2009年10月11日日曜日

"世界最小の大仏" を見に行ってきた・・そしてついでに新京成線全線踏破を実行


 "世界最小の大仏"とは、梨どころ千葉県鎌ヶ谷市にある"鎌ヶ谷大仏"(かまがや・だいぶつ)のことである。もちろんギネスブックに登録されているわけではない。

 千葉県に移住したのを機会に思いだし、さっそく見に行くこととした。気にかかっていることは確かめないと。

 事前にインターネットで調べたら、なんと高さ1.8mというではないか。おいおい、これが大仏かよ?!

 しかし新京成線の駅名にもなっているのだから、名所は名所なのだろう、まあ何事も百聞は一見にしかず、出かけることとした。


 新京成線の"鎌ヶ谷大仏"駅(・・大仏が駅名に読み込まれているのは日本で唯一らしい、ということはつまり世界で唯一無二ということか)で下車して、駅前のバス操車場で交通整理をしている老人に、「大仏はどこですか?」と聞いてみたら、道路を渡ったあそこだ、とぶっきらぼうな口調でいわれた。

 老人にはありがとうございすと挨拶してから、道路を渡ってみると、なんと墓地の一角に青銅製の座仏が鎮座している。これが大仏なのであった。

 看板の説明書きによると、江戸時代の1776年(安永5年)、鎌ヶ谷宿(・・鎌ヶ谷は宿場町だったのだ)の大黒屋文右衛門が、先祖供養のために神田の鋳物師に鋳造させたものだ、と書いてある。

(鎌ヶ谷大仏とは)

 鋳造にはどのくらいのカネがかかったのか知りたいところだが、文化財というのはそういう形而下的な、下世話なことは関心がないのだろうか、いっさい記載がないのが残念だ。

 商人が建立したのだから、経済学者ヴェブレンのいう"見せびらかしの消費"(conspicuous consumption)のはずで、大枚はたいて云々と絶対吹聴したに違いないのにね。

 いま書いていて気がついたが、建立されてから今年でちょうど233年ではないか!これを大仏だといったのが文右衛門本人なのか、町の人たちだったのか定かでないのも悲しいな。

 まあ、アングルによっては、アップで写真を撮影すると大仏らしく見えないこともない。

(下から見上げるアングルの鎌ヶ谷大仏)

そもそも"大仏"の定義なんてものは明確でないから、これが大仏だーといってしまったものの勝ちかもしれん。

 たとえば私が1cmの仏像をもっているとして、これが世界最小の大仏だっ!と宣言してしまえばいいわけだから。とはいっても誰も認めないだろうが。

 私が鎌ヶ谷市長なら、"世界最小の大仏のある町"とかいってプロモーションするところなのだが・・・聞いてビックリ、見てガッカリ、というやつだなあ。


 ついでに触れておくが、墓地の中には数基の"馬頭観音"の石碑が建っている。馬頭観音(ばとうかんのん)とは文字通り、馬の頭をした観音様のことだが、宿場町なので馬による輸送が頻繁だっただけでなく、習志野が関東有数の馬場だったことも関係があるのだろう。昭和十年という銘があるから、そんなに古い話でもない。

(鎌ヶ谷街道の馬頭観音)

 このブログでも8月に習志野の騎兵隊の話を書いているが、千葉県の下総地域と馬の関係は浅からぬものがありそうだ。

 上空を轟音とともに、航空自衛隊の大型ジェット機が飛んでいた、鎌ヶ谷大仏の日曜日の午後であった。



新京成電鉄を全線踏破
 
 これだけではあまりにもあっけないので、ついでなので新京成電鉄・新京成線を全線踏破することとした。

 京成津田沼駅から松戸駅までを結ぶ全長26kmの私鉄路線である。しかし直線距離ではたったの16km、つまり平地なのに右に左にカーブが連続する、曲線区間のきわめて多い、日本でも珍しい鉄道路線なのである。

(新京成電鉄を行く)

 この路線は、もともと陸軍鉄道連隊の演習線だったためらしい。様々な曲率(R)のカーブを作る練習のために10km分も距離を稼いでいるのである。

 現在では使用していない区間には鉄橋も4カ所あったらしいが、あまりにも迂回ルートになってしまうので、戦後民間に払い下げられたとき、さすがにその路線は使用しなかったという。

 曲線のまっただ中にプラットフォームが設置された駅も多く、そもそもの演習線としての過去を想起させてくれる。関東の私鉄・東武浅草線の業平橋駅から浅草駅のあいだのように、市街地のなかをぬうようにクネクネと走る曲線区間が多い、というわけではないのだ。曲線区間に駅ができた結果、市街地に発展したのである。

 路線の途中で、JR武蔵野線や北総鉄道北総線に交差するようになったのは、戦後だいぶたってからのことだ。


 "鉄道連隊"については、wikipediaに情報がある。また、新京成線がその一つである"鉄道連隊演習線"については、同じく wikipedia に情報がある。

 今回あらためてインターネットで調べてみて、新京成線が陸軍の払い下げ、ということの意味が理解することができた。陸軍の鉄道連隊は、戦地における鉄道の建設、修理、運転だけでなく、敵の鉄道の破壊も行う、鉄道専門の工兵部隊だったわけなのだ。その演習のための路線が千葉県にあったということである。


 高校時代、京成線を使って高校まで通っていたので、毎日目にしていた京成津田沼駅から単線で分岐する新京成線には非常に興味が強かった。今の今まで一回も乗車したことがなかったのだ。

 せっかくだから全部乗ってみた。私は、いわゆる"乗り鉄"だから。鉄道オタクとまではいかないが、男の子というものは鉄道含めて乗り物が好きなもので、私の場合はとくに子供時代から、走っている列車に平行して走る反対車線の線路を見るのがとくに好きだったのだ。

 今回は久々に、運転席の右隣の窓から進行方向の線路をずーと眺めていた。
 カーブする線路というのは、子供にはとくに面白いようで、私の左隣では男の子がずうっと窓にへばりついていた。運転手になった気持ちで線路を見るという行為は、とくに男の子特有の本能なんだろうか?


 この路線は曲率(R)の小さな、つまりカーブのきつい曲線箇所が多い。遠心力が働くので倒れそうになる。ずっと立っているのはなかなか大変なのだ。

 JR西日本の福知山線脱線事故でもあきらかなように、曲線がきついカーブでは、2本の線路に勾配差がつけられているとはいえ、ある一定上のスピードを出すと遠心力が制御限界を上回って脱線し、それが市街地ならば高層マンションに激突なんて事態になってしまう。

(新津田沼駅構内)

 全線踏破してわかったが、もっとも曲率(R)がきつい区間が連続していて、実に乗り甲斐(!)があるのが、京成津田沼駅と新津田沼駅のあいだの単線区間であることがわかった。この乗り心地を再体験するためにデジカメでビデオ撮影をすることとした(・・100M越えてしまったのでアップロード不可能なのは残念)。

(新津田沼駅から京成津田沼駅にかけてのカーブ)

 カーブでの運転技術も含めて、運転実務という観点から実に貴重な情報を惜しみなく与えてくれるのが、昨年出版された『電車の運転-運転手が語る鉄道のしくみ-』(宇田賢吉、中公新書、2008)である。

 鉄道については、設計者や技術者が書いた一般向けの本が多い中、旧国鉄に入社した18歳以来、42年間にわたって蒸気機関車から電気機関車、電車まで運転してきた著者による素晴らしい本である。中身のない薄っぺらな新書本があふれる現在、実に貴重な本だ。
 電車の運転というのは、ある意味ではキチンとこなして当たり前という現場の職人仕事なので、こういった仕事本がどんどん書かれて出版されることを望みたいものだ。


大仏の話に戻る

 さて本題に戻って、大仏で締めないといけないな。

 人はどうしても、自分の住んでいる地域の大仏が一番でかい、といいたがるもので、私も14年前に中国領チベットのタシルンポ寺を訪れた時、英語ができる若い僧侶と会話したのだが、彼は日本の大仏よりでかい、と自慢げに語っていたものである。
 
 正確な寸法はさておき、私はやはり奈良の大仏は驚異的にでかい、と思っている。これはナショナリズムであろうか?

 ロシア語にギガントマニア(gigantmania)というコトバがあるのだが、宇宙ステーションなどソ連時代の巨大建造物の建造ラッシュのことをさして表現したものである。

 最近、タイでも巨大仏建立ブームがあって、景観破壊以外の何者でもないと思うのだが、金を儲けた人間の考えることは、世界中どこに行ってもあまり変わらないのかもしれない。
 

 高度成長期の日本では、作曲家で指揮者の山本直純が出演した森永エールチョコレートのCM、♪大きなことはいいことだーというものがあったものだ。もっとも日本は、縮み志向の国だ、と韓国人の知日派学者は指摘するのだが。

 こんなこというと、チジミは韓国やろ?、と必ず突っ込み入れてくるヤツがいるのだが、本質はいずこに?


 そうだな、今度は文字通りホンモノの大仏を見に行くことしようか。

 文庫本として今月出版された 『晴れた日には巨大仏を見に』(宮田珠己、幻冬舎、2009)でもガイドにして。

 この本が扱うのは、奈良の大仏や鎌倉の大仏といった歴史ある大仏ではなく、戦後昭和から平成にかけて作られらた、ウルトラマンより大きな、高さ40メートル以上の巨大建造物としての大仏のことである。

 巨大仏がヌっと現れる風景は、著者のいう"マヌ景"そのものだ。単なる違和感とも言い切れない不思議なかんじである。

 何事も百聞に一見はしかず。いつ実行することにしようか。


<追記>

 後日10月20日に撮影した新京成線のS字カーブの映像を「日本有数のS字カーブ(新京成線)」と題して YouTube にアップした。ご覧いただけると幸いです。

<追記2>

 「鎌ヶ谷大仏-DIVE TO LOVE(だいぶ・つ・ラブ)-」(YouTube)
・・「鎌ヶ谷大仏」を歌い込んだ歌があることは、全然知らなかった。 たまたま、フェイスブックで知り合った地域の飲み会で、「鎌ヶ谷大仏-DIVE TO LOVE(だいぶ・つ・ラブ)-」という曲があることを知った。 スキップカウズというグループが、読者からの投稿に基づいて鎌ヶ谷大仏をイメージした楽曲で、2007年発売らしいが、うかつなことに全然知らなかったのだ。お恥ずかしいかぎり。

PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判に変更した。内容には手は入れていない。(2014年8月16日 記す)。

PS2 あらたに「小見出し」を加えた。本文には手は入れていない。(2016年3月13日 記す)



<ブログ内関連記事>

『新京成電鉄-駅と電車の半世紀-』(白土貞夫=編著、彩流社、2012)で、「戦後史」を振り返る

書評 『京成電鉄-昭和の記憶-』(三好好三、彩流社、2012)-かつて京成には行商専用列車があった!

「下野牧」の跡をたずねて(東葉健康ウォーク)に参加-習志野大地はかつて野馬の放牧地であった

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた

辰年(2012年)の初詣は御瀧不動尊(おたき・ふどうそん)にいってきた

インド神話のハヤグリーヴァ(馬頭) が大乗仏教に取り入れられて馬頭観音となった

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!
・・鉄道連隊について触れておいた

(2014年8月16日 項目新設)


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