■柔軟でバランスのとれた内容の、元スイス大使による「卒業論文」としてのスイス案内■
『スイス探訪 ー したたかなスイス人のしなやかな生き方』(國松孝次、角川文庫、2006)は、元スイス大使の著者による「卒業論文」としてのスイス案内。
いまから15年前に起こった「オウム事件」では、スナイパーに狙撃され重傷を負いながらも一命を取りとめた、当時の警察庁長官その人である。
この人をスイス大使に起用した慧眼はまさに感服するし、それを受けた本人の意志決定も賞賛に値する。著者は1999年から2002年までの3年間スイスに滞在した。
日本語でスイスを語るのに國松孝次氏をもったことは、スイス人にとってはともかく、日本人にとってはたいへん幸いなことであった。この理由はこの本の目次を見れば理解できるだろう。この本は観光客向けのガイドではないし、スイスの礼賛本でも、批判本でもない。あくまでも日本人にとって参考となるスイスのさまざまな側面について、日本ではあまり知られていない話を中心に取り上げた、実に興味深い読み物となっている。
国内治安問題の責任者として警察庁トップのポジションにあったためだろう、スイスの治安のよさの理由を徹底的に究明しているだけでなく、職業柄公平な立場で徹底的な調査を行っており、何事も取り組み始めたら徹底的にやらないと気が済まないというスイス的な特性を、著者の國松氏自身もも発揮していることがうかがわれる。目次には直接でてこないが、国際的中立の意味と、直接民主制の意味がキーワードとして随所に語られている。
著者によれば、スイス人が自らのアイデンティティを示す表現には3つあるという。すなわち、「スイスは小国」、「スイスは島国」、そして「我々はプラグマティック」。最初の2つは、いずれも枕詞であるので、「・・・にもかかわらず」という表現が続く。人口730万人のスイスはたしかに小国であるし、山岳国家でまわりをEU諸国に囲まれたスイスは、さながら陸の孤島のようでもある。
最後の3つめの「プラグマティック」は、これは文字通り彼らが好きな表現であるらしい。たしかに実利を重んじる彼らがEUに加盟しないのは、それが意味がないからであり、ましてや通貨統合など無意味以外の何者でもないようだ。
実利優先も行き過ぎると何かと物議もかもすようであるが、ナチスドイツとの関係やユダヤ人資産など過去の問題にもフタをせず、徹底究明を行っていることは評価すべき点だろう。ここらへんは何事もあいまいに済ませる日本人とは大違いである。
と、ここまでスイス、スイス人と一般化した表現を使ってきたが、著者もいうように、スイスにはスイス人はいない、いるのはジュネーブ人であり、バーゼル人であり、個々の共同体(=ビュルガーゲマインデ)に帰属意識をもつ市民だけだ、というのが現実らしい。共同体がアイデティティの基盤というのは「地域主義」のことであるが、これはある意味では「閉鎖性」の象徴でもある。
一方では、人口の2割が在住外国人であり、また国民の1割近くが海外に在住するという「国際性」という特徴もある。「閉鎖性」か「国際性」か、どの側面から見るかでスイス人の特性がまったく異なって見えてくるのも、スイスを複雑に見せている路優の一つだと著者は分析している。
国民投票による直接民主制を堅持するスイスには、実はプロの政治家はいっさい存在しない。みな他に職業をもっており、連邦レベルでも政治は奉仕活動なのだそうだ。地方自治という点からも、現在の名古屋市長が主導する「庶民革命」への応援歌になるかもしれない。
スイスは決してそのまま日本のモデルになることはないが、似たような状況にある国家として、相違点には十分に気を配りながらも、少なくとも参考としてとらえるべき国であることは間違いない。
柔軟で、バランスのとれた内容のこの本は、スイスの現実についても一方的な礼賛も一方的な批判でもなく、問題は問題として分析し、その上できちんと理解しようという姿勢で一貫している。
ぜひ一読を薦めたい。
<初出情報>
■bk1書評「柔軟でバランスのとれた内容の、元スイス大使による「卒業論文」としてのスイス案内」投稿掲載(2002年2月28日)
<書評への付記>
この本は、実は2006年の角川文庫版で読んだが、残念ながら文庫版は現在品切れ状態になっているので、単行本を挙げておくこととする。文庫版の解説は、ドイツ文学者の池内紀が書いており、なかなか味のあるエッセイとなっているので、むしろ文庫版のほうを薦めたいところなのだが。
■未解決のまま迷宮入りしている「警視庁長官狙撃事件」など
いまから15年前のオウム真理教(当時)による一連の「ハルマゲドン」犯罪事件の捜査を警察庁のトップとして陣頭指揮をとっていたのが、本書の著者である國松孝次氏であった。
オウム真理教は、自らハマっていった「宗教的終末論のワナ」によって自縄自縛状態となり、ついには自らテロを行うことによって、ハルマゲドン到来を早めようとしたのであるが、この件については、ブログに書いた「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009)を読む、に触れているので参考まで。
いい機会なので、オウム真理教による国内テロ事件をこの場で振り返っておくこととしよう。
時系列でみれば、1989年11月の「坂本弁護士一家殺害事件」から始まり(・・この時点ではオウム真理教の犯罪とは判明していなかった)、1994年6月の「松本サリン事件」あたりからだんだんオウム真理教犯人説が優勢になってきた。そして、阪神大震災で日本全体に「ハルマゲドン」(終末論)感覚が蔓延しはじめた頃、1995年2月28日に「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」が発生、世の中でオウム真理教の疑惑が非常に高まってきた頃、3月20日には「地下鉄サリン事件」が発生している。
当時、地下鉄丸ノ内線を使って通勤していた私は、自分が乗っていた地下鉄車輌が、なぜか霞ヶ関駅に停車せずそのまま通過したという体験をしている。すわ爆弾テロか?と咄嗟にアタマに浮かんだが、会社に着いて知ったのは、爆弾テロどころではない、猛毒性のサリンガスが撒かれたという、たいへんショッキングな事態であったのだ。ちなみにこの頃、殺人と書いて韓国語でサリンと読むということが話題にもなった。サリンガスとは、だから韓国語では殺人ガスのことである。
そして3月30日に南千住の自宅マンションを出た國松長官がスナイパーによって狙撃されるという前代未聞のテロ事件(・・「警察庁長官狙撃事件」)が発生、現役の警察トップが狙撃されるという事件で、世の中に衝撃が走ったことは鮮明に記憶している。SPが護衛していたにかかわらず、狙いすまして4発中3発を命中させたスナイパーはいったい誰だったのか。
そして5月16日に山梨県の上九一色村のサティアンへの強制捜査によって麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕されて、一連のテロは収束するにいたった。しかし、現在にいたるまで、完全に解決した事件とはなっていない。警察庁の見解は、次のサイトオウム真理教 反社会的な本質とその実態(警察庁)に掲載されているので参照されたい。
オウム真理教にかんしては、私の出身高校の先輩にあたる、ジャーナリスト江川紹子さんが、オウム真理教の追跡取材を行うなかで、マンションの自室をガス攻撃されるなど、大変な状況にあったことも記憶に新しい。
1995年は「平和ボケ日本」に衝撃を与えた年となった。この年から、本格的に国民意識が変化を始めたのである。「正常化」の始まった年としても記憶されるべきである。
国内治安の責任者として、日本史上最大の国内テロ事件に巻き込まれた当事者である國松氏が、他のどの国でもなく、スイスの特命全権大使として起用されたという事実そのものが、スイスにとっても日本にとっても、大きなメッセージとなったことはいうまでもないだろう。詳しい経緯については知らないし、真相についても知らないが、メッセージは確実に伝わっているはずである。
本書には一般的な話だけで(・・これだけでも十分に興味深く楽しめる)、当然のことながら機密事項についてはいっさい触れられていないが、スイスでの情報収集にあたってさまざまな便宜が測られたことは想像に難くない。
したがって、われわれとしては、本書『スイス探訪』は日本人への貴重な贈り物である、と受け取るべきなのだ。奥様によって描かれた美しい水彩画が、表紙画も含めて何枚も挿入されており、いっけんやわらかい印象を受ける本であるが、中身はかなり充実した本質に迫った内容になっていることを明記しておきたい。
この10年のあいだに出版された、スイスについての本で、日本人が執筆したに限定すれば、本書『スイス探訪』をイチオシとして薦めたいと考えている。
ところで、冒頭に収められた「ウイリアム・テルを知っていますか」に書いている内容は、私の世代の人間にとっては驚き以外の何者でもない。30歳台以下の人たちは「ウィリアム・テルの有名なリンゴの話」を知らないというのだから・・・その理由が教科書に載ってないからだ、というのは二重の意味で驚きだ。
ウィリアム・テルの話は史実ではないようだが、といってもこういう話が教科書から消えて、日本人の世代を越えた共通の話題がなくなっていることは由々しき事態ではないだろうか。この国はいったい全体、どうなってしまっているのか?
P.S. 政治のプロはいらないという名古屋市長の「庶民革命」
「国民投票」(レファレンダム)による「直接民主制」を堅持するスイスは、民主主義をもっとも原理的に実行している国であるが、代議制にかんしても、政治家はみな本業と兼任ですべてアマチュアであるというのは興味深い。
国会議員をやめて、名古屋市長となった河村たかし氏は、私にとっては大学の先輩にあたる人だが、非常にキャラの起っている河村氏が主導する「庶民革命」は、まさにスイスの民主主義とよく似たことをしようとしているに思われる。
スイスの共同体(ビュルガーゲマインデ)とまではいかないものの、比較的狭い地域で郷土意識の強い名古屋は、もともと市民による自治意識の高い土地柄だと聞いている。
「庶民革命」をまず名古屋からというのは、案外と正しい戦略かもしれない。もちろん、河村たかし氏本人が名古屋市出身ということも大きな理由ではあろうが。
名古屋なら成功する可能性も高そうだ。
PS2 写真を大判に取り替え、あらたに「ブログ内関連記事」を加えた。本文には手は入れていない。(2016年6月28日 記す)
<ブログ内関連記事>
「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために
・・このブログに書いたスイス関連の記事をリンク集としてまとめてあるので参照していただきたい
(2016年6月28日 項目新設)
この人をスイス大使に起用した慧眼はまさに感服するし、それを受けた本人の意志決定も賞賛に値する。著者は1999年から2002年までの3年間スイスに滞在した。
日本語でスイスを語るのに國松孝次氏をもったことは、スイス人にとってはともかく、日本人にとってはたいへん幸いなことであった。この理由はこの本の目次を見れば理解できるだろう。この本は観光客向けのガイドではないし、スイスの礼賛本でも、批判本でもない。あくまでも日本人にとって参考となるスイスのさまざまな側面について、日本ではあまり知られていない話を中心に取り上げた、実に興味深い読み物となっている。
第1章 歴史の刻印
・・ウイリアム・テルを知っていますか、ハプスブルク家、ジャン・ジャック・ルソー、傭兵物語、ナポレオン、第二次世界大戦とスイス、国連加盟
第2章 アイデンティティの在処
・・民兵制度、民間防衛、共同体-ビュルガーゲマインデ-
第3章 深き懐
・・スイス人とカネ、ジョーク、祭り、名物、多言語国家、外国人、有島武郎とティルダ・ヘック、在留邦人
国内治安問題の責任者として警察庁トップのポジションにあったためだろう、スイスの治安のよさの理由を徹底的に究明しているだけでなく、職業柄公平な立場で徹底的な調査を行っており、何事も取り組み始めたら徹底的にやらないと気が済まないというスイス的な特性を、著者の國松氏自身もも発揮していることがうかがわれる。目次には直接でてこないが、国際的中立の意味と、直接民主制の意味がキーワードとして随所に語られている。
著者によれば、スイス人が自らのアイデンティティを示す表現には3つあるという。すなわち、「スイスは小国」、「スイスは島国」、そして「我々はプラグマティック」。最初の2つは、いずれも枕詞であるので、「・・・にもかかわらず」という表現が続く。人口730万人のスイスはたしかに小国であるし、山岳国家でまわりをEU諸国に囲まれたスイスは、さながら陸の孤島のようでもある。
最後の3つめの「プラグマティック」は、これは文字通り彼らが好きな表現であるらしい。たしかに実利を重んじる彼らがEUに加盟しないのは、それが意味がないからであり、ましてや通貨統合など無意味以外の何者でもないようだ。
実利優先も行き過ぎると何かと物議もかもすようであるが、ナチスドイツとの関係やユダヤ人資産など過去の問題にもフタをせず、徹底究明を行っていることは評価すべき点だろう。ここらへんは何事もあいまいに済ませる日本人とは大違いである。
と、ここまでスイス、スイス人と一般化した表現を使ってきたが、著者もいうように、スイスにはスイス人はいない、いるのはジュネーブ人であり、バーゼル人であり、個々の共同体(=ビュルガーゲマインデ)に帰属意識をもつ市民だけだ、というのが現実らしい。共同体がアイデティティの基盤というのは「地域主義」のことであるが、これはある意味では「閉鎖性」の象徴でもある。
一方では、人口の2割が在住外国人であり、また国民の1割近くが海外に在住するという「国際性」という特徴もある。「閉鎖性」か「国際性」か、どの側面から見るかでスイス人の特性がまったく異なって見えてくるのも、スイスを複雑に見せている路優の一つだと著者は分析している。
国民投票による直接民主制を堅持するスイスには、実はプロの政治家はいっさい存在しない。みな他に職業をもっており、連邦レベルでも政治は奉仕活動なのだそうだ。地方自治という点からも、現在の名古屋市長が主導する「庶民革命」への応援歌になるかもしれない。
スイスは決してそのまま日本のモデルになることはないが、似たような状況にある国家として、相違点には十分に気を配りながらも、少なくとも参考としてとらえるべき国であることは間違いない。
柔軟で、バランスのとれた内容のこの本は、スイスの現実についても一方的な礼賛も一方的な批判でもなく、問題は問題として分析し、その上できちんと理解しようという姿勢で一貫している。
ぜひ一読を薦めたい。
<初出情報>
■bk1書評「柔軟でバランスのとれた内容の、元スイス大使による「卒業論文」としてのスイス案内」投稿掲載(2002年2月28日)
<書評への付記>
この本は、実は2006年の角川文庫版で読んだが、残念ながら文庫版は現在品切れ状態になっているので、単行本を挙げておくこととする。文庫版の解説は、ドイツ文学者の池内紀が書いており、なかなか味のあるエッセイとなっているので、むしろ文庫版のほうを薦めたいところなのだが。
■未解決のまま迷宮入りしている「警視庁長官狙撃事件」など
いまから15年前のオウム真理教(当時)による一連の「ハルマゲドン」犯罪事件の捜査を警察庁のトップとして陣頭指揮をとっていたのが、本書の著者である國松孝次氏であった。
オウム真理教は、自らハマっていった「宗教的終末論のワナ」によって自縄自縛状態となり、ついには自らテロを行うことによって、ハルマゲドン到来を早めようとしたのであるが、この件については、ブログに書いた「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009)を読む、に触れているので参考まで。
いい機会なので、オウム真理教による国内テロ事件をこの場で振り返っておくこととしよう。
時系列でみれば、1989年11月の「坂本弁護士一家殺害事件」から始まり(・・この時点ではオウム真理教の犯罪とは判明していなかった)、1994年6月の「松本サリン事件」あたりからだんだんオウム真理教犯人説が優勢になってきた。そして、阪神大震災で日本全体に「ハルマゲドン」(終末論)感覚が蔓延しはじめた頃、1995年2月28日に「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」が発生、世の中でオウム真理教の疑惑が非常に高まってきた頃、3月20日には「地下鉄サリン事件」が発生している。
当時、地下鉄丸ノ内線を使って通勤していた私は、自分が乗っていた地下鉄車輌が、なぜか霞ヶ関駅に停車せずそのまま通過したという体験をしている。すわ爆弾テロか?と咄嗟にアタマに浮かんだが、会社に着いて知ったのは、爆弾テロどころではない、猛毒性のサリンガスが撒かれたという、たいへんショッキングな事態であったのだ。ちなみにこの頃、殺人と書いて韓国語でサリンと読むということが話題にもなった。サリンガスとは、だから韓国語では殺人ガスのことである。
そして3月30日に南千住の自宅マンションを出た國松長官がスナイパーによって狙撃されるという前代未聞のテロ事件(・・「警察庁長官狙撃事件」)が発生、現役の警察トップが狙撃されるという事件で、世の中に衝撃が走ったことは鮮明に記憶している。SPが護衛していたにかかわらず、狙いすまして4発中3発を命中させたスナイパーはいったい誰だったのか。
そして5月16日に山梨県の上九一色村のサティアンへの強制捜査によって麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕されて、一連のテロは収束するにいたった。しかし、現在にいたるまで、完全に解決した事件とはなっていない。警察庁の見解は、次のサイトオウム真理教 反社会的な本質とその実態(警察庁)に掲載されているので参照されたい。
オウム真理教にかんしては、私の出身高校の先輩にあたる、ジャーナリスト江川紹子さんが、オウム真理教の追跡取材を行うなかで、マンションの自室をガス攻撃されるなど、大変な状況にあったことも記憶に新しい。
1995年は「平和ボケ日本」に衝撃を与えた年となった。この年から、本格的に国民意識が変化を始めたのである。「正常化」の始まった年としても記憶されるべきである。
国内治安の責任者として、日本史上最大の国内テロ事件に巻き込まれた当事者である國松氏が、他のどの国でもなく、スイスの特命全権大使として起用されたという事実そのものが、スイスにとっても日本にとっても、大きなメッセージとなったことはいうまでもないだろう。詳しい経緯については知らないし、真相についても知らないが、メッセージは確実に伝わっているはずである。
本書には一般的な話だけで(・・これだけでも十分に興味深く楽しめる)、当然のことながら機密事項についてはいっさい触れられていないが、スイスでの情報収集にあたってさまざまな便宜が測られたことは想像に難くない。
したがって、われわれとしては、本書『スイス探訪』は日本人への貴重な贈り物である、と受け取るべきなのだ。奥様によって描かれた美しい水彩画が、表紙画も含めて何枚も挿入されており、いっけんやわらかい印象を受ける本であるが、中身はかなり充実した本質に迫った内容になっていることを明記しておきたい。
この10年のあいだに出版された、スイスについての本で、日本人が執筆したに限定すれば、本書『スイス探訪』をイチオシとして薦めたいと考えている。
ところで、冒頭に収められた「ウイリアム・テルを知っていますか」に書いている内容は、私の世代の人間にとっては驚き以外の何者でもない。30歳台以下の人たちは「ウィリアム・テルの有名なリンゴの話」を知らないというのだから・・・その理由が教科書に載ってないからだ、というのは二重の意味で驚きだ。
ウィリアム・テルの話は史実ではないようだが、といってもこういう話が教科書から消えて、日本人の世代を越えた共通の話題がなくなっていることは由々しき事態ではないだろうか。この国はいったい全体、どうなってしまっているのか?
P.S. 政治のプロはいらないという名古屋市長の「庶民革命」
「国民投票」(レファレンダム)による「直接民主制」を堅持するスイスは、民主主義をもっとも原理的に実行している国であるが、代議制にかんしても、政治家はみな本業と兼任ですべてアマチュアであるというのは興味深い。
国会議員をやめて、名古屋市長となった河村たかし氏は、私にとっては大学の先輩にあたる人だが、非常にキャラの起っている河村氏が主導する「庶民革命」は、まさにスイスの民主主義とよく似たことをしようとしているに思われる。
スイスの共同体(ビュルガーゲマインデ)とまではいかないものの、比較的狭い地域で郷土意識の強い名古屋は、もともと市民による自治意識の高い土地柄だと聞いている。
「庶民革命」をまず名古屋からというのは、案外と正しい戦略かもしれない。もちろん、河村たかし氏本人が名古屋市出身ということも大きな理由ではあろうが。
名古屋なら成功する可能性も高そうだ。
PS2 写真を大判に取り替え、あらたに「ブログ内関連記事」を加えた。本文には手は入れていない。(2016年6月28日 記す)
<ブログ内関連記事>
「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために
・・このブログに書いたスイス関連の記事をリンク集としてまとめてあるので参照していただきたい
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end