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ジョン・レノンが、1980年12月8日にニューヨークで狙撃による暗殺で亡くなってから 30年、月日の立つのは早いものだ。
そのとき、私はまだ高校生だった。米国はレーガン大統領の時代である。ジョン・レノン暗殺の翌年の 1981年にはレーガン大統領も、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世も狙撃された。幸運なことに両者ともに一命をとりとめ、暗殺は未遂に終わった。1980年はそういう時代であった。
1942年生まれのポール・マッカートニーは現在68歳、1940年生まれのジョンも生きていれば今年70歳になる。
35歳の若さで死んだ、アマデウス(Amadeus)とミドルネームをもっていたモーツァルトのように、「神に愛された」(アマデウス)天才は薄命とはよくいわれるのはけっして例外的な事例ではない。ジョン・レノンが射殺されたときまだ40歳だったのだ。いまの私の年齢よりも若いのだ。
私は、いわゆる「ビートルズ世代」より後の人間なので、熱狂的なビートルズ・ファンというわけではなく手放しで礼賛することもない。むしろ英国のロックでは、「クイーン」の世代に属するので後者のほうが好きなのだが、ビートルズも同時代人としてドップリと浸かっていたのは否定しない。
「パワー・トゥー・ザ・ピープル」(Power to the People)という思想は、ビートルズ世代のもの。「人民にチカラを」。
アップル・コンピュータの創業経営者ステーブ・ジョブスが社名をアップルにしたのは説明するまでもない。もちろんビートルズの楽曲を出版していたアップルレコードの連想もあろう。
これは米国留学中に気がついたことだが、米国で出回っているリンゴの銘柄にマッキントッシュ(McIintosh)というものがある。1970年代に、ジョブスがいちばん最初に出した PC(=personal computer:パソコン)は Apple Macintosh という名前であったが、このネーミングの意味がここからとったものなのだ。その心は、ごくごくありふれたリンゴのような存在になってこそ、「パワー・トゥー・ザ・ピープル」が実現するのだということだ。
日本ではリンゴの銘柄が減ってしまって、ふじに画一化しているのは憂慮すべきことである。私が子どもの頃は、国光とか、デリシャスとか、スターキング、インドリンゴなどたくさんあったのだが。
「レット・イット・ビー」(Let it be)は、正しい人生の態度を教えてくれた曲。「トラブルに遭遇したとき、聖母マリアが来て僕にこう言う、そのままにしておきなさい、と」という内容の歌詞だが、仏教でいう執着するなという教えにも似ている。中学校の頃は、let it be というフレーズが LP としか聞こえないので、レコードのことを歌っていると思っていたというのも恥ずかしい思い出の一つ。
「イマジン」(Imagine)は、「暇人に天国なし」と勝手に替え歌として脳内でつぶやいている。もとは Imagine, there's no heaven.(=天国がないと想像してみてごらん)。平和主義の歌として礼賛される一方、一部ではニューエイジ思想の歌だといって批判されている。「もし・・・なら」(what if)思考の内容として意味あるものだと私は思うのだが・・
「レボリューション」(Revolution)の歌詞には Chairman Mao(毛澤東主席)がでてくるが、聞き取り能力のなかった頃は Chinaman Mao だと思い込んでいたのも、恥ずかしい思い出である。
「スターティング・オーバー」(Starting Over)はビートルズ解散後の曲。やり直すという意味の歌。
「ウーマン」(Woman)という歌が好きだ。Woman !(オンナよ)という呼びかけは日本語にはないので新鮮な響きがある。格変化をとうの昔に喪失した英語だが、ラテン語の呼格の痕跡のある用法だ。シェイクスピアのハムレットの有名なセリフ Frailty, thy name is woman. をもじったのだろう、
ベン.E.キングのカバー曲「スタンド・バイ・ミー」(Stand By Me)もいい。スティーブン・キングの原作が映画化された際は、ジョン・レノンの歌唱が採用されている。
ついでに書いておくが、ジョン・レノンもポール・マッカトニーも英国出身のミュージシャンだが、リヴァプールという西岸の港町に生まれた彼らはともにアイルランド系である。つまるところ欧州の縄文人といわれるケルト系である。港町出身のビーチルズがいちばん最初にデビューしたのは、ドイツの港町ハンブルクであったというのも面白い。
ジョン・レノンがプロデュースしたアップルレコードから出た、メアリー・ホプキンが私は好きなのだが、とくに彼女の母語であるゲール語(ウェールズ語)のみで構成したアルバム(・・写真右)は貴重である。英語とはまったく異なる、先住民ケルト系の言語であるからだ。
こういう視点からビートルズについて考えてみるのも面白いことだろう。現在に英国は植民地の出身者も多いが、それ以前から国内に住む「異文化」の先住民たちによって支えられてもきたのである。
ヨーコ・オノは会ったことはないが、銀座のカレー店内で目撃したことがある。1990年代の前半のことである。
さいたま市の「ジョン・レノン・ミュージアム」には結局一回もいかずに閉館してしまったのは残念だった。契約期間終了で閉館というのも残念な話であった。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」(Strawberry Fields Forever)は、ついついクチずさみたくなる名曲。苺畑よ永遠に。
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書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)
・・衰退する英国で文化とビジネスの両方でビートルズは評価され叙勲された。ビートルズ以前の英国史は本書を読むべき
(2012年7月3日発売の拙著です)
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