2014年4月18日金曜日

「ジャック・カロ ー リアリズムと奇想の劇場」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)ー 銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む


「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた。会期は、2014年4月8日から6月15日まで。 

ジャック・カロといってもピンとこないかもしれないが、その銅版画(エッチング)の作品を見れば、あああれかと思う人も少なくないだろう。

特に有名なのが、山口昌男が『道化の民俗学』の単行本の箱カバーに使用されていたイタリアの喜劇コメディーア・デラルテの道化を描いた作品だ。現在は文庫化されているが、文庫版のカバーもまたもカロの銅版画が使用されている。

そう、ジャック・カロといえば、エッチングである。カロはイタリアで新しい技法を学び、試行錯誤を重ねたすえにエッチングをほぼ完成の域にもっていったエッチングの革新者である。


エッチング技法の完成とイラスト入り書籍の流通

エッチング以前の版画には木版とエングレーヴィングがあったが、エングレーヴィングは、金属板に直接刻みをつける技法だが一枚仕上げるのに時間がかかり、しかも熟練を要するのが問題であった。

エッチング(=ハードグラウンド・エッチング)は、銅板のうえに耐酸性の物質(=グラウンド)を塗り、そのうえに先端のとがった金属のニードルで自由に素描し、線描部分を酸性液のなかで腐食させる技法である。グラウンドには蜜蝋やアスファルト、松脂をまぜて加熱したものが使用される。

筆圧がそれほど必要とされないので、線の太さや濃淡で明暗をクリアに表現することができるようになった。これなら高校生でもまねごとくらいなら可能である。高校で美術を選択した人なら一度はエッチングの技法を試したことがあると思うが、じっさいにやってみればわかることだ。

(1645年発行の銅版画技法書で解説されているカロの技法)

腐食を版画の技法として応用するようになったのは16世紀に入ってからだという。エッチングだと、バロック美術の様式である光と影のコントラストをクリアに表現できるだけでなく、何度も刷ることができるのもすぐれた点だ。つまり複製が技術的に容易になったことであり、それにともないひいては製造コストも下がったということだ。

グーテンベルクの発明による金属活字を使用した活版印刷が「16世紀メディア革命」つながったが、17世紀にジャック・カロによってエッチングの技法が完成の域に達したことによって、銅版画のイラスト入りの書籍(illustrated books)が従来よりも廉価に供給可能となったのである。

ジャック・カロのエッチング作品も書籍のイラストとして製作されたものが多く、実際に美術館でみるとサイズは小さいものが大半である。


ジャック・カロが生きた17世紀という初期近代

ジャック・カロ(1592~1635)は、17世紀初頭のロレーヌ地方が生んだエッチングの革新家であり、時代の記録者でもある。

彼が生きたのは「宗教戦争」の時代であり、プロテスタント側に対してカトリック側ではイエズス会を中心とした「対抗宗教改革」の時代である。美術史的にいえばバロック時代である。

カロは43年という短い生涯であったが、王侯貴族などのパトロンのために製作したエッテングは生涯で1400点以上にのぼるということだが、たしかになんらかの形ですでに目にしたことのある作品も多い。

(コメディーア・デラルテに登場する道化を描いたエッチング作品)

ジャック・カロが描いたテーマでもっとも有名なのが、コメディーア・デラルテの道化だが、「最後の宗教戦争」あるいは「最初の国際紛争」ともいわれる「三十年戦争」(1618~1648)三十年戦争を描いた作品も一度でも見たことのある人は忘れることができないだろう。『戦争の惨禍』と題されたシリーズだ。

『大きな惨禍』のシリーズが出版された1633年は三十年戦争によってロレーヌ地方がフランス軍から(!)侵略を受けていた年である。

カロが生まれたロレーヌ公国はフランス語では Duché de Lorraine(ロレーヌ)、ドイツ語では Herzogtum Lothringen(ロートリンゲン)と、フランス語圏の東端でドイツ語圏と接する地域にある。
いわゆるアルザス・ロレーヌ地方である。

フランス語地帯とドイツ語地帯の境界領域であるが、こういう地域はウクライナもそうだが、とかく紛争に巻き込まれやすい。カロの死後のことであるが、三十年戦争終結後のウェストファリア条約(1648年)でロレーヌ地方は神聖ローマ帝国から切り離されてフランス王国領となる。

『戦争の惨禍』と題されたシリーズは、傭兵たちによる略奪と放火、見せしめの死刑、戦争によって不具となった兵士など、その当時の戦争の記録としてきわめてすぐれたものだ。

(絞首刑 1633年)

もっとも有名なのが「絞首刑」(1633年)という作品だろう(上掲写真)。

離れて見るとブドウの房がぶら下がっているように見えるが、近くによって見ると、首を縛ってつるされた死体が多数ぶらさがっていることがわかる。あきらかに「見せしめ」の効果も狙ったのであろう。多くの人が見物している光景からもそれがわかる。

展示会場の解説には、この版画を「反戦」という文脈で見ることを戒める文章があったが、まったく同感だ。中世だけでなく初期近代においても、21世紀の先進国に生きる人間とは「感覚」(センス)がまったく違うのである。これは西欧だけでく、同時代の日本でも同じだったことは言うまでもない。

『略奪の法観念史-中・近世ヨーロッパの人・戦争・法-』(山内進、東京大学出版会、1993)には以下のような記述がある。、

ルターは 「殺戮し強奪し放火しあらゆる災害を敵に加えること」を「戦争の慣わし」と規定し、その通りに振る舞うことを「愛の行為」と呼んで憚らない。・・(中略)・・ 住んでいる世界つまり「人間環境全体」が、そして「法観念」が違うのである。

ヨーロッパでも19世紀まで、死刑が見せ物として公開されていたことは「常識」として持っておく必要がある。『アンデルセン自伝』にも少年時代の思い出としてでてくる。カロの版画では登場しないが、魔女狩りの嵐が吹き荒れたのが初期近代だ。悪魔のイメージは具体的な図像としてカローにも登場している。


国立西洋美術館の所蔵作品

今回の展覧会は、国立西洋美術館の所蔵作品だという。だから、入場料を大幅に安くできているのだろう。

展覧会の案内文をそのまま引用しておこう。

本展覧会では、国立西洋美術館のコレクションに基づいて、初期から晩年に至るカロの作品を、年代と主題というふたつの切り口からご紹介します。カロの活動の軌跡をたどりつつ、リアリズムと奇想が共演するその版画世界をご覧いただきます。さらに、作品を通して、当時の芸術的潮流や社会の諸相に対するカロの姿勢を探っていくことも、この展覧会の狙いです。

ジャック・カロの作品と17世紀の欧州に関心のある人は、足を運んでみる価値のある美術展である。

それにしても、ジャック・カロのエッチング作品を多数所蔵している国立西洋美術館のアーカイブ機能と、研究教育機関としての役割には大きなものがあると、あらためて感心している。




<参考書>

国立西洋美術館が発行している『ポケットガイド 西洋版画の見かた』(渡辺晋輔、国立西洋美術館、第3版、2011)がよい。ミュージアムショップで730円で販売しているので、ついでに1冊購入しておくとよいだろう。エッチング技法の説明は、この本を参考にさせていただいた。

ジャック・カロの画集は現在では入手不能状態なので、図録(2,400円)を購入しておくのもよいかもしれない。

近代西欧の版画については『図像観光-近代西洋版画を読む-』(荒俣宏、朝日新聞社、1986)がある。いずれも著者が自腹を切って収集した版画がふんだんにカラーで収録されている。

(2014年6月15日 情報追加)





<関連サイト>

「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館 公式サイト)

カロの銅版画にみる宗教政治の惨禍 (吉田八岑、早稲田大学図書館)

出品リスト(PDFファイル)



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・・単行本も文庫版もカバーに使用されているのはジャック・カロによるコンメディーア・デラルテを描いた銅版画

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(2014年8月22日 情報追加)


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