2009年7月2日木曜日

ヨーロッパの大学改革-標準化を武器に頭脳争奪戦に


              


 ある私立学園で「教育諮問委員」なるものを仰せつかってすでに6年以上になる。年二回委員会があり、つい先日も出席してきた。

 ビジネスの立場から教育に対して意見せよ、ということなのだが、幼稚園から大学院まで備えた総合学園においても、一般社会との接点はなによりも大学学部の卒業時点、すなわち「出口」にある。卒業生の大半は何らかの形で仕事をすることになるので、私のような者でも意味があるのだろう。いわばデマンド側からの意見、ということになる。
 
 この仕事のおかげで、教育の世界で何がいま起こっているかについて知ることができるのは、ある種の役得といえるだろうか。

 教育基本法の改正から、大学の学士教育の再構築まで、教育界の変化にかかわる、さまざまな資料をみることができ、また教育関係の識者、現場教員管理職からの貴重な見解も聞くことができる。ビジネス界にいて、日頃は教育の世界からはほど遠い私のような者にとっては、貴重な機会となっている。

 先日は教育関連の識者から面白い話をうかがうことができた。
 タイトルにもした「ヨーロッパの大学改革」についてである。

 ヨーロッパでは、欧州域内の高等教育制度の国際競争力を高めるため、共通の枠組みを構築中である。

 1999年の「ボローニャ宣言」によって、学位システムと単位(互換)制度を中心とした欧州共通フレームワーク設計に着手し、2010年をメドに着々と改革を進めている。フランスがイニシアティブをとって進めており、欧州29か国の教育大臣が署名している。

 目的は、まず高等教育システムを域内で標準化することによって、欧州域内の学生と教員の流動性を高め、労働事情における流動性も高めることにある。

 このために、大学学部(Bachelor:最低3年間)と大学院(Master:2年+Doctor:3年)の二段階構造とし、欧州大学間単位互換制度(ETCS:European Credit Transfer System)を導入、高等教育の品質保証のため内部機関と外部機関による評価も実施、品質保証システムを構築する。

 ざっと見る限り、学部(undergraduate)と大学院(graduate)を基本とする米国の高等教育システムをかなりにの程度まで踏襲したものであることがわかる。米国モデルをいったん全面的に丸飲みし、その上であらたな欧州モデルを再構築しようという戦略なのだろう。すでに欧州の共通言語は英語(ただしイギリス英語)となっていることも実現可能性を高くしている。

 最古の大学都市イタリアのボローニャで宣言がなされたということに、欧州各国の並々ならぬ決意を見る。ラテン語が共通言語だった中世においては、学生はそもそも欧州域内を放浪遍歴しながら学ぶのが当たり前の姿であった。

 私が米国に留学した1990年ー92年は、「ボローニャ宣言」以前の、まだ「エラスムス計画」の時代だったが、交換留学制度を使ってかなり多数のヨーロッパの学生が学びに来ていた。いろいろ聞いてみると、セメスター(学期:4か月)だけの交換で、米国の大学(院)で取得した単位は自分が在籍している大学で単位として認められるいっていた。

 同じプロジェクトを組んだ、あるカタロニア人女性は、セメスター単位で、米国だけでなくデンマークの大学にも交換留学しており、サマージョブではイスタンブールで働いた経験もある、といっていた。
 ちなみに、地中海に面したカタロニア地方はスペインではあるが、独自の言語と文化をもったひとつの民族であり、私が「スペイン語を話すのか?」と英語で聞いたら、即座に「カタラン(=カタロニア語)だ」、とえらい剣幕で怒られた。
 当時キャンパスで出会ったヨーロッパの学生は、イタリア、スペイン、フランス、とその多くがラテン系の出身であった。
  
 国際的な競争力の強い米国の高等教育システムの強みを導入し、世界的規模での覇権争いに本格的に取り組むということになると、今後の世界の高等教育、再び米国モデルと欧州モデルの二大勢力が、学生獲得競争をめぐって覇権を争うことになるのだろう。

 アメリカと対抗するために覇権争いは、頭脳を抑えるところから始める、これは本当に腰を据えた長期的なグランド戦略としかいいようがない。
 
 欧州域内の標準化による共通化・・・なんか聞いたことがあったなあ。ビジネス界にいるものがすぐに連想するのはスイスに本部のある ISO(国際標準化機構)、欧州環境法、欧州化学物質規制(REACH)・・・などなど。

 「標準化」のイニシアティブをとって、高いハードルを設けてデファクト・スタンダード(事実上の標準)としてしまう。
 標準化は仕組みを作る側が覇権を握ることになる。標準化のスペックを決める立場にあるからだ。 
 「国際会計システム」(IFRS)をめぐる状況も同様、米国と欧州の独壇場と化しており、すでに日本の出る幕はもはやなさそうだ。

 それにしても、伝統的なドイツの特異性を犠牲にしてまで統一ヨーロッパを優先するという流れは、ドイツが本当に大きく変わりつつあることを示している。ドイツは率先して欧州化の推進役になっている。

 技能教育で独自性を発揮していたマイスター制度もほぼ崩壊、またドイツ語圏であるスイスもさまざまな面で独自性を主張するのが困難になりつつある。

 先にも書いたが、1990年代初頭、米国に交換留学できていた学生はほとんどが、イタリア、フランス、スペインといったラテン系の国々ばかりで、ドイツ人はほとんどみなかった。ドイツ再統一からまだ日が浅かったからだろう。おそらく今後はドイツ人もそうとう動くようになるはずだ。

 「欧州のなかのドイツ」は、単なるスローガンだけでなく、着実なステップで実行に移されている。

 また、おそらく統一欧州が考えているのは、旧植民地であるアジア・アフリカの膨大な教育市場を、再び米国から取り戻そうということではないか。

 アジアについてみても、かつてのカリスマ的リーダーたちは、学歴だけをみれば米国ではなく旧宗主国である欧州各国が中心だった。たとえば、シンガポールを実質上引っ張ってきたリー・クワンユーは、宗主国英国のケンブリッジ大学を首席で卒業しているが、その長男である現在の首相リー・シェンロンは、ケンブリッジだけでなくハーバードも卒業している。

 私が仕事でかかわっていたタイでも、圧倒的多数が米国志向であり、次いで地理的に近いオーストラリアが人気がある。おかげで米国でM.B.A.を習得した私は日本国内よりもタイではつねに尊敬のまなざしで見られていたものである。

 高等教育においては世界のトップレベルにあるのが米国であるが、この流れをなんとか再び欧州に向けさせたい、こういう強い願望が「大学制度改革」にあらわれている。

 教育制度においてもひたすら米国だけを見てきた日本も、再び欧州に目を向ける必要があろう。日本の独自性を主張する余地すらないのは残念なことではあるが。

 しかも長く国際的優勢性を保ってきた初等中等教育すらあやうくなっている。国家百年の計は教育にあり、日本自らが真剣に再構築に取り組まねばならない。


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・・「エラスムス計画」のエラスムスは欧州全域でラテン語で活動した16世紀オランダの知識人の名に負うている

(2014年8月9日 項目新設)




(2012年7月3日発売の拙著です)








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