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2018年2月28日水曜日

書評 『彦九郎山河』(吉村昭、文藝春秋、1995)-「戦前」は賞賛され「戦後」は否定され忘却された高山彦九郎という人物を現代に蘇らせる


高山彦九郎といっても、いまの世で知る人はあまりいないかもしれない。日本史の教科書に大きく登場する人物ではないからだ。

京都御所にむかって土下座して拝礼する高山彦九郎の銅像が、京都の三条大橋の袂にいまでも設置されている(・・筆者撮影の写真)。

「王政復古」を願った狂信的な尊皇派というイメージが出来上がっているが、この人はいったいなにをした人なのか、わたしも名前だけは知っていたが、じつはよく知らなかったのだ。

(京都の三条大橋の東岸にある高山彦九郎の銅像 筆者撮影)

高山彦九郎といえば、「戦前」の「皇国史観」の時代には尊皇の心深き人として、その名を知らぬ者はいない存在であった。だが、「戦後」になってから、いっさい顧みられぬ存在になってしまい、高山彦九郎について書かれた本は戦後には皆無に近い。

歴史小説家・吉村昭氏に『彦九郎山河』(文藝春秋、1995)という小説があるのを知ったのは5年ほど前のことだ。歴史小説ではあるが、高山彦九郎について知るには、この本を読むのがよかろうと思って入手しておいたのであった。高山彦九郎は、ずいぶん以前から気になる人物であったからだ。

『翔ぶが如く』をいま読んでいるのだが、その最初のほうの巻に、「鎖国」内「鎖国」ともいうべき薩摩藩に入国できずに高山彦九郎が詠んだ歌が紹介されていた個所を飛んだ際、思い立って『彦九郎山河』を読んでみたくなった。そんなキッカケでもないと、なかなか読み出すことはない。ちなみにその歌はこういうものだ。「薩摩びと いかにやいかに 苅萱の 関も鎖きぬ 御代と知らずや」。

高山彦九郎は18世紀の上州の人(・・現在の群馬県)農の家に生まれたが先祖は武家で、神道の信仰の厚い家に生まれ育った。学問好きのため勉学に専念することを許され、儒学を中心に様々な学問を学んだ学者であった。

しかも、交友関係はきわめて広く、『解体新書』の翻訳に携わった蘭医の前野良澤、『赤蝦夷風説考』の著者・工藤平助や『海国兵談』の林子平などとも親しかったことを知った。 この縁でロシアの南下政策に多大な関心を抱いて蝦夷地訪問を思い立ち北方に向かったが、松前藩の方針ゆえ蝦夷地への渡航は断念、天明の飢饉から数年の東北地方を歩いて、人肉食にまで至った悲惨な実態を現地で聞き取り、民の暮らしが念頭にない武家政治への反発を強め、あるべき理想の世としての文治を希求することで、尊皇の思いをさらに強固にする。

尊皇派ではあったが、攘夷派というわけではなかったようだ。攘夷派の一歩手前にいたかもしれないが、いわゆる攘夷派ではない。「尊皇攘夷」とい四字熟語にまつわる固定観念で物事を捉えようとすると足をすくわれる。

蝦夷地行きを断念した彦九郎は三度目の京都上洛を行い、革新派の公卿たちとの交遊から、光孝天皇の父にかんする「尊号問題」推進のため、薩摩藩工作の特使として密命を帯びて薩摩藩に向かうことになったのであった。

だが、「尊号問題」解決のための薩摩藩説得工作は失敗に終わる。すでに幕府から「反体制派」とみなされ、隠密によって京都からずっと尾行されていた彦九郎にとっては、京都に戻ることは捕らえられて処刑されることを意味していた。現代風に言えば指名手配が出ていたからだ。

追われる身となって九州をさまよい歩くものの、命をかけていた「尊号問題」が幕府によって否定されたことを知って生きる目的を失い、旅先の久留米で自刃して果てる。夢みていた「王政復古」が実現する74年前のことであった。

辞世の歌は、「朽ちはてて 身は土となり 墓なくも 心は国を守らんものを」吉田松陰の辞世の歌、「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」。この二つの辞世の歌を並べてみると、吉田寅次郎(=吉田松陰)は。明らかに高山彦九郎(=高山正之)を踏まえていると思われる。

なるほど、彦九郎は寅次郎の先駆者なのである。彦九郎もまた儒者であり、しかも全国を歩き回り、さまざまな人たちとネットワークつくりに励んだ人であった。それだけでなく、海外事情にも多大な関心を抱き続けた人であった。寅次郎(=松陰)は米国に密航しようとしたが失敗、彦九郎は南下するロシアの最前線である蝦夷地を踏査しようとして果たせなかった。


『彦九郎山河』は歴史小説とはいえ、やけに描写が細かく具体的だなと思いながら読んでいたのだが、途中で吉村氏の「あとがき」を読むと、高山彦九郎が遺した詳細な日記を材料に執筆したのだということがわかった。

彦九郎が尊皇派ではあったが、かならずしも攘夷派ではなかったのは、生きた時代がまだ18世紀後半であったからだろう。むしろ海外事情についての知見も深めていた高山彦九郎は、狂信的というイメージとはほど遠い。対外的危機がさらに強まった19世紀前半から幕末にかけての、単細胞な印象さえある攘夷派の志士たちとの違いであろう。彦九郎は、何よりもまず学者であったのだ。

吉村昭の小説は、司馬遼太郎のような解説好きで説教癖の強いタイプとは異なり、事実を連ねていきながら対象とする人物を生き生きと鮮やかに浮かび上がらせるタイプの小説家だ。

いい本を読んだ、という感想をもつ。







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夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い
・・テロリストの奈良原到翁が語る話のなかに「日本に生れても高山彦九郎ぐらいのネウチはある男じゃ」という一節があるが、昭和時代には高山彦九郎はそのように見なされていたのである

書評 『白い航跡』(吉村昭、講談社文庫)-脚気撲滅に情熱をかけた知られざる海軍軍医・高木兼寛の生涯を描いた伝記小説

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)-「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)

時代小説ばかり連続して読んでみた-『天地明察』(冲方丁)、『算法少女』(遠藤寛子)、『葛の葉抄-只野真葛ものがたり-』(永井路子)、そして『月に名前を残した男』(鹿毛敏夫)
・・只野真葛は『赤蝦夷風説考』の工藤平助の娘

書評 『歴史人口学で見た日本』(速水融、文春新書、2001)-「徹底的に一般庶民の観察に基礎をおいたボトムアップの歴史学」の醍醐味を語る一冊
・・「江戸時代には全国国別人口調査が行われており、その間に3回の人口危機が発生している。享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉である。大飢饉、凶作、疾病の流行で人口が減少した。」

書評 『複合大噴火』(上前淳一郎、文春文庫、2013、単行本初版 1989)-地球規模で発生する自然災害は容易に国境を越える
・・天明の飢饉は浅間山大噴火の火山灰が原因。だがそれだけではなかった。アイスランドの火山噴火の影響と複合したのであった。




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2018年2月27日火曜日

JBPress連載コラム20回目は、「日本の道路が左側通行になった意外な経緯-世界のスタンダードは右側通行」(2018年2月27日)-右か左か、それが問題だ!


JBPress連載コラム20回目は、「日本の道路が左側通行になった意外な経緯-世界のスタンダードは右側通行」(2018年2月27日)
⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52415

日本では左側交通が交通規則として定められている。

ところが、漢字文明圏では、中国でも台湾でも、韓国でもベトナムでも道路交通は右側通行となっている。左側通行は日本と香港くらいのものだ。

となると、道路交通のルールは一体なにを根拠に決められて定着したのだろうか?

今回は、道路交通に関する右側交通と左側交通について、歴史的経緯を踏まえて考えてみたい。

つづきは本文で! http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52415


次回の公開は、2週間後の3月13日(火)です。お楽しみに!


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JBPress連載コラム19回目は、「「春節」を祝わない日本は不思議な国なのか?-年中行事まで太陽暦に移行した日本の特異性」(2018年2月13日)





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2018年2月26日月曜日

司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を「半分読了」(中間報告)


司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を第5巻まで読了。読み出してから約1ヶ月弱、現在のところ半分まで読了して、さらに面白い内容だと思いながら、第6巻を読み続けている。

その理由の一つは、読者であるわたしが、すでに年齢的には中年を過ぎているからかもしれない。暴発寸前の不平士族たちのような「突き上げる側」ではもはやなく、逆に「突き上げられる側」にいるためだろうか? 

本日(2018年2月26日)は、1936年の二二六事件から82年になるが、クーデターを主導した青年将校たちもそうであるように「突き上げる側」の心情も理解できるが、なんとか暴発を防ごうとしている政府中枢の大久保利通の立場もよく理解できるからだ。

文庫本で全10巻。約1ヶ月で半分読み終えたが、ペースが遅いのか早いのか? 同時並行で何冊もまったく異なる内容の本を読んでいるので『翔ぶが如く』だけに専念するわけにはいかないのだ。

読んでいるうちにもう少し関連分野を深掘りしてみたくなったりする。その結果、違う本に手をだしてしまったりもする。

だが、今回は不退転の決意で最後の第10巻まで読み切るつもりだ。できればあと1ヶ月で!





<ブログ内関連記事>

司馬遼太郎の歴史小説 『翔ぶが如く』 は傑作だ!





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2018年2月25日日曜日

時代小説ばかり連続して読んでみた-『天地明察』(冲方丁)、『算法少女』(遠藤寛子)、『葛の葉抄-只野真葛ものがたり-』(永井路子)、そして『月に名前を残した男』(鹿毛敏夫)


先週から時代小説ばかり連続して読んでいた。(*ここでいう「先週」は、アップ時点からみて1ヶ月まえのこと)。

まずは、暦(カレンダー)に関心があったので『天地明察 上下』(冲方丁、角川文庫、2012)を読んでみた。あまりにも面白いので最後まで飽きずに読んでしまった。

時代背景は17世紀後半、徳川幕府の4代将軍家綱の頃に実行された日本独自の暦をつくるプロジェクトと、その中心となった碁打ちで暦法家の渋川春海の話。背景もじつによく調べ尽くされており、小説ではあるが大いに楽しませてもらった。日本独自の展開をとげた和算小説でもある。天才和算家の関孝和も登場する。

 『天地明察』は、映画化されているが、映画版は見ていないのでなんとも言えないが・・・。




『天地明察』の絡みで『算法少女』(遠藤寛子、ちくま学芸文庫、2006)を読んだ。これは和算好きの町医者の娘を主人公とした子ども向けの時代小説

和算好きに育った千葉あきという実在の人物が、父親との共著で出版した『算法少女』(1775年)という和算書をめぐる物語。『天地明察』が17世紀後半の話であったが、こちらは18世紀後半の話。子ども向けとはいえ、面白い内容の本。

町医者の娘は、あくまでも市井の人として、町の子に九九や和算を教える道を生涯の仕事に選んだ。九九を知らない子どもが当時にはいたのである。

なお、『算法少女』の原本は国会図書館に収蔵されており、デジタルコレクションとしてネット上に公開されている。




そのつぎに、『葛の葉抄-只野真葛ものがたり-』(永井路子、文春文庫、2016)を読んだ。

只野真葛(・・本名は工藤あや子)も医者の娘であったが、父親は『赤蝦夷風説考』の著者・工藤平助で、伊達藩の藩医だった。 『算法少女』の千葉あきと同様、只野真葛もまた「父の娘」であった。時代的には、千葉あきの次の世代くらいか。

ままならぬ人生を生きた一人の女性が、『ひとりかんがえ』という著書で時代の制約を超えた自由な考えを表現するにいたる。しかし、内容の過激さゆえに出版されることなく終わった。

この小説は、中世を中心に描いてきた永井路子氏の最後の歴史小説だという。なぜこの人物を取り上げたのか、その意味も考えながら味わってみたい小説だ。




ふだんは小説はあまり読まないのだが、17世紀後半から19世紀前半までの日本人を主人公にした時代小説を読んでみて、江戸時代についていろいろ考えてみるのは、楽しい読書体験であった。


(追記) その後、天文学者・麻田剛立(あさだ・ごうりゅう)を主人公にした小説も読んだ。『月に名前を残した男-江戸の天文学者 麻田剛立』(鹿毛敏夫、角川ソフィア文庫、2012)

麻田剛立(1734~1799)は、独学で天文学を修得し、大坂を拠点に天体観測と弟子の指導を行った天文学者だ。学問への想い止みがたく豊後国杵築藩を脱藩している。独創的な思想家であった三浦梅園とは同郷で後輩にあたる存在で、終生交流を続け互いに影響を与えつづけたことは、この本を読んではじめて知った知った。

『天地明察 』(冲方丁)の主人公・渋川春海が生きたのは17世紀後半、麻田剛立が生きたのは18世紀後半。この1世紀の違いはきわめて大きい。両者をあわせて読むと、さらに江戸時代の科学についての理解が深まるだけでなく、イメージもまた膨らむことであろう。






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肝心要の時間帯に「金環日食」は見えなかった-人生もまたこんなもの(2012年5月21日)

人間の運・不運について-「皆既日食」とはほど遠いが「部分日食」はみた

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

最近ふたたび復活した世界的大数学者・岡潔(おか・きよし)を文庫本で読んで、数学について考えてみる

書評 『岩倉具視-言葉の皮を剝きながら-』(永井路子、文藝春秋、2008)-政治というものの本質、政治的人間の本質を描き尽くした「一級の書」

葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道をゆきし人あり (釋迢空)

(2018年2月26日 情報追加)




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2018年2月23日金曜日

甘くてうまい「たんかん」は4つに切ると食べやすい


教育諮問委員を務めている玉川学園より季節のいただきもの。鹿児島県南さつま市坊津町産の「たんかん」

玉川学園の創立者である小原國芳が、坊津出身のため、栽培農家に生産を依頼しているのだそうだ。例年は「ぽんかん」をいただいているのだが、今年は「ぽんかん」である。理由は定かではない。

ことしは九州も雪が多いので心配だったが、南国の便りをありがとうございます!


「たんかん」は、果実が皮から離れにくいので、そのままむくのは難しいが、4つに切ると皮をむきやすくて食べやすくなる。袋ごとそのまま食べると、甘くてうまいあまり酸味を感じない柑橘類である。ジュース代わりに、そのまま果実を食べるのも乙なものだ。

「たんかん」(桶柑)の原産地は、中国南部の広東省で、その後、台湾を経て日本の南西諸島に移植されたという。wikipediaの記述を引用しておこう。

タンカン(桶柑、短柑、学名:Citrus tankan)は、ミカン科の常緑樹。ポンカンとネーブルオレンジの自然交配種のタンゴール (tangor) の一種。
タンカンには「桶柑」(タンカン)の字があてられており、中国で行商人が木桶で持ち歩いたがこの由来とされる。また「短柑」、「年柑」などとも呼ばれる。中国広東省が原産地で、1789年に台湾北部の新荘に導入された。日本には1896年(明治39年)頃に台湾から奄美大島を始めとする南西諸島へ移植された。1929年(昭和9年)頃に本格的な栽培が始まった。現在の主な産地は中国広東省、福建省、台湾中・北部、日本の鹿児島県の屋久島、奄美大島などと沖縄県である。

じつは、これまでそれと知っていて「たんかん」を食べた記憶がない。もしかすると食べているかもしれないが、ネーブルと思って食べていたのが、「たんかん」だったのかもしれない。甘さがネーブルに似ているからだ。

いずれにせよ、南国のフルーツは甘くておいしいという点においては、「たんかん」もまた例外ではないということだ。


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鹿児島産の「ぽんかん」を今年もいただいた

青いみかんは旬の果物-野菜に季節感がなくなったいまも果物には旬がある!

秋の夏みかん

イスラエル産スウィーティーの季節




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2018年2月22日木曜日

わがころもでにゆきはふりつつ -百人一首は日本人にとっての「教養」だ!

(光孝天皇 wikipediaより)

関東地方南部の千葉県湾岸部では、本日(2018年2月22日)の天気予報が大幅に外れに外れ、積もりはしないものの午前中はずっと雪が降っていました。ほんと最近の天気予報は当てになりません。

雪の振るなかで思い出したのが、「わがころもでに ゆきはふりつつ」というフレーズ。和歌の下の句。そう、百人一首ですね。

なんてことを考えていたことを、いまこの時間になって再び思い出してネット検索してみたら、「きみがため はるののにいでて わかなつむ」という上の句がでてきました。

上の句と下の句を合わせると、「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」。 光孝天皇の御製です。光孝天皇は9世紀の平安時代の人。百人一首のトップに登場する天智天皇の「(秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ) 我が衣手は 露に濡れつつ」と対(つい)になってます。

(任天堂の百人一首かるた「舞扇」)

「我が衣手に 雪は降りつつ」なんてフレーズを思い出したのは、高校一年の夏休みの宿題で百人一首を全部暗記させられたから。一日に三首覚えながら、夏休みの終わりには、なんとか百首すべて諳んじることができるようになりました。

百人一首は、日本人にとっての「教養」です。丸暗記は馬鹿にしてはいけません。15歳くらいなら、まだまだ記録力がいいので暗誦することも不可能ではありませんね。

現在では残念ながら、上の句を忘れてしまって下の句だけ覚えている歌が多いのですが、これではカルタ取りでは勝てません・・(笑)







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『伊勢物語』を21世紀に読む意味

書評 『平安朝の生活と文学』(池田亀鑑、ちくま学芸文庫、2012)-「王朝文化」を知るために





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2018年2月18日日曜日

映画 『苦い銭』(2016年、フランス・香港合作)をイメージフォーラムで見てきた(2018年2月12日)-生きるために飯を食う、そのためにカネを稼ぐのが人生


映画 『苦い銭』(2016年、フランス・香港合作)をシアター・イメージフォーラムで見てきた。オリジナルのタイトルは『苦銭』なので、日本語のニュアンスに近いものがあるのだろう。

浙江省の湖州という町に出稼ぎに来ている中国人たちを描いたドキュメンタリー映画だ。生きるとは飯を食うこと、そのためにカネを稼ぐこと。それに尽きる。といっても出稼ぎの雇われ労働者の労賃は低く、彼らを雇用する零細企業の経営者とて富裕層とはほど遠い。まさに「働けど、働けど・・・」である。

映画の撮影された湖州は杭州のとなり、地理的には上海にも近い。中小零細の繊維産業の集積地帯のようだ。出稼ぎに来る中国人の出身地は遠く離れた雲南省や、それほど遠くはない安徽省、そして黄河の南に位置する河南省などの内陸地域。出稼ぎ先では、血縁だけでなく地縁がものをいう相互扶助の世界でもある。

上映時間は164分と長いが、そのほぼすべてが会話で成り立っている。効果音はなし。テーマ曲もなし。音楽は、零細の縫製工場で働いている際にかけられているBGMのみ。ナチュラルな会話のスピードが早く、日本語字幕がなければまったく理解できない。


『苦い銭』というタイトルから、いわゆる「絶望工場もの」かなと思っていたのだが、全編から悲壮感といったものがまったく漂ってこないのは不思議な感じもした。

生きるとは飯を食うこと、そのためにカネを稼ぐこと。その現実は、中国だろうと、それ以外の世界であろうと、変わりはないためだろうか。生きていくためには、厳しい現実であろうと、事実は事実として受け止めていかなくてはならない。そこにあるのは、逆境であろうと笑い飛ばすしかない精神的な強さだ。

2014年から2016年にかけて撮影されたドキュメンタリー映画だが、人民元の札束というキャッシュが登場する世界だ。ここ数年、急速に電子マネー化が進んでいると言われている中国だが、底辺に近い中小零細工場の世界は、いまだ現金の世界なのだろうか?

中国の現実を描いた映画であり、しかも人生という普遍的なテーマを描いた映画でもある。日本語字幕をとおしての理解に過ぎないが、なんだか異なる世界を描いた映画ではないような印象をもった。


<ブブログ内関連記事>

書評 『中国絶望工場の若者たち-「ポスト女工哀史」世代の夢と現実-』(福島香織、PHP研究所、2013)-「第二代農民工」の実態に迫るルポと考察

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008) 
・・「民工」と「農民工」については、日本語と中国語に堪能な著者による本書を読むべし

書評 『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ-』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)-「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論




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2018年2月14日水曜日

JBPress連載コラム19回目は、「「春節」を祝わない日本は不思議な国なのか?-年中行事まで太陽暦に移行した日本の特異性」(2018年2月13日)


JBPress連載コラム19回目は、「春節」を祝わない日本は不思議な国なのか?-年中行事まで太陽暦に移行した日本の特異性」(2018年2月13日)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52292

ことし2018年は、2月16日から「春節」が始まる。日本では「旧正月」といっているが、中華圏の新年のことだ。英語では "Chinese New Year" という。英文のビジネスメールでは略して "CNY" と書くことも多い。

中国や香港、台湾といった東アジアの華人圏だけでなく、シンガポール、マレーシア、タイなどの東南アジアや北米の華人世界、その他、中国文明の影響下にあった韓国やベトナムでも、この日に新年が始まる。

ところが、歴史的に中国文明の影響を受けてきた国のなかでは、日本だけが「春節」を祝わない国となっている。その意味することは一体何か?

つづきは本文で! http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52292


次回の公開は、2週間後の2月27日(火)です。お楽しみに!



PS 今週読まれた記事ランキング2位に!

「春節」を祝わない日本は不思議な国なのか?-年中行事まで太陽暦に移行した日本の特異性」(2018年1月30日)が「今週よく読まれた記事」の第2位になりました!



たいへんうれしく思います。と同時に「1位じゃなかったのか、残念・・」という気持ちもあります。銀メダルを獲得したアスリートの気持ちがよくわかる(笑) いまちょうど2018年冬季オリンピックの最中ですから。

今後もランキングは意識せずに、みなさまに面白いと思っていただけるコラムを書き続けていきたいと思います。

(2018年2月17日 記す)







<ブログ内関連記事>

西向く士(さむらい)-二月きさらぎは偶数月のはじめ

本日2月3日は日本では太陽暦の「節分」。 奇しくも太陰暦の「春節」(CNY) と重なった。 Happy Chinese New Year !

皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる

「神武天皇二千六百式年祭」に思う(2016年4月3日)

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り

きょうは何の日?-ユダヤ暦5272年の新年のはじまり(西暦2011年9月28日の日没)

「ウェーサーカ祭 2013」(2013年5月12日)に参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた+タイ・フェスティバル2013(代々木公園)




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2018年2月1日木曜日

司馬遼太郎の歴史小説 『翔ぶが如く』 は傑作だ!


ことし2018年のNHK大河ドラマは『西郷(せご)どん』。原作は林真理子の小説だ。

大河ドラマで西郷隆盛が主人公となるのは、司馬遼太郎原作の『翔ぶが如く』以来、28年ぶりのことになる。

だが、わたしは残念ながら、大河ドラマの『翔ぶが如く』は全部見ていないのだ。なぜなら、放送があった1990年は、途中からアメリカ留学に出発してしまい、その後2年間にわたって日本から不在だったためだ。

2010年代の現在とは違って、1990年当時はインターネットは一般には普及しておらず日本のドラマを海外でリアルタイムで視聴することなどできなかった。もちろん、MBAコースは猛勉強が必要でテレビドラマなんて見てるヒマはなかった。

だから、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読み始めた。いままで読んだことがなかったのだ。

読み始めたら、ぐいぐい引き込まれてしまう。あまりにも面白いのだ。

西郷隆盛が主人公なのだが、明治国家の設計者であった大久保利通の視点に立ちながら搦め手で描く構成とストリーテリングの巧みさに感心しながら、暴発寸前の不平士族たちが生み出す緊迫感を追体験する。

時代背景は、「征韓論」前夜(明治6年:1874年)から西南戦争(明治10年:1878年)に至るまでの明治時代初期の5年間である。この時間の切り取りかたもじつに巧みである。

もちろん、「歴史小説」はあくまでも「小説」であって「歴史そのまま」ではないのだが、明治維新を「革命」だとする司馬遼太郎の歴史観に大いに納得しながら、物語世界にどっぷりと入り込んでいることに気がつく。

やはり司馬遼太郎はすごい。あらためてそう思わざるをえない。1972年の作品だが、古さをまったく感じさせないのだ。

全10巻の最後まで読みたい。読み終えるのがいつになるか現時点では不明だが、その暁には再びこのブログで感想を報告したい。

じつは、1990年当時はおなじく司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでいたのだが、途中まで読んだまま渡米したために2年以上中断していたのだ。そんなこともあるので、「いつ読み終えるかわからない」と書いたのだが、今回はかならず「明治150年」でもある2018年の、そう遠くないうちに読み終えたいと思っている。

読み終えた暁には、ふたたびこのブログで報告することにしたい。








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