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2019年4月6日土曜日

マキャヴェッリの『君主論』は「最強の自己啓発書」だ ー『マキャベリ兵法 ー 君主は愛されるよりも恐れられよ』(大橋武夫、PHP文庫、2013 初版 1980)を読む


マキャヴェッリの『君主論』を初めて読んだのは大学時代のことだが、その後もときどき読んでいる。今年(2019年)は、年初から『マキャベリ兵法』(大橋武夫)というタイトルの本を読んでいるが(*)、あらためてマキャヴェッリの『君主論』は「最強の自己啓発書」だと強く思うのである。 

*(注)もともとの原稿は、年初に書いたため、このような表現になっている。

「マキャヴェッリ的」という形容詞は、「非情な」とか「血も涙もない」といったニュアンスで使われるが、じっさいに読んでみると、これほど深く人間と人間が構成する人間社会を深く考察した作品はほかにはないと思わせるものがある。歳を取れば取るほど、その感は強くなる。世の中の酸いも甘いもかみわけてきたからだ。 


つまらない自己啓発書なんか読むより、はるかに役に立つと断言していい。「最強の自己啓発書」というのはそのためだ。ただし、「最高の自己啓発書」とは言っていない。


「最強」ではあるが「最高」ではないというのは、マキャヴェッリが分析し、指摘する事項はまったくもってそのとおりなのだが、使い方にまでは言及していないからだ。つまり倫理は範囲外ということだ。だから、実行する際には非情になる必要があるのだ。 


ただ思うに、マキャヴェッリは、ほんとうは優しい人のではないだろうか。あえて書かなくてもいいことを書いて世に示しただけでなく、活字をつうじて500年後の生きているわれわれにも示してくれているからだ。それは、優しさ以外のなにものでもあるまい。ほんとうに悪いやつだったら、文字に書き残すことなどせず、実行するだけだからだ。 


まあ、そんな感想はさておき、いま読んでいる『マキャベリ兵法-君主は愛されるよりも恐れられよ-』(大橋武夫、PHP文庫)はおすすめだ。  


というのは、著者の大橋武夫氏はすでに故人だが、元帝国陸軍参謀(陸軍中佐)で中国戦線での実戦経験があって、しかも戦後は経営者として経営再建を成功させ、その後は経営評論家として活躍された方だからだ。


『君子論』だけでなく、それ以外のマキャヴェリの著書『ディスコルシ』(別名『ローマ史論』)も含めて、大橋氏がセレクトした発言と大橋氏のコメントがじつに面白くて役に立つ自らの実践と歴史書の裏付けがあるからだ。 

『マキャヴェリ兵法』は、今回はじめて読んでいるのだが、もちろん、原典そのものを読むのがいちばんいい。古典というものは、いつの時代でもあらたな生命をもつからこそ古典なのである。マキャヴェッリは、生きた古典である。



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目 次

まえがき
第1部 悪の名言
 第1章 国家
 第2章 君主
 第3章 統率
 第4章 統治 
 第5章 戦略
第2部 プロローグ
 第1章 当時のイタリアの内外情勢 
 第2章 マキャベリの著作 
第3部 政略論(ディスコルシ)
 第1章 国家
 第2章 統治・統率
 第3章 革新
 第4章 戦略
第4章 君主論(プリンシップ) 
第5章 喜劇=マンドラゴーラ


著者プロフィール

大橋武夫(おおはし・たけお)
1906年(明治39年)11月18日 - 1987年(昭和62年)7月13日)は、日本の陸軍軍人、実業家、経営評論家。軍人として第53軍参謀・東部軍参謀等を務め、階級は陸軍中佐に至る。戦後東洋精密工業社長、同社相談役や偕行社副会長を歴任する。独特の「兵法経営論」の提唱者として知られる。『謀略』『統帥』など著書多数。愛知県蒲郡市出身。(Wikipediaなどから編集)



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賢者が語るのを聴け!-歴史小説家・塩野七生の『マキアヴェッリ語録』より


「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える

書評 『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス-』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)-「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る


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2018年8月19日日曜日

「ミケランジェロと理想の身体」(国立西洋美術館)に行ってきた(2018年8月17日)― 古典古代の理想をルネサンスに「再発見」し「発展」させた天才彫刻家の未完の作品をじっくりと観る



「ミケランジェロと理想の身体」(国立西洋美術館)に行ってきた(2018年8月17日)-古典古代の理想をルネサンスに再現した天才彫刻家ミケランジェロ。その未完の傑作を観る絶好のチャンスである。

ミケランジェロというと、ローマにあるヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画など大作を完成させた総合芸術家としてとらえられているが、その本領は彫刻にあった。大理石の彫刻である。ローマにあるダヴィデ像やモーセ像などは、私も直接自分の目で観ている。そのほか聖母子像であるピエタなどが有名な彫刻作品だ。

今回の美術展の目玉は、ミケランジェロがローマに移ることを余儀なくされる前、フィレンツェ時代最後の作品として完成することなく残された「ダヴィデ=アポロ」(1530年頃)を見ることができること、そして天才ミケランジェロが20歳のときの作品「若き洗礼者ヨハネ」(1495~1496年)。後者は1930年に同定されたものの、1936年のスペイン内乱(=スペイン市民戦争)で粉々に破壊され、ようやく修復がなったという曰く付きの作品だ。


 (「ダヴィデ=アポロ」 1530 年頃 フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵 高さ147cm 大理石 公式サイトより)

(「若き洗礼者ヨハネ」 ウベダ、エル・サルバドル聖堂/ハエン(スペイン)、 エル・サルバドル聖堂財団法人蔵  高さ130cm 大理石 公式サイトより 


ミケランジェロの彫刻は、彫刻単体の作品ではなく、建造物の装飾として制作されたものが多いので、現地にいって現場で観るしかないからだ。だからこそ、実物を日本で観ることができるというのはじつに貴重な機会だ。二次元(=2D)の画像では彫刻は理解できないし、動画であろうと三次元でなければ動く画像以上のなにものでもない。立体構造物の彫刻作品は、自分の目で実物を観るにしくはないのである。

私がいった日(2018年8月17日)は、お盆明けだが夏休みであったものの、思ったほど混んでなかった。印象派などの日本人受けする作品ではないからだろう。普段から美術好きでいろんな美術館めぐりなどしていないと見に行こうという気にはならないのではないか。混んでなかったので、じっくりと堪能できたのはありがたかった。

「ダヴィデ=アポロ」は、自分が右回りに動きながら360度じっくりと見ることができた。さすが丸彫りの大理石彫刻である。正面からみただけでは、その全体像はわからない。

「旧約聖書」のダヴィデなのか、「ギリシア神話」のアポロなのか、見ただけでは判然としないというのもミステリアスだ。彫刻家がフィレンツェを去ることを余儀なくされたので未完のまま残されたのだが、かならずしもそうは言い切れないような感想さえもちたくなる。

「西洋文明」を構成する二大構成要素であるヘレニズム(=ギリシア文明)とヘブライズム(=ヘブライ文明)という2つの要素をともに備えている珍しい作品といえるかもしれない。もちろん、ヘブライズムといってもユダヤ人の宗教のことではなく、新約聖書も含めたキリスト教文明のことを指している。「ダヴィデ=アポロ」は、フィレンツェに行った際には観ていないので、日本で観ることができたのはうれしい。


(国立西洋美術館の前の看板 筆者撮影)


むかし大学学部時代のことだが、「美術史」の講義を受講したことがある。講師は、英文学の河村錠一郎教授。美術史の時代区分からいえば「マニエリスム」(=様式主義)への移行期に属するルネサンス後期のミケランジェロについては、ネオプラトニズムの観点からの解説が興味深かった。ルネサンス様式の四段階-1400年-1700年における文学・美術の変貌-』(ワイリー・サイファー、河村錠一郎訳、河出書房新社、1976)の議論をベースにしたものだ。

正確には覚えていないが、「大理石のなかに囚われた魂を救い出すのが彫刻家の使命」、というものだっただろうか。ミケランジェロのそのコトバは、ただ単に彫刻家の発言というよりも、「現世のくびきに囚われ、もだえ苦しむ魂を解放する」といった響きを感じたのである。


■「理想の身体」はルネサンス時代のイタリアで「再発見」された

古典古代の理想は、発掘品をつうじてルネサンス時代のイタリアで「発見」あるいは「再発見」されたのである。これは、イスラームをつうじて間接的に継承されたギリシア哲学との大きな違いである。モノとして目の前に出現して、初めてルネサンス当時の人びとは、キリスト教支配とは無縁の古代ギリシアとキリスト教公認以前の古代ローマの「理想の身体」をじかに目にすることになったのだ。

今回の展示品については、ミケランジェロの傑作2点の彫刻作品以外の作品は、古代ギリシアの彫刻や壺絵を含めて、あくまでも参考品としての展示と割り切ってしまっていいだろう。もちろん、それらにも固有の価値があるのだが、ミケランジェロによって「再発見」され「発展」された「理想の身体」を考えるための参考作品なのだ。


(ラオコーン」 筆者撮影)


展示品のなかで「ラオコーン」だけは、じっくり鑑賞するといい。「ラオコーン」は、1506年にローマの皇帝ティトゥスの浴場跡から発掘された。ローマに移ったミケランジェロも発掘にかかわったものであり、ミケランジェロも大いに影響を受けているからだ。「理想」は「再発見」されたのである。その最たる事例がラオコーンであろう

説明書きにはないが、「ラオコーン」といえば、18世紀ドイツの啓蒙主義時代の作家レッシングが美学にかんする長い評論を書いていることでも有名だ。その「ラオコーン」の模刻が展示されており、写真撮影も可能なので、会場でじっくりと鑑賞したあとは、撮影した写真をふたたびじっくりと鑑賞してみて欲しい。

特別展を鑑賞したあとは、せっかくの機会なので本館の展示も同時に見てくおくべきだろう。国立西洋美術館のコレクションの中心をなすのは、いわゆる「松方コレクション」だ。

松方コレクションのなかでも目玉というべきなのは、19世紀フランスの彫刻家ロダンの作品の数々。美術館内だけでなく、美術館の中庭には「考える人」や「カレーの市民」など、ロダンの彫刻が野外展示もされている。ミケランジェロの彫刻とロダンの彫刻を比較することができるのも、ありがたいことだ。

「理想の身体」といっても、もちろん西洋文明のものであることに留意する必要がある。とはいえ、その「理想の身体」が現在に至るまで近代日本でも「理想」として見なされてきた以上、その是非は別にして、「理想」を追求したミケランジェロの仕事をつぶさに観察することには、大いに意味があると考えるべきなのだ。





<関連サイト>

「ミケランジェロと理想の身体」公式サイト 


<ブログ内関連記事>

フィレンツェとイタリア・ルネサンス

書評 『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス-』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)-「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る

「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える



■マニエリスム後期

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する



「古典古代」の継承と「再発見」

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)-「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語
・・ギリシア哲学はイスラーム世界に継承され、アラビア語からのラテン語訳をつうじて中世ヨーロッパに伝わった。ギリシア語の原典は、ルネサンス時代に「再発見」されたものに過ぎない。古典古代とヨーロッパは直接のつながりはない。

書評 『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)-きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある
・・原子論という唯物論だけは、一神教のイスラーム世界では排除されアラビア語に翻訳されることはなかった。ルネサンス時代のイタリアで「再発見」されるまで埋もれていた
のだ


■「理想の身体」?

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは
・・「理想の身体」とは異なる「肌色の日本人」が、明治時代以降抱いてきたコンプレックス。肌の色の違いと体格差にあらわれた「人種」という壁にまつわる心情

(2018年8月20日 情報追加)


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2017年12月30日土曜日

書評『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)ー きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある



『1417年、その一冊がすべてを変えた』(スティーヴン・グリーンブラット、河野純治訳、柏書房、2012)というタイトルの本が5年前の2012年に出版されている。

いまからちょうど500年前の話であるから、2017年に出版したら、もっと売れただろうにと思いながら、こういう本は2017年内に読んでおきたいものだと思っていた。いやむしろ、2017年になるまで、5年間読むのを待っていたというのが正直なところだ。読むのを楽しみにしていた。

内容は、一言で要約してしまえば、「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」といっていいだろうか。

これではあまりにも抽象的すぎるので、もうすこし具体的に書籍内容について触れると、「きわめて大きな変化」とは、15世紀以降に西洋文明において一大潮流として発展し、ついには19世紀から20世紀にかけて猛威を振るった「唯物論」のことであり、「きわめて小さな偶然の出来事」とは、「唯物論」的な思考の萌芽が記された古代ローマの哲学書が「再発見」されたことを指している。

(15世紀ボッティチェッリの「春」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

「再発見」ということは、15世紀まで約千年にわたって誰一人として知る人もなく埋もれていたということ。イタリア人の人文学者で古書マニアの男が、とある修道院の書庫のなかにその写本を見つけなければ、その後も知られることもなく埋もれ続けた可能性があった。つまり、千年にわたる「断絶」があり、歴史は「連続」していないということなのだ。

「再発見」したイタリアの人文学者の名は、ポッジョ・ブラッチョリーニ。といっても無名に近い存在だが、彼はローマ教皇ヨハンネス23世の下で、秘書官・書記として仕えていた。15世紀当時、文字が読めて筆記できるものは、きわめて少なかったことに注意しておきたい。

「再発見」した場所は、南ドイツの修道院の書庫(アーカイブ)だ。失職後のポッジョが自分の趣味の古写本探索のために数多くの修道院を訪問したが、なぜかその南ドイツの修道院にはキリスト教関係以外の羊皮紙写本も残されていたのだ。

(15世紀ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」 一冊の本がもたらした世界観の変化)

書庫のなかから探り出したのが、紀元前50年頃に書かれた詩人ルクレティウスによる『物の本質について』(De rerum natura)であった。ラテン語で記されたものだけに、「再発見」も可能だったのであろう。当時の西欧世界はラテン語が文字言語であった。

『物の本質について』は、ヘレニズム期のギリシア人哲学者エピクロスの原子論をベースにしたものだ。先にもみたように、19世紀の「唯物論」の先駆である。キリスト教の神中心ではなく、あくまでも人間中心の世界観を描いたもの。岩波文庫版の日本語散文訳で300ページ以上もある長編だ。

一人の古書マニアが「再発見」した本は、さらに写本が作成されて広まっていく。グーテンベルクによる印刷術発明以前のことであることにも注意しておきたい。その写本がさらに筆者されて多くの人びとを魅了し、ルネサンスへ、さらには近代科学へと影響を拡大していくことになる。

もしこの「再発見」がなかったなら、近代科学の発生はなかったかもしれない。じっさい、15世紀当時には高度文明であったイスラーム世界から近代科学は生まれなかったし、ユダヤ教からも生まれてこなかった。もちろんキリスト教からも生まれてこなかったであろう。仏教その他の宗教からも同様だ。


原著タイトルは、 The Swerve: How the World Became Modern, 2011 直訳すれば、『逸脱-いかにして世界は近代になったか-』となる。では、「逸脱」とは、何からの「逸脱」か?

それは西欧中世を支配してきたキリスト教からの「逸脱」であった。キリスト教から排除された原子論という唯物論、である。

古代ギリシアやローマの遺産は、地中海地域の南側を征服したイスラーム勢力によって、アラビア語に翻訳され貪欲に吸収されていった。アリストテレス哲学が、アラビア語からラテン語に再翻訳され西欧キリスト教思想に多大な影響を与えたことは教科書的知識として知られている。聖トマス・アクィナスの『神学大全』は、アヴィセンナ(=イブン・シーナー)やアヴェロエス(=イブン・ルシュド)のアリストテレス解釈がなければ成り立ち得ないものであった。

だが、おそらく後世の唯物論につながる原子論は、イスラーム側で選択的に排除されたのであろう。アラビア語に翻訳されることがなかったのである。だからこそ、埋もれたまま知られることなかったのだ。シェイクスピア研究が本職の著者は、この点についてはなんら言及していないが、西洋人ではない日本人読者にとっては重要なことだ。

本書でよくわからないのは、ルネサンス期に主流となったネオプラトニズムとの関係だが、思想史の本ではないので、そこまで求めるのは酷と言うべきかもしれない。また、「唯物論」の歴史については、別の本をひもといてみなければならないだろう

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」ということは、あらためて強調しておいたほうがいいだろう。古代ローマの長編詩を写本のなかから「再発見」し、それを広めようとした本人も、まさか原子論が唯物論を生み出し、20世紀の世界史を激動のなかに投げ込もうとは予想だにしなかったであろうからだ。

「もしクレオパトラの鼻がもう少し低ければ、世界の歴史は変わっていたであろう」と書いたのは、17世紀フランスの科学者で哲学者のパスカルだが、その仮定が妥当であるかは別にして、そんなことはクレオパトラ自身のまったくあずかり知らぬことであったのは間違いない。

「きわめて大きな変化は、きわめて小さな偶然の出来事が出発点にある」とは、カオス理論でよく引き合いに出される「バタフライ効果」のようなものだが、後世にいかなる大変化がもたらされるかなど、現在に生きる人間にはまったくわからない。あくまでも後世から振り返ると、それが出発点であったとわかるだけだ。事後的な確認事項である。

だが、大変化を引き起こすことになった偶然の出来事について書かれた物語を読むのは面白い。著者のストーリーテリング能力もすばらしい。最初はやや退屈な感があったが、読み進めるに従って面白くなっていく。そんな本である。





目 次


第1章 ブックハンター
第2章 発見の瞬間
第3章 ルクレティウスを探して
第4章 時の試練
第5章 誕生と復活
第6章 嘘の工房にて
第7章 キツネを捕らえる落とし穴
第8章 物事のありよう
第9章 帰還
第10章 逸脱
第11章 死後の世界
訳者あとがき
解説 池上俊一

参考文献
索引





著者プロフィール

スティーヴン・グリーンブラット(Steven Greenblatt)
1943年アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。ハーバード大学教授。『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』でピュリッツァー賞、全米図書賞受賞。著書にはこのほかに日本語訳されているものとして、『シェイクスピアの驚異の成功物語』、『ルネサンスの自己成型-モアからシェイクスピアまで』など多数ある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。


日本語訳者プロフィール

河野純治(こうの・じゅんじ)

1962年生まれ。明治大学法学部卒業。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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書評 『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)-出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史

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2016年2月1日月曜日

「日伊国交樹立150周年 ボッティチェリ展」(東京都美術館)にいってきた(2016年1月28日)-代表作は見ることはできないが、日本では最大規模の大回顧展

(「書物の聖母」 ポスターより)

「ボッティチェリ展」(東京都美術館)にいってきた(2016年1月28日)。日伊国交樹立150周年関連のイベントの一環として開催されたものだ。

昨年開催の 「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に引き続き、ボッティチェリ関連の美術展の開催はありがたい。会期は、2016年1月16日から4月3日まで。

日本初の大回顧展と銘打たれているが、代表作の「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ(=春)」といった作品は来日していないので念のため。

これら二つの代表作は、フィレンツェのウフィツィ美術館の至宝であり、国外に貸し出されることはさすがにないのだろう。わたしはいまから四半世紀前に現地で鑑賞したが、それ以後は機会に恵まれていない。

さて、サンドロ・ボッティチェリ(1445~1510)といえば花の都フィレンツェ、そして作品の中心はテンペラ画とフレスコ画である。

テンペラ画は、卵黄などを乳化作用のある材料を固着材として用いた絵画技法のことだ。油絵と違って経年劣化がなく、そのやわらかい印象が日本人好みといえるかもしれない。わたしは大好きだ。

そしてフレスコ画は壁画のこと。教会内部や個人の邸宅の内部に描かれたものである。フレスコ画のもつ水彩画感覚が日本人受けする理由のひとつであろう。もちろんわたしは大好きだ。

今回の出展の目玉は、ポスターにも使用されている「書物の聖母」(・・上掲の冒頭の写真)。これは初来日とのことだ。

(「美しきシモネッタの肖像」 ポスターより)

そのほか、パトロンであったメディチ家の人々を描きこんだ「ラーマ家の東方三博士の礼拝」や、聖母子像の数々、そして当時のフィレンツェ一の美女で「ヴィーナスの誕生」のモデルにもなった「美しきシモネッタの肖像」などなど、ちなみに、「美しきシモネッタの肖像」は総合商社の丸紅の所有で役員応接室に飾られているのだという。ボッティチェリ作品が日本にもあるとは知らなかった。

個人的には、今回の出展で特筆すべき作品は、フレスコ画の「書斎の聖アウグスティヌス(聖アウグスティヌスに訪れた幻視)」である。フィレンツェのオニサンティ聖堂に描かれたフレスコ画だが、剥離されて保存されている。そのおかげで東京で実物を鑑賞することができるのだ。

(「書斎の聖アウグスティヌス」 wikipediaより)

テンペラ画は移動は容易だが、フレスコ画は壁に描かれた状態では現地で鑑賞するしかない。フレスコ画の「書斎の聖アウグスティヌス」は、じっさいに近寄ってみると、保存状態の良さには驚かされるだけでなく、そのすばらしさに感じるものがあろう。だが、マグネットなどに関連商品化されていないのはたいへん残念なことだ。

冒頭に書いたように代表作をすべて網羅したわけではないが、たしかにボッティチェリにかんするこの規模の展示は日本では初めてのことだろう。

イタリア・ルネサンス絵画のファンであれば、とくにボッティチェリのファンであれば、ぜったいに見逃すべきではない美術展だ。



<関連サイト>

「日伊国交樹立150周年 ボッティチェリ展」(東京都美術館)(公式サイト)

「絶世の美女」が待つ丸紅の役員フロア 企業コレクションのあるべき姿とは (日経ビジネスオンライン、2012年4月4日)



<ブログ内関連記事>

ボッティチェリ関連

「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える

はじけるザクロ-イラン原産のザクロは東に西に
・・ボッティチェリの「ザクロの聖母」


フィレンツェ関連

書評 『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス-』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)-「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る

書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集


ラファエロ以前のイタリア・ルネサンスに目を向けさせた「ラファエル前派」

「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」(Bunkamura)にいってきた(2015年12月27日)-かつて隆盛を誇った産業都市リバプールの同時代の企業家たちが収集した作品の数々

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)-まさに内容と器が合致した希有な美術展

500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年
・・「ラファエル前派」とはイタリア・ルネサンスを代表する画家ラファエロの前に戻れ(!)という意味の運動である

(2016年2月4日 情報追加)


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