2009年11月26日木曜日

タイのあれこれ (20) BITECという展示会場-タイ人の行動パターンと仕事ぶりについて



(バンコク最大の展示場 BITEC)


 "卒業論文"の意味もこめて集中的に書いてきた、この「タイのあれこれ」もそろそろ終わりに近づいてきた。

 私がバンコクにいたのは、あくまでもビジネスマンとして事業経営に携わっていたためなので、一回くらいはビジネス関連の話も取り上げておこう。
 
 バンコクで開催されているビジネス関係の展示会(あるいは国際見本市、トレードショー)について取り上げる。

 一般観光客は当然のことながら、展示会のテーマに関係した者でなければ、その展示会にでかけたり、あるいは出展企業として参加することもないだろう。その意味ではきわめて限定された体験である。


東南アジア最大の工作機械の展示会 METALEX (メタレックス)について

 ここではとくに、バンコク最大の展示会場 BITEC (Bangkok International Trade & Exhibition Center)で毎年開催される、東南アジア最大の工作機械の展示会 METALEX (メタレックス)について紹介する。今年度2009年の展示会は11月19日から22日までの開催、ちょうど終わったばかりではあるが、旬のテーマといえるだろう。

(東南アジア最大の工作機械の展示会メタレックス)

 工作機械(machine tool)とは機械部品を作り出す機械のことで、主だったものにはプレス機や切削機、産業ロボットなどがある。

 工作機械関連の展示会としては、かつてはシンガポールが東南アジア最大だったようだが、もはや見る影もない。シンガポール政府が金融やバイオ産業など、高度技術産業に産業政策をシフトさせており、機械産業や電子産業などがシンガポールで活動を続けるインセンティブがもはや乏しいからだ。何よりもビジネスコストが高すぎるからだ。

 タイには、自動車産業を筆頭に、日本の主だったメーカーはほぼすべて進出済みであり、東南アジアでは当然のことながら工作機械への需要がもっとも大きな地域になっている。

 こういった背景と、もちろん主催者である英国企業 Reed社 のタイ現地法人の企業努力もあり、バンコクで開催されるMETALEXが大規模になったのである。日本でも Reed が日本最大の展示会運営企業となっており、ドイツ系のハノーファー・メッセやフランクフルト・メッセの存在余地はない。

 こういう状況だから、METALEX は当然のことながら出展料(=小間代)も高く、機械部品の販売会社をバンコクで立ち上げた私は単独では出展することは不可能なので、非常に懇意にしていた日系の機械専門商社のスペースを借りて展示会に出展することとした次第。

 何事もやってみるものである。出展企業になって自社ブースのカウンターに立つということは、百聞は一見にしかずをはるかに超えるものがある。

 展示会は見学者としてみるだけでなく、出展企業として実際にブースに立って営業してみると、まったく異なるものが見えてくるものだ。もちろん商売第一だが、それに付随してさまざまな面白いことが観察できるし、実際に経験もできるわけだ。

 機械部品産業については、その業界の内部の人でないとあまり関心がないだろうから内輪ネタはここでは割愛して、もっぱらタイ人の行動パターンについて観察したことを書いてみることとする。

 まずブースの設営が展示会開始のギリギリまで終わらない。専門業者にまかせているのだが、前夜までに設営が終わってくれれば、こちらもたいへん安心できるのだが、なんせ追い込まれるまで本気になって動き出さないのがタイ人の特性である。日本人としてはハラハラさせられるが、なんとか間に合わせてしまう、というのもタイならではである。この仕事ぶりはなんだかイタリア人にも似ているような気がする。

 会期中にいきなり停電になって、終了時間まで30分をのこして終わりにしたこともある。国際展示場じゃなかったのか・・・何のアナウンスもなし、これもまたバンコクの現実である。

 設営はギリギリでなんとか間に合わせるが、展示会の日程が終了すると、ブースの展示スペースの飾りを手撤去するのはものすごい早くてスムーズである。一般的な不動産物件もそうだが、あっという間に更地にしてしまう早業にはいつも関心させられている。

 以上、タイ人の仕事ぶりの紹介でした。


展示会におけるコンパニオンについて

 展示会の観察者として、何といってもまず目につくのは、コンパニオンである。しかしコンパニオンのあり方が日本とは異なるようだ。

(漫才のような掛け合いでトークする二人組コンパニオン)

 ほぼ必ず女性二人がペアで配置されている。しかも、二人一組で掛け合い漫才のようなトークを行っている。展示企業の製品紹介を、観客を巻き込みながら掛け合いでしゃべりまくる、いやはやタイ人コンパニオンは関西系というか、しゃべくり系なのだ。

(コンパニオンのいない展示会はありえない)

もちろんきれいなコンパニオンが多いが、きれいなだけじゃコンパニオンはつとまらない。しゃべりが要求されるのである。コンパニオン目当てに来場するタイ人はもちろん多い。
 
 入場フォームに記入しさえすれば、基本的に入場無料なので、実にいろんな人たちが入場してくる。新製品を探しに来る人はもちろんのこと、社会科見学を兼ねてやってくる工業高校の学生、工場の制服をきたまま集団でやってくるワーカーたち、デート会場として活用しているカップル、軍人、お坊さん、などなど。近隣諸国からもエンジニアや調達担当者などが来ている。

(短期出家の多いタイではエンジニアのお坊さんもいる)

とくに産業用ロボットの前ではいつも人だかりで、食いいるような目つきで眺めているタイ人をみていると、なんだかそのナイーブさがほほえましいというか、好奇心の旺盛さには感心させられるものだ。これならタイもしばらくは工業国としてやっていけるだろう。

 展示会場にはフードコートが併設されており、リーズナブルな値段で昼食を食べることができるのはありがたい。またなんと足マッサージのコーナーがり、展示会ブースで立ちんぼ状態の出展者にとってはありがたい存在だ。私は一回も利用するヒマはなかったが、日本の展示会場にもあればなあ、というサービスである。

(これはありがたいフット・マッサージ)


ブースのカウンターからタイ人を定点観察

 何よりも最大の体験は、展示会の出展者企業として自社ブース(=小間)のカウンター越しにみるタイ人の顔が、いかにバラエティに富んだものであるかを知ったことだ。ブースのカウンターとは、いわば定点観測するポイントであった、ということである。

 ややエキゾチックな感のある、いかにもタイ人っぽい顔、東北タイであるイサーン人の顔、日本人とあまり変わらない華人系の顔、黒人のようなアフロヘア、真っ黒な顔のクメール系、ああタイという国はまことにもって多民族国家で、かつまた移民国家なのだなあ、と強く実感されるのである。

 日本人も雑種民族で顔のバラエティは、韓国人とくらべるとはるかに多様なのだが、タイ人はその比ではない。実際この目で見て納得したのは、まことにもって得難い経験であった。
 雑種民族である日本人が1000年かかったことを、タイはこの200年くらいで猛スピードでやっているといういいいかたも可能だろうか。

 中国革命の立役者であった孫文は、その主著である『三民主義』(安藤彦太郎訳、岩波文庫、1957)のなかで、「中国人はひとにぎりのバラバラな砂だ」(下巻 p.170)と嘆いている。これはおそらく、非常に関係の深かった日本人と対比しての発言だろうが、タイ人についても全般的にこの指摘はあてはまるようだ。

 タイ人も、多様性には富んでいるのは評価できるとして、その反面、個人個人のタイ人は砂のようにバラバラで凝縮力のない人々のあつまりだ。行動原理はきわめて個人主義的で、利害関係者のあいだのネットワーク社会をつうじた情報はきわめて早い。

 こんなタイ人だが、なぜか制服好きという特性があり、会社関係でもちょっと規模の大きな組織なら揃いのT-シャツを着ることをことのほか喜ぶ。会社に対する忠誠心というよりも、制服を着るという喜びなのではないか、と私は思うのだが。とはいえ、労務管理のテクニックとしては有効なものの一つではある。


「ナショナリズム」のおかげでタイは経済発展したが・・・

 タイは、東南アジアではもっともナショナリズムの形成に成功した国だという評価がある。

 フィリピンがなぜ経済成長にテイクオフできなかったか、その理由はフィリピンはナショナリズムの形成に成功しなかった、という説を主張する人もいるように、ナショナリズムはドイツでも、日本でも"後発資本主義国"がテイクオフするための必要条件であったことは、経済史における定説である。

 タイの場合は、多様な人々をまとめる求心力として働いてきたのは、カリスマ的な現国王ラーマ9世の存在であり、国民の圧倒的多数を占める上座仏教であり、外敵あるいは競争相手としての近隣諸国の存在であろう。この点にかんしては、一度も植民地になったことのないタイは、きわめてプライドの高い国民性であり、ときには増長した発言が多いのは困ったことではあるものの、国民として一つにまとまる瞬間であることもまた確かである。

 元首相のタクシンがクーデターで追放される以前の党名はタイ・ラック・タイ、すなわちタイ愛国党であったことは、かなり意味するところが大きい。

 この意味で、健全なナショナリズムが形成されたタイはある時点まではサクセス・ストーリーとして語られるものであったが、"黄色服組"と"赤服組"の対立が激化して沈静化の兆しのみえず、その先行きに懸念をもつのは私だけではあるまい。


2008年のリーマンショック以降のタイ経済

 さて、今年の出展企業は世界的な不景気の影響もあって、とくに工作機械メーカーの売り上げは激減したこともあり、主点企業数も出展スペースも減少しているのではないかと思うが、マーケティング手法としての展示会は、すでにタイの産業界では完全に定着しているといってよいだろう。

 私が先週バンコクにいってみたときの感じとしては、1997年の「アジア金融危機」後の壊滅状況にくらべれば、暗さは少ないのではないか、という印象であった。

 2009年のタイは、1997年のタイと比較して、間違いなく経済的な底力をつけた存在になっている。
 今後は中国とインドという政治経済大国の狭間でいかに生き抜いていくか、それが問われているといえよう。

 タイではしばらく仕事をするつもりはないが、遠くから見守っていくつもりだ。

 来年の今頃には、オンヌットから先まで BTS が延伸して BITEC まで簡単にいけるようになっているはずである。



* タイのあれこれ(21)につづく。次回もビジネス関連ネタ



                 
P.S. 2011年8月に BTSスクンビット線がバンナー以東に延伸(オンヌット⇔ベーリン、5.3km)して、バンコク市内中心分からそのまま乗り換えなしで BITEC 会場まで行けるようになった。なお、BITEC のより駅はバンナー(Bang Na)駅となる。現在は無料運航中。正式開業は 2012年1月の予定。(2011年9月27日)

参考:バンコク国際貿易展示場 BTSスクンビット線延長によりバンナー駅よりアクセス可能に


PS2 改行を増やして小見出しをつけ読みやすくした。また写真を大判に変更してキャプションをつけた。ただし、本文には手は加えていない。「"黄色服組"と"赤服組"の対立が激化して沈静化の兆しのみえず・・」と書いたが、国内分裂状態がいっこうに解決する見込みはない。 (2014年1月17日 記す)

                  



<ブログ内関連記事>          
     
タイのあれこれ (3)-新聞という活字メディア
・・タイの外資系(日系含む)ビジネスパーソンは英字新聞を読む

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・・タイ仏教とタイ人の思考法について

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)         

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い ・・タイ人と働く方法もわかる

(2014年2月1日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)








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