2013年7月8日月曜日

書評『「シベリアに独立を!」ー 諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)ー ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ



「シベリアに独立を!」というタイトルをみてドキっとした。なぜなら、いま極東においてロシアと中国の国境問題がふたたび浮上してきているからだ。

だが、「シベリアに独立を!」を主張したのは著者ではない。ロシアの民族学者ポターニンである。それもロシアがまだ革命以前の帝政時代、1865年のことである。

本書は、その知られざるポターニンの生涯と思想、そしてその思想が現代においてもつ意味を、社会言語学者でモンゴル学者の著者がロシアとシベリアを含むユーラシア全体で考えた本である。


シベリア人の、シベリア人による、シベリア人のための「連邦制」

流刑地としてのシベリア。これはドストエフスキーなどロシア文学に親しんできた人にとって、シベリアと聞いてすぐに思い浮かべるイメージだろう。ソ連時代もまたシベリアは流刑地であり、また日本人兵士たちのシベリア抑留も連想される。

だが、シベリアに生まれ育った人にとっては、あくまでもシベリアは彼らにとっての祖国(パトリア)である。祖国という日本語にはやや問題があるので、郷土といったほうがいいかもしれない。父祖が暮らし、みずからもそこで生まれ育った土地だ。

この本を読んでいて感じるのは、シベリアから西を見るという視線である。つまりシベリアから首都のペテルブルクを見る視線そしてのそのさらに先にあるフランスやドイツといった当時のヨーロッパ先進国を見るという視線だ。

そして興味深いのはシベリアからアメリカが近いという地理的な事実「連邦制」を考える際、シベリアを郷土とする人たちのアタマのなかにあったのは、アメリカ合州国であった。

日本のような国民と民族がほぼイコールの関係にある国はあくまでも例外で(・・その日本でも出自を異にする人たちが集まって形成されたのが日本民族である)、多民族が統合されている政治形態には「帝国」と「連邦」がある。

「帝国」はいまや姿を消したが、「連邦」はなんども再編を経ながらも現実的な政治形態として命脈を保ってきた。

著者は本書のなかで、「ソ連邦」ではなく「ソ同盟」という表現を一貫してつかっており、やや奇異な印象をもつのだが、それは「連邦」(ユニオン)は「同盟」(ユニオン)でもあるということを読者に示したかったからであろう。

意外かもしれないが、「ソ同盟」は最初から最後まで「同盟(=連邦)からの離脱可能性」は憲法に明記していた。著者はこの点を強調して、現在のロシア連邦における状況を後退だとして批判している。

ここで、わたしは小室直樹の『ソビエト帝国の崩壊』(1980年!)を想起する。小室直樹が1980年という時点で法律論の観点から「連邦離脱可能性」を指摘し、ソ連崩壊の可能性について論じていたことは明記しておきたい。

連邦制は 「求心力と遠心力のせめぎ合い」の観点から理解すべき政治形態であり、現実的には、そう一筋縄にはいかない問題である。じっさい、ソ連時代も含め、ロシア連邦におけるシベリアは実質的に「国内植民地」として扱われてきた。

連邦制を最終的に拒否した中国共産党においては、漢族中心の国家体制においては少数民族のチベットや内モンゴルを「国内植民地」扱いしてきたし、おなじく多民族国家のミャンマー連邦(Union of Myanmar)においても、事情は変わらない。

沖縄についてもまたおなじ問題が潜在的に存在することは、これまた著者は触れていないが大前研一が提唱してきた「道州制」について考えてみればわかることだ。大前研一は沖縄の「ユイマールビジョン」のサポーターである。

民族学者ポターニンが提起した「シベリア独立」について考えることは、ナショナリズム(愛国主義)とはイコールではないパトリオティズム(愛郷主義)について考えるひとつの事例となるだろう。


シベリアでも「運動」に挫折した知識人たちは地理学と民俗学に向かった

逮捕後のポターニンらがシベリアの地理や民俗の研究に向かったことは、戦前や戦中の日本においても転向によって「運動」から離脱しマルクス主義者たちが柳田國男の民俗学に向かったことを想起させる。

著者は触れていないが、橋浦泰雄、大間知篤三、中野重治、福本和夫、石田英一郎といった民俗学者や民族学者たちについては 『柳田国男とその弟子たち-民俗学を学ぶマルクス主義者-』(人文書院、1998) に描かれているのでぜひ参照していただきたいと思う。

シベリアの少数民族には、モンゴル系だけでなく、トルコ系でもない、われわれ日本人とよく似た風貌のものも多い。たとえば、最近DVD化された黒澤明監督の名作『デルス・ウザーラ』のナナイ族もまたその一つだ。

ただ、本書には問題もある。全体にやや冗長な感があるのは否定できないことだ。第1章から第5章までのポターニンの生涯についての記述が長すぎて、しかも脱線が多い。だが、ポターニの生涯を紹介するという趣旨とともに、著者が高齢であるがゆえに語っておきたいという思いが強すぎた結果であろうと好意的に受け取っておこう。

第6章における問題提起こそ読むに値する。その意味では、第6章の分量はすくなくとも全体の1/3から1/2は欲しかったところだ。第6章で語られている論点については、田中克彦の他の著作を参照すべきだろう。

ベースにある思想は、母語という固有の言語にささえられた共同体こそ政治の基本単位であるべきだというものだ。

言語共同体というのは、もともとは近代国家としての統一が遅れたドイツで生まれたドイツロマン主義的発想である。言語を軸にして民族と国家を考えるために必要な前提条件であったが、それは少数民族の権利を守るための基礎理論となりうる。

ロシアやシベリアに関心のある人だけでなく、ナショナリズムとパトリオティズムの相克という普遍的な問題に関心をもつ人も一読をすすめたい。




目 次

はじめに-私はなぜこの本を書くか
第1章 シベリア独立事件
第2章 ポターニン
第3章 ポターニンの仲間たち
第4章 逮捕と獄中生活
第5章 探検と孤独
第6章 ポターニンの思想的遺産
あとがき-ポターニンにみちびかかれて
参考文献
関連年表

著者プロフィール

田中克彦(たなか・かつひこ)
1934年兵庫県生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科、一橋大学大学院社会学研究科、ボン大学哲学部でモンゴル学、言語学を学ぶ。現在、一橋大学名誉教授。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS. 『西北蒙古誌 第2巻 民俗・慣習編(アジア学叢書)』(ポターニン、東亜研究所訳、大空社、2008)から復刻されている。

目 次 
第1章 人種と種族(トルコ系人種;蒙古人種)
第2章 西北蒙古に於ける古代の記念物
第3章 宗教生活、生活の外的環境、家庭内及び社會的慣習に關する覺書
第4章 指、天體現象、動物及び植物の名稱並びにそれらに關する迷信
第5章 童話と傳説

(古書店の販売目録に掲載されている表紙写真)


<関連サイト>

『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』 編集部からのメッセージ(岩波書店のサイト)

「コレクション全体に反映された石濱の学問への願い」(田中克彦 大阪大学図書館報 2010年3月)
・・上原専禄と石濱純太郎との関係。大阪大学の石濱文庫とポターニン



PS. 「ポターニンとシベリア独立運動-田中克彦『「シベリアに独立を!」』出版記念シンポジウム」(2013年11月30日)

「ポターニンとシベリア独立運動-田中克彦『「シベリアに独立を!」』出版記念シンポジウム」と題したシンポジウムが、2013年11月30日(土)に東京・四ツ谷の桜美林大学サテライト校で開催された。

直前になって東京在住のブリヤート・モンゴルの方から教えていただいてシンポジウムの開催を知った。ブリヤートはバイカル湖のほとり、まさにシベリア人の故郷の一つである。

専門研究者ではない「単なる一ビジネスマン」であるわたしにとっては、やや場違いな感も否めなかったが、シンポジウムに参加してみての感想は以下のとおりだ。

著者である田中克彦氏はさておき、パネル出席者の方々のなかでは、岩波書店の担当編集者の馬場氏の書籍成立にかんする内輪話が面白かった。

モンゴル研究者の宮脇淳子氏のコサックにかんする話は理路整然としていて、しかも立て板に水のようなしゃべり方で、聞いていてたいへん勉強になった。

産経文化人としての活躍の多い宮脇氏であるが、いまだにやや左寄りの田中克彦氏とは、じつはモンゴル研究という接点を媒介にした人間関係が長い。こういうことは、右派と左派という日本人が大好きなステレオタイプな分類ではわからないことだ。

諸民族を抑圧してきたソ連崩壊は実現したが、さて中国は・・・?

モンゴルやその他シベリアの少数民族だけでなく、さらにはチベットやウイグルを視野に入れることが重要だ。視点と軸足をどこに置くかで、ものの見方はまったく異なるものになる

逆にいえば、チベットやウイグルだけではなく、モンゴルやシベリア諸民族もまた視野に入れて考える必要があるということなのだ。  

(2013年12月1日 記す)。




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