(笑)

ただし、わたしの場合は団体競技ではない。

少年時代は野球をやっていたが団体競技が不得意でキライなわたしは、個人技の世界に自分を見いだした。武道系サークル出身です。体育会合気道部出身であります。

とはいえ、主将を仰せつかった1年間、人の上に立つということの厳しさ、難しさを実感。試行錯誤を経て「リーダーシップ」のなんたるかを体得。これは大きな収穫だったと思う。
  
その後、大学卒業後の社会人になってからのことだが、鬼才スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』(1987年)を見て、これは日本の体育会そのものではないか! 日本の体育会がやっていることと何がどう違うというのだ、と強く思った。(上掲の写真)。

映画は二部構成で、前半が新兵訓練、後半がベトナム戦争における実戦である。

海兵隊の新兵訓練である「ブートキャンプ」(boot camp)は、高校を卒業した18歳の新兵を海兵隊員(マリーン)にたたき直すための6週間の特訓プログラムである。幼虫(=高校生)から成虫(=一人前のマリーン)へのメタモルフォーシスであり、そのイニエーションである。

世の中はいかに理不尽なものか、そして理不尽な世界のなかで生き延びるために必要なことは何かを、カラダにたたき込むのである。まずは身体訓練から入り、ストレス耐性を高め、精神を鍛錬していく。そして最後には率先垂範のリーダーシップを身につける。身体、精神、頭脳の順番だ。

カラダで覚えなければ、即座に反応できないのだ。アタマで考えていては遅いのだ。考えているスキにやられてしまう。

6週間も続く過酷で厳しい訓練は、シゴキと言わば言え!ただし、やり過ぎは禁物だ。どこで寸止めするか、その加減が必要なことはいうまでもない。映画でも新兵の一人が精神に異常を来してしまう設定がある。

とはいえ、この訓練をやり抜いたという自信は、何物にも代えがたい一生ものの財産となる。そして、ともに乗り切った仲間との、同志としての連帯感。仲間を見捨てないという精神もまた。

さて大学時代の体育会合気道部の体験に戻るが、リーダーとしてのあり方とリーダーシップスキルは、実社会に出てから大いに役に立った。つまらない勉強よりはるかに役に立ったし、自信をつけることにつながった

日本を代表する独創的な経営学者・野中郁次郎先生は、「知的体育会系」というコンセプトを打ち出していることを付け加えておこう。その心は「知的」でかつ「体育会系」の行動力が不可欠というものだ。

そのコンセプトを知って以来、わたしは自分のことを勝手に「知的体育会系」と自称しております(笑)







<関連サイト>

Full Metal Jacket Opening Scene - YouTube
・・映画『フルメタル・ジャケット』の訓練シーン。この教官は元海兵隊教官。迫力が違う

アメリカ海兵隊ブートキャンプ(新兵訓練)・恐怖の初日 - US Marines Boot Camp, First Day of Horror (YouTube)
・・現在でも海兵隊の新兵訓練は過酷で厳しい


変化が激しい時代には「実践知」リーダーが求められる【後編】――動きながら考える「知的体育会系」を目指せ(日経ビジネス、2014年2月24日)
・・野中郁次郎教授へのインタビュー記事

野中郁次郎氏が語る、未来を経営する作法-美徳のイノベーション- VISIONARY INSTITUTE - 2010 Seminar 第7章 これからのリーダーは「知的体育会系」を目指せ(アカデミーヒルズ、2010年10月5日) 

本田宗一郎 万事に “真剣な” 知的体育会系リーダー (野中郁次郎、ダイヤモンド・クオータリー、 2016年12月16日)

JBPress連載第4回目のタイトルは、 「トランプ陣営「2人の将軍」の知られざる共通点-マティス国防長官の座右の書は古代ローマの古典」(2017年7月18日)
・・米国のマティス国務長官は米海兵隊退役大将。一般大学を卒業して海兵隊に入隊したマリーン。かつ博覧強記の読書家。まさに「知的体育会系」を体現したような人だ








<ブログ内関連記事>

一橋大学合気道部創部50周年記念式典が開催(如水会館 2013年2月2日)-まさに 「創業は易し 守成は難し」の50年

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである

『武道修行の道-武道教育と上達・指導の理論-』(南郷継正、三一新書、1980)は繰り返し読み込んだ本-自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はない




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2017年8月15日火曜日

JBPress連載第6回目のタイトルは、「独立から70年!いよいよ始まるインドの時代-舞台はインド、日英米はさらに密接な関係に」(2017年8月15日)


JBPressの連載コラムの最新コラムが本日公開です。連載開始から6回目となります。

タイトルは、独立から70年!いよいよ始まるインドの時代-舞台はインド、日英米はさらに密接な関係に                 
⇒ ここをクリック http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50760

本日8月15日は、「インド独立」から70年の節目です。

冒頭の文章を紹介しておきましょう。

本日8月15日は「終戦記念日」72年目になる。日本人にとってはきわめて重要な1日だ。「終戦の詔勅」が出された日であり、「玉音放送」をめぐる政府中枢の緊迫した24時間を描いた映画のタイトルにもなった「日本のいちばん長い日」である。
だが、目を国外に向けてみれば異なる意味合いがあることに気づく。(・・中略・・) 
「植民地からの独立」ということで言えば、奇しくも日本の「敗戦」からちょうど2年後の1947年8月15日、インドが英国から独立した。今年2017年はインド独立から70年目の節目となる。インドは、英国支配の182年の歴史から脱したのである。

本文では、インドと英国の関係について、英国がインドに残した「遺産」について書いてます。それがいったい何を意味するのか? そして日本との関係は? 

みなさんにとって、日本の将来を考える材料となれば幸いです。ぜひご一読ください。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50760


次回のコラムは、8月29日公開予定です。お楽しみに。








<ブログ内関連記事>

■インド独立の影に

ボリウッド映画 『ミルカ』(インド、2013年)を見てきた-独立後のインド現代史を体現する実在のトップアスリートを主人公にした喜怒哀楽てんこ盛りの感動大作 ・・新生インド陸軍の兵士となってから陸上競技に開眼したミルカ。シク教徒は、インドとパキスタンがブリンする形で「独立」した際、居住地域のラージャスターン地方が中間地帯で会ったため、虐殺と難民化という悲劇に見舞われる


■ヒンドゥー・ナショナリズム関連

「ナレンドラ・モディ インド首相講演会」(2014年9月2日)に参加してきた-「メイク・イン・インディア」がキーワード
・・2014年の政権交代の結果、返り咲いたBJP(=インド人民党)の党首モディ

書評 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ、2002)-フィールドワークによる現代インドの「草の根ナショナリズム」調査の記録
・・インドの宗教問題を複雑化させているヒンドゥー至上主義者とその政党であるBJPについて。『軍事大国化するインド』(2010年)の出版後、ふたたびBJPが政権に復帰した。ナショナリズムが軍事大国に拍車をかけるか?

書評 『インド日記-牛とコンピュータの国から-』(小熊英二、新曜社、2000)-ディテールにこだわった濃厚な2ヶ月間のドキュメントで展開される日印比較による「近代化論」と「ナショナリズム論」


■インド関連

書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・インドの地政学的位置と文明を、東洋と西洋の中間にある「中洋」と命名した梅棹忠夫

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)-インド人科学者はなぜ優秀なのか?-歴史的経緯とその理由をさぐる ・・核ミサイル設計能力を自力で有する科学大国インド

書評 『軍事大国化するインド』(西原正・堀本武功=編、亜紀書房、2010)-「軍事大国化」への道を進む巨象インドの実態を知ることのできるバランスのとれた入門書

ボリウッド映画 『ロボット』(2010年、インド)の 3時間完全版を見てきた-ハリウッド映画がバカバカしく見えてくる桁外れの快作だ!


■大英帝国時代のインド

日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた


■インドと英国

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?

ボリウッドのクリケット映画 Dil Bole Hadippa ! (2009年、インド)-クリケットを知らずして英国も英連邦も理解できない!




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