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2020年8月17日月曜日

マイケル・ムーアの「華氏119」(2018年)を視聴(2020年8月18日)-世の中は悪くなる一方か? それとも・・


マイケル・ムーア監督の「華氏119」を視聴。amazon Prime Video で「無料」という連絡が来たので。128分。 「119」というのは、2016年11月9日のこと。トランプ大統領誕生の日だ。逆の立場から言えば、ヒラリーが敗れた日である。ムーア監督の立ち位置はリベラル派である。

「911」は言うまでもなく、同時多発テロの2001年9月11日のことだ。「119」は「911」に匹敵する「事件」(?)だと捉えているのだろう。



この映画は2018年の製作・公開。トランプ大統領誕生の必然性(・・良い悪いは別にして)を監督なりにドキュメンタリータッチの突撃取材で描く。

どんな問題も現場にある。アメリカが抱えている問題は、日本の比ではない。いや、いずれ日本もそうなるのか、そうなりつつあるのか

どんな問題であっても、草の根で問題解決していこうとしている人たちがいる。だが、その思いを吸い上げようとしない民主党の上層部エスタブリッシュメントオバマ前大統領もその例外ではなかったことも、失望とともに痛烈に描かれる。



なるほど、これではトランプ大統領が誕生するのもムリはない。フロリダのハイスクール銃撃事件をきっかけに動き出した、選挙権をもたない若者たちの運動には、期待したいものもあるのだが・・・。

この映画は、新型コロナウイルスの感染症爆発(COVID-19)以前のものだ。その後も、警察による黒人殺害事件をきっかけに起こったBLM運動(Black Lives Matter)など、アメリカの問題は尽きることはない。 はたして、ことしの大統領選はどうなるのか? 

ますます混沌としてきたな。草の根レベルで、現代アメリカを読み取ることが重要だ。






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マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える

CAPITALISM: A LOVE STORY

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・・ムーア監督の1989年の作品『ロジャー&ミー』。トランプ氏も視聴していたようだ

米国大統領選でドナルド・トランプ氏が劇的な逆転勝利(2016年11月9日)-米国はきょうこの日、ついに「ルビコン」を渡った

トランプ大統領初来日(2017年11月5日~7日)-この機会に「 トランプ現象」とは何かについてあらためて考えてみる

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい



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2020年8月16日日曜日

「8月15日のガンディ」ーインド独立運動の指導者ガンディーはなぜインド独立式典(1947年8月15日)に参加しなかったのか?


インド独立は、いまから73年前の1947年8月15日だった。本日は、パキスタン独立記念日でもある

つまり、英国からの独立は、パキスタンとの「分離独立」という形となってしまったのであり、まことにもって残念なことだった。もし、そうでなかったなら・・と考えたくなる。

招待されていたにもかかわらず、独立運動の指導者ガンディーは独立記念式典に姿を見せなかった

なぜか?
   
なによりも「分断」を憂慮し、回避しようとしていたガンディーは、この日もヒンドゥー教徒とイスラム教徒の「融和」を図るためインド全土を行脚していたのだ。独立式典など祝っている気にはなれなかったのだ。

8月15日は日本にとっては「終戦記念日」(=敗戦記念日)。だが、インドとガンディーについて考えたい1日でもある。





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JBPressの連載コラム第78回(最終回)は、「今こそ世界が必要とするガンディーのリーダーシップ- 「アフターコロナ」時代の価値観を先取りしていたイノベーター」(2020年5月19日)

JBPress連載第6回目のタイトルは、「独立から70年!いよいよ始まるインドの時代-舞台はインド、日英米はさらに密接な関係に」(2017年8月15日)

JBPressの連載コラム第62回は、「悲惨なインパール作戦、インドからはどう見えるのか- 「形を変えて」インド独立につながっていた」(2019年10月8日)

「緊急事態」解除後に『ガンディー 強く生きる言葉』を求めて「書店フィールドワーク」(2020年6月1日)

新著『ガンディー 強く生きる言葉』のサンプルが届きました-わが人生初の文庫本は「文庫オリジナル」での出版



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2020年8月9日日曜日

書評 『日本人はなぜ自虐的になったのか-占領とWGIP』(有馬哲夫、新潮新書、2020)-敗戦後75年にも及ぶ日本の病理を考える


暑い日が続いている。夏だから当然だとはいえ、暑い夏にはほんとうに消耗させられる。そんな夏の暑い日に広島と長崎に原爆が投下され、日本は「敗戦」したのだ。今年2020年で75年前のことになる。

この時期にふさわしいテーマが戦争ものだ。『日本人はなぜ自虐的になったのか-占領とWGIP』(有馬哲夫、新潮新書、2020)を読了。占領時代のものもまた、広い意味で戦争ものといっていいだろう。 

日本人の主観的意識においては「終戦」であるが、「敗戦」によって「終戦」したことは否定しようのない歴史的事実である。だが、その「敗戦」の仕方がまずかったのだろう、なぜか現在に至るまで日本人から自虐意識が抜けない。これは病理現象というべきだろう。

なぜそんな状態が続いているのか? その根源は「敗戦」後の米国による7年間に及ぶ占領時代にある。1945年から1952年までの7年間だ。

本来は「条件付き降伏」であったにもかかわらず、「無条件降伏」だと思い込まされてきた日本国民戦争に罪悪感をもち、侵略戦争と防衛戦争の区別もなく戦争を悪とみなす思い込みをもつ日本国民。こういったマインドセット(=精神のあり方)が形成されたことの背景にあるのはなにか。

著者は、それを米軍による「心理戦」に求めている。二度と米国に刃向かわないように、日本人のマインドを改変すること。そこまでやらなければ、戦争目的が遂行されたとは見なさない。そういう姿勢である。米国による「日本改造」が、そのミッションであった。それはほぼ成功したといってよいだろう。

「終戦の詔勅」によるポツダム宣言の受諾は8月15日だったが、正式に降伏文書に署名したのは9月2日である。この事実までは、比較的知られていることだろう。だが、それですべてが終わったわけではないのだ。戦闘は終わったが、戦争は継続していたのだ。

日本の占領統治にあたったのは、連合国軍のなかでも米軍が中心であったが、その米軍の「心理戦」の中核にあったのが WGIP である。War Guilt Information Program の略だ。「戦争を罪悪(ウォー・ギルト)と思い込ませる情報プログラム」とでもなるのだろうか。「プロパガンダ」である。「洗脳プログラム」である。米国の都合のいいような日本を作り上げるプログラムである。

WGIP については以前から取り上げられ、糾弾的な姿勢で論じられてきたてきたが、賛否両論にわたって論争がかまびすしい。存在そのものを否定する論もあるが、著者の有馬氏は米国の公文書館に保存されている第1次資料に基づいた調査研究を行った。その成果が本書である。

マスメディア(当時は、新聞・ラジオが中心、しかもラジオはNHKしかなかった!)と映画の活用、その後に導入されたTVもまた「反共」を目的に米国が積極的に普及させたものだ。繰り返し視聴することで、知らず知らずのうちに価値観が刷り込まれていく。

日本政府が正式に命名した「大東亜戦争」を使用させず、「太平洋戦争」だと思い込ませるようマスメディアをつかった刷り込んだのはその一例だ。太平洋戦争はあくまでも米国の観点にしか過ぎないのに、このネーミングのせいで日本人は「先の大戦」における中国大陸と東南アジア(当時は南洋)について忘却しがちである。

そして極めつけが学校教育であった。教育ほど「洗脳」が効果的に行われる場所はないからだ。マスコミュニケーション理論の「回路形成理論」(チャネリング)が活用されたのである。

「回路形成」とは、著者の表現をつかえば、「やわらかい土の上に水を流すと、溝が形成され、そのあと何度水を流してもおなじ溝を流れることになる」ことである。事実の解釈の枠組みが脳内に回路として形成され、しかも固定してしまうのだ。

アタマがまだ柔らかいうちに回路が形成されてしまうと、ほぼ一生にわたって、おなじ回路を情報が流れることになる。その最大の「被害者」ともいうべきなのが、団塊世代(1947~1949年生まれ)である。

だが、無意識レベルで刷り込まれているので、その世代の人びとは自分たちが「被害者」であることはもちろん、「加害者」であるという意識すらない。繰り返し蒸し返される慰安婦問題などの負の遺産は、そもそも問題そのものを作り出したのは日本人であって、韓国人はそれを利用しているに過ぎないのだ。

慰安婦問題もそうだが、原爆報道もそうだし、尖閣問題という「いま、そこにある危機」が迫っているにもかかわらず、相も変わらず戦争反対を唱える平和ボケの敗北主義者を生み出している根源には、占領時代の米軍による心理戦とWGIPがあったことは、歴史的事実としてしかと認識すべきであるのだ。

著者の立ち位置は、あくまでもファクトベースのものであって、特定のイデオロギーに立脚するものではない。

「WGIPコミンテルン陰謀説」を主張する「歴史戦」論者たちとは一線を画していることは特記しておくべきだろう。朝日新聞だけでなく産経新聞もまた批判しているのは、フェアな態度だというべきである。






目 次 
まえがき 
第Ⅰ部 今ここにあるWGIPマインドセット 
第1章 日本のマスメディアと教育は歴史的事実を教えない 
第2章 なぜいまWGIPなのか 
第3章 WGIPマインドセットの理論的、歴史的証明 
第Ⅱ部 占領軍の政治戦・心理戦はどのように行われたのか 
第4章 ボナー・フェラーズの天皇免責工作と認罪心理戦 
第5章 ケネス・ダイクと神道指令 
第6章 ドナルド・ニュージェントと国体思想の破壊 
第7章 心理戦は終わらない 
第Ⅲ部 WGIPの後遺症 
第8章 原爆報道に見る自虐性 
第9章 慰安婦問題に見るWGIPの効き目 
第10章 WGIPマインドセットの副産物「平和ボケ」 
あとがき 


著者プロフィール
有馬哲夫(ありま・てつお)
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)







<ブログ内関連記事>

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる
・・「日本改造」の舞台となった東京。米国人と日系アメリカ人

映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた-日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念
・・原作のタイトルは『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎、集英社、2002)。内容は大幅に異なる。占領する側と占領される側とは、それほど溝が深い

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)-きわめて大胆な仮説的推論。じっさいに自分で読んで内容が是か非か判断してほしい

JBPressの連載コラム第73回は、「東京大空襲で10万人の死者、「3・10」を忘れるな-原爆よりも犠牲者が多かった米軍の非道な「無差別殺戮」」(2020年3月10日)
・・原爆だけではない!

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ

『日本がアメリカを赦す日』(岸田秀、文春文庫、2004)-「原爆についての謝罪」があれば、お互いに誤解に充ち満ちたねじれた日米関係のとげの多くは解消するか?

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない



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2020年8月8日土曜日

書評『天災から日本史を読み直す ー 先人に学ぶ防災』(磯田道史、中公新書、2014)ー「現在」に生きる人が「近未来」に備えるため、先人の体験と教訓に学ぶ災害史は役に立つ


遅ればせながら『天災から日本史を読み直す-先人に学ぶ防災』(磯田道史、中公新書、2014)を読んだ。ベストセラーでかつロングセラーの新書である。
  
 磯田氏は、いま日本でもっとも有名な歴史家といっていいだろう。映画化もされた『武士の家計簿』(新潮新書、2003)が超ベストセラーになって、一躍時の人になった1970年生まれの歴史家だ。古文書マニアとしても知られている。

この本は、2011年の「3・11」に触発されて誕生したものとばかり思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。著者自身が「あとがき」語るところによれば、18歳のときに最初に入った大学の「近世史」の講義で聴いた浅間山の噴火の話が、1つの大きなキッカケになったようなのだ。

「歴史は役に立つ」のだと確信して、歴史家への道を迷うことなく進むことに自信を持ったのだ、と。志の高さを感じさせるエピソードだ。しかも、ファミリーヒストリーとして、徳島県の牟岐の津波の話も原点にあるのだという。先人の体験と教訓に学ぶ災害史は、役に立つのだ。

「目次」は以下のとおり。


第1章 秀吉と二つの地震
第2章 宝永地震が招いた津波と富士山噴火 
第3章 土砂崩れ・高潮と日本人 
第4章 災害が変えた幕末史 
第5章 津波から生きのびる知恵 
第6章 東日本大震災の教訓 

いずれも読んでいて、じつに面白かった。 

基本的に、自分が暮らしている「地域」の過去の災害の歴史を知ることが関心の中心となるのは、生命財産を守るという観点から当然のことである。だが、それとは直接関係ないかもしれないが、日本列島全体の災害史について知っていくこともまた重要なことだ。

「南海トラフ地震」の被害が想定される太平洋岸、それにともなって発生が予想される富士山噴火の影響を被る関東地方の住民にとって、本書の有用性は言うまでもないだろう。だが、それだけでなく、土砂崩れ、地震と津波、台風と高潮は、日本列島のどこでも発生する可能性があることは言うまでもない。

こういった過去の事例をアタマの引き出しに入れておけば、ヨコ展開という応用が可能になるからだ。電気がつかえない状態では、ネット情報に頼ることもできない。いざというとき頼りになるのは、自分のアタマのなかに蓄積された知恵と知識だからだ。

2011年の「3・11」からすでに10年近く立ち、記憶も薄れがちないまだからこそ、あらためて防災史について知る意味があるのだ。





<ブログ内関連記事>

書評 『複合大噴火』(上前淳一郎、文春文庫、2013、単行本初版 1989)-地球規模で発生する自然災害は容易に国境を越える

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる
・・「寺田寅彦が言っていることは、以下のように要約できるだろう。 (要約) 「天災」は、日本という国にいる以上、避けて通ることはできない。文明が進めば進むほど、自然災害による被害は増大するだけでなく、たとえ一部の損害であっても、すべてがシステムのなかに組み込まれている以上、その被害はシステム全体に拡がる。しかも、国防という観点からみたら、天災が外敵以上に対応が難しいのは、「最後通牒」もなしに、いきなり襲いかかってくるからだ。

明治22年(1889年)にも十津川村は大規模な山津波に襲われていた-災害情報は「アタマの引き出し」に「記憶」としてもっていてこそ命を救うカギになる
・・「明治22年(1889年)奈良県十津川村を襲った山津波のことです。テレビの災害報道ではなぜか触れていませんが、いまから 112年前の1889年8月17日から4日間つづいた大雨で大規模な山崩れが発生し、168人が亡くなったそうです。その結果、2,500人の住民が集団離村して、北海道に新天地を求め、新十津川を切り開いた苦闘の歴史がある」

『崩れ』(幸田文、講談社文庫、1994 単行本初版 1991)-われわれは崩れやすい火山列島に住んでいる住民なのだ!
・・火山灰が堆積してできた日本の土地はもろくて崩れやすい!

地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある ・・火山の噴火や河川の氾濫の痕跡が地層として残る

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味

書評 『龍馬史』(磯田道史、文春文庫、2013 単行本初版 2010)-この本は文句なしに面白い!


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2020年8月7日金曜日

書評 『感染症は存在しない』(岩田健太郎、集英社インターナショナル新書、2020)-病気は「モノ」ではない。「コト」である!


 先月のことだが、『感染症は存在しない』(岩田健太郎、集英社インターナショナル新書、2020)を読んだ。

著者の岩田健太郎氏は、神戸大学医学研究科感染症内科教授。というよりも、新型コロナの感染者が大量発生したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号がらみで有名になった、目立ちたがり屋でお騒がせ医師といったイメージが強く印象に残っている人。

個人的には、正直いってあまりいいイメージをもっていなかったのだが、挑発的なタイトルのこの本を読んでみて、言っていることはまともだなと感じた次第。感染症と病気の本質についての認識を改めることを意図して書かれたものだ。

もともとは、『感染症は実在しない-構造構成的感染症学』(北大路書房、2008)として出版されたものの新書版再刊。 専門出版社から出ていた本だ。「構造構成的感染学」と副題にあるが、こういう小難しいことは読む際に忘れても構わない。

「感染症は存在しない」というのはどういうことか?

著者が言いたいのは、「感染症」は「現象」として「認識」されて初めて感染症となる、ということだ。つまり認識されない限り感染症ではないということ。感染症を病気と言い換えてもおなじこと。

病気だと思うから病気なのであって、病気だと思わなければ病気ではないのである。つまり、病気であるという「認識」は、あくまでも「主観的」なものであり、著者の表現をつかえば「関心相関的」なものとなる。腰痛もちなら、この意味はよくわかるのではないかな? 自分は腰痛に苦しんでいるという認識をもっているのだが、いくら医師の診断を受けても原因が「見える化」されないというもどかしさ。

「実在」と「現象」など、やや小難しい哲学用語がつかわれているが、日本語の日常語で言い換えれば「モノ」と「コト」となる。感染症や病気は、あくまでも「モノ」ではなく、「コト」なのである。

「モノ」ではなく「コト」である以上、特定の病原菌やウイルスだけが病気の原因ではないこと、つまり原因と結果は一対一対応というには限界があるだけでなく、そもそも無理な話であることもわかる。




実際、今回の新型コロナウイルスでも、新型コロナウイルス感染症が既往症を悪化させて重症化させるケースが多いことでも、それはわかる。著名人でいえば、志村けんさんはタバコ吸い過ぎで肺をやられていたこと、岡江久美子さんは乳がんの治療で免疫力が低下していたのである。新型コロナウイルスそのものが唯一の死因ではない。ウイルスは、あくまでもトリガーになったに過ぎないのである。

著者自身はつかっていないが、特定の病原菌やウイルスに原因を求める「要素還元主義」の誤りを主張しているのだろうと私は受け止めた。全体を見ることなく、部分のみを見ることに起因する誤りである。

漢方の話も出てくるが、漢方の思想とは、「全体」の関連のなかで「部分」である病気を考えるというものだ。著者の立ち位置は、基本的に西洋医学だが、東洋医学にも目配りを欠かさないというものであるようだ。岩田氏は、現在では漢方専門医を取得して漢方外来もやっているという。

医者は、それぞれの専門分野での専門家ということになっているが、専門家の言うことは人ぞれぞれで大幅に見解が異なっている。これは、医師であるコメンテーター諸氏のTV番組での発言を見聞きしていると実感されるものだ。専門家だから、一義的に正しいというわけではない

この本は読んでいて、なるほどと思って面白かった。いっけん挑発的なタイトルだが、言っていることはきわめて真っ当であり、むしろ本来そうあるべき考え方といっていいであろう。医療関係以外(たとえば経営関連)でも応用可能な考え方だと思いながら読んでいた。

だが、岩田氏の著書の評価と、岩田氏の専門家としての評価はイコールではない。医療専門家としての評価は、あくまでも治療実績そのもので判断したいと思う。その点についてはよく知らないので、ここでは保留しておきます。






目 次 
第1章 感染症は実在するか 
第2章 病院の検査は完璧か 
第3章 感染症という現象 
第4章 なぜ治療するのか 
第5章 新型インフルエンザも実在しない 
第6章 他の感染症も実施しない 
第7章 メタボ、がん…感染症じゃない病気も実在しない 
第8章 関心相関的に考える 
第9章 科学的に、本当に科学的に考えてみる 
第10章 医者は総じて恣意的な存在 
第11章 価値交換としての医療の価値 
第12章 病気という現象を見据えて、しなやかに生きていくために




著者プロフィール 
岩田健太郎(いわた・けんたろう) 

医師。神戸大学医学研究科感染症内科教授。1971年、島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。沖縄県立中部病院研修医、セントルークス・ルーズベルト病院内科研修医を経て、ベス・イスラエル・メディカルセンター感染症フェローとなる。2003年に中国へ渡り北京インターナショナルSOSクリニックで勤務。2004年、帰国。2008年より神戸大学。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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