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2018年4月29日日曜日

麻賀多神社の本宮まで行ってきた-樹齢1400年の「大杉」のパワーを浴びる(2018年4月28日)

(麻賀多神社の樹齢1400年の「天然記念樹」の「大杉」 筆者撮影) 


「成田山開基1080年」に際して成田詣でをした際、時間に余裕があったので、京成電車の宗吾参道駅で下車して義民・佐倉惣五郎を祀った佐倉霊堂まで行ってみた。じつはいまのいままで行ったことがなかったのだ。 

駅前から続く1.0kmに及ぶ長い参道を歩いてたどりついた宗吾霊堂は、正直なところ、ちょっと拍子抜けというか、思っていたほどではなかった。江戸時代初期に生き、農民の苦境を直訴して処刑されたという佐倉惣五郎は、「義民」として庶民信仰の対象として篤く信仰されたが、あまりにも伝説的人物である。 


(宗吾霊堂の正門前 筆者撮影)

そこでさらに歩き続けて、麻賀多神社まで行ってみることにしたのだ。距離にして約1.9km、時間的余裕があったからであり、脚力に余裕があったからでもあるが、なにかに導かれるようにして足が向かったのかもしれない。宗吾霊堂から西印旛沼に至る「義民ロード」すなわち佐倉惣五郎一行の直訴の道の沿道に麻賀多神社があるのだ。 


(京成電鉄の宗吾参道駅から印旛沼までつづく「義民ロード」)

その筋、つまりスピリチュアル系では有名な「麻賀多神社」。 

「麻賀多」と書いて「まかた」と読む。勾玉(まがたま)の最末尾の「ま」を取って「まかた」としたらしい。印旛沼の東側から南にかけて、つまり千葉県成田市から佐倉市にかけてしか分布していない珍しい名前の神社だ。全部で18社あり、成田市台方の麻賀多神社が本宮となる。 祭神は、ワクムスビ(和久産巣日神)。

佐倉城下にて、はじめて麻賀多神社の存在を知り、初詣をしてきたのは2013年の正月のことであった。佐倉の人間ではないので麻賀多神社の存在そのものを知らず、そもそも読み方すら知らなかったのだ。その後、本宮は成田にあることを知った。 いつかは成田の本宮に行ってみたいと思っていたが、ひょんなことから実現したことになる。 

前後から走ってくる自動車に気を使いながら歩き続けると、うっそうと繁った森のなかに入っていく。しばらくすると朱色の真垣が目に入ってくる。神域に入ってきたのだ。自動車が何台も停車しているスペースが目に入る。そこが麻賀多神社の正門であることを知る。 


(麻賀多神社の正門の鳥居前。鳥居には菊の紋章 筆者撮影)

「大杉」の存在をそこで初めて知った。わたしは事前にあまり情報を入れないで、いきなり対面する行き当たりばったりなタイプの人間なので、現地情報を何よりも重視している。先入見に惑わされずに、現地で驚きたいのだ。 

社殿はえらく新しい檜造り。あとで調べたら、2017年末に完成したばかりの新社殿なのだ。300年ぶりの新造だそうだ。 


(麻賀多神社の新社殿 筆者撮影)

まずは取り急ぎ「大杉」を見に行く。これが麻賀多神社のメインなのだ これほど大きく、樹齢も長い杉の大木に対面するのは、だいぶ前のことだが屋久島で「縄文杉」を仰ぎ見て以来だ。麻賀多神社の大杉は「東日本一大杉」だそうだ。 「天然記念樹」という。



花粉症患者の杉に対する思いは複雑なものがあるが、すでに花粉症の季節も終息しており憂いなし。 

40mもの高さを見上げて感嘆し、9mもある太い幹の周りをぐるりと時計回りに回ってまた感嘆一周するとふたたびしたから下から巨樹を見上げてさらに感嘆する。巨樹・巨木は、神の依代(よりしろ)にしてご神体なのである。聖徳太子までさかのぼるのだという。まさに1400年のパワーを全身に浴びる


(麻賀多神社の「大杉」は幹周り9m 筆者撮影)

麻賀多神社がスピリチュアル系の世界で有名なのは、この神社の境内社の天日津久(あめのひつく)神社で、「日月神示」(ひつきしんじ)なる神示(しんじ)が示されたからである。大東亜戦争末期の1944年のことだ。 

(2017年末に完成した新社殿 右奥に天日津久神社 筆者撮影)


わたくしは、とりたてて霊感が強くないためか、境内社の天日津久(あめのひつく)神社の前では拝礼したものの、とくに感じるものはなかった。写真も撮らなかった。合理主義者であるからかもしれない。見たいと願っている者には見えるものも、そうではない者には見えてこない。スピリチュアルというのは、そういうものだ。 

正直いって、樹齢1400年の大杉のほうにパワーを感じるのは、わたしの感性のありかの問題であろう。 1400年ものあいだ、山火事や落雷で焼けることもなく、台風にも暴風にも耐え抜いてきた生命力。この生命力そのものが霊力であるのだ。

スピリチュアル系でない人も、麻賀多神社の参詣は大いに薦めたい。なぜなら、そこに「大杉」があるからだ。屋久島までいかなくても、大杉のパワーをいただくことができるのである。

地元の人間とスピリチュアル系の人間にしか知られていないのは残念なこと。もっと広く一般に知られるべき神社だと思う。








<ブログ内関連記事>

2013年の初詣は麻賀多神社(まかた・じんじゃ)にいってきた(2013年1月3日)

・・佐倉城下の麻賀多神社への参詣

千葉寺(ちばでら)をはじめて訪問(2016年3月2日)-境内の巨大な「大銀杏」は千葉県指定の天然記念物!

・・境内にイチョウの巨樹がある

初詣は飯綱神社(千葉県八千代市萱田)にいってきた(2017年元旦)-神社の境内に鐘楼があるのは明治維新の際の「神仏分離令」以前の名残り
・・境内にイチョウの巨樹がある

市川文学散歩 ①-葛飾八幡宮と千本いちょう、そして晩年の永井荷風






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「成田山開基1080年記念大開帳」の初日に成田山新勝寺に参詣(2018年4月28日)-運の良いことに「お練り行列に遭遇!


(沿線の京成電鉄お駅に貼られているポスター)

「成田山開基1080年記念大開帳」の初日に成田山新勝寺に参詣してきた(2018年4月28日)。10年に1回に機会であり、奥之院などが「開帳」されるのだという。


ちょうど28日は「お不動様のご縁日」。その4月28日から「成田山開基1080年」が一ヶ月の期間で始まるのは、意図したものだろう。成田山新勝寺は真言宗豊山派。いうまでもなく不動信仰がその重要な要素である。

そしてまた「1080」という数字も単なる偶然という気がしない。煩悩は108あるといわれるが、とすると1080は煩悩の10倍ということになる。そのことにかんする言及はまったくないが、どうも気になってしまうものだ。

4月28日の11時から「お練り行列」があると成田山のウェブサイトにあったので、すこし早めに入ることにした。


運の良いことに「お練り行列に遭遇!

参道を歩き始めると、旗を持って歩く参拝団の人たちが目に入ってくる。その背中には「南無大師遍昭金剛」の文字が。いうまでもなくお遍路さんで有名なフレーズだ。真言宗は弘法大師空海を祖としている。



ゆっくりとしたペースで参道を歩いている参拝団の人たちを追い越して歩いて行くと、お練り行列が目に入ってきた。山伏姿の修験者が先導している。



烏帽子と水干姿の従者が差しかける色鮮やかな和傘、そして練り歩く高僧たち。いまから1080年前は紀元939年(天慶2年)、平安時代である。

成田山新勝寺は、関東地方で台頭した平将門の乱の鎮圧を祈願して開基された寺院だ。新勝寺というネーミングがそれを物語る。ちなみに遣唐使が廃止されたのは894年のこと。摂関政治の時代である。まだ古代であった。




紫の袈裟姿の高僧、オレンジ色の舞と雅楽風の衣装。まさに平安時代。時代祭のような感じ。その後ろからスマホで写真を撮りながら、お練り行列と平行して歩いて行く。



少し先回りして正門の前に回り込むと、お練り行列が境内に進んでゆく様子を見る。プラカードをもった女子高生が先導、導師は龍を乗せた金の天蓋とともに移動してくる。




その後、式典が行われたが、これについては省略することとしよう。



(「成田山開基1080年」の初日の成田山新勝寺 筆者撮影)


■「特別開帳」で奥之院へ

ひさびさに「奥之院」を参拝する。前回は、断食修行のために滞在していたのがちょうど成田祇園祭りの最中だったので開帳されていた。それ以来のことなので8年ぶりとなる。


(特別開帳の奥之院の入り口 筆者撮影)

奥之院は、天井の低い岩室で、入ったとたん、早速アタマを天井にぶつけてしまった。

一通り境内を回って参拝をすませたあと帰途につく。

参道を歩きながら、米屋総本店に入って土産物を購入。成田といえば米屋の羊羹が定番。ひさびさに羊羹を購入した。このほか、地酒の長命泉の蔵本で日本酒を購入。


(米谷総本店で土産を買う)

この日の成田山は、正月の初詣ほどではなかったが、たいへんな混雑ぶりであった。

午前中にほぼ参拝を済ませてしまったので、いままでいったことがなかった宗吾霊堂に参拝することにして、京成電車で宗吾参道駅に移動した。

つづきは、麻賀多神社の本宮まで行ってきた-樹齢1400年の大杉のパワーを浴びる(2018年4月28日) で。





<ブログ内関連記事>


深川不動堂(=成田山東京別院)で「お練り歩き」に遭遇(2017年12月15日)-お不動様の御利益か!?


成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)


成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)


不動明王の「七誓願」(成田山新勝寺)-「自助努力と助け合いの精神」 がそこにある!


「1日で巡るお遍路さん in 丸の内」に参加してきた-四国八十八か所霊場ご本尊の77年ぶりの「出開帳」(2013年4月18日)

「秋季雅楽演奏会」(宮内庁式部職楽部)にいってきた(2012年10月19日)


書評 『平安朝の生活と文学』(池田亀鑑、ちくま学芸文庫、2012)-「王朝文化」を知るために





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2018年4月24日火曜日

JBPress連載コラム第24回目は、「歴史を実学として生かしきった稀代の政治家に学ぶ-世界を救った “歴史家” チャーチルの言葉の力」(2018年4月24日)


JBPress連載コラム第24回目は、歴史を実学として生かしきった稀代の政治家に学ぶ-世界を救った“歴史家”チャーチルの言葉の力(2018年4月24日) ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52908

2017年に英国で製作されて大ヒットした『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』という映画が日本でも上映中だ。ご覧になった方も多いのではないだろうか。 

(映画『ウィンストン・チャーチル』英語版ポスター)

今回は、チャーチルが首相に就任してから究極の決断を下して実行に至った数日間を描いたこの映画を、現代史の文脈のなかに位置づけ、現在の日本人が視聴すべき意味を考えてみたい。 


映画はエンターテインメントとして純粋に楽しめばいいのだが、背景知識があれば「有事のリーダーシップ」についてより深く読み込むことが可能になるだろう。 

つづきは本文にて  http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52908








<実学としての歴史>

歴史に関するチャーチルの名言を紹介しておこう。それは、"The longer you can look back, the farther you can look forward."(=過去を長く振り返るほど、将来を長く見通すことができる)というものだ。 

チャーチルはこうも言っている。“Study history, study history - in history lie all the secrets of statecraft.”(歴史を学べ、歴史を学べ - 政治的手腕の秘訣はすべて歴史にある)。先見性を養うためには、なによりも歴史を学ぶことが、「急がば回れ」の王道なのである。単なる「教養」としてではなく「実学」として歴史をフル活用したチャーチルは、現在のような見通しのきかない激変期にこそ振り返るべき存在だといえる。


<関連サイト>

『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』(日本版 公式サイト)


<ブログ内関連記事>

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・チャーチルのリーダーシップと、サッチャーのリーダーシップは比較してみると面白いだろう。ともに、妥協を拒否するという点において「非」英国的であったことは共通している

映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気
・・チャーチルが首相に就任した際の国王はジョージ6世。その人を主人公にしたのが『英国王のスピーチ』


『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典
・・チャーチルは、ドラッカーの処女作『経済人の終わり』を高く評価し、大いに推奨


■「有事のリーダーシップ」

「ハーバード リーダーシップ白熱教室」 (NHK・Eテレ)でリーダーシップの真髄に開眼せよ!-ケネディースクール(行政大学院)のハイフェッツ教授の真剣授業


■「実学としての歴史」

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・このブログ記事に書いた<書評への付記-"実学としての歴史学"->をご参照いただきたい

書評 『米中戦争前夜-新旧両大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ-』(グレアム・アリソン、藤原朝子訳、ダイヤモンド社、2017)-「応用歴史学」で覇権交代の過去500年の事例に探った「トゥキディデスの罠」
・・「応用歴史学」(Applied History)の成果。過去の歴史からケーススタディを導きだし、パターンを抽出、いかにして危機回避を行うかについて具体的な検討を行う





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2018年4月22日日曜日

「韮山反射炉」を見に行ってきた(2018年4月21日)-日本人なら一度は見学しておきたい反射炉は、まさに「百聞は一見にしかず!」の産業遺産

(韮山反射炉は高さが15.6m 筆者撮影)

昨日(2018年4月21日)のことだが、「韮山反射炉」を見に行ってきた。世界遺産に登録されている「幕末・明治の産業革命」の遺産の一つだ。 

幕末の歴史を見ていると、やたら「反射炉」というものが登場する。有名なところでは藩主・島津斉彬の薩摩藩、藩主・鍋島閑叟の佐賀藩など全国各地の藩や幕府で取り組まれた。

「反射炉」は大砲の鋳造を主目的に建設された金属融解炉のことだ。 燃焼室で発生させた熱を、天井や壁で「反射」させて炉床に熱を集中させ、そこで金属の融解を行う。

明治時代になると、いきなり「転炉」の時代になって、「反射炉」の「は」の字も目にすることがなくなる。だからだろう、困ったことに「反射炉」とは何かという説明が、ほとんどなされることがないのだ。

「反射炉」ってなんだ?  なぜ「反射炉」なんだ? 

やたら出てくる割には、現在の製鉄技術とどう関係するのかよくわからない。そんなことが、ずいぶん昔から気になっていた。 

「韮山反射炉」は、韮山の代官で技術官僚の江川太郎左衛門(=江川英龍、坦庵)が主導して建設した幕府側のものだ。現在まで残る唯一の「反射炉」である。

というわけで、意を決して(!)見に行ってくることにしたのだ。長年の疑問を解決するために。 


■韮山は伊豆半島の真ん中に位置

韮山は、静岡県の伊豆半島の真ん中に近い伊豆の国市にある。関東からならムリすれば日帰りも可能だ。今回は、あたらしく開設された「新宿バスタ」から高速バスで行ってみた。座席指定で事前に要予約、往復で4510円なので、鉄道を利用するより安い。 

朝9時15分の便で出かけて、16:00現地発の便で帰るという日帰りの強行軍。土曜日なので満席だ。時刻表では2時間強で到着することになっているのだが、東名高速が混んでいるので定刻より1時間以上の遅れ、片道で3時間以上もかかった。したがって、現地滞在時間は3時間程度しかないので、観光案内所でレンタサイクルを借りて走りまくった。 

目的地は2つ。まずは「韮山反射炉」、そして「江川邸」。江川邸とは、反射炉を建設した江川太郎左衛門の屋敷のことである。

巡回バス(300円)という選択もあったが(観光案内所ではそちらを推奨していた)、レンタサイクル(500円)を選択。自転車のほうが機動力があるので正解だった。

スマホをナビに変速ギアの自転車で走りまくった。なんといっても富士山の裾野だから、天気は快晴で富士の白嶺を見ながらのサイクリングは最高だ! 


(反射炉から江川邸に向けて走る。目の前には富士山! 筆者撮影)


■なぜ韮山に反射炉なのか?

韮山反射炉は、1853年に建設が開始され、ここで大砲が製造された。この1853年というのはペリー艦隊が「黒船」として「開国」を求めて来航した年だ。翌年の2度目の来日で日米和親条約が締結されることになる。

そもそものきっかけは、1840年のアヘン戦争のインパクトである。当の中国ではなく、日本の武士を中心とした知識階層に大きな危機感を呼び覚ますことになった。江川太郎左衛門は、伊豆半島の治める代官であり、海防にはきわめて大きな危機感を感じていた一人であった。

世界的大都市の百万都市の江戸にとっての江戸湾、そして伊豆半島の地政学的重要性から、海防のための大砲による備えは喫緊の課題であったのだ。

当時の最先端ハイテク地域は鍋島公が藩主の佐賀藩で、江川太郎左衛門は佐賀藩の協力のもとに反射炉の建設と大砲製造を行ったらしい。そもそも佐賀藩自体、オランダ語の専門書だけ読んで建設に取り組んで成功しているのだから、驚きとしかいいようがない。 

「反射炉」の時代があっという間に終わったのは、同時代の英国はまさに「産業革命」の真っ最中で、日本で洋書を頼りに自前で反射炉の製造に取り組んでいた時期には、英国では最新鋭のベッセマー法が発明されていたからだ。

明治維新以後は、高給で雇った外国人技術者をフルに活用することになる。つまるところ、時間をカネで買うという戦略に転換したわけだ。 


(反射炉の説明書き 筆者撮影)

技術史的に見れば、「反射炉」は過渡期の製造技術であったわけだが、専門書を読んだだけで自前で創ってしまう日本人というのは、現在から見てもとてつもない人たちであったとしか言い様がない。 

2015年にはめでたくも「世界遺産」に登録されているが、わたしが訪問した時には、外国人観光客は皆無であった。「世界遺産」というのは外国人観光客を呼び込むためのものというよりも、権威付けによって日本人の関心を喚起するために利用されている仕組みなのだな、と思うのであった。

別に皮肉で言っているわけでない。世界遺産に登録されたことで予算が付き、遺跡を保護しようという地域住民の意識が高まり、しいては地域振興につながるという「効用」があるからだ。

まあ、そんなことはさておいても、日本人なら一度は見ておきたい「韮山反射炉」165年前の産業遺産が、原型を保ったまま保存されているのは素晴らしいことだ。 

まだ見たことがない人は、ぜひ見るべきだと力説しておきたい。









<ブログ内関連記事>

「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきた(2014年6月21日)-旧帝国海軍の「近代化遺産」と「日本におけるアメリカ」をさぐる
・・慶応3年に幕府が建造したドライドック(・・なんと現在でも現役で使用!)、旧帝国海軍の建造物各種(・・これまた米海軍がそのまま現役で使用!)など

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について





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2018年4月21日土曜日

書評 『戦略の地政学-ランドパワー vs シーパワー』(秋元千明、ウェッジ、2017)-日本が進むべき針路は「日米英三国同盟」への道


『戦略の地政学-ランドパワー vs シーパワー』(秋元千明、ウェッジ、2017)という本を紹介したい。  

地政学にかんする本は、ここ数年あふれるばかりに出版されているが、単なる便乗本が多い。いずれも大同小異で、切り貼りとまでは言わないが、書かれている内容に大差ない。 

わたしとしては、この分野では先駆的な『地政学入門-外交戦略の政治学-』(曽村保信、中公新書、1984)という古典的名著をちゃんと読んでいればそれで必要十分だと思っているのだが、ただ出版時点が「冷戦時代」のまっただ中であったので、環境変化を踏まえた最新の入門書は必要だろうと考えている。

英王立防衛安全保障研究所アジア本部所長をつとめる秋元氏のこの本は2017年の出版であり、内容的にいっても「地政学」についてズブの素人が読むにはちょうどいいのではないかと思う。 (*ただし、中国にとっての国際秩序が現在でも華夷秩序であるという、誤解を招きかねない個所には要注意)。

というわけで、地政学についてある程度知っている人は第1章から第6章あたりまでは、ざっと斜め読みで済ませ(・・まったくの入門者はもちろん熟読を!)、第7章の「戦略と沖縄」、第8章の「日本の進路」は、比較的じっくり読んでみることを薦めたいこの2つの章は、きわめて重要なことが書いてある。 

第7章では、なぜ沖縄が戦略的に重要なのかが地政学的に明快に解説されている。基地問題の背景の背景と言うべきであろう。

第8章では、大平洋における安全保障の要である「日米同盟」を補完するための「日英関係」の重要性が指摘されている。この章が本書のキモだといっていいだろう。 英王立防衛安全保障研究所アジア本部所長ならでは、というべきか。


■ユーラシア大陸の両端に位置する島国・英国と島国・日本

地政学でいう「シーパワー」(=海洋勢力)でユーラシア大陸の西端と東端に位置する島国の英国と日本は、かつて20世紀の前半においては「日英同盟」で結ばれていた。残念ながら米国の横やりで同盟破棄に至っただけでなく、第二次世界大戦においては交戦国となってしまったのは両国にとって不幸なことであった。 

日本と英国の関係が、冷戦崩壊から四半世紀を経た最近、西太平洋において、きわめて緊密の度を増しつつあることは、気づいている人は気づいていることだろう。関係強化は、経済分野や文化面だけではない。軍事面でも関係強化が進行中なのだ。


■英国サイドから見た日本の重要性

地政学でいう「ランドパワー」(=大陸勢力)の中国とロシアの接近でユーラシア大陸の情勢が変化するなか、英国サイドにおいても日本の重要性が浮上してきているのである。英国は「EU離脱」後には、むしろ戦略上のフリーハンドを得ることになるわけであって、EU諸国とは是々非々の関係になる。 

そもそも英国は、オーストラリアやカナダを中核とした英連邦をはじめ、さまざまな安全保障のネットワークを構築し、縦横無尽に活用してきたことはアタマのなかに入れておく必要がある。変な言い方かもしれないが、「腐っても鯛」ならぬ、「衰えたりといえども英国」、である。 


■日本サイドから見た英国の重要性

日本サイドとしても、中国との関係においては、米国との同盟に加えて、あらたに同盟を模索する動きが強まっているのはそのためだ。その一つの方向性が、英国との親密な関係関係の模索である。日英関係は、ふたたび相思相愛の関係に発展しつつある。

軍事的な意味での協力関係が着々と進行中だ。現在も、英国の揚陸艦が東アジア海域に向けて航行中である。 いずれ「日英同盟」の復活が実現するのではと、わたくしも期待しているのだが、その際には「日米同盟」と「米英同盟」の関係が「日米英三国同盟」に発展することが望ましい。著者もそういう趣旨の発言を本書で展開しているが、これはぜひ実現してほしいものだ。 


(「西側の防衛ネットワーク」 本書 P.248 より)

世界の趨勢は、二国間の「アライアンス」(alliance)から多国間の有志連合である「コアリション」(coalition)へとシフトしつつある。二国間の「アライアンス」においては行動の制約が大きいが、「コアリション」などのネットワーク型だと是々非々が可能となる。この点が好まれるわけだ。


■北極を中心とした「日英米三国同盟」への道

本書の終わりのほうに、北極を中心にした「日英米による平和と安定の正三角形」の図が登場する。それは地球温暖化によって北極海の重要性が高まっている状況を前提にしたものだ。 

すでに北極海では、東京とロンドンのあいだをダイレクトに結ぶ海底ケーブルの敷設が始まっている。完成の暁にはインターネットの通信速度のスピードアップが実現することになる。ロンドンとニューヨークのあいだは、世界でもっとも通信量の多い区間である。


(「日英米による平和と安定の正三角形」 本書 P.271 より)

 「日英同盟」の復活、「日米英三国同盟」の実現というのは、著者自身の主張であり価値観の表明であるが、明快で明確な「日本の針路」は、きわめて理にかなったものだとわたしも同感している。 

極端な話、かならずしも対等ではなくても構わない。英米アングロサクソンを敵に回さないことが、日本のサバイバルに不可欠であり、それが第二次世界大戦から得た歴史の教訓だ。だが、状況は70年前とは大きく異なっており、かならずしも消極的な意味からの同盟模索ではない。それは、これまで述べてきたことが理由となる。

こういう観点から、日々の国際ニュースを見ることが必要なのである。






目 次    

はじめに 
第1章 地図から見える世界  
第2章 地政学の誕生  
第3章 新たなグレートゲーム  
第4章 米露の地政戦略  
第5章 膨張する中国  
第6章 舵を失った日本  
第7章 戦略と沖縄  
第8章 日本の針路  
巻末対談 英国・エクセター大学歴史学教授ジェレミー・ブラック博士に聞く
おわりに 
参考文献


著者プロフィール 
  
秋元千明(あきもと・ちあき)  
英国王立防衛安全保障研究所アジア本部(RUSI Japan)所長。早稲田大学卒業後、NHK入局。以来、30年以上にわたって、軍事・安全保障専門の国際記者、解説委員を務める。一方、RUSIでは1992年に客員研究員として在籍した後、2009年に日本人で唯一のアソシエイトフェローに指名された。2012年、RUSI Japanの設立に伴いNHKを退職し、現職。現在は大阪大学大学院で招聘教授、拓殖大学大学院で非常勤講師も務めている。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>


National Security Strategy and Strategic Defence and Security Review 2015  HM Government (United Kingdom) 

2.12 Our special relationship with the US remains essential to our national security. It is founded on shared values, and our exceptionally close defence, diplomatic, security and intelligence cooperation. This is amplified through NATO and our Five Eyes intelligencesharing partnership with the US, Canada, Australia and New Zealand. We are extending and expanding our defence and security relationships with our European partners, notably France through our commitments under the 2010 Lancaster House Treaty, and Germany. We have close relationships with all EU member states, and with allies worldwide such as Japan.





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JBPress連載第7回目のタイトルは、「どう付き合う?今もなおアジアに深く根を下ろす英国-日本と英国の利害が重なり合う場「ブルネイ」」(2017年8月29日)・・「2017年になってから、英国と日本は英国軍と自衛隊の防衛協力を強化するため「日・英物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名している。 昨年2016年には、「日英戦闘機共同訓練」のため英国空軍の最新鋭戦闘機が初来日し、日本国内で初めて日英共同訓練を実施した。日本と英国は、政治経済だけでなく軍事面でも着々と協力関係を構築しつつある。 アジア太平洋地域における情勢の変化に対応するためだが、その背景には、先に見てきたように、アジア太平洋地域で、日本と米国だけでなく英国の利害もまた大きく関わっているためでもある。今後日本は、米国だけでなく、英国の動向にも注目していく必要があるだろう。」

ついに英国が国民投票で EU からの「離脱」を選択-歴史が大きく動いた(2016年6月24日)

英国のEU離脱の衝撃は何百年と語り継がれるだろう「逆回し」で歴史をさかのぼると見えてくること(佐藤けんいち、JBPress、2017年6月6日)・・このブログのオーナーであるわたくし自身が執筆したコラム記事。

JBPress連載コラム第23回目は、「英国の“威光”を伝える知られざるスポーツの祭典-あなたは「コモンウェルスゲームズ」を知っていますか?」(2018年4月10日)

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える 
・・「地理的・環境的制約条件という人間が変えることのできない絶対的制約条件からみたら、個々の政治指導者の行動など、長期的にみれば重視する必要はない、というのが地政学の立場に立った著者の基本姿勢である。経済学が個々のプレイヤーに注意を払わないのと同じだ、と。

書評 『なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか-中華秩序の本質を知れば「歴史の法則」がわかる-』(石平、PHP新書、2015)-首尾一貫した論旨を理路整然と明快に説く

書評 『続・100年予測』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、ハヤカワ文庫、2014 単行本初版 2011)-2011年時点の「10年予測」を折り返し点の2016年に読む

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)-「海洋国家」日本の復活をインドネシア中心に描いた戦後日本現代史





(2017年5月18日発売の拙著です)




(2012年7月3日発売の拙著です)








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