2014年3月12日水曜日

マンガ『ビビビの貧乏時代 ー いつもお腹をすかせてた!』(水木しげる、ホーム社漫画文庫、2010)ー 働けど働けど・・・


このアンソロジーは「ビビビの貧乏時代」と題されている。「ゲゲゲの鬼太郎」にひっかけたタイトルだろう。「ビビビ」といえば、本来はネズミ男のはずなのだが(笑)

昭和20年の敗戦前後から昭和30年代いっぱいにかけてという時代。西暦でいえば1945年前後から1965年前後にかけて。ちょうど戦後復興期から高度成長期にかけてである。この時代はマンガ家・水木しげるにとっては、文字通りの「貧乏時代」であった。

この貧乏ものアンソロジーは、昭和40年代半ば以降に描かれた短編マンガを集めて一書に編集されたものだ。自分自身やその周辺人物を題材にしているが、虚実とりまぜたものであり、あくまでも創作と受け取るべきだろう。主人公のマンガ家には、水木先生にはない左手が描かれている作品もある。

収録作品は以下のとおり。最後の一編を除いて、いずれも昭和時代の作品である。初出の掲載誌がわからないが、このアンソロジーに収録されたマンガはいずれも大人向けである。

落第王 (昭和49年=1974年)
突撃!悪魔くん (昭和48年=1975年)
さびしい人 (昭和44年=1969年)
街の詩人たち (昭和48年=1973年)
ドブ川に死す (昭和48年=1975年)
なめちゃん (昭和50年=1975年)
わが退魔戦記 (昭和45年=1970年)
残暑 (昭和44年=1969年) 
国際ギャング団 (昭和44年=1969年)
漫画狂の詩-池上遼一伝- (昭和48年=1975年)
招かれた三人 (昭和46年=1971年)
2001年 現世の旅 (昭和44年=1969年)
貸本末期の紳士たち (平成9年=1997年)

マンガ家として食っていくということは、いかに大変なことか。「漫画狂の詩」というのは「野球狂の詩(うた)」のもじりだろうが、マンガ家・池上遼一が主人公である。絵柄も作風もまったく違うのだが、『クライングフリーマン』などの劇画で名をなしたマンガ家も、水木しげるのアシスタント時代があったのである! 

そして水木しげるが「悪魔くん」を発想したのは、みずからもそのなかであがいている「働けど働けど・・」という社会の理不尽さに対する不満、憤懣が根源にあったことが「突撃!悪魔くん」に明かされている。不正に満ちた世の中を一気に変えてしまおうという、民衆思想としての「世直し」願望のあらわれである。


(「突撃!悪魔くん」より 私憤を公憤に変える「世直し」願望)


「悪魔くん」は、モノクロ実写版特撮ドラマとしてテレビ放映された(1966~1967年)。わたしも子どもの頃、この番組は再放送を見ていて、「♪ エロイムエッサイム~」と歌っていたものだ。

現在ではマンガが日本を代表する一大産業として成長し、「クールジャパン」と称して日本政府までがそれに乗っかろうなんていう状況だ。だが、当時はマンガは子どもが読むものと大人向けと二分されており、その中間層を対象にしたマンガはなかった。読者層は現在よりはるかに狭かったのである。

マンガ家が描いた貧乏物語は多いが、この水木しげるのアンソロジーにでてくるのは、ひたすらマンガを書いては零細のマンガ出版社に売り込む話である。しかも支払いは悪く、零細出版社は次から次へとバタバタと倒産する。食うために稼ぐ生活。住んでいる家の立ち退きが要求される「貧窮問答歌」の世界。自営業者の悲哀である。

巻末に「毎日が戦い」という文章が収録されている。自伝エッセーの 『ほんまにオレはアホやろか』からの転載だ。一部抜粋しておこう。

年中無休で、しかも一日に16時間はかく、生きるために仕事をするのか、仕事をするために生きるのか、まるでわからないような毎日なのだ。寝ている間だけにしかシアワセはなかった。

マンガ家として成功したからこそ回想される貧乏時代であるが、2010年代に読むと、時代はふたたび逆戻りしたかのような既視感のようなものを感じてしまう。不思議にリアリティをもった作品群に吸い込まれるようにして読んでしまう。

グローバル化世界のなか国家として生き残っていくために、国民を犠牲にする新自由主義という選択が行われた日本。今後ますますワーキングプアという貧乏人が増えていくことは間違いない。

好きな道を選んだから貧乏を我慢しているのではなく、窮乏化するなかで貧困から脱出できなくなっている日本人が増えている。「いつか来た道」ではないが・・・

貧乏物語というものは、本来は貧乏を脱した作者が描き、それを読者は読むものだ。「むかしは大変だったんだよね~」なんて思いながら。だが、このアンソロジーを読んでも「昭和時代」がなつかしいという気分にはまったくなれない。

「働けど働けど なおわが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」と歌った石川啄木を思い出してしまう。不確かな「希望」を絶対に語らないリアリズムは、水木しげるもまた同じである。

生きるとは、まずなによりも食うことだ、食うためにはとにかく稼がなくてはならないというテーマは、まさに人間の真実そのものである。ウソのない世界である。

読んで落ち込むことはないだろう。とにかく生まれた以上、人間は死ぬまで生きていかなければならないわけだから。





PS 一部の字句と文章をを修正して読みやすくした。 (2014年9月11日 記す)


<ブログ内関連記事>

水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)

『水木しげるの古代出雲(怪BOOKS)』(水木しげる、角川書店、2012)は、待ちに待っていたマンガだ!

マンガ 『漫画家残酷物語(完全版 全3巻)』(永島慎二、ジャイブ、2010)-1960年代初頭の若者たちを描いた「マンガによる私小説」
・・これもまた「マンガ家貧乏物語」

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・マンガ家という好きな道で生きていこうとした若者たちがいる一方、世の中の大半は「高度成長」に邁進していた

マンガ 『俺はまだ本気出してないだけ ①②③』(青野春秋、小学館 IKKI COMICS、2007~)
・・40歳で仕事を辞めて自分探しする主人公。マンガ家になると宣言

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・

マンガ 『闇金 ウシジマくん ① 』(真鍋昌平、小学館、2004)
・・「格差社会」日本の現実

書評 『ゼロから学ぶ経済政策-日本を幸福にする経済政策のつくり方-』(飯田泰之、角川ONEテーマ21、2010)・・所得「再分配」は、経済政策のなかではテクニカルな側面だけでは議論できないこと

韓国映画 『嘆きのピエタ』(キムギドク監督、2012)を見てきた-「第69回ベネチア国際映画祭」で最高賞の金獅子賞を受賞した衝撃的な映画
・・「超格差社会」韓国の底辺

書評 『10年後に食える仕事 食えない仕事』(東洋経済新報社、2012)-10年後の予測など完全には当たるものではないが、方向性としてはその通りだろう

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「希望」よりも「勇気」!


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