2010年12月2日木曜日

書評『蟻族-高学歴ワーキングプアたちの群れ-』(廉 思=編、関根 謙=監訳、 勉誠出版、2010)-「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論




「蟻族」すなわち「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論

 「蟻族」(イーズー)というネーミングを考案し、はじめてかれらの存在を目に見えるものとした本格的な社会調査の記録である。

 昨年2009年に出版されたこの記録は、中国ではベストセラーになり、「蟻族」というコトバが一気に拡がったという。本書はその日本語版である。

 調査対象は、首都北京の「大卒低所得群居集団」、平たくいうと大卒だが低所得層で、都市と農村の境に立地する賃料の安くて狭い集合住宅に数万人単位で群居し、部屋をシェアして集落のなかで暮らしているワーキングプアたちのことだ。

 「蟻族」という表現を、私が初めて耳にしたのは数ヶ月前のことだが、それにしても卓抜なネーミングである。まるでその姿が手に取るように見えるではないか。

 「蟻族」はいわゆる「80后(バーリンホウ)」とは世代的にほぼ完全に重なる「改革開放」の1980年以降生まれの現在30歳以下の若者たちである。

 ただし、「蟻族」はあくまでも大学卒のインテリ大衆であり、同じく地方出身のワーキングプアといっても、「民工」や「農民工」といった下層労働者層とはまったく異なる存在だ。

 中国政府の政策により「知識社会」に備えるべく大量に設置された大学で学んだ若者たちであるが、しかし現実は彼らが夢見た姿とは大違いであった。労働需要を上回る大学卒業生供給の結果、北京のような大都市では、権力もコネももたない彼らが 職を見つけること自体が容易ではなく、たとえ仕事が見つかってもキャリアアップにはつながらないものばかりだ。

 「蟻族」としての生活を送ることを余儀なくされたかれらに共通するのは、そんなはずではなかったのにという思いからくる「剥奪感」。

 まさに「大学は出たけれど・・・」の状態だ。

 そもそも公的な統計データのないのが「大卒低所得群居集団」の世界である。アンケートによって収集したデータにもとづく定量分析と、ディープ・インタビューによる定性分析は、編著者たちが私費も投入して行った苦労の産物であるが、たとえ置かれている状況が大きく異なるとはいえ、「同じ中国人の同世代の若い研究者たちによる同世代の若者たちの調査」であったことが、好結果をもたらしたのであろう。

 とくに後者のインタビュー集「群居村取材レポート」(日本語版のⅢ章)は、等身大の若者たちのリアルを描きだして実に興味深い。隣の国の若者たちの姿を手に取るように理解できるのは、本書のもとになった調査がすぐれたものであるだけでなく、よみやすい日本語になるよう工夫をしているからだろう。

 副題にある「高学歴ワーキングプア」について、この表現は日本では文系の大学院以上の高学歴者が職を見つけられずにいる状態を表現するコトバとして作られたものだが、中国の現状はむしろ「大学大衆化」がもたらしたものであり、ニュアンスは大きく異なることに注意しておきたい。また、編著者は「日本の読者へ」のなかで、「蟻族」は日本では自発的な選択である「フリーター」にあたるといっているが、これもまた実際とは大きく異なるように私には思われる。

 「大学大衆化」と「大学院大衆化」という違いはあるが、中国も日本もともに、経済政策と文教政策と労働政策がお互いバラバラでチグハグな結果、生み出された悲劇(?)であるといえようか。

 日本以上に深い社会矛楯を抱えた中国であるが、しかしながら「蟻族」たちは、成熟社会に生きる日本の若者たちよりも、就学生として日本で働く中国人の若者たちに似て、むしろたくましく生き抜いているように思われるのだ。

 中国の若者たちの「いま」を知るうえで、遠藤誉による『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(日経BP社、2008)『拝金社会主義中国』(ちくま新書、2010)とあわせ読むことを薦めたい。多様な若者たちの姿を知ることによって、現代中国についてより深い理解が可能となることだろう。


<初出情報>

■bk1書評「「蟻族」すなわち「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論」投稿掲載(2010年11月18日)
■amazon書評「「蟻族」すなわち「大卒低所得群居集団」たちの「下から目線」による中国現代社会論」投稿掲載(2010年11月18日)





目 次

『蟻族』を読む前に-序にかえて(関根謙) 
Ⅰ. 「蟻族」誕生記
 1. 接触
 2. 第一次研究調査
 3. 研究チーム
 4. 第二次研究調査
 5. 八〇後
Ⅱ. 「蟻族」のすべて
 1. 基本概念
 2. 発生原因
 3. 心理状態
 4. 性・恋愛・結婚
 5. 所得状況
 6. 職業
 7. 教育状況
 8. インターネット
 9. 集団的行動の傾向
Ⅲ. 「アリ」伝奇-「群居村」取材レポート
 プロローグ 都市のスキマ階層に触れる
 1. 北京での奮闘
 2. 非主流の道を突き進んで
 3. すべてはうまくいく
 4. 村から村へ
 5. 上京記
 6. 保険会社のガゼル
 7. 孤独な旅人
 8. 唐家嶺を離れる
 9. 下を向いた青春-「高学歴」貧民村調査
 10. 「大学村」での奮闘
 11. 「唐家嶺」でのショバ代
日本の読者へ(廉思)
解説(加々美光行)


著者プロフィール

廉思(リエン・スー)

1980年生まれ、男性、北京在住。中国人民大学法学院法学理論専攻博士課程。管理学修士、法学博士。中国共産党員。現職は対外経貿大学副教授。専門は法政治学、法経済学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

関根謙(せきね・けん)

1951年福島県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。慶應義塾大学文学部教授。20110年4月より文学部長。専門は中国現代文学、特に日中戦争期の都市の文学、現代文芸理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 「高学歴ワーキングプア」というのは、本人もその一人である水月昭道という人の著書 『高学歴ワーキングプア-「フリーター生産工場」としての大学院-』(光文社新書、2007)という本から産まれたコトバである。

 この本は出版直後すぐに目を通してみたが、「高学歴ワーキングプア」というのは、日本では出るべくして出てきた存在だな、と強く思ったものだ。

 その心は何かというと、理工系ならいざ知らず、人文系の大学院に進学するなんてことは、ある意味では「自殺行為」に近い、もう少し穏当に言えば「清水の舞台から飛び降りる行為」だということは、私が大学学部に在学していた1980年代でも、すでに自明のことであったからだ。
 だから、コトバはきついが、ある意味では「自業自得」といっても言い過ぎではない。

 端的に言って、「歴史では食えない」とは昔から言われていたことだ。ゆえに、私はさっさと見切りをつけて就職する通を選んだ。完全に未練を吹っ切ったわけではなかったが、まったく後悔はない。日本の大学院進学などしなくて良かったとさえ思っている。
 ちなみに、M.B.A.を授与するビジネススクールは、いわゆるプロフェッショナル・スクールであって、アカデミズムという、目的があいまいな日本の大学院一般とはまったく異なる存在だ。日本でもこの10年間にプロフェッショナル・スクールが大幅に増えたことは喜ばしい。
 ただし、日本版ロースクールの制度設計失敗は、きわめて愚かなことであった。需要供給の法則というミクロ経済学の基礎がわかっていないことと、教育の世界に市場競争を無原則に適用したことの過ちである。制度設計を主導した法務省と文部科学省の罪は大きい。

 『高学歴ワーキングプア』という本を読んで思ったのは、なぜこの人たちは、人文系の大学院に進学などしたのか、と強い疑問である。
 大学院卒業者という供給に対して、教員という需要がきわめて限られている事実に、なぜこの人たちは気がつかなかったのか、ということだ。なぜ、誰も言ってやらなかったのか?

 意志決定の主体はあくまでも自分。自分が下した意志決定の結果は、自分が覚悟して受け取らねばなるまい。どうも日本人は、自分のアタマで考え尽くすというマインドセットに乏しいのではないか? 正直なところそう思うのは仕方あるまい。

 もちろんこの背景には、文部科学省による「大学院重点化計画」というものが存在する。大学院設置して定員を満たした大学には助成金を出すというインセンティブ政策である。
 この背景には「知識社会化」というトレンドがあることは言うまでもない。経済産業省、厚生労働省、法務省など、それぞれの省庁の思惑も関係している。 
 また、大学院進学者の側には、就職が思うようにいかなかったという事情もあるだろう。大学院に余剰労働力を吸収することによって、失業率を下げるという思惑もあったかもしれない。

 経済政策と文教政策と労働政策がお互いバラバラでチグハグな結果、生み出された悲劇(?)というのは、日本の大学院卒業者も、中国の大学卒業者も同じである。

 何か政策を実行するということは、たとえ成功したとしても、かならずやその意図に反した結果も副作用として派生する。「意図せざる行為」の結果というのは、少なくとも社会科学をやった人間なら知っていて当然のことではないか?

 その意味では、制度設計失敗の責任は、政策立案し実行した諸官庁にもある。なんらかのセーフティーネットは必要だろう。

 日本では「大学大衆化」は、1960年代にすでにひとつのピークを迎えていた。戦前のエリート大学生というポジションはすでに崩壊し、「大学大衆化」の結果として大量に増えた大学生が、学生運動の原動力になったことは歴史に明らかである。
 2010年代の中国の現状が、1960年代の日本と同じような現象をもたらすのかどうか、これは一概には言えないだろう。

 重要なことは、『蟻族』によれば、「反日」の意見表明をするのはネットのヘビーユーザーであって、「蟻族」たちは生活費を稼ぐのに忙しくてネットなんかやってるヒマがあまりないということだ。日本のかつての「学生運動」のような、何か一つの社会勢力となっているわけではない。ただしそのポテンシャルはある。

 いずれにせよ、『蟻族』という本を読む限り、中国人には生命力がありたくましい、という感想をもつ。この「蟻族」という「インテリ大衆」たちが中国にとっていかなる意味をもつのか、今後もモニターしていく必要があろう。


<ブログ内関連記事>

書評 『中国動漫新人類-日本のアニメと漫画が中国を動かす-』(遠藤 誉、日経BP社、2008)

書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)
・・著者の遠藤誉(えんどう・ほまれ)氏は、『チャーズ-出口なき大地 1948年満州の夜と霧-』で作家デビューした人。1941年中国の長春で生まれた彼女は、1953年に帰国するまで中国を現地で体験し、中国語にも中国人にも精通。また、物理学者としてキャリアを積んだ人だけに構成も文章もきわめてロジカルで読みやすい

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)
・・「民工」と「農民工」については、日本語と中国語に堪能な著者による本書を読むべし

書評 『中国絶望工場の若者たち-「ポスト女工哀史」世代の夢と現実-』(福島香織、PHP研究所、2013)-「第二代農民工」の実態に迫るルポと考察

書評 『仕事漂流-就職氷河期世代の「働き方」-』(稲泉 連、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-「キャリア構築は自分で行うという価値観」への転換期の若者たちを描いた中身の濃いノンフィクション

書評 『失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学-』(メアリー・ブリントン、池村千秋訳、NTT出版、2008)

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)
・・「意図せざる結果」については、この本を熟読すべし

書評 『コンピュータが仕事を奪う』(新井紀子、日本経済新聞出版社、2010)-現代社会になぜ数学が不可欠かを説明してくれる本

(2014年1月27日 情報追加)



(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end