いま、まさにこの時点(2015年1月31日)で世界で大きな問題となっている「イスラーム国」。2014年に「カリフ制のもとの国家」を宣言したこのテロリスト組織は、日本人人質を殺害したことで、もはや日本と日本人にとって無縁の存在ではなくなった。
このテーマにテロリストの資金調達の観点から分析を行った『イスラム国-テロリストが国家をつくる時-』(ロレッタ・ナポリオーニ、文藝春秋、2015)を読んだらあまりにも面白かったので、この著者の本でほかにも日本語に翻訳されたものはないかと思って探してみた。その結果でてきたのが『ならず者の経済学-世界を大恐慌にひきずり込んだのは誰か-』(ロレッタ・ナポレオーニ、田村源二訳、徳間書房、2008)であった。
ところが、本書はアマゾンで検索したがすんなり出てこなかった。『イスラム国』では著者名がナポ「リ」オーニとなっているのに、『ならず者の経済学』では著者名がナポ「レ」オーニとなっているためだ。どうもこのナポ「リ」オーニとナポ「レ」オーニのあいあだでは「あいまい検索」設定がなされていないようである。
『ならず者の経済学』の原題は Loretta Napoleoni, Rogue economics : capitalism's new reality, A Seven Stories Press, 2008(=『ならず者経済学-資本主義の新たな現実-』)である。15カ国語に翻訳された世界的ベストセラーとなったというのも大いにうなづける。「品切れ」になっていたので、アマゾンから古本で取り寄せてさっそく読んでみたが、これがめっぽう面白い! 2008年の出版だが、読み出したら最後まで読んでしまう。そして、現在につづく冷戦後の世界の「現実」を知ることになる。
「ならず者経済」(Rogue Economics)とは、1990年代にブッシュ(父)政権がいいだした「ならず者国家」(Rogue Nations)を踏まえた表現だろう。当時は北朝鮮、イラク、イラン、アフガニスタンおよびリビアが「ならずもの国家」と名指しして非難されていた。
本書に描かれた「現実」は、2008年に出版された後に発生したリーマンショックで変化するかに見えたが、「市場経済」の暴走は依然として猛威を振るっている。このうねりのなかで既存の「国民国家」の存在は、さらに弱体化しつつあるのが現状だ。
これは左派リベラルが楽天的に語っていた 「グローバル市民社会」論や 「地域統合による平和と繁栄」論のような「すばらしい世界」とはほど遠い。テロリストを含めた「ならず者」が跋扈(ばっこ)する「おぞましい世界」である。
■冷戦後のグローバリゼーションが「ならず者経済」を生み出した
1991年にソ連が崩壊し、東西冷戦構造が終焉を迎えたとき、世界中が陶酔感に浸ったのであった。いまから四半世紀前のことである。これで核戦争の危険も消え、これからは「平和の配当」を享受できるのだ、と。
ところが、冷戦構造の終焉と同時に再び始まったグローバリゼーションの波のなか、「パンドラの箱」が開けられてしまったのである。いままで抑えつけられていた邪悪の勢力が解き放たれたのである。そして「ならず者経済」が生み出されたのであった。
幻想(イリュージョン)によってかきたてられる消費。密輸品、海賊版や偽造品が氾濫。国境を越えた実質的な人身売買と奴隷労働が横行。インターネットでは闇経済がはびこっている状態。「ならず者」たちは思うままに暴利をむさぼり、貧富の格差は縮まるどころか拡大するばかりだ。旧ソ連地域であった中東欧は、市場経済への移行をつうじて「ならず者」たちによる収奪の対象となったのである。中近東もアフリカも液状化が進み、混乱が収束する気配もない。
グローバリゼーションにっよって「国民国家」の市場統制力が弱体化した結果、国家間をいとも簡単にくぐりぬける「ならず者」たちを監視し、処罰することが容易でなくなっている。
パンドラの箱をあけてしまった以上、もう後戻りはできない。行き着くところまで行くしかないのだ。だが、いつの日か終わりは見えてくるだろう。といっても、数十年は収束はしないだろう。なぜなら、いま進行している事態は、「移行期」という「500年に一度の大転換期」だからだ。
■「近代」終焉後の「大転換期」という「移行期」の現象
著者は大転換機の期間を明示していないが、わたしはこの事象もまた「500年単位」の歴史の終焉と新たな時代への「移行期」の現象だと捉えている。1492年に始まり1991年に終わった西欧主導の「近代」もまた、その初期においては「中世」の崩壊にともなう大混乱が一世紀近くにわたってつづいたからである。
古代世界の崩壊、中世の崩壊と近代の開始、冷戦構造の崩壊などが歴史上の「大転換期」であるが、とくに近代の開始と冷戦構造の崩壊の際には、既存の秩序の崩壊とグローバリゼーションが同時進行していることに注目しておきたい。
「近代」初期においても、あらたな経済主体として主導権を握ったのはプロテスタント諸国となった英国が中心となった「海賊」であった。これは政治学者カール・シュミットが『海と陸と』で活写しているとおりである。21世紀の「ならず者」であるもまた、かつての「海賊」たちと同様の役割を果たすのであろうか?
「4章 中国はカオスを食べて繁栄する」で著者は、西欧の「モデリング思考」と東洋の「カオス思考」を対比させて、グローバリゼーションのなかでなぜ中国が主要プレイヤーとして台頭したかを解き明かしており興味深い議論を展開している。中国を高く評価しすぎているような気がしなくもないが、基本的にファイナンスを専門としてきた著者には、西洋的なリニア思考がベースにありながらも、カオスへのアプローチとしての確率論的思考も身についているということだろう。
また、「9-11」後の米国ブッシュ政権の「愛国者法」によるテロ対策が、「ならず者経済」をEUのユーロ圏に移転させたことが著者によって解明されている。たしかに、海外送金にかんしてマネーロンダリング(=資金洗浄)がらみで米国から厳しい規制がかかっていたことは、わたし自身が実務をつうじて体験しているので実感として理解できる。
経済力をバックにした勢力は「部族」として存在感を示すようになっている。「部族」というと、マーケッターのセス・ゴーディンが「トライブ」(tribe)という概念を打ち出していることを想起するが、彼はインターネットによってマスマーケティングに終止符が打たれた結果、再浮上してきたものだとしている。集団単位としての「部族」が単位となるのは、「大転換期」の現象なのだろう。
液状化する国際状況のあいまをかいくぐって浮上してきたのが、2014年に「カリフ制のもとでの国家」を宣言した「イスラーム国」であるが、このような文脈のなかに出現してきた現象だといっていいだろう。「イスラーム国」については、 『イスラム国-テロリストが国家をつくる時-』で著者が指摘しているとおりである。
そしてまた、なぜ過去のものだと思い込んでいた「ナショナリズム」や「極右政党」が、いまかえって猛威を振るい始めているのか?それは、市場経済をスムーズに制御するための国家と制度的枠組みが機能不全に陥っているためだ。そして、その背景には、人々の不安や恐れの感情が存在する。
だが、経済ナショナリズムで一国をの「国民経済」にかかわる国民を保護することができたとしても、はたして暴走する「市場経済」そのものを制御することは可能なのだろうか?
■暴走する「市場経済」は制御可能か?
著者は最終章の「12章 "ならず者経済" に対抗するイスラム金融」で、暴走する「市場経済」は制御するための一つの手段としての「イスラーム金融」について言及している。さすが国際経済につうじたファイナンスの専門家だけあって、この点への注目はかなり早い段階でなされているというべきだろう。
1997年のIMFショックでなぜマレーシアがIMF管理下入りを回避できたのかについては日本でも賛否両論をまじえて議論が行われてきたが、この時点でマレーシアは米英中心のIMF体制ではなく、イスラームのネットワークを活用した経済支援体制を構築することに成功したのであった。この点にかんする記述は著者ならではのものだろう。
たしかにマレーシアが中心になって推進しているイスラーム金融の成長はいちじるしい。不道徳な企業や案件への投資は禁止し、イスラーム法(=シャリーア)・コンプライアンスを満たしているもののみに投資するのである。ちなみに利子をともなう貸し付けではなく、投資信託という形をとるのがイスラーム金融の一形態である。
2050年には世界人口の1/4がムスリム(=イスラーム教徒)になると推定されていることを考慮に入れれば、イスラーム金融が暴走する市場経済の制御装置として働く可能性は少なくないといえるだろう。
西欧自体を「相対化」する視点を備えた著者ならではの重要な指摘だといていいだろう。だがじっさいにそうなるかどうか判断するのは、まだ時期尚早かもしれない。イスラームについてはさておき、とくに中国については過大評価な気がしないではない。「没落する西欧」からする、ある種の「裏返しの理想化」でないとも言い切れない。
いずれにせよ、「移行期」という「大転換期」にともなう市場経済の暴走は、まだまだ数十年は続くと覚悟しておいたほうがいいのだと、あらためて思うのである。
目 次
はじめに●史上最大の転換期に暴れる邪悪な経済力
すべての小品はダークな部分を持つ
暴利をむさぼる経済勢力
1章 イスラエル人が女を買えばアラブが儲かる
経済の暴走はいつ始まったか
セックス奴隷として世界に売られるスラブ系女性
経済危機で大儲け
ナターシャを抱くイスラエル人
敵とベッドインする
庶民の目をくらます幻想
美人jコンテスト優勝者と兌換ルーブル
国有財産を略奪したロシアの新興財閥(オリガルヒ)
移動盗賊 vs 定住盗賊
政治のくびきから逃れた経済
2章 超借金でアメリカは破産する
3章 アスリートたちはなぜ用心棒になったのか?
4章 中国はカオスを食べて繁栄する
危機こそ風に乗るチャンス
たくましい中国的水平思考
過去をつくり変える
暴力の政治
新皇帝は赤い服を着ている
鄧小平が敷いたカネ持ちへの道
働くことで悪夢を忘れる
歴史より領土の大きさが大事
中国とマフィアの共通点
5章 偽造品と中国の熱い関係
中国は偽物だらけ
ヨーロッパの搾取工場で働く中国人不法移民
アフリカを荒らすバイオパイレーツ
規制緩和で空の安全が低下した
6章 あなたの結婚指輪は血で汚れていないか?
7章 ダークな欲望を操るネット起業家
8章 漁業海賊は日本へホンマグロを運ぶ
9章 なぜ政治家は大衆を怯えさせるのか?
セレブを政治に引き込む
アフリカを貧しくさせるだけの経済援助
カネではなく善政を
でっちあげられた "テロの恐怖"
飛行機はそれほど危険なのか?
「怯えよ、怯えまくれ」
10章 市場国家は神話を好む
アメリカ共和党は聖書を利用
ベルルスコーニのサッカー政治
チャベスのラップ政治
11章 ギャング団はグローバル化に抵抗する
12章 "ならず者経済" に対抗するイスラム金融
イスラム金融は投資ファンドを避ける
アラブを富ませたオイルショック
市場の魔法
IMFと決別したマレーシア
発展するシャリア経済
黄金のカリフ国
大恐慌から国家部族制へ
国家が退廃するとき
経済的部族制の未来
おわりに●欧米の脱落と、中国・イスラム諸国のパワー
訳者あとがき●覚悟せよ!この不況は50年つづく
著者プロフィール
ロレッタ・ナポレオーニ(Loretta Napoleoni)
ローマ生まれ。アメリカのジョンズ・ホプキンス大学ポール・H・ニッツェ口頭国際問題研究大学院、およびロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに学ぶ。エコノミストとしてヨーロッパおよびアメリカの銀行・金融機関・国際機関に勤務。また商品市場コンサルタントとして中東諸国をたびたび訪れ、金融機関のトップや政治指導者と会う。テロ資金の専門家であり、現在も数カ国の政府にテロ対策について助言している。マドリード・クラブのテロ資金対策班の長として、世界中から国家元首を集め、テロ組織網の資金調達を阻止する新戦略をつくりあげた。ロンドンとあめりか・モンタナ州に住む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
Loretta Napoleoni (wikipedia英語版)
Loretta Napoleoni: The intricate economics of terrorism TEDGlobal 2009 · 15:44 · Filmed Jul 2009
・・TEDトーク 日本語字幕あり
Rogue Economics Interview 1 (YouTube 音声:英語 字幕なし)
Rogue Interview 2 - The Internet, a Mixed Blessing? (YouTube 音声:英語 字幕なし)
Rogue Interview 3 - Islamic Finance: A Counter Balance (YouTube 音声:英語 字幕なし)
<ブログ内関連記事>
書評 『イスラム国-テロリストが国家をつくる時-』(ロレッタ・ナポリオーニ、村井章子訳、文藝春秋、2015)-キーワードは「近代国家」志向と組織の「近代性」にある
・・「イスラーム国」もまた「ならず者」の一つである
■「500年単位の歴史」でみた「移行期」という「大転換期」
書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない
書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する
■冷戦構造崩壊後のグローバリゼーションとその結果
書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読
書評 『ブーメラン-欧州から恐慌が返ってくる-』(マイケル・ルイス、東江一紀訳、文藝春秋社、2012)-欧州「メルトダウン・ツアー」で知る「欧州比較国民性論」とその教訓
■「ならず者」たちによる「闇経済」
書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
・・バチカンはイタリア経済の闇と密接にかかわる
書評 『ろくでなしのロシア-プーチンとロシア正教-』(中村逸郎、講談社、2013)-「聖なるロシア」と「ろくでなしのロシア」は表裏一体の存在である
・・ソ連崩壊後のロシアの現状と行く末
マンガ 『闇金 ウシジマくん ① 』(真鍋昌平、小学館、2004)-圧倒的な迫力。リアリティあるストーリーに迫力のある絵柄。読み出したら、眠気が一気に覚める
■「暴走する市場経済」において「国家」は防波堤たりうるか?
書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書
書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「国家資本主義」は「自由主義経済」の対極に位置する存在
■イスラーム金融は「ならず者経済」のアンチテーゼとして、「ポスト資本主義」の主流となりうるか?
書評 『マレーシア新時代-高所得国入り-(第2版)』(三木敏夫、創成社新書、2013)-「進む社会経済のイスラーム化」は必読
・・1998年のIMFショックを回避したマレーシアとイスラーム化については、国際金融にも精通したナポレオーニ氏の解説を補って読むといいだろう
書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』
・・イスラームの経済倫理について。「資本の自己増殖」を未然に防ぐ装置として、辣腕の商人であった預言者ムハンマド自身によってイスラームにビルトインされた「利子禁止思想」、この経済思想的な意味を考えることは「イスラーム金融」とは何かを考える上で必要であり、イスラームにとって経済とは何か、商行為とは何かを根本的に考える上で大いに参考になる」
『論語と算盤』(渋沢栄一、角川ソフィア文庫、2008 初版単行本 1916)は、タイトルに引きずられずに虚心坦懐に読んでみよう!
・・ナポレオーニ氏は知らないようだが、「ならず者経済」の対極の立場に立つのが、日本資本主義の父・渋沢栄一である。だが、「義利一致」論は21世紀に主流となり得るか?