2014年2月8日土曜日

東南アジアでも普及している「ラウンドアバウト交差点」は、ぜひ日本にも導入すべきだ!

(バンコク市内西部トンブリにある「ラウンドアバウト交差点」)


テレビ朝日の日曜お昼の情報バラエティ番組「サンデースクランブル」に、元プロレスラーの髙田延彦氏が気になる問題を解説する「ニュース道場」というコーナーがある。

先月のことになるが、「ラウンドアバウト交差点」をとりあげていた。番組タイトルは「危険な交差点に救世主」(2014年1月26日放送)。

「ラウンドアバウト交差点」とは、信号機を使用しない交差点の一種で、交差点の真ん中の「中央島」の周りを走らせて、前進・左折・右折させる仕組みのことだ。「ラウンドアバウト」(roundabout)とは、迂回や回り道を意味する英語である。

ヨーロッパでは当たり前の「ラウンドアバウト交差点」だが、なぜか日本にはない。番組では下の写真で示すように静岡県焼津市で導入されたそうだ。導入の理由はあまりにも交差点事故が多かったからだという。

(静岡県焼津市 「サンデースクランブル」2014年1月26日放送より)

ヨーロッパからさまざまな高度文明を導入した日本だが、なぜか道路交通システムとしての「ラウンドアバウト交差点」だけは導入されてこなかった道路の左側通行は英国から導入し、その他の都市交通機関も路面電車地下鉄などヨーロッパから取り入れてきたのだが。

番組では「ラウンドアバウト交差点」のメリットが3点に要約されて紹介されていた。

(「サンデースクランブル」2014年1月26日放送より)

1. 重大事故防止: 減速するために出会いがしらの衝突などに有効
2. 環境に優しい: 信号待ち時間を解消、CO2も削減
3. 災害に強い: 停電時も通行に支障がない

とくに三番目の理由が重要だと思うのは、東京23区を除いた東日本の東京電力管内「3-11」後の停電や計画停電(輪番停電)を体験しているからだ。電気で駆動と制御をおこなうのが近代文明の特長だが、まさにその電気の供給が止まると社会システムそのものが起動しなくなるのだ。

これだけ見ればいいことづくめである。だが、日本でいまから導入するに際しては、慎重に行う必要があるだろう。そもそも教習所で習った記憶もない。

自分で運転していたわけではないが、わたしもヨーロッパではじめて「ラウンドアバウト交差点」に遭遇したとき、ひじょうに奇妙な印象を受けたことを覚えている。

番組で紹介されていた運転方法は以下に示したとおりだ。

日本など左側通行の場合、「中央島」の周囲にある「還道」を時計回りで徐行でゆっくり走行しながら、左折する場合はそのまま左折、直進する場合は「還道」に沿いながら走って直進する。

右折する場合はそのまま右折してはいけない。かならず「還道」の周りをぐるっと 3/4 走ってから右折することになる。

いずれの場合も信号機はないので、対向車を意識しながら徐行しながら走行することが重要である。

(「サンデースクランブル」2014年1月26日放送より)

(「サンデースクランブル」2014年1月26日放送より)

静岡県焼津市で導入されたということだが、自分が住んでいる地元ならすぐに慣れるだろう。だが、はじめて行った土地で遭遇した場合、はたしてスムーズに走行できるかどうか、これが問題となる。


「駅前ロータリー」は「ラウンドアバウト交差点」のバリエーション

番組では言及はなかったが、よくよく考えてみれば、「駅前ロータリー」という形で「ラウンドアバウト交差点」のバリエーションは日本全国に存在する。

厳密な意味では「ラウンドアバウト交差点」とはいえないが、まずはロータリーでの運転を想起してみるのがいいかもしれない。

駅前ロータリーは、駅舎で前方方向への進行がふさがれているので、駅前から放射状にのびる形になっているが、「中央島」の存在は「ラウンドアバウト交差点」と共通している。

東京都国立市のJR国立(くにたち)駅前に典型的な「駅前ロータリー」がある(写真下)。「中央島」は時計台になっている。

国立駅前のロータリーは、満洲国の首都・新京(=長春)と酷似しているが、一説によれば、ともにベルリンのウンター・デン・リンデン大通りやパリのシャンゼリゼ通りがモデルになっているのだという。日本における駅前ロータリーの原型というべきものだろう。

(日本における駅前ロータリーの原型 JR国立駅ホームから筆者撮影)

コメンテーターとして「サンデースクランブル」に出演していたテリー伊藤が、英国のロンドン郊外で運転していたときに遭遇したと語っていた。都市部では交通混雑があるので「ラウンドアバウト交差点」はないのだと。

たしかに、大陸ヨーロッパでも交通の激しい都市部には「ラウンドアバウト交差点」は存在しないような気がする。くわしく調査したわけではないのだが。


東南アジアには「ラウンドアバウト交差点」がある

「ラウンドアバウト交差点」は先進国だけではない。南アジアや東南アジアにも存在する。

シンガポールやミャンマー(=ビルマ)、インドなど、旧大英帝国植民地には「ラウンドアバウト交差点」が存在する。また植民地化はまぬがれたタイにも「ラウンドアバウト交差点」が存在する。

シンガポールでは日本の「駅前ロータリー」のように、前方が行きどまりの道で左折・右折させる仕組みのものがある。

ミャンマーの旧首都ヤンゴン(・・かつてはラングーンといわれた)にも「ラウンドアバウト交差点」がある。「中央島」にはスーレー・パゴダという仏塔があり、ヤンゴン中央部のランドマークになっている。有名な巨大仏塔のシュウェダゴン・パゴダはヤンゴン市内の北部にある別のパゴダである。

(ヤンゴン中央部スーレー・パゴダ トレーダーズホテルから筆者撮影)

ランドマークでもある仏塔のスーレー・パゴダが「中央島」になっているのは仏教国ならではである。ヨーロッパでは教会が「中央島」になることはないだろうが。

クルマの交通量がまだまだ少ない時代に設計され導入されたからだろうが、パゴダそのものは商業施設にもなっているのが面白い。信号機はまだ設置されてないが、「民主化」にともない投資ラッシュとなっており、その結果、交通量も急増しているようだ。いずれ信号機が導入されることになるかもしれない。

新首都ネーピードーにも「ラウンドアバウト交差点」がある。ネーピードーは、できたころの筑波学園都市というか幕張新都に心というか人工都市といった感じで、交通量もきわめて少ない。よくいえば、「国家百年の計」というフレーズを想起するものがあるといえようか。

(ミャンマー新首都ネーピードーの「ラウンドアバウト交差点」)

多民族国家ビルマを少数の植民地官僚で統治するため、大英帝国は「分割統治」策によって諸民族を分断させ互いに牽制させたことが「負の遺産」となっている。

そのこともあるかもしれないが、ミャンマーは道路交通体系は右側通行に転換してしまった。英国からの独立後も、しばらくのあいだは左側だったらしいのだが。

だが、「ラウンドアバウト交差点」は、大英帝国の「正の遺産」というべきだろう。日本には導入されてこなかった「ラウンドアバウト交差点」が、ミャンマーにはすでに存在するからだ。


大英帝国の旧植民地以外にもある

タイも日本と同じ植民地になったことはないが、これまた日本と同じく道路は左側通行である。

西隣りのビルマが大英帝国、右隣のラオスとカンボジアがフランスの植民地となったが、タイは英仏の緩衝地帯となったおかげで植民地化はまぬがれた。交通システムは英国式を採用しているが、民法は大陸法であり、この点も日本と同じである。

タイ北部の地方都市チェンライの「ラウンドアバウト交差点」(写真下)は、工事中だったのでわかりにくいと思うが、「中央島」は時計台となっている。

近代化をすすめていたタイにおいて、時計台は近代化のシンボルであったのだろう。いまのように誰もが腕時計やスマホで時間を知ることができるようなことはなかったからだ。


(タイ北部の地方都市チェンライ 筆者撮影)

バンコク市内のチャオプラヤー川左岸トンブリには巨大な「ラウンドアバウト交差点」がある(冒頭の写真と下の写真)。写真ではちいさくてわかりにくいだろうが、「中央島」にはダークシン大王の騎馬像がある。

(バンコクのトンブリにある「ラウンドアバウト交差点」 筆者撮影)

18世紀に生きたダークシン大王は現在のチャクリ王朝の前のトンブリ朝の創始者で、潮州系華人の血を引いていた。このため潮州系華人がタイの華人のメインストリームとなった。元首相のタクシンとは発音が違いまったくの別人である。ちなみにタクシン元首相はタイではマイノリティの客家系華人である。

さすがにバンコクは現在では世界有数の大都市なので、信号機なくしては交通整理できないようだ。交通量のさほど多くない時代につくられた「ラウンドアバウト交差点」は、撤去するわけにはいかないので信号機を設置することで対応するしかないのであろう。


「ラウンドアバウト交差点」は「習うより慣れよ」

以上のように、「ラウンドアバウト交差点」は日本でも駅前ロータリーという形で存在しているだけでなく、ヨーロッパまでいかなくても東南アジアには多数あることを紹介した。

東南アジアで普及している「ラウンドアバウト交差点」は、ある意味では周回遅れでトップを走る結果となっているのかもしれないが、じっさいに使用されているのは厳然たる事実なのである。

「ラウンドアバウト交差点」にはじめて遭遇した人は間違いなく違和感を感じるだろうが、慣れればむずかしいことはないはずだ。

ここに紹介した事例をみながら、ぜひアタマのなかで運転のシミュレーションしていただきたいと思う。





PS バンコク市内の「戦勝記念塔」(Victory Monument)もまたラウンドアバウト交差点

「戦勝記念塔」とは、「1940年に起こったタイ・フランス領インドシナ紛争でフランス軍と戦って戦没したタイ王国軍兵士を慰霊するために、1941年にタイ王国の首都、バンコクに建てられた」(wuikipedia日本語版)である。

(wikipedia日本語版より)

BTS(高架鉄道)は、戦勝記念塔の東側を迂回して建設された。

(2014年5月25日 記す)


PS2 「環状交差点」として道交法改正」(2014年9月1日施行)で導入

ラウンドアバウト交差点が「環状交差点」として道交法改正」(2014年9月1日施行)で導入されることになったようだ。「環状交差点における交通方法に係る 改正道路交通法の施行」(警察庁)の資料を参照。最初はなかなか慣れないだろうが、ぜひ普及にはずみがつくことを願いたい。


PS3 バングラデシュの首都ダッカにも「ラウンドアバウト交差点」

2024年8月に学生のデモから発展した暴動によって、政権が倒れたバングダッカダッカラデシュ。

その首都ダッカにも「ラウンドアバウト交差点」があることが、YouTube を視聴していてわかったので、動画からスクリーンショットした画像を張っておく。

バングラデシュは1971年に独立するまでは東パキスタンであり、パキスタンが1947年に独立するまで英国の植民地であった。(2024年8月18日 記す)


(2024年のバングラデシュの首都ダッカ YouTubeからスクショ)



<関連サイト>

渋滞よさらば!「ラウンドアバウト」とは何か信号のない交差点、走り方を知っておこう (東洋経済オンライン、2015年10月6日)

(2015年10月6日 項目新設)



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