2013年12月25日水曜日

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督


映画監督の大島渚氏が亡くなったのは、ことし2013年の1月のことであった。

世代的な関係から、「日本のヌーベルヴァーグの旗手」といわれていた大島渚監督の、1960年代から70年代にかけての作品を見てきたわけではない。だが、『戦場のメリークリスマス』(1983年)以降、つぎつぎと話題作を製作していた頃の大島渚監督はTV番組をはじめさまざまな媒体で積極的に発言をしていたのであった。

だから、大島渚といえば、わたしにとっては、なんといっても『戦場のメリークリスマス』なのである。いまから30年前の作品だ。

大島渚監督は、作曲家でテクノ系バンド YMO の坂本龍一ブリティッシュ・ロックのデビット・ボウイ、そして「オレたちひょうきん族」が放送されていた頃のお笑い芸人のビートたけしを映画デビューさせるという離れ業をやってのけたのである。きわめて個性的なキャラクター抜きでこの映画は成り立たない。いまみても、これ以外のキャスティングはあり得ないのではないかというほどまったく違和感がない。

その後、『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas Mr. Lawrence)の原作ローレンス・ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』(The Seed and the Sower)を読む機会があったが、どうしても映画の印象がつよすぎて重ね合わせてしまう。とくにハラ軍曹を演じたビートたけしの演技は、これ以外は考えられないといったものだからだ。



ローレンス・ヴァン・デル・ポスト(Laurens van der Post)は南アフリカ生まれた英語作家である。名前が示しているようにオランダ系移民のボーア人(=ブール人)の末裔。若き日に日本の船長(キャプテン)と知り合い、友人とともに日本に渡航したことのある日本通であった。

第二次大戦がはじまると志願して英国陸軍のコマンド部隊の大佐として各地を転戦することになる。皮肉なことに、日本軍政下のインドネシアのジャワで日本軍に捕まり収容所で捕虜生活を送ることになる。

日本に原子爆弾が投下されたことで日本が降伏し、ヴァン・デル・ポストも収容所から解放されることになるのだが、その件についてはだいぶ前に 原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』 に書いたとおりだ。

(英国陸軍大佐としてのヴァン・デル・ポスト)


ジャワ島での収容所体験をもとに書かれた作品が、『種子と蒔くもの』(オリジナルタイトル:The Seed and the Sower  1963年)という「クリスマス三部作」に収録された3つの中編小説であある。

「第一部 影の獄にて-クリスマス前夜」(The Bar of Shadow)、「第二部 種子と蒔くもの-クリスマスの朝」(The Seed and the Sower)、「第三部 剣と人形-クリスマスの夜」(The Sword and Doll)のうち、大島渚監督は映画『戦場のメリークリスマス』の製作にあたって、最初の2作品を基にしている。

ジャワ日本軍捕虜収容所での英国軍人ローレンスと捕虜虐待を行う日本人鬼軍曹ハラとの逆説的な出会いと友情、戦友セリエと日本人将校ヨノイとの同性愛、セリエと弟との秘話にあかされる人間の裏切りと愛・・・。相反するものたちのコンフリクトと合一。人間存在の不思議さ。

「種子と蒔くもの」は、フランスの画家ミレーの名作 「種まく人」のことである。もともとは『新訳聖書』の「マタイによる福音書」の13章にある寓話からきている。

「影の獄にて」の「影」とはユング派心理学でいう「影」のことである。単行本の帯には、「ユング的世界と人類学的世界の類い稀な小説化」とある。

作家ローレンス・ヴァン・デル・ポストは、東南アジアでの軍務を終えて英国に渡航した際、ロンドンでユングと知り合いになりすっかり魅了されてしまう。。のちにユングの伝記 Jung and the Story of Our Time を執筆しているが、ユングの影響を大きく受けているわけだ。

人間は自分の「影」という監獄につながれた囚人である。そういう認識が『影の獄にて』という小説のタイトルに反映しているわけだ。

「人類学的世界」とは南アフリカに生まれたヴァン・デル・ポストのたぐいまれな異文化理解能力のことをさしている。この小説は捕虜体験という参与観察による日本人の文化人類学的研究を小説化したといってもいいような作品なのだ。

この原作と大島渚監督との出会いこそが、このすばらしい映画が成立する条件であったのだ。




『影の獄にて』について

『影の獄にて』の内容については、映画のあらすじを見ていただければわかると思うが、もちろん原作の小説と映画は同じものではない。

映画には反映されていない「第三部 剣と人形-クリスマスの夜」も捨てがたい作品である。これはぜひ読んでほしいと思う。

『影の獄にて』の日本語訳の翻訳者・由良君美氏は、「本書は(ヴァン・デル・ポスト)氏の多くのファンの間で、英米ではとくに評判の悪いものであるが、心ある人は、氏の小説における傑作のひとつとしている。われわれは逆に、この本こそ、ヴァン・デル・ポスト世界への、日本人のための最良の入り口と考え・・」と書いている。


またこうも書いている。「・・われわれの無意識の深層に眠るものは変わらない。その日本的心性の古態型(アーキタイプ)を、本書の第一部ぐらい、想像的共感によって、美事に造形した作品は少ない。第二部も、<イニシエーション>を描く部分のごとき、凡百の文化人類学者で<通過儀礼>を学ぶよりも、はるかに迫真的に、その実体を味あわせてくれるものがあろう」。
.
日本語訳は由良君美氏と富山太佳夫氏によるもので、第一部と第三部は由良、第二部は富山の分担になっているが、「ただお断りすべきは、第二部末尾の二ページ分は、戦中の神道美学を濃厚に意識した原文であるため、戦中派である由良が訳したことである」という。日本語訳では最後の3ページ分である。


では、「第二部 種子と蒔くもの-クリスマスの朝」の最後の文章を読んでみよう。主人公の日本人将校ヨノイが原作では戦犯に問われることなく釈放され、戦争終了後、故郷の神社に参拝して奉納したという想定の短詩である。英語そのものも味読していただきたい。英語で日本的なものがここまで表現できるのである。


社前に赴いて深く礼をし、鋭く柏手うって、祖先の御霊に帰朝を報告し、祖霊に読んで頂くべく、つぎの詩を奉納してきた、と。

Presenting himself at the shrine, bowing low and clapping his hands sharply to ensure that the spirits knew he was there, he had deposited his verse for the ancestors to read:


春なりき。
弥高(いやたか)き祖霊(みたま)畏(かし)こみ、
討ちいでぬ、仇なす敵を。
秋なれや。
帰り来にけり、祖霊(みたま)前、我れ願う哉(かな)。
嘉納(おさめ)たまえ、わが敵もまた。


In the spring,
Obeying the August spirits.
I went to fight the enemy.
In the Fall,
Returning I beg the spirits,
To receive also the enemy.


「第二部」の結びの文章は以下のようになっている。相反する反対物の一致について語られている。

「風と霊、台地と人間の命、雨と行為、稲妻と悟得、雷(いかづち)と言葉、種子と蒔く者―すべてのものはひとつだ。自分の種子を選んで欲しいと言い、あとは、内部の種子蒔く者に、みずからの行為のなかに蒔いて欲しいと祈ればよい。それだけで、ふくよかな黄金(こがね)なす実りは、すべての人のものとなるのだ」と。

"Wind and sprit, earth and being, rain and doing, lightning and awareness imperative, thunder and the word, seed and sower, all are one: and it is necessary only for man to ask for his seed to be chosen and to pray for the sower within to sow it through the deed and act of himself, and then the harvest for all will be golden and great."


ユング派心理学にも通じ、日本を深いレベルで知っていた行動と思索の人ローレンス・ヴァン・デル・ポストにとって、人生はまさにあざなう縄のごとしであったのだろうか。日本を愛し、そして日本を敵として戦って捕虜となり、そしてまた日本との絆が深まったのである。

彼の日本とのかかわりは、A Portrait of Japan (1976) のほか、Yet Being Someone Other という自伝的作品にも書き込まれている。





映画 『戦場のメリークリスマス』だけでなく、ぜひ映画の原作と読み比べてほしいものである。『戦場のメリークリスマス』は、このヴァン・デル・ポストの原作と大島渚監督があってこそ生まれた傑作だからだ。

大東亜戦争における英国人捕虜を題材にした英米合作映画 『戦場にかける橋』(1957年)が反日的色彩の濃いものであるのに対し、 『戦場のメリークリスマス』は、日本人を熟知した作家と日本人映画監督のコラボレーションといってもいい。

だからこそ、日本人のいやな面も描きこんでいるとはいえ、いたずらに美化することもなく、ありのままの日本人を描いているから日本人が見ても違和感がないのである。稀有な作品といえるだろう。

思索社から「ヴァン・デル・ポスト選集」が出版されているのだが、この知日派の英語作家の作品はどれくらい日本人のあいだで知られているのだろうか。現在は品切れとなってしまっているようだが・・・。

ぜひローレンス・ヴァンデルポストという作家の作品は読んでほしい。





<関連サイト>

『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas Mr. Lawrence 1983年) トレーラー

戦場のメリークリスマス ED - Merry Christmas Mr. Lawrence Ending
・・戦争終了後の1946年、立場が完全に入れ替わったローレンスとハラ軍曹の再会と別れ。戦犯となったハラ軍曹はクリスマスの翌朝、処刑が執行される。ローレンスにむけた最後のセリフが Merry Christmas Mr. Lawrence !



PS 追悼デビッド・ボウイ(1947~2016)

『戦場のメリークリスマス』で英国将校の役を演じたデビッド・ボウイが2016年1月10日に69歳で亡くなった。追悼の意味をこめて フランスの女優イサベル・アジャーニが歌う「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)-追悼デビッド・ボウイ(1947~2016) という記事を書いた。あわせてご覧いただければ幸いである (2016年1月23日 記す)



<ブログ内関連記事>

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』
・・ジャワの捕虜収容所で「終戦」を迎えたヴァン・デル・ポスト

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・同じような警句を発している鶴見俊輔について触れている。鶴見俊輔は大東亜戦争中、海軍の軍属として通訳官としてインドネシアのジャワにいた。ローレンス・ヴァンデル・ポストとは接点はないが・・

書評 『河合隼雄-心理療法家の誕生-』(大塚信一、トランスビュー、2009)-メイキング・オブ・河合隼雄、そして新しい時代の「岩波文化人」たち・・・ 
・・ユング派の臨床心理学者の河合隼雄


オランダ領東インドと日本

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド
・・『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』の2年後に日本で翻訳出版された。ともに健忘症の日本人への警鐘と受け取りたい。重要なことはバランスのとれた「ものの見方」。夜郎自大にならず、卑屈にも自虐的にもならず

書評 『帰還せず-残留日本兵 60年目の証言-』(青沼陽一郎、新潮文庫、2009) ・・主にインドネシアの事例を取り上げている


大英帝国の東南アジア植民地と日本

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!

書評 『裁かれた戦争裁判-イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか ・・「英国主導の「BC級戦犯裁判」においては、「泰緬鉄道関連」もさることながら「華僑虐殺裁判」が中心となったという」事実

(2015年8月13日 情報追加)


 
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