■「脳」を論じる茂木健一郎が、「日本人」を論じる "知の巨人" 松岡正剛の胸を借りた、実りある対話篇■
『脳と日本人』というタイトルは、「脳」は茂木健一郎、「日本人」は松岡正剛を代表させているということか。自然科学思想の素養のある "知の巨人" 松岡正剛の胸を借りて、人文科学の素養のある茂木健一郎が挑戦して、実りある対話が実現した。
読んで直接ためになるという性質の本ではない。しかし、読むといろいろなことに「気づき」を得ることができる。自分の日々の活動の意味についても、少し違う視点から再考するキッカケとなる。知の饗宴としての芳醇な対話篇といえようか。
ともに「脳」について語りながら、「五感」のなかで「視覚」のみ肥大化している現代日本人への警鐘ともなる、認知科学にかかわるメッセージをさまざまな形で発しあう二人である。
二人の対話は、ときに同期し、ときに齟齬しながらも、実り豊かな対話空間をつくり上げているという印象の知的対話となっている。
とりわけ、松岡正剛という知の巨人の形成史として、彼自身の若いときの個人史にかかわる重い体験のいくつかがが、空間や時間に関連づけられて語られるのを聴くとき、知的探求というものの出発点が、あくまでも個人の一回限りの体験と密接な関係にあることを知るのである。 そうした体験をどこまで知的に深掘りできるかが、知の探求者としての大きな分岐点となるのだろう。
ここのところ、ビジネス書を量産しすぎの感ある茂木健一郎ではあるが、自然科学者である脳研究者としてのこだわりをみることのできる一冊でもある。
<初出情報>
■bk1書評「「脳」を論じる茂木健一郎が、「日本人」を論じる "知の巨人" 松岡正剛の胸を借りた、実りある対話篇」投稿掲載(2010年6月23日)
■amazon書評「「脳」を論じる茂木健一郎が、「日本人」を論じる "知の巨人" 松岡正剛の胸を借りた、実りある対話篇」投稿掲載(2010年6月23日)
*再録にあたって文章に手を入れた。
<書評への付記>
目次は以下のとおりである。
第1章 世界知を引き受ける
第2章 異質性礼賛
第3章 科学はなぜあきらめないか
第4章 普遍性をめぐって
第5章 日本という方法
第6章 毒と闇
第7章 国家とは何ものか
第8章 ダーウィニズムと伊勢神宮
第9章 新しい関係の発見へ
「松岡正剛という知の巨人の形成史として、彼自身の若いときの個人史にかかわる重い体験のいくつか・・」と書評に記したが、これは具体的には、子供の頃の全盲の叔父さんとのかかわり、そしてガス自殺を図った親戚の若い女性とのかかわり。
全盲の叔父さんの聴覚についての驚きは、知覚機能を視覚に頼りがちな現代人の、まさに盲点をついたものであり、ガス自殺未遂の後遺症で記憶喪失になった女性が記憶を取り戻す瞬間についての気づきは、記憶と脳機能にかかわる話である。
場所と結びついた記憶としてのトポグラフィック・メモリー(topographic memory) 、記憶を取り巻く文脈に結びついたコンテクスチュアル・メモリー(contextual memory)。認知科学への関心。
このような原点としてのいくつかの体験が(・・ほかにもあげられているがここでは省略)、知的探求の原点になっていることに気づかされるのである。
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書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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