(ホーチミン市内のカトリック聖堂 聖母マリア教会)
カトリック司祭になるため勉強中で、現在は助祭の方とお話したときに、ベトナムやフィリピンからも神学生たちが日本に勉強しにきている話が話題になった。
ドリフの「ほんとにほんとにご苦労さん」の歌詞に「いやじゃあーりませんか学生さん」というのがあったが、「神学生さん」も試験、試験と攻められてほんとに、ほんとに大変なようだ。
先日はヘブライ語の試験もあったという。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の時代と変わりないのかな? もちろんバチカン第二公会議以後なので、さすがにラテン語ではなく日本語でOKだそうだ。
■ベトナムのカトリック教会
本題にもどるが、フィリピンがアジアで最大のカトリック国であることは比較的よく知られていると思う。なんせカトリックの教義にはきわめて忠実で、いっさい避妊しないので人口は増加する一方、この地位は当分揺らぐことはあるまい。
しかし、ベトナムにカトリック教徒が多いという話は、あまり知らない人も多いだろう、ということでこの機会に紹介しておこう。
写真はホーチミン(旧サイゴン)市内にあるカトリック聖堂。聖母マリア教会である。
フランス語で、Cathédrale Notre-Dame de Saigon という。1880年の創建。Wikipediaの記事を参照。英語版もフランス語版もあるのでご心配なく(・・ちなみに私はベトナム語はまったくわかりません)。
私がここを訪れたのは2006年の12月、クリスマスも間近な時期で、熱心な教徒たちが聖堂内で祈りを捧げていた。
ではなぜベトナムでカトリックなのか?
これは実は簡単なことで、1954年に独立を回復するまで、ベトナムはフランスの植民地だったからだ。カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『インドシナ』を見たことがあればご存知のはずだ。
現代のフランスは戦後の日本以上に「政教分離」を徹底している国だが、基本的にはカトリック国であり、カトリック布教が先導役となってベトナムの植民地化を推進したことは周知の事実である。
もともと漢字文明圏のベトナムで、声調言語であるベトナム語のローマ字表記を考案したのもカトリック神父であり、これが現在でも使用されている。
ベトナム(越南)は日本・韓国とともに中華文明圏であり、基本的には儒教・道教・大乗仏教の三点セットがマジョリティであるが、宗教的には新興宗教であるカオダイ教が約12%、キリスト教7%強で、キリスト教徒の大半がカトリックである。ベトナムの人口は約8,600万人なので、カトリックは約600万人ということになる。
(ベトナムのカトリック地図 「パリ外国宣教会」のウェブサイトより)
韓国よりは多少は少ないことになるが、ちなみにフィリピンの人口は約8,800万人で83%がカトリックなので7,300万人となるので、ベトナムとは一桁違う。
以下、『東南アジアのキリスト教』(寺田勇文編、めこん、2002)所載の「第7章 ベトナムのカトリック:政治的状況と民衆の生活の形」(萩原修子)の記述を参考にして、ベトナムのカトリックの歴史を簡単にまとめておく。
ベトナム戦争から米国が敗退した後、1976年に北ベトナムが南ベトナムを併合する形でベトナムは統一されたが、北が社会主義化された際に、56万人に及ぶ多数のカトリックが南に逃げたという。
南のゴー・ディン・ディエム政権が親米政策とあいまってカトリック優遇策を実施したが、統一後は社会主義政権による宗教弾圧があったこと、しかし1986年のドイモイ(刷新)政策以降、宗教政策が緩和され、2006年には米国政府はベトナムを宗教弾圧国リストから除外している。
しかしながら共産党による一党独裁政権のもと、反政府的言動をしたとされ投獄される司祭も存在、政府との緊張関係が解消したわけではない、というのが現状のようだ。
もちろんバチカンとの和解が成立していない中国よりは、まだ少しはましな状況のようではある。
■東南アジアを宗教人口分布にかんするデモグラフィックからみる
東南アジア各国の状況をデモグラフィック(人口構成)の観点からみることは非常に大事であり、とくに宗教という側面からみることはきわめて重要だ。
欧州連合が基本的にキリスト教をバックボーンにしながらイスラームも抱えているのとは異なり、アジアは、とくに東南アジアは宗教的にはきわめて多種多様でありながら、アジア的価値観を共通にもっている地域特性がある。
その意味で、今回の話も少しは参考になっただろうか。
PS 「カオダイ教」総本山の写真を紛失したのは実に残念。一昨年バンコクで使っていた Let's Note のHDDが故障、その際に業者に出したが一部復旧できなかったファイルがあったが、その一部だったのだろう。この文章を書きながらその事実に直面した。またもう一回いって撮影すればいいのだが、いったいいつの日になることやら・・・そんなヒマねーよ。
PS2 フランスによるベトナム布教にかんしては、「パリ外国宣教会」(Missions Etrangères de Paris 略称MEP)について言及しなければならない。この点については、また後日、機会をつくって書く必要があろうかと思う。開国後の日本においても、カトリック復活は「パリ外国宣教会」によるものである。 (2014年2月12日 記す)
PS3 読みやすくために改行を増やし、小見出しを加えた。あらたに<ブログ内関連記事>を導入し、その後に執筆したブログ記事の参照が容易にできるようにした。誤字脱字の修正以外、本文には手は入れていない。 (2014年2月12日 記す)
<ブログ内関連記事>
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(2014年2月12日 項目新設)
(2014年5月10日、2015年6月11日 情報追加)
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