2009年8月15日土曜日

「日本のいちばん長い日」(1945年8月15日)に思ったこと(2009年8月15日)




 「日本のいちばん長い日」とは昭和の代表的ジャーナリスト・大宅壮一によるドキュメンタリーである。

 実際に執筆したのは、当時文藝春秋社にいた民間現代史家の半藤一利らしいが、映画化されたものを中学生の頃みて、角川文庫版も購入して読んだ(・・岡本喜八監督による1967年度作品、trailer あり。三船敏郎が阿南陸相を演じている)。

 内容を乱暴に要約すれば、天皇陛下がマイクの前で録音した「玉音放送」を放送させまいとした、陸軍内の主戦派の一部将校がレコード・ディスクを奪取した上でクーデターを起こして戦争を継続させようとした動きと、それに対してディスクを守りぬき、無事1945年(昭和20年)8月15日正午からNHKのラジオでオンエアすることに成功した鈴木貫太郎首相(元侍従長・海軍大将)を首班とする政権側との、ディスク争奪戦をめぐる「長い一日」の記録である。

 ノルマンディ上陸作戦 The D-Day は、別名 The Longest Day というタイトルで映画化されているから(日本語タイトル 『史上最大の作戦』)、大宅壮一は英語タイトルをもじってつけたのだろうか。

 この映画は毎年TVで再放送すべきだと思うのだが。この時代に製作された映画には、まだ戦争のリアリティがにじみ出ている。

 せっかくなので、いわゆる「終戦の詔勅」をあらためて聞いてみよう。

 「耐ヘ難キヲ耐ヘ 忍ビ難キヲ忍ビ」で有名な「玉音放送」である。ナマの「玉音放送」を聞いてから、いろんな議論をすればよい。

 原文は以下の通り。読みやすくするために、区切りを入れた(面倒だから、とばし読みしてもらってかまわない)。太字ゴチックは引用者によるもの。

詔 書

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ
非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ
茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ
米英支蘇四国ニ対シ
其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨
通告セシメタリ

抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧ヲ図リ
万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ
皇祖皇宗ノ遺範ニシテ
朕ノ拳々(けんけん)措カサル所

曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ
亦(また)実ニ帝国ノ自存ト
東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ
他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ
固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス

然(しか)ルニ交戦已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ
朕カ陸海将兵ノ勇戦
朕カ百僚有司ノ励精
朕カ一億衆庶ノ奉公
各々最善ヲ尽セルニ拘ラス
戦局必スシモ好転セス
世界ノ大勢亦我ニ利アラス

加之(しかのみならず)
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ
頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ
惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル


而モ尚交戦ヲ継続セムカ
終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス
延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ


斯(かく)ノ如クムハ
朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝国政府ヲシテ
共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始
東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ
遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス

帝国臣民ニシテ
戦陣ニ死シ職域ニ殉シ
非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ
五内(ごだい)為ニ裂ク
且(かつ)戦傷ヲ負ヒ
災禍ヲ蒙リ
家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ
朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ

惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ
固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル

然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所
堪ヘ難キヲ堪ヘ
忍ヒ難キヲ忍ヒ

以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ
忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(しんい)シ
常ニ爾臣民ト共ニ在リ

若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所
濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ
或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱リ
為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ
朕最モ之ヲ戒ム

宜シク挙国一家子孫相伝ヘ
確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ
任重クシテ道遠キヲ念ヒ
総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ
道義ヲ篤(あつ)クシ
志操ヲ鞏(かた)クシ
誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ
世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ

  御名御璽

  昭和二十年八月十四日
    各国務大臣副署

 実際にラジオ放送された際は、ほとんど聞き取れなかったという回想が多いが、これだけ難しい漢字をつかった文語体を耳できいて理解せよといわれても、果たして昭和20年時点でもそう多くはなかっただろう。誰がドラフトを執筆したのかしらないが、日本語としては難しすぎる。

 いまこうやって、耳で音声を聞きながら、一字一句目で追っていくと、きわめて納得することの多い内容である。


 ついでだから、「開戦時のNHKラジオ放送 臨時ニュース」も聞いてみよう。これは私も初めて耳にした、実に貴重な音声記録だ。また、緊急放送ではチャイムが鳴ることも初めて知った。たいへん勉強になる。

 作家の伊藤整などが、聞いてスカっとしたと述懐しているらしいが、この気持ちはわからなくはない。

 1990年、第一次湾岸戦争(the Gulf War)勃発前夜、戦争当事国の米国にいた私は、イラクに対する最後通牒が発せられてから1週間、ついに戦争に突入した際に、CNN報道での発表に対して米国国民が雄叫びをあげた現場に居合わせた。これは7月から半年以上続いていた閉塞感が破られた瞬間であり、「ついに始まったか!」という開放感であった。


 「いちばん長い日」に戻るが、三船敏郎が演じた陸軍大臣・阿南幾茂(あなみ・これちか)陸軍大将が、「一死大罪を謝す」という遺書を残して現職閣僚として自刃したのは有名な話である。結果として、陸軍内部の主戦派を押さえきり、クーデターによる内閣崩壊、戦争継続になった場合にもたらされたであろう、壊滅的破壊を回避できたことにより、立憲君主制という日本の国体を護持することを可能とした。

 もちろん、もう少し早く終戦が意志決定されていれば、原爆投下による悲劇も、特攻隊の悲劇もなかったのだが・・・

 ノンフィクション作家・角田房子による一連の陸軍軍人の伝記のうちのひとつが、『一死、大罪を謝す-陸軍大臣阿南惟幾-』(PHP文庫)として阿南幾茂にあてられており、「バターン死の行軍j」の責任を問われ、戦犯裁判でフィリピンで処刑された本間中将の伝記『いっさい夢にござ候-本間雅晴中将伝-』(中公文庫)とともに、日本人として生きることの意味を考える上で、実に感慨深い読書体験となっている。

 自死を選ぶのが、責任の取り方として正しいかどうか断言はできない。生きながらえて正々堂々と法廷で戦うことも責任の取り方としてあったであろうから。

 
 さて、本日は「終戦」記念日、本当は「敗戦」記念日というべきだが、日本人の正直な気持ちとしては「終戦」といいたいのもわからなくはないので、通例にしたがっておこう。終戦記念日なので、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に戦没者の鎮魂にいってきた。

 靖国神社は、本殿までいったのは実は今回が初めての経験である。なんとなく靖国というと、あまりいいイメージをもたないよう世代的な刷り込みがされているため、これまで避けてきたのだが、虚心坦懐な気持ちで、とにかく行ってみることも重要ではないか、と気持ちを整えて参拝しにいった次第である。

 なお、本日の報道によれば、麻生首相はカトリック信者だからか真意は測りかねるが、靖国神社ではなく、千鳥ヶ淵にしたという。実際に、私が訪れた際には、内閣総理大臣麻生太郎の名の記された花輪が2つ置かれていた。



 地下鉄九段下駅で下車したら、駅構内にはすでに警官が多数、しかも外に出るエレベーターの交通整理が行われている。

 地上にでたら驚いた。もういきなりものすごい人がビラくばりを行っている。今年は終戦記念日が土曜日にぶつかっているのでよけいに人が多いのだろうが、中国で弾圧されている法輪功信者やら、台湾支持派やら、自民党やら、現代史リビジョニストやら政治団体がビラ配り、シュプレヒコールとすさまじい。

 靖国神社の前では、右翼の街宣車と警察・機動隊が押し問答をしており、街宣車の音声がやかましい。正直いって迷惑だ。

 一歩鳥居のなかに入ると、街宣車は閉め出されているので比較的静かだが、とにかく暑いし、人が多いのには驚かされた。初詣の明治神宮なみの人の多さである。


 しかも、けっこう若い人たち、それも20歳代、30歳代と思われる若い人たちが多いのにも、正直いって驚かされた。百聞は一見にしかず。明らかに遺族関係者ではなく、ここ数年、近隣諸国があまりにも騒いでいるので、かえって関心をかき立てられた若者が多いのではないか、と思われる。

 本殿までいくまでがたいへんで、整列して並んでやっとのことで拝殿までたどりつく。

 ここでお賽銭を投げ入れて、二礼二拍手一礼の型どおりの参拝をすませた。


 ここで今回の最大の訪問目的である「遊就館」へ。もちろん訪問はこれが初めてである。

 明治維新の功臣の霊を祀る目的で作られた招魂社が前身である靖国神社は、陸海軍を軸とした近代国家日本の歴史そのものであり、「遊就館」には、明治維新以来の戦争の歴史のパネル説明、武器や遺品の数々が展示されている。

 最大の展示物はなんといってもホンモノのゼロ戦だが、驚いたことにこの「遊就館」もまた、ものすごい人の群れだ。入場料800円だが、美術展なみの人の入り方で、くたびれた。

 展示室は全部で19室あるが、なんといっても圧巻は、「靖国の神々」という合祀された戦没軍人・軍属の小さな遺影が所狭しと飾られている部屋であろう。

 沖縄本島の「ひめゆりの塔(ひめゆり平和記念資料館)」ではないが、無念にも戦争で死んでいった人たちのことを考えると、目頭が熱くなるのを止めることはできない。私は、靖国神社に合祀された遺族ではないが、日本人としては感じるものが多いのも当然だろう。

 「遊就館」に併設された売店もこれがまたすごい人だった。プラモデルも置いてあるので男の子には人気だし、ミュージアム・ショップのような感じである。

 せっかくなので『遊就館図録』「卓上国旗・旭日旗・Z旗セット」を購入した。前者は、明治維新以来の近代日本の戦争の歴史が、展示パネルを図録にした形で収録されているので、資料としてもよくでいきている。「大東亜戦争」という記述で一貫しており、歴史観の違いから絶対に受け付けない人もいるだろうが。



 靖国神社参拝だけでくたびれてしまったが、重要な目的である千鳥ヶ淵戦没者墓苑を忘れるわけにはいかない。

 千鳥ヶ淵にいくのは、桜が美しい花見の季節を除いては、インド大使館にビザを取得しに行ったことくらいしかないが、8月15日に訪れるのはもちろん生まれて初めてである。しかも、靖国神社とセットで千鳥ヶ淵戦没者墓苑にいくのも初めての経験である。

 お堀端は、夏は桜の木の木陰となるので、涼しい散策ができる。しばらく歩くと戦没者墓苑であるが、靖国神社と比べると、訪れる人は極端に少ない。

 墓苑内は静かな静謐な雰囲気で、むしろこちらのほうが戦没者の追悼にはよりふさわしいのではないかと個人的には思う。



 正面左手には、昭和天皇の御製が石に彫られている。「くにのため いのちささげし ひとびとの ことをおもへば むねせまりくる」。昭和35年(1960年)竣工。

 正面右手には、今上天皇の御製が石に彫られている。「いくさなきよを あゆみきて おもひいづ かのかたきひを いきしひとびと」。平成17年(2005年)竣工。

 麻生首相が捧げた花輪があったが、私も一輪の白菊の花を献花して、戦没者の霊を慰めた。手を合わせて静かに祈ることのできる空間として、むしろ靖国神社より望ましいかもしれない。


 私は個人的には、靖国神社はそのままにして、千鳥ヶ淵を戦没者墓苑として国家的な位置づけを明確化する方向が望ましいのではないかと考える。

 とはいっても、靖国神社の位置づけはきわめて難しい。



 プレートに刻まれた戦没者数は、ものすごい。フィリピン518,000人、中国465,700人、満洲245,400人・・・日本人だけでこれだけの数だから、現地人の犠牲者も含めるととてつもない数になる・・・。 



 千鳥ヶ淵をあとにして九段坂をくだっていくと、神保町交差点、旧日本債券信用銀行本店前の歩道では、日の丸や旭日旗をふるデモ隊がシュプレヒコールをあげて、警察にくってかかっている。機動隊も多数動員されており、なんだかエキサイトしている状況である。戦争反対を叫ぶ左翼のデモ隊が靖国神社方向に向かうのを阻止するためらしい。

 近隣諸国による、近年激しい応酬がなされてきた靖国神社問題にかんする感情的反発が核となった、いわゆる「ネット右翼」のオフ会のような雰囲気であるが、本人たちはかなり真剣に取り組んでいるようだ。参加しているのは大半が若者である。

 排外主義を主張する内容は、あまりにも偏狭すぎてまったく賛同できないが、日本国内でこれほどエキサイトしているデモ集会の現場にでくわしたのは久々である。野次馬として至近距離で見ていたが、警察とはある意味なれ合いの関係にある街宣車型の旧来型右翼とはまったく異なる印象を受ける。


 秋葉原の歩行者天国での無差別殺人事件もそうだったが、とくに若者のあいだで、なにかものすごく閉塞感が強く、抑圧され鬱屈した「空気」が、見えない深層で淀んでいるように感じられるのが、現在の日本の状況である。

 今月末に総選挙が実施されるが、選挙演説なんか聞くよりも、こういった少数派ではあるが、極端な思想の持ち主の示威行動の現場を観察する方が、深層で進行している本当の変化について考えるためのいい機会になると考えてよいのではないか。

 彼らの言動はひとことでいってしまえば、きわめて内向きなナショナリズムの発現である。海外生活において日本人のアイデンティティを自覚するタイプの「健全な外向型のナショナリズム」ではない、「不健全な、病的な、内向型のナショナリズム」だ。


 ふだん、ネット空間のなかで交わされる応酬も、関心のない人間にはまったく知られることもないだろう。おそらく本日のデモの一部始終は、ビデオとして彼ら自身によって YouTube などに投稿されるのであろうが、公共の電波にのって報道されることはまずありえない。したがって多くの人たちの知るところにはならない。

 意識的に健全なナショナリズムを促進すべく政策誘導を行わないと、また何かの形で抑圧された黒いエネルギーが噴出しそうな気がする。その点、シンガポールとは違って、届け出さえすれば街頭集会もデモもできる国なんだから、日本国の国民であることはありがたい。この程度のガス抜きさえ定期的にやっていれば、最悪の事態を回避することはできるだろう、とは思うのだが・・・

 若者をもっと日本の外に連れ出して、外から日本を眺める機会をもっと与えなくてはならないのではないか?最近の若者は海外には旅行ですら出たがらない傾向にあると聞く。

  
 深層の動きが表面に浮上し、顕在化した瞬間、そういう瞬間を意図せずじっくり観察することができた、暑く、そして「長い一日」、2009年8月15日の東京であった。
                   




(2012年7月3日発売の拙著です)








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