日本のTVでも報道されているが、いま米国ではオバマ大統領が公約として掲げ、政権をあげて実現しようとしている政策、「国民皆保険制度」に対してものすごい逆風が吹きまくっている。
全米各地で集会が開かれては、反オバマのシュプレヒコールがあげられている。
その主体となっているのは白人保守層のようである。したがって、これはある特定のデモグラフィック集団の示した反応であって、米国人全体の反応とはいえないだろう。
とはいえ、これはまさに「熱気」である。しかも「空気」であることにはかわらないが、かなり熱を帯びた「空気」ではある。
「世間」については、とくに日本語を使う日本人を縛ってきたものであるが、「空気」については必ずしも日本に限らず、世界中どこでも観察できる現象だと思われる(・・もちろん「世間」なる現象は日本社会以外でも観察可能だと私は考えているが、これはまた改めて書いてみることとする)。
もちろん米国も「熱気」」というか、まあ「熱い空気」に飲み込まれやすい傾向がある。
重要なポイントは、米国人は「空気」には流される度合いが小さいことだと思われる。
他人の意見に付和雷同する、あるいは自分の意見を述べずに黙って付き従うというビヘイヴィアは米国人には見られない。
自分の意見を明確な言語(=英語)で表現することが、生きていくための最低必要条件となっているのが、米国社会であるといえる。
現時点でその頂点に立っているのが、ロジックと巧みなレトリックで構成された弁舌の持ち主、オバマ大統領であることはいうまでもない。
これには、英語の存在も大きいだろう。ラテン語やロシア語などでは、主語を明示しなくても動詞の変化型で主語を表現できることは学習者は知っているはずである。
主語がないと文を構成できない英語という言語は、むしろ少数派である。
米国にはフルに2年間滞在して、さまざまな場面に遭遇したが、「空気」に流される米国人というのは見た経験は一度もない。
ことあるごとに "make a difference" ということが強調される。極言すると、人と同じことをするのはバカだ(!)という共通了解があるといっても言い過ぎではない。
子供から大人まで、平気で他人の意見には反論するし、とにかく自分の意見をもて、自分の意見を述べよという圧力の強い社会なので、その場の空気に"過剰同調"するということはまずない。一見そう見えるとすれば、それは力関係が明確な人間集団の場合だけであろう。
米国人でも力関係から長いものに巻かれろという態度や、勝ち馬に乗るという行動(・・これをバンドワゴン的行動と政治学ではいう)は日常的に目にする。とくに仕事関係では、ボスの命令には絶対服従であり、議論はあっても上意下達の世界である。しかし、仕事を離れれば、別の世界があるので、日本的な「世間」の縛りはゆるいといえる。
それがある意味、日本とは違って風通しがいい、という印象になるのだと思う。
「熱気」にかかわる問題といえば、かなりの程度似たような考えをもつ人間が、ある一定のスペースに存在する場合、時の為政者が、ある種の特定の方向性をもった「空気」を作り出して扇動した上で、政策実行に結びつけてしまうことがよくある。かなりが作為的なものである。政治的プロパガンダによる高等戦術といってもよい。
9-11(ナイン・イレブン)後のアメリカの熱狂は、ほとんど宗教的熱狂に近かったいっても言い過ぎではないだろう。もうだいぶ冷却したようではあるが・・・
この場合も「空気」を作り出したデマゴーグが確実に存在していることには注意しなければならない。
現代では、メディアをフル稼働させれば、特定の方向性をもった「空気」の流れを作り出し、燎原の火のごとく広めることは、テクニカルな意味で必ずしも難しくはないだろう。1933年のヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、いわゆるナチス党)が先鞭をつけた手法である。いわゆるポピュリズム(=大衆扇動政治)である。
また宗教的だといった理由は、米国だけではないからだ。
イスラエルにいった際、いわゆる「嘆きの壁」にいってみたが、建物内部ではユダヤ過激派集団がいて、何だか近寄りがたい「熱気」を発していた記憶がナマナマしい。サブマシンガンもったラビ(?)と、輪をつくって熱狂的に踊るまくるユダヤ人の集団はおそらくハシディズムの信徒なのだろうが、正直いってなんだか危険な宗教的熱気を感じたものだ。
宗教的熱気を発している集団は、同じ宗教を信じる一体性の強い集団であり、盲目的になる前提として最初から同質性が強いことがあるので、最初から「空気」は共有しているのである。
うわさやデマによって特定の敵を作り出すことは、集団の凝縮力を強化するために使われる古典的手法である。こういう状態で醸成された「空気」は暴動という形で一気に広がりやすい性質をもつ。
これは宗教集団だけではなく、とくに欧州のサッカーの試合にみられるフーリガンでも同様に観察できる。特定のチームを熱狂的に応援するサッカーファン疑似宗教集団ともいえようか。
またついでだから書いておくが、米国では論理や議論がすべてとかいってるが、これも真実とはほど遠い。
反対派は究極的には射殺によって物理的に抹殺するするという、むき出しの暴力、いわばマッチョな原理が支配するのが米国だ。
これは米国で暮らすと肌身をつうじて理解できる。白人は基本的に男性原理中心で動いており、女性原理が優先するアジアとは根本的に異なる。この点は欧州も基本的にかわらない。
「熱気」については、一神教世界とそれ以外の多神教世界との比較検討が必要だろう。
イスラエルについて触れたが、ユダヤ教世界であるイスラエルも、キリスト教世界である米国も、イスラーム世界であるアラブ世界もいずれも一神教世界で、どちらかというと熱くなりがちな世界である。
カフカース(=コーカサス)を中心にイスラーム圏を含んだ存在であるロシア世界に詳しい、作家の佐藤優(元外務省)が書いていたが、"アルコールに酔える者"、"ハッシシ(麻薬)に酔える者"が存在するが、もっとも手に負えない、恐るべき存在は"神に酔える者"である、と。一神教世界、とくにイスラーム主義者のテロリストの精神構造に存在するのが、この"神に酔える者"である。
「熱気」が支配しやすい社会は、一神教世界がベースにある社会だという仮説も成り立つかもしれない。キリスト教の支配力が弱まって「世俗化」の進んでいる西欧社会は、これによってある程度まで説明可能だろうか?
私が滞在していたタイ社会は上座仏教をベースにした多神教世界である。タイ人の人間関係は、うわさが飛び交う社会でありながら、王室というタブー領域を除けば、「世間」のしばりのきわめてゆるい社会であった。
「熱気」を帯びた政治集団が昨年以来マスコミを騒がしているが、大多数のタイ人は迷惑に思っているようである。仏教的に何事も中道をゆくべし、何事も穏便にというのが、上座仏教圏(タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア)の振る舞いの根底にあるように思う。
「熱気」は、政治学や社会心理学、宗教社会学が扱うべきテーマであり、正直いって私の手には余る。
ただ、ひとつはっきりしているのは、「差別化しなければならない!」、「ナンバーワンではなくオンリーワン!」などといいながら、依然として「空気」の流れに同調しやすい日本人は、少なくとも米国人と比較する限り、世の中全体から「熱気」がなくなっていくのに反比例して、冷たい「空気」の支配力が強まりつつあるようにも思えなくはない。
あまり熱くなりすぎる「熱気」も考え物だが、冷めた「空気」もうっとおしい。
何事も中庸がよろしいようで。
政権交代を手放しで喜べない、国家公務員の一読者からの質問にも、そろろろ答えなければなりませんね。
ここのところ引越しにともなうゴタゴタでゆっくりとものを考える状況にはなかったのですが、明日9月16日には「首相指名選挙」があり、いよいよ「政権交代」が現実のものになる以上、ここへんをデッドラインとして、とりあえず考えをまとめておきましょう。
何事であれ、自分が主体的に変化するのであれば、たとえつらい現実が待っていようと立ち向かうことはできますが、他人に変化を余儀なくされるのは正直いって面倒だし、うっとおしいものですね。これはよくわかります。
公務員経験ない一民間人の私にはわからない点も多いので、またお話聞かせていただけると幸いです。
PS2 読みやすくするために改行を増やした。執筆時点のドキュメントとして、内容にはいっさい手は加えていない。あらたに「ブログ内関連記事」の項目を新設した。(2016年7月27日 記す)
<ブログ内関連記事>
書評 『反知性主義-アメリカが生んだ「熱病」の正体-』(森本あんり、新潮選書、2015)-アメリカを健全たらしめている精神の根幹に「反知性主義」がある
・・「熱気」について、とくにアメリカの熱気について考えるためには必読書だ
不動産王ドナルド・トランプがついに共和党の大統領候補に指名(2016年7月21日)-75分間の「指名受諾演説」をリアルタイムで視聴して思ったこと
(2016年7月27日項目新設)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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