それにしても今回のミャンマーは、最初から最後まで猫だらけであった。
以前このブログで、タイのあれこれ (10) シャム猫なんて見たことない・・・に書いたことだが、タイでは不思議なことに犬は腐るほど転がっているのに(・・それでも以前に比べたら減っているのは、保健所に連れ去られてしまったのか)、猫はほとんど見たことがないのだ。農村地帯は知らないが、少なくともバンコク市内では滅多に猫を見たことがない。
それに比べるとミャンマーでは、地方でも首都のヤンゴンでもやたら猫、猫、猫・・・である。といって犬を見ないわけではない。バンコクと同様、ヤンゴンでも犬はあちこちに転がっている。しかし、犬と同じくらい猫がいるのだ。
ニャンともミャンともいえないが、やはりミャンマーだけにミャンが多いのか。今回のタイトルは「ニャンともいえないミャンマー」なんてものにしてもよかったくらいなのだ。
そして、ミャンマー語をあまり知らない私には、やたらミャーとかミョー、ニャンとかニャーという音が多いように感じるのだ。このことをビルマ語に堪能な友人にいったところ、いわれてみればそうかもしれない、という返答が返ってきた。
『フィンランド語は猫の言葉』(稲垣美晴、猫の言葉社、2008)という本があるが、私にはミャンマー語(ビルマ語)こそ猫語そのものに思えるのである。
タイ語と違ってミャンマー語(ビルマ語)は、語順が日本語と同じである。ビルマ語は、ビルマ=チベット語族に分類されており、チベット高原のほうから南下してきたらしい。チベット人も日本人とよくにた顔つきしているし、ミャンマー人も日本人とよく似た顔つきしている。
このことと、ミャンマーで猫をやたら見ることとは、あまり関係ないかもしれないが・・・
さて、インレー湖の案内をつづけなくてはならない。半日ないし一日ボートツアーで絶対に訪れるのが、ファウンドーウー・パヤーという上座仏教特有のキンキラの水上僧院があるが(右写真)、これについては地元インダー族の信仰はきわめて篤いものの、仏教徒であるといっても外国人である日本人にとっては、正直いって「ああそうですか」という感想がせいぜいのところである。もちろん私と異なる感想をもつ方もいると思うが、独断と偏見で省略させていただこう。
日本人も含めて外国人観光客にとって面白いのは、ニャンといってもガーペー僧院だ。別名ジャンピング・キャッツ僧院(Jumping Cats Monastery)ともいわれており、バックパッカー必携の Lonely Planet にもそう紹介されている。ジャンピング・キャッツ、すなわち飛び猫僧院である。
この僧院も、インダー族特有の水上の木造建築物で、屋外で大理石を敷き詰めたパゴダが一般的なミャンマーにおいては、たいへん親しみやすい僧院である。Lonely Planet Myanmar (Burma) の記述によれば(・・『地球の歩き方』は解説が少なすぎるのは問題)、ミャンマー中部のかつての王都マンダレーの王宮が建設される4年前のことだというから、すでに160年ちかくたっているということになる。いろんな様式の仏像が鎮座している。
だが、ミャンマー人も含めて、にゃんといってもお目当ては飛び猫である。この僧院にはたくさん猫が飼われていて、それぞれの猫が定位置にうずくまっている。
本来はお坊さん自身がでてくるようなのだが、観光化してしまっているためだろうか、時折女性がでてきて、猫をけしかけては、ジャンプさせて輪っかをくぐらせていた。よく訓練されているが、猫もなかなかいうことをきかないので、たまにその気になって猫がジャンプして輪っかをくぐると歓声ががあがる。輪っかをジャンプしてくぐった猫にはご褒美が与えられる、そういう構図である。
猫がジャンプして輪っかをくぐる瞬間を写真に撮るのは実に難しい。あまりうまく獲れてないが、一枚だけ掲載しておこう。飛び猫をみるためにだけでも、ミャンマーにいく価値はある(かな?)。
今回のタイトルは「ミャン猫の眼は青かった」、それはいったいニャンですか? といわれそうだが、ミャン猫というのは私が勝手にいってる造語で、ミャンマーの猫の意味。タイの高級な猫にシャム猫があるが(・・私はタイにいながら一回もタイでシャム猫をみたことがないのだが)、ミャンマーには特別な猫はいないようだ。ビル猫なんて聞いたこともないし(・・ビルディング猫じゃなくてビルマ猫)、ミャン猫というのも聞いたことはない。ここでは一般名詞として、ミャンマーにいる猫の総称として使います。
ミャンマーの猫も本当にバラエティ豊かで、クロ猫からシマ猫、トラ猫からブチ猫まで多種多様である。
ガーペー僧院に住み着いている猫もさまざまだが、僧院には子猫三匹がいて、これがまたすっごく可愛かった。冒頭に掲載した写真はそのなかの一匹、よ~く見ていただきたいが眼が青い! シャム猫と同じである。ガラス玉のような青さである。
もちろん日本の猫と同じような眼をした猫が多いが、ここまで青い眼の猫を見るのも珍しい。ターコイル・ブルーである。
この子猫、「なめんなよー」(・・わっかるかなー?)、といっているような表情だ。子猫といえ、猫は猫である。
ちょっと話を先取りするが、インレー湖からヤンゴンに戻ってからも、なぜか猫尽くしで、猫猫三昧の日々なのであった。
本来の目的である友人の結婚式会場となっている、僧院付属の孤児院のあるヤンゴン市内の郊外にいくと、そこらじゅうに犬や猫がいるのだ。犬と猫と人間の共生、いやいや美しい光景である。
ではここで、上座仏教の「慈悲の瞑想」を唱えてみましょうか。音声ファイルはここから。上座仏教国スリランカ出身のスマナサーラ長老によるもの。この件については、ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009 参照(「生きとし生けるもの・・・」だけここに掲載しておく)。
生きとし生けるものが 幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみが なくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが 叶えられますように
生きとし生けるものにも 悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが 幸せでありますように(3回)
東南アジアの風土には、上座仏教がしっくり来るものだ。
猫は稲作地帯には必ずセットでいるらしい。日本の場合も、コメを食うネズミを退治するために、大陸から弥生人が連れてきたといわれている。稲作地帯のミャンマーにも猫が多いのは同じ理由だろう。
それにしても不思議なのは、猫はどこの国にいっても猫である、ということだ。少なくとも東南アジアであれば、猫はまったくもって猫であって、日本の猫もタイの猫もミャンマーの猫も、ほとんど違いがない。
猫は人間とちがって国境がない、といってしまっていいのだろうか。
夜のヤンゴンの中華街で、屋外の食堂でみんなでミャンマー・ビアの生ビールをガンガン飲んでいたときに、テーブルの下にいて、ずっと私のことをみつめて離れない猫ちゃんがいた(写真)。cat on the roof ならぬ cat under the table である。
タイのバンコクでは、屋台の下や飲食店のテーブルの下に犬がうずくまっていることはよくあるのだが、猫がいるということは滅多にない。
猫好きの方、ミャン猫がテーブルの下であなたを待ってますよ! ミャンマー語(ビルマ語)わからなくても、ミャンマー語は猫語だからご安心。
ミャンマーは猫の国、ニャ~ンていってしまっていいのかニャー??
いっそのこと、国名はミャンマーから猫の国ニャンマーに変更したらどうかニャー、ニャ~ンてね。
(インレー湖 ④)につづく
<ブログ内関連記事>
「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次
「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)
(2015年10月4日 項目新設)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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