「知識が先か、経験が先か・・・」
なんだか「ニワトリが先か、タマゴが先か」みたいな話だが、最近の若い人たちがなかなか行動をしないいい訳として、「だってやったことがないから・・・」というのが多いらしい。これは、ある記事を読んで知った。
最近の新入社員は、「できない理由を知識として知っているが、実際に自分が体験したことがないので行動するのが怖い」らしい。
これではまるで「前例がないからできません」という役人の答弁と同じではないか。できない理由は、いままでに前例がないからといういい訳であるが、「怖い」という感情は同じである。
その記事の執筆者によれば、最近の若者たちは「知識が多すぎて行動できない」らしい。知識過剰のため、身動きできなくなってしまっているという。ここまできたらほとんどビョーキだね。
おそらくその「知識」とは、本であれ、TVであれ、インターネットであれ、自分が経験したことによって得た知識ではなく、他人の経験をもとに知識化された知識のことななおだろう。リアルな知識ではなく、バーチャルな知識。
この文脈においては、知識は行動の阻害要因となっているわけだ。知識は行動を促すだけではなく、行動を阻害するという側面ももつということである。
知識が過剰になると、経験していなくても知っているような気になって行動に結びつかないということだけではないのではないだろう。しかし、それは生きた知識ではない。
喩えとしては適切かどうかわからないが、操作マニュアルを隅から隅まで読み込まないと情報機器をいじれない機械オンチな人のようでもある。
若い人たちの大半は、マニュアルをみないでいきなり使い始めることができているハズだともうのだが・・・これが仕事になると怖じ気づいてできなくなってしまうのはなぜだろうか。
「知識が先か、経験が先か・・・」
ところで、いきなり話題がかわるが、「人生の棚卸し」について少し考えてみたい。
ネット上の交流サイトの一つに、米国発の Facebook(フェースブック) というものがあるが、最近は日本語の機能が充実してきたこともあって、いま日本でも爆発的に参加者が増加中のようだ。
先日、リタイア後に「自分史」講座開いている方と知り合いになったのだが、ネット上で会話をしていて、いろいろと気づかされることがあった。会話を再現してみよう。
(私)
30歳台の方が受講者にいるというのは、正直いってオドロキです。まだまだ歴史をつくる世代だと思うんですが・・・
(自分史さん)
「自分史」は仕事をリタイアした人がつくるものというのは固定概念だと思います。教職でクラス担任をやっていた時、夏休みの課題として「自分史」を出題したことがあります。
(私)
私こそ、固定観念のかたまりだったわけですね・・・反省です。「自分史」は「履歴書」みたいに、書き換えていけばいい、ということですね。勉強になりました。
(自分史さん)
一次情報、二次情報といいますが、一番大切な情報は第一次情報ではないでしょうか? マスコミの情報でも、人の話でもなく、自分の感覚で得た情報です。
自分史は、自分が生きてきた時代と向き合って一次情報をしっかりと整理する作業である、と言えるのではないでしょうか?
(私)
おっしゃるとおりですね。そういった一次情報を、社会的背景のもとにキチンと客観的に位置づけてみること、これが「自分史」である。こういう理解でよろしいでしょうか?
(自分史さん)
その通りです。「自分史」を作りながら、「人生の棚卸し」をしてみようということなんです。
そう、重要なのは一次情報であって、他人から仕入れた二次情報ではない。一次情報とは、何よりも自分が経験したこと、体験することによって得た情報のことである。
経験情報といってもいいし、体験情報といってもいいかもしれない。他人にとっては意味をみたないかもしれないが、たとえ主観的なものであったとしても、ある意味ではかけがいのない情報である。
この情報が自分のなかで咀嚼(そしゃく)されることによって知識になることもあるし、たんなる情報としてとどまっていることもある。
「自分史」執筆という作業をつうじて、自分の経験や体験の意味をあらためて考えてみるというのは、非常にに意味のあることのようだ。
私自身はいまだ自分史執筆は行っていないが、未遂も含めて転職経験が多数あるので、その都度、履歴書の作成と書き換えを行ってきた。
履歴書(resume)は、主に求職の際に作成されるものだが、この作業には自分の仕事を中心にした軌跡だけでなく、人生の過ぎ来し方を顧みるという行為が含まれる。
そもそも、履歴書に書ける実績をつくるためには、行動しなくてはならないではないか。そして自分が仕事の上で経験したしたことを、客観的な形で相手にもわかるようなコトバで整理することことは、実はかなり知的な作業である。
行動の軌跡は経験の集積であり、いいかえれば一次情報収集の蓄積である。この行動の軌跡を振り返り、内面的対話や転職カウンセラーとの対話によってその意味に気づき、自分の経験してきたことを知識として整理する。
このプロセスは、履歴書を作成する際には顕在化するが、自分が経験して得た一次情報を知識化するうえで、きわめて有効な方法でわるといえるだろう。
大学2年のときに大学生協で「棚卸し」のアルバイトをしたことがある。
商学部の学生でない私は、「棚卸し」の意味を当時はまったく知らず、生協の職員の指示のままに、棚にある商品の名前を読み上げて個数を数えては、フォーマットに記入していった。そのときは、ただたんにアルバイトの一つとして作業を行っただけで、会計学を知らない私にとって、棚卸しの意味はカラダを使った作業の段階にとどまったままだった。
棚卸しの意味を本当にアタマで理解したのは、就職して会計学についても勉強せざるをえなくなって、「棚卸資産」の意味を知ってからである。しかし、体験を先にやっていたおかげで、棚卸しというとリアルにイメージすることができるのだ。
私にとって「棚卸し」とは、なんといっても、大学生協の店舗のなかで二人一組になって、腰をかがめながら、シャンプーを手にとって商品名を読み上げ、個数を記入していったという、具体的な画像記憶と結びついたコトバなのである。
「知識が先か、経験が先か・・・」
こんなことを書いてくると、それは経験の方が先に決まっているじゃないか、といってしまいたいところだが、本当のことをいうと、知識と経験がうまい具合に相互作用しているのが理想型だろう。
私のように何も考えずにいきなり行動を始めてしまうというのでは、自分のやっていることの意味がわからないし、ときには危険なことであることも否定はできない。
英語に A little Learning is a Dangerous Thing. という格言がある。日本語では「生兵法は怪我のもと」に該当するが、少しぐらいの怪我ならなんともないだろう。同じ失敗は二度繰り返さなければいいのであって、そのためには切り傷程度の怪我なら多少はしても致命的ではない。
もちろん、ときには、「あたって砕けろ」Go for Broke. ということも重要だが、これは万人におすすめできることではない。
毛澤東の「泳ぎながら、泳ぎを覚える」というコトバで締めておこうか。「畳のうえの水練」ではなく、水のなかでもがきながら泳ぎを覚える。スパルタ教育のような印象がなくもないが、『実践論』の著者ならではの発言ではないか。私は毛澤東のこのコトバが好きである。
「要はバランスだ」、といってしまいたい誘惑にかられるのだが、「知識が先か、経験が先か・・・」というテーマについては、もう少し考えてみたいと思っている。
<ブログ内関連記事>
■働くということの意味
コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・・「なにも僕が仕事好きだというわけじゃない。・・(中略)・・ただ僕にはね、仕事のなかにあるもの--つまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、--他人のためじゃなくて、自分のための自分、--いいかえれば、他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのは外面(うわべ)だけ、しかもそれさえ本当の意味は、決してわかりゃしないのだ (中野好夫訳、岩波文庫、1958 引用は P.58-59)
コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・・「なにも僕が仕事好きだというわけじゃない。・・(中略)・・ただ僕にはね、仕事のなかにあるもの--つまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、--他人のためじゃなくて、自分のための自分、--いいかえれば、他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのは外面(うわべ)だけ、しかもそれさえ本当の意味は、決してわかりゃしないのだ (中野好夫訳、岩波文庫、1958 引用は P.58-59)
働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)
『重版出来!①』(松田奈緒子、小学館、2013)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!
『シブすぎ技術に男泣き!-ものづくり日本の技術者を追ったコミックエッセイ-』(見ル野栄司、中経出版、2010)-いやあ、それにしても実にシブいマンガだ!
書評 『サラリーマン漫画の戦後史』(真実一郎、洋泉社新書y、2010)-その時代のマンガに自己投影して読める、読者一人一人にとっての「自分史」
(2012年7月3日発売の拙著です)
・・「自分史」についての考察は、この本でより深めています。
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