4月分の国民年金をコンビニで払ってきた。再び厚生年金に戻るまで、しばし・・・。コンビニで納付できるなんて便利になったものだ。前回7年前にはそんなことはなかったので。
「ねんきん」は「ねんきん」でも、これから書く話は「年金」ではなく「粘菌」のほうだ。粘菌とは、植物でも動物でもない、粘菌は粘菌としか分類不可能な生物のことである。変形菌ともいう。
ここ1週間、これまで購入していながら未読であった南方熊楠(みなかた くまぐす)関連書籍をひたすら読み漁ってきた。
南方熊楠(1867-1941)とは、柳田國男とともに日本民俗学を創った人であり、折口信夫とならんで日本民俗学の3人として称せられるが、民俗学という狭い分野というよりも、日本人ばなれした地球スケールの学問をした「民間学者」である。日本近代が生み出した「知の巨人」といってよい。
南方熊楠の学問の中心が「粘菌」の研究にあったから、粘菌生活とダジャレてみたわけだ。働いておらず、しかもまだリタイアには程遠い現在の私の生活は、"年金"生活ではなく、"粘菌"生活というのにふさわしい。働いておらず死んでいるように見えるときは実は生きている、働いていて生きているように見えるときは実はくたびれて死んでいる、という粘菌。
南方熊楠漬けの1週間となったきっかけは、歴史家の川勝平太と社会学者の鶴見和子との対談、『「内発的発展」とは何か- 新しい学問に向けて-』(藤原書店、2008)を読んだことであった。
「内発的発展」とは、かつての日本を含めた開発途上国が、外部からの圧力による他律的なものだけでなく、外圧に触発されて危機感を抱いた個人やコミュニティーが主体となって、内側から発展(develop:発達)することを示した、鶴見和子が提唱した、日本発の社会科学理論である。
大学時代、よく立ち寄っていた国立の増田書店の棚段に、茶色の装丁の単行本があって何度も立ち読みしたが、結局購入せず、通読しないまま現在に至っていたことを思い出したが、川勝平太との対談を通読することで、かつて大学時代に読んだ鶴見和子の『南方熊楠-地球志向の比較学-』(講談社学術文庫、1981)と「内発的発展論」が結びつくことを知ったのは、うれしい収穫であった。
これがきっかけとなって(・・・他の本も読んでいたのだが並行して)、鶴見和子の南方熊楠関連の本を読んだら、ついでに全部読みたくなったのだった。
読んだ順番に列挙すると以下のとおり:
●鶴見和子、『南方熊楠・萃点の思想【未来のパラダイム転換に向けて】』、藤原書店、2001
●鶴見和子、『南方曼陀羅論』、八坂書房、1992
●松井竜五、『南方熊楠 ー 一切智の夢』、朝日選書、1991
●荒俣宏/田中優子/中沢新一/中瀬喜陽、『奇想天外の巨人 南方熊楠』、平凡社、1995
●松井竜五、ワタリウム美術館編、『クマグスの宇宙 ー 南方熊楠の見た宇宙(とんぼの本)』、新潮社、2007
●松居竜五/岩崎 仁=編、『南方熊楠の森 (CD-ROM付)』、方丈堂出版、2005
●近藤俊文、『天才の誕生 ー あるいは南方熊楠の人間学』、岩波書店、1996
●荒俣宏/環栄賢=編、『南方熊楠の図譜』、青弓社、1991
●中沢新一、『森のバロック』、せりか書房、1992
そしてこれに関連する書籍数冊にも参考書として目をとおす。
●中瀬喜陽/長谷川興蔵編、『南方熊楠アルバム』、八坂書房、1990
●『新文芸読本 南方熊楠』、河出書房新社、1993
●『現代思想 1997・7 特集 南方熊楠』、青土社、1992
南方熊楠を知ったのは大学1年のときである。柳田国男は高校3年のとき、自分があまりにも日本について知らないことに愕然として、岩波文庫に入ったばかりのものを文庫本で手当たり次第に読み始めた。折口信夫もその当時、中公文庫から文庫版全集がでていたので入手しやすく、大学時代から読み始めていた。
そのころ平凡社が倒産して再建途上にあったので、大学生協で「がんばれ平凡社フェア30%引き」というのをやっていた。この際に、『南方熊楠全集』の第一巻「十二支考」と東洋文庫数冊を注文して入手したのが、南方熊楠を入手した最初である。大学寮のベッドサイドにおいて、折にふれてページをめくって読み込んでは楽しんでいた。
大学学部時代の前半は、合気道の稽古を終えたあと毎日大学図書館分館に入り浸り、自分の知的好奇心にまかせて片っぱしから本を見るという、いまから思えば夢のような日々を送っていたのだが、その頃よく図書館のなかで拾い読みしていた澁澤龍彦の文章にこういうものがあった。南方熊楠が私費で英国に遊学していた時代の日記に、大英図書館でやたら自分にからんでくるイギリス人をついに腕力でぶちのめした、という一節である。
ほぼ同時期に国費で英国留学しながら、下宿にひきこもって毎日泣いていたという情けない夏目漱石とは大違いで、白人と対等にやりあう日本人がいたということは、大変うれしい驚きであり、深く記憶に刻み込まれた。もちろん、腕力だけでなく、現在でも有名な「ネイチャー」という自然科学の雑誌に何度も英語で書いた投稿論文が掲載されており、知力でも対等にやりあっていたのである。
その南方熊楠が書いた文章はめっぽう面白く、引用は無限広大、文体は過剰で饒舌、講談調ながら、これだけ博識でかつ中身の濃い文章を書けるのは、スケールはだいぶ小さくなるが、現代では小室直樹くらいだろう。
それはさておき、私自身が米国留学から日本に帰国した1992年頃は、空前の南方熊楠ブームとなっていたようである。出版物が集中していることがわかる。そのころ住んでいた南阿佐ヶ谷駅近くにある書原というユニークな本屋は、自分の趣味にまったく合致した本屋で、かなりの本を買い込む結果となったが、南方熊楠ももちろんそのラインアップにあり、読む時間が確保されないのにもかかわらず、本を買いまくっていたのであった。その残滓が上記の蔵書ということになる。
この時期には、なんと内田春菊も南方熊楠を漫画にしているくらいである(原作者からの原稿が遅いので、ブチ切れた内田は未完のまま終わらせた、と本人はあとがきに書いているが、残念だ)。ついでにいうと水木しげるの『猫楠-南方熊楠の生涯-』は実に味があっていい。
この時期に出版されたもっとも中身の濃い南方熊楠論が、中沢新一の『森のバロック』であることは、今回初めて通読してみて納得された(*ただし単行本は絶版、文庫版は大幅に削除されているとのこと)。
河出文庫の『南方熊楠コレクション全5冊』(現在品切れ状態)の解説が基になっているので、まったく読んでないわけではなかったが、最初から最後まで通読することによって、南方熊楠と全面的に取り組んで、南方熊楠論を書き上げたのは、鶴見和子と中沢新一の二人しかないことを実感した。いずれも著者が対象と共鳴、共振するものが多く、南方熊楠を語ることはそのまま自らを語ることになっているのは面白い。
鶴見和子は、アメリカで社会学の博士号を取得した、西洋流の学問を完璧に修めた人であり、その点に南方熊楠に同質のものを見出したとすれば、中沢新一の場合はチベット密教の修行を経たうえで、南方熊楠の思考に密教の思考方法を見出したことにあるのだろう。
あえて単純化していえば、鶴見和子の『南方熊楠-地球志向の比較学』は市民社会の範疇のもので、それを「顕教」(exoteric)とすれば、中沢新一のものはより「密教」(esoteric)的色彩が強い。
そもそも南方熊楠は西洋的な因果関係論に飽き足らぬものを感じ、幼いころからどっぷりと浸かっていた真言密教の方法で独自の科学論を構想していたのだが、鶴見和子はこれを南方曼陀羅と命名した(・・直接は仏教学者中村元のサジェスチョンによる)。
中沢新一はこれに対し、華厳哲学と真言密教で表現したとして別の図を南方曼陀羅としている。南方曼陀羅に関しては、私は中沢新一に賛成である。必然性に偶然性の要素を持ち込んだ生成論である。
鶴見和子が「学者」として語っているのに対し、中沢新一は「思想家」として語っているという違いもある。南方熊楠自身の思想なのか、それを発展させた中沢の思想なのか明瞭ではないのがひっかかるところである。個人的には、やたら「私たちは」という語り方をする中沢新一の文体は好きではない。
南方熊楠の思想を知りたいと思えばまず鶴見和子のものを読むべきだろう。しかしながら、脳内出血で倒れ、半身不随になってから作歌に専念し、論文という形で自己表現するのをやめた鶴見和子は、直観的に生命について感じるようになったらしい。ある意味で、中沢新一がいっているのと近いところにきているような感も受ける。
日本人の信仰の原型が森にあることは、ことさら森林浴などといわなくても、森にいると何か癒される気がすることからも十分に納得される。森はそれを構成する個々の生命体が、それぞれ自律的に生きていながら共生する関係にあり一つの全体を形成している生命体であること、そして神社の森を聖域化することで日本人は森を守ってきた。
明治維新以降の日本人は資本主義のもと、徹底的に森を破壊してきたが、ようやく自然環境保護の観点から、またパワースポットという観点から神社の森に注目が集まるようになってきている。日本人はようやく自覚的に原点回帰できるようになってきた、ということっだろうか。
一度破壊された森は二度とそのままの形では復活はしないが、なにせ高温多湿の日本である、耕作放棄された農地が各地で森と化しつつある、という話をよく聞く。森は生命力そのものであり、日本人はそれに対して癒しだけでなく、同時に懼れも抱いてきたのである。西行法師ではないが、「何ごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」、これが日本人の信仰の原点だ。森そのものが御神体なのである。
とりとめないことを書いてきたが、そもそも南方熊楠を語るのは。群盲象をなでるに等しい行為である。南方熊楠は人生そのものが破天荒で面白い。伝記を追体験するだけでも十分に楽しめる。
しかも粘菌学者としてはその当時、日本では昭和天皇と並ぶ存在であったという事実。昭和4年(1929年)に南方熊楠は昭和天皇に粘菌学についてのご進講を行っているが、これは彼の人生におけるハイライトであった。
南方熊楠は昭和天皇について、「普通の家に生まれていらしたら、大変な学者になられたやろうにと、残念がっていた」といっていた、と娘が回想している。南方熊楠は昭和16年(1941年)に没し、昭和天皇も好きな生物学研究に専念できるような時代状況にはなく、日本の粘菌学は大きく遅れをとるにといとなった、というのはまことに残念であった。
理科少年であった私は、生物学者としての昭和天皇には少年時代から大いなる尊敬の念を抱いてきただけに、何やら感慨深いものを感じる。
英国のジェントルマンシップに大いに感化され、戦前はたいへんゴルフに凝っていた昭和天皇は皇居にコースを作らせてよくプレーされていたらしいのだが、ある時きっぱりとゴルフをやめ、皇居内をいっさい人間の手をくわえさせずに、草木がはえるままにされたという話を、だいぶ昔に読売新聞の連載で読んだ記憶がある。これが現在の皇居の森である。南方熊楠とのかかわりはわからないが。
明治神宮の森ともども、あと100年もすれば、さらに原始の状態に近い森になっていくことだろう。100年後は生きて確かめられないのが残念だが。
<ブログ内関連記事>
『生誕150年企画展 南方熊楠 100年早かった智の人』(国立科学博物館 東京・上野)に行ってきた(2017年12月22日)-「グローカル」で「智の巨人」であった南方熊楠の全体像を知る企画展
(2017年12月29日 情報追加)
『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』(植島啓司)-「屋久島」と対比しながら読んでみる
・・南方熊楠の熊野
書評 『聖地の想像力-なぜ人は聖地をめざすのか-』(植島啓司、集英社新書、2000)
書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み
書評 『日本の文脈』(内田樹/中沢新一、角川書店、2012)-「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?
書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』
書評 『異端力のススメ-破天荒でセクシーな凄いこいつら-』(島地勝彦、光文社文庫、2012)-「常識に染まらず、己の道を行く」怪物たちの生き様
・・南方熊楠と小室直樹が取り上げられている
『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む
成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)
・・真言宗智山派の成田山新勝寺で断食修行を行ったわたしの手記
経営計画の策定と実行は、「自力」と「他力」という仏教の考えをあてはめるとスムーズにいく
「無計画の計画」?
「植物学者 牧野富太郎の足跡と今(日本の科学者技術者シリーズ第10回)を国立科学博物館」(東京・上野)にいってきた
・・土佐の牧野富太郎もまた植物に魂を奪われた無学歴の「知の巨人」
PS. 読みやすくするために改行を増やし、一部のセンテンスを太ゴチック化、関連資料も整備した。なお内容については、執筆時点の考えの表明であるので、いっさい書き換えは行っていない(2013年10月31日 記す)
さらに写真を増やしてビジュアル化を図り、必要なリンクを本文中のセンテンスに張った(2014年9月11日 記す)。
あえて単純化していえば、鶴見和子の『南方熊楠-地球志向の比較学』は市民社会の範疇のもので、それを「顕教」(exoteric)とすれば、中沢新一のものはより「密教」(esoteric)的色彩が強い。
そもそも南方熊楠は西洋的な因果関係論に飽き足らぬものを感じ、幼いころからどっぷりと浸かっていた真言密教の方法で独自の科学論を構想していたのだが、鶴見和子はこれを南方曼陀羅と命名した(・・直接は仏教学者中村元のサジェスチョンによる)。
中沢新一はこれに対し、華厳哲学と真言密教で表現したとして別の図を南方曼陀羅としている。南方曼陀羅に関しては、私は中沢新一に賛成である。必然性に偶然性の要素を持ち込んだ生成論である。
(南方曼荼羅)
鶴見和子が「学者」として語っているのに対し、中沢新一は「思想家」として語っているという違いもある。南方熊楠自身の思想なのか、それを発展させた中沢の思想なのか明瞭ではないのがひっかかるところである。個人的には、やたら「私たちは」という語り方をする中沢新一の文体は好きではない。
南方熊楠の思想を知りたいと思えばまず鶴見和子のものを読むべきだろう。しかしながら、脳内出血で倒れ、半身不随になってから作歌に専念し、論文という形で自己表現するのをやめた鶴見和子は、直観的に生命について感じるようになったらしい。ある意味で、中沢新一がいっているのと近いところにきているような感も受ける。
日本人の信仰の原型が森にあることは、ことさら森林浴などといわなくても、森にいると何か癒される気がすることからも十分に納得される。森はそれを構成する個々の生命体が、それぞれ自律的に生きていながら共生する関係にあり一つの全体を形成している生命体であること、そして神社の森を聖域化することで日本人は森を守ってきた。
明治維新以降の日本人は資本主義のもと、徹底的に森を破壊してきたが、ようやく自然環境保護の観点から、またパワースポットという観点から神社の森に注目が集まるようになってきている。日本人はようやく自覚的に原点回帰できるようになってきた、ということっだろうか。
一度破壊された森は二度とそのままの形では復活はしないが、なにせ高温多湿の日本である、耕作放棄された農地が各地で森と化しつつある、という話をよく聞く。森は生命力そのものであり、日本人はそれに対して癒しだけでなく、同時に懼れも抱いてきたのである。西行法師ではないが、「何ごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」、これが日本人の信仰の原点だ。森そのものが御神体なのである。
とりとめないことを書いてきたが、そもそも南方熊楠を語るのは。群盲象をなでるに等しい行為である。南方熊楠は人生そのものが破天荒で面白い。伝記を追体験するだけでも十分に楽しめる。
しかも粘菌学者としてはその当時、日本では昭和天皇と並ぶ存在であったという事実。昭和4年(1929年)に南方熊楠は昭和天皇に粘菌学についてのご進講を行っているが、これは彼の人生におけるハイライトであった。
(粘菌学者としての南方熊楠の名は長く残るであろう)
南方熊楠は昭和天皇について、「普通の家に生まれていらしたら、大変な学者になられたやろうにと、残念がっていた」といっていた、と娘が回想している。南方熊楠は昭和16年(1941年)に没し、昭和天皇も好きな生物学研究に専念できるような時代状況にはなく、日本の粘菌学は大きく遅れをとるにといとなった、というのはまことに残念であった。
理科少年であった私は、生物学者としての昭和天皇には少年時代から大いなる尊敬の念を抱いてきただけに、何やら感慨深いものを感じる。
英国のジェントルマンシップに大いに感化され、戦前はたいへんゴルフに凝っていた昭和天皇は皇居にコースを作らせてよくプレーされていたらしいのだが、ある時きっぱりとゴルフをやめ、皇居内をいっさい人間の手をくわえさせずに、草木がはえるままにされたという話を、だいぶ昔に読売新聞の連載で読んだ記憶がある。これが現在の皇居の森である。南方熊楠とのかかわりはわからないが。
明治神宮の森ともども、あと100年もすれば、さらに原始の状態に近い森になっていくことだろう。100年後は生きて確かめられないのが残念だが。
Heather Barnett: What humans can learn from semi-intelligent slime (TED Talks, Filmed Jun 2014 · Posted Jul 2014)
・・粘菌(slime)の知的行動について生物学者がプレゼンテーション(音声英語、日本語字幕あり)
南方熊楠、生誕150周年 日本に実在した「知の妖怪」 (荒俣宏、朝日新聞書評サイト 2017年5月7日)
(2014年9月11日、2017年5月17日 情報追加)
・・粘菌(slime)の知的行動について生物学者がプレゼンテーション(音声英語、日本語字幕あり)
南方熊楠、生誕150周年 日本に実在した「知の妖怪」 (荒俣宏、朝日新聞書評サイト 2017年5月7日)
(2014年9月11日、2017年5月17日 情報追加)
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end