2013年4月28日日曜日

書評『命のビザを繋いだ男 ー 小辻節三とユダヤ難民』(山田純大、NHK出版、2013)ー 忘れられた日本人がいまここに蘇える


「命のビザ」の杉原千畝(すぎはら・ちうね)がはじめて知られるようになってからどれだけの時間がたったことだろうか。

調べてみると、未亡人(再婚相手)の杉原幸子氏による 『六千人の命のビザ-ひとりの日本人外交官がユダヤ人を救った-』(朝日ソノラマ)が出版されたのが1990年、それから23年たったことになる。

わたしが Sempo Sugihara(センポ・スギハラ)という日本人の名前をはじめて知ったのは、アメリカ留学中のことだ。「ウォール・ストリート・ジャーナル」で、その聞いたことのない日本人を顕彰する広告記事をみたときだ。帰国後の1992年に杉原幸子氏の本を読んだ頃は、まだそれほど知名度は高くなかった。だが、いまでは杉原千畝の名前を聞いたことのない日本人は少ないだろう。

わたしが本書の主人公・小辻節三(こつじ・せつぞう)の名前を知ったのは大学時代のことだ。杉原千畝は知らなくても、小辻節三は著書をもつ学者であったので、限られた少数者ではあれ知る人は知っていただろう。

おそらく小辻節三がこれまで取り上げられたことがなかったのは、杉原千畝のような外交官でもなく、樋口季一郎のような陸軍中将でもなかったためだろう。生涯を信仰者として、清貧な学者として送った一民間人であった

わたしは大学学部の卒論に中世ユダヤ史を選んだことによって、小辻節三という名前とその著書 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』(誠信書房、1965)の存在を知った。

1980年代前半当時は、現在と違って日本語で読めるユダヤ史関連の本はきわめて少なかったが、小辻節三によるこの本はそのなかでもきわめて良心的な内容の本であった。


(『ヒブル語原典入門』 と 『ユダヤ民族』・・マイコレクションより)


『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』は、はじめて小辻節三その人を描いたノンフィクションである。満洲国ものを描いた作品に断片的に登場するだけの小辻節三は、なぜか限られた形でしか取り上げられたことはなかった。その意味では、うれしいサプライズ・プレゼントのようなものだ。

本書は、小辻節三の存在を知ったある日本人俳優が、その跡をたどって書きあげた小辻節三のライフストーリーであり、小辻節三を追い続けた彼自身の人生の軌跡でもある。

伝記的事実は、もっぱら小辻自身が英文で出版した回顧録をベースにし、さまざまな文献や直接の聞き取りをつうじてまとめあげたものだ。小辻の回顧録 「From Tokyo to Jerusalem」 は、キリスト教からユダヤ教に改宗後の Abraham Kotusji 名で 1964年にアメリカで出版されている。

日本語では、先にふれた 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』の末尾に 「私の歩んだ道」 としてわずか 6ページでしか語っていない。その意味では、本書によって、はじめて小辻節三の人生が日本語で一冊の本として語られたことになる。

なお、 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』は、反ユダヤ主義を掲げるナチスドイツが日本国内においても脅威となりかけていた1943年(昭和18年)に、身の危険を感じながらも勇気をふるって出版した『ユダヤ民族の姿』(目黒書店)を、戦後の1965年(昭和35年)に改訂して再刊したものである。

(小辻節三の英文自伝 『東京からエルサレムへ』・・マイコレクションより )

著者は俳優を職業とする人であり、学者による研究成果ではないので、伝記的事実についてはまだまだ書きなおされなければならないことも多いだろう。だが、小辻節三という日本人を忘却のなかから呼び戻す役割を果たしていただいたことには感謝したい。

本書の前半 2/3 は小辻節三の人生を上記の英文自伝をもとに親族をふくめた生存者の聞き取りで補強したものだが、のこり 1/3 は著者自身がイスラエルにいって聞き取りによって小辻節三の足跡をたどった記録である。この記録を読むことで、著者をしてなにが本書を完成させたチカラなのかを知ることになる。著者の情熱と行動力は称賛したい。

(小辻節三とユダヤ教のラビ3人 日本にて撮影  wiki英語版より)

「命のビザ」については、ビザを発行した杉原千畝ソ連から満洲国への入国を認めたジェネラル樋口(・・そして暗黙の了解を与えた東条英機)、日本入国と出国まで尽力をつくした小辻節三とモーラルサポートを与えた満鉄時代の元上司である外相・松岡洋右これでほぼ「命のビザ」にかかわる日本人たちがつながったことになる。

神道からキリスト教をつうじてユダヤ教へ。神の道を追い求めたその生涯について、すくなくとも外面的な生涯を描くことには成功した。ユダヤ民族の運命を自ら生きることを決意したその人物の内面の精神生活を知るにはユダヤ教を内在的に理解しなくてはならないが、これは非ユダヤ教徒にはむずかしい課題だ。

小辻節三にかんしては、ほかにもまだまだ書かれるべきことは多いと思うが、こうして一冊の本として形になったことは喜ぶべきことだ。

本書がキッカケとなって、今後その人生の軌跡と成し遂げたこの日本人の存在が、さらに顕彰されることを望みたい。



目 次

はじめに
少年期、青春期の小辻
ナチスによるユダヤ人迫害
奇想天外な『河豚計画』
満州へ
小辻と松岡洋右
杉原千畝の『命のビザ』
日本にやってきたユダヤ難民
ビザ延長のための秘策
迫るナチスの影
神戸に残ったユダヤ人
反ユダヤとの戦い
再び満洲へ
ナチスドイツの崩壊
帰国
小辻を支えた妻・美禰子
改宗の旅へ
小辻の死
エルサレムへ
あとがき
参考・引用文献、資料

著者プロフィール

山田純大(やまだ・じゅんだい)
1973年生まれ。東京都出身。俳優。ハワイの中学・高校を経て、米ペパーダイン大学国際関係学部卒。1997年、NHK連続テレビ小説「あぐり」でテレビデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

<関連サイト>

日本のユダヤ人(wikipedia日本語版)

Setsuzo Kotsuji (wikipedia英語版)


<ブログ内関連記事>

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・「なお、国策会社であった南満洲鉄道株式会社の調査部(いわゆる満鉄調査部)が、なぜユダヤ関係の報告書を翻訳ふくめて大連(満洲国)で多数出版しているのか、この理由についてはまた機会をあらためて、後日書いてみることとしたい。 あまりにも面白い話なのだが、このためには「満鉄」そのものと「フグ計画」(Fugu Plan)について知っておく必要がある。 キーパーソンの一人は、小辻節三(=小辻誠祐 a.k.a. Abaraham S. Kotsuji)である」。

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・同書の「第2章 イスラームとの邂逅 セムの子-小辻節三との邂逅」には、世界的なイスラーム哲学の権威で日本を代表する哲学者井筒俊彦が、日本を代表する旧約学者となった関根正雄とともにヘブライ語を小辻節三の私塾「聖書原典研究所」で学んだことが記されている

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相
・・このブログ記事で取り上げた 『虹色のトロツキー(全8巻)』(安彦良和)に「フグ計画」の話もでてくる

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)
・・「ジェネラル・ヒグチといえば、「ユダヤ人を救った将軍」として知る人ぞ知る存在であったが、「ユダヤ人を救った外交官」センポ・スギハラ(杉原千畝)に比べると、日本人のあいだだけでなく、ユダヤ人のあいだでも現在の一般的な知名度は決して高くないようだ。 著者はイスラエルまででかけて、ジェネラル・ヒグチの名前が記載されているという「ゴールデン・ブック」の実物も確認している」
・・ユダヤ民族に貢献のあった人を顕彰するという、いわゆる「ゴールデンブック」に記載されていないことも原因かもしれない。それはユダヤ教徒となった小辻節三がユダヤ民族にとっての異教徒ではないからだ。

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・「ちなみに「タルムード」研究がどういうものかについては、ハリウッド女優で歌手のバーブラ・ストライサンドが監督・製作・主演・歌唱のすべてを行った、1983年度のミュージカル映画作品『愛のイエントル』(Yentle)をご覧になっていただきたい」

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)

書評 『ユダヤ人エグゼクティブ「魂の朝礼」-たった5分で生き方が変わる!-』(アラン・ルーリー、峯村利哉訳、徳間書店、2010)

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?



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2013年4月27日土曜日

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人ーキリスト教文化をつうじた東西の出会い」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた(2013年4月27日) ー カトリック殉教劇における細川ガラシャ



マリー・アントワネットといえば、「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」という無邪気なセリフで有名な悲劇の王妃です。フランス革命で断頭台の露と消えました。

マンガや宝塚の『ベルサイユの薔薇』のイメージがひじょうにつよいわけでありますが、そのマリー・アントワネットが、ハプスブルク家の啓蒙専制君主マリア・テレジアの末娘としてウィーンの宮廷に生まれ育った幼い日から心に抱いていた「東洋の貴婦人」がいたのです。

それが、東洋文庫ミュージアムで現在開催中の「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い」のテーマです。開催期間は、2013年3月20日(水)~7月28日(日)。

その「東洋の貴婦人」とは、なんと日本の細川ガラシャ夫人。戦国大名の細川幽斎の息子・忠興の夫人となった細川ガラシャです。本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀の三女でした。カトリックの洗礼を受けてキリシタンとなりガラシャという洗礼名をもらいましたが、ガラシャ(Gratia)とは恩寵を意味するコトバです。神の恩寵ですね。

マリー・アントワネット(1755~1793)と細川ガラシャ(1563~1600)は奇しくも、ともにカトリックの信仰に生き、37歳を一期に非業の最期を遂げた二人の貴婦人でありました。洋の東西、時代は16世紀と18世紀と異なる時空を生きた二人でしたが、時空を超えた魂の響き合いがあったのではと空想してみてもいいのかもしれません。

マリー・アントワネットは、もしかすると死の間際に細川ガラシャのことを思い起こしていたかもしれません。というのも、キリシタンとして死んだ細川ガラシャの悲劇的生涯は、なんと殉教劇としてバロックオペラの演目としてヨーロッパではひじょうに人気が高かった(!)そうなのです。

カトリックの海外布教の先兵として挺身していたイエズス会は、カトリック大国のハプスブルク帝国が支援していたこともあり、そのイエズス会の海外布教の最大の成功例であり、かつ最大の失敗例ともなった日本布教はイエズス会にとっての意味合いは大きなものがあったのでしょう。

イタリアやメキシコに、長崎で殉教した日本の二十六聖人を記念した教会や壁画が残っているのは、見える形で「記憶」として刻みつけることがその目的であったのでしょう。


細川ガラシャを主人公にした17世紀のカトリック殉教劇

1698年に発表された殉教劇のタイトルはラテン語で、『強き女、またの名を丹後王国の女王グラツィア』(Mulier fortis, cuius pretium de ultimis finibus, sive Gratia regni Tango Regina)といいます。この本の表紙をふくめた一部は、Google Bools で見ることができます。今回の展示においては『気丈な貴婦人』となっていますが、ラテン語を直訳すれば『強き婦人』くらいが適当ではないかと思います。


「丹後王国の女王」とは、細川ガラシャは細川幽斎が封ぜられた丹後(=現在の京都府北部)で人生を過ごしたからでしょう。ちなみにその父である明智光秀は丹波の福知山に城をもっておりました。細川幽斎の居城は丹後田辺城でありました。現在の京都府舞鶴市の西舞鶴ですね。舞鶴で生まれたわたしは親しみを感じます。

ラテン語の殉教劇 『気丈な貴婦人』は、wiki によればこんな内容のようです。

ラテン語の戯曲 『強き女...またの名を、丹後王国の女王グラツィア』 は、神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーネ皇后の聖名祝日(7月26日)の祝いとして、1698年7月31日にヴィーンのイエズス会教育施設において、音楽つき戯曲の形で初演された。脚本は当時ハプスブルク家が信仰していたイエズス会の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが書き、音楽はヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲した。
ガラシャの改宗の様子は、当時日本に滞在中のイエズス会宣教師たちが本国に報告していたが、そのような文献を通じて伝わった情報をもとに、ガラシャの実話に近い内容の戯曲が創作される結果となった。
アドルフは、この戯曲の要約文書において、物語の主人公は「丹後王国の女王グラツィア」であると述べている。さらに、彼が執筆に際して直接の典拠としたのは、コルネリウス・ハザルト著『教会の歴史-全世界に広まったカトリック信仰-』の独訳本の第1部第13章、「日本の教会史-丹後の女王の改宗とキリスト信仰」であったことをも明記している。
戯曲では、グラツィア(=ガラシャ)の死が殉教として描かれている。夫である蒙昧かつ野蛮な君主の悪逆非道に耐えながらも信仰を貫き、最後は命を落として暴君を改心させたという、キリスト教信者に向けた教訓的な筋書きである。
この戯曲はオーストリア・ハプスブルク家の姫君たちに特に好まれたとされる。ただし、彼女たちが政治的な理由で他国に嫁がされるガラシャを自分たちの身の上に重ね、それでも自らの信仰を貫いた気高さに感銘を受けたとの解釈は、アドルフの脚本内容に基づかない日本人的な観点によるものであり、文献上の根拠は皆無である。

事実関係の記述に執筆者の個人的解釈もあって興味深い説明ですね。あまり想像をたくましくしてはうがち過ぎといったところでしょうか。

ソ連崩壊以後は、ロシア革命だけでなく、その前例であったフランス革命もまた顧みられなくなっていきましたが、フランス革命を、「革命された側」であるマリー・アントワネットの側からみるほうがドラマとしてもアピール度が高いのは、もしかするとハプスブルク大好きな人の多い日本だけではないのかもしれません。

フランスの文学者アナトール・フランスに 『神々は渇く』というフランス革命を題材にしたすぐれた文学作品がありますが、「革命する側」の精神状態を「(血を求めて)神々は渇く」と表現したわけです。その意味では、「革命された側」のマリー・アントワネットは「殉教」といっていいのかもしれません。

じっさい、フランス革命においてカトリック教会は徹底的に弾圧されることになります。修道院は破壊され、教会建築にも破壊の手が及びました。ロシア革命も文化大革命も、また日本の明治維新の際の廃仏毀釈とも共通するものがあります。

そんなことを考えながら、「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」の展示品を見るとよいでしょう。




展示品についての若干の解説

会場には、『気丈な貴婦人』の一部を再現したチェンバロによる演奏が流れています。バロック音楽に浸りながらマリー・アントワネットの生涯と細川ガラシャの生涯を偲ぶことができる構成になっています。

以下、展示の説明文をそのまま引用しておきましょう。


マリー・アントワネットが旧蔵していたという『イエズス会士書簡集』、世界に唯一現存の天草本キリシタン版『(国重文)ドチリーナ・キリシタン』細川ガラシャ自筆の和歌短冊『たつね行』中国明朝のキリシタン貴婦人の伝記『徐カンディダ伝』など天下の稀品が一堂に会します。マリー・アントワネット憧れの東洋のキリスト教世界、この機会にぜひご堪能ください。

『どちりな きりしたん』(Doctrina Christam)は、カトリックの「カテキズム」(公教要理)のこと。教義を意味するドクトリンがなまって「どちりな」となったようですね。日本語をローマ字で記した教理問答集で、1600年に日本で出版されたキリシタン文書の一つです。



『イエズス会士書簡集』は、中国関連のものを中心に日本関連のものをふくめて、平凡社東洋文庫から日本語訳され出版されています。出版を目的として書かれたイエズス会士の報告書は、18世紀のヨーロッパの知識階層でよく読まれ、ひじょうに大きな影響を与えたことが知られています。

たとえば、哲学者のライプニッツは『易経』をもとに二進法のアイデアからコンピューターの原型となる発想を得ていますし、身分や階層にとらわれない官吏の登用方法としての「科挙」はヨーロッパに大きな影響を与えています。やや中国文明を理想化しすぎたという批判もありますが、『イエズス会士書簡集』を愛蔵していたということから、マリー・アントワネットの関心のありかをさぐることもできそうです。

なお、イエズス会は海外布教方針をめぐってカトリック内部で批判にさらされ、権力闘争のすえ1773年にローマ教皇庁から解散命令を受けています。復興されたのは30年後の1814年、その時点ではすでに海外布教の主役は「パリ外国宣教会」などにとって代わられていました。

「平成27年(2015年)は「信徒発見」150年」というコピーのもと、「世界遺産候補 長崎の教会群とキリスト教関連遺産」というパンフレットが置かれていますが、長崎で隠れキリシタンがフランス人神父の前に名乗り出たのが1860年(万延元年)、その神父はパリ外国宣教会から派遣された宣教師だったのでした。


展示会場が暗くて展示品はすべてガラスケースのなかに入っているので、撮影OKなのですがなかなかよい写真がとれません。くわしい解説のある小冊子 『マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-(時空をこえる本の旅5)』をぜひ会場で購入されるとよろしいかと思います(500円)。





PS マリー・アントワネットと日本の蒔絵コレクション

マリー・アントワネットと日本とのかかわりといえば、蒔絵漆器のコレクションについて触れなくてはならないだろう。

彼女が生前愛用した化粧箱は、なんと日本製だったのだ! 蒔絵の漆器の小箱のコレクションは、「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展(サントリー美術館、会期:2008年12月23日~2009年1月26日)でも公開されている。

フランス国王ルイ16世王妃マリー・アントワネットは、たいへんな蒔絵のファンでした。質・量ともにヨーロッパ随一を誇るアントワネットの蒔絵コレクションの中には、輸出用の注文品ではなく、上質でありながらも、京の店先で選ばれ買われたと考えられるものもあります。(企画展案内文より)

これらの平蒔絵コレクションは、18世紀にオランダ東インド会社(VOC)を通じて日本から欧州に輸出されたものである。ロココ時代の王宮には、かならずといっていいほど中国部屋と日本部屋があるが、贅沢品としての工芸品にかんしては日本製品が王侯貴族のあいだでは愛好されていたのであった。マリー・アントワネットの平蒔絵コレクションはヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵している。彼女の趣味の良さがうかがわれる。

なお、マリー・アントワネットの旧蔵書である『イエズス会士中国報告』のフランス語訳版は、日本の東洋文庫が所蔵している。シノワズリー(中国趣味)とジャポニスム(日本趣味)は、18世紀の王侯貴族のあいだでは東洋の贅沢品として人気を博していたのであった。いまではもはやそうではないが、かつて小文字の china は陶磁器、小文字の japan は漆器を意味していたのである。

(2016年4月5日 記す)

マリー・アントワネットの漆器趣味は、母親のハプスブルク帝国唯一の「女帝」マリア・テレジアゆずりのものであった。

「蒔絵 Japan」 ~美術展めぐり MYセレクション」というブログ記事には、上記の「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展の紹介がある。

オーストリアのハプスブルク家の女帝マリア・テレジアは「私は、ダイヤモンドより漆器よ」と言って、日本の絵を愛し、一家の住居であったウィーンのシェーンブルン宮殿にも「漆の間」を設けたほどでした。そんな母親の影響を受けて、フランスのブルボン家に嫁いだマリー・アントワネットも漆器好きで、マリア・テレジアから50点もの蒔絵を相続すると、さらにコレクションを増やしていき、そのマリー・アントワネットのコレクションはヨーロッパでも質量と随一のものとなりました。

(参考) マリー=アントワネットの漆器コレクション ヴェルサイユ宮殿美術館(MMM)。日本の漆器はフランス語で les laques du japon このキーワードで検索をかけてみるとよい。

(2016年4月22日 記す)

日本とは浅からぬ縁のあったマリー=アントワネットであったが、日本人とは直接相まみえたことはなかった。同時代のロシアの女帝エカチェリーナは、1791年に漂流民の大黒屋光太夫に拝謁させている。マリー=アントワネットが捕まったのは1792年で翌年には処刑されているが、はたして大黒屋光太夫の情報は耳にしていたのだろうか?

(2016年4月29日 記す)





PS オペラ『細川ガラシャ』について

日本で最初のオペラ『細川ガラシャ』を作曲したのは、カトリックのサレジオ会の司祭で日本宣教の責任者として来日したヴィチェンツィオ・チマッティ師(1879~1965)である。

音楽的才能にめぐまれていたチマッティ師は、生涯に950曲を作曲している。1926年に46歳で来日して以来、戦時中の苦難も含めて終生にわたって日本にとどまった。現在は尊者として認定されており、聖者としての第二段階である福者への申請中である。

『細川ガラシャ』は音楽ドラマとして1940年に日比谷公会堂で初演、その後1960年には80歳のチマッティ師自身の手によってオペラに改作されたものが上演されている。


(参考) ドン・チマッティ (Don Cimatti) :オペラ『細川ガラシア (ガラシャ) 』より第1幕その1(小栗克裕 (Katsuhiro Oguri) 補作・管弦楽編曲) (YouTube)




(2016年8月27日 記す)


PS2 ヴェルサイユ宮殿の全面協力のもとに作成されたマンガ

『マリー・アントワネット (KCデラックス モーニング) 』(惣領冬実、講談社、2016)が、2016年9月に出版されている。製作の経緯については、「モーニング」の副編集長による「世界志向の編集者は言語の壁を超えて、 作家が触れたことのない「異物」との接触点をつくる」(北本かおり、WIRED、2015年10月30日)を参照。(2017年6月14日 記す)




<関連サイト>

ミュージアム 財団法人東洋文庫

舞鶴田辺城 (舞鶴観光協会)

細川ガラシャ ゆかりの地を巡る - ゆったり丹後 (丹後広域観光)

イエズス会日本管区(日本語)

パリ外国宣教会 公式サイト(フランス語)



<ブログ内関連記事>

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫ミュージアム)を見てきた-「東インド会社」と「海賊」は近代経済史のキーワードだ


■フランス革命

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?
・・「雨降り」とは「革命」の到来を暗示しているという説がある

フランス国歌 「ラ・マルセイエーズ」の歌詞は、きわめて好戦的な内容だ
・・革命歌の歌詞はじつに勇ましいだけでなく残酷だ

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命から「近代」が始まった


■カトリックとイエズス会

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである
・・イエズス会の創始者イグナティス・デ・ロヨラの『霊操』について

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯

「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人
・・および『コリャード懺悔録』(大塚光信校注、岩波文庫、1986)

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

(2014年7月21日、2016年4月29日 情報追加)


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2013年4月22日月曜日

書評 『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか-ルールメーキング論入門-』(青木高夫、ディスカヴァー携書、2013)-ルールは「つくる側」に回るべし!


「なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか」という問いは、多くの日本人が日頃感じていることだろう。幕末の「開国」以来、「欧米列強」(・・アナクロだがイメージ喚起力のつよい表現だ)に苦杯をなめさせられ続けた歴史がトラウマに近いものにまでなっている。

本書の主張は、ルールは守るのは当然だが、ルールはつくる側にまわってこそ大きな利益を得ることができる、ということだ。これはスポーツだけではなくビジネスでも同じことだ。

日本人の美学を認めつつも、国際世界で勝つためにはルールは守るだけでなく、つくることによって競争環境を自社に有利に仕向けることを考慮に入れるべきことを説いている。

増補新版の「あとがき」で著者も触れているが、初版出版後の読者の反応でいちばん多かったのは、ルールとプリンシプルの違いを説明した個所であったそうだ(第1章)。わたしもこの個所がいちばん面白く感じた。

図式的にいえば、ルールは外的で他律的、プリンシプルは内的で自律的、となる(P.34)。わたし的にいえば、プリンシプルが個人の内面を律する原理原則であるとすれば、ルールはしょせん決め事に過ぎないということになる。決め事であれば、環境が変われば、それに応じて決め事も変えていかなかればならないのは当然だ。

それにしても日本には、時代遅れの規定や法律がそのまま放置されていることがあまりにも多すぎるのではないだろうか。

その理由は、著者も触れているが、法律やルールは自分たちがつくるものではなく、お上(かみ)から与えられたものを順守することだという日本人のマインドセットにある。企業社会ではコンプライアンスに法令遵守という訳語が与えられたために窮屈な空気が醸成されており、とくに大企業のビジネスパーソンは窒息状態にある。それもまた、日本人のこのマインドセットに起因するのであろう。

社会科学者の小室直樹がむかしから事あるごとに主張していたが、日本国憲法を「不磨の大典」(ふまのたいてん)のごとく、一字一句も変更をゆるさずに抱え込むなどは愚の骨頂。憲法もまたルールとしての法律であって、モーゼの十戒のような律法ではない(・・日本語では、「法律」と「律法」はまったく意味が異なる。英語では Law で同じだが)。

ビジネスの世界では「仕組み」をつくった者がいちばんうまい汁を吸う、というのは「常識」である。宝くじなども、買う立場の人間よりも売る立場で「仕切る」側にいる胴元がいちばん儲かるというのも「常識」である。

これを戦略的に行っているのがEU(欧州共同体)だ。

環境規制やISOなど厳しい規制をもうけることでビジネスをつくりだす欧州の知恵に学ぶべきだという著者の主張にも同感だ。むやみやたらに競争して疲弊することは避け、高く厳しいハードルを設けることによって「真の競争」を促すのが規制ビジネスのキモだ。その規制の胴元が欧州共同体である。

低成長時代の日本が、長らく低成長を続けている欧州の知恵に学ぶべきものは多い。今後は日本が主導してさまざまなルールを率先してつくっていくべきだろう。

副題にあるように、本書はルールメーキング論「入門」である。マインドセットについて語られるが、ルールメーキングの方法論までには言及がないので、物足りなさを感じる人も多いだろう。

まずは日本人のマインドセットを武装解除することが著者のミッションであるようだ。そのためのテキストとしては、増補改訂版が出版される意味はある。




目 次

はじめに 日本人はルールを守りすぎて、損をしていないだろうか?
第1章 なぜ私たちはルール変更を「ずるい」と思うのか?
第2章 実際に「ずるい」を味わってみる
第3章 ルールを変えれば本当に勝てるのか?
第4章 ルールがあってこそ成長する
第5章 ルール作りのプリンシプル
あとがきにかえて

著者プロフィール

青木高夫(あおき・たかお)
本田技研工業(株)勤務。HONDAでは、渉外業務において税制・通商など国内外の自動車産業に関わるルール作りに参画。海外営業時代は、豪州・英国に駐在し大洋州・中近東・北中欧での販社開発・企業合併を多国籍部門のマネジメントを通じて行う。この間、海外でのレース活動にも関与した。専修大学(大学院)にて、そうした経験を基礎として主に産業政策論を講じている。また、業務や講義に関連する欧米のビジネス書を発掘・翻訳。1956年、東京都出身(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






<ブログ内関連記事>

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと

聖徳太子の「十七条憲法」-憲法記念日に日本最古の憲法についてふれてみよう!

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?




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2013年4月20日土曜日

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない


超長期で経済分析をすすめている異端の民間エコノミストと、国家と資本主義の関係について考察してきた気鋭の政治哲学者との刺激的な対話です。

帯には、「近代資本主義の崩壊が始まる」とありますが、「近代資本主義」が崩壊過程にあるのはたしかですが、資本主義じたいが崩壊するるわけではないのでお間違えないよう。世の中によくあるオカルト系ではありません。

エコノミスト水野和夫氏の大著 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)は、このブログでも紹介しましたが、ある程度の経済学の素養と西洋近代史の素養がないと読み切れない大著なので、なかなかチャレンジしにくいのではと思います。 

そんな人のためには、この新書本をぜひすすめたいと思います。対談本で238ページなので、読みとおすことは可能でしょう。

「近代資本主義500年の歴史」はいまや終わり、大転換期にあるという認識が必要なことを、豊富な経済データと濃密な議論で展開した読みでのある新書本です。

中世世界が崩壊して近代世界に移行した500年前の大転換期--いわゆる大航海時代のことですね--との対比で現在の状況をわかりやすく解説しています。

日本の超低金利状態は、500年前のイタリアの都市国家ジェノヴァの低金利以来のものなのです。これを「利子率革命」というのですが、すでに低金利は経済成長のとまった先進国全般に拡大しています。低利で調達された資本は先進国ではなく、成長余地の大きな新興国に流れるのは当然なことです。実体経済の成長は新興国で、金融経済は先進国でというわけです。

500年前のスペイン(=ハプスブルク帝国)とイタリア(=ジェノヴァ共和国)の関係が、現在のアメリカと日本の関係になぞらえて説明されているところなど、経済覇権国と資本提供者の組み合わせという意味ではじつに卓抜です。

この対談ではヘゲモニー論を軸に、軍事力を背景にした経済覇権と国家の関係について考察した内容になっています。こういう議論に慣れていない人は新鮮な印象を受けることでしょう。

水野氏は、「歴史の峠」に立っているという認識を」という「あとがき」でこう言っています。

このような時代の転換期において、近代資本主義の枠内だけの道具では、問題を解決することは不可能だろう。デフレという問題ひとつをとっても、おカネを刷れば一挙解決といった処方箋は、グローバル化した経済を見誤っている典型のように思われる。(*太字ゴチックは引用者=わたし による)

わたしはこの発言に賛成です。水野氏はこういうことを発言しているので、いわゆる「リフレ派」からはボロクソに批判されています。

つい先日、あたらしい総裁のもと日銀が「異次元の金融緩和」を断行しましたが、経済史を含めた西洋史を大学学部で専攻したわたしには、水野氏の発言こそまっとうに思われます。もしかすると政策決定者には隠されたべつの意図があるのかもしれませんが。

とはいっても、政策決定者ではない一日本国民には、経済政策も金融政策もコントロール不能な「外部環境」です。ですから、すでに始まっているバブル生成と崩壊を見据えたうえで、自らの行動を決めなくてはならないでしょう。そのときに備えた研究が必要なことは言うまでもありません。

しかし、その解答まではこの本には書かれていません。あるべき枠組みについての議論はあっても、自分とその関係者がサバイバルするための方法については、自分で考えて自分で実行していくしかありませんね。

いずれにせよ、まずは、「近代500年の近代資本主義」が崩壊するプロセスにあるいま、既存の枠組みのなかで設計された経済金融政策はもはや機能しないことに気がつかねばならないのです。





目 次

はじめに 市場経済だけで資本主義を語るエコノミストたちへ
第1章 先進国の超えられない壁
第2章 資本主義の歴史とヘゲモニーのゆくえ
第3章 資本主義の根源へ
第4章 バブルのしくみと日本の先行性-日米関係の政治経済学-
第5章 日本はいかに生き抜くべきか-極限時代の処方箋-
対談を終えて
 「歴史の峠」に立っているという認識を(水野和夫)
 経済学的常識への挑戦(萱野稔人)
参考文献

著者プロフィール 

水野 和夫(みずの かずお)
1953年生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。元三菱UFJ モルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト。早稲田大学大学院修士課程経済 研究科修了。著書に『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』など(出版社サイトより)。
 

萱野稔人(かやの・としひと)
1970年生まれ。津田塾大学国際関係学科准教授。哲学博士。パリ第十大学大学院博士課程哲学科修了。著書に『国家とはなにか』など。(出版社サイトより)。



<ブログ内関連記事>

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方

書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書




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2013年4月19日金曜日

「桜餅のような八重桜」-この表現にピンとくるあなたは関西人!



この写真をみて「桜餅のような八重桜」ということにピンとくる人は、おそらく関西人が多いでしょう。ただ単に、甘味好きや食いしん坊かどうかとは違います。

なぜなら、関西では、桜餅といえば「道明寺」(どうみょうじ)のことを指しているから。関西人が「桜餅」と聞いてアタマのなかで連想するのは間違いなく「道明寺」のことです。

関東でいう「桜餅」は、ドラ焼きのようにアンコを包んだ形態なので、「桜餅のような八重桜」といってもピンとこないかもしれません。

まずは、関西の「桜餅」、言い換えれば「道明寺」について簡単にみておきましょう。まずは下の写真を見てください。


(桜餅道明寺、上方風桜餅 wikipedia日本語版掲載の写真)


どうです、よく似てるでしょう! しかも、見るからにうまそうですね!

おなじく桜の葉を塩漬けにしたものでくるんであっても、関西と関東では真逆といっていいほどの違いがあるのが桜餅です。わたしは道明寺の桜餅のことをいつも無意識に桜餅といっているので、関東ではどうも話が通じないことがあるようなのです。

では、関東の「桜餅」です。


(桜餅長命寺、江戸風桜餅 wikipedia日本語版掲載の写真)


こちらも「桜餅」は「桜餅」ですが、関東の長名寺小麦粉でつくった薄皮であんこをくるんだものです。関西と関東では、同じ桜餅といってもぜんぜん違うものであることがわかると思います。じつは関東の桜餅を「長名寺」ということは今回はじめて知りました。

では、なぜ関西の桜餅は「道明寺」というのでしょうか?

むかしから不思議に思っていましたが、あるとき思い立って調べてみたら答えはきわめて簡単なものでした。答えは、道明寺粉からつくった餅だから道明寺という、というもの。

ではなぜ道明寺粉とは何でしょうか?

道明寺粉とは、もち米を水洗いし水に浸しておいてから蒸し上げ、干して乾燥させたものです。米粉の一種ですね。しかも、もち米のつぶつぶが残っているので、粒あんともあわさって、じつによい食感です。関東の「お汁粉」(しるこ)に対して関西では「ぜんざい」が好まれるのと同じかもしれません。つぶつぶ感といったものでしょう。

「道明寺」というのは大阪の藤井寺市にある真言宗のお寺の名前です。もち米を乾燥させたものを干し飯(=ほしいい)といいますが、その干し飯を荒挽き粉にしたものが道明寺粉というわけです。道明寺粉は千年前から存在するのだそうですが、干し飯といえば 『伊勢物語』の東下りの場面にも登場する「かれいひ」という携帯食です。

では、関西の桜餅と関東の桜餅の境界線はどこにあるのでしょう? 日本では、関西と関東にしか住んだことがないので、その中間のどこかであるのは確かなのですが・・・




<関連サイト>

和菓子ネット(日本全国の和菓子を注文可能)



<ブログ内関連記事>

八重桜は華やかで美しい

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鹿児島産の「ぽんかん」を今年もいただいた
・・わたしがもっとも好きな「かるかん饅頭」について

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「目には青葉 山ほととぎず 初かつを」 -五感をフルに満足させる旬のアイテムが列挙された一句
・・桜の葉っぱ

(2014年6月18日 情報追加)


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2013年4月18日木曜日

「1日で巡るお遍路さん in 丸の内」に参加してきた-四国八十八か所霊場ご本尊の77年ぶりの「出開帳」(2013年4月18日)



「1日で巡るお遍路さん in 丸の内」というイベントに参加してみた。四国八十八ヶ所を一日、いや一時間くらいで一気に回ってしまおうというお気軽イベントである。

いまは亡き祖父が徳島生まれで四国にも少なからぬ「縁」のあるわたしは、20歳代の頃からぜひやってみたいと思いながら、またなんども計画をつくってみたものの、歩き遍路では最短でも40日以上はかかるため現在に至るまで断行しないで終わってしまっている。

このままでは生きているうちに一度もお遍路できずに終わってしまうかもしれないと思うと、まあこういうインスタントなお遍路でもいいのかなと思って参加してみた次第だ。

インスタントすぎてそれではお遍路したことにならないという反論もあるだろうが、チベットでもマニ車を回せばお経を読んだことになるというプラクティスもあるので、それほどおかしなことでもあるまい。

主催者のJTBによる案内文を以下に掲載しておこう。旅行会社が聖地巡礼をテーマにはじまったのは洋の東西を問わず共通である。

「77年ぶりに88か所本尊出開帳」 今日、老若男女を問わず静かなブームとなっている四国八十八ヶ所巡り。弘法大師"空海"の足跡を訪ね、寺院を巡るお遍路の旅がこの度、東京・丸の内の新ランドマーク JPタワーにやってきます。本展では、なんと77年ぶりに88体のご本尊(日本を代表する仏師松本明慶作の出開帳本尊)を一堂に出開帳。つまり東京・丸の内にて、1日で四国八十八ヶ所を巡ることと同様の体験をしていただけます。その他にも巡礼用品や四国物産の販売も併催予定。何度も巡礼の旅に出ていらっしゃる方はもちろん、巡礼の旅に出たくてもなかなか出られないという方も、この春、丸の内で貴重なお遍路体験をしませんか?

「77年ぶりに88か所本尊出開帳」、ですか! 77年前というと 1936年(昭和11年)か。そんなこともあったのかという気持ちになる。「日本を代表する仏師松本明慶作の出開帳本尊」ということは、それ以降につくられたあたらしい仏像ということだ。

「四国霊場開創1200年記念催事」ということだが、その数字がピタっと正確なのかどうかわたしにはわからない。でも1200年というのは、弘法大師空海の時代であるからそのとおりなのだろう。

まずは、「開催概要」について掲載しておこう。「同行二人」(どうぎょう・ににん)である。弘法大師と二人で巡礼する。


■名  称: 四国霊場開創1200年記念催事 「1日で巡るお遍路さんin丸の内」
http://www.jtb.co.jp/chiikikoryu/regional/ohenro/index.asp■主  催: 株式会社JTB中部、四国八十八ヶ所霊場会
■協  力: 東日本先達会
■協  賛: 四国ツーリズム創造機構
会  期: 2013年4月18日 (木) ~ 25日 (木)  会期8日間時  間: 9:00 ~ 21:00 ※時間指定制(3時間観覧)第1部 09:00-12:00 第2部 12:00-15:00
第3部 15:00-18:00 第4部 18:00-21:00
  ※各部定員700名様限定
■会  場: JPタワー【 ホール & カンファレンス (4Fフロア) & 東京シティアイ (B1フロア) 】 東京都千代田区丸の内二丁目7番2号
■入 場 料: 有料制 ※中学生以下無料
        前売券(1名様) ¥2,000(税込)
        当日券(1名様) ¥2,300(税込)
■チケット:販売方法
1.インターネット販売<JTBエンタメチケット/チケットぴあ>
2.チケット専用コールセンターでの電話販売<JTBエンタメチケット/チケットぴあ>
3.JTB店頭・JTB総合提携店での販売
4.チケットぴあ店頭での販売
5.コンビニエンス・ストアでの販売


「出開帳」というのは江戸時代にはよく行われていたそうで、成田山新勝寺の出開帳が・・・で何度も開かれていたそうだが、門外不出の秘仏を出張展示するといったものである。

写真撮影禁止ということなので一枚も撮影していないので、どんな感じかは千代田区観光協会の関連サイトをご覧いただきたい。

簡単に回れるというのだが、88体の仏像に手をあわせて真言を唱える(・・仏像にそばに書いてあるのを読むだけだが)、それでもかなりの量がある。やはりマニ車を回して終わりというようなインスタントなものではない。


(完了者に授与される「結願之証」 ただし無記名)

会場を一巡すると、出口の外で「四国八十八ヶ所霊場 お砂踏み 結願之証」という証書をもらったが、にもかかわらず、その瞬間のことだが、やはり歩いて回らなければダメだなという気持ちがわき上がってきた。つまり精神的にも肉体的にも物足りないということだ。

狭いスペースであるからよけいそう感じるのだろうが、自分のペースで歩けないのももどかしい。
体力のあるうちに、やはり一部分でもいいから歩くべきだなと痛感。もうちょっと会場が広ければ、違う感想をもったかもしれないが・・・

会場に展示されていた写真パネルにもあったが、外人さん(!)でもお遍路しておるのだから、いわんや日本人をや、である。

じつはお遍路をしてみたいとつよく思ったのは、いまから20年くらい前、アメリカに留学していたときのことだ。一緒にプロジェクトをやっていたエンジニアの白人系アメリカ人から、彼の弟が四国アイランドで巡礼(pilgrim)しているという話を聞いた。その頃はもちろん、お遍路というコトバは知っていたが、じっさいに歩いている人の話を聞いたのは初めだった。外地ではじめて日本を知るという事例でもある。

会場で「お遍路」をはじめる前に、僧侶から説明とお清めがある。お清めは塗るお香と聖水のふりかけの二つだが、その塗るお香のことを「塗香」(ずこう)というのだそうだ。その粉末のお香を左手の手のひらに受けて両手ですり合わせ、手の甲や手首に刷り込み、両手のひらを開いて全身を清めたことにする。密教系ならではのようだが、はじめて体験した。

ところがこのお香の匂いにはその後、閉口することになる。カレー粉のような匂いがこびりついて取れず、終日つきまとっていたのだ。そのまま帰宅したのであれば問題はなかったかもしれないが・・・

いろいろ感想を書いてみたが、やはり四国八十八か所は歩き遍路すべきという気持ちになっただけでも、このイベントに参加した意味はあったかもしれない。

     ***************************************************

閑話休題(=それはさておき)、イベントの会場の改築なったJPタワー(旧東京郵便局)がまたすごいものであった(下の写真)。


(JPタワー内部 吹き抜け型の商業ゾーン)

こんなにつぎからつぎへと東京では再開発で商業施設が建設されているが、はたして採算とれるのだろうかとも思ってしまう。まあ、東京駅舎の再建とあわせての丸の内再開発計画の一環だろうから勝算はあるのだろう。

むかし百貨店や商業施設の需要調査と採算計画(・・いわゆるFS:フィージビリティ・スタディのこと)の仕事をさんざんやったのでそんなことを思ってしまうのだが、「供給が需要をつくりだす」という、いわゆるセーの法則というものもある。あらたな需要を世界規模でつくりだすということを意図しているのであろう。なんといっても世界を代表する国際都市東京の表玄関が丸の内である。

JPタワーには東京大学総合博物館の常設展示「インターメディアテク」もできていた。特別展示として、古生物時代の標本や化石が展示されていた。標本や化石はすでに生命はないが、かつて生命をもっていた物体の残存物である。

八十八ヶ所の霊場をもつ四国は、それゆえに「死国」ともいわれることがある。JPタワーには、商業施設という「生」と霊場という「死」の世界の同居したわけだ。現世における欲望、来世における欲望。エロスとタナトス。

生と死はつねに隣り合わせにあるということを体感するには、いいイベントであったというべきかもしれない。


<関連サイト>

1日で巡るお遍路さんin丸の内(JTB)

四国八十八ヶ所霊場 公式サイト




インターメディアテク (東京丸の内に2013年3月21日にオープンした東京大学の学術文化総合ミュージアム)


<ブログ内関連記事>


書評 『聖地の想像力-なぜ人は聖地をめざすのか-』(植島啓司、集英社新書、2000)

庄内平野と出羽三山への旅 (10) 松尾芭蕉にとって出羽三山巡礼は 『奥の細道』 の旅の主目的であった

「企画展 成田へ-江戸の旅・近代の旅-(鉄道歴史展示室 東京・汐留 )にいってみた

「空海と密教美術展」(東京国立博物館 平成館) にいってきた

「東京大学総合研究博物館小石川分館」と「小石川植物園」を散策






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