■天才アラーキー珠玉の人生論■
「顔こそ究極のヌード」という、天才アラーキーの人生論。
「顔に始まり、顔に終わる」という、何千何万とポートレートを撮ってきた写真家による、体験からにじみでた、実に味わい深い珠玉の人生論である。あまりにも説得力ありすぎる。
アラーキーのいう「いい顔」とは「美しい顔」のことではない。
「男40過ぎたら、自分の顔に責任をもて」。若い頃よくこのようにいわれた男性は多いと思う。いまの若い人たちもオヤジ連中から、そういわれることもあるのだろうか?
すでに40歳を過ぎた私は、自分の顔がどうであるか自分には判断しかねるが、年齢を重ねて、それなりに味のあるものになっているのではないかと思っている。歳を取るのはけっして悪いことではない。
もちろん女性も同じだろう。長年にわたって多くの女優を観察してきた映画監督の大島渚も、どんな女優も40歳過ぎたら、いままでの人生がいい面も悪い面も含めてすべて顔に現れてしまうと、以前あるインタビューで語っていた。
男も女も、生きてきた軌跡がすべて顔として表出されてしまう。
面白いことでもあり、また実に恐ろしいことだ。
写真に写された人物を取り巻く関係性が顔に表出する。「幸せな顔」とは、愛し愛される関係がにじみでたものだ。
どんな人であれ、生きている最高の瞬間がもっともいい顔になる。いい顔になっていないのは、職業選択を誤ったということだ。
そしてまた、写真を撮る側と撮られる側の、見るものと見られる者の関係。
撮影する側の気持ちが被写体の表情に写り込む。
写真好きの友人からその凄さを教えてもらって、天才アラーキーの存在を知った日からすでに30年近いが、いまでも現役で走り続けている荒木経惟の生き方そのものに敬意を表したい。そして現時点で到達した人生論にも。
天才は、死ぬまでカメラを離すことはないだろう。生き方が、カメラそのものと化しているからだ。幸せな人による、幸せになるための人生論なのである。
<初出情報>
■bk1書評「天才アラーキーの珠玉の人生論」投稿掲載(2010年7月27日)
■amazon書評「天才アラーキーの珠玉の人生論」投稿掲載(2010年7月27日)
目 次
第1章 顔こそヌードだ
第2章 いい顔のつくり方
第3章 女のいい顔
第4章 男のいい顔
第5章 顔は見られてこそ磨かれる
第6章 みんなが知ってるあの人の顔
第7章 街が顔をつくる
第8章 死に顔で人生がわかる
著者プロフィール
荒木経惟(あらき・のぶよし)
1940年東京都台東区三ノ輪生まれ。千葉大学工学部写真印刷工学科卒業。1963年電通入社。1964年「さっちん」で第一回太陽賞受賞。1971年青木陽子と結婚。新婚旅行の記録を私家版写真集『センチメンタルな旅』として限定1,000部自費出版する。1972年電通を退社し、フリーランスに。次々と問題作、話題作を発表し、天才アラーキーの異名をとる。国際的な評価も高く、ヨーロッパやアメリカで数多くの個展も開催している。2002年より『日本人ノ顔』プロジェクトをスタート(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<書評への付記>
アラーキーの写真は、一言でいってしまえば「エロスとタナトス」。
人間がモータル(mortal:死を免れ得ない)存在であることが透けて見える、そんな写真をずっと撮ってきた人だ。実際に作品を見たならば納得してもらえると思う。
いわゆる「写真論」をここでするつもりはないので、これ以上は書かない。
(2012年7月3日発売の拙著です)
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