日タイ関係がいちばん最初に密接になったのが「大東亜戦争」期であった。第二次大戦末期の4年間(1941~1945年)である。
大英帝国領であったビルマとマラヤ(=シンガポールを含むマレー半島)、フランス領であったインドシナと国境を接していたのが、英仏の緩衝地帯として独立を保っていたタイ王国であった。
大日本帝国はビルマ攻略の兵站(ロジスティクス)基地としてのタイに着目し、インドシナ半島の中心に位置するタイに軍隊を進駐させた。ただし占領したのではななく、同盟を結んだ上での進駐であった。この事実は忘れられがちだが、きわめて重要なことだ。
独立国どうしの外交関係であっただからこそ、当時の記録が外交文書としてタイの国立公文書館に保存されていたのであり、それらが情報公開されたことにより、著者の一連の研究が実現したのである。タイ側の文書だけでなく、日本側が提出した文書の複写もきちんと保存されているのだろう。
日本は敗戦にあたって重要文のほとんどを焼却処分してしまったので、こういった形で戦争期の研究をするしかないのであるが、それにしてもじつに幸いなことであった。日本語とタイ語の一次史料をもちいた複眼的でオリジナルな研究成果である。
副題の「大東亜戦争」期の知られざる国際関係」にあるように、日本人もタイ人も、ともによく知らない歴史的事実を掘り起こしたものだ。この歴史的事実に注意喚起したいという思いから執筆された4本の論文をまとめたのが本書である。
まずタイ語で出版され、著者の急逝後に日本語版が編集されるという経緯をたどったのも、本書の性格をよく表しているといえる。健忘症の日本人、歴史感覚の希薄なタイ人の双方にとって意味ある内容だ。日本人にとってのみならずタイ人にとっても意味のある研究内容なのである。
著者は、タイ語に精通した、草創期の日本人研究者である。
■「近代化」の規模とスピードに大きな差の出た日本とタイ
ともに、欧米列強の植民地となることを免れた日本とタイであったが、日タイ関係はかならずしも一筋縄でいったわけではない。
植民地全盛時代に独立は維持したものの、ともに西欧志向であった点は共通しているが、日タイ間では「近代化」の質とスピードには大きな差があった。1932年時点ではすでに重工業化が進展し、自前で戦艦まで建造できた日本と、絶対王政下のタイ王国の格差は、すでにきわめて大きなものとなっていたのである。
みずからが植民地帝国となり1931年の満州事変で国際的孤立の道を歩きはじめた日本。1932年の「立憲革命」で絶対王政を倒し立憲君主制のもとに本格的に「近代化」を開始したタイ。
1931年の満州事変と1932年のタイの立憲革命は、同時代現象として不思議に共鳴し合うことになる。タイは、政治的には英国、経済的には華僑の影響力を削ぐために日本に接近することになったからだ。
タイはこの時期、国民統合のためにナショナリズムを強調し、シャム(=サヤーム)からタイに国名を変更した。この状況のもと、日本とタイは「独立国」として大東亜戦争においては同盟関係を結ぶに至ったのだが、その関係は、その他の東南アジア諸国とは根本的に異なるものがあった。
それは何度も繰り返すが、日タイがともに「独立国」であったことである。植民地を占領した英領ビルマや英領マラヤ(=マレーシア+シンガポール)、そして蘭領東インド(=インドネシア)、アメリカ領であったフィリピンとは異なるということであり、進駐はしたが占領はしていない仏領インドシナ(=ベトナム・ラオス・カンボジア)とも異なるということである。
仏領インドシナに進駐した日本軍の巨大な圧力を感じていた「中立国タイ」は、日本と同盟を結ぶことになるが、それは実質的には恫喝に近いものを感じていたからであったことが本書で明らかにされている。
■日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期に形成された
第4論文の「忘れられた対日協力機関」の末尾の文章はぜひ読んでいただきたい。
タイは中立を宣言していたが、日本軍の進駐で協力を余儀なくされた。・・(中略)・・ 日本軍の進駐とともに誕生した協力機関も、日本軍に協力したかどで非難されてしまった。だが、もし、この機関がなかったなら、さて、タイはどうなっていただろうか ・・(中略)・・ タイが国益保全に努力し、独立と主権を維持するため、日本軍を相手に三年半も悪戦苦闘していたのは、他ならぬ日タイ合同委員会と事務局であり ・・(中略)・・ 日タイ同盟を結んだ以上、日本軍もまたタイの主権を軽々に蹂躙することができなくなった。他の東南アジア諸国と同様の調子で、"日本占領下のタイ" という表現を、外国や日本の専門家が安易に用いているのを読むとき、果たして正鵠(せいこく)を射た表現であろうか、という疑問を禁じ得ない。(P.164)
わたし自身もそうだったが、大東亜戦争において日本の同盟国であったタイは、一方では「自由タイ運動」によって英米と通じて二股をかけたうえで、日本の敗戦後は手のひらを返したように「連合国」の一員として厳しい処分を免れたという事実にのみ注目しがちである。
実際問題、日本と同盟を組んで英米に宣戦布告した「枢軸国」となったがゆえに、日本の敗色が濃くなって以降は、バンコクも「連合軍」の空爆被害を受け、両隣のビルマとマラヤで大日本帝国に苦杯をなめさせられた大英帝国は、日本の敗戦後はタイ王国に進駐し、厳しい態度で接したのである。
だが、第二次大戦後に覇権国となったアメリカは、タイを含めた東南アジア諸国への影響力を強化するために寛大な態度でタイを遇することになる。
「反共」を国是とする王国で、ベトナム戦争時代にはアメリカに軍事基地を提供するまでの関係になった米タイ関係を考えれば、「自由タイ運動」史観とでもいうべきものが戦後の支配的な歴史観となったきたことは十分に理解できることだ。
だが、本書を読めば、「自由タイ運動」史観には、一定の留保条件をつけたほうがよさそうだという感想を抱くのである。
日本軍と戦ったこともなく、せいぜい日本軍の動きを連合国側に通報する程度の活動をした自由タイ運動が、戦後に抗日運動として高く評価されているのに比べれば、(対日協力機関は)あまりにもその影が薄い(P.162)
日本の敗色が濃くなるなか、ピブーンは、「同盟国」でありながら日本が主催した「大東亜会議」(1943年)に出席せず、代理として王族を出席させている。その結果、招待した東条英機首相をはじめとする日本側の面子をつぶしているのだが、忘れられがちな歴史的事実を再確認することは、日タイ関係を考えるうえできわめて重要なことだ。
責任をとらずに雲隠れするというタイ人政治家の行動パターンは、この時期の大物政治家で本書でも主役級のピブーンやプリーディにも共通する。この二人は失脚後に、それぞれ亡命先の日本と中国で客死している。このパターンは現在でも亡命を余儀なくされているタクシン元首相にも継承されている政治的特性といえよう。
人間関係もそうだが、二国間関係も濃密に接触した時代にお互いの本質をいやというほど知ることになるものだ。良い面も悪い面も含めた両面である。
本書を読めばさまざまな歴史的事実を確認することができるが、現代の日タイ関係やタイ政治を見る視点が「複眼的」になるだろう。
たまには現在の問題から離れて、歴史を振り返ることに意味があるのはそのためだ。
目 次
タイ語版「推薦文」-吉川利治氏と「敗者」の歴史-(チャーンウィット・カセーシトリ)
タイ語版著者「まえがき」
第1章 ピブーン政権と日本 (初出 1982年)
はじめに
1. タイの立憲君主革命と日本
2. ピブーンの民族運動
3. 「愛国信条」(ラッタ・ニヨム)の発布
4. インドシナ国境紛争と日本の調停
5. 失地回復を喜ばぬタイ
6. 急増する日本人
7. 迫り来る危機
8. タイ・カンボジア国境に消えたピブーン首相
9. 進駐する日本軍
10. 緊急に開かれた会議
11. "嵐のときのようにやり過ごす"
12. エメラルド仏寺院での同盟締結
13. タイも英米に宣戦布告
14. 戦時下の文化革命
15. 抗日への準備
16. 大東亜会議
17. 連合国軍の空襲とペッチャブーン遷都計画
18. 抗日戦線への連帯を求めて
19. ピブーン首相辞任
第2章 タイ駐屯日本軍 (初出 1997年)
1. 「タイ駐屯軍」と「インドシナ駐屯軍」
2. 日タイ協同作戦
3. 昭和天皇とタイ駐屯軍の誕生
4. 外交と軍事を担う司令官
5. タイ駐屯軍の任務
6. 中村司令官の友好親善活動
7. 連合国軍の爆撃
8. ピブーン内閣総辞職
9. 東条首相のバンコク訪問
10. ピブーン首相の大東亜会議欠席
11. 泰緬連接道路の建設
12. 空襲に遭う日本大使館
13. 駐屯軍から野戦軍へ
14. 軍需品の現地生産と調達
15. 軍需物資の集積と陣地構築
16. 第39軍から第18方面軍へ、最期の作戦
17. 「義」部隊
第3章 日本軍による米の調達 (初出 1999年)
1. 日本軍が戦時中にタイで占有していた事業
2. 戦前のタイ米の輸出
3. バッタンバン米の輸出
4. 南タイからマラヤへの米輸出
5. 米は余剰、輸送列車は不足
6. 南タイでは米を備蓄
7. 米に関する委員会設置
8. 北部フランス領インドシナ向けの米の輸出
9. 聞いたタイで米の統制令、南タイの米不足
10. 東北タイで日本具への米の売り渡し阻止
第4章 忘れられた対日協力機関 (初出 2001年)
1. タイ日合同委員会から「日泰政府連絡所」へ
2. タイ滞在の日本兵の法的地位
3. タイの官憲と日本軍憲兵隊
4. 広報小委員会
5. 同盟国連絡事務局
6. 対日協力機関に対する評価
参考文献
タイ語版役者「あとがき」(謝辞)(アートーン・フンタンマサーン)
解説(早瀬晋三)
「大東亜戦争」期の日本・タイ関係年表
写真出典一覧
索引
著者プロフィール
吉川利治(よしかわ・としはる)
1939年大阪市生まれ。1962~64タイ国立チュラーロンコーン大学文学部留学。1963年大阪外国語大学タイ語学科卒業。1964年大阪外国語大学タイ語学科助手。1985年大阪外国語大学地域文化学科タイ語専攻教授。1987‐89年京都大学東南アジア研究センター客員教授。1994‐95年東南アジア史学会会長。2002年タイ国立シンラパコーン大学文学部客員教授。2005年大阪外国語大学名誉教授。2009年タイ国アユタヤで急逝。著書に『泰緬鉄道』(同文館、1994) (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<参考文献>
『ピブーン-独立タイ王国の立憲革命-(アジアの肖像⑨)』(村嶋英治、岩波書店,
1996)
『日本占領下タイの抗日運動-自由タイの指導者たち-』(市川健二郎、勁草書房、1987)
ナショナリズムを強調し、国民統合のためにシャム(=サヤーム)からタイに国名を変更したのは立憲革命後のことである。この点については 『ピブーン-独立タイ王国の立憲革命-(アジアの肖像⑨)』(村嶋英治、岩波書店、1996) に詳述されている。
<関連サイト>
大東亜戦争開戦の直前、日本軍はタイ陸軍と交戦していたことが、映画 『少年義勇兵』(タイ、2000年)に描かれている。英領マラヤ上陸作戦実行に際して、英国を目くらましするために、日本軍は国境付近のタイ領から上陸し、そこでタイ国軍と交戦して双方に死傷者がでていたのであった。
タイ映画「少年義勇兵」 日本版予告編(YouTube)
<ブログ内関連記事>
「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)
書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)-クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール
・・タイ人政治家の息吹が聞こえてくるような貴重なメモワール
■大東亜戦争期の日本とタイ、そして英領ビルマの関係
書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・『同盟国タイと駐屯日本軍』の第1章には、日本が在外資産を凍結されたため、同盟を結んだタイに借款を求めたこと、二回目の借款においては担保となる金(きん)をバンコクに移送することを条件に実行に移されたこと、この件にかんして時の財務大臣プリーディーが日本に対してきわめて不快感を抱いたことが記されている
・・日本の敗戦時にバンコクにいた辻政信参謀は、英国からの執拗な追跡を逃れて大規模な逃避行を実行
タイのあれこれ (25) DVDで視聴可能なタイの映画 ④人生もの=恋愛もの
・・『クー・ガム』(日本語タイトル:「メナムの残照」) 製作公開1996年 監督:ユッタナー・ムクダーサニット は、日本人海軍将校とタイ人女性の悲恋もの。大戦末期のバンコク空爆シーンも登場
書評 『抵抗と協力のはざま-近代ビルマ史のなかのイギリスと日本-(シリーズ 戦争の経験を問う)』(根本敬、岩波書店、2010)-大英帝国と大日本帝国のはざまで展開した「ビルマ独立」前後の歴史
三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字
■泰緬鉄道関連
書評 『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』(吉川利治、雄山閣、2011 初版: 1994 同文館)-タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌
映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!
『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、エヌ・エヌ・エー、2008)で知る、アジアの物流現場の熱い息吹
・・大東亜戦争においても、ベトナム戦争においても、日本企業の本格的進出時代においても、タイはつねに東南アジアの交通ハブであり、ロジスティクスの中心であった
『貨物列車のひみつ』(PHP研究所編、PHP、2013)は、貨物列車好きにはたまらないビジュアル本だ!
(2016年7月9日 情報追加)
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