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2017年12月21日木曜日

書評『テヘランからきた男 ー 西田厚聰と東芝壊滅』(児玉博、小学館、2017)ー 研究者の道を断念してビジネス界に入った辣腕ビジネスマンの成功と失敗の軌跡


『テヘランからきた男-西田厚聰と東芝壊滅-』(児玉博、小学館、2017)というビジネス・ノンフィクションを読んだ。 いわゆる「東芝壊滅」ものを読むのはこれが初めてだ。

事件のあらましは日経ビジネスオンラインなどのウェブメディアを追っていれば、おおよそのところは把握できるので、あえて単行本にまで手を出していなかった。

この本を読みたいと思ったのは、タイトルに尽きる。2000年代前半に社長に東芝の就任し、GEのジャック・ウェルチばりの「選択と集中」というキャッチフレーズのもと大胆な事業構造改革を断行したのが西田厚聰(にしだ・あつとし)氏だったからだ。つい先日、訃報が報じられたばかりである。 享年72歳。

西田氏は、ビジネスキャリアを東芝のイラン現地法人で開始した人だ。しかも28歳という遅いスタートでキャリアを開始している。というのも、大学受験では2浪した上に、大学院に進学して東大で政治学者になるべく研鑽を積んでいたからだ。 西田氏は、指導教官から大きな期待をされていながら学者への道を断ち切り、イラン人留学生と結婚し、ビジネスマンとして生きていくことを決意した。「イラン・イスラーム革命」(1979年)以前の話である。

西田氏の活躍が華々しく報じられていた時から、ビジネスマンとしては特異なバックグラウンドとキャリアがビジネス系メディアではよく取り上げられていた。それ以来、西田氏には多大な関心を個人的にもっていた。大学院生時代にフッサール現象学についての論文を『思想』(岩波書店)に書いた人なのだ。

アカデミックな世界で鍛えられた頭脳、英語やドイツ語も含めた猛烈な読書量、取り組んだ事業に対する執念と忍耐力。最盛期の西田氏は、じつに輝ける存在であった。

名門企業・東芝の迷走と壊滅が始まったのは、2008年のリーマンショック以降のことだが、米国のWH(ウェスティングハウス社)の原子力ビジネスを抱え込んだ時点から、すでにその徴候は出ていたようだ。追い打ちをかけたのは、言うまでもなく2011年の「3・11」である。だが、「3・11」以前は、原発はクリーンエネルギーとして地球温暖化対策の切り札と見なされていたことを忘れてはならない。事業環境が激変したのだ。

リーマンショック後は、強気一点張りの方針がすべて裏目に出て、オセロゲームのようにすべてがひっくり返っていくような印象さえ受ける。学者への道を捨て、辣腕の国際ビジネスマンとして猛烈に生きた西田氏は、そのなかで燃え尽きてしまったのだろうか? 72歳の死は、現代では早すぎるというべきだろう。

パソコン事業を立て直し、ラップトップ時代の東芝を作り上げた西田氏が、社長になって以降は権力の亡者となり、財界総理を目指して、晩節を汚していく姿が描かれている。粉飾決算が始まったのは、西田氏が社長になる頃からであったようだ。

ビジネスパーソンに限らず、仕事人の評価というものは、どの時点で評価するかによって印象が大きく異なってくるものだが、インタビューをもとにした本書を読んで西田氏の晩年の姿を知ると、なんとも言えない気にさせられるのは、わたしだけではないだろう。

「終わりよければすべてよし」とならなかったビジネスマンの人生。ビジネスノンフィクションとしては、「教師」と「反面教師」の両面から、さまざまな教訓やヒントを得ることのできる内容だと感じた。とくに西田氏が辣腕を振るった欧州市場戦略については、現在でもヒントを得ることができると思う。

ただ、学者への道を断念した理由については、著者によるロングインタビューにも多くは答えず、墓場まで持って行ってしまったのは残念だ。それほど、本人の人生にとっては語りたくない、語れない事情があったのだと察するより他あるまい。


・・・という趣旨の読後感を、TOSHIBA の代名詞でもあったノートブックPC「Dynabook」で書いてみた(冒頭の写真)。


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(追記) 『「文明論之概略」を読む 下』(丸山真男、岩波新書、1986)の「結び」で言及されているイラン人女子留学生のエピソード

『テヘランからきた男-西田厚聰と東芝壊滅』(児玉博、小学館、2017)の P.125で、『「文明論之概略」を読む 下』(丸山真男、岩波新書、1986)の「結び」で言及されているイラン人女子留学生のエピソードの謎解きができた。

このイラン人女子学生こそ、西田氏の妻となったファルディン・モタメディ氏である。

東大法学部の丸山眞男ゼミで、明治維新後の日本の「近代化」の秘密を知るために、『文明論之概略』をテキストにした学部演習に参加を希望して受け入れられた優秀な学生であったという回想である。


目 次 
序章 戦犯と呼ばれた男
第1章 覇者の経営
第2章 土光敏夫とイラン革命
第3章 雨降る故郷
第4章 パソコン神話
第5章 愚かな争い
第6章 名門陥落はいつ起きたか
第7章 盟主なき帝国
終章 最後の対話
年表

著者プロフィール  
児玉博(こだま・ひろし)
1959年生まれ。早稲田大学卒業後、フリーランスとして取材、執筆活動を行う。月刊「文藝春秋」や「日経ビジネス」で企業のインサイドレポートを発表。著書に大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)の受賞作を単行本化した『堤清二 罪と業 最後の「告白」』など。(本データは本書が刊行された当時に掲載されていたもの)



<関連サイト>

東芝 粉飾の原点(「日経ビジネスオンライン」連載のコラム)

両手に山ほど本を持って世界を飛び回った風雲児 西田厚聡氏、逝去-東芝異次元経営者の蹉跌(玉置直司、JBPress、2017年12月12日)

(2017年12月27日 情報追加)


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