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2020年5月2日土曜日

葬儀は究極のサービス業である(2020年5月2日)-4月25日に永眠した父の葬儀一式にかかわって思うこと


■【謹告】

去る2020年4月25日(土曜日)早朝、父が永眠いたしました。5月3日の誕生日を目前に控えての旅立ちでした。享年83。外出自粛が要請される時節柄、家族葬で浄土への旅立ちを見送りました。初七日が終わったいま、ここにご報告いたします。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。合掌。

「願わくば 光となりて 世をば照らさん」


■葬儀は究極のサービス業

父親が亡くなって、葬儀の一式にかかわることになったわけだが、いろいろ思うことがあったので、この機会に記しておきたいと思う。内容が内容だけに、関心のない人は無視してください。

***

まずは、やはり葬儀は絶対に重要だということ。冠婚葬祭はすべて人生の節目にかかわるものだが、生まれてきたものは、すべて死ぬ。これは宿命であって、宇宙の法則というべきものだろう。だからこそ、誕生とともに葬儀は、きわめて大事な儀式なのだ。

母の話によれば、父は宅で死にたいと希望していたが、病状が悪化したため急遽入院することになった。残念ながら臨終には立ち会えなかった(・・コロナウイルス感染防止のため、病院からは見舞いができないと言われていたのだ)。思うに、自宅で死ぬということは、じつはすごく難しことなのだとだな、と。

病院で亡くなってからは、病院で死に顔はみることができた。手を握ることもできた。病院から葬儀会社までの搬送には霊柩車に同乗し、納棺と告別式、そして火葬には立ち会うことができた。

そのすべてのプロセスに参加することで、死者を見送るということの意味、その重要性をあらためて認識した。儀式は、手順にのっとって粛々と行うことが大事であり、そしてそれこそ意味があることなのだ。

ちなみに故人は浄土宗だったので、浄土にいくことになる。告別式を執り行う導師(僧侶)の読経を聞くともなしに聞いていて、つむっていた目の奥で光が見えたような気がした。浄土は光に満ちた空間なのだ。

話を戻すが、納棺の儀にも立ち会った。映画『おくりびと』の世界そのものだ。映画を企画し、みずから主演を務めたのは元木雅弘だったが、今回の納棺師の方も、30歳台前半という感じの若い方だった。遺体を丁重に扱う専門技能と心遣い。これぞ、まさに究極のサービス業なのだな、と。

火葬場で焼いて、遺骨を骨壺に入れるわけだが、そのときの担当者も20歳台の若い女性だった。納棺師の方もそうだったが、全体的に若い人が多いことが印象に残った。そういえば、タレントの壇蜜もまた、若い頃には葬儀の仕事も体験していたのだなと思い出す。

家族葬で送ったのだが、葬儀いっさいを担当していただいた葬儀会社の葬祭ディレクターもまた、30歳台後半と思われる若い方だった。

映画『おくりびと』には、ほんとうに心から感動したが、あの映画の影響はすごく大きいのだなあと思う。高齢化社会にあって、死ぬ人は、これからどんどん増えていくわけだが、そういう世界に若い人たちが多いということに、心強い強い印象を受けた。

葬儀は、冠婚葬祭のなかでも、きわめつけのサービス業だ。こういう世界に若い人たちが多いということは、ほんとうに心強い。業界じたいは成長しているからだろうか。

いかなる動機からこの業界に入るのか、人それぞれで違いがあるだろうが、若い頃から死について考えることは、ほんとうに重要なことなのだ。

父親を見送るという機会に、いろいろ思ったことの一端を記してみた。


PS 明日5月3日は父の誕生日だった。誕生日を前にして逝った父の無念さを想う。


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