2014年7月30日水曜日

書評『牛を屠る』(佐川光晴、双葉文庫、2014 単行本初版 2009)ー「知られざる」世界を内側から描いて、働くということの意味を語った自分史的体験記


『牛を屠(ほふ)る』という本は、単行本が出版されたときに話題になっていたと記憶している。文庫化されたと知ってさっそく読んでみた。

一気に読んでしまうだけの迫力と魅力に満ちた本であった。

「牛を屠る」とは、食肉解体の世界で働いた10年半の日々を回想してつづった体験記だ。家畜の息の根を止め、皮を剥(む)き、解体して食肉に加工するためのプロセスと、職場で働く同僚たちとの日々が描かれている。

食肉解体の世界という「知られざる世界」。自分が食べるものがどう処理されているのか知るのはきわめて重要なことだ。この本は「知られざる世界」を外部のノンフィクション作家が描いた作品ではなく、その内部でじっさいに働いていた人が書いた本だ。そこが最大のポイントである。

いわば参与観察法によるフィールドワークの記録といってもいいいのだが、だが著者自身は作品を書くために食肉加工の世界の世界に飛び込んだのではないことを再三にわたって強調している。

「おめえみたいなヤツの来るところじゃねえ!」、という先輩職人のキツイ一発からはじまった日々。大学の法学部を卒業して中小出版社に就職しながらも一年で辞めた著者は、職人の世界にあっては最初はインテリ以外の何者でもなかったということだろう。

ひょんな偶然でこの世界に入ることになったのだが、カラダをつかった仕事で生(せい)を実感したいという思いが無意識のうちにあったようだ。だから内発的な動機に促されたのだといえよう。

最近の若者にも農業や林業などへの志向が見られるが、人間というものは生きているという実感を感じたいのである。働く意味をしっかりと自分で確認したいのである。そうでないと人間は安心できないのだ。

文庫版の帯にあるように、「ここで認められる人間になりたい」という承認欲求。これが満たされることは、カネよりも重要なことだ。人間とはそういう存在なのである。


食にかんするエッセイストの平松洋子氏との文庫版オリジナル対談が収録されているが、この本は知られざる世界を描きながら、働くということの意味を具体的に語っている。そのことを平松氏は著者からうまく引き出している。

著者は、わたしと同世代のようだ。「社会史」がブームとなっていた頃、阿部謹也や網野善彦をよく読んでいたと書いている。

「社会史研究者の中で、私は良知力(らち・ちから)が大好きだった」と著者は書いている。ああ、だから「向う岸からの世界史」なわけか。単行本は、「向う岸からの世界史」といいうシリーズの一冊として解放出版社から出版されている。

「こちら側」の人が知らない「向う岸」にある世界。その「個別具体的」な世界を体験者が内側から描くことで、働くことの意味という「普遍的」なものを知らず知らずに語っている。そんな本である。

ぜひ読むことをすすめたい。そして若者に薦めてあげてほしい。仕事で成長するとはどういうことかを語った本でもあるからだ。




目 次

<巻頭イラスト> 佐川光晴が2001年まで働いていた大宮市営と畜場(当時)の牛の作業場
はじめに
1. 働くまで
2. 屠殺場で働く
3. 作業課の一日
4. 作業課の面々
5. 大宮市営と畜場の歴史と現在
6. 様々な闘争
7. 牛との別れ
8. そして屠殺はつづく
単行本あとがき
文庫版オリジナル対談 佐川光晴×平松洋子 働くことの意味、そして輝かしさ
文庫版あとがき

著者プロフィール
佐川光晴(さがわ・みつはる)
1965年東京都生まれ。北海道大学法学部卒業。出版社、屠畜場勤務を経て、2000年「生活の設計」(『虹を追いかける男』所収)で新潮新人賞を受賞しデビューする。『縮んだ愛』で野間文芸新人賞、『おれのおばさん』で坪田譲治文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS この投稿でブログ記事は1414本目となった。いよいよ、である。(2014年7月30日 記す)。


<関連サイト>

クジラを食べ続けることはできるのか 千葉の捕鯨基地で見た日本人と鯨食の特別な関係(連載「食のニッポン探訪」)(樋口直哉、ダイヤモンドオンライン、2014年9月3日)
・・日本人は家畜の解体には違和感を感じても、マグロやクジラの解体には違和感を感じないのは「文化」によるものであり、「慣れ」の問題でもあろう。【動画】外房捕鯨株式会社 鯨の解体 は必見!

(2014年9月3日 情報追加)



働くということの意味

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・・「なにも僕が仕事好きだというわけじゃない。・・(中略)・・ただ僕にはね、仕事のなかにあるもの--つまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、--他人のためじゃなくて、自分のための自分、--いいかえれば、他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのは外面(うわべ)だけ、しかもそれさえ本当の意味は、決してわかりゃしないのだ (中野好夫訳、岩波文庫、1958 引用は P.58-59)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」「「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」
社会史

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)
・・ゲルマン世界とスラブ世界の接点であるハプスブルク帝国の首都ウィーンを舞台に「挫折した1848年革命」を描いた社会史の記念碑的名著

「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは
・・わたしがもっとも推奨したい一冊。「自分史」を「人類史」に位置づける

(2015年7月1日、7月7日 情報追加)


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