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2023年10月6日金曜日

ロシアの探検家で画家であったニコライ・レーリヒ。 ヒマラヤを愛し、チベットを愛したこの神秘家の「美のメッセージ」を日本人はもっと知るべきだ


今年は猛暑がつづいたが、10月に入る頃から急に涼しくなってきた。朝晩はちょっと寒いかなといった感じである。地球温暖化といっても、1年中暑いわけではない。

いよいよ「秋山シーズン」が到来といったところだろうか。といっても、すべての人が山に行くわけでもないだろう。わたしも山登りはしない。

高校時代にワンゲルにいたこともあって、かってはよく山に登っていた。山登りをしなくなったのは、混雑がイヤだからだ。富士登山は内外からの「観光客」でラッシュアワー状態になっている映像をさんざん見せられた。観光公害以外のなにものでもない。

山登りをやっていた頃は、国内の縦走だけでなく、ヒマラヤのアンナプルナ山系でのトレッキングも行ったこともある。ネパールである。数日間にわたる尾根伝いのトレッキングは上り下りが多く、苦しいこともあるが、それはもうすばらしい体験であった。

*****

1995年のことだから、いまからすでに30年近く前のことになるが、9月のチベットで見た空は、それはもう青かった。空気が薄いこともあるのだろう、チベットの空はもう、それはそれは抜けるばかりに美しいのだ。

 

そんな空を一回でも見たことのある人なら、すぐにでもニコライ・レーリヒの世界に没入できるだろう。よくこれだけ美しい色彩でチベットを再現できたと感嘆するばかりだ。

ニコライ・レーリヒ(1874~1947)は、20世紀に生きたロシアの探検家で画家である。探検家としては、チベットをふくむ中央アジアのほか、朝鮮半島から満洲にかけ踏破しており、その関連の著書も多い。ロシアのサンクトペテルブルクに生まれ、ロシアに戻ることなくヒマラヤの麓で生涯を閉じた。

(ニコライ・レーリヒ Wikipediaより)

英語圏では名前はニコラスとなるが、姓のレーリヒは日本ではリョーリフと表記されることもあるキリル文字による姓の Рерих は、ローマ字では Roerich(oe は ö)とつづることからもわかるように、ドイツ系のロシア人である。




日本での知名度はそれほど高くないかもしれないが、生国のロシアだけでなく、ニューヨークには専門美術館もあり、世界的な知名度は高い。

「神智学」の系譜にある神秘家でもあり、神智学思想から発した世界平和と教育の思想は、ユネスコの源流になったとされる。 


残念ながら日本ではレーリヒの画集は出版されていない。「人智学」のシュタイナーの画集まで出版されているのに、「神智学」のレーリヒの画集が出版されていないとは不思議なことだ。




日本語で読める評伝には『ヒマラヤに魅せられたひと ー ニコライ・レーリヒの生涯』(加藤九祚、人文書院、1982)があるが、40年前に出版されたこの本は、残念ながら絶版である。講談社学術文庫か岩波現代文庫、あるいはちくま学術文庫あたりで復刊してくれるといいのだが。

*****

レーリヒの画業にはじめて出会ったのは、アムール川沿いにある極東ロシアの地方都市コムソモリスク・ナ・アムーレである。ソ連時代に建設されたこの工業都市には戦闘機スホーイの工場があるが、もちろんこの工場は訪問していない。

1998年に極東ロシアに出張した際、時間つぶしに同行者といっしょに出かけた入場無料のイベント会場で初めて出会い、完全に魅せられてしまったのだ。



その3年前にチベットで抜けるばかりに美しい空を見ていたから、その色彩の素晴らしさに心を奪われたのである。そのときは、レーリヒの名前も、どんな人物であるかも、まったく知らなかった。

出会いというものは、どんな形でやってくるかわからない。おそらく巡回展だったのであろう。首都モスクワから遠く離れた極東にも「文化」はあるのだ。ある意味ではロシアの底力のようなものかもしれない。モスクワと極東ロシアの時差は8時間ある。



ロシアの探検家・画家のニコライ・レーリヒの美術館(ニューヨーク)はぜひ訪問したいと思いながらも、いまだに実現していない。モスクワにもあるようだが、これも訪問はむずかしそうだ。画集で我慢することにするしかない。

*****

先にも記したが、ニコライ・レーリヒはロシアから始まって、チベットからヒマラヤ、そしてインドまで幅広く東洋の精神世界に没入した人だ。ロシア生まれのマダム・ブラヴァツキーの「神智学」の系譜に連なる人である。

仏教に親しんできた日本人にとっては、ニコライ・レーリヒの芸術は、キリスト教の色彩の強いルドルフ・シュタイナーの「人智学」の独特な芸術世界より近づきやすいのではないだろうか。すくなくとも、わたしはそう思っている。

ちなみに、ニコライの妻の  ヘレナ・レーリヒ(Helena Roerich)の著書 Foundations of Buddhism は復刻版を読める。表紙カバーはいうまでもなくニコライ・レーリヒによるものだ。


あまり知られていないが、ロシアと仏教の縁は、じつは長くて深い

そもそも、ロシア国内には「チベット仏教圏」が存在する。モンゴル系のブリヤートやカルムィク、チュルク系のトゥヴァである。「智恵の海」を意味するダライ・ラマという尊称はモンゴル語である。

ロシアは、ロシア正教だけの国ではない。ムスリムも仏教徒もいる多民族国家で多宗教国家だ。シベリアは想像を絶する多様性に富んだ奥行きの深い世界なのである。そもそも、レーリヒ自身がドイツ系である。

ニコライ・レーリヒは、さまざまな意味で、もっと日本でも知られていい存在だ。まずは、Wikipediaに掲載された美しい色彩の絵画を眺めることから始めたらいいと思う。


 
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・・シュタイナーは「神智学」の強すぎるインド志向に嫌気がさして分離独立して「人智学」を立ち上げた


・・ガンディーもまた、ロンドン留学時代から「神智学」との接点があり、みずからの原点であるヒンドゥー教への目覚めはそこに求めるべきかもしれない

・・レーリヒと同時代のドイツの画家の「青」


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2019年1月5日土曜日

探検家・松浦武四郎の「一畳敷」は外神田にあったのか!


昨年(2018年)末のことだ。

たまたま一休みするために入った外神田の錬成公園で、大樹の前に設置されたベンチに腰掛けてから、ふと見上げると「松浦武四郎居住地跡」という案内看板(写真)が目に飛び込んできた。 

おお! あの松浦武四郎の「一畳敷」は、もともとここにあったのか! 松浦武四郎は、「北海道」の命名者である。北海道が北海道となる以前、幕末の「蝦夷地」を徒歩で探検した先覚者だ。

そして、自宅の片隅に作ったのが「一畳敷」という書斎。「一畳敷」とは、「起きて半畳 寝て一畳」というフレーズから来たものだ。それだけあれば、人間生きていけるという最小限の居住空間の表現である。タタミ一畳あれば十分に寝ることはできる。座るスペースとしてはタタミ半畳で十分だ。 

日本全国をめぐり、人生を旅に過ごした探検家は、最晩年の一年間を「一畳敷」で過ごしたのである。文字通り、すべてを始末した「身一つ」の身軽さ。 

「一畳敷」と「北海道」。そのあまりにもスケール感の違いには驚くべきだが、本人はどんな思いをもっていたのだろうか? そんなことを考えてみる。

蝦夷地を探検した日本人といえば、樺太(サハリン)が島であることを世界ではじめて確認し、のちに「間宮海峡」として知られることになった間宮林蔵がまず想起されることだろうが、松浦武四郎の名前はぜひ記憶にとどめておいてほしい。






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「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた(2011年1月8日)

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!
・・その第3章が「北海道独立論-根釧原野」である。「大東亜戦争の敗戦後、樺太(サハリン)という辺境を失った日本列島において、あらたに辺境(フロンティア)となった北海道を取り上げたものだ」


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2011年1月8日土曜日

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた(2011年1月8日)




 「起きて半畳 寝て一畳」という表現がある。

 人間が生きて行くには、たたみ一畳のスペースがあれば十分だ、ということだ。

 昨年度の流行語になった「断捨離」(だんしゃり)ではないが、要らないモノを捨てていけば必然的に一畳のスペースで十分すぎるほど十分だろう。

 生涯を辺境探検の旅に過ごした松浦武四郎(1818~1888)にとっては、終の住処に隣接して作った書斎が一畳であったのは、その人生観の明確な表明か。

 松浦武四郎の一畳庵の話は、むかし文化人類学者の山口昌男の文章で読んだ記憶がある。

 「週刊文春」だったか、坪内祐三の文庫本にかんする文章をちょっと立ち読みしていたら、この展示会のことを知った。これは行かねばならぬということで、コンビニのなかなのでメモがとれずに記憶し、場所も有楽町だし、新橋に用事があるので、京橋で下車してこのミニ展示をみてきた。本日(2011年1月8日)のことである。

 松浦武四郎の「一畳敷」をテーマにした文字通りのミニ展示が巡回展として大阪、名古屋、そして東京で開催されている。概要は以下のとおり。
 
「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)

●INAX ギャラリー1(東京):2010年12月2日(木)~2011年2月19日(土) 
●休館日:日祝日、12/29-1/4
●開館時間:10:00~18:00 
●入場無料

幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展
The One-mat Study of Takeshiro Matsuura, 19th Century Explorer


松浦武四郎とは多彩な顔を持つ才人で、全国を旅した探検家であり、たくさんの著作を表した著述家でありました。また広いネットワークを持ち、各地の文物を蒐集した趣味人でもありました。
今展では、終の棲家として建てた「一畳敷」を起点に、人生の足跡をたどりながら、武四郎の知られざるユニークな人物像に迫ります。

 この巡回展の歳台の目玉は、なんといっても一畳敷の現物大模型だろう。靴を脱いで、一畳の部屋に入ることができる。私も実際になかに入ってみて、正座し、あぐらをかき、そして寝っ転がってみた。

 私はどちらかといえば、体格は中肉中背といったところなので、とくに狭いとは感じなかった。そう感じない理由の一つは天上が高いことと、障子張りの窓があることだろう。

 松浦武四郎じしんは150cmに満たない身長だったらしいので、それなら狭いとは感じなかったはずだ。最晩年に書斎として使っていたが、夏には蚊帳(かや)をつって寝起きもしていたらしい。

 しかも完成したのが70歳のとき、翌年の71歳のとき本人が亡くなり、実際に使ったのは1年程度だったという。全国の友人からもらい集めた銘木を寄せ合わせて作った一畳敷。交友の記念でもあったわけだ。趣味人の極地ともいうべきものだろう。

 この一畳庵は、本人が死んだら焼くようにと遺言したが、なぜか焼かれることなく残り、さまざまな人の手を経て、最後は国際基督教大学(ICU)のキャンパス内にそのまま残されて現在に至るという。数奇な運命を経た庵なのだ。


一畳敷」以外の展示も実に興味深い

 北方の辺境であった蝦夷地を前後6回にわたって探検し、地理だけでなく博物全般を観察して膨大な記録を作成し、自費出版し続けた人である。江戸時代の博物学の系譜にある人といっていいだろう。


 松浦武四郎は、「北海道」の名付け親である。

 伊能忠敬が着手し、間宮林蔵が輪郭を完成させた北海道全図を、内陸部まで詳細に測量して地図を完成させたのが松浦武四郎である。この北海道全図も展示されているが、水系まで詳細にフォローしている。

 現地に住んでいた先住民アイヌ人たちの全面的協力を得たらしい。地図の凡例には270名の協力者の名前が全部記されているそうだ。

 幕府の役人には、きわめて短期間だけなっているが、生涯のほとんどを一民間人として過ごした松浦武四郎日本全図を作成した伊能忠敬の壮大な事業も、もともとは一民間人としての個人的動機が出発点にあったのと同様だ。

 日本全国を歩き回った松浦武四郎、忘れ去られていい名前ではない。

 16歳で旅に目覚め、前半生を日本全国ととくに蝦夷地の探検に費やした人。生涯にわたって自費出版が中心だが書き続けた人。しかも寅年生まれ。

 篆刻(てんこく)の技術を身につけて、生計を立てながら旅の費用を捻出し、同好の士とも幅広く交友関係をもっている。自分が動くことによって、日本全国に散在するすぐれた人たちと交わったのである。

 この展示会にあわせて出版されたブックレットが実に内容が豊富で見ていて飽きない。展示会にいくヒマがなくても、この一冊はぜひ手元に置いておきたいものに仕上がっている。ブックレットとはいえ、折り込みの古地図や野帳(フィールドノート)などの付録が豊富で、手間がかかった作りになっている。
 



 機会があれば三重県松阪市にある松浦武四郎記念館も訪れてみたいものだ。松阪では本居宣長の旧居は見たことがあるが、いまだ松浦武四郎記念館は訪れていない。

 一階にある INAX ブックギャラリー(書店)が実にいい本を揃えている。建築やインテリア関連だけでなく、料理や自然など私が好きなテーマが詰まっている。

 自分の本棚となかり似ているな、この本は自分の本棚に欲しいな、などと思ったり。時間があったらちょっと長居したいブックギャラリーだ。



<関連サイト>

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)

松浦武四郎記念館(三重県松阪市)




ついでに、近くの「警察博物館」に立ち寄ってみた

 歩行者天国の銀座を歩いて新橋まで抜けた。

 INAXギャラリーからちょっと銀座よりに歩くと、警察博物館というものが目に入ってきたので、せっかくの機会だから入ってみることにした。ピーポ君がえらく目立つが、あまり人が入っていないようだった。

 だが、これは入って正解だった。展示スペースは1階から4階まで、とくに2階の明治時代の草創期から現在までの展示、とくに西南戦争が警察制度の原点においてもつ意味を協調するために、重点的に展示していたのが印象的だった。警察制度の原点に西南戦争がある。

 また、ドイツ、オーストリア、フランスと警察制度を視察し、とくにフランスの警察制度を大幅に取り入れた、その物証としての各種エビデンスが興味を引く。報告記録などの文書のもつ意味と価値を感じることがっできる。

 明治時代の制服や、昭和21年まで警察官が腰につるしていたサーベル、戦前を知らない私にとっては興味を引き物ばかり。「おいコラ」というかけ声はサーベルなしにはできないだろう。具体的なモノをつうじて、過去を振り返ることは、歴史的想像力を鍛える強力な方法だ。

 入場無料なので、親子連れが多数参観していた。銀座にいく機会があれば銀座一丁目のはずれにあるので、ちょっと立ち寄ってみる価値のあるミュージアムだ。



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