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2019年1月4日金曜日

書評『猪・鹿・狸』(早川孝太郎、角川ソフィア文庫、2017 初版1926)ー 動物と人間とのかかわりが狩猟行動をつうじて語られたフォークロア


『猪・鹿・狸』(早川孝太郎、角川ソフィア文庫、2017 初版1926)は、動物と人間とのかかわりが狩猟をつうじて語られたフォークロア集である。

明治維新後の「近代化」で激変した日本の山野動物と人間とのかかわりは、この前後で激変するのだが、フォークロアとして聞き取った内容に、「近代以前」と「近代以後」の相違点と共通点を読み取ってみたい。

早川孝太郎といっても、それほど著名な人物ではないかもしれないが、日本民俗学の父である柳田國男の門下であり、折口信夫とともに日本の山野を歩き回ったこともあるという人だ。出身は、愛知県南設楽群長篠村横山。聞き書きを行ったには、もっぱら奥三河。

タイトルは、『猪・鹿・狸』という三題噺の構成になっているが、イノシシとシカが農民にとっての害獣で、人間がいかにイノシシやシカの害から身を防ぎ、駆除していったかが語られる。

早川孝太郎が語った大正15年(1926年)の時点では、イノシシもシカも減少の一途をたどっていたようだが、現在は周知のとおり、農民人口の減少と耕作地の放棄で里山が荒廃し、イノシシやシカが増える一方であるのは、皮肉というべきか、それとも因果は巡るという話であろうか。

一方、タヌキの話は、狩人が鉄砲で撃って毛皮を獲得する対象であるものの、話の中身はほとんどが「化かして人間をあざ笑うタヌキ」が大半だ。おそらく書評で本書を絶賛した芥川龍之介はタヌキの話に感じるものが多かったのだろうが、イノシシとシカの話とはテイストがだいぶ違うので、ほんとうは一本にすべきではなかったと思う。

人間による駆除の結果、絶滅していったのはニホンオオカミだが、本書でも語られている。このほかニホンカワウソもそうだが、早川孝太郎が言うように、日本列島に住む人間と日本列島の山野に生きてきた動物との関係は、入植者と先住民との関係にも似ているものがある。山に追いやれた先住民、山に追いやれた動物たち。いったん絶滅してしまった種は、もはや元に戻ることはない。

『猪・鹿・狸』というタイトルは、個人的な関心からいえば、『猪・鹿・猿』あるいは『猪・鹿・熊』となっているほうがいい。どうも、全二者のイノシシとシカと、タヌキは水と油のように思えてならないからだ。

ちなみに、『猪・鹿・狸』の三者は、いま復活のトレンドにある。イノシシとシカが大量に増えていることはメディアで報道されているとおちだが、都会でもタヌキが出没するのである。

数年前のことだが、私自身も東京都心近郊の国立市にある一橋大学のキャンパスで、夜間にタヌキを目撃した。タヌキの目は夜間は赤く光るのである。それは、ホンモノのタヌキであった。





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鹿のマークの John Deere (ジョン・ディア)-この看板にアメリカらしいアメリカを感じる

(2019年1月7日 情報追加)



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2016年3月6日日曜日

ハイエナは英語でなんというの?

(ブチハイエナの頭部 wikipediaより)

ハイエナは英語でなんというの? いきなり答えを出す前に、まずはオオカミの話題に付き合っていただきたい。

もともと生物学好きなこともあって、動物の生態をテーマにした自然観察番組のNHKの「ダーウィンが来た」はほぼ毎週かかさず視聴しているのだが、今夜(2016年3月6日)はオオカミの話題であった。イスラエルのネゲヴ砂漠に生息しているアラビアオオカミである。

ネゲヴ砂漠に生息するアラビアオオカミは幻のオオカミで、砂漠という過酷な生息環境のためカラダが小さい。しかも、高温地帯であるため獲物を追って走り回ると体温が急上昇して死んでしまう可能性があるので、アラビアオオカミは死んだ動物の肉を漁るのだそうだ。死んだ動物は動かないから。

まるでハイエナではないか! 

じっさいに体格の小さなアラビアオオカミと大型のハイエナが死肉をめぐってバッティングすることもあるようだ。番組でもそんなシーンが登場しており、たいへん興味深いものがあった。

オオカミは日本語で書けば狼であり大神である。文字通り大いなる神という意味だ。番組でも説明されていたふが、「西欧近代化」される前の江戸時代、オオカミは畏怖されて神として敬われていたのであった。だが明治時代以後は、羊を襲う害獣という西欧的な考えからやっかい扱いされ、毛皮を求めて乱獲され、ついに20世紀初頭にはニホンオオカミは絶滅してしまう。

オオカミは英語でウルフということくらいなら、中学生でも知らない者はいないだろう。日本語世界でも、オオカミでもウルフでもどちらでも通じる。

では、ハイエナは英語でなんというのか? ふとそんな問いが自分のなかに湧き上がってきたが、すぐには答えがでてこない自分に気がついた。

そういうときは手元のスマホでグーグル検索である。

検索した結果はこうだった。なんとハイエナは英語でもハイエナである! つづりは hyena で、発音はあえてカタカナで書けばハイーナ、つまりハイエナは英語だったのだ!

自分がいかに無知であるか知らされた思いがするのだが、ハイエナには灰(はい)や蝿(ハエ)を連想させる音が含まれるので、死肉をあさるハイエナはてっきり日本語だと思い込んでいたようなのだ。

死肉を貪り食うことで有名なハイエナだが、英語ではハゲタカ(=コンドル condor)もくわえた「腐肉食」の動物のことを「スカヴェンジャー」(scavenger)と総称し、比喩的な意味でも使用することがある。スカヴェンジャーには、ゴミの山を漁ってまだ使えるものを掘り出してカネに換えて生計を立てているゴミ拾い、という意味もある。

ハイエナは日本に生息していないからハイエナに該当する日本語の固有語がなかった、ということは考えてみれば当たり前なのだが、日本には生息していなくても中国に生息している動物は漢字語で表現されるし、仏典に登場する動物は漢語に翻訳されている。

たとえばアフリカ原産のキリンは漢字で書けば麒麟、キリンビールの麒麟である。もともとは中国人が生み出した想像上の動物だが、野生動物をキリンと呼ぶようになった。キリンは英語ではジラフ(giraffe)である。後者のジラフは日本語人にはあまりなじみがなさそうだ。

さらにハイエナについて検索して調べてみると、wikipediaには、「ネコ目(食肉目)ハイエナ科に属する動物の総称である。長い鼻面と長い足を持ち、イヌに似た姿をしているが、ジャコウネコ科に最も近縁である」とある。ハイエナはイヌ科ではなかったのか! それもまたオドロキだ。

「無知は強し」(?)状態であったわけだが、「なんにもしらないことはよいことだ」(梅棹忠夫)というフレーズをポジティブに捉えることとしたい。

なにはともあれ、気づいて調べたおかげで、またひとつ賢くなったわけだから。




<関連サイト>

世界のゴミ問題は「福岡方式」が解決している 120カ国に技術指導、愛され"ゴミ先生"の正体(東洋経済オンライン、2016年1月16日)
・・発展途上国のスカヴェンジャー(=ゴミ拾い)の話が登場する


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猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)

『サル学の現在 上下』(立花隆、文春文庫、1996)は、20年後の現時点で読んでもじつに面白い-「個体識別」によるフィールドワークから始まった日本発の「サル学」の全体像

「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジのイメージはキリスト教からギリシア・ローマ神話にまでさかのぼって知る必要がある
・・「かよわいヒツジを襲うオオカミ」というイメージは西欧のものであって、日本にはももともなかった。オオカミは固有種が日本に存在していたが、中国と違ってヒツジはもともと生息していなかった


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2015年7月23日木曜日

花札の「いのしかちょう」ー なるほど日本の山野には古来よりイノシシとシカが多いわけだ

(任天堂の花札「都の花」より)

「いのしかちょう」というフレーズがある。花札用語である。

いのしし(=猪)、しか(=鹿)、ちょう(=蝶)の3枚の札のことである。それぞれ、はぎ(=萩)、もみじ(=紅葉)、ぼたん(=牡丹)の花の札に対応している。

もうずいぶん長く花札はやっていないが、花札だけは所有している。花札は庶民的なゲームだが、花札に描かれた図柄が日本の自然と王朝文化であるのがいい。日本以外では植民地時代に朝鮮半島で定着したようだが、もっと海外にも知られていい。


花札と京都の任天堂

先日(2015年7月11日)、任天堂の岩田聡社長が55歳という若さで現役のまま病没された。

任天堂を NINTENDO にトランスフォームさせたのは、一族出身の先代社長の山内氏であるが、コンピュータゲーム路線を不動のものにしたのが抜擢されて42歳で社長に就任した岩田氏であった。奇しくもわたしと誕生日が同じ12月6日、この場を借りてご冥福を祈りたい。

いまでこそゲーム機メーカーで世界的に有名な NINTENDO だが、もともとは京都の花札屋である。わたしは一度だけ任天堂の本社を訪れたことがあるが、世界的なゲーム機メーカーという印象は感じられなかった。

任天堂の花札(!)は、マルフクの登録商標で現在でも販売されている。大統領の肖像画が、なぜかナポレオンであるのはご愛敬だ(笑) これは結構知られているネタだろう。(・・下掲の写真を参照)。

(任天堂の花札の大統領はナポレオン)

任天堂のサイトには、「花札の歴史・遊び方」というページがあるので、歴史の部分を一部引用しておこう。花札の歴史やゲームのやり方が書いてある。

花札の歴史は安土・桃山時代の「天正かるた」、江戸時代上期の「ウンスンカルタ」から、江戸時代中期に現在使用している花札ができたと言われています。花札ゲームの中でも2人でプレイする「こいこい」は、勝負勘・度胸・かけひき・冷静さを必要とする現代版知的ゲームです。

そもそも歌留多(カルタ)というのは当て字である。安土桃山時代にカードゲームが「カルタ」(=カード)というポルトガル語とともに南蛮文化として渡来したからだ。なぜ王朝文化が図柄のテーマになったのかはわからないが、花鳥風月のイメージとギャンブルの組み合わせが面白い。

(いの・しか・ちょう 任天堂)


人口減少と反比例に増え続けるシカとイノシシ

農村人口の減少にともなって、シカやイノシシが増えつづけているというニュースは、もはやあたらしくはないが、シカとイノシシが花札の図柄として登場するというのは、考えてみれば面白いことだ。それだけ日本では昔から当たり前の存在であるのだろう。

里山から里に下りてくるイノシシ、野山の草を食い尽くすシカ。もはや、イノシシもシカも害獣との認識が一般化しているが、そもそもはともに神の使いである。信州の諏訪大社ではシカもイノシシも、ともに供え物として首が献上されていたらしい。狩猟民族としての側面が神事に残存しているのである。

イノシシは「ゐ」の「しし」の意味。「しし」とは肉のこと。つまりイノシシは駆除したら食べるものであったのだろう。ちなみにシカの肉のことは古語でカノシシという。「か」(=シカ)の「しし」(=肉)という意味。

王朝文化の精髄である百人一首には、「奥山に もみぢかきわけ鳴くしかの・・・」というシカを題材にした和歌があるが、なぜかイノシシを歌った和歌はない。ともに神の使いであったはずなのだが・・・。

そのイノシシがなぜ花札には登場するのか? 疑問を抱き始めると切りがないが、機会があれば本格的に調べてみたいものだ。






参考: その他文明圏でポピュラーな野生動物

・・南インドで再興したタシルンポ寺から来日したチベット仏教僧たちによる「チャム」(チ­ベット密教僧による仮面舞儀礼)。踊っているのは、仮面をかぶっているがチベットのお­坊さんです。2009年5月8日撮影。「チベット・スピリチュアル・フェスティバル2­009」(東京・新宿の常円寺)にて。2009年11月18日に筆者(=佐藤けんいち)がアップロードした映像。
日本では「猪と鹿」だが、チベットでは「牛と鹿」のようだ。 

(2015年7月28日 記す)


<ブログ内関連記事>

鹿のマークの John Deere (ジョン・ディア)-この看板にアメリカらしいアメリカを感じる

辰年(2012年)の初詣は御瀧不動尊(おたき・ふどうそん)にいってきた
・・御瀧不動尊(千葉県船橋市)には、柵のなかで鹿が飼われている! 奈良公園とは違って雄鹿の角は切られていない

・・西欧ではキリスト教の布教により、鹿の位置づけはヒツジに比べて大幅に後退し、ついには角の生えた悪魔の象徴となる


■日本人の狩猟

・・この著者はシカもイノシシも狩る。しかも古来からの狩猟方法であるワナによって

・・農作物を食い荒らす害獣とみなされたシカやイノシシは、江戸時代の農民によって鉄砲で駆除されていた


南蛮文化




王朝文化




(2015年7月30日、9月13日、2016年3月9日 情報追加)


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2011年1月4日火曜日

ウサギは英語でラビット? ヘア? バニー??




 『不思議の国のアリス』(Alice's Adventures in Wonderland、1865年)には、ジャケットを着て、懐中時計を見るウサギが登場する。

 これは白ウサギ(White Rabbit)というキャラクターだ(・・左のイラスト)。

 『アリス』にはもう一匹ウサギが出てくる。三月ウサギ(March Hare)である(・・右下のイラスト)。

 このウサギは「三月ウサギのように狂った」という表現で登場する。原文では as mad as a March hare、ラビット(rabbit)ではなくヘア(hare)。

 ヘアとは野ウサギのことなのだ。三月になって交尾期になると狂気じみて乱暴になるということから上記の英語表現が生まれたらしい。

 作者である英国の数学者ルイス・キャロルは、英語の慣用表現から、そのまま擬人化して登場人物を作り出したようだ。


 同様に登場する帽子屋(hatter)も as mad as a hatter という表現をもじったもの。むかしの帽子作りは水銀を使用するのでカラダに障害が出る人が少なくなかったという話から。


 ウサギはラビットという常識をここで捨てておこう。

 英語では、ラビット(rabbit)、ヘア(hare)、のほかバニー(bunny)ともいう。

 バニーとは幼児語で日本語でいえばうさちゃん。子犬はパピー(puppy)、子ネコはキティー(kitty)、子ブタはピギー(piggy)。

 ワーナーブラザーズの人気キャラクターにバッグス・バニー(Bugs Bunny)がある。人気アニメ「ルーニー・チューンズ」(Looney Tunes)に登場する、ゲッシ類特有の前歯二本が飛び出た憎めないキャラクターである。

 バニーといえば、米国のプレイボーイクラブが発祥のバニーガールがあるが、大人子ども向けの夜の世界のお話。ちなみに中文では兔女郎という。

 
 バニーはさておき、英語ではラビット(rabbit)とヘア(hare)を厳密に分けている。日本語人的にはそこらへんの感覚がよくわからないのだが、野生のウサギと家畜化されたウサギは、別個のカテゴリーとして厳密に区分されているのだ。

 人間の手が入って改良されたウサギとは別物とする。ウサギの毛皮やウサギ肉はみなラビットのもの。

 英語の辞書を見ると、ヘア(hare)という単語はだいたい900年頃までさかのぼれるのに対し、ラビット(rabbit)は14世紀後期から15世紀前期までさかのぼれるという。

 ラビットはヘアよりも小型で穴居性がある。


 経済摩擦が加熱していた1980年代後半、「日本人の住居はウサギ小屋」といってののしった大臣がフランスにいた。ウサギ小屋(rabbit hutch)とは、野ウサギの巣ではなくて、ラビットの小屋のようだ。

 さすがにこんな失礼なことを言われなくなったのは、欧州人の品格が向上したためではなく、日本の勢いがなくなって久しいからだろうか。

 なお、米国では飼いウサギ・野ウサギの区別なく rabbit とよぶのが一般的だそうなので、日本語人としては、安心してウサギのことはラビットとしておいても、とくに問題なさそうだ。


 



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2010年12月28日火曜日

動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。「細心かつ大胆」であることが生き残るためのカギだ




 動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。

 数日前、建物の軒下で毛づくろいをしていたこのノラネコの写真を撮るために、そっと背後から近づいた。いざカメラを構えて撮影したそのとき、ノラネコと目があったとたん、このネコは猛ダッシュで逃げ去った。こいつは絶対に警戒を緩めないネコなのだ。
 撮影は当然のことながらズームアップである。

 ノラネコでも、人になついてエサを求めて人に媚びるようになると野性味が失われる。
 ノラネコでも、絶対に人になつこうとしない、野性味を維持したネコがいる。人間が住む環境を離れてノラネコは生存できないのだが、・・

 写真に写っているのは、後者の絶対に人になつこうとしないノラネコである。まずもって面構えが違う。

 このノラネコは、私が彼のテリトリーに入ったことを感知したその瞬間、脱兎のごとく(・・ネコだから脱猫というべきだが、こういう表現はない)逃げ去って、10メートルほど先に立ち止まった。そしてこちらの一挙手一投足を監視している。遠くから身構えながら当方の動きをうかがっている。しかも、いつでも次のアクションに移れるような臨戦態勢で。



 ノラネコは、けっしてじぶんより大きな動物である人間に立ち向かってくることはない。ノラネコは、自分より小さなネズミなどの小動物しか狙わないのだ。

 野生動物ほど臆病で、慎重な行動をするものはない。
 しかし一方で、これほど大胆な行動をする生き物もいない。獲物を狙うときの慎重なノラネコ、そして間合いを縮めて照準を定めたとたんに、一気に飛びかかる狩人であるノラネコ。

 人間の行動をさして「細心かつ大胆」という形容詞があるが、人になつこうとしないノラネコの行動に同じである。
 それはつまるところ、「生きのびるチカラ」の一つなのであろう。






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