「ワインと料理で世界がまわる」というのは、ジャーナリスト西川恵氏の「饗宴外交」三部作の最新作である 『饗宴外交』(西川恵、世界文化社、2012)の副題だが、「饗宴外交」の本質を見事に要約しているといっていいだろう。
そもそも「饗宴外交」というものを日本人読者に示してくれたのが西川恵氏である。月刊情報誌の『フォーサイト』(新潮社)の連載もずいぶん長く続いている。単行本のカバーに Wine & Dine Diplomacy とあるが、この韻を踏んだ「ワインと料理」こそ、人間社会ではものを言う。
もちろん、一本のワインや一皿の料理で国際政治が動くという意味ではない。
共に飲食することで、それまでかならずしも親しくなかった人間どうしが知り合いになり、飲食を重ねるごとに関係が緊密になっていく。その飲食の場にどのようなワインや料理が登場するか、それが意味をもつのだ。
社交(=ソーシャリゼーション)の場に飲食がかならずといっていいほどつきものであるのはそのためだ。政治にもビジネスにかかわっていなくても自明のことだと思うが、西川氏の目の付けどころが非凡なのは、晩餐会や昼食会などの饗宴におけるメニューとその内容に注目したことにある。
饗宴とは食事でもてなすこと。共に飲食することをラテン語で convivium(コンヴィヴィウム) というが、もともとの意味は「共に生きる」ということだ。それほど飲食を共にすることは生きることそのものである。
第一作の 『エリゼ宮の食卓-その饗宴と美食外交-』(西川恵、新潮文庫、2001 初版単行本 1996)は、1986年から1993年まで7年間フランス特派員を務めていた西川氏の着眼点がいかにすぐれたものであったか、その成果を一冊にまとめたものだ。
外交先進国であるフランスの大統領官邸、すなわちエリゼ宮における饗宴のメニューを詳細に読み解くことによって、ホスト国のフランスとゲスト国との国際政治を同時に読み解く試みである。
ミッテラン大統領時代(在任: 1981~1995)を中心に、そのときどきの大統領の饗宴に対する考え方と、料理の内容とワインとシャンパンの銘柄とヴィンテージによって、饗宴にあずかった各国首脳の「格付け」を知ることができるというきわめて新鮮な内容であった。
つまり外交における飲食にはシンボリックな意味が負わされているのである。歴史と前例を踏まえ、かつその饗宴の政治的意味づけを明確にして。
饗宴のゲストは、メニューに込められた政治的な意図や計算、思惑をシグナルとして明示的に、あるいは言外の暗示的なメッセージを読みとらねばならないわけだ。
同書によれば、フランスの大統領のなかでもドゴールは早食いで饗宴はあまり重視していなかったらしい。ドゴールとは違ってポンピドゥーは食事も含めた文化に造詣が深く、フランス文化の売り込みにもつながる饗宴にはチカラを入れたらしい。この姿勢はその後の大統領にも受け継がれ散るという。
2013年秋に日本公開されたフランス映画 『大統領の料理人』(2012、フランス)はミッテラン大統領のプライベート・シェフとなった女性の実話をもとにした映画だが、この映画をみるうえで、同時代を扱った 『エリゼ宮の食卓』はまたとない参考書となるはずだ。
第二作は 『ワインと外交』(西川恵、新潮新書、2007)。これは1998年以降の『フォーサイト』の連載を書籍化したものだが、饗宴でもてなす側のホスト国がメニュー作成にいかに心血を注いでいるか、前作と同様に具体的な事例で詳細に語られる。
わたしにはとくにタイのプミポン国王即位60周年式典の一切が興味深い。即位60年式典そのものに言及した記事は多いが、メニューの中身にまで言及したものは西川氏のものがほぼ唯一だからだ。フランス料理ではなくイタリア料理がベースになったのは、シーフードに恵まれたタイという背景もあるのかもしれない。
第一作の 『エリゼ宮の食卓』がフランスを中心にしたものであったとすれば、第二作の 『ワインと外交』と第三作の『饗宴外交』は欧州共同体だけでなく、東アジアやイランまで話題が広がっている。飲食における異文化と国際政治の関係について考える素材としても興味深い。
外交の世界におけるフランス語のプレゼンスは衰退しているが、饗宴の基本はフランス料理とフランスワインである。
国によってさまざまなバリエーションがあっても基本は変わらず、しかもフランス産ではなくても飲み物はワインに国際標準化する傾向にある、と。とはいえ、近年は日本料理や日本酒の人気も高いのは日本人としてはうれしいことだし、日本がこんご国際世界のなかで生き残っていくためにも心強い武器となりうることも示している。
自分自身についていえば、さすがに国際外交の舞台で饗応されるようなワインと料理をクチにすることはめったにないが、「読む口福」とはまさにこのようなことをいうのだろう。登場する料理やワインの名はすべて知らなくても、また覚えきれなくとも、そういう世界があるのだと思えば国際政治と飲食の関係に興味もわくはずだ。
グルメ本として読むもよし、国際政治の舞台裏を知る読み物として捉えるのもよし。いずれにせよ「おいしい本」であることは間違いない。
詳細な内容こそメニューを読む楽しみ。楽しみはみなさんのために取っておきましょう。
では、みなさんボナペティ(Bon appetit)!
<関連サイト>
おもてなしの心に国境はない『饗宴外交』著者:西川恵氏インタビュー (ウェッジ、2012年7月6日)
<ブログ内関連記事>
書評 『「独裁者」との交渉術』(明石 康、木村元彦=インタビュー・解説、集英社新書、2010)
・・「交渉術」としての「食事術」という文章を書いておいた。
「機会があって、私はカンボジア王国の日本大使館公邸を訪れてパーティに参加したことがあるが、その際振る舞われたワインの質とバラエティの豊富さには驚かされたものだ。・・(中略)・・隣国のスロヴェニア(旧ユーゴ)には何度かいったことがあり、これまた機会があってお招きにあずかり、チトー大統領の元料理長がつくって目の前で給仕してくれる素晴らしい料理を、スロヴェニア・ワインと一緒にいただいた経験をもっている」
書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)-クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール
・・「大使の重要な公務には、駐在国の政治家たちを公邸に招待し、昼食や夕食で接遇して歓談しながら、彼らの人となりをじっくり観察するというものがある・・(中略)・・アルコールが入ってリラックスした席での、海千山千のタイ人政治家たちの肉声が実にナマナマしい。息づかいまで聞こえてくるようだ」。
小林元大使は市内の日本食レストランでは味わえない日本料理をいかがですかという誘い文句で多数の政治家を日本大使館公邸に招待することに成功した。「プーミポン国王即位60周年」と天皇皇后両陛下の訪タイをめぐる皇室外交の舞台裏がわかる貴重なメモワールである。『饗宴外交』(西川恵、世界文化社、2012)にも取り上げられている。
書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)-戦後アジアとの関係において果たした「皇室外交」の役割の大きさ
・・宮内庁は皇室外交という表現を嫌うらしいが、皇室の存在は日本外交においては最終兵器というべきだろう
海軍と肉じゃがの深い関係-海軍と料理にかんする「海軍グルメ本」を3冊紹介
・・『エリゼ宮の食卓』によれば、フランスのエリゼ宮の料理長は海軍所属の料理人からリクルートされるらしい。軍人であるために規律が身についており、守秘義務を絶対に守るからだという。大統領がなにを食べ、あるいは食べなかったということは健康情報そのものでありトップシークレットだからだ。
映画 『大統領の料理人』(フランス、2012)をみてきた-ミッテラン大統領のプライベート・シェフになったのは女性料理人
・・実話にもとづく、とっておきにおいしいフランス映画
映画 『ジュリー&ジュリア』(2009、アメリカ)は、料理をつくり料理本を出版することで人生を変えていった二人のアメリカ女性たちの物語
・・フランス料理で身を立てたアメリカ女性の実話
(2014年4月26日 情報追加)
なお、食事を食べてつくることについては、拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)の「第5章 引き出しの増やし方 応用事例編 「料理」を例に「引き出し」を増やしてみるとしたら」にくわしく書いておいたので、参照していただけると幸いです。
(2012年7月3日発売の拙著です)
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