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2023年10月24日火曜日

書評『イーロン・マスク 上・下』(ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、文藝春秋、2023)― 人類の未来を憂い、資本主義とビジネスの枠組みでフロンティア開拓に突き進むクレイジーな天才。その軌跡をオープンエンドの現在進行形で中継

 

『イーロン・マスク 上・下』(ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、文藝春秋、2023)をようやく読了。ことし2023年の9月13日に「世界同時発売」された本だ。

上巻の帯に「悩める天才」とあるが、それもさることながら「進軍の巨人」というべきかもしれない。

長い、じつに長い本であった。上下あわせて900ページ超。読み終えるまで3日かかったが、正直いって、読むのにくたびれてしまった。イーロン・マスク(Elon Musk)という「超人」が、止まることなく「進軍」している、そのエネルギーの熱量のせいだろう。

上巻の途中からぐんぐん面白くなってくるが、読者は最後の最後までイーロンに振り回されっぱなしである。

レオナルド・ダヴィンチから始まり、アインシュタインからスティーブ・ジョブズまで、「天才の伝記」を書かせたら右にでる者はいないという、伝記作家で経営者のアイザックソン氏。2年間にわたって密着取材を行ったとのことだが、それはおなじだったのではないか? 

イーロンの下で働いてきた人たちにとっては、言うまでもない。いや、現在進行形で振り回されている。

上下あわせて全95章。ほぼ時間軸に沿って進行していく形式になっているのは、イーロンがスペースX や テスラ といったハイテク製造業だけでなく、それ以外のニューラルリンク、さらにはまた昨年2022年からはSNSのツイッター(現在はX)まで同時進行させているからだ。


(とある書店の店頭ショーウィンドウに飾られているもの)


下巻は、2020年から2023年まで、足かけ4年の現在進行形の出来事を、リアルタイムで中継しているような記述である。

とりあえず、2023年4月で中継が終わっているが、まだまだ現在進行形で進軍がつづいている。オープンエンドなのである。


■かつてのモーレツな日本企業と日本人のような

「ひとつの事業に全集中して、すべての資源をその事業に投入せよ」というのは、伝説の大富豪アンドリュー・カーネギーの成功セオリーだ。

だが、そんな「常識」をはなから無視しているのがイーロン・マスクだ。現時点で、全部で6つの会社を陣頭指揮しているのである。

「超人的」というよりも、「超人」そのものではないか!

1971年生まれで、現在52歳のイーロンは、まさに「知力・体力・気力が一体」となって、「前へ前へと進軍」をつづけているディスラプターである。ディスラプターとは、既存事業という過去をスパンと断ち切ってしまうディスラプション(disruption)の実行者のことである。

「撃ちてしやまん」という、日中戦争下の日本のスローガンを想起させるものがある。敵を打ち破るまで戦いはやめるな、というマインドセットである。

しかも、徹底した「現場主義」であり、「コスト削減の鬼」といってもいいマイクロマネジメントの実行者である。まるでかつての日本の製造業のようだ。

経営者が現場で寝泊まりするのも当たり前朝から夜中まで働きづめで、いきなり深夜に部下に召集をかけることもたびたびである。昔風にいえばモーレツ社長そのものだ。現在の日本なら、ブラック企業だとして糾弾されることだろう。

無茶ぶりに見えるが、生産管理の世界でいう「ムリ・ムダ・ムラをなくせ」というセオリーどおりである。その実現のためには無茶も必要だということだ。

マーケティング依存の「マーケットイン」ではなく、製品そのものが魅力的ですばらしければ、かならず売れるはずだという「プロダクトアウト」の発想。ビジョンの実現と危機感の解決のためには、目に見えるカタチとしての、魅力ある製品がなければ説得力がないという哲学。

需要はつくるものだという信念であり、そのためには徹底して設計と製造の融合を実行させる。サプライチェーンは短ければ短いほうがいい。だからアウトソーシングや系列化など論外で、部品からすべて内製化すべしというの姿勢。

製品ユーザーとの距離は、近ければ近いほうが開発には都合がいい。だから、工場は市場の近くにつくる。米国と中国とドイツである。

アイデアはおなじ空間で働いているほうが生まれやすいから、リモートワークはダメだ、全員出社せよ。まるでホンダの「ワイガヤ」だな。

考えてみれば、自分自身の経験を振り返っても、日本企業も昔はこんなこと当たり前だったような気もする。それだけ、日本企業にも、日本製品に魅力がなくなってしまったということか。日本は進むべき方向を間違っているのかもしれない。

だからこそ、イーロン・マスクのような存在は、日本にも必要だ。こんな超人と付き合うのは、それこそミッション・インポッシブル(=実行不可能なミッション)であろう。とはいえ、過激にみられがちなイーロンの言動だが、日本企業にとってもヒントになることは多いのではないか?

たとえば、ミニカーなどおもちゃが量産プロセス構築において参考になるという話や、部品点数はできるだけ減らしてミニマムにする、マテリアル(素材)への注目などなどである。

そんなヒントが、イーロン自身の発言として、この本のなかには無数にちりばめられている。ディテールにも注目してほしい。


(Author Walter Isaacson talks new Elon Musk biography)


■イノベーションはクレージーな人間の意思と行動なしには生まれない

ミッション・インポッシブルであればあるほど燃える男。困難や苦難はエネルギー源なのだ。アドレナリン出しっ放しである。

飽きてしまうことをなによりも恐れている男何もしていないことに耐えられない男。無理矢理にでも問題をつくりだしては、みずからをむち打つだけでなく、関係する人びとを巻き込んで尻を叩きまくる。

超絶的なワーカホリック。「ワーク・ライフ・バランス」などということばは、イーロンの辞書にはないのだろう。「ワーク・イズ・ライフ」なのだ。

どう考えても実現不可能としか思えないデッドライン設定して公表し、自分とチームを崖っぷちに追い込む修羅場。切迫感。無茶ぶり。実現不能と思える高い目標を設定して、みずからが先頭にたってチーム全体を追い込む姿勢。

たしかに、そうでもしなければイノベーションなど生まれないこともたしかだ。人間は追い詰められて、追い詰められて、はじめて局面打開の知恵が生まれてくる。いや、降ってくるというべきか。



Falcon Starship 英語版の裏表紙。日本語版は下巻の裏表紙に)


火星ミッション実現のための第一歩である、民間企業のスペースX が存在しなければ、米国の宇宙開発は過去の話になってしまっていたことだろう。

「スターリンク」がなければ、ウクライナは戦いつづけることなどできなかっただろう(*ただし、イーロン・マスク自身は、スターリンクはあくまでも民生利用に限定したいようだ)。

いまだ道半ばとはいえ、「テスラ」が存在しなければ、ロボタクシーなどの自律走行の自動運転など夢のまた夢というところだろう。

アイザックソン氏が巻頭に記したイーロン・マスクとスティーブ・ジョブズのことばは、説得力をもって迫ってくる。

最後まで読み終えて、ふたたび巻頭にもどってその2つのことばを読むと、心の底から納得しないわけにはいかない。




感情を逆なでしてしまった方々に、一言、申し上げたい。
私は電気自動車を一新した。
宇宙船で人を火星に送ろうとしている。
そんなことをする人間がごくふつうでもあるなどど、
本気で思われるのですか、と。(イーロン・マスク、2021年5月8日)

 




自分が世界を変えられると本気で信じるクレイジーな人こそが、
本当に世界を変えるのだ。(スティーブ・ジョブズ)
 

ただし、イーロン・マスクとスティーブ・ジョブズには決定的な違いがある。

ジョブズはデザインには、それこそクレイジーなまでのこだわりがあるが、製造は外部にまかせてもかまわないという姿勢であった。

これに対して、イーロン・マスクは真逆である。デザインだけでなく、製造も自分でやらなくてはダメだという姿勢である。

その意味では、同類でありながらも、イーロン・マスクはスティーブ・ジョブズのアンチテーゼであり、かつての日本企業のデジタル時代における「超進化形」といえるかもしれない。

日本の企業人も再考が必要だろう。



■本人は人間にはあまり関心がないが、その人物そのものは好奇心を誘発する存在

イーロン・マスクという「人間」は、事業以外の側面でも面白い。

ビジネス活動をつうじて、「人類」を救うという壮大なビジョン実現には邁進するが、個別の「人間」関係にはほとんど関心がない。アスベルガーを自称していることもあり、脳の配線がどうも一般人とは違うようだ。


(イーロン・マスクがモデル?といわれる映画『アイアンマン』2008年)


複数の女性とのあいだに子どもを何人もつくっているが、その多くが人工授精や代理母をつかっている。人類の数を減らすなという理由もあるようだが、どこまで本気なのかでまかせなのかわからない。

浴びせられてきた金持ち批判に嫌気がさして、不動産をすべて売却してしまい、転々と住む場所を変えながら生活している。コレクションや所有には関心はないのである。

そもそも金儲けじたいが目的ではなく、しかも慈善事業にもほとんど関心がない。かれにとっては、ビジネス活動そのものが、人類への貢献なのである。その意味では、松下幸之助にも通じるものがあるというべきかもしれない。

みずからが信じる「フロンティア開拓」に全財産をつぎ込む姿勢掛け金をずべてぶち込む「オールイン」型の新事業投資。のるかそるか、である。

リスクテイカーなんていうレベルではない。ほとんどギャンブルである。リーマンショックの2008年には、それこそ破綻すれすれまでの財務的綱渡りを演じている。それにしても壮絶だが、もしかすると無意識レベルでは破滅願望があるのかもしれない。




「AIが人間を凌駕させないための戦い」はドンキホーテ的でさえあるが、こういう人は世の中には必要だろう。

2023年に突然に始まり、急激に進化する「生成AI革命」で、2045年に想定されていた、AIが人間の能力を凌駕してしまう「シンギュラリティ」(特異点)が一気に早まってしまったといわれる。

わたし自身は、AIが人類を凌駕してしまうかもしれないが、残念ながらなってしまえば、それはそれで仕方ないだろうと思っている。だが、それは「絶対にダメだ」と論陣を張るだけでなく、実際の製品(モノ)をつうじて世の中に訴えかけるイーロン・マスクの姿勢は希有なものである。


(Optimus, aka Tesla Bot Wikipediaより)


テスラで開発をつづける「人型ロボットのオプティマス」もまたその一つである。

遠隔操作するロボットではなく、ロボット自身に人間の言動を「学習」させるヒューマノイドを開発するという姿勢。さすがである。「学習」という点にかんしては、わが子の X の成長ぶりも参考になっているようだ。

そんなイーロンにとって、機械学習のデータ源として、テスラによる動画だけでなく、ツイッターに投稿される文章や画像や動画もつかえることがわかったというのは、予期せぬ副産物だったようだ。

現在は、データを握った者が、すべてを握る時代なのである。だからこそ、その競争に勝つことは、イーロン・マスクにとって至上命題なのである。負けてはいけないのだ。





■はたして火星にコロニーが建設されるのはいつの日か?

壮大なビジョンと強い危機感。最初から最後まで振り回されっぱなしで、ついていくのはたいへんだ。アイザックソン氏によるこの評伝は、まさにイーロン・マスクそのものである。

「撃ちてし止まん」タイプの超人。こんな人間こそイノベーターとして、「フロンティア開拓」を行うのである。サイエンス・フィクション(SF)から、フィクションを取り除くとのがかれのミッションだ。

はたして、かれが生きているうちに火星にコロニーはつくれるのか? いつまで走りつづけることができるのか?

おそらく、というより間違いなく、枯れるということはないだろう。ある日、突然バタンと倒れて終わる。そんなことになるのだろう。まさに「撃ちてしやまん」である。

とはいえ、現在進行形のイーロン・マスクは、まだまだ当分のあいだ目が離せない存在であり続けることは間違いない。

すでに70歳を超えているアイザックソン氏に、続編を書くことはあるのだろうか? 文庫化される際には多少の追補がなされるであろうが・・・。


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<関連サイト>



(南アフリカでの子ども時代のイーロン) 





「講談社の書籍紹介」より
驚異的な頭脳と集中力、激しすぎる情熱とパワーで、宇宙ロケットからスタイリッシュな電気自動車まで「不可能」を次々と実現させてきた男――。シリコンバレーがハリウッド化し、単純なアプリや広告を垂れ流す仕組みを作った経営者ばかりが持てはやされる中、リアルの世界で重厚長大な本物のイノベーションを巻き起こしてきた男――。「人類の火星移住を実現させる」という壮大な夢(パーパス)を抱き、そのためにはどんなリスクにも果敢に挑み、周囲の摩擦や軋轢などモノともしない男――。いま、世界がもっとも注目する経営者イーロン・マスクの本格伝記がついに登場!イジメにあった少年時代、祖国・南アフリカから逃避、駆け出しの経営者時代からペイパル創業を経て、ついにロケットの世界へ・・・・・・彼の半生が明らかになります。(講談社BOOK倶楽部『イーロン・マスク 未来を創る男』
 



<関連記事>



(2023年12月20日 情報追加)


<ブログ内関連記事>




■先行する「天才」起業家。同類のモーレツなディスラプター





■イノベーションとディスラプション





・・本業に専念し、それ以外はアウトソーシングするという「京都モデル」は、サプライチェーンを極限まで短くするために内製化を徹底するというイーロン・マスクの製造業哲学とは真逆の立場


■宇宙ビジネスと火星移住




■人型ロボット




■イーロン・マスクの原点である南アフリカ


(2025年2月22日 情報追加)


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2013年8月29日木曜日

キング牧師の "I have a dream"(わたしには夢がある)から50年(2013年8月29日)ー ビジョンをコトバで語るということ

(wikipedia より。"I have a dream"演説をするキング牧師)

本日(2013年8月28日)は、黒人解放運動のリーダーであったキング牧師の名言 "I have a dream" (わたしには夢がある)から50年となる記念すべき日です。

1963年8月28日、キング牧師(=マーティン・ルーサー・キング・ジュニア: 1929~1968)は、「ワシントン大行進」において演説を行います。その後半で、"I have a dream" (わたしには夢がある)というフレーズがなんども繰り返されるのです。

人種差別のない世界を夢見て表現した名文句としてよく知られています。わたしはすでに生まれていましたが、もちろん幼児でしたので残念ながら当時の記憶はありません。

同時代のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディの就任演説もまた名言をのこしています。Ask not what your country do for you, ask what you can do for your country. (国があなたにしれくれることではなく、自分が国のために何ができるか尋ねてほしい)。これは1961年のものです。

ケネディーもまたアメリカでは歴史上初のカトリックの大統領です。しかもアイルランド系です。WASP(=ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)といわれる支配階層以外の出身者なのです。歴史的な一歩前進であったわけですね。

理想肌のリーダーが多数存在した時代は、また現実の過酷さがきわめて厳しい時代でもありました。現代もまた現実の過酷さが日に日に増していますが、はたして理想肌のリーダーはどれだけいるのでしょうか?

理想肌で改革派の人たちはかつてリベラルといわれてましたが、現在ではネガティブなイメージがついてしまっているのは残念なことです。リベラルとはもともと「自由主義」を意味するコトバなのですが・・・


キング牧師の名言の効果

理想をビジョンとして視覚的に把握し、それをコトバにして自分の声で相手の聴覚に訴える

聴衆はそのコトバでビジョンを視覚的にイメージし動かされる。人を動かすコトバはまた人から人へとリレーされながらおおきく拡がっていく

とくにキング牧師の名言はそのメカニズムをおおいに発揮しているといってよいでしょう。


(wikipedia より。「ワシントン大行進」におけるキング牧師)

"I have a dream"と言い、その夢の中身を述べ、またさらに"I Have a Dream"と繰り返して夢の中身をさらに具体的に述べなんどもなんども同じフレーズを繰り返して、聴衆の耳に訴え、記憶に残るようにしむけるレトリックですね。


「兄弟」という水平意識が理想形態

20歳代の終わりにアメリカに留学していたときのことですが、キャンパスではしばしば黒人から声をかけられたものです。わたしもまたアメリカにおいては黄色人種のアジア人であったからでしょう。

黒人学生たちからの呼びかけは "Hi Bro !" というフレーズ。ブロー(bro)とはブラザー(brother)の略ですので、「よお、兄弟!」とでもなるのでしょう。親しみを込めた呼びかけですね。

兄弟や姉妹という水平的な関係、これは人間関係としてはもっとも心地よい距離感のある関係でしょう。上下関係ではない、"All men are created equal"(すべて人間は平等につくられた)という理念を反映したものです。

カトリック教会が、修道士をブラザー(兄弟)、修道女をシスター(姉妹)と呼んできたのはそういう関係を示しているわけです。絶対者である神のもとでは、人はみな平等であるのだと。実際がどうであるかはさておいて。

米国ではどこの大学にもフラタニティー(fraternity・・女子はソロリティ sorority)という親睦組織がありますが、は中世ヨーロッパのフラテルニタス(=兄弟団)に由来するものです。ΦΒΚ(ファイ・ベータ・カッパ)など、ギリシア語の大文字3語で表記されていますが、秘密結社の名残でしょう。

フランス革命の理念である「自由・平等・博愛」の『博愛」は「友愛」ともいいますが、フランス語でフラテルニテ(fraternite)といいます。ラテン語のフラテルニタスからきたものです。

はたして現在のアメリカでは黒人も白人もみな「兄弟」となれたのでしょうか? 

MBAの人事管理の授業でアファマティブ・アクションについてディベートをすることになり、黒人学生と組むことになりました。アファマティブ・アクションとは、少数派が不利を是正するために行われる措置のことです。

アファマティブ・アクションは差別是正のためには必要悪だがまだ不可欠な存在だというのがわれわれの立場でした。1990年頃の状況です。

2013年のいま、キング牧師の「夢」はすべて実現したのでしょうか?


非暴力といえば・・・

そういえば、これもまたアメリカ留学中のことですが、サンフランシスコでアメリカ人と会話しているときに話題が非暴力(Non-violence)に及んだことがあります。リベラルな風土のサンフランシスコならではということもあったことでしょう。

「非暴力といえばマハトマ・ガンディーだ」とわたしが言うと、そのアメリカ人は「いやまず思い浮かべるのはマーティン・ルーサー・キングだ」と返してきました。日本人とアメリカ人の歴史感覚の違いかもしれません。

キング牧師とはそういう存在としてもアメリカ人の記憶に焼き付いているのです。

2013年のいま、キング牧師の「夢」はすべて実現したのでしょうか?


(wikipedia よりキング牧師)



"I Have a Dream" キング牧師演説から50年、オバマ大統領も式典に (2013年8月29日)

Greeks Celebrate Brother and Sisterhood
Greeks という総称でフラタニティ(fraternity)とソロリティ(sorority)について。わが母校の RPI のホームカミングデーのサイトに一覧紹介がある。ここでいう Greeks にはギリシア人という意味はない。





『感動する英語』(近江誠、文藝春秋、2003)には、キング牧師の演説などの英文対訳と解説がある



<ブログ内関連記事>

JFK暗殺の日(1963年11月22日)から50年後に思う

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ

書評 『言葉でたたかう技術-日本的美質と雄弁力-』(加藤恭子、文藝春秋社、2010)-自らの豊富な滞米体験をもとに説くアリストテレス流「雄弁術」のすすめ

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)-トップに立つ人、人前でしゃべる必要のある人は必読。聞く人をその気にさせる技術とは?

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?

『動員の革命』(津田大介)と 『中東民衆の真実』(田原 牧)で、SNS とリアル世界の「つながり」を考える


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2012年1月8日日曜日

書評『梅棹忠夫の「人類の未来」― 暗黒の彼方の光明』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)― ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ



未完に終わった『人類の未来』。その構想を可能な限り再現し「あらたな未来」を考える

河出書房から1970年に出版されるはずだった梅棹忠夫執筆予定の『世界の歴史 25人類の未来』

しかし、国立民族学博物館の開設に奔走する超多忙状態のなか、残念ながら未完に終わってしまった幻の著作である。

『梅棹忠夫の「人類の未来」―  暗黒の彼方の光明』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)は、その構想を可能な限り再現しようとした試みである。

梅棹忠夫の手書きによる「目次」と、知的生産のツールであった「こざね」に書き記された発想メモが写真版で収録されており、『人類の未来』の構想プロセスを知ることができる。

また、1970年前後に行われた、SF作家の小松左京などのメンバーとの座談会の記録を読むことによって、『人類の未来』について考えていた知的土壌がどういうものであったかも知ることができる。

1970年の前後に、当時30歳代から40歳代の気鋭の論客たちが「未来」についてリアルタイムで語り合った対談や座談会を40年後の「未来」から読み直すというのは、なんだか不思議な感じもする。ある意味では、タイムカプセルに入れた手紙を40年後に掘り出して読むような感覚だろうか。

梅棹忠夫の未来予測が大筋ではほとんど当たっているのは、それが予言ではなく、論理的にそうなるのは当然だという思考の筋道をとっているからだ。それは、すべてを「地球レベル」というマクロの視点と、具体的な事物というミクロの視点で同時に見ているためだ。

その意味では、「地球時代を考える-SF化する科学文明-」という樋口敬二(名古屋大学水圏科学研究所教授)との1977年の対談と、「地球文明-2000年の座標-」という秋山喜久(関西電力株式会社会長)との2000年の対談が、2012年時点で読んでも、興味深い内容になっている。

『人類の未来』はもしかすると、あまりにも悲観的な話ばかりがつづくので、もし仮に1970年時点で出版されていたとしても、たんなる悲観論として片付けられてしまっていたかもしれない。

だが、それから40年以上たった時点では「すでに迎えた未来」として、現実的なものとなっていることは、多くの人が納得していることだろう。だからこそ、『人類の未来』をテーマにして昨年NHK・ETVで放送されたETV特集 「暗黒のかなたの光明-文明学者 梅棹忠夫がみた未来-」が大きな反響を呼んだのだろう。

「3-11」を経験した日本人は、日本と日本人が世界のなかでどう生きていくべきなのかについて、あらためて徹底的に、根本的に考えなくてはいけない状況に追い込まれている。

ETV特集「暗黒のかなたの光明」を見ていない人も、本書を読むことで、「これからやってくる未来」を考えて、何をなしていくべきかを考えていくための貴重なヒントを得ることができるかもしれない。

ぜひ目を通していただきたいと思う。




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目 次

はじめに(小長谷有紀)
第一部  梅棹忠夫の残した「人類の未来」
『人類の未来』目次案とこざね
梅棹忠夫ののこした『人類の未来』(小長谷有紀)
第二部  梅棹忠夫の見つめていた未来
人間の未来を語る(1966年・・石田英一郎・今西錦司・梅棹忠夫)
どうなる・どうする-未来学誕生(1966年・・林雄二郎・小松左京・加藤秀俊・梅棹忠夫)
なぜ未来を考えるのか(1967年・・加藤秀俊・川添登・小松左京・林雄二郎・梅棹忠夫)
地球時代を考える-SF化する科学文明(1977年・・樋口敬二・梅棹忠夫)
地球文明-2000年の座標(2000年・・秋山喜久・梅棹忠夫
第三部  「人類の未来」に迫る 
まだ、間に合う-梅棹忠夫の達成を未来に延長する(毛利衛)
「貝食う会」の5人(1982年・・加藤秀俊)
梅棹忠夫の未来研究-教祖か予言者か祭司か?(中牧弘允)
「はかなさ」の感受性へ-梅棹忠夫の「人類の未来」論に即して(竹内整一)
科学で価値を語れるか-梅棹忠夫に見る人類の未来(佐倉統)
おわりに(小長谷有紀)


<書評への付記>

1970年前後というのは「未来学」がブームになっていた頃である。

その未来学をリードしたのが梅棹忠夫や小松左京といった人たちだが、同じメンバーが大阪万博の構想についても考え、それが国立民族学博物館として形あるものとして残った一方、書くことを約束していた『人類の未来』はついに書かれずじまいになってしまった。

編者のモンゴル学者・小長谷有紀氏は、梅棹忠夫は『人類の未来』をおそらく書けなかったというよりも、書くというモチベーションを失ってしまったのだろうと指摘している。一つの解釈として耳を傾けるべきである。

1970年の大阪万博が終わってからすぐ、1973年には石油ショックに見舞われた日本人からは楽観論は一気に消えてしまったが、「3-11」後の現在もそうだが、悲惨な未来がやってくるという悲観論はたしかに日本人の耳に入りやすい。梅棹忠夫は、自分が国民にむかって提示する議論がこういう俗流悲観論とみなされてしまうのがいやだったようだ。

未来予測やシナリオシンキングは、ビジョンや目標のような目的志向をもった「創り出す未来」とは根本的に異なるものだ。「そうなりたいもの」という人間の意志とはかかわりなく、「そうなってしまうもの」である。それが悲観的になりがちなのは致し方ない。

いまから考えると、「人類の未来」について考えるという発想じたいが、この時代の特有のものだったような気がしなくもない。1970年前後では、「未来学」というのは先進国のなかでも、英国とフランスと日本でしか見られなかった現象らしい。その当時の冷戦時代の大国であった米国もソ連も、未来を悲観するような「空気」は存在しなかったようなのだ。

座談会のなかで、未来について語る史観には、輪廻史観、終末史観、無限の進化史観しかないという指摘がでてくるが、1970年前後はいまだ「無限の進化史観」の代表である唯物史観が大勢であった時代だ。

いまやそのソ連も崩壊して20年、米国もまたアイデンティティ・クライシスを迎えつつあるように思われる。外敵を設定するだけでは済まされなくなってきている状況だ。

『世界の歴史 25人類の未来』は未完に終わってしまったが、本書に収録された「梅棹忠夫の未来研究-教祖か予言者か祭司か?」(中牧弘充)を読むと、梅棹忠夫の未来研究政府系のシンクタンクであるNIRA(総合研究開発機構)における政策研究に引き継がれたことがわかる。

願わくば、その流れが政府の政策研究としてはもちろん、国民一人一人の課題として、それぞれ取り組むマインドセットとなってゆくことである。

なお、『世界の歴史 25人類の未来』の目次については、梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える と題してこのブログで紹介しておいた。

『人類の未来』をテーマにして昨年NHK・ETVで放送されたETV特集 「暗黒のかなたの光明-文明学者 梅棹忠夫がみた未来-」についても触れているので、ご参照いただけると幸いである。



<ブログ内関連記事>

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録

書評 『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)で黙殺されている第7章とあわせ読むべきだ

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!


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