「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2024 禁無断転載!



2018年8月19日日曜日

「ミケランジェロと理想の身体」(国立西洋美術館)に行ってきた(2018年8月17日)-古典古代の理想をルネサンスに「再発見」し「発展」させた天才彫刻家の未完の作品をじっくりと観る


「ミケランジェロと理想の身体」(国立西洋美術館)に行ってきた(2018年8月17日)-古典古代の理想をルネサンスに再現した天才彫刻家ミケランジェロ。その未完の傑作を観る絶好のチャンスである。

ミケランジェロというと、ローマにあるヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画など大作を完成させた総合芸術家としてとらえられているが、その本領は彫刻にあった。大理石の彫刻である。ローマにあるダヴィデ像やモーセ像などは、私も直接自分の目で観ている。そのほか聖母子像であるピエタなどが有名な彫刻作品だ。

今回の美術展の目玉は、ミケランジェロがローマに移ることを余儀なくされる前、フィレンツェ時代最後の作品として完成することなく残された「ダヴィデ=アポロ」(1530年頃)を見ることができること、そして天才ミケランジェロが20歳のときの作品「若き洗礼者ヨハネ」(1495~1496年)。後者は1930年に同定されたものの、1936年のスペイン内乱(=スペイン市民戦争)で粉々に破壊され、ようやく修復がなったという曰く付きの作品だ。


 (「ダヴィデ=アポロ」 1530 年頃 フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵 高さ147cm 大理石 公式サイトより)

(「若き洗礼者ヨハネ」 ウベダ、エル・サルバドル聖堂/ハエン(スペイン)、 エル・サルバドル聖堂財団法人蔵  高さ130cm 大理石 公式サイトより 

ミケランジェロの彫刻は、彫刻単体の作品ではなく、建造物の装飾として制作されたものが多いので、現地にいって現場で観るしかないからだ。だからこそ、実物を日本で観ることができるというのはじつに貴重な機会だ。二次元(=2D)の画像では彫刻は理解できないし、動画であろうと三次元でなければ動く画像以上のなにものでもない。立体構造物の彫刻作品は、自分の目で実物を観るにしくはないのである。

私がいった日(2018年8月17日)は、お盆明けだが夏休みであったものの、思ったほど混んでなかった。印象派などの日本人受けする作品ではないからだろう。普段から美術好きでいろんな美術館めぐりなどしていないと見に行こうという気にはならないのではないか。混んでなかったので、じっくりと堪能できたのはありがたかった。

「ダヴィデ=アポロ」は、自分が右回りに動きながら360度じっくりと見ることができた。さすが丸彫りの大理石彫刻である。正面からみただけでは、その全体像はわからない。

「旧約聖書」のダヴィデなのか、「ギリシア神話」のアポロなのか、見ただけでは判然としないというのもミステリアスだ。彫刻家がフィレンツェを去ることを余儀なくされたので未完のまま残されたのだが、かならずしもそうは言い切れないような感想さえもちたくなる。

「西洋文明」を構成する二大構成要素であるヘレニズム(=ギリシア文明)とヘブライズム(=ヘブライ文明)という2つの要素をともに備えている珍しい作品といえるかもしれない。もちろん、ヘブライズムといってもユダヤ人の宗教のことではなく、新約聖書も含めたキリスト教文明のことを指している。「ダヴィデ=アポロ」は、フィレンツェに行った際には観ていないので、日本で観ることができたのはうれしい。


(国立西洋美術館の前の看板 筆者撮影)

むかし大学学部時代のことだが、「美術史」の講義を受講したことがある。講師は、英文学の河村錠一郎教授。美術史の時代区分からいえば「マニエリスム」(=様式主義)への移行期に属するルネサンス後期のミケランジェロについては、ネオプラトニズムの観点からの解説が興味深かった。ルネサンス様式の四段階-1400年-1700年における文学・美術の変貌-』(ワイリー・サイファー、河村錠一郎訳、河出書房新社、1976)の議論をベースにしたものだ。

正確には覚えていないが、「大理石のなかに囚われた魂を救い出すのが彫刻家の使命」、というものだっただろうか。ミケランジェロのそのコトバは、ただ単に彫刻家の発言というよりも、「現世のくびきに囚われ、もだえ苦しむ魂を解放する」といった響きを感じたのである。


■「理想の身体」はルネサンス時代のイタリアで「再発見」された

古典古代の理想は、発掘品をつうじてルネサンス時代のイタリアで「発見」あるいは「再発見」されたのである。これは、イスラームをつうじて間接的に継承されたギリシア哲学との大きな違いである。モノとして目の前に出現して、初めてルネサンス当時の人びとは、キリスト教支配とは無縁の古代ギリシアとキリスト教公認以前の古代ローマの「理想の身体」をじかに目にすることになったのだ。

今回の展示品については、ミケランジェロの傑作2点の彫刻作品以外の作品は、古代ギリシアの彫刻や壺絵を含めて、あくまでも参考品としての展示と割り切ってしまっていいだろう。もちろん、それらにも固有の価値があるのだが、ミケランジェロによって「再発見」され「発展」された「理想の身体」を考えるための参考作品なのだ。


(ラオコーン」 筆者撮影)

展示品のなかで「ラオコーン」だけは、じっくり鑑賞するといい。「ラオコーン」は、1506年にローマの皇帝ティトゥスの浴場跡から発掘された。ローマに移ったミケランジェロも発掘にかかわったものであり、ミケランジェロも大いに影響を受けているからだ。「理想」は「再発見」されたのである。その最たる事例がラオコーンであろう

説明書きにはないが、「ラオコーン」といえば、18世紀ドイツの啓蒙主義時代の作家レッシングが美学にかんする長い評論を書いていることでも有名だ。その「ラオコーン」の模刻が展示されており、写真撮影も可能なので、会場でじっくりと鑑賞したあとは、撮影した写真をふたたびじっくりと鑑賞してみて欲しい。

特別展を鑑賞したあとは、せっかくの機会なので本館の展示も同時に見てくおくべきだろう。国立西洋美術館のコレクションの中心をなすのは、いわゆる「松方コレクション」だ。

松方コレクションのなかでも目玉というべきなのは、19世紀フランスの彫刻家ロダンの作品の数々。美術館内だけでなく、美術館の中庭には「考える人」や「カレーの市民」など、ロダンの彫刻が野外展示もされている。ミケランジェロの彫刻とロダンの彫刻を比較することができるのも、ありがたいことだ。

「理想の身体」といっても、もちろん西洋文明のものであることに留意する必要がある。とはいえ、その「理想の身体」が現在に至るまで近代日本でも「理想」として見なされてきた以上、その是非は別にして、「理想」を追求したミケランジェロの仕事をつぶさに観察することには、大いに意味があると考えるべきなのだ。








<関連サイト>

「ミケランジェロと理想の身体」公式サイト 


<ブログ内関連記事>

フィレンツェとイタリア・ルネサンス

書評 『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス-』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)-「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る

「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える



■マニエリスム後期

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する



「古典古代」の継承と「再発見」

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)-「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語
・・ギリシア哲学はイスラーム世界に継承され、アラビア語からのラテン語訳をつうじて中世ヨーロッパに伝わった。ギリシア語の原典は、ルネサンス時代に「再発見」されたものに過ぎない。古典古代とヨーロッパは直接のつながりはない。

書評 『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)-きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある
・・原子論という唯物論だけは、一神教のイスラーム世界では排除されアラビア語に翻訳されることはなかった。ルネサンス時代のイタリアで「再発見」されるまで埋もれていた
のだ


■「理想の身体」?

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは
・・「理想の身体」とは異なる「肌色の日本人」が、明治時代以降抱いてきたコンプレックス。肌の色の違いと体格差にあらわれた「人種」という壁にまつわる心情

(2018年8月20日 情報追加)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end