2009年12月17日木曜日

書評 『富の王国 ロスチャイルド』(池内 紀、東洋経済新報社、2008)-エッセイストでドイツ文学者による『物語 ロスチャイルド家の歴史』




エッセイストでドイツ文学者、池内 紀(いけうち・おさむ)による『物語 ロスチャイルド家の歴史』

 ロスチャイルド家をテーマにした本は、日本ではトンデモ本も含めて多数出版されているが、本書はその中では比較的まともな内容のものといえるだろう。

 文体も、池内紀らしく平易でしかも含蓄に富むものだし、なんといっても、カフカなどユダヤ系のドイツ語作家の作品を中心に日本語訳してきた実績と知識の蓄積が背景にある。

さすが、『池内紀の仕事場 2 <ユダヤ人>という存在』(みすず書房、2005)にまとめられたような文章を書いてきた人である。十数年あたためてきたテーマというのも頷ける話だ。

 小国分立していた統一以前の18世紀後半のドイツで、ヘッセン王国の首都フランクフルトの両替商から出発したファミリーが、7代目の現在に至るまで絶えることなく富を形成、蓄積し、繁栄し続けていう事実。

 「創業は易し、守成は難し」とはよくいわれるが、同時代の宮廷ユダヤ人"ユダヤ人ジュース" ことヨーゼフ・ズュース・オッペンハイマーが、ヴュルテンべルク大公の死後後ろ盾を失い、財産没収され処刑もされた事実を考えると、創業時の基礎作りがきわめて巧みであったことがわかる。創業者が5人の息子たちをヨーロッパ各地の主要都市に配置して、ビジネスチャンス拡大とともにリスク分散を図ったのはきわめて賢明であったといえよう。

 もちろんこの背景には、激動する19世紀ヨーロッパの市民社会でユダヤ人がゲットーから"解放"され、ビジネスが「情報」を中心に動くようになったという状況も大いに働いている。

 このような時代背景のなか、創業者のきめた基本原則に忠実に従って「守成」を行い、しかしながら時代の荒波を乗り越える際には大胆な「攻め」もいとわない姿勢には、「変わらないためには、変わらなければならない」という、ヴィスコンティ監督の名作『山猫』のセリフも思い出される。
 
 これだけだと、ありきたりのロスチャイルドもので終わってしまうが、この本が類書と違うのは、「富の形成」と「富の蓄積」だけでなく、「富の使い方」に多くのページを割いていることだ。

 ユダヤ人の伝統に従い、フィランソロピー(=慈善行為)にカネを惜しまない姿勢が、結果として、民族としては少数派であるユダヤ人である一族の繁栄を守ってきたことにもつながったことは重要だろう。もちろん事業経営上のパブリシティ目的もあるが、陰徳に徹した慈善行為も非常に多い。20世紀の激動を乗り切って、なお目立たず繁栄を続ける一族の秘密の一端がここにありそうだ。

 本当はすごいけど目立たないように生きる、という生き方。なんだか著者が、『二列目の人生-隠れた異才たち-』(集英社文庫、2008)で取り上げた日本人たちにも似ていなくもない。

 もちろんロスチャイルドの場合は、資産規模はケタ違いではあるが・・・・

 "愛と革命の詩人"ハイネとパリ・ロスチャイルド家とのかかわり、イスラエル(パレスチナ)へユダヤ人農民の入植支援とワイン作りへの貢献、ボルドーワインの「シャトー・ムートン・ロチルド」や「シャトー・ラフィット・ロチルド」から、カリフォリニア・ワインのロバート・モンダヴィとの合弁の成果である「オーパス・ワン」の話まで、ビジネス書では登場しにくいエピソードもふんだんにちりばめられている。
  
 池内 紀による「物語 ロスチャイルド家の歴史」と読むのも良し、あるいはビジネスパーソンのための教養本として読むも良し。

 マンガ家・しりあがり寿による表紙イラストが、かわいらしい。


■bk1書評「エッセイストでドイツ文学者、池内 紀(いけうち・おさむ)による『物語 ロスチャイルド家の歴史』』投稿掲載(2009年12月16日) 
■amazon書評「エッセイストでドイツ文学者、池内 紀(いけうち・おさむ)による『物語 ロスチャイルド家の歴史』』投稿掲載(2009年12月16日) 






<書評への付記 (1)-ロスチャイルド家誕生の背景>

 『エッセイストでドイツ文学者、池内 紀(いけうち・おさむ)による『物語 ロスチャイルド家の歴史』というタイトルにしたのは、池内紀のエッセイを読んだことがある人なら、中身もおおよそ予想できるだろうという含みである。

 書評でも一言触れているが、日本ではあまりにもロスチャイルド関連の"トンデモ本"が多すぎる。一言でいえば、陰謀史観に基づいた、世界を支配する金融帝国、といった類の本である。

 世界を支配するのはロスチャイルドかロックフェラーか、このようなモチーフによる陰謀史観は、もちろん日本だけでなく、ナチス・ドイツの反ユダヤ宣伝以来のものであるが、日本語で流布している話は大半が英語圏で流通している話の焼き直しに過ぎない。

 広瀬隆の『赤い楯 上下-ロスチャイルドの謎-』(集英社、1991 現在は文庫版で4冊 1996)は系図をもとにしたロスチャイルド一族の金融支配をテーマにした大冊で、出版当時はベストセラーになったと記憶している。もちろん私も全ページ読破している。

 しかし、ロスチャイルドのドイツ語読みロート・シルトRot Schild)は、広瀬隆がいうような「赤い楯」ではなく、池内紀が正しく訳しているように、「赤い看板」あるいは「赤い標識」という意味である。

 ドイツ語の Schild には楯(英語だと Shield)という意味もあるが、当時の金貸し業者が掲げることを命じられていた「赤い看板」をさしていると考えるのが歴史的にみても穏当だろう。

 広瀬隆のライフワークである系図をもとにした陰謀史観は読めば面白いのだが、それをもってロスチャイルド一族が一糸乱れず歩調をあわせて支配力を行使していると考えるのは、少し妄想が過ぎるのではないかと思うのは私だけではないはずだ。

 株式の所有構造(Owenership Structure)ですべてを説明するのは、やや無理があるといわざるをえないし、何か究極的な最終的意志決定者である支配者を想定するのも無理があるのではないか。


ロスチャイルド家誕生の歴史的背景

 書評を補足する意味で、ロスチャイルド家誕生の背景について少し書いておく。

 ロスチャイルド(ドイツ語ではロートシルト、フランス語読みではロチルド)家の実質上の出発点は、フランクフルトの両替商で金貸しのマイヤー・アムシェル・ロートシルト(Mayer Amschel Rothschild)である。1744年に生まれ、1812年に68歳で没したから、当時としてもかなり長命だったといえよう。

 フランクフルトでユダヤ人がゲットー(・・正確にいうとユダヤ人居住区)から解放され、居住地選択の自由が認められたのは1796年、フランス革命後のフランス国民軍によってフランクフルトが武力占領され、ゲットーが破壊された結果である。

 フランス革命精神である「自由・平等・兄弟愛」に基づくものというよりも、ユダヤ人に課税するのが目的だったようだ。金融業でためこんだカネを目当てにしたわけである。

 フランス革命当時のドイツは、ゲーテの時代であり、ベートーヴェンの時代であり、ヘーゲルの時代でもあったわけだが、ドイツは1872年にプロイセン王国によってドイツ帝国として統一されるまで、神聖ローマ帝国が分裂してできた小国が分立していたのである。フランクフルト出身のゲーテはワイマール公国の宰相であり、そのフランクフルトはヘッセン王国の首都であった。

 小国が分立していた当時のドイツには統一通貨がなく、両替商が儲かっていたわけだ。両替商が金貸しになり、さらには財務アドバイザー、そして近代的なマーチャント・バンクへと進化を遂げていくことになる。

 ほぼ同じ時代にヴュルテンベルク公国(・・南ドイツのバイエルン王国の隣国)で辣腕をふるったのが、いわゆる"ユダヤ人ジュス"(Jud Süß)である。本名は、ヨーゼフ・ジュース・オッペンハイマー(1698–1738)で、正確にはマイヤー・アムシェル・ロートシルトが生まれる前の人物だが、ヴュルテンべルク大公の絶大な信頼を得た、現代風にいえば政商で、大公の死後後ろ盾を失い、財産没収され処刑もされている。ユダヤ人に対する反感がまだまだ強かったわけである。こういう時代層があったことを知っておく必要がある。マイヤー・アムシェルは間違いなく他山の石としたはずである。

 "ユダヤ人ジュス"については、池内紀の『池内紀の仕事場 2 <ユダヤ人>という存在』(みすず書房、2005)に収録された「大公の私設顧問」で触れられている。なお、この人物を主人公にした、ナチスの「反ユダヤ主義」宣伝映画『ユダヤ人ジュス』(1940年ドイツ) は、10分割にて YouTube にアップされている(・・音声はドイツ語字幕なし)。ナチスの宣伝映画の1つとして参考になろう。

 ロスチャイルド家が、ナポレオン戦争を契機に一気に一族の事業を軌道に乗せたことはよく知られているので省略する。本書を読んでもらうのが急がば回れである。

 池内紀が本書の冒頭でふれている、フランクフルトのユダヤ博物館」は、もともと五代目で断絶したフランクフルト・ロスチャイルド家の邸宅を改造してミュージアムにしたものらしい。

 私も一度訪れたことがあるが、とくにヨーロッパのユダヤ人の歴史をしるためには実にすぐれたミュージアムであることを記しておく。フランクフルト駅前のいかがわしい喧噪を離れ、また大陸欧州の金融中心都市フランクフルトのビルディング街を離れたマイン川沿いにある美しい建築物である。

映画 『ユダヤ人ジュス』全編93分は YouTubeにて視聴可能 ドイツ語に英語字幕)
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=cjmfMAPtj2c


<書評への付記 (2)-ロスチャイルドとワインの話->

 さて、ロスチャイルドといえばいまでは何といってもボルドー・ワインで著名である。ボルドー・ワインについては、このブログで『ボルドー・バブル崩壊-高騰する「液体資産」の行方-』 (山本明彦、講談社+α新書、2009)の書評を掲載しているので、ご興味があれば参照していただきたい。

 もっとも、私自身はムートンラフィットなんか飲める身分ではないが、カリフォルニアのロバート・モンダヴィ(Robert Mondavi)とロスチャイルドの合弁である「オーパス・ワン」(Opus One)なら、ごくたまにだが飲めないこともない。カリフォリニア・ワインとは思えぬコクの深さ。値段は2万円台だが、間違いなく価格以上の価値のある、素晴らしい赤ワインである。

 ロスチャイルド家の実態は、外部の人間には正直いってよくわからないが、名前のもつブランド力に関しては実体以上の価値があるといっても間違いではないだろう。

 趣味で始めたワイナリー経営が、地道に腰を据えて取り組んだ結果、マーケティング戦略の巧みさとあいまって高級ワインとしての位置を揺るぐことなく維持し続けている、という事実。

 名前のもつチカラが、実体の裏付けをあわせもつからこそ、ワインの世界でも君臨しているわけだ。

 いずれにせよ7世代にわたって一族の繁栄が続いているという事実は、特筆に値するといわざるをえない。




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PS 改行を増やし読みやすくした。ただし文章にはいっさい手をいれていない。<ブログ内関連記事>をつけくわえた(2013年9月18日 記す)



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