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2017年8月22日火曜日

書評 『崩壊 朝日新聞』(長谷川 熙、WAC、2015)-徹底した取材によって「悪しき企業風土」がはびこる報道機関の謎を探った歴史ノンフィクション


『崩壊 朝日新聞』(長谷川 熙、WAC、2015)を読んだ。このタイトルでこの出版社だと内容はだいたい推測できると思うが、じつは著者は朝日新聞の「中の人」であった

長谷川氏は、1933年生まれの「老ジャーナリスト」と帯のウラにある。定年まで朝日新聞の記者で、その後『AERA』を経て現在フリーの記者。この本を書くために『AERA』を辞めたのだという。

だいぶ以前だが、『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(朝日新書、2009)という本を読んで、アメリカの責任を問うだけでなく、返す刀で日本政府も批判する硬派な姿勢に感心したこともあり、長谷川熙(はせがわ・ひろし)という著者の名前がアタマのなかに刻まれたのである。

「慰安婦問題」がいっこうに解消しない。政府間で解決したはずの問題が、ふたたび韓国政府によって蒸し返されている。こんな状況を前にしたら、ハードコアの「嫌韓派」ではなくてもウンザリしてしまうだろう。

そもそもその原因をつくりだしたのが朝日新聞の「虚報」であることは、いまや周知のことだろう。当の朝日新聞も「虚偽報道」であったことは2014年に認めたが、著者はその件にかんする「特集」が掲載された2014年8月5日をもって朝日新聞は崩壊した、新聞としての実質は最終的に終わったと断言する。

「虚報」を掲載し、長年にわたって「虚偽」を否定せず、歴史を「捏造」してきた朝日新聞社の体質がいかに形成されてきたのか、その原因を取材する著者は、「中の人」であった強みを活かして本書を書き上げた。外からする批判のための批判ではない

企業風土や企業体質は一朝一夕にできあがらない。それは良い企業風土であっても、悪しき企業風土であっても同じことだ。歴史的な蓄積が企業風土に反映する。人間は習慣の奴隷であり、人間が構成する組織もまた無意識のうちに習慣の奴隷となる。だからこそ、企業風土を変えるのはきわめてむずかしい。

朝日新聞社の場合も、「戦後」になってから共産主義シンパが経営者として牛耳ってきただけでなく、「戦前・戦中」の「ゾルゲ事件」でソ連のスパイとして逮捕・処刑された尾崎秀実(おざき・ほつみ)に連なるものであることを追求している。コミンテルンの関与である。一級の知識人であった尾崎秀実は元朝日新聞記者であった。

 「現在」を知るためには「過去」にさかのぼって検証しなくてはならない。本書の後半は、ほとんど歴史ノンフィクションのような趣(おもむき)をもっている。日本近現代史ものを読んでいるような感想をもちながら読み込んでしまう。それは、植民地支配や戦争をつうじたアジアとのかかわりでもある。

 「目次」の文言をみれば、どんな本であるか理解できると思う。わたしにとっては、第2部の第2章がとくに興味深いものであった。『毛沢東 日本軍と共謀した男』(遠藤誉、新潮新書、2015)と響き合うものがある。中国国民党を叩くことは中国共産党の利益となり、ひいてはコミンテルンを指導したソ連の利益になるという構図が重なり合う。

第1部 過去を「悪」と見る条件反射
 第1章 吉田清治を称えた論説委員
 第2章 マレー半島「虐殺報道」の虚実
 第3章 松井やよりの錯誤
第2部 視野が狭くなる伝統
 第1章 朝日にたなびくマルクス主義
 第2章 尾崎秀実の支那撃滅論の目的
第3部 方向感覚喪失の百年
 第1章 歴史を読み誤り続けて
 第2章 一閃の光、そして闇

もちろん、朝日新聞にもまともな記者はいる。それは過去においても現在においても同様だろう。だが、悪しき企業体質をもつ組織のなかで正気を保つのは容易なことではない。会社勤めをして組織の「中の人」になった経験をもっている人なら、感覚的に理解できるはずだ。

おそらく、大半の社員は易きに流され、悪しい企業体質に染まってまうのではないか。組織は「世間」であり、そこには「空気」が醸成される。空気に染まること、それはいわゆる「事なかれ主義」である。さらには、そのことに自覚症状もなくなっていく。「大企業病」である。

本書からむりに教訓を見いだすことは必要ないが、朝日新聞社の百年に蓄積された病巣を振り返ることは、悪しき企業体質がいかに形成されていくかについてのケーススタディーとして読むことも可能だろう。朝日新聞のケースは、報道機関であるだけに、よけい罪が重いということは明記しておかねばならない。

朝日新聞社にかんしては、批判のための批判ではなく「他山の石」としなくてはならない。かつて一度たりとも朝日新聞を購読したことのないわたしは、そう思うのである。





著者プロフィール   

長谷川煕(はせがわ・ひろし)

ジャーナリスト。1933年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学専攻卒。1961年に朝日新聞社入社。88年初めまで経済部など新聞の部門で取材、執筆し、次いで、創刊の週刊誌『AERA』に異動。93年に定年退社したが、その後もフリーの社外筆者などとして『AERA』で取材、執筆を2014年8月まで続ける。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない


■報道機関の宿痾

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!
・・「新聞社であれ、テレビ局であれ、個々の記者たちに問題意識がないというわけではない。「個」としての記者には良心もあれば、気概もあるはずだ。だが、日本人は見えない「世間」という縛りのなかで生きているので、ついつい組織の意向に同調していまいがちだ。著者の牧野氏もまた、日本経済新聞社のなかにいるときは、言いたいことがいえない、書いた記事がそのまま掲載されないという悔しさを感じ続けていたようだ。「世間」が支配する日本においては、新聞記者は組織の外に出ない限り、存分に活動することはできないのである。一人でも多くの新聞社社員が「脱藩」して、本来の意味のジャーナリストになってほしいものだ。」  この本の著者の牧野氏は日本経済新聞の記者であった

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・新聞社という企業組織もまた「世間」であり、充満する「空気」に抗うことはむずかしい

『報道災害【原発編】-事実を伝えないメディアの大罪-』 (上杉 隆/ 烏賀陽弘道、幻冬舎新書、2011)-「メディア幻想」は一日も早く捨てることだ!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)-「無極性時代のパワー」であるウィキリークスと創始者アサンジは「時代の申し子」だ


■「戦後」の日本に蔓延したマルクス主義という害悪

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・ソ連が崩壊するまで、いや崩壊してもなお現実を見ようとしないマルクス主義者が日本の大学には亡霊のように徘徊して害毒をまき散らしている

書評 『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)-左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!


日本近現代史とアジア

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた

書評 『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)-日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖

書評 『悪韓論』(室谷克実、新潮新書、2013)-この本を読んでから韓国について語るべし!

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける





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2017年8月21日月曜日

『ぼくたちのアニメ史』(辻真先、岩波ジュニア新書、2008)でTVアニメ草創期からのアニメ史を知る


1960年代から1970年代前半にかけてのTVアニメについて知りたいと思うのだが、これといった手頃な本がない。

なぜ知りたいかというと、物心ついてからの「テレビっ子世代」のわたしは、TVアニメ(・・当時は「テレビまんが」といっていた)の世界にどっぷり浸かっていたから。白黒テレビの時代からである。

YouTubeのおかげで、当時のTVアニメ作品の主題歌、いわゆるアニソンが「OP」(=オープニング)もED(=エンディング)もともに、簡単に無料で視聴できるようになったのはありがたいのだが、クレジット情報以外を知るのが難しく、体系的に整理するのが困難なのだ。

なんか手頃で参考になる本がないか探してみたところ、『ぼくたちのアニメ史』(辻真先、岩波ジュニア新書、2008)があることを知り読んでみた。

この本は面白い。ひじょうに面白い。草創期のアニメ製作に脚本家として多くの作品にかかわってきたのが辻真先氏だからだ。

現在では作家としてのほうが有名だが、草創期のアニメ作品には、「脚本:辻真先」というクレジットを目にすることが多いので「語り部」としては最適だろう。

脚本家としての立ち位置と距離感もいい。「ぼくたちの・・」というタイトルには、読者だけでなく著者も含まれている。

TVアニメに触れずしてアニメを語るべきではないという姿勢には大いに共感する。なぜなら、わたし自身が、TVアニメで自己形成(?)した初期世代に属しているから。人生で重要なことはTVアニメで学んだから。

といっても、わたしはアニメは好きだが、いわゆるオタクではない。オタクではなくても、アニメは自己形成において大きな意味をもつのである。




目 次
  
はじめにお断りします
1 くも も人形も CMも アニメなのだ
2 十万馬力のショックが電波を走る
3 豪快か蛮勇か東京ムービーがゆく
4 企業としての東映のレパートリー
5 三つのブームがアニメを導く先は
6 エイケン・シンエイ・竜の子たち
7 宮崎トトロと大友アキラの進む道
8 テレビアニメ制作プロを薮にらみ
おわりに付け足します


著者プロフィール  

辻真先(つじ・まさき)
1932年愛知県生まれ。名古屋大学文学部卒業。NHKで番組制作・演出にたずさわった後に独立、アニメ脚本家として活躍。『鉄腕アトム』『デビルマン』をはじめ、数多くのアニメ作品の脚本を執筆し、日本アニメを黎明期から支えてきた。また推理冒険作家、旅行評論家、エッセイストとしても数々の作品を発表している。主な著作に『アリスの国の殺人』。(日本推理作家協会賞受賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

アニメ映画 『君の名は。』(2016年、日本)を見てきた(2016年12月9日)-ラストシーンを見たら、またもう一度最初から見たくなる。そしてこの作品について語りたくなる
・・新海誠監督については、辻真先氏も「おわりに付け足します」で触れている

アニメ映画 『この世界の片隅で』(2016年、日本)を見てきた(2016年12月14日)-ごく普通の一女性の目を通して見た、そして語られた「戦前・戦中・戦後」

『新世紀 エヴァンゲリオン Neon Genesis Evangelion』 を14年目にして、はじめて26話すべて通しで視聴した

遅ればせながらアニメ 『進撃の巨人』を第10話からローカル局の東京MXで見始めた-戦わなければ生き残れない!

NHKのアニメ 『もしドラ』 最終回(5月6日)後に全10回のおさらい-ミッションの重要性と「顧客」は誰か?

書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)-中国に関する固定観念を一変させる可能性のある本




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2017年8月20日日曜日

『ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで』(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)にいってきた(2017年8月16日)-ベルギー美術の500年を通観し知的好奇心を刺激する美術展



美術展 『ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで』にいってきた(2017年8月4日)。東京・渋谷の Bunkamura にて。

Bunkamura の美術館はテーマ性の強い美術展をよく開催しているが、今回の美術展はベルギーにおいては現代にまで続く「奇想」の系譜を16世紀のヒエロニムス・ボスからたどってみるという、知的好奇心を大いに刺激してくれる内容だ。

大学時代に河村錠一郎教授の「美術史」の授業を受講して以来、ヒエロニムス・ボスも、ベルギー象徴派も大好きなわたしにとって、これは絶対にいかなくてはならない美術展なのだ。

まずは、美術展の主催者によるイントロダクションをそのまま引用させていただくこととしよう。短い文章に凝縮された内容の解説は、そのままベルギー美術史入門になっている。

500年の美術の旅-古今のスター作家が勢揃い現在のベルギーとその周辺地域では、中世末期からの写実主義の伝統の上に、空想でしかありえない事物を視覚化した絵画が発展しました。しかし18世紀、自然科学の発達と啓蒙思想がヨーロッパを席巻するなか、不可解なものは解明されてゆき、心の闇に光が当てられるようになります。
かつての幻想美術の伝統が引き継がれるのは、産業革命後の19世紀、人間疎外、逃避願望を背景とした象徴主義においてでした。画家たちは夢や無意識の世界にも価値を見出し、今日もこの地域の芸術に強い個性と独自性を与えつづけています。
本展では、この地域において幻想的な世界を作り出した一連の流れを、ボス派やブリューゲルなどの15・16世紀のフランドル絵画に始まり、象徴派のクノップフ、アンソール、シュルレアリストのマグリット、デルヴォー、そして現代のヤン・ファーブルまで、総勢30名の作家によるおよそ500年にわたる「奇想」ともいえる系譜を、約120点の国内外の優れたコレクションでたどります。

3つのパートにわかれた構成になっている。


Ⅰ. 15~17世紀のフランドル美術Ⅱ. 19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派、表現主義Ⅲ. 20世紀のシュルレアリスムから現代まで


ⅡとⅢは連続しているが、ⅠとⅡのあいだはすこし時間があいているのは、上記の解説文のとおりだ。「奇想」は19世紀以降、ふたたび蘇ったのである。

以下、つれづれに感想を記しておく。あくまでも独断と偏見に満ちた個人的な感想だ。

(上掲の「トゥヌグダルスの幻視」の図解 作品リストより)


「聖アントニウスの誘惑」というテーマ

「聖アントニウスの誘惑」というモチーフが、何度もでてくるが、よほどフランドルでは気に入られたテーマのようだ。

奇妙キテレツな怪物たちが、瞑想修行をする隠修士の聖アントニウスに次から次へと襲いかかってくるというモチーフだ。聖アントニウスは、紀元3世紀から4世紀にかけての人物。エジプトに生まれ、砂漠で修道生活を送った修道士の元祖的存在。

瞑想しているとさまざまな妄念になやされるが、その妄念が実体化すると怪物となる。怪物たちを写実的に描写したのはヒエロニムス・ボス以来のものもである。
  
現代人からみれば、むしろ「かわいい」(?)という感じさえしなくもないのだが、16世紀当時の人びとはどう感じたのだろうか? もはや中世人のようなとらえ方ではないだろう。

フランスの文豪フローベールに『聖アントワーヌの誘惑』という作品がある。19世紀にこのモチーフが蘇ったのはそういう背景もあるのだろか。ちなみに、おなじくフローベールの『三つの話』(トロワ・コント)の一篇は「サロメ」である。こちらはオスカー・ワイルドとビアズリーに影響している。さらには映画『愛の嵐』(ナイト・ポーター)にもサロメが所望した生首のモチーフが登場する。

ヒエロニムス・ボスの作品はあらためてよく眺めてみると、シンガポールのハウパー・ヴィラ(=タイガーバーム・ガーデン)を想起させるものがある。その心は何かというと、怪物たちがみなキッチュだということだ。

ハウパーヴィラに展開された想像力は、前近代の世界が近代と接触した際に生まれたものだ。21世紀の現在からみると、レトロキッチュ(?)ともいうべきか。

16世紀の西欧人と、20世紀の華人の想像力の奇妙な近似性を感じてしまうのはわたしだけだろうか。


■隣接するプロテスタント国オランダとの違い

フランドル地方はフラマン語地帯で、フラマン語は言語的にはオランダ語に近い。

だが、宗教改革後にプロテスタント圏となった低地のネーデルラント(=オランダ王国)に対して、フランドル地方はカトリック圏にとどまった。オランドとフランドルとの違いは、プロテスタントとカトリックの違いでもある。

装飾を徹底的に排除した簡素をたっとぶプロテスタントに対して、過剰なまでの装飾を強調したカトリック圏のバロック美術。後者に、「奇想」の系譜が温存されたのは、ある意味では当然かもしれない。

今回の美術展にはバロック画家のルーベンスの作品も展示されており、「奇想」がカトリック圏ならではのものであることもわかる。生活世界を描いたフェルメール作品を生み出したオランダには、イマジネーションを刺激する「奇想」は発生する余地がないのかもしれない。

現在のベルギーは、フラマン系とフランス系という異なる二民族が人工的に結合して誕生した王国だ。1830年のことである。おなじカトリック圏ということで合体したのだが、現在に至るまで人工国家とての性格は消えてなくならない。ゲルマン系のフラマン語とラテン系のフランス語の違いは、言語だけでなく文化にも及ぶ。

21世紀にはテロの温床にもなっているベルギーは、政治的には不安定だが、文化面では先進的である。二つの異なる文化圏が隣り合わせに存在するベルギーは、異種混合のメリットもあるのだろうか。


「ベルギー象徴派」とシュールレアリスム

ベルギー象徴派は、英国のラファエル前派とならんで、わたしのお気に入りである。じっさい前者は後者の影響を受けているようだ。

今回も、ベルギー象徴派を代表するロップス、クノップフ、デルヴィルの作品が数点づつ展示されているのはうれしいことだ。いずれも「世紀末」にふさわしい作品の数々である。

ベルギーのシュールレアリスムには、デルヴォーやマグリットがある。デルヴォーは古典的な静謐な背景に裸女と骸骨といったイメージの作風、マグリットはコラージュ風の作品で有名である。

今回の美術展には、マグリットの代表作である「大家族」が展示されているのはうれしい。海辺で大きな鳩の画像が描かれている作品だ。


■「奇想の系譜」の楽しみ方

「奇想」と「幻想」は、厳密にいえば異なるカテゴリーなのだが、この両者はときに交錯しあい、不思議な雰囲気を生み出している。

「奇想」はどちらかというとアタマの産物でありアタマで楽しむ要素が強い。「幻想」は基本的にココロに訴求する要素が強い。

だが、「奇想」と「幻想」はかならずしも厳密に区分できるものでもない。アタマから生まれた産物をココロで楽しむ、そん雰囲気に浸る。そういう楽しみ方であって、なんら問題はないだろう。

「奇想の系譜」は美術史のテーマであるように見えながら、そう堅苦しい思いをする必要はない。要は、自分の好みの作品を見つけて、ひそかに悦に入れば、それでいい








<ブログ内関連記事>

■「奇想の系譜」と「幻想絵画」

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する

「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!

「幻想耽美-現在進行形のジャパニーズエロチシズム-」(Bunkamura ギャラリー)に行ってきた(2015年6月18日)-現代日本の耽美派アーティストたちの作品を楽しむ

米倉斉加年画伯の死を悼む-角川文庫から1980年代に出版された夢野久作作品群の装画コレクションより


■「美食大国」としてのベルギー

『ベルギービール大全』(三輪一記 / 石黒謙吾、アートン、2006) を眺めて知る、ベルギービールの多様で豊穣な世界

書評 『ターゲット-ゴディバはなぜ売上2倍を5年間で達成したのか?-』(ジェローム・シュシャン、高橋書店、2016)-日本との出会い、弓道からの学びをビジネスに活かしてきたフランス人社長が語る




■華人世界の「奇想の系譜」

書評 『HELL <地獄の歩き方> タイランド編』 (都築響一、洋泉社、2010)-極彩色によるタイの「地獄庭園」めぐり写真集

華人世界シンガポールの「ハウ・パー・ヴィラ」にも登場する孫悟空-2016年の干支はサル ③

(ハウパーヴィラにはこんなモチーフの展示物が多数 筆者撮影)



ベルギーとは異なる道を歩んだオランダ

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった

上野公園でフェルメールの「はしご」-東京都立美術館と国立西洋美術館で開催中の美術展の目玉は「真珠の●飾りの少女」二点

「ルーヴル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄-」(国立新美術館)に行ってきた(2015年5月6日)-展示の目玉はフェルメールの「天文学者」





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2017年8月19日土曜日

ウジ虫は弱虫ではない!-スズメバチでさえ駆除できる殺虫剤が、なんとコバエのウジ虫にはまったく効かないのだ

      
(閲覧注意!) ウジ虫の画像があるので、気持ち悪くなるかもしれません。いやな人はこの先には進まないでください!



大型のスズメバチの成虫には効果があっても大きさわずか2~3mmのコバエのウジ虫には殺虫剤が効かない!?

まずは、今週はじめの「事件」について書いておこう。

ダイニングのイスにこしかけてリラックスしていると、手がなんだかむずかゆい。目をやると、小さな幼虫が腕をはっているではないか!?

まずはその幼虫をはらいのけたが、周りをみまわすと生ゴミを捨てたゴミ箱の周りをウジ虫が大量に這い回っていることに気がついた。

すわ一大事!とばかりに家庭用の殺虫剤をもちだして噴霧してみた。

しかし、噴霧すれども噴霧すれども、コバエのウジ虫はまったくたばらない。

殺虫剤を噴霧しつづけて床がべとべとになっても、噴霧して気体から再び液体になった殺虫剤の海のなかを、コバエのウジ虫は何もなかったかのように平然と這い回っているのだ!

これは驚愕の事実である。

困惑してしまうが、目の前に展開する「現実」から目をそらすわけにはいかない。とにかくコバエのウジ虫には、殺虫剤がまったく効いていないことは否定できない「事実」なのだ。

仕方なく、ティッシュペーパーでコバエのウジ虫をつぶしながら床を拭き取るしかなかった。

それでも次か次へとわき出るかのように現れてくるコバエのウジ虫。

なんと、ゴミ箱のなかから這い出してきているのだ。どうやら生ゴミにタマゴをうみつけられていたようだ。コバエのような小型の昆虫は、タマゴから羽化して成虫になるまでのサイクルはきわめて短いはずだ。やられたなあ。

その数日前に、ゴミ箱のなかにワサビ成分のコバエ退治の薬品を設置したばかりだったのだ。だが、その前にタマゴを産み付けられていたのだろう。コバエの成虫は退治できても、タマゴから孵化した幼虫には、コバエ退治の薬品はまったく効果を発揮していなかったのだ。

コバエのウジ虫退治が一通り完了したあと、気になったのでネット検索してみた。「コバエのウジ虫には殺虫剤は効かない」というフレーズで検索したら、その疑問に答えてくれる記事がたくさん出てきた。いちばん情報量が多かったのは「蛆の駆除方法」という記事だ。

そうか、やはり、コバエのウジ虫には殺虫剤は効かないのだな、と確認。と同時に、自分的にはこれは大きな発見であった。

考えてみれば、殺虫剤は成虫の中枢神経を直撃するから効果はてきめんなのだ。

大型でパワフルなスズメバチでさえ殺虫剤で退治できるのに、コバエのウジ虫が殺虫剤で退治できないのは、ある意味では当然と言えば当然なのかもしれないな、と。

こんどコバエのウジ虫が発生したら、塩をまいてみたいと思う。ナメクジのように塩に水分を吸い上げられて縮んで死んでいくものかどうか見極めたい。

だが、対処療法には限界がある。元を絶たなくてはダメだ。根本原因はコバエが生ゴミにタマゴをうみつけることにある。

コバエの侵入を防ぐことは不可能なので、タマゴを産み付けるスキを与えないように生ゴミの管理を厳重にするしかない。



■コバエのウジ虫を撮影してみる

コバエのウジ虫は、全長2~3mm程度。見た目は寄生虫のギョウ虫のようだが、ギョウ虫よりは短い。

駆除に追われていたので、写真を撮る心の余裕がなかったことに気がついたので、這い回るウジ虫を撮影することにした。

(ゴミ箱の上を這うコバエのウジ虫 実際の大きさは2~3mm 筆者撮影)


なんせコバエのウジ虫だけに小さくて、しかも動いているので、接写もうまくいかない。こんなものしか撮影できなかった(上の画像を参照)。

高校一年生の生物の授業で、試験管のなかでショウジョウバエを孵化させる実験をしたことがあるが、あまり気持ちのいいものではなかったな、と思い出す。



ウジ虫にかかわる個人的エピソード

釣りをやる人なら知っていると思うが、釣り餌の「さし」は、じつはハエの幼虫、すなわちウジ虫である。

小学校低学年の頃、三鷹市に住んでおり、その時の同級生のあいだで神田川の上流まで自転車でいって釣りをやることが流行っていた。自分もまたその一人として頻繁に釣りに行っていた。

神田川の源流は井の頭公園の池。大雨の翌日など、池からあふれ出た鯉などが神田川にいたが、釣れるのはもっぱらクチボソが中心で、たいていはダボハゼばっかりだった。

釣り餌は吉祥寺駅の南口方面に釣具屋があり、そこで餌も売っていた。ちいさなビニール袋の小分けして打っている「さし」は、自分がもっているアルミ製の餌箱にいれて持ち歩いていた。

「さし」は芋虫の小さな感じの幼虫で、先端から釣り針をさして、釣り針のカーブにそって最後まで刺し通す。そのときは、「さし」が何の幼虫なのか考えたことはなかった。

(シリアカニクバエ幼虫  wikipediaより)


買った「さし」は一度に全部使い切れるとは限らない。余った「さし」を冷蔵庫のなかに入れておいたら、しばらくして開けたら茶色のサナギになっていた。

危ないところだったのだ。ハエの成虫になるところだったのだ。

冷蔵庫のなかで羽化して脱皮できたかどうかは、わからないが・・・・



■ウジ虫は弱虫なんかではない!

「ののしり言葉」としての「ウジ虫」がある。

「ウジ虫みたいなヤツ」だというののしり表現は、現在でもひんぱんに使われているのかどうかわからないが、すくなくともわたしの少年時代にはよく聞かれたものだ。

いまではもう死語だが「×××のように腐ったヤツ」と、双璧をなしていたといえようか。この表現は21世紀の現在、まったく意味をなさない日本語表現となっている。

「うじうじする」という擬態語の表現があるが、この「うじうじ」がウジ虫から来ているのかどうかはわからない。だが語感からいって、弱虫に近いニュアンスがあるような気がする。

新兵のことを "maggot" とののしるシーンが、ベトナム戦争時代の米海兵隊を描いた『フルメタル・ジャケット』ででてくる。「新兵訓練」の「ブートキャンプ」でのシーンだ。

マゴット(maggot)はウジ虫のことだ。日本語とおなじ意味で使用される。たしかに、堅いカラで覆われた甲虫(=インセクト)とは違って、人の手でつぶすことも可能な幼虫(=ワーム)は、人間の立場からすれば弱虫であるとしてもおかしくない。

ところが、じっさいの「ウジ虫」は「弱虫」なんかではないのだ! これは私が悪戦苦闘したコバエのウジ虫退治でも明らかなとおりである。

これも小学生の頃だが、はじめて自分の小遣いで買った本が「太平洋戦争」ものであったが、そのなかにあった「インパール作戦」の敗走シーンがアタマから離れないのだ。

行き倒れ手動かなくなった兵士にたかるハエ。まだ生きているのにウジ虫がわいている敗残兵。カラダのなかでも、とくにやわらない目などを食い尽くすウジ虫目から這い出してくるウジ虫の群れ。そんなシーンが克明に記述されていた。まさにリアリズムである。

残酷だ。じつに残酷だ。しかし、同時にウジ虫の強靱さに思い至るのである。肉体を食い破る強靱なアゴをもち、貪欲に食べ尽くすウジ虫。強い、あまりにも強いのである。

だから、たとえコバエのウジ虫とはいっても、あなどってはいけないのである。

スズメバチの成虫でさえ勝てない殺虫剤にもビクともしないのが、コバエのウジ虫なのであるから。








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なぜスズメバチが何度も何度も部屋に侵入してくるのだ!?-8月8日(ハチ・ハチ)に思うこと
・・スズメバチが室内に侵入してきたら、とにかく殺虫剤を噴霧すべし!

猛暑の夏の自然観察 (1) セミの生態 (2010年8月の記録)
・・幼虫からさなぎ、そして成虫へのメタモルフォーシス(=変態)

「体育会出身」ですが、何か?(笑)-「知的体育会系」なら鬼に金棒ではないか!
・・映画『フルメタル・ジャケット』は日本の体育会そのもの




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2017年8月18日金曜日

追悼 エルヴィス逝って40年(2017年8月16日)-「ゴスペルを愛してやまなかったエルヴィスの内奥を本当に理解しない限り、エルヴィスをありのまま愛することはできない・・・・」


1977年8月16日に42歳(!)で亡くなったエルヴィス・プレスリー。本日8月18日には葬儀が行われた。 早いものでもう40年!

生きていれば82歳(!)ということになる。どうも想像しにくいことだ。だが、エルヴィスが生まれたのは1935年、日本の年号でいえばなんと昭和10年だ。自分の父親の世代なんだなあ。若くして亡くなった人は、そのイメージのまま永遠に生き続ける。

ハワイから「衛星生中継」(!)で全世界に中継されたエルヴィスの公演は、小学校の頃、リアルタイムでTVで見ている世代。同じクラスの生徒もほとんどが見ていたほど、当時は大人のあいだで話題になったようだ。1973年のことである。

(ELVIS Aloha rom Hawaii via SATELLITE 1973 CDジャケット マイコレクションより)

だからそれ以来のファンだ、というわけではないが、少年時代のそんな思い出もエルヴィス好きになった背景があるかもしれない。

つい最近だが、こんな本が出版されていたことを知った。『エルヴィスの真実-ゴスペルを愛したプレスリー-』(ジョー・モスケイオ、いのちのことば社、2016)。原本は2007年の出版。 日本語版はキリスト教系の出版社。

著者は、バックコーラスを担当したゴスペルグループのジ・インペリアルズのメンバー。エルヴィスはコンサートが終わると友人たちを集めて、ひたすらゴスペルを歌いまくったという。著者もまたそんなエルヴィスの友人の一人でもあった。

「ゴスペルを愛してやまなかったエルヴィスの内奥を本当に理解しない限り、エルヴィスをありのまま愛することはできない・・・・。すべてはこの一事に尽きるのです」。これが著者による本書の結語だ。

そして帯には、「はじめて語られた「エルヴィスの真実」です。ゴスペルが彼の音楽の背骨であり、歌に込められた愛だったのです」(湯川れい子)とある。さすがに湯川れい子氏である。その通りだと実感する。エルヴィスのゴスペル・アルバム『心のふるさと』のライナーノーツを見たら、1973年の時点ですでに同様のことが記されている。

わたしはひそかに「歌う伝道師エルヴィス」なんてフレーズをつくったりもしている。もちろん、それはあくまでも比喩的表現だが、もともとはゴスペル歌手になりたかったというほど、エルヴィスはゴスペルと賛美歌に入れ込み、熱心な信仰をもっていたキリスト教徒であったことは、もっと広く知られるべきことだと思う。

(エルヴィスのゴスペル・アルバム マイコレクションより)

エルヴィス大好きだが、とりたててゴスペル好きではないし、キリスト教徒ではないわたしも、エルヴィスが歌うゴスペルCDは何枚ももっている。この本を読んで、エルヴィスの理解がさらにすこし進んだような気がする。

南部のバイブルベルトに生まれ育ち、黒人音楽と白人音楽を一身において融合したという、音楽の分野でエルヴィスがアメリカ文化でやり遂げたことの理解もまた。いまトランプ政権のもとで南部の白人至上主義者と反対派との衝突が激化しているが、エルヴィスが生きていたらどんなに悲しむことだろうか・・・。

そんなことをいろいろ考えさせてくれるのがエルヴィス生涯であり、そfれを伝えてくれたは著者のおかげである。翻訳だが文章はなめらかで読みやすい。ぜひおすすめしたい。






<関連サイト>

「没後40年」のエルビス・プレスリー、全英チャートで1位に(Forbes Japan、2017年8月16日)
・・「プレスリーは英国の音楽ファンたちに愛されており、いくつかのアルバムはアメリカよりも高いチャート順位を獲得していた。しかし、プレスリーがイギリスを訪れたのは1回のみで、飛行機の乗り換えでわずかな時間滞在しただけだった。」 日本も同様。





<ブログ内関連記事>

書評 『反知性主義-アメリカが生んだ「熱病」の正体-』(森本あんり、新潮選書、2015)-アメリカを健全たらしめている精神の根幹に「反・知性主義」がある
・・アメリカ的キリスト教を知るには格好のテキストでもある

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録

Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)
・・『風と共に去りぬ』の名セリフ

書評 『追跡・アメリカの思想家たち』(会田弘継、新潮選書、2008)-アメリカの知られざる「政治思想家」たち
・・アメリカ南部は「コンサーバティブ・エリア」

映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ
・・シナトラだけでなく、エルヴィスも歌った「マイ・ウェイ」は、もともとフレンチポップスであった




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2017年8月16日水曜日

「体育会出身」ですが、何か?(笑)-「知的体育会系」なら鬼に金棒ではないか!

(映画『フルメタルジャケット』よりキャプチャ 米海兵隊の「ブートキャンプ」の鬼教官)

ここのところまた、体育会出身者のことがメディアで話題になっているようだ。

人事部好む体育会学生の"クソ"と"買い" マツコ「元野球部社員の9割クソ」  という記事が「プレジデントオンライン」(2917年8月11日付け)に掲載されていた。

巨漢の女装タレント、マツコ・デラックスが、「(メディア業界に多い野球部出身者は)十中八九、クソ野郎」とテレビ番組で発言したのだという。

マツコ・デラックスの言っている話は確かにそうだ、と思う。

 「十中八九、クソ野郎」かどうかは別にして、「体育会出身」だけをウリにしていたのでは、そりゃあダメでしょう。

とはいえ、採用を担当する人事部の立場からみたら、体育会出身者には好印象感じるのは当然でしょうね。この記事でも指摘されているように、とくに団体競技であれば。

はい、このわたくしも「体育会出身」ですが、何か?(笑)

ただし、わたしの場合は団体競技ではない。

少年時代は野球をやっていたが団体競技が不得意でキライなわたしは、個人技の世界に自分を見いだした。武道系サークル出身です。体育会合気道部出身であります。

とはいえ、主将を仰せつかった1年間、人の上に立つということの厳しさ、難しさを実感。試行錯誤を経て「リーダーシップ」のなんたるかを体得。これは大きな収穫だったと思う。
  
その後、大学卒業後の社会人になってからのことだが、鬼才スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』(1987年)を見て、これは日本の体育会そのものではないか! 日本の体育会がやっていることと何がどう違うというのだ、と強く思った。(上掲の写真)。

映画は二部構成で、前半が新兵訓練、後半がベトナム戦争における実戦である。

海兵隊の新兵訓練である「ブートキャンプ」(boot camp)は、高校を卒業した18歳の新兵を海兵隊員(マリーン)にたたき直すための6週間の特訓プログラムである。幼虫(=高校生)から成虫(=一人前のマリーン)へのメタモルフォーシスであり、そのイニエーションである。

世の中はいかに理不尽なものか、そして理不尽な世界のなかで生き延びるために必要なことは何かを、カラダにたたき込むのである。まずは身体訓練から入り、ストレス耐性を高め、精神を鍛錬していく。そして最後には率先垂範のリーダーシップを身につける。身体、精神、頭脳の順番だ。

カラダで覚えなければ、即座に反応できないのだ。アタマで考えていては遅いのだ。考えているスキにやられてしまう。

6週間も続く過酷で厳しい訓練は、シゴキと言わば言え!ただし、やり過ぎは禁物だ。どこで寸止めするか、その加減が必要なことはいうまでもない。映画でも新兵の一人が精神に異常を来してしまう設定がある。

とはいえ、この訓練をやり抜いたという自信は、何物にも代えがたい一生ものの財産となる。そして、ともに乗り切った仲間との、同志としての連帯感。仲間を見捨てないという精神もまた。

さて大学時代の体育会合気道部の体験に戻るが、リーダーとしてのあり方とリーダーシップスキルは、実社会に出てから大いに役に立った。つまらない勉強よりはるかに役に立ったし、自信をつけることにつながった

日本を代表する独創的な経営学者・野中郁次郎先生は、「知的体育会系」というコンセプトを打ち出していることを付け加えておこう。その心は「知的」でかつ「体育会系」の行動力が不可欠というものだ。

そのコンセプトを知って以来、わたしは自分のことを勝手に「知的体育会系」と自称しております(笑)







<関連サイト>

Full Metal Jacket Opening Scene - YouTube
・・映画『フルメタル・ジャケット』の訓練シーン。この教官は元海兵隊教官。迫力が違う

アメリカ海兵隊ブートキャンプ(新兵訓練)・恐怖の初日 - US Marines Boot Camp, First Day of Horror (YouTube)
・・現在でも海兵隊の新兵訓練は過酷で厳しい


変化が激しい時代には「実践知」リーダーが求められる【後編】――動きながら考える「知的体育会系」を目指せ(日経ビジネス、2014年2月24日)
・・野中郁次郎教授へのインタビュー記事

野中郁次郎氏が語る、未来を経営する作法-美徳のイノベーション- VISIONARY INSTITUTE - 2010 Seminar 第7章 これからのリーダーは「知的体育会系」を目指せ(アカデミーヒルズ、2010年10月5日) 

本田宗一郎 万事に “真剣な” 知的体育会系リーダー (野中郁次郎、ダイヤモンド・クオータリー、 2016年12月16日)

JBPress連載第4回目のタイトルは、 「トランプ陣営「2人の将軍」の知られざる共通点-マティス国防長官の座右の書は古代ローマの古典」(2017年7月18日)
・・米国のマティス国務長官は米海兵隊退役大将。一般大学を卒業して海兵隊に入隊したマリーン。かつ博覧強記の読書家。まさに「知的体育会系」を体現したような人だ








<ブログ内関連記事>

一橋大学合気道部創部50周年記念式典が開催(如水会館 2013年2月2日)-まさに 「創業は易し 守成は難し」の50年

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである

『武道修行の道-武道教育と上達・指導の理論-』(南郷継正、三一新書、1980)は繰り返し読み込んだ本-自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はない




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2017年8月15日火曜日

JBPress連載第6回目のタイトルは、「独立から70年!いよいよ始まるインドの時代-舞台はインド、日英米はさらに密接な関係に」(2017年8月15日)


JBPressの連載コラムの最新コラムが本日公開です。連載開始から6回目となります。

タイトルは、独立から70年!いよいよ始まるインドの時代-舞台はインド、日英米はさらに密接な関係に                 
⇒ ここをクリック http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50760

本日8月15日は、「インド独立」から70年の節目です。

冒頭の文章を紹介しておきましょう。

本日8月15日は「終戦記念日」72年目になる。日本人にとってはきわめて重要な1日だ。「終戦の詔勅」が出された日であり、「玉音放送」をめぐる政府中枢の緊迫した24時間を描いた映画のタイトルにもなった「日本のいちばん長い日」である。
だが、目を国外に向けてみれば異なる意味合いがあることに気づく。(・・中略・・) 
「植民地からの独立」ということで言えば、奇しくも日本の「敗戦」からちょうど2年後の1947年8月15日、インドが英国から独立した。今年2017年はインド独立から70年目の節目となる。インドは、英国支配の182年の歴史から脱したのである。

本文では、インドと英国の関係について、英国がインドに残した「遺産」について書いてます。それがいったい何を意味するのか? そして日本との関係は? 

みなさんにとって、日本の将来を考える材料となれば幸いです。ぜひご一読ください。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50760


次回のコラムは、8月29日公開予定です。お楽しみに。








<ブログ内関連記事>

■インド独立の影に

ボリウッド映画 『ミルカ』(インド、2013年)を見てきた-独立後のインド現代史を体現する実在のトップアスリートを主人公にした喜怒哀楽てんこ盛りの感動大作 ・・新生インド陸軍の兵士となってから陸上競技に開眼したミルカ。シク教徒は、インドとパキスタンがブリンする形で「独立」した際、居住地域のラージャスターン地方が中間地帯で会ったため、虐殺と難民化という悲劇に見舞われる


■ヒンドゥー・ナショナリズム関連

「ナレンドラ・モディ インド首相講演会」(2014年9月2日)に参加してきた-「メイク・イン・インディア」がキーワード
・・2014年の政権交代の結果、返り咲いたBJP(=インド人民党)の党首モディ

書評 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ、2002)-フィールドワークによる現代インドの「草の根ナショナリズム」調査の記録
・・インドの宗教問題を複雑化させているヒンドゥー至上主義者とその政党であるBJPについて。『軍事大国化するインド』(2010年)の出版後、ふたたびBJPが政権に復帰した。ナショナリズムが軍事大国に拍車をかけるか?

書評 『インド日記-牛とコンピュータの国から-』(小熊英二、新曜社、2000)-ディテールにこだわった濃厚な2ヶ月間のドキュメントで展開される日印比較による「近代化論」と「ナショナリズム論」


■インド関連

書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・インドの地政学的位置と文明を、東洋と西洋の中間にある「中洋」と命名した梅棹忠夫

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)-インド人科学者はなぜ優秀なのか?-歴史的経緯とその理由をさぐる ・・核ミサイル設計能力を自力で有する科学大国インド

書評 『軍事大国化するインド』(西原正・堀本武功=編、亜紀書房、2010)-「軍事大国化」への道を進む巨象インドの実態を知ることのできるバランスのとれた入門書

ボリウッド映画 『ロボット』(2010年、インド)の 3時間完全版を見てきた-ハリウッド映画がバカバカしく見えてくる桁外れの快作だ!


■大英帝国時代のインド

日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた


■インドと英国

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?

ボリウッドのクリケット映画 Dil Bole Hadippa ! (2009年、インド)-クリケットを知らずして英国も英連邦も理解できない!




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2017年8月13日日曜日

書評 『未来の年表-人口減少日本でこれから起きること-』(講談社現代新書、2017)-人口減少によってもたらされる「静かな有事」は、見たくないが直視しなければならない「未来」


『未来の年表-人口減少日本でこれから起きること-』(河合雅司、講談社現代新書、2017)が、ベストセラーになっている。帯には12万部(!)とある。発売わずか2ヶ月でここまで売れていると言うことは、読者が抱く危機感に訴えるものがきわめて大きいからだろう。

本書は2部構成で、第1部は「人口現象カレンダー」。第2部は「日本を救う10の処方箋-次世代のために、いま取り組むこと」。つまり、確実にやってくることが予想される「未来」の想定から「現在」を逆照射する発想法による内容だ。

第1部は、正直いって「見たくない未来」である。だが、それは「いま、そこにある危機」である。すでにことし2017年、この国は「おばあちゃん大国」に足を踏み出しているのである。

インパクトのある「未来年表」は帯に一部が印刷されているが、ショッキングなのはそれだけではない。すでに予兆が見えているものも多々ある。それぞれの項目に該当する世界や業界では、おそらく周知の事実なのであろう。知らないのは部外者だけなのだ。

だkら、こういう形で一冊にまとめられた意味は大きい。「未来」を俯瞰的に眺め、「未来」から逆算的に「現在」の問題点をあぶり出すことに成功しているからだ。



著者は、人口減少によってもたらされる危機を「静かな有事」と呼んでいる。その意味は、北朝鮮の核問題や中国による尖閣危機などとは性格の異なる「有事」だからだ。しかも「目に見えないところで静かに潜行している危機」だけに、気がつきにくい。

第2部の「対策編」は、実行可能性についてはやや疑問がないとはいえない。そんな感想もなくはない。

だが、とくにビジネス界では当たり前となりつつある言説、たとえば「移民導入」や「AI」などが効果的な対応策だという「通説」にかんしては、著者は疑問を投げかけており、読んでいて考えさせられることも少なくない。

「見たいものを見る」、「見たくないものから目をそらす」というのが、無意識のうちに行っている一般的な人間の態度だ。本書は、「見たくない未来」の最たるものだろう。

流行り物には、かならず一度は触れてみるというマインドセットが、とくにビジネスパーソンには必要だ。 たとえそれが「見たくないもの」であっても。

だからこそ、目をそらさず読むべき本なのだ。





目 次

はじめに

第1部 人口減少カレンダー 
 序 2016年、出生数は100万人を切った
 2017年 「おばあちゃん大国」に変化
 2018年 国立大学が倒産の危機へ
 2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
 2020年 女性の2人に1人が50歳以上に
 2021年 介護離職が大量発生する
 2022年 「ひとり暮らし社会」が本格化する
 2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
 2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ
 2025年 ついに東京都も人口減少へ
 2026年 認知症患者が700万人規模に
 2027年 輸血用血液が不足する
 2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
 2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる
 2035年 「未婚大国」が誕生する
 2039年 深刻な火葬場不足に陥る
 2040年 自治体の半数が消滅の危機に
 2042年 高齢者人口が約4000万人とピークに
 2045年 東京都民の3人に1人が高齢者に
 2050年 世界的な食料争奪戦に巻き込まれる
 2065年 外国人が無人の国土を占拠する
   
第2部 日本を救う10の処方箋-次世代のために、いま取り組むこと 
 序 小さくとも輝く国になるための第5の選択肢
 【戦略的に縮む】
  1・「高齢者」を削減
  2・24時間社会からの脱却
  3・非居住エリアを明確化
  4・都道府県を飛び地合併
  5・国際分業の徹底
 【豊かさを維持する】
  6・「匠の技」を活用
  7・国費学生制度で人材育成
 【脱・東京一極集中】
  8・中高年の地方移住推進
  9・セカンド市民制度を創設
 【少子化対策】
  10・第3子以降に1000万円給付
    
おわりに 未来を担う君たちへ
結びにかえて

著者プロフィール

河合雅司(かわい・まさし)
1963年、名古屋市生まれ。産経新聞社論説委員、大正大学客員教授(専門は人口政策、社会保障政策)。中央大学卒業。内閣官房有識者会議委員、厚労省検討会委員、農水省第三者委員会委員、拓殖大学客員教授など歴任。2014年、「ファイザー医学記事賞」大賞を受賞。主な著作に『日本の少子化 百年の迷走』(新潮社)、『地方消滅と東京老化』(共著、ビジネス社)、『中国人国家ニッポンの誕生』(共著、ビジネス社)、『医療百論』(共著、東京法規出版)などがある。 2014年、「ファイザー医学記事賞」大賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



PS シンクロニシティ?-「現在」を起点にした認識の本2冊

「現在」を起点に「未来」へ、「現在」を起点に「過去」へと認識を展開する。方向性は違うが認識のあり方としては同等だ。

百田尚樹氏のベストセラー『今こそ、韓国に謝ろう』 (飛鳥新社、2017)のkindle版 の「この商品を買った人はこんな商品も買っています」で隣り合わせになっていた「未来年表」と「逆回し」。読者もなかなかいいチョイスをしているな、と。

(amazonサイト 2017年8月13日時点)

もちろん、瞬間風速的な偶然なので、『未来の年表』(講談社)『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、出版社も違うし、したがって編集者も違うので直接的な関係にはありません。「未来年表」の著者とは面識もありません。

とはいいながら、『正論』(2017年9月号)では「読書の時間」で、ともに「書評」として見開き2ページで取り上げられているので、たんなる偶然とは見なせないかもしれないかな、と思ってみたりもして・・・。出版時期も近いし、まったく無縁とはいえないのかも。まさかそこまで考えて選書はしていないと思いますが。

著者プロフィールをみると、著者の河合雅司氏は1963年生まれとある。1962年生まれのわたしとは同世代ではないか!

こういうのを「シンクロニシティ」というのかな?


(月刊誌『正論』2017年9月号の「読書の時間」 P.326~329)


<関連サイト>

「2042年に最大の危機」 『未来の年表』河合雅司氏に聞く (ブック・アサヒ・コム、2017年7月20日)

(2017年8月21日 項目新設)


<ブログ内関連記事>


「東京オリンピック」(2020年)が、56年前の「東京オリンピック」(1964年)と根本的に異なること
・・2020年が東京のピークになるという現実は、すでにオリンピック開催が決定した2014年には指摘されていた

書評 『東京劣化ー地方以上に劇的な首都の人口問題-』(松谷明彦、PHP新書、2015)-東京オリンピック後がこわい東京。東京脱出のすすめ!?

書評 『なぜローカル経済から日本は甦るのか-GとLの経済成長戦略-』(冨山和彦、PHP新書、2014)-重要なのはグローバルではなくローカルだ!


■人口問題と移民・難民

書評 『自爆する若者たち-人口学が警告する驚愕の未来-』(グナル・ハインゾーン、猪俣和夫訳、新潮選書、2008)-25歳以下の過剰な男子が生み出す「ユース・バルジ」問題で世界を読み解く
・・「1900年まではヨーロッパの人口は総計4億6千万人、すなわち世界人口の 1/4 がヨーロッパ人だった(!)のだが、いまや世界におけるムスリム人口は 2010 年に 16 億 人を超え、2030 年には世界人口の 26% に達すると推計されている。2030年には世界人口の 1/4 がイスラームを信じるムスリムとなるのである! (・・中略・・) いま欧州各地で蔓延する極右も、思想的なものというよりも、労働力過剰による失業率高止まりが原因と考えるべきだろう。「人口増大」はなくても仕事が減れば労働力過剰となる。そう考えれば、日本でも同様の状況にならないという保証もない。」
      
『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する
    
欧州に向かう難民は「エクソダス」だという認識をもつ必要がある-TIME誌の特集(2015年10月19日号)を読む

『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜-』(小熊英二、新曜社、1995)は、「偏狭なナショナリズム」が勢いを増しつつあるこんな時代だからこそ読むべき本だ
・・「植民地を抱えていた「戦前」は多民族国家が常識であったのに対し、植民地を失って縮小した「戦後」は単一民族国家が常識となった」


■先を読むにために必要なこと

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・予兆や徴候からいかに先読みするかについて。元陸軍情報将校の痛切な回想




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2017年8月12日土曜日

書評 『日米同盟のリアリズム』(小川和久、文春新書、2017)-軍事のリアリズムを中心に政治経済まで視野に入れて分析した「戦争力」


米国と北朝鮮のチキンレースが続いている毎日ですが、そんな状況だからこそ妙に浮き足だったり、あるいは逆に、どうせ関係ないよとばかりに不感症にならないようにつとめなけなりませんね。

そこでぜひ読むことを薦めたいのが、『日米同盟のリアリズム』(小川和久、文春新書、2017)。7月の新刊ですが、すでにベストセラーになっているようです。

 「日米同盟のリアリズム」とは、強固な日米軍事同盟があるがゆえに、近隣の中国も北朝鮮も手を出せないというのが現実の状況のこと。日本に手を出せば、ただちに米国から手痛いしっぺ返しをくらうから。ちょっかいを出してきても「寸止め」にとどめるしかないわけです。

その昔の冷戦時代、「日本列島は不沈空母だ」といった首相がいましたが、米国にとって日本の存在は、その世界戦略にとってなくてはならない不可欠の存在絶対に手放せるわけがないのです。たとえ日本が「離脱」しようとしても、そうはできない仕組みと仕掛けがすでに「埋め込まれているのが実態なのです。
   
現在のような状況を「属国」だという政治的な主張をする人たちもいますが、そういう主張と、自分とその家族や友人の「生命財産」とどっちが大事か考えるまでもありませんね。

「属国」とまでは言わなくても、「半独立」状態であることまでは、わたくしも否定しません。すくなくともこの事実だけはアタマのなかに入れておいて、あとはリアリズムに徹して行動するしかないのです。

この本でとくに面白いのは、北朝鮮にかんする分析です。北朝鮮の究極の狙いは、米国に対する「核抑止力」を確立することで、コストのかかる通常兵力を削減し、予算の多くを経済発展に回したいという「インドモデル」(・・これは「中国モデル」でもある)があるのではないか、という見解が紹介されています。

なるほど!な見解です。目が開かれるような思いがしますね。となると、北朝鮮による ICBM発射実験は交渉戦術の一環と考えた方が理にかなっているわけです。

とはいえ、北朝鮮にとっての「核抑止力」の確立とは、北朝鮮の核が今後も消えることがないことを意味することになるわけですが、日米同盟が存在する限り、日本の安全は保障されるというのが著者のロジックとなるのでしょうか? 

この見解が正しいかどうかはさておき、読者にとっての「考える材料」として提供してくれるのは、軍事のリアリズムと同時に、政治経済も分析できる軍事アナリストしかいないでしょう。
  
もちろん、世の中には絶対に安全ということはありえません。「備えあれば憂いなし」。そして「人事を尽くして天命を待つ」。日本と日本人の安全を守るのは自分たちだという覚悟は不可欠。

そういったことを十分に承知したうえで、浮き足立つことなく、逆に不感症になることなく、冷静に考えることが必要。そための参考資料として、読む価値の高い一冊です。





目 次

はじめに 日本を守る最善の選択はなにか?
 日知米同盟が北朝鮮と中国を抑止する
第1部 世界最強の日米同盟
 米国は日米同盟を手放せない
 自主防衛は幻想である
第2部 北朝鮮vs.日米同盟
 1994年北朝鮮核危機の真相
 北朝鮮の軍事力の実像
 日・米・韓の「戦争力」と金正恩斬首作戦
 米朝チキンゲーム
 北朝鮮はインド、中国型経済成長を目指す
第3部 中国vs.日米同盟
 東シナ海で中国を抑え込む日米同盟
 南シナ海での米中衝突はあるか?
 中国の戦略は「三戦」と「A2/AD」



著者プロフィール

小川和久(おがわ・かずひさ)

軍事アナリスト。1945年、熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理(防災、テロ対策、重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案に関わり、国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、日本紛争予防センター理事、総務省消防庁消防審議会委員、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。小渕恵三内閣では野中広務官房長官とドクター・ヘリを実現させた。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

<関連本の紹介>

本書で言及されている『在日米軍-軍事占領40年目の戦慄-』(小川和久、講談社、1985)は、発売当時に読んで、それ以後の思考に大きな影響を受けた本だ。米軍の許可を受けて行った実態調査をまとめたリポートである。いま手元にはないが、重要な事項はアタマのなかに刻み込まれている。

また、本書の中国にかんする分析は、くわしくは中国の軍事力-台頭する新たな海洋覇権の実態-』(小川 和久・西 恭之、中央公論新社、2014)を参照。日米中の戦力を冷静に比較検討したリポートで、中国の「三戦」(=輿論戦・心理戦・法律戦)おなじく中国の「A2/AD」(=接近阻止・領域拒否 Anti-Access/Area Denial)について、より詳しい説明がある。





<関連サイト>

映画『ザ・デイ・アフター』(The Day After  1983年)( YouTube)
・・核ミサイルの落下と核爆発、わきあがるキノコ雲と爆風。パニックに陥る群衆。この映画が製作公開されたのは、いまだ米ソ冷戦時代のまっただなかであった。ことさら終末(ドゥームズデイ)意識の強いキリスト教保守派の多い米国人のイマジネーションの中にある核戦争はこういうものか? 

・・韓国が東京に向けて核ミサイルを発射するという、とんでもない映画。南北統一によって北朝鮮の核を手に入れたいという韓国人の密かな(?)欲望の現れか? 途中でまったく迎撃されないという設定が理解不能だが


<ブログ内関連記事>

書評 『仮面の日米同盟-米外交機密文書が明らかにする真実-』(春名幹男、文春新書、2015)-地政学にもとづいた米国の外交軍事戦略はペリー提督の黒船以来一貫している
・・日本防衛のための駐留が第一目的ではないとしても、米軍にとって日本列島がロジスティクス上の重要な位置づけである点は否定しようがない事実だ。大平洋からインド洋に欠けて展開する米軍にとって、日本に基地がなければ支障を来す

書評 『日米同盟 v.s. 中国・北朝鮮-アーミテージ・ナイ緊急提言-』(リチャード・アーミテージ / ジョゼフ・ナイ / 春原 剛、文春新書、2010)

書評 『2020年日本から米軍はいなくなる』(飯柴智亮、聞き手・小峰隆生、講談社+α新書、2014)-在日米軍縮小という外部環境変化を前提に考えなくてはならない
・・シナリオとしてありえないわけではない

書評 『ビジネスパーソンのための世界情勢を読み解く10の視点-ベルリンの壁からメキシコの壁へ-』(森千春、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)-「冷戦後」の世界情勢を「現場」で読み抜いてきた国際報道記者の視点
・・朝鮮半島問題もテーマとしてかかわってきた国際報道記者による解説書

書評 『それでも戦争できない中国-中国共産党が恐れているもの-』(鳥居民、草思社、2013)-中国共産党はとにかく「穏定圧倒一切」。戦争をすれば・・・
・・「戦争になったら、間違いなく中国共産党は滅びる。中国共産党=中華人民共和国である以上、「亡党亡国」となるのは必定なのである。」

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」
・・この記事に掲載した各種資料を参照

書評 『なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか-中華秩序の本質を知れば「歴史の法則」がわかる-』(石平、PHP新書、2015)-首尾一貫した論旨を理路整然と明快に説く
・・「中華秩序」を破壊したのが近代日本であったという事実。これはしっかりとアタマのなかに入れておかねばならない。琉球処分と日清戦争における日本の勝利によって、「中華秩序」は破壊された。だからこそ、中国の指導者は絶対に日本を許せないのである。」

書評 『中国外交の大失敗-来るべき「第二ラウンド」に日本は備えよ-』(中西輝政、PHP新書、2015)-日本が東アジア世界で生き残るためには嫌中でも媚中でもない冷徹なリアリズムが必要だ

書評 『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力-自衛隊はいかに立ち向かうか-』(川村純彦 小学館101新書、2012)-軍事戦略の観点から尖閣問題を考える

書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂聰、新潮社、2009)-「平成の林子平」による警世の書
・・海上保安庁巡視艇と北朝鮮不審船との激しい銃撃戦についても言及。海上保安官は命を張って国を守っている!

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・海は日本の生命線!




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2017年8月11日金曜日

書評 『ビジネスパーソンのための世界情勢を読み解く10の視点-ベルリンの壁からメキシコの壁へ-』(森千春、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)-「冷戦後」の世界情勢を「現場」で読み抜いてきた国際報道記者の視点


『ビジネスパーソンのための世界情勢を読み解く10の視点-ベルリンの壁からメキシコの壁へ-』(森千春、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)は、 「冷戦崩壊後」の四半世紀を海外報道記者としてつぶさにみてきた著者による解説書。著者からいただいて一気読みしたが、それだけの面白さのある内容だ。

現在は読売新聞論説委員の著者は、海外報道30年で欧州総局長を歴任、ベルリン駐在中に1989年の「ベルリンの壁」崩壊を取材、その経験を踏まえたうえでソウル特派員として南北分断のつづく朝鮮半島を取材するなど、豊富な「現場」経験をもつ国際報道記者

「冷戦崩壊後」の四半世紀の世界情勢は、2016年の英米による「グローバル化への逆流」で大きな転換期を迎えたわけだが、面白いのは「冷戦後」の世界のなかで登場したメルケル首相と、「大転換」を引き起こした当の本人であるトランプ大統領との根本的な違い

著者は、そんな重要な指摘を何気ない一言で触れているが、見過ごすことのできない重要な気づきのひとつだ。このほかにも、本書のいたるところに、著者の30年に及ぶ経験からにじみ出た、重要な指摘が多くちりばめられている

さすがに「ベルリンの壁」の崩壊と朝鮮半島情勢の分析は詳しいが、特派員としてベルリンに駐在していた若き日の失敗体験は、若手ビジネスパーソンには他山の石として教訓になることだろう。

著者が強調しているのは、「先見性」の重要性、そして「理念」にこだわりすぎると足元をすくわれること。これは世界各国の政治リーダーを観察してきた著者ならではの教訓だ。これもまた、ビジネスパーソンにとっては教訓となることだろう。

ぜひ一読してほしい一冊である。





目 次  

はじめに
視点その1 グローバル化の時代だからこそ国家の役割は重みを増す-ネーションの復権が起こす世界各地の大変動
視点その2 政治指導者は先見性が問われる-「ベルリンの壁」崩壊とドイツ統一 「ベルリンの壁」ができた経緯
視点その3 激動期にこそ各国の性格が現れる-イギリスのEU離脱とトランプ当選
視点その4 理念へのこだわりはつまずきにつながる-実務家メルケル首相の難民政策での失敗
視点その5 民族の性格が危機を招く-韓国の苦悩 韓国の経済発展
視点その6 グローバル化した世界でも、核兵器は格別の強みとなる-北朝鮮の核開発
視点その7 宗教を知れば世界が見える-アラブの春から「イスラム国」へ
視点その8 民主主義は後退する局面にある-プーチン大統領のロシア
視点その9 帝国が復活している-南シナ海を巡る中国とアメリカの対立
視点その10 生き残りのためには強みを生かす必要がある-日本の厳しい安全保障環境
あとがき

著者プロフィール

森千春(もり・ちはる)
1958年、石川県金沢市生まれ。東京大学教養学部ドイツ学科卒。1982年、読売新聞社入社。1989~1993年、ベルリン特派員。「ベルリンの壁」崩壊と東西ドイツ統一を取材。1997~2001年、ソウウル特派員。2005~72009年、欧州総局長。現在、論説委員。著書に『「壁」が崩壊して-統一ドイツは何を裁いたか』(丸善ブックス)、『朝鮮半島は統一できるのか-韓国の試練』(中公新書ラクレ)がある。(本書奥付より)



PS あわせて読んで欲しい関連書籍

(『世界情勢を読み解く10の視点』に掲載の書籍案内)


ことし5月19日に出版した拙著 『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)は、「近現代史」の240年間を扱っているので、「冷戦後」の25年間の扱いはどうしても小さなものとなってしまった

その意味では、『世界情勢を読み解く10の視点』とあわせ読むことで、世界情勢を立体的に捉えることができるのではないかと思う。ディスカヴァー・トゥエンティワン者から出版された、『ビジネスパーソンのための・・・』というタイトルで始まる「姉妹本」と考えていただいてよいかな、と。

その際、ぜひ副読本として手元に置いて欲しいのが、『増補改訂版 最新世界情勢地図』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016)。フランス人研究者2人の共同執筆による、豊富な地図で図解した地政学の入門書だ。じつによくできたカラー図版満載のビジュアル本。複眼的な視点をもつにはもってこいの好著である。






<関連サイト>

『ビジネスパーソンのための世界情勢を読み解く10の視点』 出版社サイト



<ブログ内関連記事>

ベルリンの壁が崩壊した四半世紀前の1989年を振り返る-それは日本においては「昭和時代」から「平成時代」への転換点でもあった

ベルリンの壁崩壊から20年-ドイツにとってこの20年は何であったのか? (2009年ににアップ)

ドイツ再統一から20年 映画 『グッバイ、レーニン!』(2002) はノスタルジーについての映画?

書評 『なぜメルケルは「転向」したのか-ドイツ原子力40年戦争の真実-』(熊谷 徹、日経BP社、2012)-なぜドイツは「挙国一致」で「脱原発」になだれ込んだのか?

書評 『ドイツリスク-「夢見る政治」が引き起こす混乱-』(三好範英、光文社新書、2015)-ドイツの国民性であるロマン派的傾向がもたらす問題を日本人の視点で深堀りする

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

書評 『ろくでなしのロシア-プーチンとロシア正教-』(中村逸郎、講談社、2013)-「聖なるロシア」と「ろくでなしのロシア」は表裏一体の存在である

書評 『朝鮮半島201Z年』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2010)-朝鮮半島問題とはつまるところ中国問題なのである!この近未来シミュレーション小説はファクトベースの「思考実験」

「現代史」を軽視してきた「歴史教育」のツケをどう克服するか?-歴史教育の現場で「逆回し」の実践を!




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2017年8月10日木曜日

「現代史」を軽視してきた「歴史教育」のツケをどう克服するか?-歴史教育の現場で「逆回し」の実践を!

(NHKのニュースサイトより)


昨日(2017年8月9日)のことだが、NHKの夜7時のニュースで、かなり衝撃的な内容の調査結果が放送されていた。

「終戦の日14%が「知らない 18歳と19歳世論調査(NHK)」である。「選挙権年齢」が昨年(2016年)に、20歳から引き下げられて18歳になったのを踏まえて世論調査を行ったのだという。

結果をかいつまんで要約すると、調査に回答した18歳と19歳のうち、「終戦の日」がいつかを知っていたのは14%としかいないという衝撃的に低い数字が出たのである。

だが、記事をよく読むと、広島と長崎に原爆が投下されたことを知っていたのは99%であることも書かれている。この点にも注意を払う必要がある。

「東京大空襲」(3月10日)やその他各都市における「空襲」について質問されたのかどうかはわからないが、なぜ「終戦の日」が「14%」と低いのに、「原爆の日」が「99%」が高いのか、その違いについて、もっと探求する必要がありそうだ。

メディアにおける露出度の量的な違いも背景にあると考えるべきだろう。

以下、記事内容そのものではなく、記事に触発されて考えたことを記しておきたい。


教育現場で「現代史」の授業がおろそかにされてきたツケが顕在化

「「終戦の日」がいつかを知っていたのは14%」という調査結果が示しているのは、教育現場で「現代史」の授業がおろそかにされてきたツケが顕在化しているといえる。

「歴史教育」の授業では、古代から始まって現代に至るという「歴史の流れ」を重視しているが、たいていは「現代」に入る前に終わってしまう。これでは、現代史にかんする基本的知識が身につくはずがないし、関心もわかないのも当然だろう。

「地理教育」の授業では、自分が住んでいる市区町村、都道府県、それから世界地理へと、視野の拡大を促す仕組みになっている。つまり、身近で興味のあるもの、身の回りのものから始まって、自分がいったことのない地域を知るという仕組みである。

歴史教育も、地理教育の仕組みを応用すべきであろう。身近で興味のあるもの、身の回りのものから始めるのだ。小学校でやってきた方法を、高校でも繰り返すのだ。

 「現在」からさかのぼれば、たとえ若者であっても「自分史」と重なるし、親や祖父母など大人の体験談ともクロスすることになる。そうなれば、「現代史」から始まって「歴史」全般に興味を抱くことになるはずだ。つまり視野の拡大を過去に向かって行うのだ。


「現在」を起点に「未来」へ、「過去」に向かう

そもそも、人間というものは近い過去であっても忘却しやすい。思い出せないということが多々あるものだ。未来も同様にわからない。つまり、確実にわかるのは「現在」だけなのである。

だからこそ、「現在」を起点に、「過去」をさかのぼっていくという方法で歴史を考えるべきなのではないだろうか。誰でも「現在」を起点に「未来」を考えているのに、「過去」に対してそれを行わないのは不思議なことだ。向かう方向が違うだけで、やっていることは同じなのに。

『新・学問のすすめ 人と人間の学びかた』(阿部謹也・日高敏隆、青土社、2014年) という本の「第3章 「学び」 の原点はどこにあるのか」には、以下のような対話がある。西欧中世史が専門の歴史学者・阿部謹也は、動物行動学が専門の生物学者・日高敏隆との対話録だ。(*アンダーラインは引用者=さとう による)

阿部 教科書というのはパターンが決まっていて、歴史でいえば古代から始まっているん ですよ。ぼくは、現代からさかのぼっていくような、そういう歴史を書くべきだといっ ているのですが。
日高  「いま現在、こうである」ということから始まって、なんでそうなっているのかと いうふうにしていけば、みんな興味をもちますよ。

拙著 『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)は、そのサジェスチョンを踏まえて「近現代史」を記述した試みだ。それを比喩的に「逆回し」と表現してみた。

基本的に「世界史」なので、「日本史」に特化した内容ではないが、当然のことながら「日本の終戦=敗戦」についても触れている。

同じような試みを、歴史教育の現場でも「実践」していただきたいと思う。そうすれば、みな興味を持つことだろう。

「現在」から「未来」に向かう、「現在」から「過去」に向かう方向性。それが、人間にとっては自然な知性の働きであり、認識のあり方なのだから。






<ブログ内関連記事>

「逆回し」とは?--『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』は常識とは「真逆」の方法で製作された歴史書であり、ビジネス書である

書評 『新・学問のすすめ-人と人間の学びかた-』(阿部謹也・日高敏隆、青土社、2014)-自分自身の問題関心から出発した「学び」は「文理融合」になる

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・科学的認識の方向性は、現在を起点にして、過去と未来の二つの方向に展開されうることが、同書で指摘されていることを紹介した(・・下図を参照)。

(人間の認識は「現在」を起点に「未来」と「過去」に向かう)


「理科のリテラシー」はサバイバルツール-まずは高校の「地学」からはじめよう!
・・まずは足元の大地の構造から始めて、地球全体、そして宇宙に視野を広げていく

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる
・・「戦後」とは何か?「戦中」と「戦前」を否定し隠蔽した「戦後」とは何か?考えるためのキッカケとなる本

(2017年8月12日 情報追加)




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