2015年4月28日火曜日

書評 『オタ中国人の憂鬱-怒れる中国人を脱力させる日本の萌え力-』(百元籠羊、武田ランダムハウスジャパン、2011)-中学から大学まで北京で生活した日本人が語る中国のオタク事情


中国にも日本の動漫、つまり動画(=アニメ)や漫画(=マンガ)をこよなく愛するオタクたちがいる。このことはすでに『中国動漫新人類 (NB online books) 』(遠藤 誉、日経BP社、2008)の元になったネット連載記事で全面的に紹介されているので、日本でも知っている人は少なくないと思う。

つい最近出版された 『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか-「ニッポン大好き」の秘密を解く-』(中島恵、中公新書ラクレ、2015)でも、著者自身は詳しくないと断りつつ、日本アニメ好きの中国のオタクたちの生態について一章を割いて紹介されていた。

アマゾンから機械的に「レコメンド」されたのが、『オタ中国人の憂鬱-怒れる中国人を脱力させる日本の萌え力-』(百元籠羊、武田ランダムハウスジャパン、2011)である。すでに4年前の出版だが、いままでまったく知らなかった。さっそくマーケットプレイスで購入。

読み出したら、これがまったく面白い。中国のオタクたちが掲示板に投稿した内容を日本語で紹介しているのだが、中国のオタクたちのリアルな肉声とホンネが聞こえてくる。これは貴重なドキュメントでもある。

著者は、「1980年東京生まれの日本人。中学から大学まで北京で生活。中国人の対日感情がどんどん悪化していくなか、予想もしなかった「日本のオタク文化が好き」な中国人達と遭遇して救われた過去を持つ」というプロフィールの人だ。

同時代の中国人オタクたちを、その渦中にあって当事者として「参与観察」してきた人だけに、臨場感が違う。

こういうものは、当事者でしか書けない内容だ。中国のテレビで日本のアニメが放送されていた時代から、インターネットで日本アニメをまとめて視聴する時代への移行期、そしてネットでリアルタイムで日本のアニメを視聴する現在までを体験しており、具体的な作品に即して体験談を織り交ぜながらつづっている。

取り上げられているのは、「ガンダム」、「新世紀エヴァンゲリオン」、「涼宮ハルヒの憂鬱」、「ときめきメモリアル」(これはゲーム)、「北斗の拳」、「聖闘士星矢」、「スラムダンク」、「ウルトラマン」などなど。

これらの作品が中国で受容されていったプロセスが具体的に詳しく書かれているので興味深い。そこから見えてくるのは、中国人の関心と感性の、日本人との共通性と相違点である。

なといっても面白いのは、なんでも「萌え化」してしまう日本人に中国人オタクが脱力しているという話だろう。

たしかに日本では自衛隊や警察にまでキャラ化や萌え化が浸透しているのは、「おいおい、こんなのありか?」と、わたしですら最初はとまどいを感じたものだ。「かわいい」大好きの日本社会で親しみを感じてもらって、かつリクルート活動を効果的にすすめるためには、もはや必要不可欠なのだろう。

かつて日本人も、米軍兵士が戦闘機などに貼りまくっていたピンナップガールのポスターに、「こんな国と戦争して負けたのか・・」と敗戦後に脱力感を抱いたようだが、現代中国人も日本に似たような感想を抱いているのは、社会の成熟度の違いで説明できるかもしれない。

(オタ中国人へ侵攻開始: 日本鬼子&小日本 帯ウラより)

その日本のオタクたちが、尖閣問題で噴出した「反日」に対抗して打ち出してきたのが、「日本鬼子」(ひのもと・おにこ)と小日本(こひのもと)という萌えキャラ

中国人が日本人に対して使用する最大の侮蔑表現である「日本鬼子」(リーベングイズ)、「小日本」(シャオリーベン)を日本語で読み替えて萌えキャラ化してしまったのだ。

わたしもこの事情はネットで見ていたが、そもそもこれらの侮蔑表現が日本人にはピンとこないだけでなく、まったく意に介さないことを中国人に知らしめてしまったことに、ニヤリと感じたものだ。

それ以来、「日本鬼子」や「小日本」をネット検索しても、つぎからつぎへとキャラ化されたイラストが登場する状態で、もはや「日本鬼子」(リーベングイズ)、「小日本」(シャオリーベン)にはまったく攻撃力がなくなってしまっている(笑)のは、日本人からすればたいへん喜ばしい。

日本人本来の諧謔精神というか、しゃれのめす精神を感じて痛快である。「近代」という時代が終わって、日本人本来の精神が復活しているわけだ。これも社会の成熟度の表れとみたい。

アニメ好きではない人にとっても、本書で取り上げられている『三国志』関連の日中の嗜好の違いには注目しておくべきだろう。まだまだ儒教的倫理観の強い中国では、悪人は未来永劫にいたるまで悪人であり、日本人の嗜好とは異なるのである。

日本のアニメが世界中で人気になっているが、中国もまたけっして例外ではない。とはいえ、表現の自由が確保された先進国のヨーロッパ人の受け取り方と、なにかと制約の多い表現の自由のない中国人では、見方に違いがあるようにも思われる。

「日本アニメ受容にみる国際比較」なんてテーマは、誰かやってみたら面白いのではないかと思うなのだが、誰かやらないかな? 読んでいてそんな感想も持ったのであった。





目 次

はじめに 「オタク」が日本を救う!?
オタ中国人的「名作」
 オタ中国人も驚愕するリアルサイズの 「ガンダム」
 カットや修正、それでも見たい 「新世紀エヴァンゲリオン」
 最後の最後までオタ中国人をドキドキさせた 「コードギアス 反逆のルルーシュ」
 大好きだけど、振り回されるのもキツイ 「涼宮ハルヒの憂鬱」
 最新情報を求めてデマや誤報も発生した 「けいおん!」
 ファンの活動で盛り上がった 「ヘタリア」
オタ中国人的「古典作品」
 ケンシロウは健次郎 「北斗の拳」
 オタ中国人の道派ここからはじまった「聖闘士星矢」
 オタ中国人市場最大のブームだった「スラムダンク」
 日本の学校生活のお約束を中国の若者に刻み込んだ 「ときめきメモリアル」
 首相に「ウルトラマンよりも国産アニメを見よう」と名指しされる「ウルトラマン」
オタ中国人的「初めて見た」作品

コラム オタ中国人増殖の背景
 親の目を逃れて楽しむオタク文化
 「学生の恋愛は悪」-中国の一般常識
 日本語学習を頑張るオタ中国人的動機
 
オタ中国人的海賊版
オタ中国人が直面する「日本と中国の違い」
オタ中国人が困惑する「オタク文化」

おわりに 「日本鬼子」オタ中国人へ侵攻開始


著者プロフィール

百元籠羊(ひゃくげん・かごひつじ)
1980年東京生まれの日本人。中学から大学まで北京で生活。中国人の対日感情がどんどん悪化していくなか、予想もしなかった「日本のオタク文化が好き」な中国人達と遭遇して救われた過去を持つ。現在、中国における日本のオタク文化の影響やオタク的な交流についての情報を発信するブログを運営中。 


<関連サイト>

「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む (著者のブログ)
・・「記憶が薄れる前に書いておこうと、北京において行った「文化交流」という名のオタク活動やその方面のネタを適当に綴っております」


<ブログ内関連記事>

書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)-中国に関する固定観念を一変させる可能性のある本 ・・「反日」は「反日」、日本のマンガとアニメは別格。それが中国のリアル

書評 『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか-「ニッポン大好き」の秘密を解く-』(中島恵、中公新書ラクレ、2015)-中国人の消費行動をつうじて、日本人と中国人の相互理解の道をさぐる

書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)-ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人

書評 『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ-』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)-「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論 
・・この「80后」と「90后」がその中心である

『何かのために-sengoku38 の告白-』(一色正春、朝日新聞出版、2011) を読む-「尖閣事件」を風化させないために!

書評 『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力-自衛隊はいかに立ち向かうか-』(川村純彦 小学館101新書、2012)-軍事戦略の観点から尖閣問題を考える

『新世紀 エヴァンゲリオン Neon Genesis Evangelion』 を14年目にして、はじめて26話すべて通しで視聴した

『前田建設ファンタジー営業部』(前田建設工業株式会社、幻冬舎、2004)で、ゼネコンの知られざる仕事内容を知る
・・アニメに登場する構築物を、オトナが大まじめにじっさいに設計して積算してみたというもの。アニメの歴史の長い日本ならではだ


(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2015年4月26日日曜日

書評 『騒乱、混乱、波乱! ありえない中国』(小林史憲、集英社新書、2014)-映像と音声が命のテレビ局の記者によるスリリングな取材記録


海洋国家で島国に生まれ育った日本人が、大陸国家の中国とそこで生まれ育った中国人を理解するのはきわめて難しい。感覚がまったく異なるからだ。

かつてよく使われたフレーズに、日中は「同文同種」で「一衣帯水」の関係にあるなどの美辞麗句がある。だが、いまやそんなレトリックをそのまま信じるほどおひとよしの日本人は少ないだろう。とはいいながら、「似て非なる」程度の認識以上には進めないのは、ある意味では仕方がないことかもしれない。

そんなことをあらためて感じさせてくれるのが、『騒乱、混乱、波乱! ありえない中国』(小林史憲、集英社新書、2014)という本である。2008年から2013年まで北京特派員をつとめ、中国全土を取材で回ったというテレビ東京の記者によるルポルタージュだ。

テレビ局の記者は、新聞記者や雑誌記者とは異なり、映像として記録しなければ番組に使用されないという大きな制約条件がある。だからこそ、当局による拘束の危険を冒してでも、現場に出向き映像を記録するのである。この本は、そんな取材にまつわる舞台裏まで活字で記したものだ。

帯には、「拘束21回!」と大きく書かれている。これだけでもインパクトが大きい。この記者は21回も拘束されながら身の安全は大丈夫だったのだろうか、と心配になる。なぜなら、日本ではニュースにはなっていないが、中国で逮捕され、投獄されたままのビジネスマンが少なくないことは、現地ではよく聞く話だからだ。

「21回拘束」の実際については、直接本文を読んで確かめていただきたいが、「拘束」と「逮捕」は異なるのである。「身の安全を確保する」という口実のもとに、外国人記者を取材現場から引き離すのが本書でいう「拘束」である。公安や武装警察による外国人記者の「拘束」は、撮影済みの画像や映像の消去を求められることもあるが、調書をとって終わりというケースも少なくないようだ。ある意味では典型的なお役所仕事でもあるのだろう。

対外的なイメージ悪化を恐れる中国は、2008年の北京オリンピック以降、外国メディアによる取材は原則的に認めている。だがホンネとしては、微妙な国内問題については記事にされることをいやがる。だから、「拘束」という形で外国人記者に警告のメッセージを送るわけだ。

本書で取り上げられている中国の国内問題は、中国西部の少数民族ウイグル族の弾圧にはじまり、四川大地震の被害者たちの封じられた声中国初の民主選挙を実行したウカン村の勝利と共産党の延命を助けることになった意図せざる結果反汚職取り締まりで重慶の人びとの支持を獲得した薄煕来、そして一人っ子政策が残した負の遺産

いずれも、日本では断片的な報道はされているが、なかなか踏み込んだ報道が少ないの諸問題である。

これらの中国の国内問題について、当事者のナマの映像と音声として記録するために、記者は中国人の助手やカメラマンをともなって現地に飛ぶ。事実は現場にいって、自分の足で歩き、自分の目と耳で確かめるしかないからだ。だが、それは中国のような一党独裁の国家では簡単なことではない。

「拘束」する側も、「拘束」される側も、ある種のゲームのプレイヤーであるような印象さえ受ける。外国メディアと公安や武装警察とのいたちごっこの連続である。

相手の手の内を知り尽くした報道記者が、そんなゲームを演じながら、そのもてるワザを最大限に駆使して実行してきた取材である。テレビ番組として編集されるまえの舞台裏が本書にたっぷりと語られている。

それにしても、中国という大陸国家を理解するのは、島国の住人である日本人には難しい。断片的なピースを寄せ集めても、けっして全体像が見えてくるわけではない。逆にマクロの情報をだけを見てもミクロな細部は見えてこない。だが、そんな「事実」の断片を集めるしか中国と中国人を知る方法はほかにない。

本書のような、「親中」でも「反中」でもない、「事実」を伝えることを使命とする報道記者によるルポルタージュを読む意味はそこにある。もちろん記者の主観が入っているが、現地におもむき現場で困難な取材を行って記録された「事実」の重みは違う。

中国に関心がなくても、テレビの報道記者によるスリリングな取材記録とテレビの報道番組の舞台裏として読んでも十二分に面白い内容の本だ。中国に関心があれば、なおさら面白く読めるはずである。






目 次

第1章 ウイグル騒乱
第2章 西部大開発
第3章 四川大地震、その後
第4章 ゴーストタウン
第5章 ウカン村の闘い
第6章 泮河東村の挫折
第7章 薄煕来の重慶
第8章 重慶動乱
第9章 一人っ子政策の限界


著者プロフィール

小林史憲(こばやし・ふみのり)
1972年生まれ。テレビ東京『ガイアの夜明け』プロデューサー。1998年立教大学法学部卒業後、テレビ東京入社。2008年から2013年まで北京支局特派員。『ワールドビジネスサテライト』などの特集を担当する。これまで中国すべての省・自治区・直轄市・特別行政区を訪れ、取材を敢行している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論
・・中国経済がかかえる問題を、短期・中期・長期で整理し、課題解決の可能性とその困難さについて書かれたもの

書評 『チャイナ・ジャッジ-毛沢東になれなかった男-』(遠藤 誉、朝日新聞出版社、2012)-集団指導体制の中国共産党指導部の判断基準は何であるか?
・・中国共産党指導部入りを狙った薄煕来が重慶で行ったこととは

書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)-ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人

書評 『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ-』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)-「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論 
・・この「80后」と「90后」がその中心である




(2012年7月3日発売の拙著です)











Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。


禁無断転載!




end

2015年4月22日水曜日

書評 『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか-「ニッポン大好き」の秘密を解く-』(中島恵、中公新書ラクレ、2015)-中国人の消費行動をつうじて、日本人と中国人の相互理解の道をさぐる


中国人の「爆買い」が話題になっている。とくに旧正月にあたる春節の時期がすごい。つい数年前に「反日」デモがあったことなどウソのような勢いだ。

ビジネスマンのわたしとしては、日本で湯水のようにカネを使ってくれるのはありがたいことだと考えている。「国内外需」なんていう表現も生まれているが、円安もその理由の一つだろう。なにはともあれ、日本の景気回復に大いに貢献していることは間違いない。ただし、水源などの土地の買い占めはいただけないが。

だが、中国人観光客の日本での「爆買い」の背景にある理由まで知れば、いろいろ見えてくるものがあることに気づく。

その意味で、『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか-「ニッポン大好き」の秘密を解く-』(中島恵、中公新書ラクレ、2015)という本がじつに面白い。中国をテーマに取材するフリージャーナリストが、これまでオンラインメディアなど、さまざまな媒体に発表してきた記事を再編集して一冊にしたものだ。
  
タイトルにあるように、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」という問いがまず導入としておかれている。
     
ここでいう「日本のトイレ」とは、温水自動洗浄機能付きトイレ、つまりウォシュレットのことだ。1980年代はじめに日本で「おしりだって洗って欲しい」というコピーのCMで発売されたことが記憶にあるが、「中国人だっておしりを洗ってほしい」ということなわけだ。そりゃあ、日本人だろうがなかろうが、気持ちいいからね(笑) 

中国のトイレ事情は、1980年代前半の日本の比ではない。だから、中国人は、おカネさえあれば、日本に来てまでウォシュレットを買いたがるわけだ。
   
「●●が欲しい」のは、「●●がない」からだ。人は自分がもってないものにあこがれる。自分がもっていないものを欲しくなる。「なぜ中国人は日本の●●の虜になるのか?」という問いは、さまざまなものにもあてはまる。日本のアニメはいうまでもなく、日本ではダイソーなど「100円均一ショップ」で売っているような日用品にもあてはまるのだ。日本では当たり前のような製品が中国にはないからだ。
   
「メイド・イン・チャイナ」でも日本で売っている商品は安心して買える、「メイド・イン・ジャパン」でも中国で販売されている商品は買いたくないというのが中国人のホンネというのが面白い。それほど中国人は、中国の商売人にかんして疑心暗鬼だということなのだろう。ちなみに、「100円均一ショップ」で販売されている製品の大半は「メイド・イン・チャイナ」である。

このように、中国人が中国で生きていくということは、日本人が日本で生きていくことよりはるかに大変なことだ。GDPでは日本を抜いて世界第2位になった中国だが、一人当たりGDPでは日本にはるかに及ばない。数字以外の実質面でも、日本では当たり前の生活が中国では実現が難しい。日本人はそのことに気がついていない。
    
この本を読めば、日本人がいかにフツーの中国人を知らないかがわかる。日本人=日本政府でないのと同様、中国人=中国政府ではない。こういう当たり前のことを認識しておくことは、ビジネスに限らず相互理解にとって大事なことだ。中国人のおかれた状況を考えてみること、これもまた「複眼的思考」である。
    
この本は、日本人向けに書かれたものだが、けっして「日本ほめ」の内容ではない。ほめられてうれしいのは人間の自然な感情だが、「自分ほめ」は自信過剰や夜郎自大につながる危険がある。

日本人は自虐から尊大への振幅のブレが大きいので、自信を喪失しやすく、また自信過剰になりやすい点を認識しておくべきだろう。日本人はバランス感覚を発揮して、等身大の自分像をもつべきだという著者の主張には大いに賛同。

中国人の消費行動をつうじて、日本人と中国人の相互理解の道をさぐる内容の本。面白い読み物なので、お奨めしますよ。





目 次

プロローグ 日本のお土産、たくさん買ってきて!
第1章 日本は「暮らしGDP」世界一の大国
第2章 行列のできる中国パスポートの超不便
第3章 「一期一会」は通用しない中国人のコネ的日常
第4章 来世は日本人に生まれ変わりたい
第5章 「すきやばし次郎」は心の師匠
第6章 中国人の子育ては「孫のためなら海も越える」
第7章 病院の診察室のドアは、なぜか開けっぱなし
あとがき


著者プロフィール

中島恵(なかじま・けい)
1967年、山梨県生まれ。北京大学、香港中文大学に留学。新聞記者を経て、96年よりフリージャーナリスト。中国・香港・台湾・韓国など、主に東アジアのビジネス事情・社会事情等を新聞・雑誌、インターネット上に執筆。市井に暮らす中国人の生活に密着したていねいな取材には定評がある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

ジャーナリスト中島恵の公式ホームページ

「爆買い」に透けて見える中国人の悩み:ジャーナリストの中島恵氏に聞く (NNA ASIA 中国、2015年4月30日)

なぜ中国人は日本で「便座」を爆買いするのか 来日して買っていく商品第3位!(中島恵、東洋経済オンライン、2015年4月22日)
・・この記事によれば、日本の量販店で中国人に売れているのはパナソニック製であってTOTOではない。パナソニック製は中国向けに開発した商品である

日本人より優雅?定年後中国人の「懐事情」爆買いする中国人はいかにして生まれたか (中島恵、東洋経済オンライン、2015年5月3日)
・・「都市部の“中間層以上、富裕層未満”の人々の実態」について

メディアが煽る「日本礼賛」ムードを中国人はどう見ているのか?(中島恵、ダイヤモンドオンライン、2015年6月4日)

日本人も銀聯カードを持つ日がやってくる? 中国銀聯幹部に「爆買い」について聞いた (武田安恵、日経ビジネスオンライン、2015年6月5日)
・・中国で普及して日本でも加盟店が増加中の「銀聯」のデビットカードの存在が、中国人の爆買いを助けている


「日本われぼめ症候群」の深層  デービッド・アトキンソン(小西美術工藝社社長) ×石倉洋子【特別対談7】 (ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー、2015年06月25日)

(2015年6月7日、7月21日 情報追加)



PS 著者のブログに「書評」のことが取り上げられています

著者の中島恵さんがご自身のブログに、この「書評」のことを取り上げてくださっています。的外れな書評ではなかったことにほっとしているとともに、著者との交流がこういう形で実現するのも、書評家冥利に尽きるというべきですね。 (2015年4月26日 記す)


PS2 おしりを水で洗う文化は中国文明ではなくインド文明

「書評記事」には書かなかったが、中国は紙でおしりを拭く文化であり、水でおしりを洗浄する文化ではない。おしりを水で洗うのはインド文明圏のインドや東南アジアである。タイでは、西洋式トイレの場合、ジェット噴射式の蛇口つきホースがトイレには備え付けられているのが標準。バンコク郊外ではいまだにバケツに水が汲んであって、自分の左手でおしりを洗うのが当たり前である。 (2015年4月26日 記す)





<ブログ内関連記事>

書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)-中国に関する固定観念を一変させる可能性のある本 ・・「反日」は「反日」、日本のマンガとアニメは別格。それが中国のリアル

書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)-ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人

書評 『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ-』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)-「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論 
・・この「80后」と「90后」がその中心である

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論

書評 『奪われる日本の森-外資が水資源を狙っている-』(平野秀樹/安田喜憲、新潮文庫、2012 単行本初版 2010)-目を醒ませ日本人!

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)-「複眼的思考法」は現代人にとっての知恵である!



(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2015年4月20日月曜日

書評『安倍官邸の正体』(田崎史郎、講談社現代新書、2014)ー 安倍政権における政策の意思決定がいかなる仕組みとプレイヤーによってなされているのか?


安倍晋三氏が2012年12月の解散総選挙で勝利し、「奇跡の復活」を遂げてから、すでに2年以上がたつ。52歳という若さで総理大臣に就任したのが2006年。だが、その翌年には体調不良により突如退陣。「戦後生まれ初の首相」として、期待の大きさに反比例しての激しい失望が長くつきまとっていた。

「復活」後の安倍首相は、まさに手痛い失敗から学んだ人であることを、みずからの行動でもって証明していると言えるだろう。政策の是非を脇におけば、失意と不遇のなかでの臥薪嘗胆(がしんしょうたん)ぶりには、おおいに学ぶべきものがあるのではないだろうか。

昨年(2014年)12月の解散総選挙によって第三次安倍政権が発足したが、安倍政権は最長で2018年9月までつづくことになる。そうであればなおさら、安倍政権における政策の意思決定がいかなる仕組みとプレイヤーによってなされているか知っておいたほうがいい。

そう思って本書を読むことにした。

著者の田崎史郎氏は、テレビの情報番組にもよく出演する政治記者。35年以上の政治記者生活のなかで、田中角栄元首相以来、数多くの政治家たちを密着取材してきた人だけに、現在進行中の政局だけでなく、日本の「戦後史」のなかでの安倍政権について考察もできる人である。

田中元首相の時代に比べ、政治家が小粒になったといわれる。私はそうは思わない。安倍首相、菅義偉官房長官、石破茂地方創生担当相らは私にとって、熱を感じる政治家だ。(「おわりに」より)

そして、なによりも「国家権力の構造」の解明に力を注いできたと語る。
  
あえて書いておきたい。総選挙は国民の声を聞く機会であると同時に、国家権力をめぐる戦いである、と。(P.13)

本書の内容は、安倍内閣官邸における政策意志決定の仕組みとプレイヤーについて解明したものだ。ここに「国家権力」がある。安倍政権について賛成するにせよ批判するにせよ、まずは事実関係を正確に把握することが重要だという姿勢には大いに同感する。

著者は、「安倍は「愛国的現実主義者」である、と見ている。本書を読めば、著者のこの見方に納得する。わたし自身は、安倍政権の政策については是々非々(ぜぜひひ)で臨むべきだと考えている。憲法改正や安全保障政策には賛成でも、安倍政権の経済政策(・・いわゆるアベノミクス)についてはかならずしも賛成ではない人物と政策は分けて考えるべきだ。わたしも同じく「現実主義者」だからだ。

現時点でもっとも知りたいのは、ことし2015年1月の「自称イスラーム国」に日本人が人質になって惨殺されたテロ事件における安倍官邸内部の情勢判断と対応にかんする事項であるが、本書は2014年12月の出版であり、残念ながらそれまではカバーしていない。政治情勢は時々刻々と変化する。

だが、本書に記述された「安倍官邸における意志決定プロセス」を知れば、どのような仕組みとプレイヤーの関与で意志決定が行われたかは想像がつく。つまり、本書出版以後の政治情勢は、読者にとって応用問題を解くようなものである。

ことしは「戦後70年」。今後も政治課題が山積みであるが、安倍政権がどのように現実主義の立場から取り組んでいくのか、それこそ是々非々で判断するためにも、本書は読んでおくべき本だといえるだろう。





目 次

序 章 「政局を読む力」を養うために
  衆院解散の内幕
 参考にしたのは「死んだふり解散」
 総選挙の本質とは
 財務省の凄まじい「ご説明」攻勢
 公明党の都合
第1章 安倍官邸の「構造」と「正体」
 1. 最高意思決定機関としての「正副官房長官会議」
 2. 一次政権の蹉跌から編み出した「官僚支配の手法」
 3. 問題閣僚への処遇の変化と読売・産経重視の姿勢
第2章 一次政権とは何が「違う」のか
 1. ゴルフの回数が「激増」した理由
 2. ひた隠しにしていた「再登板への渇望」
 3. 「美しい国」路線を引っ込めた背景
 4. 安倍はなぜ靖国参拝を強行したのか
第3章 安倍官邸の実力と問われる真価
 1. 安倍を支える政権の参謀・菅義偉(すが・よしひで)
 2. 実現させた政策とその舞台裏
 3. 今後の不安要素と「ポスト安倍」
おわりに
引用・参考文献/第一次安倍政権発足後のおもな政界の動き

著者プロフィール

田崎史郎(たざき・しろう)
1950年、福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。1973年4月、時事通信社入社。経済部、浦和支局を経て79年から政治部。1982年4月から自民党田中派を担当。政治取材は35年に及び、現在も自民党はじめ民主党、公明党、維新の党、みんなの党などを幅広く取材。同社編集局次長、解説委員長などを経て現在、解説委員。著書に『経世会 死闘の七十日』(講談社、ペンネーム大家清二)があり、同書は『竹下派 死闘の七十日』と改題、加筆の上、文春文庫から実名で出版。ほかに『梶山静六 死に顔に笑みをたたえて』(講談社)、『政治家失格 なぜ日本の政治はダメなのか』(文春新書)。民放の報道・情報番組に多数出演(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事>

書評 『政治家やめます。-ある国会議員の十年間-』(小林照幸、角川文庫、2010)-向いてないのに跡を継いだ「二世議員」と激動の1990年代の日本政治

Παθηματα, Μαθηματα (パテマータ・マテマータ)-人は手痛い失敗経験をつうじて初めて学ぶ
・・痛みをつうじて人は目覚める。その学びをどこまで生かし切れるかは本人次第

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ
・・政策とそれを推進する議員を一体化しないこと!

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)-「エネルギー自主独立路線」を貫こうとして敗れた田中角栄の闘い

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる

民主党による政権交代からちょうど二年-三人目の首相となった第95代内閣総理大臣の野田佳彦氏は千葉県立船橋高等学校の出身である

「2012年総選挙」結果について-この3年間はいったい何であったのか? 「一票の格差」の大きな「千葉4区」で考える

書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!

官房長官は実質的に政権「ナンバー2」-政治と企業経営の共通点について考えてみる
・・「共通目標がしっかりとしていれば「ナンバー1」と「ナンバー2」の関係は盤石のものがありますが、しかしそうはいっても生身の人間どうし、しかも政治の世界は一寸先が闇というむき出しの権力の場でもあります」

(2015年7月26日 情報追加)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2015年4月19日日曜日

書評 『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利・保阪正康・御厨貴・磯田道史、文春新書、2015)ー「正史」として歴史的に確定した「知られざる昭和天皇像」


昭和天皇が崩御された昭和63年(1988年)から約四半世紀。宮内庁において編纂作業がつづいていた『昭和天皇実録』が完成し、天皇皇后両陛下に奉呈されたのは昨年(2014年)8月のことである。

『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利・保阪正康・御厨貴・磯田道史、文春新書、2015)は、この膨大な『昭和天皇実録』のエッセンスをトピック的に抽出し、このテーマの識者が座談会形式でコメントをつけたものである。

ことし3月から、東京書籍から「公刊本」全19巻の市販が開始されたが、部分的に参照することはあったとしても、『昭和天皇実録』がを通読することはまずないだろうと思うので、この分野に精通した人たちの読みを信頼してお任せすることにすることにした。わたしごときが読んでも、発見できないことが多々あろうから。

昭和天皇のご生涯は、近代天皇制のもとにおいて確立した「一世一元」の制にもとづいて、大東亜戦争の敗戦と無条件降伏をはさんだ昭和史そのものであることはいうまでもないが、ご幼少のみぎりから即位されるまでの昭和前史もまた顧みられることになる。

大日本帝国憲法下においての「国家元首で大元帥、かつ現人神(あらひとがみ)」としての存在から、敗戦後の日本国憲法下での「象徴」へと大きく変化した天皇のステイタス。福澤諭吉の有名なフレーズ「一身にして二生を経る」をまさに体験されたわけであった。

取り上げられたテーマは多岐にわたるが、わたしがとくに興味深く感じたのは以下のようなものである。  

●「治安維持法」には懸念を抱いておられたこと
●大元帥としての存在と立憲君主としての存在の二重性とねじれを陸海軍に利用されてしまったこと
●第一次大戦で戦場となった欧州の悲惨な状況を直接目撃した経験をもっていた数少ない日本人であること
●臣下から上奏される情報を信用しておらず、第二次世界大戦時の最新情報は米国の短波放送から得ていたこと
●みずからを現人神(あらひとがみ)とは考えてはいなかったが、神の末裔としての意識は強く持っていたこと

昭和天皇については、近代天皇制の歴史において明治天皇とならんで「大帝」と呼ぶべき存在のお方であり、これまでにも膨大な量の歴史書や研究書が書かれてきた。だが、研究者でも、それらすべてに目を通すことは不可能だろう。ましてや一般読者であればなおさらである。

その意味でも、このような形でのダイジェスト版の出版はありがたい。ぜひ一読することをお奨めしたい。





目 次

はじめに (半藤一利)
第1章 初めて明かされる幼年期の素顔(明治34年~大正元年)
第2章 青年期の栄光と挫折(大正10年~昭和16年)
第3章 昭和天皇の三つの「顔」(昭和6年~昭和11年)
第4章 世界からの孤立を止められたか(昭和12年~昭和16年)
第5章 開戦へと至る心理(昭和16年)
第6章 天皇の終戦工作(昭和17年~昭和20年)
第7章 八月十五日を境にして(昭和20年~昭和22年)
第8章 "記憶の王" として(昭和22年~昭和63年)
おわりに (保阪正康)






<関連サイト>



<ブログ内関連記事>

書評 『昭和天皇のゴルフ-昭和史を解く意外な鍵-』(田代靖尚、主婦の友社、2012)-「戦前」の昭和史と日本ゴルフ史との交錯点を昭和天皇に見る

「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと

書評 『占領史追跡-ニューズウィーク東京支局長パケナム記者の諜報日記-』 (青木冨貴子、新潮文庫、2013 単行本初版 2011)-「占領下日本」で昭和天皇とワシントンの秘密交渉の結節点にいた日本通の英国人の数奇な人生と「影のシナリオ」

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる




(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!


(2022年12月23日発売の拙著です)

(2022年6月24日発売の拙著です)

(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2015年4月18日土曜日

「鈴木未知子リサイタル2015@船橋きららホール~未知なる道の途中で~」(2015年4月19日)で、中東世界の楽器カーヌーンとアフリカ起源のマリンバを聴く



本日(2015年4月18日)は、船橋生まれの音楽家・鈴木美知子さんのリサイタルに行ってきました。

鈴木未知子リサイタル2015@船橋きららホール~未知なる道の途中で~。リサイタル会場は、もちろん地元船橋で。船橋市民文化創造館きららホールにて。
  
「コンサートがお客様を楽しませるものだとすれば、リサイタルは音楽家が表現したいものを表現するものだ」というのが恩師のコトバのそうですが、今回のリサイタルのプログラムは、第1部がアラブの撥弦楽器カーヌーン、第2部がマリンバの演奏。わたしだけでなく、ほとんどの人が聴いたことのない曲のようでした。

プログラムの詳細は以下のとおりです。

第1部 「中東の香り」
1. Refik Talat Alpman / Mafur saz semaisi (トルコの古典曲)
2.  Traditional / Hicaz Mandra  (トルコの古典曲)
3.  Maya Youssef / Syrian Dreams (シリアの現代曲)
4.  Mohamed abdel wahhab / Enta omri (エジプトの歌曲)

 休憩
 プレ演奏 R. pawassar / Sculpture in wood

第2部 「マリンバで奏でる日本の詩」
5. 山澤洋之/彩~SAIから
 第1楽章 夜桜
 第2楽章 紫陽花
 第3楽章 楓
6. 日本古謡/さくらさくら(カーヌーン演奏) 
7. 鈴木美知子/「F」より 1. The dawn colors
8. 安倍圭子/わらべうたリクレクションズ 
 
アンコール: カヴァレリア・ルスティカーナより間奏曲(イタリアオペラの名曲) 他

出演: 鈴木未知子(マリンバ・カーヌーン) ,千田岩城(マリンバ) 山澤 洋之(打楽器) 壷井 彰久(ヴァイオリン) 山宮 英仁(レク) ほか

カーヌーン奏者は日本にはほとんどいないそうで、鈴木美知子さんは、先駆者として「未知なる道」を開拓している音楽家といっていいのでしょう。カーヌーンのLIVE演奏を聴くのは今回が初めての経験です。音量が小さいので座席数100席くらいの小ホールがよいとのこと。

『第三の男』で有名なアルプス地方のツィターとカーヌーンは似ていますが、撥弦楽器という点においては日本のお琴にも似ています。

鈴木美知子さんが使用しているのは、エジプト製のカーヌーン。このカーヌーンで演奏された曲は、トルコ、シリア、エジプトのもの。日本のように流行り廃れが激しく、音楽シーンがめまぐるしく変わるのではなく、千年前の曲も現代曲も同時に演奏され続けているとのことです。
  
トルコの曲にはハンガリーの旋律を感じたのは、ともに中央アジアにルーツをもつ民族のDNAが反映しているのでしょうか。トルコ音楽は、中央アジアと中東のハイブリッドという印象です。エジプトの曲は、日本の演歌を想起させるものがあったのは不思議な感覚でした。

(トルコの79弦カーヌーン wikipediaより)

リサイタルでの説明はありませんでしたが、カーヌーンについてちょっと調べてみると面白いことがわかります。

カーヌーンはギリシア語のカノンに由来するとのこと。カノン(canon)とは、もともとは棒のことで、転じて基準や規範を意味するようになったとのこと。法学用語としては「教会法」(Canon Law)のことを意味しています。イスラーム法学においては、神の法である「シャリーア」(sharia)に対して、「カーヌーン」(qanun)は世俗法を意味しています。

もちろん楽器としてのカーヌーンは音楽用語であるので、カノンもまた輪唱もそのひとつであるポリフォニーのことを意味しているでしょう。70もの弦をもつカーヌーンは調律に時間がかるようですが、倍音を多用するカーヌーンの音色を聴いていると、なぜか西欧の中世音楽の響きを想起するものがあったのは不思議ではないのかもしれません。

楽器のカーヌーンの語源がギリシア語のカノンであることは、古代ギリシア世界の遺産が、イスラーム世界に継承されていったことの一つの事例といってもいいでしょう。

マリンバは比較的日本でも知られている存在ですが、そもそもマリンバはアフリカ起源の木琴が中南米を経て北米へで普及し、そして日本に入ってきた楽器です。マリンバもカーヌーンも、ヨーロッパ経由ではないところが興味深い。
 
日本の音楽教育は、明治時代にはじまった「西欧近代化」の先兵的役割を果たしたこともあり、西洋音楽を基本としています。このため、どうしても西欧近代の価値観が刷り込まれやすい分野であるといえます。

鈴木美知子さんも、音楽大学でクラシックを中心とする日本の正統な音楽教育を受けてきた人ですが、問題意識のきわめて強い人で、西欧的価値観の相対化に音楽で取り組んでいるわけです。演奏家としての民族音楽への取り組みは、現代日本では大いに意味のあることといえるでしょう。

鈴木美知子さんの、今後のさらなる活躍を期待し応援しています。




演奏者プロフィール

鈴木美知子(すずき・みちこ)
千葉県船橋市出身。洗足学園高等学校音楽科及び同音楽大学打楽器コース卒業。 国立音楽大学大学院修士課程修了。 大学在学中、前田音楽記念奨学金を授与。洗足学園音楽大学特別選抜演奏者に認定され、特別選抜者ジョイントリサイタルに出演。特別選抜ブラスのメンバーに選出され、レコーディングなどに参加。 第15回日本クラシック音楽コンクール全国大会、大学の部入選。第12回JIRA音楽コンクール本選第2位(1位無し)第25回打楽器新人演奏会出演。 これまで様々なマリンバセミナーにおいて、世界的に活躍するマリンビストの指導を積極的に受ける。 また、クラシック以外のジャンルでも活動し、特に日本で数少ないアラブの琴、カヌーン奏者としてジプシー&オリエンタル音楽アンサンブル「アラディーン」に参加し、打楽器にとらわれず様々な分野で活動している。 これまでに、打楽器、マリンバを岡田知之、石井喜久子、植松透、神谷百子、白石元一郎、竹島悟史、福田隆、藤井むつ子の各氏にダラブッカ、アラブ音楽全般を松尾賢氏に師事。 現在、フリーの音楽家として意欲的に活動をするほかチケット制音楽教室Gratia Music School、芽ばえ音楽教室各マリンバ講師。その他吹奏楽指導やピアノ指導も行っている(ブログ情報に補足)


<関連サイト>

music*life (鈴木美知子公式ブログ)

彩龍の川まつり 鈴木未知子カーヌーン地下神殿コンサート (YouTube)

タクシーム アラブの良心 カーヌーン演奏と歌 ヤスミン植月千春 (YouTube)

Qanun (instrument) wikipedia


<ブログ内関連記事>

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)-「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語
・・イスラーム文明なくして西欧文明の発展なし。科学も哲学も、その他の諸学問もみな、古代ギリシア文明の遺産はイスラーム世界に継承され、その後イスラーム世界から西欧に導入されたのである

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・世界的なイスラーム哲学研究の権威であった井筒俊彦氏には、『神秘哲学』という古代ギリシア哲学の神秘主義的側面を全面的に取り上げた名著がある

「ロマフェスタ 5ヵ国ジプシーフェスティバルコンサート(京葉銀行ホール)に行ってきた(2015年3月11日)-インド北西部ラージャスターン地方から陸路で欧州へ

書評 『エジプト革命-軍とムスリム同胞団、そして若者たち-』(鈴木恵美、中公新書、2013)-「革命」から3年、その意味を内在的に理解するために

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・ほとんど「洗脳」とまでいっても過言ではない。西洋音楽によって改造された日本人の脳

「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験
・・日本で仏教すら近代化にあたって「西欧近代化」の価値観と音楽の影響を受けている


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2015年4月15日水曜日

書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる


ヤマザキマリ氏はマンガ家。古代ローマの浴場設計の専門家がお風呂文化の現代日本にタイムスリップするというSF的設定の『テルマエ・ロマエ』で一気にブレイクした。

映画化もされたこの作品がこれがキッカケになって、ヤマザキマリ氏が劇的な人生を送ってきた、かなり「変わった人」であることがだんだんとわかってきた。ここでいう「変わった人」というのは、わたし流の最高のほめコトバである。

『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)は、人生の折々に読んできた本と、ボーダーレスな移動をつうじて形成された人生についてみずからを語ったものだ。

自分語りによる「自分史」でもある。「メイキング・オブ・ヤマザキマリ」である。本と旅が血肉をつくりあげる。

ヤマザキマリ氏は1967年生まれ、わたしより5歳若いが、共通する経験と時代感覚をもちながらも、日本の現実への「違和感」の質的な違いが感じられて面白い。

というのも、ヤマザキマリ氏はなんと14歳でヨーロッパを一ヶ月間を一人旅し、その旅で知り合った老人がキッカケとなって美術を学ぶために17歳でイタリアのフィレンツェに留学。アーチスト志望の学生にはお決まりの、どん底のビンボー生活を異国で体験している人だからだ。日本の同時代人とは、かなり異質の体験である。

平凡な人生とはほど遠い経験のなかで出会った数々の本、そして地球サイズでの移動のなかで出会った人びと。みずからの経験のもつ意味を言語化しようとした内容であり、それを可能としたのは読書経験だけでなく、濃密な人間関係のなかでの激しい議論をつうじて磨かれたアウトプット能力であることが、この本を読んでいるとよくわかる。

軽いタッチでつづられているので読み飛ばしてしまうかもしれないが、わたしはこの本のメッセージの一つに、「知識」と「教養」の違いというテーマがあるように思う。

「教養」というと、人の知らないことを知っているとか、古今東西の古典の名文句など、「高級」(?)なイメージをもっている人も少なくないだろうが、人生のもっともつらい時期に自分を支えてくれた本やコトバなど、自分の血肉となったものこそ、ほんとうに自分の身についた「教養」といえるのである。

たんなる「知識」ならインターネット上に無限に増殖しつづけているが、それは「教養」ではない。自分の血肉となっていてこそ、「教養」といえるのである。

拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』には、「いい男になるための条件」としての「本を読み旅をすること」について書いておいたが、ヤマザキマリ氏の人生そのものが生きた事例とでもいった内容だ。

ヤマザキマリ氏の「男っぷり」には脱帽だが、その吹っ切れ方は、男というよりも、やっぱり女だなあと思う。人生最悪のときの出産と、この子だけは絶対に守らなければという思いが吹っ切らせた覚悟の強さ。そこらへんは、男にはない、女の強さというべきだろう。

この本はぜひ拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』の「副読本」に指定したい内容だ。もしこちらが先に出版されていたら、この本から引用したくなっていたと思う。

男女を問わず、とくに若い人には推薦してあげてほしい本だ。






目 次

はじめに
第1章 野性の子
第2章 ヴィオラ奏者の娘
第3章 欧州ひとり旅
第4章 留学
第5章 出会い
第6章 SF愛
第7章 出産
第8章 帰国後
第9章 シリアにて
第10章 1960年代
第11章 つながり
第12章 現住所・地球


著者プロフィール

ヤマザキマリ
1967年、東京都生まれ、北海道育ち。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの美術学校で油絵と美術史などを学ぶ。97年、漫画家としてデビュー。その後、イタリア人の比較文学研究者との結婚を機に、シリア、ポルトガル、アメリカで暮らし、現在はイタリアに在住。2010年、古代ローマが舞台の漫画『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で手塚治虫文化賞短編賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集
・・イタリアで生きてきた日本女性は多いが、塩野七生氏はその先駆け的存在

「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える
・・イタリア・ルネサンスの中心地フィレンツェ

書評 『裁判官と歴史家』(カルロ・ギンズブルク、上村忠男・堤康徳訳、ちくま学芸文庫、2012)-初期近代の「異端審問」の元史料を読み込んできた歴史家よる比較論
・・1960年代のイタリアに吹き荒れた新左翼によるテロの時代

世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる

I am part of all that I have met (Lord Tennyson) と 「われ以外みな師なり」(吉川英治)
・・人生にムダなことなど一つもない!

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる
・・マンガ家のヤマザキマリ氏は1967年生まれ、小説家の赤坂真理氏は1964年生まれ。この二人の「マリ」は、わたしより若干若い人たちだが、共通する経験と時代感覚をもちながらも、日本の現実への「違和感」の質的な違いが感じられて面白い。ヤマザキマリ氏は14歳で、赤坂真理氏は16歳で、それそれイタリアとアメリカに出国した経験をもっていて、その経験のもつ意味を言語化しようとした内容である点が、とりわけ興味深い。

(2015年8月22日 情報追加)


 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)


   
(2012年7月3日発売の拙著です)

 





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end