■「向前看」(カンチェンカン)時代にひたすら前進することをたたき込まれた中国人は、「向銭看」(カンチェンカン)の合言葉のもと、ひたすらゼニに向かって驀進■
本書は、「改革開放」以降の中国と中国人の変貌を、科学者の眼と建国前後からのインサイダーならではの視点で描いた中国社会論である。
著者は経済の専門家ではないとはいえ、物理学で鍛えられた科学者の精神でもって、中国社会の急激な変容ぶりを冷静に見つめてきた。中国と中国人への深い理解とあいまって、並大抵の中国本にはない深みを与えている。事象の表層だけを追った中国本とはまったく性格を異にする。
本書はもともと「日経BPオンライン」に連載された内容を中心に再構成した本だが、あらためて全編読んでみて、著者の観察眼の鋭さと深さにはあらためて感じ入った次第だ。
1941年に当時は満洲といっていた中国東北部の長春に生まれ、中華人民共和国成立後の1953年まで多感な少女時代を中国に過ごした著者は、日本人でありながら建国前後の中華人民共和国をインサイダーとして体験し、以後現在に至るまである意味では当事者としてかかわってきたことになる。
昨年2009年に「建国60年」を迎えたが中華人民共和国は、著者の眼をとおして見ると、前半の30年(1949-1978)と「改革開放」以降の後半30年(1978-2009)のコントラストはあまりにも鮮やかである。
前半の毛澤東時代の「向前看」(カンチェンカン)時代にひたすら前進することをマインドセットとして形成された中国人は、「社会主義国家として生き残るために」に「改革解放」路線に大きく舵を切ったトウ小平時代の「先富論」の大号令のもと、後半の30年はひたすらゼニに向かって突進するという「向銭看」(カンチェンカン)という欲望全開時代に突入して現在にいたっている。
俗にいう「中国数千年の歴史」からみれば「社会主義の30年」など1%にもみたない、ほとんど一瞬ともいっていいような時期だったのである。
それまで押さえられていた欲望が一気に解放された結果、むきだしの欲望追求が人間の基本的欲求である物欲・性欲・食欲すべてに展開する。
一方、支配者である共産党は権力のグリップを維持強化、こうした体制のもとで実行された自由競争において共産党幹部関係者は特権階級となり、農民を代表とする一般庶民との格差がとてつもなく拡大した。
その結果あらわれたのは「前近代の中国」そのものであった。
前作の『中国動漫新人類』でも指摘されていたが、政治的自由を抑制する代償として与えられたほぼ完全な経済的自由が、結果として一般大衆を目覚めさせることとなっている。経済発展はどうしても政治的目覚めをともなってしまうのである。これは共産党政権による政策の「意図せざる結果」であるといえよう。
拡大する格差、顕在化したあらたな階級、こうした一連の「意図せざる結果」のオンパレードに対応するために政府もけっして手をこまねいているわけではない。
「社会主義国家だからこそ、「銭の力」がものを言うのだ」という著者の発言の説得力は強い。
かつての高度成長期の日本以上に猛烈なスピードで爆走しているのが中国、社会的なひずみの拡大も日本の比ではない。むしろ中国の変化するスピードをみていると、日本が抱える社会問題など可愛くさえ見えてくる。結婚できない「デキル女」(A女性)、就職難にあえぐ大量の大学生と大学院生、持てる者と持たざる者の激しい格差とルサンチマン・・・。中国はある種の巨大な社会実験の場となっているかの観さえある。
先進国日本の経験はある程度まで応用可能だろうが、すでに未知の未体験ゾーンに突入しつつあるのではないか。日本人は中国を自分たちの経験を通して見るクセは捨てた方がいいのではないか、とさえ思うのである。
著者の前著 『中国動漫新人類』(日経BP社、2008)とともに、ぜひ一読を薦めたい。
<初出情報>
■bk1書評「「向前看」(カンチェンカン)時代にひたすら前進することをたたき込まれた中国人は、「向銭看」(カンチェンカン)の合言葉のもと、ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人」投稿掲載2010年5月2日
■amzon書評「「向銭看」(カンチェンカン)の合言葉のもと、ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人」投稿掲載2010年5月2日
*再録にあたって字句の一部を修正した
<書評への付記>
著者の遠藤誉(えんどう・ほまれ 1941年生まれ)は、中国関連書を多数出版しているので、知っている人は知っているはず。
中国が「改革開放」政策に大きく舵を切ったのは1978年だが、その翌年には引き続き毛澤東時代の政策の抜本的転換である「一人っ子政策」開始された。この1979年以降に出生した若者を「80后」(バーリンホウ)、「90后」(ジューリンホウ)という。先行する世代の中国人とはまったく異なる「新人類」であるのは当然といえば当然だろう。
著者が「あとがき」で書いている、「社会主義国家だからこそ、「銭の力」がものを言うのだ」(P.246)というセリフは、さすがに社会主義時代の中国を肌身をつうじて熟知している著者ならではの表現である。
実体は資本主義以外の何者ではない現在の中国であるが、国家の支配体制は「官僚独裁制」ともいうべき社会主義そのものである。この体制が生み出す矛楯が、中国の社会問題をさらに難しくしていることは否定できない。
社会主義国家だからこそ、「銭の力」がものを言うのだ。「銭力」(ゼニりょく)は社会主義国家だからこそ恐るべき力を発揮する。トップダウンで国を動かす。中華の心で民を一つにつなぐ。そして誰が自分を食べさせ豊かにしてくれるかを思い知らせる。そこには中国数千年の知恵と、中国ならではの「手の打ち方」がある。
1948年9月、長春の元満映の近くにあったチャーズの柵の門。その開かずの門に中国人の八路軍ではなく、朝鮮人八路を立たせるという「妙技」を中国は演じている。しかし、冷酷無残な行動ができた彼ら朝鮮人八路は、1950年から始まった朝鮮戦争の戦場に送られ、金日成の粛正により全滅している。
もし歴史が、あのチャーズの非人間性を裁こうとしたならば、「それは中国共産党ではなく、朝鮮人八路がやったことだ」という言い逃れを、中国という国は最初からきちんと用意していた。その見事なまでの「手の打ち方」に私は茫然としたものだが、中国には数千年の歴史が培った知恵と「手の打ち方」があることを、われわれは忘れてはならない。
中国にとって「銭」は手段でしかなく、国家戦略は「銭力」(ぜにりょく)である。
こうしてまちがいなく、「中国の特色ある社会主義国家」は生き残ったのだ・・(後略)・・(P.246-247) (*太字ゴチックは引用者=さとう)
この文章を含んだ「あとがき」を読むだけでも本書を読む価値がある。日本人には想像すらできないような「手の打ち方」である。
政治権力の本質を知り尽くした中国人のスゴさに、背筋が凍るような思いをするのは私だけではあるまい。
なお引用文でチャーズと表記したのは(・・「チャ」とは漢字では上と下を重ねて書く一文字、「ズ」は子。ウェブ上で漢字表記できない)、著者が幼少時代を過ごした満洲国の新京(・・現在の長春)で、日本の敗戦後、国民党の占領下に隔離された収容用地域のことをさす。ここで著者は餓死寸前の壮絶な体験をしており、これが著者のデビュー作『卡子(チャーズ)-中国革命をくぐりぬけた日本人-』として知られるようになった。
ただし著者が多用する「封建的」というコトバの使用はいただけない。
著者のつかう「封建」は日本史の「封建」でも中国史の「封建」でもない。歴史学徒の私としては「封建的」というコトバを使用するのは抵抗がある。正確な表現ではないからだ。
できれば、「前近代的」)(プレモダン premodern)と言い換えて欲しい。
歴史的かつ複眼的なものの見方を展開している著者だけに、この一点の瑕疵(かし)が実に惜しい。
<関連サイト>
本書の第3章「結婚できない「デキル女」たち」の連載の元となった「中国A女の悲劇」は、BPオンラインの該当ページを参照。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100301/213093/
本書に収録されていない文章もネットにはあるので、ぜひあわせて参照されたい。
中国問題研究家 遠藤誉が斬る (連載 2013年10月2日から現在)
<ブログ内参考記事>
書評 『中国人が選んだワースト中国人番付-やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ-』(遠藤誉、小学館新書、2014)-中国国民の腐敗への怒りが臨界点を超えたとき中国は崩壊する
・・「拝金社会主義」の行き着くところは?
「稲盛哲学」 は 「拝金社会主義中国」を変えることができるか?
■遠藤誉氏の著作
書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)
書評 『チャイナ・ジャッジ-毛沢東になれなかった男-』(遠藤 誉、朝日新聞出版社、2012)-集団指導体制の中国共産党指導部の判断基準は何であるか?
書評 『ネット大国 中国-言論をめぐる攻防-』(遠藤 誉、岩波新書、2011)-「網民」の大半を占める80后、90后が変える中国
書評 『チャイナ・ギャップ-噛み合わない日中の歯車-』(遠藤誉、朝日新聞社出版、2013)-中国近現代史のなかに日中関係、米中関係を位置づけると見えてくるものとは?
書評 『完全解読 「中国外交戦略」の狙い』(遠藤誉、WAC、2013)-中国と中国共産党を熟知しているからこそ書ける中国の外交戦略の原理原則
書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
(2014年1月27日、2016年7月24日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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