映画 『レッド・オクトーバーを追え!』の原作者のアメリカの作家トム・クランシーが死去。10月2日のことだという。享年66歳、死因が公表されていないが、ずいぶん早い死だな、と。 http://www.cnn.co.jp/showbiz/35037965.html
いまをさかのぼること21年前の1992年、アメリカのRPI(=レンセラー工科大学)でMOT(=技術経営)を専攻、無事MBAを取得して卒業したのだが、そのときの卒業スピーチ(Commencement address)がトム・クランシーによるものだった。トム・クランシーは45歳、わたしは29歳。二人とも若かった(笑)
ソ連が崩壊したのはその前年の1991年12月。冷戦構造を前提にしたスパイ小説やサスペンスはもはやあり得ないのでは?と言われていた頃だ。英国映画の『007シリーズ』もその当時は、将来どうなるのかとたいへん懸念されていたのだった。
ソ連が崩壊して「仮想敵国」が消え去ったあと、アメリカは次の仮想敵国を探し求めていたのだが、ターゲットにされていたのが日本だったのである! 1980年代後半には「半導体戦争」が日米間にあり、戦争前夜のような感さえあったのだ。
湾岸戦争(・・アメリカでは The Gulf War と呼んでいたが)に、日本は憲法上の制約から軍隊を送りこまずカネで解決しようとしているとして、国際的に非難を浴びていたのだ。在米日本人としてはずいぶんたいへんな状態だったのだ。
アフガンでソ連と戦ったムジャヒディン(=イスラーム戦士)たちは、ウサマ・ビンラディンも含めじつはアメリカの CIA の息がかかった存在だったのだが、まだアメリカには牙をむいていなかった。「9-11テロ」は2001年のことである。
1992年当時、アメリカでもっとも話題になっていた作家はトム・クランシーよりも、いまは亡きマイケル・クライトンであった。
『ライジング・サン』(Rising Sun)という日本企業を扱った小説は、1993年に映画化されショーン・コネリーが主演を演じていたが、原作の小説には日本にかんする記述には事実誤認が散見されていた。在米日本人としては、まことに残念なことであった。
おなじくショーン・コネリー主演の『レッド・オクトーバーを追え』(1990年)は、トム・クランシーの原作の映画化(冒頭の写真)。むかしなつかしソ連の原子力潜水艦。冷戦時代もいまはむかし。昭和は遠くなりにけり、だ。
大学院ではトム・クランシーだったのは彼が著名人だったからだが、日本の大学学部のときの祝辞はだれだったのか記憶にすらない。ということは著名人ではなかったということか?
わたしの父親は神戸大学の卒業だが、卒業スピーチは出光佐三が「士魂商才」の話をしていたという。そのような著名人だと記憶に残るのだろうか。
トム・クランシーは映画『レッド・オクトーバーを追え』を見ただけで、じつは小説はぜんぜん読んでいない。
「卒業スピーチでナマのトム・クランシーを見て話を聞いた」ということを、日本に帰国後だいぶたってから大学時代の同級生にしたら、たいへんうらやましがられたことを思い出した。彼女は、トム・クランシーの大ファンでほとんど読みつくしていたのだという。まあ、世の中なんてそんなものか。
正直なところ、わたしとしてはトム・クランシーではなく、その前年に招待されて卒業スピーチを行ったピーター・ユベロスのほうが、ほんとうは話を聞きたかった。
ピーター・ユベロスは1984年のロサンゼルス・オリンピックをスポンサーを一業種一社に限定するという卓抜なマーケティング手法によって商業的に大成功させた立役者で、スポーうビジネスの世界では著名な辣腕ビジネスマンだったからだ。ロサンゼルス大会の開会式のシーンなどいまでも記憶に残っている人も少なくないだろう。
いま書いていて気がついたが、『レッド・オクトーバーを追え!』の原作者がオクトーバー(=10月)に死去。なにやら偶然にしては因縁のある話だ。さきに引き合いに出したマイケル・クライトンは66歳で亡くなっている。人気作家は寿命を縮める職業なのかもしれない。
ながながと書いてしまったが、トム・クランシー氏のご冥福を祈ります。合掌。
<付記>
wikipedia で Tom Clancy の項目をみると以下の記述があった。
Clancy received an honorary doctorate in humane letters and delivered the commencement address at Rensselaer Polytechnic Institute in 1992, and has since worked a reference to the school into many of his main works.
なるほど、卒業スピーチをして人文学で名誉博士号を授与されたあとで卒業スピーチをしたのだったというわけか。すかり忘れていた。人間の記憶の限界だ。
工科大学は軍との関係も深くROTCも設置されているのでトム・クランシーなら適任だろう。1991年は The Gulf War (第一次湾岸戦争)が勃発し、キャンパスからも空軍所属の学生たちが出征していったものだった。幸い戦死者は出なかったが。
<付記 その2>
トム・クランシーは1994年には、『日米開戦』(Debt of Honor)なる小説を発表していたようだ。wikipedia日本版によれば以下のような内容らしい。
・・「日米開戦(にちべいかいせん、原題:Debt of Honor)とは、アメリカ合衆国の小説家であるトム・クランシーによるジャック・ライアン・シリーズのひとつである。 日本の経済的支配者(財閥)が日本政府を動かしてアメリカ合衆国に対し軍事的挑戦をする内容である。この小説が出版された1994年には、日米間で貿易摩擦による日本に対するアメリカの不信感が強く存在していた時期である。このことが、現実とは異なる核武装国家として描かれ、アメリカに対する「敵国」として日本が名指しされたといえる・・(中略)・・この小説の結末は、ジャンボジェット機を議会議事堂に突入させる描写であったが、後に発生したアメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)における旅客機による自爆テロ攻撃に類似していた」
あの当時の仮想敵国は日本であったのだ。
<関連サイト>
映画 『レッド・オクトーバーを追え』(The Hunt for Red October) Trailer
・・1990年制作のアメリカ映画。そのとき、まだソ連は崩壊していなかった!
映画 『ライジング・サン』(Rising Sun) official trailer HD
・・1993年制作のアメリカ映画。原作はマイケル・クライトン。主演はショーン・コネリー
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レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年
アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで!
日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)-『マンガ 日本経済入門』の英語版 JAPAN INC.が米国でも出版されていた
「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる
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「人間尊重」という理念、そして「士魂商才」-"民族系" 石油会社・出光興産の創業者・出光佐三という日本人
(2014年5月12日、8月4日 情報追加)
わたしの父親は神戸大学の卒業だが、卒業スピーチは出光佐三が「士魂商才」の話をしていたという。そのような著名人だと記憶に残るのだろうか。
(wikipedia よりトム・クランシー近影)
トム・クランシーは映画『レッド・オクトーバーを追え』を見ただけで、じつは小説はぜんぜん読んでいない。
「卒業スピーチでナマのトム・クランシーを見て話を聞いた」ということを、日本に帰国後だいぶたってから大学時代の同級生にしたら、たいへんうらやましがられたことを思い出した。彼女は、トム・クランシーの大ファンでほとんど読みつくしていたのだという。まあ、世の中なんてそんなものか。
正直なところ、わたしとしてはトム・クランシーではなく、その前年に招待されて卒業スピーチを行ったピーター・ユベロスのほうが、ほんとうは話を聞きたかった。
ピーター・ユベロスは1984年のロサンゼルス・オリンピックをスポンサーを一業種一社に限定するという卓抜なマーケティング手法によって商業的に大成功させた立役者で、スポーうビジネスの世界では著名な辣腕ビジネスマンだったからだ。ロサンゼルス大会の開会式のシーンなどいまでも記憶に残っている人も少なくないだろう。
いま書いていて気がついたが、『レッド・オクトーバーを追え!』の原作者がオクトーバー(=10月)に死去。なにやら偶然にしては因縁のある話だ。さきに引き合いに出したマイケル・クライトンは66歳で亡くなっている。人気作家は寿命を縮める職業なのかもしれない。
ながながと書いてしまったが、トム・クランシー氏のご冥福を祈ります。合掌。
<付記>
wikipedia で Tom Clancy の項目をみると以下の記述があった。
Clancy received an honorary doctorate in humane letters and delivered the commencement address at Rensselaer Polytechnic Institute in 1992, and has since worked a reference to the school into many of his main works.
なるほど、卒業スピーチをして人文学で名誉博士号を授与されたあとで卒業スピーチをしたのだったというわけか。すかり忘れていた。人間の記憶の限界だ。
工科大学は軍との関係も深くROTCも設置されているのでトム・クランシーなら適任だろう。1991年は The Gulf War (第一次湾岸戦争)が勃発し、キャンパスからも空軍所属の学生たちが出征していったものだった。幸い戦死者は出なかったが。
<付記 その2>
トム・クランシーは1994年には、『日米開戦』(Debt of Honor)なる小説を発表していたようだ。wikipedia日本版によれば以下のような内容らしい。
・・「日米開戦(にちべいかいせん、原題:Debt of Honor)とは、アメリカ合衆国の小説家であるトム・クランシーによるジャック・ライアン・シリーズのひとつである。 日本の経済的支配者(財閥)が日本政府を動かしてアメリカ合衆国に対し軍事的挑戦をする内容である。この小説が出版された1994年には、日米間で貿易摩擦による日本に対するアメリカの不信感が強く存在していた時期である。このことが、現実とは異なる核武装国家として描かれ、アメリカに対する「敵国」として日本が名指しされたといえる・・(中略)・・この小説の結末は、ジャンボジェット機を議会議事堂に突入させる描写であったが、後に発生したアメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)における旅客機による自爆テロ攻撃に類似していた」
あの当時の仮想敵国は日本であったのだ。
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・・1993年制作のアメリカ映画。原作はマイケル・クライトン。主演はショーン・コネリー
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