2013年2月24日日曜日

「飛騨の円空 ー 千光寺とその周辺の足跡」展(東京国立博物館)にいってきた(2013年2月24日)


「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」展にいってきた。会場は、東京国立博物館の本館である。

会期: 2013年1月12日(土) ~ 2013年4月7日(日)
会場: 東京国立博物館 本館特別5室(上野公園)
開館時間: 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、3・4月の金曜日は20:00まで、4月6日(土)、7日(日)は18:00まで)
休館日 月曜日
主  催: 東京国立博物館、千光寺、読売新聞社、NHK、NHKプロモーション
特別協力: 高山市、高山市教育委員会
後援: 岐阜県

円空(1632~1695)は、放浪僧で仏師。江戸時代後期の文人・伴蒿蹊(ばん・こうけい 1733~1806)の『近世畸人伝』にも登場する「畸人」である。この「畸人」は奇人変人の奇人であるが、最大のほめ言葉であると考えるべきである。それはこの本に収録された有名人・無名人の言行を読めば納得できることである。

『近世畸人伝』には、「円空もてるものは鉈(なた)一丁のみ。常にこれをもて仏像を刻むを所作とす」とある。「包丁一本さらしに巻いて」渡世する板前にも似た、遊行(ゆぎょう)する奇才の仏師であった。東北からさらには蝦夷地にまで足を伸ばしている。


(岩波文庫版 『近世畸人伝』 P.102~103)


『近世畸人伝』の挿絵に描かれているのは、乾燥した木ではなく、生木にはしごを掛けて仏像を刻んでいる円空の姿である。展覧会の解説文によれば、これは事実を反映しているのだという。

事実、円空は千光寺に滞在中に、境内に並んで根を張っていた2本のセンノキに阿吽(あうん)二体の金剛力士(仁王)立像を彫刻した。その後、文化5(1808)年に根が腐朽したため切断され、二体は通常、同寺の円空寺宝館に安置されている。

生木に彫刻するという発想そのものがフツーではない。タイのアユタヤには、生木の太い幹の根元に仏像の顔が鎮座しているので有名だが、これは生木に彫刻したものではなく、仏像に木が絡まってできあがったものだ。

さて、今回の企画展の内容だが、主催者によるものを引用させていただくのが最善であろう。なお、太字ゴチックは引用者(=わたし)によるもの。


飛騨の円空仏100体が一堂に
現在知られている約5000体の円空仏のうち、1500体以上が岐阜県にありますが、飛騨高山には、とりわけ多彩な円空仏が残されています。「千手観音菩薩立像」(清峰寺)、「柿本人麿坐像」(東山神明神社)など、高山市内の14の寺社が所蔵する100体を東京で初めて一堂に紹介します。
飛騨高山の森、上野に出現
円空は、木を割り、鉈(なた)や鑿(のみ)で彫って像を作りました。その表面には漆や色を塗っていません。木目や節が見え、円空仏が「木」であることを強く印象付けます。展覧会の会場には、ほとけの形をした木が100本林立することになります。これらの木はすべて高山の木に違いありませんから、飛騨高山の森が上野に出現することになるのです。

パンフレットの表紙につかわれている円空の代表作が、両面宿儺(すくな)坐像(1686年)である。岐阜県高山市の千光寺蔵。記念としてマグネットを購入した(600円)。


(両面宿儺坐像 岐阜県高山市千光寺蔵 1686年)


「千光寺でも7年に一度しか公開されない」という秘仏「歓喜天立像」((かんぎてんりゅうぞう)の特別公開も楽しみのひちうだろう。秘仏のご開帳というわけだが、歓喜天とはインドに起源をもつ秘仏で、雌雄の象が抱き合う姿ものだ。だが、事前に想像していたものと違ってえらく小さく、エロチックというよりもかわいらしい感じの木像であった。

仏像というよりも、神社で配布される人形(ひとかた)のような印象のある素朴な観音立像もある。庶民の信仰のあり方を感じる意味でも興味深い。庶民信仰といえば、明治維新後の「神仏分離」と「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)以前は「神仏習合」が当たり前であったことに注意しておきたい。

円空仏をっして素朴な味わい、庶民のための芸術といったされかたがなされることもあるが、その仏像の表情は全般的に「拈華微笑」(ねんげみしょう)という仏教表現を思い出す。怒りよりも微笑をもって日々暮らすべしと静かにさとしているような趣だ。

なかには、日本のものというよりも、韓国古寺の石仏のような微笑みを感じるものもある。もともと仏像は朝鮮半島経由で日本に渡来したものが基礎になっているのだが、隔世遺伝的に円空仏に現れ出たのだろうか。円空は東日本しか歩いていないのだが。

神の宿る樹木から、生命ある仏像を彫り出したのが円空である。樹木は神の依り代(よりしろ)であった。鉈(なた)による一刀彫りによるもので、ある意味では大理石の彫刻にも似ていなくはない。ミケランジェロは「大理石から魂を救いだす」というネオ・プラトニズム的な表現をつかっていたと思うが、円空の木彫りは石よりもはるかにぬくもりを感じる。いや、アフリカのプリミティブ・アートを思わせるものもある。縄文なのである。

哲学者の梅原猛氏は、木彫りの仏像は神仏習合のたまものであると主張している。密教においては大きな意味を持っていた仏像だが、鎌倉新仏教以降は仏像製作の必要性が大きく減退していた。円空は、泰澄・行基の伝統の復活なのであると。

どうしても現代人は円空のものに限らず仏像を美術品としてのみ見てしまう傾向がなきにしもあらずだが、その弊害を避けるためには仏像の裏側も見てみるといい。そこには文字が書かれているものがあることに気がつくだろう。梵字による祈祷文も含まれている。円空は仏師であり、あくまでも仏教僧なのである。

お寺においては、これだけまとまった形で円空仏をみることはない。いい機会なので、東京で円空仏のぬくもりを体感してみるのもいいのではないかと思う。


<関連サイト>

東京国立博物館140周年 特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」

『近世畸人伝』 円空 (国際日本文化研究センターデータベースに挿絵つきで全文収録)



<参考文献>

『円空佛-境涯と作品』(五来 重、後藤英夫=写真、淡交新社、1968)
『円空と木喰』(五来 重、淡交社、1997)
・・前著の『円空佛』と『微笑佛-木喰の境涯』の合本。円空と木喰(もくじき 1718~1810)は比較してみたいもの。円空死後に生きた木喰であるが、木喰のセルフポートレートの木彫り作品(一番右の写真のひげのある木像)は、国立博物館の常設展示にも一体ある


『歓喜する円空』(梅原猛、新潮社、2006 文庫版2009)
・・「梅原生きるにあらず、円空わが内にて生きるなり」と語る哲学者によるあらたな円空像。豊富なカラー図版と独創的な解釈。梅原日本学の成果であり、五来重説の徹底批判である。円空を白山信仰をもとにした修験者であるとする





<関連サイト>

円空 微笑み物語(円空連合のウェブサイト)


<ブログ内関連記事>

「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた
・・柳宗悦は木喰(もくじき)の仏像を「民藝運動」のなかで発見し、蒐集していた

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)・・明治維新以前の仏教にあらたな光をあてた概説書

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ・・明治維新以前の神仏習合について。梅原猛は円空は白山信仰の修験者であったとする

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「白隠展 HAKUIN-禅画に込めたメッセージ-」にいってきた(2013年2月16日)


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